死神に、愛を囀る青い鳥   作:タナゴコロ

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★46★ この世界に神などは。

 

 トネリコの枝葉を掌に握りしめた聖女は処刑台の上で艶然と微笑み、彼女の最も嫌う下劣な観衆達をぐるりと見回した。その微笑みがよほど美しかったのか、本来なら処刑台に登った罪人をすぐに断頭台の前に押さえ付ける役人達が、見惚れたまま動きを止めている。

 

 このときすでに広場は昨夜から場所取りをしていた見物人達に覆い尽くされ、溢れた見物人達は近隣に建つ建物の屋根にまで及んでいた。

 

 その人数は王都に現在いるもの全てを足した数だと言われても信じたに違いない。それほどまでに人々はこの国の腐敗に絶望し、自分達の手を汚さず【正義】を執行する立場に立ちたいのだろう。

 

 それ事態はいつものことだが、罵声をものともせず微笑みを振り撒く聖女を前に、最前列から徐々に水面を風が震わせるように罵声が小さくなっていく。聖女の表情が見えない後ろの者達や、屋根の上の者達も、聖女が女優が舞台の上で優雅に膝を折り優雅にお辞儀を返す姿に段々と言葉を失くす。

 

 いつの間にか広場の合唱は静まり、誰もが処刑台の上でお辞儀をする聖女一人に意識を集中させている。聖女は血の赤が映えるという理由だけで上質な白い服を着せるという悪趣味さを、まるで特別な存在であるからそれを纏っているのだと言わんばかりに見せつけた。

 

 人を魅了する方法を心得た人間。生まれながらに人の上に立つ指導者の才覚。それが聖女の本質だった。しかしそれは活かされることはなく、今日この場で潰えるのだ。

 

 彼女は観衆の視線が自身に集まったのだと確信すると、胸を反らせ、両手を広げて朗々と語った。

 

 愛と、正義と、勇気について。

 絶望と、希望と、未来について。

 為政者と、暴力と、民衆について。

 

 水を得た魚のように言葉を操る彼女を止められる者は誰もおらず、ただ舞台に魅せられる観客のように惚けていた。耳に心地好い声と言葉が広場を満たし、瞬きを忘れた観衆達の視線が聖女に降り注ぐ。

 

 そうして、いよいよ一人舞台と見紛う演説の終盤に差し掛かったとき、彼女は不意に言葉を切ってチラリとこちらを見た。片眉を上げて言葉にせず“もういいのか”との意味を込めて大斧の柄を叩けば、聖女はうっすらと笑んだ。

 

「神は、人は皆、神の名の下に平等だと仰いました。しかし現実にこの世界でわたし達は平等ではない。神の目から隠された者達に手を差し伸べられるのは、人の子だけです」

 

 三日前の意趣返しのつもりだろう。含みのある言葉に見つめ返した榛色の双眸は、恐怖と興奮が鬩ぎ合いながらも強い使命感に揺れていた。

 

「わたし達は平等ではない。けれどわたし達は皆、同じ人間(いきもの)です。王族や貴族は神ではない。ならば必ず倒せる。わたし達は戦い、敗れました。ですがこれは終わりではなく始まりです。わたしに賛同し、平等を勝ち取る戦いに命をかけた同胞達に……心からの感謝を」

 

 その言葉を最後に聖女は舞台の緞帳を降ろす間際に、演者が観客に贈る最上級の礼をした。彼女からのこれで公演は終了だという合図にも、未だ呼吸を忘れて立ち尽くす役人達。

 

 動き出さない彼等に代わり、私は処刑台の中央――……断頭台の前で待つ聖女に近付き、その小刻みに震える細い肩を叩いて跪くように促した。彼女は素直にそれに従い跪き、胸の前でトネリコの枝葉を握りしめる。俯く彼女に目隠しをするために屈み込んだ。

 

「それなりの演説だった」

 

「ふふ……あ、りが、とう」

 

「痛みはない。もう眠れ」

 

 聖女が小さく頷き自ら断頭台に頭を預けたのを確認し、それまで惚けていた役人達が彼女を押さえ付けようとする前に、大斧を大上段に構えて一息にその細く白い首筋へと振り下ろした。

 

 手応えは一瞬。華奢な身体は斧の一撃でぶるりと震えたが、倒れることなく跪いた姿を保つ。強く祈りの形に組まれた手すらほどけずに。彼女の祈りは届いただろうか。

 

 ――……神などという不可視の存在ではなく、この広場に溢れる彼や彼女等という姿ある地上の人々に。

 

 聖女の身体は王家からの命令通り処刑後に魔女の亡骸としてその場で焼き、首はその日の午後には広場に晒された。唯一王家の思惑通りにいかなかったのは、聖女の死顔が穏やかで眠っているようだったことだ。

 

 当初と死顔が変わった。それが彼女の覚悟の差だったのだと知る人間は、この世のどこにもいない。怯えて震えていた彼女の心は、彼女の信じた神とやらが救ったということだろう。トネリコの枝葉は戻らなかったが、これで良かった。

 

 城から直接確認しに来る仕事熱心な側近達や貴族はいないのか、教会にいる天使の彫像を彷彿とさせる彼女の首は、処刑前の狂乱を忘れて正気に戻った民衆の注目を集めた。それは警備にかり出されていた兵士や役人達も同じことで、彼女達の死が無駄ではないということを物語ってもいた。

 

 一応報告のために城に戻りはしたものの結果を伝える以外のことはせず、鍛練場の一角で穢れを洗い流し、身支度をし直す。ただし今日の処刑相手は聖女だ。広場に彼女の狂信者がいただろうと仮定して、着替えは城の下働き風なものにし、馬車を使わず使用人が使う裏口から徒歩で帰る。

 

 人の気配に神経を尖らせながらも何とか屋敷に辿り着き、玄関ホールに一歩足を踏み入れた途端、帰宅を待ち構えていたルネが腕を広げて「おかえりなさい、トリス」と抱きついてきた。

 

 抱き返しながら「ただいま」と答えたその瞬間、艶やかな髪からふわりと紅茶が香る。何故髪から紅茶がと訝かしんだものの、次いで柔らかく口付けてきた唇からも同じ紅茶の香りがした。

 

 よくよく見てみれば纏っている服も今朝見たものと違う。朝は若草色だった服は、今は聖女が着ていたものと同じ白だ。目も心なしか赤い……? どれも小さなことではあるが、何か胸騒ぎのする違和感を覚えた。

 

「ねえ、ゆびわ、つけてあげるわ」

 

 けれどそんなこちらの考えなどお構いなしとばかりに乞われ、素直に首に下げた革袋から指輪を手渡せば、彼女の華奢な指先が私の左手に不格好な指輪をはめてくれ、再び抱きついてきた。

 

 仕事の汚れはすでに清めて帰ってきたが、それでも真っ白な服を身に纏ったルネが赤く汚れる気がして、やんわりと華奢な身体を引き離したのだが……それが不満なのかルネは頬を膨らませて「さびしかったのよ」と抗議してくる。

 

 そう言われてしまっては、再び抱き締めるしかなくて。隙間なく密着しようとすり寄ってくるルネに誘われるように細いうなじに顔を埋めた。

 

 鉄錆色の私の髪を撫でる彼女の指先は優しく、何も感じないはずの“死神”に何かを与えようとしてくる。心地好さに吐息を吐けば、ルネが腕の中で「くすぐったいわ」と笑った。

 

「おふろにする? それともごはん?」

 

 瑠璃色の双眸は微笑みの形に細められ、濃い茶色の髪は絹のように滑らか。乳白色の肌にそこだけくっきりと紅を引いたような唇は、見惚れるこちらに追い打ちをかけるように「ねえ、どっち?」と動いた。

 

「風呂は後でいい。先に食事にする。ルネはもう食べたのか?」

 

「ううん、トリスとたべたかったから、まだなの。いっしょにたべよう」

 

「……先に食べていても良かったんだぞ?」

 

「いっしょがいいわ。あなたといっしょがいいの」

 

 そんな風に愛らしい声で囀り、柔らかな身体を押しつけてくるルネにこちらから屈んで口付けると、彼女は嬉しそうに「もっとして!」とねだってくる。

 

 ――……彼女は足りない。どうしようもなく。

 

 けれど私にはそんなルネが必要で誰よりも愛おしい。聖女にはああ言ったが、彼女に愛される対象として自分が相応しくないとは分かっていても、彼女が愛するしかなかった対象が自分しかいないということが、嬉しくないはずがなかった。

 

「ふふ……ねえ、だいすきよ。わたしのあなた」

 

 眩しいほど慈愛をたたえた微笑みを向けてくれる彼女に返せるものを、私は持たない。けれどいつものように曖昧に「そうか」と答えたその時だ。

 

「きょうはおとうさまがきたの。こどもはまだかって。だめなら、ほかにやらせるって。なんのことかしら」

 

 クスクスとおかしそうに笑う彼女を抱き締めながら、身体の奥からスッと血の気が引いた。

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