死神に、愛を囀る青い鳥   作:タナゴコロ

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☆22☆ 彼女の嫉妬。

 

 一人寝をした翌日だと、多少寝心地と狭さを感じたとしても大人数で眠るのは楽しい。彼女の身柄を公平なるくじ引きで引き当てた部屋の十二~十五歳までの少女達は、珍しいお客であるルネを取り囲んで街の話をせがんだり、教会での日常や仕事を教えてくれた。

 

 その中にはあのフニャフニャと頼りない“赤ちゃん”という生き物の話も含まれ、少女達はルネにも早くできると良いねと無邪気に笑い合っていた。けれどルネはその言葉を聞いて少しだけ身構えてしまう。

 

 広間で赤ちゃんを抱き上げていたルネが視線を上げた時、トリスタンは何かに酷く傷付いていた。

 

 怯えていたと評しても大袈裟ではないくらいに、彼は青白い表情でルネを見つめて立っていて、そんな彼に助け船を出したのが自分ではなかったことを、ルネは悔やんでいた。

 

 むしろ意地を張って傍にいなかった自分を呪ってすらいた。少女達の会話に辿々しく相槌を打つ間もずっと、今頃トリスタンが何をしているのかということばかりが気になる。

 

 しかし聞き流しかけていた会話の最中一人の少女が、

 

「男なんかに頼って生きてたらダメよ。これからの時代は女だって自立しないといけないって、ワタシの住んでた村にいたお姉ちゃんは言ってたわ」

 

 ――と大人びた発言をした。

 

 その発言に他の少女達は「またその話~」「受け売りってやつだ」「まずは読み書きができなきゃ無理よ」と笑う。朗らかな笑い声に包まれた部屋の中で、ルネはほんの少しだけ寂しくなった。

 

 彼女達に悪気があっての発言ではないことは分かっている。分かっていても、それができなくて家族に捨てられたルネには、彼女達のように学んだところで彼女達ほどの伸び代がないのだ。受け売りだとからかわれている少女の知る“お姉ちゃん”は、何歳なのだろうかとふと思う。

 

 きっとその“お姉ちゃん”はルネと同じ歳であったとしても、彼女よりも大人びているに違いなくて。そんな女性であれば、トリスタンにあんな表情をさせたりしなかったのかもしれない。

 

 グルグルと胸の内側を見えない手で掻き回されたような居心地の悪さ。その正体が何なのかを、他人を羨んだことのない彼女は知らない。取り留めのない会話に花を咲かせる少女達の声に耳を傾けながら微睡みが訪れるのを待つ間、ルネの心の中ではトリスタンの傷付いた表情がちらついた。

 

 喧嘩をしていたはずなのに早く彼に抱きつきたくて、少し足りない彼女に朝が来るのを待ち遠しくさせた。

 

 ――……はずだったのだが。

 

 翌朝、起床して食堂に案内されたルネはすぐにトリスタンの姿を探し、見つけ、近付き、落胆した。それというのも……。

 

「トリス、こげくさい。そのにおい、わたし、しらないわ」

 

「……すまない、一応起きてすぐ湯浴みはしたんだが……服と髪に臭いが移った……」

 

「それに、おさけくさい」

 

「それも……すまない。つい、飲み過ぎた」

 

 眉間と鼻の頭に皺を寄せて不機嫌そうに正面から見つめてくる妻に、彼は素直に謝った。本来の喧嘩の理由とは何ら関係ない謝罪である。しかし先に謝罪をされてしまったルネは決まりが悪くなって、ツンとそっぽを向いてしまった。

 

 そこへ苦笑を浮かべて現れたクリストフ神父が、トリスタンと同じ香りをさせながら「わたしが勧め過ぎたんだ。叱らないでやって欲しい」と口添えしたことと、さりげなく赤ちゃんをトリスタンの傍から遠ざける気遣いに、さらにルネの機嫌は悪くなり……。

 

 結局朝食後に教会の子供達に見送られて帰りの乗り合い馬車に乗り込んでからも、彼女はトリスタンを徹底的に視界に入れることはない。けれど横顔に大好きで堪らない夫からの切ない視線を感じる彼女の胸中は、嵐だった。

 

 分不相応なものを与えられ求めるくせに、自分は何も返せていないのではないかという不安が、少し足りない彼女の中に遅ればせながら芽生えてしまった。

 

 それが【嫉妬】あるいは目を逸らし続けた【劣等感】であることも、ルネには分からない。けれど、分かったところで何を返せるのだと誰かに問われても……彼女は元から何も持っていないのだから、やはり考えるまでもなく何も返せないのだ。

 

 しかし彼女は気付いていなかった。自分の頬を涙が伝い落ちるのも、それを見たトリスタンが酷く動揺した気持ちでいたことも、他に乗り合わせた客の視線から彼女を庇うように座り直したことも。

 

 ガタゴトと乗り心地の悪い馬車が悪路を走って目指すのは、彼女が一番安らげるはずの二人の家がある王都。段々と重くなり始めた目蓋に逆らうことができずに、ルネは難しいことを考える自分を切り離した。

 

***

 

 次にルネが目を覚ましたとき、背中は柔らかなベッドの感触を拾い、馴染んだ石鹸の香りのする毛布にくるまれていた。細く開かれたカーテンの隙間から見える窓の外は、すでに夕方から夜に近付こうとしている。

 

 寝起きでぼんやりとしたままベッドの上に身を起こすと、隣のトリスタンの部屋に続くドアが開いていた。ノロノロと立ち上がって明かりが漏れるドアの方へと近付き、立ち止まる。

 

 作業机に向かっている背中から察するに、また薬の調合中らしい。そこでふと、いつだったかクリストフ神父が言っていた言葉を思い出す。いわく、トリスタンは不安になると調薬をするのではないか――と。

 

 常ではなくとも、その不安が自分のせいだったのではないかと今更になって感じていたルネは、一瞬部屋に入るのを躊躇った。しかしその鉄錆色の髪がランプの光を弾いて輝いたのを見た瞬間、彼女の足は動いていた。

 

 背後から抱きついてその逞しい肩口に顔を埋めると、すでにルネの存在に気付いていたのか、トリスタンはさほど驚くこともなく「おはようルネ」と固い声音で抱擁に答える。

 

 まだしっとりと濡れた髪も、石鹸の香る首筋も、呼気は……まだちょっとお酒臭いが、それでもトリスタンからいつもと同じ、自分と同じ香りがすることに安堵したルネは頬擦りしながら「ごめんなさい」と囁いた。

 

「何故ルネが謝るんだ。元から悪いのは私の方なのに」

 

 どこか困ったように穏やかな声でそう言うトリスタンの冷たい髪に顔を埋め、ルネは嗚咽を漏らして首を横に振る。そんな彼女に少し驚いたのか、トリスタンは調合の手を止めてルネを振り返った。

 

「――ち、ちがう、の。トリスは、わるく、ない。わたしが、だめなの」

 

「どうしたんだ? ルネは悪くない。ここへ嫁いできてくれてからずっと、悪いことなんてしたことがないだろう」

 

「ここに、きたのが、だめなの。なにも、もってないのに。わたしは、たくさんくれるトリスに……なんにも、あげられないのに」

 

 情けなくて、情けなくて、ルネはトリスタンにしがみついたまま泣いた。

 

 何度断られても食い下がっているうちに、拒絶しきれず絆されてくれたトリスタンが好きで、大好きで、気付かないふりをした。しゃくりあげる彼女のそんな告白を聞く間、トリスタンはじっと耳を傾けるだけで言葉を挟むことはない。

 

 やがてルネが「ごめんなさい」と繰り返すだけになった頃、ようやく「もう沢山もらっている」と言った。

 

 瑠璃色の双眸が瞬き、涙の粒が睫毛から散るのを間近に見つめたトリスタンが眦に口付けたかと思うと、次の瞬間ルネは身体ごと振り向いたトリスタンの膝に抱き抱えられていた。

 

「ルネがこの屋敷に来てから、ずっともらっている。毎日ルネがくれる“大好き”で、私のここ(・・)は一杯だ」

 

 そう言いながら、ルネの指輪がついた左手を自身の心臓の上に当てたトリスタンが苦笑する。それどころか驚くルネを愛おしそうに見つめる切れ長の深緑の瞳は、切なげに揺れた。

 

「その……一月頃から私の様子がおかしかったのは、君が今言ってくれた言葉と同じ心配のせいだ。ルネは私の奥さんになったせいで、こんな風に隠れて生きることが当然のような人生になってしまった。それに普通の幸せは、私では到底与えてやれない。それでも――、」

 

 そこで言葉を一度切ったトリスタンが額をルネの額にくっつけて、絞り出すように「君を手離せない」と紡ぐ。それを耳にした途端、ルネの中に渦巻いていた嵐がほどけてそよ風のように優しくなった。

 

 きっとこれで全部の秘密を話してくれたわけではないと、心のどこかで感じていても。これからずっと一緒に生きていくのだから、まだ半分だけしか教えてくれなくても充分だと思った。

 

 だから、自分にあげられるものを全て捧げようとルネは囀ずる。

 

 今日も、明日も、明後日も。

 喉が潰れて命が消える最後の最後、そのときまで。

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