海軍と騒動を起こす事は革命軍の本意ではない。
革命軍が打ち倒すべきは現政権であり、ひいては天竜人を中心にした歪な制度の数々である。今の世界構造は上位階級による一方的な搾取で成り立っていた。頂点に立つ天竜人が搾取する事で国家が貧乏となり、国家が国民を搾取する事で国民が貧乏となる。搾取するだけでは成り立たない隙間を埋めるのに多数の奴隷を用いる事で世界は維持されている。
こんな世界構造は一刻も早く、潰さねばならない。と奮起して生きて来た。
しかし世界の秩序と治安を維持するのに海軍の存在は必要だ。
現政権を打倒した後に予想される世界の混乱。再び世界に秩序を与えるのに海軍の存在が必要になると参謀総長のサボは考えている。海軍は味方に付けるべきであり、敵対すべきではない。故に己の真っ当な正義に殉じる女将校を必要以上に傷付けるのは、彼の正義に反する事であった。出来れば、穏便に無力化したい。しかし女将校の突き技による猛攻を受け一辺倒で凌ぎ切るのは、サボを以てしても困難を極める。
何度か攻撃を受け流せず、鉄パイプで受け止めた結果、店舗に穴を空ける事になってしまった。
飛散する瓦礫片と共に広場へと戻ってしまった彼は、まだ追撃を仕掛けて来る女将校に辟易しながら鉄パイプを構える。
「サボッ!? サボなのか!?」
何処かで聞いた事のある声に思わず意識を奪われた。
「
女将校に意識を戻す。
(戦いの最中に俺は何を考えているっ!?)
海軍体術である六式の剃を用いて間合いを詰めながらの高速三段突きだ。
サボは鉄パイプを器用に操って、一撃目と二撃目は弾いた。
しかし適度に散らされた三撃目を左肩に受ける。
彼女から放たれる全ての攻撃が存在そのものを賭した全身全霊の一撃である。
突きの衝撃を受け止めきれず、サボの身体が吹き飛ばされた。
「えっ?」
ほぼ地面と垂直に吹き飛ぶ彼の身体は、無防備だったオネの身体を巻き込んで広場を囲んだ建造物の身体に突き刺さる。
「
そして女将校は攻撃を緩める暇なく、六式の特殊な移動法で革命軍の参謀総長を追撃する。
吹き抜ける嵐のような出来事を前に、
麦わらの男達を含めた民衆は、呆気に取られる他なかった。
誰も彼もが言葉を失う中、
ルフィだけが号泣し、サンジは煙草に火を灯す。
「今の内に逃げよう」
彼の提案は非常に現実的なものであった。
しかし号泣するルフィに肩を貸す彼の背中が、どうしてこうも情けなく映るのか。
ゾロは無言で刀を鞘に納めて、
もっと精進する必要があると逃げ出す二人の後を追いかけた。
オネは瓦礫の中で仰向けに倒れていた。
三人が逃げる気配を感じ取り、ぷくっと頬を膨らませたしかめっ面だ。
近場では金属同士を打ち付け合う音がするけども、
そんな事はどうでも良かった。
「……私の方が先に目を付けたのに」
あの麦わらの男は、やっぱり滅ぼさなくてはいけない。とオネは改めて心に誓った。
◆
左肩に受けた傷が原因で左腕が使えなくなった。
流石に片腕では攻撃を受け切る事もできず、サボは無力化よりも逃げに徹している。
丁度良い頃合いで姿を晦ますにも、
六式『剃』で距離を詰めて来るので、視線を切る事も難しかった。
「幸いにも右腕はまだ使える」
サボは完全な勝利を諦める。
想定が甘かった、目の前に居る少女を無傷で無力化する事は不可能だ。
甘えを捨てるんだ、彼女は手を抜いて勝てる相手ではない。
初めて見た時、彼女から感じた覇気は、微弱だった。
懸賞金に換算すると千万も超えれば良い方で、東の海で思い上がった程度の人間だと思っていた。
だけど、違った。
覇気はあくまでも戦闘技術のひとつに過ぎなかった。
「……思い出した事がある」
サボは鉄パイプを背負って、右手の手袋を外す。
そして武装色の覇気を用いて右手を黒色に変色させて硬化させた。
竜の鉤爪を模した手の形、姿勢を低く保って構えを取る。
「海軍に入って半年で偉大なる航路の海賊を単身で壊滅させた女剣士が居る」
そういった鮮烈な経歴を持つ奴ってのは、この世界では稀に現れる。
しかし彼女について、驚くべきは武装色の覇気を使った痕跡もなければ、六式使いって訳でもないっていう点だ。
生まれ持った身体能力と技術だけで船を何隻も破壊している。
それは武装色の覇気を使えるのに使わなかったんだと考えられていた。
元々強かった奴が海軍に入る。
今の大海賊時代、武力だけを見込まれて海軍に入る人間も多数存在する。
「だけど違ったんだな。君は覇気を使わず、腕っぷしひとつで此処まで来た」
覇気には覇気の鍛錬方法があり、肉体には肉体の鍛錬方法がある。
このふたつを同時に熟す事は難しいので、先ずは肉体を鍛えてから覇気の修行に移るのが王道だ。
そして覇気を扱えるようにならなければ、新世界の上まで辿り着くことは出来ない。
……覇気は意志の力でもある。
強くなる奴ってのは必然的に強い意志を持っている奴の事だ。
だけど、そんな常識なんて糞食らえって奴が目の前に居る。
「君は、なにを目指して此処まで強くなった?」
「? 勝利、ただ勝利あるのみ。海軍は常勝が義務付けられています」
何故なら、と霜月くいなは答える。
「私の背中に守るべき人が居る」
「何処までも自己犠牲、その奉仕精神には惚れ惚れするよ」
「犯罪者に好意を寄せられても怖気がする」
くいなのやる事は徹頭徹尾、変化なし。
愚直な正面突破は、彼女の魂が込められている。
その戦法に到達したのは何故だったのか、
当人は覚えていなかった。
◆
幼い頃、霜月くいなは階段から落ちてしまった。
階段の角に頭を何度も打ち付けての転倒であり、意識不明の状態が一週間も続いてしまった。その時、彼女の手を握り締めて声を掛け続ける幼馴染の少年が居た。
その少年の名はゾロと云う、くいなとは好敵手関係にあった仲でもある。
少年の声掛けの甲斐もあってか、程なくしてくいなは目を覚ます。暇があれば、霜月家の屋敷に来て、くいなが見える場所で素振りをしていたゾロは、涙を堪えて身体を起こした彼女に駆け寄った。
しかし、そんな少年に掛けられた第一声は無情なものであった。
「誰?」
くいなは記憶を失ってしまっていた。
これが単なる記憶喪失であれば、まだ救いもあった。しかし彼女が患ったのは深刻な記憶障害、何もかもを忘れる訳ではない。
例えば、父親のコウシロウの事は覚えている。
しかし母親の事は忘れており、再び覚えることはできなかった。また道場に居る者の大半を忘れている。
彼女から見て、弱い存在は皆、例外なく忘れる記憶障害を患ってしまった。
この後遺症が原因で霜月家は家庭崩壊の危機に陥る。
実の娘に存在を忘れられた母親は深刻な精神病を患って、実の娘と顔を合わせることがなくなった。コウシロウは妻に付きっ切りとなり、両親と疎遠になったくいなはコウ三郎が面倒を見るようになる。
孫の面倒を見る事になったコウ三郎だが、不思議とくいなは彼の事を忘れなかった。
コウシロウが道場に顔を出す機会も減り、道場でくいなを庇ってくれる者は居なくなる。しかし剣術の腕前だけは一級品であったので、誰も文句を言えず、鬱憤だけを溜め込む状況が続いた。
そんな事は関係ない、と勝負を挑み続けるのはゾロだけだ。
家族の記憶すら覚束なくなったくいなを、霜月家の屋敷に置いておくのはもう限界だった。
療養を理由にコウ三郎は、くいなを連れてシモツキ村を去った。
最後まで、くいながゾロの顔を覚えることはなかった。
ゾロは別れ際にも「俺は世界一の大剣豪になる!」と言ったが、その宣言も翌日には忘れている。「だから、お前も」と続けた言葉も勿論、忘却の彼方だ。
くいなには過去の想いがない。
故に彼女は、自分の身体が成長するに連れて、女の自分では霜月一心流を極めることが出来ないと考えるようになった。
しかし彼女は、コウ三郎の下で霜月一心流を学び続ける。
霜月一心流が自分と過去を繋げる唯一の縁である事を、彼女は無意識の内に理解していた。
霜月一心流の本質は剛剣であり、くいなが霜月家の奥義を習得する事は出来なかった。上段から全身全霊の一撃を以て竜の首を両断する。
霜月リューマの伝承は真実だ。
しかし、くいなでは、それを再現する事は出来ない。それは彼女が女性である為だ。
長年、そう考えていた。
◆
「……新世界のレベルではない」
サボが前に突き出した右手は鮮血に染まっていた。
地面には俯せに倒れた女将校の姿があり、両手に握り締めた刀は前に突き出されている。ざあざあと大粒の雨が降り注ぐ、雨に滲んで地面が赤く染まっていた。倒れて尚も前のめりな姿にサボは敬意を抱かずにはいられない。
此処で死ぬには惜しい人だ、しかし助けるには時間が惜しかった。
「悪運があれば、生き残れるはずだ」
手加減は出来なかった、下手な手加減は己の身の危険だ。
出来れば、殺したくない。
しかし、それらは己の身の安全が確保されての話である。
「しかし覇気もなしに人は此処まで強くなれるもんだ」
サボはシルクハットを深く被り直す。
そして、もう一度だけ女将校を一瞥し、我らがリーダーの下へ駆け出した。