死神に、愛を囀る青い鳥   作:タナゴコロ

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☆47☆ 彼女の告白。

 

 ルネは人より少し足りない。突然やってきた父親が好き勝手な行いと暴言を吐いて去ってからの半日というもの、彼女はわけの分からない孤独感に苛まれ続けたせいで心細くて仕形がなかった。

 

 涙で滲む視界が煩わしくて何度も乱暴に袖で擦った目蓋は腫れ、涙が引っ込むと、今度はトリスの母親が生前着ていた大切な服を、父親がかけた紅茶で汚してしまったことに気付いた。

 

 台無しにされたものが自身の刺繍だけではなかったことに動転し、大慌てで洗濯をして干した後には程好い疲労感に襲われ夕方近くまで眠ってしまい、ギリギリ夕食の支度に間に合ったほどである。

 

 だから大仕事から帰ってきたトリスタンに抱きついて安心した途端に、今日まで隠していた父親のことをついうっかり話すどころか、色々秘めておかねばならないことが口から零れてしまった。

 

 自身が何気なく零してしまったその言葉で父親の……ひいては実家であるギレム家の命運が、風前の灯火になるとは露とも思わずに。

 

 この優しく抱きしめてくれる腕の中でにいれば何も怖くない。少しだけその腕に力がこもったことなどルネは気にもならなかった。むしろより密着できることが嬉しくて大歓迎だった。

 

 屈んで口付けを一度落としてくれた後、不意にトリスタンが「ルネは、私の子供が欲しいか?」と静かに訊ねてくる。その突然の問いかけに、彼女は小鳥のように小首を傾げた。

 

 確か以前教会で赤ん坊を抱いているところを見ていた彼は、どこか怯えた表情を浮かべていたと記憶していたが、あれは自身の気のせいだったのだとルネは都合良く解釈する。

 

「ほしいわ。あなたのあかちゃん。たくさんかわいがるの。ほんとよ」

 

 フワフワと柔らかくて甘い香りのする不思議な生き物。とても弱々しくて一人では生きていけなさそうなのに、腕の中でぐずって手足を突っ張る力は意外と強くて面白かった。だから迷わずそう答えたのだが――。

 

「私のような……人殺しの子供でもか?」

 

 そんな彼女を見下ろすトリスタンは、それでもまだ不安らしく念を押してきた。

 

「あなたがなんでも、あなたがいい。あなたがいやなら、ほしくないわ」

 

 しかし彼という人物を理解しているルネは、朗らかにそう笑う。それにあの生き物を抱き上げたときの不思議な気持ちを、トリスタンにも味合わせたかった。それがまさかルネ自身の身体で作ることが可能であると言うのだ。ならば好奇心旺盛な彼女が頷かないはずがない。

 

「では、私が君の子供が欲しいと言ったら……どうする」

 

「それならほしいわ!」

 

 迷いがないどころかやや食い気味ですらある彼女の返答に、常なら表情の乏しいトリスタンが瞳をそれと分かるほど和らげる。そのときこの四年の結婚生活の中で、彼が初めて芯から安堵したのだとルネには分かった。

 

 いつもどこか“痛そう”だった夫の見えない傷がついに癒えたのだ。嬉しくて、嬉しくて、堪らない。父親に何か酷い言葉を吐かれたときと同じく心臓がギュッと押し潰されそうに軋むのに、それとは全く違った心地がする。

 

 これで心臓が弾けてしまっても良いと思えるほど、トリスタンがルネに与えた苦しさは甘美なものだった。

 

 思わず腕の中で満面の笑みを浮かべるルネに向かって「そうか」と目許を和らげるトリスタン。その姿を見て「ねえ、もっとわらって」と彼女がねだれば、彼はぎこちなくも柔らかく微笑み返してくれた。

 

 しばらくそのまま抱き合い、この胸に沸き上がる幸福感を分け合うように口付けを交わしていたものの、ルネの腹が空腹を訴えて小さく鳴ったところでトリスタンが「食事にしよう」と笑って促した。

 

 ルネが温めたシチューをトリスタンが配膳し、二人で膝が触れ合う距離まで椅子を近付けて夕食を楽しむ仄明るい食堂。ルネが今日のトリスタンの仕事のことについて一切質問をしないのに対し、トリスタンはルネに優しく優しく自身の留守中に何があったのかを聞き出していく。

 

 心細かったことを慰められながら食事をするうちに、ルネがポツポツと今日の出来事を話せば、トリスタンはその一つ一つに細かく労いの言葉をかけ、相槌をうつ。ただ刺繍の件はうっかり自分が躓いてしまったことにしたのだが、ふとそれを聞いていたトリスタンの表情が一瞬無になったことに気付き、心配になってその頬を撫でたときだった。

 

「――……ルネは、今のこの屋敷での生活を捨てられるか?」

 

 それまでの穏やかな響きとは違ったトリスタンの硬質な声音での問いかけに、けれどやはり足りない彼女は迷いなく答えてしまう。

 

「トリスがいるなら、どこでもいいわ。わたしは、トリスのそばでしか、いきられないもの」

 

 そんな当然の問いかけをされることすら心外だとばかりにむくれたルネに、彼女の最も愛する伴侶は、泣き笑いのようにやっぱり「そうか」と微笑んだのだ。

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