死神に、愛を囀る青い鳥   作:タナゴコロ

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☆2☆ 彼女の普通。

 

 光源と呼べるようなものは古いガラスランプが一つきりの、薄暗くてガランとした部屋のベッドに一人座り込む女性の姿。

 

 ランプに照らし出されている範囲を見ても、年頃の娘の部屋というよりは囚人を収監する独房のようだ。けれど彼女はそんな自らの待遇に特に不満を感じている様子もない。

 

 細身で小柄な彼女が身動ぐだけでも軋む質素なベッドの上で、足をプラプラさせながら腕についた古傷と、三日前につけられたばかりでまだ血の滲む傷口を舐めている。傷の手当てをされることもなくこんな場所に放置されている彼女はけれど、罪人でもなければ賤しい身分の娘というわけでもなかった。

 

 彼女の名はルネ・ファビエンヌ・ド・ギレム。

 

 このガーダルシア王国の中でも歴史が古く、一族の血脈に王族の血が混じる由緒正しい伯爵家のご令嬢だ。しかしそんな彼女の存在を知る人間はほとんどおらず、表向きには存在しない娘であった。では何故こんな場所で幽閉紛いの扱いを受けているのか。

 

 二目と見られぬほど姿が醜いからかと問われれば、それは否だ。両親のどちらかが外で作った不義の子である可能性についても、残念ながら否だった。ルネの両親は政略結婚ながらも二男一女(・・)を授かり、平穏な生活を現在も送っている。

 

 彼女自身遠すぎてすっかり忘れてしまったものの、五歳の頃までは伯爵家の長女として(・・・・・)可愛がられ、愛されたこともあったのだ。

 

 部屋が明るければ今年で十九歳になったばかりの彼女の持つ瑠璃色の瞳や、濃い茶色の豊かな髪、乳白色の肌にくっきりと紅を引いたような唇が見えたことだろうが、残念ながら彼女のその可憐な容姿を褒めて愛してくれる人間は、今やもうどこにもいない。

 

 表の世界ではかつてルネがいた場所に妹が座り、その妹は幼い頃から仲の良い婚約者と幸せな将来について語りあっていることも、幽閉されているルネの耳には届いてこない。彼女を哀れに思って世話をしてくれていた乳母も、いつの頃か暇を出されて屋敷を去ってしまっていた。

 

 彼女がこんなところ……屋敷の地下室に閉じ込められているのも、日に二度だけ運ばれる少なく冷たい食事も、父が仕事で上手くいかないことがあれば受ける折檻も、すべては彼女が伯爵家にとっての恥じとなる欠陥品であったからだ。

 

 初めてルネの両親がおかしいと感じたのは、兄である息子二人と比べて彼女の言葉が遅れていたことだった。けれどまだ二歳を越えたばかりだからと、初めて生まれた娘を両親は可愛がった。

 

 三歳になってもまだ言葉を発することはなかったものの、病気もせずに育つ娘を両親は勿論のこと、上の兄達も可愛がっていた。この頃には下の妹も一歳になっており、ギレム家には天使が二人いるのだと誰もが信じて疑わなかった。

 

 しかし四歳を過ぎて二歳の妹が話し始める頃には不信感が芽生え、五歳になった頃には三歳の妹に比べて明らかに言葉が遅れているという事実に、ついに家族はそれを認めざるを得なくなる。

 

『――ルネは、あの子は……もう駄目だ。我が一族に相応しくない』

 

 当主である彼女の父の発したその一言で、ルネが伯爵令嬢として愛される時代は呆気なく終わってしまった。そしてその頃に彼女が持つ【痛みを感じない】という特徴が明らかになるや、そこからはもう、あっという間の転落ぶりで。

 

 愛と憎悪は表裏一体。愛してきた分、駄目だった時の憎さが増すのは当然ではないが、理解は出来る人間らしい感情だ。

 

 現在に至るまで彼女は昼間はこの部屋に閉じ込められ、夜の僅かな時間にだけ見張り付きで屋敷の庭園を歩き回る生活を続けていた。

 

 けれどそれでもまだ彼女は伯爵家の庇護のもと、必要最低限に身形を整えられて生かされていた。誰にも愛されてはいないけれど、そんなルネにも使い道がまだあったからだ。

 

 傷口の血を綺麗に舐めとったルネは、いつも決まってそうするように、懐の中から大切そうにあるものを取り出す。それは螺鈿細工を施された軟膏薬を持ち運ぶための小さな容器だった。

 

 しかしその中身はとうの昔に空っぽで、微かに残っているのは複雑な薬草の残り香だけだ。彼女は蓋をずらしたそれを両手で包み込むように持ち、随分と薄れてしまった匂いを吸いすぎないようにそうっと息を吸い込む。

 

「……ふふ、いいにおい」

 

 小鳥のようにふるりと肩を震わせて、囀るように囁くその声には、彼女もまだ気付いていない思慕の感情が詰まっている。いつのことだったか、珍しく昼間の明るい時間帯に父親に連れられて外へ出たことがあった。広い世界が嬉しくて、父親が目を離した一瞬の間にフラフラと勝手に歩き回った。

 

「やさしい、あのこのにおい」

 

 そこで出逢った自分と同じく怪我をした男の子に出逢い、少しだけ話をしたことを思い出して、ルネは微笑みを深くする。痛みを感じない彼女を痛いだろうと心配してくれた、顔も覚えていない男の子だ。

 

 連れ戻された日の夜は、いつもよりずっと長い時間をかけて折檻されたけれど、あの男の子にもらった薬を塗れば、たちまち元気になれる気がしたものだった。実際に薬を塗ったあとの傷の治りは非常に早く、そんなこともあってか、彼女の中で彼は天使様になっていた。

 

 あまりたくさん吸い込んでしまっては、ただでさえ薄くなってきている香りが消えてしまう。そう思いはするものの、胸の奥がほわりと温かくなるような心地にもう一呼吸だけ……と、容器に鼻先を近付けたその時。

 

 石造りの廊下を部屋に向かって歩いてくる靴音に気付いたルネは、掌の容器に蓋をして懐へと隠した。何となくではあるけれど、父親にこれが見つかるのはよくない気がしたからだ。

 

 荒々しい足音は部屋の前で止まり、鍵を開ける音に自然と身体に緊張が走る。如何に痛みを感じない彼女であろうとも、動物の本能としての恐怖がどこかに残っているのだろう。

 

 ややあって開いたドアからは、いつものようにピリピリとしたルネの父親が入ってくる。彼はベッドの上で固まっているルネに近付くと、無表情に手にしていた乗馬用の鞭で彼女の肩を打った。

 

 衝撃でベッドの上に倒れる彼女の二の腕に、太股に、横腹に、次々と鞭の雨が降る。例え痛みはなくても、ルネは空気を切り裂く鞭の音が嫌いだった。空気と一緒に身体の中がちぎれてバラバラになるのだ。

 

「クソッ、若造がいい気な口を! ダンピエールなぞ、ただの卑しい人殺しの一族ではないか!!」

 

 鋭く振り下ろされる鞭の音に父親の怒声が混じる。けれど彼女は鞭を振り上げた父親の服から、さっき懐へと隠した容器と同じ、微かに好ましい残り香がすることに気付いて身体を弛緩させた。

 

 十発ほどルネを打ち据えたところでようやく気分が落ち着いたのか、父親は乱れた髪を整えながら至極素っ気なくこう言った。

 

「ようやく能なしなお前の使い道が決まった。家の役に立てることを光栄に思え」

 

 何のことだかさっぱり分からなかったけれど、父親にこうして声をかけられることも、この優しい匂いを宝物を開けずに感じることが出来たことが嬉しくて。小さく「はい、おとうさま」と囁いた彼女を見下ろす父親の表情は、薄暗い部屋の闇に飲まれて分からなかった。

 

 

◆◆◆

 

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本作品の少し足りないヒロイン、ルネです。

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