死神に、愛を囀る青い鳥   作:タナゴコロ

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◆エピローグ◆

 

 春の柔らかな風が開け放された窓から吹き込み、書物机の上に開かれた本の頁をパラパラとめくる。その風に混じって外で遊ぶ子供達の楽しげな声が聞こえてきた。けれど撹拌された室内の空気は、どこかそんな子供達の嫌う病院を思わせる。

 

 来客用のテーブルを挟んで向かい合わせに座るのは、右手の甲に大きな火傷痕のある青年と、首に聖職者の証であるトネリコの枝葉を揺らし微笑む神父。

 

 感情を読み取れない切れ長な深緑の瞳と鉄錆色の髪を持つ彼は、テーブルに肩肘をついてじっと神父の手許を眺めている。

 

 そこには数種類の小瓶や薬包が広げられているが、その中にかつて売れ筋であった強壮剤や避妊薬や自白剤の類いは一切ない。あるのはどれも至って普通のものばかりだ。

 

「胃薬、傷薬、歯痛止め、風邪薬……と。注文していたものは確かにこれで全部だね。支払いはまた次回で構わないかい?」

 

「ああ。だがここの他にも客はいる。支払いはそう急がなくても構わない。クリストフ神父には世話になっているからな」

 

「うーん、こちらとしてはありがたいけれどね、トリスタン。あまり暢気なことを言っていては駄目だよ。子供ができるとお金が必要になる。彼女の出産予定日はもう再来月だろう?」

 

 トリスタンの口から出た言葉に、クリストフの方が困ったように苦笑した。その言葉にトリスタンが僅かに口許に笑みのようなものを浮かべ、先に二児の父親になった彼の助言に頷く。

 

「君たちのところは初産だ。ルネさんの悪阻は君の作る薬で軽減できるだろうけれど、それ以外のことではマリオンとわたしで手伝えることも多いと思うから、何かあったら遠慮なく――、」

 

 彼が“頼ってくれ”と続けようとしたところで部屋のドアがノックされ、返事を待たずに開かれたドアから、ひょこりと小さな赤毛の男の子が顔を覗かせた。その顔立ちと紅玉の瞳は母親のマリオンに良く似ている。

 

「おや、ミゲル。お客さんがいらしているときに入ってきては駄目だろう?」

 

 そう言いつつも水色の目を笑みの形に細めたクリストフは、自身の側に寄ってきた幼い息子を抱き上げた。けれどミゲルと呼ばれた子供はご機嫌斜めなのか、父親の首筋に顔を埋めていやいやと首を横に振る。

 

「私は別に客じゃないから気にしなくてもいい」

 

「そう言ってくれる大人ばかりではないからねぇ……と、お迎えかな」

 

 廊下の方からだんだんミゲルを呼ぶ女性の声が近付いてきて、ミゲルが開けっ放しにしたドアの前で止まった。そこに立っていたのは、クリストフ譲りの水色の瞳をした赤ん坊を抱いた妻のマリオンだ。

 

「ああ……やっぱりここに来ていたのねミゲル。アリアを寝かしつけたら絵本を読んであげる約束をしていたのだけど、なかなか寝てくれなくて。二人とも、お仕事の邪魔をしてごめんなさい」

 

 そんなマリオンの第一声にクリストフとトリスタンが笑うと、ミゲルはさらに意固地になって父親の首筋に顔を埋めてしまった。小さな息子の機嫌を直そうと交互に頭を撫でる二人に、空気を読まない赤ん坊がご機嫌に笑う。

 

 マリオンは母親になってから少し顔に穏やかさが加わり、美しさにさらに磨きがかかっている。そのせいか、教会の隣にある自宅から毎日夫の仕事を手伝いにくる姿に信者が増えていると、クリストフが苦笑していたほどだ。

 

 そんな一幅の幸せな家族を切り取った空間に、ふとルネが恋しくなったトリスタンが暇を告げると、一家は教会と隣接する孤児院の子供達も引き連れて見送りをしてくれることになったのだが――。

 

 「トリス兄ちゃん、次はもっと甘い薬にして」「良い匂いの軟膏が欲しいの」「お薬じゃない方がいいー」「次はルネお姉ちゃんもつれてきてね」といった賑やかな子供達の要望に、彼は苦笑しつつ、それでも邪険にすることはなくそのどれもに相槌を打って別れた。

 

 教会のある村から少し外れた森の中に、石造りの小さな家が一軒。夕焼けの差す窓からはトロトロと暖かそうな光が零れている。その木製の素朴なドアを開けて玄関に一歩踏み込んだ直後、大きなお腹をした人影が姿を表した。

 

「おかえりなさい、トリス。みんな、げんきだった?」

 

 お腹を気にしつつも抱き付いての出迎えを止めない妻を前に身を屈め、荷物を床に置いてお帰りの口付けを受けながら、トリスタンは幸せそうに微笑む。

 

「ああ、元気だった。ルネは私の留守中に変わりなかったか?」

 

「ししゅうしてたら、このこがおなか、ポコポコけってきたけど、それだけよ」

 

 そう言って笑うルネの手には、少し上達した刺繍を施されたよだれかけがある。刺されているのはたぶん赤い実を咥えた青い鳥だろう。

 

 ルネが空いている方の手でトリスタンの手を膨らんだお腹に導くと、中から応えるようにポコンと蹴り返される。

 

 その手応えにルネが瑠璃色の双眸を細めて「ね?」と小首を傾げ、トリスタンは「ルネに似た元気な子だ」とまた笑った。もうあと少しでこの家にも“一幅の幸せな家族を切り取った空間”ができあがる。

 

 

 ――今から三年前、無能な王の政治により混沌期を迎えた隣国ガーダルシアは、神の遣いを名乗り民衆を導こうと立ち上がった聖女を、死神と呼ばれる悪しき一族の手で処刑した。

 

 しかし聖女を処刑した夜、武器を手に立ち上がった民衆は死神の家を焼き討ち、彼とその()を殺害。返す刀で決起して愚かな王族と貴族を捕らえ、民衆から選ばれた王を新たに玉座に迎える。

 

 捕らえられた王族と貴族の首を撥ねたのは、急拵えの不出来な死神。元は死神の妻にすべく娘を差し出した一族の者達だった。腕は語るに及ばず、公開処刑を行った広場は阿鼻叫喚に包まれ、最後には一族全員自ら死を乞うたとされる――。

 

 

「お腹が空いただろう? すぐに買ってきたもので夕飯を作るから、ルネは刺繍の続きをしていてくれ」

 

「かわむきくらい、できるのに。ごはんのじゅんび、いっしょにしたいわ」

 

「そうか……分かった。それなら、おいで」

 

 唇を尖らせたルネの顔に弱いトリスタンは、お腹の子供ごと彼女を抱き上げて台所へと歩いていく。そんな二人にはかつて家族に疎まれた少し人より足りない少女と、世間から忌避され何も求めなくなった少年の姿はどこにもない。

 

 ここにいるのはただ幸せな日を控えた若い二人。

 村はずれの森の中、小さな家に住む一風変わった一組の夫婦。

 腕は良いが堅苦しい新進気鋭の薬師のトリスと、暢気で優しい妻のルネだ。


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