20話.嵐の前兆
艦首に羊を模した彫刻を乗せた遊覧船、改め海賊船のゴーイングメリー号が大海原を駆ける。
乗組員は五名の少数精鋭。船長に麦わら帽子を被ったモンキー・D・ルフィに世界最強を志す三刀流の剣士ロロノア・ゾロ。狙撃と嘘のセンスは天下一品なパチンコの狙撃手ウソップ。航海士としての腕前は世界でも一、二を競う才能の持ち主ナミ。最後に偉大なる航路を一年間も航海し続けた海賊団の船長を務めた赫足のゼフより料理と蹴り技の腕前を受け継いだ海上レストラン“バラティエ”の元副料理長サンジ。金色の髪で片目を隠す男は、甲板で煙草を吹かせる。
大人と認められたくて始めた煙草の味は、今となっては癖になっていた。
口内に溜め込んだ煙を吐き出せば、吹き抜ける潮風に掻き消される。アーロン一味との戦闘で負った傷が少々染みる。しかし自分以上に重傷を負った仲間が平気な顔をしていたので、痛みはおくびにも出さなかった。ふと青空を雲が流れる様子を眺める。クリーク海賊団の襲撃からナミの失踪、アーロン一味との戦闘。この数日は気の休まる時がなかった。
そして漸く心に余裕を取り戻し、数日前に出会った緑髪の少女の事を思い出す。
先ず思い出すのは、初対面の相手に告白紛いの言葉を送られた事だ。
将来有望な美少女に誘われて、嬉しい事は嬉しかったのだが、それを本気にするほど若くもない。だけど彼女の言葉は自分の夢を見つめ直す機会になった。四つの海域に生息するありとあらゆる魚が一堂に会する特殊な海域、オールブルーを探す事。伝説の中の存在と呼ばれた海を探すのが自分の夢であり、その可能性があるとすれば
自分の為に糞ジジイは赫足とまで呼ばれた足を失った。
その恩義に報いる為には、恩師の糞ジジイの宝物を守るのが自分の役目だと考えて生きて来た。
まだ海上レストランに居る時、クリーク海賊団の襲撃前にベッドの上で自分の夢のことを考える。過去を思い返している時に、どうしてあの時、糞ジジイはオールブルーの話をしてくれたのか考えた。死に際に語った話、それは夢に破れた話でもある。……もしかすると自分が糞ジジイにしてやれる事があるとすれば、オールブルーを見つけて、その存在を糞ジジイに教えてやる事なんじゃないかって思った。
そこまで考えた時、一ヶ月後、もし本当にあの子が自分を迎えに来たら付いて行っても良いんじゃないかって考えた。
そんな時に現れたのが麦わらの男であった。
料理長室を吹き飛ばした問題児。だけど糞ジジイの宝物である海上レストランに攻め込んで来たクリーク海賊団を追い払ってくれた恩人であり、彼には偉大なる航路を超える船と仲間が居た。正直、あの少女との約束は半信半疑に考えている。約束といっても、あの場限りの口約束であるし、なによりも自分は彼女の為人を何も知らなかった。オールブルーを探す、その決断をするきっかけを与えてくれた事に感謝はしている。しかし、それだけだ。それ以上、彼女に対する想いが何もない。保証もなければ信頼もない、義理もなかった。それなら今、確実にあるチャンスを掴むべきだと考えた。糞ジジイを始めとした仕事仲間も「行って来い」と背中を押してくれた。
同僚のパティだけが「本当に良いのかよ。絶対に美人になるぜ、勿体ねえ」と言った。
実際、悩んだ。悩んだ末の結論だ、目の前にあるチャンスを逃してまで待つ義理が自分にはない。正直、理由もなく約束を破る相手ではないと感じている。だからといって彼女が自分で言った条件を成し遂げられる保証がなかった。
こうなるともう付いて行かない理由を探す方が困難だ。
偉大なる航路も直前、ローグタウンを越えてリヴァース・マウンテンに入る。
もし仮に少女を待ったとしても、此処まで早い偉大なる航路入りはなかったはずだ。自分の選択は正しかったのだ、と幾分か気持ちが楽になる。そうやって考えていると水平線の先にローグタウンが見えて来た。海賊王と呼ばれた男が処刑された時の処刑台が観光名所として残る町、海賊王を目指す船長が寄らないはずもなかった。
新鮮な食材も調達しておきたかったので、料理人の目線からしてもありがたかった。
そして、この町でサンジは己の選択を後悔する事になる。
◆
オネ一行はローグタウンに蜻蛉返りしていた。
ココヤシ村で得た情報で今、海上レストランのバラティエは近場の
周りに当たる事もなかったので、指摘をするに出来ないのがカリーナであった。
アルビダは早熟なオネの年相応の面が見えて少し安心しており、クラハドールは興味がないといった様子で椅子に座って小説を読んでいる。オネ一行の航海士はカリーナとクラハドールが務めており、二人が意見を擦り合わせながら航海を進めている。帆を操作するのは、主にオネとアルビダの仕事で、アルビダとカリーナが舵輪を握っている事が多かった。
料理は当番制、四人で得意料理が違うので毎日、趣向の違った料理を楽しめている。
ちなみにオネが得意なのは、和食である。
カリーナは世界経済新聞社の新聞を定期購読している。
渡り鳥から届けられた新聞に付随した賞金首の紙が床に落ちた、それを拾ったオネの顔から表情が抜け落ちる。その写真に写った顔は、少し前に見た男のものだ。“麦わら”モンキー・D・ルフィ。懸賞金は三千万ベリー、東の海では破格の金額だ。しかし、オネにとっては、そんな事はどうでも良かった。
写真に写った満面の笑顔がオネの神経を逆撫でする。
「……殺すか」
少女のポツリと呟いた言葉をカリーナは聞き逃さなかった。
怒気はなく、殺意だけが込められた冷たい声。カリーナはサンジという料理人の男に同情する。
恋する乙女の怒りは怖いのだ。
実際に恋愛感情があったのかはさておいて、愛情が憎悪に引っ繰り返る瞬間ってのはある。
今、正にオネに起きているのが、それだった。
どう足掻いても面倒事になると察したカリーナは、どうか二人が鉢合わせませんように、と祈った。
そして、その行為が無意味だと知ったのはローグタウンに着いた後、偉大なる航路に入る前に世話になった人達に挨拶回りをしていた時の事である。海賊王の処刑台がある広場で、麦わら帽子を被った男が大声を上げて笑っていた。この町にナミも居るのね、とカリーナは遠い目をする。
他の三人は今、何処に居るのか。吹き荒れる嵐の予感に仲間達の所在を知っておきたかった。
◆
少し時間を巻き戻す。
麦わらの一味であるゾロが、鷹の目の男との戦闘で失った刀を補充する為に“ARMS SHOP”の看板を掲げた武器屋に足を運んだ時の事だ。偶然、見覚えのある顔を見つけた。しかし、それは他人の空似というものだ。幼馴染がシモツキ村を離れた時の雰囲気とも違ったので、二人を混同する事はしなかった。
そこで“良業物”雪走と“業物”三代鬼徹を譲り受ける。
店を出た時、黒髪の女性と擦れ違った。
頭の頂点で纏めた長い髪、目を奪われたのは美醜ではない。
今度こそ、知った顔だったのだ。
「お前、くいなか……?」
海軍将校のコートを羽織った幼馴染は、首を傾げた後で頷き返す。
「ええ、そうです。私が海軍本部中佐の霜月くいなです」
して、と彼女は続ける。
「貴方と私は、何処かで会いましたでしょうか?」
「記憶力……ッ!」
ゾロは歯を食い縛り、唸るように呟いた。
彼女は幼い頃に世界最強の剣豪を目指すのだと誓い合った仲であり、しかし約束を忘れてしまった女である。
それだけならまだ良かった。
「う~ん? それでは私は用事がありますので」
と幼馴染は他人行儀に武器屋へと入った。
一人、残されたゾロは拳を強く握り締める。
彼女は別れる最後まで、ゾロの顔と名前を覚える事が出来なかった。
その事は幼馴染が約束を忘れてなおも彼が世界最強を志す理由のひとつになっている。
霜月くいなは、自分が強いと認めた相手しか顔と名前を覚える事が出来なかった。