地下牢に蔓延する死の気配と、早く孫を見せろとしつこい義父につき纏われる一月もようやく過ぎ、忍び寄る不穏な気配に身構える二月も過ぎた。副業の方は相変わらず……と言いたいところだが、これまであまり見かけなかった自白剤系統の注文が激増し、中枢で何かが起こっていることを暗示させる。
以前までなら何とも思わず淡々と調合していた薬が、何にどのように使用されるのか。過去の一族が残した日記を漁り、その中から魔女狩りの記載箇所だけを重点的に読み、少しでもその日がくるときのために心積りをする日々を過ごした三月。
雪解けを待って一斉に芽吹き出した命の香りが空気を占める四月――。
この日を指折り待ち続けたルネを伴って訪れた教会には、以前までのように子供達の笑い声が溢れていた。それはいい。そこには何の問題もないのだが……。
「クリストフ神父……これは何の真似だ。私とルネは貴男とシスター·マリオンの式に出席しに来ただけだぞ」
「ははは、トリスタンはおかしなことを言うね。出席は今まさにしている最中だ。君も当事者だよ」
悪びれずそう穏やかに微笑むクリストフ神父は普段と変わらない聖衣に身を包み、呆れる私の方も本職のときに着用している上から下まで黒一色の服だ。
しかし私と彼の視線の先で子供達に取り囲まれて、口々に祝いの言葉をかけられ、古ぼけた赤い絨毯の上を歩いてくるシスター·マリオン……いや、今日からはただの“マリオン”となる主役の新婦と、その隣ではしゃいでいるルネが同じ衣装というのはいったいどういうことなのか。
綺麗に纏め上げられた髪型のおかげで露になるはずのうなじは、うっすらと透けるオーガンジーのヴェールの中に隠され、少し動くだけで風をはらんで翻るややクリーム色がかった白のドレスは、本来なら処刑人に嫁いでしまった彼女が一生着ることのできない衣装だった。
貴族の娘が纏う高級品の純白ではないものの、それにしてもあの長さの生地を二着分用意するのは大変だったはずだ。
頭上のステンドグラスから降り注ぐ光に目を細め、文句を言いつつクリストフ神父と共に祭壇の前に立っている自分に戸惑う。
「……式の準備で忙しいから当日に来るようにと言ったのはこのためか?」
「そうだよ。君やわたしの格好ならそのままでも問題がなかったのだけれど、流石に花嫁のドレスを二着仕立ててもらうには時間が必要だからね。実は不安になった君がいつ薬を持って現れるかと気が気じゃなかった。それにわたしも悪戯には悪戯で返そうかと思ったんだよ」
そうからかうように薄い水色の双眸を細めた彼は、白い手袋をはめた大きな手をマリオンへと伸ばし、白いドレスに身を包んだ赤い髪と紅玉の瞳を持つ彼女がその顔を喜びに輝かせて近付いてくる。
周囲からは子供達の「しんぷさま、ちゅーだよ、ちゅー!」「こどもっぽい言い方止めて。誓いのキスよ」「なんでもいいから、ほら早く」という、こんな日に相応しい平和な言葉がかけられた。
照れ笑いをしたクリストフ神父がヴェールを持ち上げ、軽く腰を屈めてその唇に触れるだけの口付けを落とす。今日一番の子供達のはしゃぐ声と、シスター達の拍手に祝福されたマリオンは化粧が落ちるのも構わず泣いていた。
伴侶を得る日の幸せを切り取ったような光景にぼんやりと魅入っていると、その横をすり抜けてこちらに向かって来たルネが、自らヴェールを持ち上げて「わたしたちも、あれ、しよう?」と無邪気に笑う。
視線を主役達の方へ向ければ、何故か初めてここで夫婦の誓いを立てた日と同じく宣誓の言葉を求められ、私達は“祝福”を受けた。
――死神が、教会で、祝福を。まるでいっとう質の悪い冗談だ。この黒い手袋を人前で脱げる日がくるとは思わない。それでも――。
「『やめるときも、そうじゃないときも、ずっといっしょにいて』」
小さな両の掌で、私の頬を挟んで蕩けるように微笑む瑠璃色の双眸と、柔らかく囀ずる優しい声音。彼女が爪先立つより早く、屈んで触れる口付けを。不満げな顔をするルネの顔にヴェールをかぶせて「もっとして」の言葉を遮った。
孤児院の子供達が野の花で作ったブーケが二つ宙を飛び、弔いのためではない鐘の音が響いた。
――、
――――、
――――――。
式の後はめいめいが好きに食事をとれるよう、ささやかなガーデンパーティー方式の立食となり、同僚のシスター達に囲まれて代わる代わる抱きしめられているマリオンと、ブーケを拾った子供達に花冠の作り方を教わるルネを離れた場所から眺めていた。
すると本日の主役がワインボトルとグラスを二つ手にしたまま、祝いの言葉をかけてくる人々に微笑みを向け、誘いをやんわりと断りながらこちらに近付いてくる姿が視界に入る。
「やぁ、トリスタン。君も主役なのに、こんな場所で一人飲みかい?」
「元々は一人でいるのが好きだからな。あまり賑やかなのは苦手だ」
「ふふ……そう思ったから、どうだろう。せめてわたしと二人で」
「それなら賛成だ」
気安く交わす言葉と、ワインを注いだグラス同士のぶつかる音。一回り以上も離れた歳の差を合わせてくれる相手がいるのは、思った以上に心強い。
「……今日は貴男とマリオンの一日に同席させてくれて感謝する。ただ、些かできすぎだ。何か良くない動きがあったのか?」
「今日は勿論わたしとマリオンの式が本題だったけれど、君の息抜きと来月のルネさんの誕生日祝いもかねていたつもりだったのに……本当に君は敏い子だね」
どこか呆れたような穏やかな声が耳に心地いいと思うのは、本来相容れない立場であるのに不思議なものだ。ワイングラスを傾けて視線でその先の内容を促せば、彼もワインで喉を湿らせてから口を開いた。
「魔女狩りの連中が探しているのは、一部の貧困層から“聖女”と呼ばれている元·シスターだ。本人も貧しい農村の出身らしい。ただ商人達の口ぶりでは思想家の類いだと思う。国の中枢が警戒しているのは、彼女の言葉で扇動された人々が暴動を起こすことだろう」
そこで一旦言葉が切られ、彼が短く溜息をついた。結婚式の会場で相応しくない話題を振ってしまったと内心反省しつつその表情を盗み見る。しかし彼はそんなこちらの行動を見透かしていたのか、ふっと目元を和らげ……僅かに気遣わしげな表情になった。
「恐らくだがその“聖女”を逃がすために、これから関係のない“魔女達”が君の手で裁きを受ける羽目になる。ただ君は何でも一人で抱え込みすぎる性格だから、苦しくなったら他者を頼りなさい」
そう言われた私が真っ先に視界に入れたのは、不格好な花冠を手に笑う死神の、死顔を持たない足りない伴侶。