死神に、愛を囀る青い鳥   作:タナゴコロ

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★16★ 不出来な聖女。

 

 間近で聞こえた小さなくしゃみの音に目蓋を開けば、室内はまだ目覚めるには早いのだろう薄闇に包まれている。しかし勘を頼りにベッド脇のナイトテーブルに置いたランプに火を灯して時計を見ると、それが誤りであったことに気付く。

 

 すでに時計は七時をさしており、辛うじて着用していた皺だらけのスラックス姿でベッドから起き出し、ランプを手にカーテンを開ければ、室内の暗さが空を分厚く覆う雪雲のせいであったことを知る。

 

 ベッドを振り返ると毛布の中、昨夜私がつけた執着の名残を肌に散らせたルネが身体を丸めて眠っていた。ソファーからベッドまで運んだまでは覚えているが、そこまでしか覚えていない。

 

 今日も昼頃から広場で鞭打ち刑の監修が入っている。仕事の前日にもかかわらず、この有り様は自分でも何だが本当に……。

 

「――……獣か、私は」

 

 そう思わず苦々しい気持ちで吐き捨てて、ひとまず周辺に脱ぎ散らかしてある衣類をかき集めたものの……どれもすぐに洗濯した方がよさそうだ。そうと決まればさっさと厨房で湯を沸かしてこの汚れ物を(たらい)につけて、ついでに風呂と朝食の用意もしておこうと思い立つ。

 

 ――と、またベッドの中から小さなくしゃみが聞こえた。鍛えている私はあまり感じなかったが、あの分厚い雲と外に積もっている雪のせいで室内が冷えているのだ。慌てて暖炉に火を入れようと焚付になりそうなものを探そうとしたその時、書き物机の上に乗っていた封筒を見つけた。

 

 そういえば、昨日の夕食時にルネがギレム家から手紙が届いたと言っていたことを思い出す。ちょうど良い。どうせ内容などいつも通り可哀想な未来しかない子供の催促だろう。寝起きに読むには最悪な代物だ。

 

 しかし一応義務感からペーパーナイフを封筒に滑らせ、中に入っていた二枚の便箋に視線を走らせると、その内容はいつもと違っていた。違ってはいたが、いつも以上に下らなく、反吐が出る内容だった。

 

 これで手紙の体裁を取っているつもりなのだとしたら資源の無駄遣いだ。焚付になるくらいでようやく有効活用出来るくらいだろう。

 

 手紙の内容は要約すればルネを私の元へ売り飛ばした元手のおかげで、財政難を理由に婚約破棄されかかっていた彼女の二歳下の妹が、無事に婚約者と式を挙げること。しかしその式にはルネを出席させる気はないということ。

 

 他者から伝わって勝手に式に出席するような真似をしないよう報せたが、絶対に妹の幸せの邪魔をするなという内容だった。どこまで奴等は屑なのだ。それに。

 

「……どこまで君は、憐れなんだ」

 

 一般市民からも貴族達からも、王家すら死神と恐れる一族に嫁ぎ、囲われて、一つ覚えに出逢った頃の思い出を愛だと勘違いしたまま歌う憐れな小鳥。

 

 ベッドの横に跪いて眠るルネの顔を覗き込み、そう囁いてその小さな赤い唇に口付けを落とす。直後に眠る彼女の唇が弧を描き、柔らかい声音で「トリス」と囁いた。起こしてしまったのかと思い観察したものの、どうやら寝言だったらしい。

 

 あまりにも幸せそうな声音で呼ばれたせいか、夢の中にいる自分にすら嫉妬してしまいそうだった。

 

 可哀想な生贄。

 可哀想な虜囚。

 可哀想な……私の妻。

 

「君を手離せない私の非道さを、どうか赦してくれ」

 

 起きる様子のないルネの額に自分の額を合わせて懺悔した後、マッチを擦って手紙の再利用がてら暖炉に放り込む。どれだけ醜い文字で汚れても、立ち上る炎は明々と美しい。

 

 ややあって燃え出した暖炉の眠たげな灯りが、ルネの艶やかな深い茶色の髪と白い肌の上を滑り落ち、儚く照らす。その輪郭をなぞり、柔らかい頬に口付けて、朝食と風呂の準備をすべく部屋を後にした。

 

 ――それから二時間後。

 

 いつもと同じ内容の朝食を食堂のテーブルに並べていると、風呂から戻ったルネが背後から抱きついてくる。胴に巻き付けられた腕の温かい感触に混じって、おざなりに拭かれた髪から冷たい滴がポタポタと私の腕に落ちた。

 

「トリス、おふろ、きもちよかったわ。ありがとう」

 

「それは良かった。だが髪はしっかり拭かないと風邪をひく」

 

「だって、おなかがすいたんだもの」

 

 背中に押し当てられる柔らかな身体からは、私が彼女のために庭の薬草を配合して作った薬用石鹸の香りがする。この石鹸で未だ残る傷跡が消えれば良いのにといつも思う。

 

 クスクスと笑いながらギュウッと抱きつく力を強める姿に、さっき焚付に使った手紙の内容を思い出して無性に甘やかしたくなった。

 

「それなら私がルネの髪を拭くから、君は先に席に座って食事をとると良い」

 

「え……せっかくあなたがいるのに、ひとりでたべるのは、いやよ。じぶんでふくから、ごはん、いっしょにたべて」

 

 不満気にギュウウッとさらに身体を密着させ、絶対に離すまいと睨んでくる瑠璃色の瞳に胸の奥がざわつく。これではどちらが甘やかされているのか分からない。

 

 せめてもの意趣返しに腹の前に回されていた彼女の腕をほどいて振り返り、その形の良い額に口付けるとルネは一瞬驚いた表情を浮かべ、すぐにあの蕩けるような微笑みを浮かべた。

 

 その結果、折衷案ということで私の膝の上にルネが横座りになり、私が彼女の豊かな髪を拭く間に彼女が自身の食事と私への給餌を行うという、まったくもって非効率極まりない空間が出来上がったのだが……意外とその体温と重みが落ち着く。

 

 ちぎったパンをカフェオレにつけたルネが私の口許に運び、その細い指ごと口に突っ込んでくる。時折そんな思いきりの良い給餌にむせかけたものの、品数の少ない朝食は三十分もあれば終わってしまった。

 

 二人分の食器を片付けて自室へ戻り、暖炉の前に陣取ってルネの水気を拭くんだ髪に暖炉の熱気を含ませながら梳かす。瑠璃色の目を気持ち良さそうに細め、膝の間に寝転がる姿はまさに猫そのものだ。

 

 そんな彼女の膝に広がる深い茶色の髪を撫でながら、不意に。どうしようもなくやるせない感情が胸の奥からせり上がった。

 

「昨日ルネの実家から届いた手紙だが……今度、君の妹が結婚するそうだ。君も結婚式に出席しないかという手紙だった。当日私と一緒に出席するかい?」

 

 勿論大嘘だ。絶対に来るなとあれだけ念を押す手紙を出してきたのだから、恐らく未だに限られた一部の貴族しか私達の結婚を知らないのだろう。

 

 ……彼女(ルネ)は、確かにここに存在するのに。

 

 当日ルネを伴って私が現れたら、出席者のうち何名かは気付くかもしれない。そうして一度気付かれれば貴族間で疫病の速さで広がる噂は、ギレム家の人間を誰一人として逃しはしないはずだ。

 

 ――“莫大な借金を抱えて娘を死神の生贄に捧げた恥知らずな家”――

 

 そんな不名誉な噂が広まれば、幾らかこの胸に渦巻くドス黒い感情も薄れそうな気がする。名案ではないだろうかと思った。けれど寝転んだままこちらを見上げる瑠璃色の瞳には、歪な笑みとも呼べない何か(・・)を口許に浮かべた私が映っていた。

 

 瑠璃色の中、一瞬自身の醜さにハッとした姿が映し出され、慌ててその瞳から逃れようと顔を背けかけたところで、下から伸びてきた細い両手に顔の向きを戻され固定される。

 

 ジッと不思議そうにこちらを観察する無垢な瞳に居心地の悪さを感じていると、顔を固定していた両手が離され、膝の上から寝返りを打って起き上がったルネの胸に頭を抱え込まれた。

 

 完全な不意打ちに動きを止めた私の頭上から「いやよ」と、少し怒ったような声が落ちてくる。

 

「おとうさまのほかは……だれのかおも、こえも、おぼえていないわ。よばれても、わからないもの」

 

 いつもは弾む彼女の起伏のないその声が、言葉が、胸に刺さった。家族の顔も憶えていないなど……ルネはいったいどれだけの時間を、同じ屋敷の敷地内で隔離されていたのだろうか。

 

 馬鹿な嘘をついて彼女を傷付けてしまった。身勝手な自分の怒りに彼女を付き合わせようとしたその事実に、スウッと心臓が冷えたのだが――。

 

「あなたのことしか、おぼえていられないのね、きっと」

 

 そうおかしそうに告げる彼女の声は、私の耳にひどく心地好く馴染んだ。窓の外は白一色の世界で、今日の広場にも赤い花が咲くのだろうと予感させる。

 

 もうすぐ、今年の終わりを告げる銀月祭。

 私と彼女には関係のない聖なる日。

 

「ねえ、だいすきよ、わたしのあなた」

 

 止んでいた雪がちらつくようにハラハラ落ちる愛の言葉をくれるのは、優しく不出来な、私の聖女。

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