帆にカモメを模したマークが付けられた海軍で量産されている軍艦、その甲板には黒く艶のある長い髪をした女性が立っていた。海軍将校の証である背中に正義の二文字を刻んだ純白のコート、袖には手を通さず、マントのように肩に掛けて羽織っている。純白のコートが潮風に靡く、腰に佩くは二振りの刀。青空に渡り鳥、照り付ける太陽光は帽子を目深に被って遮る。腰に佩いた二振りの刀、つうっと指先で柄を撫でてみる。
彼女は海軍本部の将校である、自ら志願して東の海に出向した。
まだ幼い頃に島を出て、ひょんな事から才能を見込まれた彼女は海軍に所属する。
歳は二十歳、階級は中佐。歳に対して破格の階級には理由がある。
「今日も平和で、世界が優しくあります様に」
そう呟く彼女の背後に控えた海兵達が慌ただしくなった。
曰く、巨大な魚影あり。最弱と呼ばれる東の海では、海賊よりも、むしろ海の中に潜む海王類の方が厄介だ。女性は緩やかに歩みを進める。前へ前へと艦首に取り付けられた三連砲よりも更に前へと歩み出し、水面下に潜んだ海王類に殺意をぶつけて挑発する。サイズからして、
女は二振りの刀を持つ、その内の一振りは“業物”水無月。反りの強い刀身で、振り回す事に長けていた。
「霜月一心流……」
彼女の故郷には、外の世界では習う事が出来ない独自の剣術を教える道場がある。
その時の記憶を彼女は持っていなかったが、自分と共に療養の旅に出た祖父に基礎となる剣術を学び直した。
水無月は、彼女の祖父が嘗て、過去に打ったものを譲って貰ったものだ。
海面から飛び出す巨大な海洋生物。軍艦程もあろうかという巨体を前に、同乗する海兵達は慌てふためいた。
そんな中でも彼女の心は、波風ひとつない湖面のように平静を保っている。測るのは間合いのみで十分。自らを食べようと大きく口を開いた海王類が、彼女が張った結界に触れた瞬間、キン、と小気味良い音がなる。彼女の刀は鞘に納められていた。
軍艦に乗った海兵には、何が起きたのか分からない。
きっと海王類すらも理解できていなかった。
「
周囲が呆然とする中、彼女は静かに技の名を告げる。
顔を上げる。踵を返し、海王類に背を向けた。
直感として、何かが起きたのは分かる。
しかし、実際に何が起きたのかを目で捉えることは出来なかった。
悠々と歩く彼女の背に食いつかんと海王類が巨体を動かす。
その時だ。
海王類の首がズルリと落ちる。
驚愕し、海兵は声すら発する事が出来なかった。
海王類の頭部が海面を叩いた。首から先を失った海王類の巨体が崩れる。
上がる水飛沫を受けて、自分を呼び付けた友の事を思ふ。
東の海に帰郷した時に出来た友達だ。
「早く会いたいな」
その微笑む顔は、まるで天使のように可憐であった。と同乗した海兵は語る。
◆
オルガン諸島、オレンジの町。
面倒な後処理を押し付ける為に呼び出した海軍は、不思議な事に何時も翌日には来てくれる。
早い時は即日だ。私がしているのは主に海賊の撃破報告で、頼んでいるのは後始末。
小舟だと数週間も掛かる航路も軍艦ともなれば、一日で辿り着いてしまうようだった。少し羨ましく思う事がある。
偶に軍艦に乗せて欲しく思うのだけど、それを口にするのは面倒の種である。路銀稼ぎに賞金首を狩っていた時、顔見知りになった女海兵がいる。彼女は少々困りもので、厄介なのだ。多くを語る必要はない。何故ならば、その理由は、間もなく分かる事なのだ。宴の最中、この町の港に軍艦が来たという話を聞く。私はギターでの演奏を止めて、壁に掛けていた
海兵は、もう既に町の中まで入り込んでいた。
建前上は、今回の一件の当事者である私の話を聞く為に女海兵が私の姿を確認するや否や満面の笑顔で右手を振る。そして腰に佩いた刀の鯉口に左手を添えた。彼女には、二振りの刀がある。片や、銘を水無月と云う。業物である。もう一つは良業物で、銘を輝針丸と云った。用途の異なる二振りの刀を彼女は使い分けており、大人数を相手にする時は反りの強い水無月を用いる。そして狭い空間だったり、一対一の戦闘で使うのが直刀に近い形状の輝針丸である。
そして今回、彼女が抜いた刀も当然、輝針丸であった。
「世に蔓延る悪党が笑う世の中、この不平等な浮世にも差し伸べられる正義はあるといざ示さん。激動の時代にこの手が、この足が捥がれようとも、罪なき市民の明日を守らなくてはならない。よって貴女のような強者を在野にのさばらせる訳にはいきません」
故に御免、と彼女は刀を構えたまま前傾姿勢を取る。
「
彼女には、剣術の他に特別な技術を身に付けている。
それは優れた海兵が体得する特殊な体技であり、彼女は六つある内の一つを扱う事ができた。
剃とは、極々短時間で十回以上、地面を蹴る事で可能とした瞬間的な高速移動だ。
それを彼女は自らの剣術と重ね合わせる。
対策は、地面を蹴る音。タタンと音が鳴れば、次の瞬間にはもう技に入っている。
「
それは瞬く間に三度、繰り出される突き技。本来、それは全身のバネを極限まで活用した上で放たれる神速の三段突きである。そこに剃による速度を上乗せする為、破壊力は凄まじいの一言だ。少なくとも、私はコレを真っ当な手段で防ぎ切れた事は一度もない。
「……チィッ!」
一段目の突きを僅かに跳んで、鈍の腹で受け止める。
すると私の小柄な体は彼女の突きの威力に耐え切れず、二段目の突きを受ける前に遥か後方へと吹き飛ばされちゃうのだ。両脚で地面に着地し、砂煙を上げながら更に後方へと滑らせる。頑丈な事だけが取り柄の鈍だ。武器破壊の技を受けてもビクともせず、盾のような使い方も容易に出来る。
体勢を立て直し、追撃を警戒して構えを取った。
備えは正しく、女海兵は再び剃で距離を詰めようとする。
「あっ」
そして道端の僅かな段差に躓いて顔面から地面に滑り込んでしまった。
「……大丈夫?」
「まあ今日は、この程度で許してあげます」
擦り傷で額を赤くして彼女は、衣服に付いた砂を払い落とし、何食わぬ顔で輝針丸を納刀する。
「勝ったら海軍に入るという約束は、まだ果たせそうにないね」
「……そんな約束した覚えがないのだけど?」
「そうだっけ? まあ私って記憶喪失だからさ、記憶が曖昧でも仕方ないよね」
それで、と彼女はまだ警戒中の私に笑顔で問い掛ける。
「海軍に入るのを決めてくれたんだっけ?」
「記憶力……っ!」
本気なのか自虐なのか分からない冗談に私は溜息を零す。
彼女が、この数ヶ月で出来た知人である。海軍本部の中佐様、事ある度に海軍に勧誘しようとしてくるので苦手だった。
考え方が良い意味でも、悪い意味でも、真っ直ぐで、脳筋なので、よく襲ってくる。
小舟での移動も大変なので、軍艦に乗せて欲しいと言った事がある。
海軍になれば、幾らでも乗れますよ。と返された。
違う、そうじゃない。
私は束縛を受けるのが嫌いだった。
故に海軍という軍律に厳しい組織に所属するのは嫌なのだ。
「道化の船長を倒したから後始末をお願いしたいんだよね」
「道化……道化のバギーの事かな? だとしたら大手柄じゃない、悪魔の実の能力者で千万ベリー超えの大物よ」
「言う程、強くもなかったと思うけどね」
出会い頭に切り結んだ音を聞いてか、なんだなんだと周囲に人が集まって来た。
私は、鈍を鞘に納めて、とりあえず目立たない場所に移動する事を提案する。
それでは、と彼女は軍艦に案内しようとしたので、町長に頼んで彼の家の部屋を貸して貰う事にした。
「あやつは何時も、あんな感じなのか?」
町長の家まで移動中、町長のブードルが小声で問い掛けてきた。
「階段で足を踏み外して頭を打ってしまった時に、記憶と一緒に頭のネジも外れてしまったって聞いてるよ」
ついでにいうと段差と階段に弱くて、よく躓いたり、踏み外したりしている。
「それは、なんともまあ……難儀だなあ」
他人事のように呟く町長の後ろで、にこにこと彼女は笑顔を浮かべ続けていた。
彼女の名前は、霜月くいな。シモツキ村の霜月家に代々伝わる剣術を身に着けており、偉大なる航路でも何度か海賊を撃滅した経験を持っているらしい。
彼女と一度、手合わせをして以後、海軍に入るべきだと付き纏われるようになってしまった。
復讐を志す人間に、海軍なんて無理だと思うんだけどなあ。
事情の全てを話していないとはいえ、今んとこ彼女が諦めてくれる様子はない。
町長の家で紅茶を啜り、海軍の一部隊を任せられた彼女と対話する。
とはいっても事の経緯を話すだけである。バギーは空の彼方、水平線の向こう側に消えてしまったので懸賞金は貰えなかったけど、善意の情報提供という事で金一封を頂けた。船長を失って島に散ったバギーの一味を捕らえる為、支部と連携を取って包囲網を敷くとのことである。この対応を聞いて町長のブードルも胸を撫で下ろす。
なんだかんだで彼女は、当たりの海軍だ。
ハズレの海軍は、まともに仕事をするつもりもなければ、懸賞金を与えてくれようとしない時もある。懸賞金をくれない時は、身柄を引き渡さず、直接、支部まで持って行く。
「そろそろビブルカードを作ったりしないの?」
首を傾げる私に彼女は笑顔で伝える。
「大切な友達同士で切れ端を交換したりするカードね」
「ビブルカードは、体組織を混ぜて作られる。体組織を提供した個人の居場所に引っ張られる特性を持っていて……まあ平たくいえば相手の居場所が分かるカードだ」
ブードルの説明を聞いて、じとっとくいなの事を睨んだ。
くいなは、にこにこと笑顔を浮かべている。
「此処は引き受けたけど、次は何処に行くつもりなの?」
なんか、露骨に話題を変えられた気がする。別に良いけど。
「どうしようかな? そろそろお金も貯まって来たし、ローグタウンに近付くつもりだけど……」
まあ、と話を続ける。
「気の向くままに、何時も通りだよ」
そう言って私が笑うと、彼女は少し困ったような笑顔を浮かべた。
◆
バギー海賊団壊滅の噂は、瞬く間に東の海に広まった。
東の海では珍しい悪魔の実の能力者で、三本指に入る実力の海賊団である。また副船長のモージと参謀長のカバジは東の海にある、とある裁判所まで護送されることが決まる。
この事を新聞で知った元船長のバギーは、小舟の上で歯噛みした。
此処は東の海の何処か。
旅は道連れ世は情け、と同行を許した手首足首おじさんは労働力としては大した戦力にならなかった。
でもまあ海に捨てるも夢見が悪く、近場の町までの同行を許す。
口先だけならぬ、首先だけおじさんは、意外にも博識で私の航海の役に立った。
私が海図を見るのに苦労していると馬鹿だ阿呆だと言いながらも船を漕ぐ方角を教えてくれたし、太陽の位置がどうだとか、時化が来るから陸地に避難した方が良いだとか。時には小舟の二人旅で退屈だからと嘘か真か彼の誇張込みの過去話に耳を傾ける。
中でも面白いのは、彼の幼馴染との話であり、事ある度につまらない事で競い合っていたのだという。
それは、なんというか、フーシャ村で出会った、あの弟分の男の子との日々を思い出した。やーい、負け惜しみー。と弟分もからかっていたのも今は昔の楽しい思い出だ。
彼は、口が良く回る。何かに付けては話をしてくれるので、私も口が軽くなって父親の事を話した。実際に血が繋がっていなかったけど、本当の父親のように慕っていた事。船員達との航海は、とても楽しかった事。歌を歌うのが好きで、甲板でよく披露していた事。船員の皆の事を本当の家族のように思っていた。
最初は楽しく話せていたのに、フーシャ村での話を始めてからは急に心に影が差し始める。
終いにはポロポロと涙が溢れ出してしまった。
「あのド畜生めっ! 俺も大概、人の道を外した畜生だが、男が一度、拾った子供を捨てて泣かせるほど外道に堕ちたつもりはねェっ!! 心底、見損なったぜ赤髪ィッ!!」
私の話を聞いて憤る彼に「怒って欲しくて話した訳じゃない」って言ったけど「いいや、許せねえ!」と彼は義憤を滾らせる。
「良いか、ウタ! あの澄ましたクソ野郎の顔に一発、拳をハデに叩き込んでやれッ!」
「えっ? 良いよ、そんなの別に……今は妹の方が大事だし……」
「いいや、俺様が我慢ならねェっ! これは絶対だ、俺がおめェを奴の眼前まで送ってやらぁっ!!」
こうして、四皇討伐の狼煙が上げられる。
「しかし先ずは
「面舵と言っても、オールしかないんだけどね」
しかし今はまだ大海原にポツンと浮かんだ小舟一隻と二人のちっぽけな海賊同盟に過ぎなかった。