イガラムと共にバロックワークスに潜入したビビはフロンティアエージェントとして、エージェント名が与えられる。
バロックワークスとは秘密結社だ。理想郷の実現を目的にしているが、その内容までは分からない。エージェント名とは、組織に貢献した者に与えられる名前であり、組織内での地位が保証される。理想郷が実現した後、理想郷での地位が約束されるとか、なんとか。具体的な話は、よく分からなかった。フロンティアエージェントの上にはオフィサーエージェントが存在する。フロンティアエージェントに与えられる任務は、国外の調査と組織の運営に必要な資金集めであり、その内訳には海賊退治が含まれており、海賊の情報と戦力と共に退治の指令が言い渡される。
海賊を退治する為の大半の指令は、アラバスタ王国の治安を維持する為に行われていた。
実際、組織の人間にはアラバスタ王国の出身者が多いのだ。
犯罪行為に手を染める事もある。
しかし政府では取ることが出来ない手段でアラバスタ王国を守り続けている。
少なくともアラバスタ王国と敵対する組織ではない事が、この四年間の調査で分かった。
もう調査も切り上げようか、と思った所で新たな事件が発生する。
偶然、革命軍の情報が手に入った。
革命軍の情報を知ることが出来たのは、イガラムがバロックワークスに潜入した工作員を捕まえたからだ。
各国で政府加盟国の革命を促す組織であり、それで実際に幾つかの国が革命されている。革命軍が革命を促す国家は、世間的に悪政を敷く王の国だけだと言われており、減少する加盟国に天上金の額は年々下がっていた。天上金を支払える国を減らす事で世界政府に打撃を与える計画なのだ、と彼女は四年前に父親から聞いていた。
そして、この工作員は優秀だったようで、バロックワークスの首魁の名も手に入れていた。
王下七武海クロコダイル、砂漠の英雄とも呼ばれている。
工作員の男は、クロコダイルがアラバスタ王国を乗っ取るつもりで居ると宣った。確かに王族の人気が低迷する中で反比例するように彼の人気は上がっている。筋は通っている気がする。しかし四年間もバロックワークスで働いてきたビビ達は、工作員の甘言に耳を傾ける程あまくはなかった。なるほど、確かに納得できる。アラバスタ王国の為に十年以上も献身を続けてきたクロコダイルであれば、アラバスタ王国を裏から守る秘密結社を設立するのも分かるというものだ。
バロックワークスが戦い続けてきた見えない敵の正体を知ることが出来たビビは、むしろ晴れやかな気持ちになった。
「バカめ! アラバスタを真に愛するのであれば、必ず後悔する事になるぞ!」
そんな捨て台詞を吐く男を地下牢に叩き込んで、四年間、潜入し続けた甲斐があった。と本格的にバロックワークスからの撤退の準備を始める。
「しかし……解せない事があります」
部屋の中、二人きりで四年間も付き添ってくれたイガラムの言葉にビビは首を傾げる。
「革命軍が狙うのは、元々腐敗していた国です」
「時間が変われば人も変わる。アラバスタ王国を守ると言ったコーザが反乱軍を起こしたように……世界政府を倒す為に手段を選べなくなったんじゃない?」
「それは……そうかも知れません。しかしまだ隠された陰謀があるような気が……」
久し振りの故郷に想いを馳せる。
……だが事はそう上手くは運ばない。
更に数日が過ぎた頃の話だ。
逃げる手筈を整えている時、二人きりの部屋の中でイガラムが重苦しく告げる。
「金獅子海賊団がアラバスタ王国を狙っている、という情報を得ました……」
「金獅子?」とビビは愛くるしく首を傾げる。
「はい。かつてはロックス海賊団の幹部であり、海賊王と白ひげに並ぶ伝説の大海賊です」
ビビは聞き慣れない名前に、いまいちピンと来なかった。
「……なんで、そのような大海賊が今更になって?」
「今から二十年以上も前にインペルダウンより初めて囚人が脱獄する事件が発生しました。それがシキです」
イガラムはビビの両肩を掴んで、鬼気迫った顔でビビの瞳を見た。
「シキは狡猾な男だと聞いています。数年前から不自然に発生した国王軍の不祥事、身に覚えのない汚職の発覚。そしてダンスパウダー事件、全てはシキの仕業だったに違いありません」
「……え、でも……急に名前を出されても、受け入れられないわ。第一、どうして急に分かったの?」
「シキが根城にしている海賊船が動いたのが確認されています」
不意にイガラムが部屋の天井を見上げる。
「シキといえば空飛ぶ海賊船、幾つもの島を組み合わせたような海賊船がアラバスタに向かっています。あのようなことができるのはフワフワの実の能力を持つシキしかおりません。そして今、もう攻撃を受けている可能性があります」
「だ、だけど……アラバスタには、クロコダイルが居るわ!」
「そのクロコダイルには、配下がおりません! いえ、彼にはバロックワークスがありますが戦力は雲泥の差です! シキには付き従う海賊が沢山おります、それだけのカリスマが彼にはある!! 七武海といっても所詮は一海賊、国王軍と合わせても勝てるかどうかは……」
歯を食い縛り、項垂れるイガラムに漸くビビは事の深刻さを理解した。
御父様、コーザ、チャカ、ペル、テラコッタさん。アラバスタ王国で暮らす人々を思い出し、時計台から見た光景を想起する。砂漠だらけで生きるのも苦労する土地だけど、それでも自分はアラバスタ王国が大好きだ。ビビは決意する、バロックワークスに侵入する時に何が起きても生き延びる覚悟を決めた。
そして今が生きて帰るべき時だ。
「帰りましょう、今すぐにでも」
ビビはイガラムに帰郷の意志を告げる。
しかし彼は重苦しい顔を浮かべるばかりだ。
「二人で操縦出来る船がありません。仮に海に出たとしても此処は偉大なる航路、これを小船で乗り切るだけの腕が私にはありません」
そして、なによりも、と彼は続ける。
「バロックワークスは秘密結社、なんの事情もなしに抜けてしまっては追手が掛かります」
「私がアラバスタの王女だと告げても?」
「それは得策ではありません。バロックワークスにも敵は居ます」
先日、捕えた革命軍の男のように、事情が知れてしまえば捕えられるかも知れない。
イガラムは己の実力を過信していなかった。バロックワークスに来て、その事を強く噛み締める。護衛隊の隊長という肩書きも過去の功績によるもので、四年前の時点で既にイガラムはチャカやペルに戦闘力で敵わなかった。そしてオフィサーエージェントは二人と同格以上の戦闘力を持つ者ばかりで揃えられている。自分よりも実力の高い者が多くいる。それは他の組織を含めても同じことだとイガラムは考える。
イガラムには、本気の追手を相手に一人で王女を守り抜ける自信がなかった。
「なら、どうしろっていうのよ……!」
ビビの声を抑えた怒声にイガラムは歯を食い縛って堪える。
「耐えるのです。今はまだ、耐え忍ぶのです。耐え難きを耐え、好機を待つのです」
でも、とビビが反論する前にイガラムは責務を果たす。
「貴女はアラバスタ王国の後継者です……! 仮にアラバスタ王国が海賊の手に堕ちようとも、それでコブラ王が死のうとも……! 貴女が生きていれば、まだやり直せる! 何度でも立ち上がる事が出来る! 貴女は枯れたオアシスに眠る水源だ……っ! 水源が残る限り、アラバスタは決して海賊などに負けやしない……っ!」
イガラムはビビの両肩を掴んだまま、項垂れるように膝を突いた。
「この砂嵐を越えれば……雨は降ります。長い歴史、国家転覆の危機は何度もありました。飢饉や侵略による国家存亡の危機もあった。それでも苦難を乗り越えた後に恵みがやってくる。伝承にもあるように受難の後に雨は降る。そうやってアラバスタ王国は生き永らえて来ました。いつものことです」
そしてイガラムは掴んだ手に力を込めたまま、優しく笑いかける。
「信じましょう、アラバスタを」
イガラムの言葉に、ビビは下唇を噛んで拳を握り締める事しか出来なかった。
序章、もとい幕間はおしまいです、次回からウイスキーピーク編です。
ウタ視点から始まります。