死神に、愛を囀る青い鳥   作:タナゴコロ

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☆31☆ 彼女の愛情。

 

 白い吐息が鼻の頭をくっつけた窓を曇らせて一瞬だけ視界を遮り、またすぐに窓の外を鮮明に映す。瑠璃色の瞳は右から左、左から右と、落ち着きなく表の道をいったりきたりしていた。

 

 ――と、そんな彼女の瞳がパッと大きく見開かれ、肘をついていた窓枠から身体を離し、部屋を飛び出して階下へと続く階段を駆け下りる。彼女のあまりに淑女らしからぬその動きを咎める者は誰もいない。

 

 玄関ホールでソワソワとその扉が開くのを待ち構え、その人物が入ってきた瞬間に両手を広げて飛びつく。奪うように一月の空気で冷えた唇に口付け、温かい自身の手を冷たい頬に添える。

 

「おかえりなさい、トリス。そと、さむかったでしょう?」

 

 そう労りの言葉をかけて笑いかけると、彼女の夫は一見無表情に見えて、その実とても素直な深緑色の切れ長な瞳を愛おしそうに細めて「ただいま、ルネ」と微笑んだ。

 

「確かに外は寒かったが、家に帰ればこうしてルネが出迎えてくれるから、そう寒さも気にならない」

 

「ほんとう? だったら、もっとくっつくわ」

 

 言うが早いかその宣言通り爪先立って首に腕を回したルネを、少し屈んだトリスタンが膝裏に腕を入れて抱き上げる。冷えたトリスタンの鼻先がルネの鼻先に触れ、どちらともなく笑いが零れた。

 

 抱き上げるその手が今日何人の首を落としたのかをルネは知らないし、知ったところで何の興味も感慨も湧かない。人より少し足りない彼女にとっては、抱き上げてくれるこの存在だけが全てだからだ。

 

「ゆびわ、つけてあげる」

 

「……ああ」

 

 今年で結婚してから三年目の入口に立つ。

 

 そんな二人の間に新しく加わった一月の日課に、仕事中にトリスタンが首の革袋にしまいこむボタンの指輪を取り出して、ルネが手ずから左手の薬指に戻すという儀式。死神の魔法を解く「だいすきよ」の言葉と、啄むように落とされる口付けが、彼を人間の世界に繋ぎ止めると知っているから。

 

***

 

「あしたから、にがつね。トリスのおしごと、へるかしら?」

 

 就寝前に少しだけじゃれあってから、ベッドにうつ伏せになったトリスタンの背にのしかかったルネが、卓上の暦を見て嬉しそうに声をあげる。彼女にとってトリスタンを疲弊させる一月は不必要だった。

 

 その楽しげな響きを持つ振動が背中から伝わるのか、十二月にあった銀月祭でルネが刺繍を施してくれた何模様か不明な枕カバーに頭を乗せ、ウトウトと微睡みかけていたトリスタンが「たぶんな」と、微笑み混じりの相槌を打つ。

 

 ルネがそんなトリスタンの鉄錆色の髪に指をくぐらせ、優しく遊ばせながら頬と首筋に口付けを落とせば、お返しとばかりにトリスタンがシーツの上に広がるルネの深い茶色の髪を手に取り口付ける。

 

 するとその手からサッと髪が取り上げられ、つられてトリスタンが顔を上げれば、隙をついたルネが今度は直接唇に口付けた。一瞬だけ見開かれた深緑色の双眸は、けれどまたすぐに微睡みを感じさせる蕩けたものになる。

 

 触れるだけの軽いそれは何度か繰り返され、最終的に仰向けに寝転び直したトリスタンがルネを抱きしめるまで続いた。

 

「もっとはやく、しがつになればいいのに」

 

 胸の上に頬をくっつけて不貞腐れた風にそう言うルネの頭を撫で、時折柔らかい髪を梳く彼は喉の奥で笑った。

 

「そんなにクリストフ神父とシスター·マリオンの結婚式が楽しみか?」

 

「ええ。トリスとふたりのおいわいするの、たのしみだわ」

 

「……どうしても私も出席しなければ駄目だろうか」

 

「だめよ。トリスがいかないなら、わたしもいかない。あなたがいないなら、わたしはどこにもいない(・・・・・・・)の」

 

 頬擦りをしながらスウッと胸一杯に吸い込むのは、出逢った頃のまま変わらない軟膏の香りと、夫となった愛しい男の香り。右手の甲にある斧と雷の紋様も、ルネにとっては美しいとすら感じるトリスタンの一部だ。

 

 自らの指先をトリスタンの右手の甲に這わせ、ゴツゴツとした肉刺(マメ)のある掌を親指でなぞり、ざらつく節張った指に白く細い指を絡めた。まるで“これは全部自分のものだ”と、そう所有欲を示すように。

 

 そんな彼女の独白めいた言葉に応える声はなく、代わりに頭を撫でていた手が頬に触れ、悲しい言葉を紡いだ唇をなぞる。

 

 あやすように唇を滑るトリスタンの親指をルネが甘く食めば、口の中にゆっくりと侵入した親指が舌先を押さえた。自分を卑下する言葉を封じられた彼女が不満も露に視線を上げて軽く睨むと、睨まれたトリスタンは深緑色の双眸を細めて「私もだ」と。吐息のようにそう零した。

 

 その言葉を聞いたルネが口の中の親指を舌で押し戻せば、親指はあっさりと引き抜かれ、追い縋るように胸の上を這い上がった彼女が、息を吹き込むようにトリスタンの唇に唇を重ねると、彼も無言でそれに応じる。

 

 こうして毎日優しく触れられて、抱きしめられて。幸せで仕方がないはずなのに、何か見えない不安に背中を炙られているような心地がするのは何故だろうかと。人より少しだけ足りないルネは考えて、けれどすぐに放棄した。

 

 年明け早々にギレム家から届いた手紙は以前より分厚く、月始めに送られてくる仕事の予定表にトリスタンの表情が曇っても、自身が傍にいることに何の疑いもないのだから。

 

 啄む口付けを交わしていたトリスタンの目蓋が、ついに睡魔に負けて閉ざされる。安らぎきった表情と、静かに上下する胸にルネは微笑み、心臓がある部分に掌を置いてそっと囁く。

 

「……おやすみなさい、わたしのあなた。ゆめのなかでも、そばにいさせて」

 

 そんな彼女の祈りの言葉で幕を引くように、ランプの灯りが落とされた。

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