死神に、愛を囀る青い鳥   作:タナゴコロ

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★43★ 聖女の正体。

 

 まだ薄明かるい程度の日が射し込む朝の食堂で、ルネと並んで食べる朝食風景もようやく日常として戻りつつある。嬉しそうにパンを食べている彼女を見ていたら、ふとその手を止めたルネがこちらを見つめ返してきた。

 

 そしてやや言い出しにくそうに、けれど期待のこもった瞳で「トリス、きょうのやくそく、おぼえてる?」と切り出す。両手を膝の上で握りしめて訪ねてくる姿に思わず頬が緩んだ。

 

「忘れるわけがない。今日はルネの二十三歳の誕生日だろう。夕方には必ず戻る」

 

「うれしい。やくそくよ?」

 

「ああ。だから寝過ごさないで夕飯を作って待っていてくれるか?」

 

 この頃は気候の良い日が続くからか、昼寝をしたまま寝過ごしたルネが、慌てて料理の仕上げに取りかかっているところに二度ほど出くわした。そのことをからかうと、彼女は「いじわるね」と頬を染めてはにかんだ。

 

***

 

 これから先もルネの瞳に映れるように私がとった行動は、処刑の日まで【聖女】の身柄を馬鹿な男達から守ることだった。何のことはないありがちな話で、聖女はこの国の貴族が身分の低い女に産ませた娘だった。

 

 ルネには騎士達の噂話を耳にした風を装ってしまったが、実際は貴族や政治犯を捕らえておく牢まで出向き、独房の覗き窓越しに姿を確認してみたのだ。

 

 ――いったいどんな愚かな女が、この地獄を作り出したのだろうかと。

 

 明かり取りの窓から落ちた日の下にいたのは、確かに抜けるように白い肌と煙る豊かな金の髪に、榛色の瞳を持ったルネと同じ年頃の女だった。しかしそこにはマリオンに感じたような狂おしいほどの生命力も、ひた隠そうが漏れ出るような情熱もない。

 

 どこか観衆を酔わせる舞台女優のようで、疲れた人間の耳に心地好い【正義感】を演じる人形じみていた。その姿は美しいや愛らしいといった基準が、全て妻で固定されている私には理解できないものの、人を狂わせる魔性の美しさを持っている……らしい。

 

 そんな彼女を処刑前に穢して楽しもうと考える輩は思った通り多く、初日の夕方には三人分の生爪を剥ぐことになった。暗闇でも見えるように訓練しているこちらと違い、王城勤めの下級兵士や牢番は暗闇では動きが鈍る。

 

 しかし大手を振って明かりを片手に聖女の牢を訪ねてくるわけにもいかない。そこで必要最低限の灯りを持って現れる者達を強襲し、関節を外して蹲っている男達の指から爪を剥ぐのだが――。

 

 毎日毎日飽きもせずに現れる輩達の相手に時間を割くせいで、ルネとの時間が圧迫される日々にそろそろ嫌気がさしている。独房の外で上がる断末魔を聖女がどう思っているかは定かではないものの、少なくとも心穏やかではないだろう。

 

 ただ苦情の声をかけられたこともないので、ここ数日は一日に三、四人現れる程度の相手をしつつ、あとはずっと時間をもて余す日が続いていた。しかし今日に限ってはその方が助かる。もう二時間もしたら女騎士と見張りを交代する予定になっていた。

 

 ――が。

 

 独房からは死角になっている壁に背中を預けて目蓋を閉ざしていると、不意に「ねぇ、そこにいるのでしょう?」と涼やかな声が耳に届いた。この房に現在収監されているのは彼女だけだが、見張りは私だけだ。

 

 よりにもよって今日声をかけられるとは運がない。今さら何の用だとは思いつつ、三日後にはこの手で首を落とす人間の相手をするのも、ルネの瞳に映るためだと自分に言い聞かせた。

 

「――今のは私にかけた言葉か」

 

「ええ。それにここには貴方とわたししかいないでしょう? 多くの人々の命を刈り取った死神がどんな顔をしているのか、処刑台に上がる前にしっかり見たいと思って。こちらに来て姿を見せてくれないかしら」

 

 演説慣れした落ち着いた話し方に、耳に心地好い柔らかさと冷静さのある声だ。けれどその根底にはこちらを見下す色しかない。ただそんな反応は珍しくもないので、心底面倒ではあったが言われた通りに覗き窓の前に立ってやる。

 

「三日後に貴女の首を落とす死神だ。ご満足頂けたか? それと一つ訂正だ。彼等を殺したのは私ではない」

 

「何と白々しい。あれだけの人達を惨たらしく殺しておきながら、貴方には心というものがないのですか?」

 

 覗き窓の向こう側に立っていた女は明かり取りの窓から射し込む光の下で、こちらの言葉にあからさまな不快感を見せてそう言った。あまりに面白味のない反応に溜息をつきたくなる。

 

 美しいと評されているその顔には、涙でぐちゃぐちゃになった死顔がうっすらと浮かんで見えた。三日後にはこの表情になるのだろう。ルネの誕生日に気分が悪いものを見てしまった。

 

「心はどうだか分からないが、はっきりしていることがある。彼等を殺したのは貴女だ。私は道具としての職務を全うしただけにすぎない」

 

「なんですって?」

 

「貴女が一人では何もできないくせに声を上げた。そればかりか無責任に国内を煽動して回り被害を広げ、そんな貴女を匿いその行方に口をつぐんだ者達を死に追いやった。私に大量殺人を犯させたのは貴女だ【聖女】様」

 

 口にしてみてから、自分が思いのほか目の前の女に苛立っていたのだと分かる。らしくもない余分な皮肉が出るほどには。しかし聖女は死神の言葉になど屈しないとばかりにこちらを睨み、顎を持ち上げて口を開いた。

 

「いいえ、違います。彼女達は信仰を深める間に神の御告げを聞いたわたしの言葉に賛同して、この貴族ばかりが幅をきかせる国の、腐った体制を打ち砕くために立ち上がったのよ。そんな高潔な彼女達を侮辱しないで」

 

 これには流石に心底呆れた。こんな騒ぎを巻き起こすからには、精神論が好きな類いだとは思っていたが、まさかここまでおめでたい人種だとは思わなかった。漣程度だった苛立ちが、揺り戻しを起こして徐々に大きくなるような感覚を覚える。

 

「高潔な彼女達は見世物として広場に引きずり出され、ろくに“高潔な志”とやらを一言も吐けずに、私の前で震えて泣いたぞ」

 

「それは貴方達が非道な行いをしたせいだわ。公開処刑なんて野蛮よ。所詮貴方は王家に飼われた汚らわしい化物。わたしは彼女達と一緒に弱い人々を助けようとしていたのです。彼女達も犠牲になることに誇りを持っていました」

 

 少しも自身の正しさを疑いもせず、他者の心を我が物のように語る。これ(・・)は私とは種類の違う化物(・・・・・・・)だ。そう感じた瞬間、胸の奥に言い様のないやるせなさが沸き上がった。

 

 どうしてこれは【正義】とされるのか。

 どうして我等は【死神】とされるのか。

 どうしてルネは【私側(こちら)】に立たされなければならなかったのだ、と。

 

「貴女は弱い者達の味方だと言って回ったらしいが、私の妻はそちら好みの“弱者”だ。人よりも少し足りず、某伯爵家の長女でありながら幽閉され、日々実父から折檻を受ける地獄を十年以上見た」

 

 彼女は突然わけの分からないことを語り出したこちらに眉をひそめたが、私は気に止めずに言葉を紡ぐ。

 

「その挙げ句が、傾いた家を立て直すために死神の元に【妻】の名目をかり、化物を産む母胎として棄てられた。教えてくれ聖女様。どうして貴女の神とやらは彼女を十年以上も見つけ出せず、助け出してくれなかったのか。彼女にいったい何の非があった?」

 

「そ、れは……神の試練に選ばれたのです。来世では必ず今世での試練を耐え抜いた功績に報いる幸福を掴めます」

 

「今は来世の話などしていない。貴女が殺した者達は、貴女を怨まず私を怨むだろう。我等(・・)はそのために生かされ続ける一族だ。そこはもう覆しようがないから構わない。けれど足りない彼女は可哀想に、選り好みをする神が救わなかったせいでこんな化物を愛した」

 

 ――否。

 

 愛されたかった彼女は、きっと愛するしかなかったのだ。あの日、気まぐれに声をかけたのが私でなければ、ルネは今頃普通の男に愛されて、子供を抱いていたかもしれない。

 

 この化物が言う神がもしもいたのなら、あの日、あのときに戻して、もっとまともな男とルネを出逢わせてくれと叫びたい衝動にかられた。

 

「どうしてくれる。貴女と貴女の神が救って下さらなかったせいで、彼女はずっと可哀想な“弱者”のままだ」

 

 低く平坦な声に覗き窓の向こうで聖女が後ずさった。侮蔑で誤魔化そうとする瞳の中に微かな怯えの色を感じたが、もう欠片ほどの興味もない。

 

「三日後に処刑台の上で会おう。聖女様(・・・)

 

 そう吐き捨てるように言ったきり元の場所に戻った私は、交代の女騎士がやってくるまでの間中、家で待つルネの姿を目蓋の裏に思い描いて耐えた。

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