某月某日 13時36分 ホテル・バンドー・ベイカ
「これはこれは、御剣検事様。昨日はどうもありがとうございます、はい」
昨日のシャーロック・ホームズ展のあった会場。
そこに御剣と糸鋸は呼び出されていた。
もっとも、昨日の事件の影響もあり、今日は公開停止している状態のようだが、いずれは再開予定らしく、様々なホームズ関連の展示物諸々はそのままにしてある。
あれだけ人がいたにも拘わらず、今日は刑事も客もいない。
多種多様なホームズ関連の諸々の展示物は昨日来た時、そのままになっているだけに、どこか寂しく感じる。
そして、御剣が今話している相手は平井泰六。
ここのシャーロック・ホームズ展の責任者の老紳士だ。
その彼が昨日、事件があった際に渡していた御剣の名刺の番号にかけてきていたのだ。
今日は昨日のようなホームズのコスプレ姿ではなく、黒い背広に黒いネクタイといったどこにでもありそうな地味なものだった。
「それで、被害者の事で話があるとか?」
「はい、昨日のあの事件の後、検事様がお帰りになられた後、いかつい刑事様たちがこの会場、というよりもメグンダル氏の部屋を特に念入りにお調べになられていたのですが、はい」
「メグンダル氏の部屋っていうと、やたらとあの豪勢な部屋ッスよね」
「はい、このホテルのスイートルームでございます、はい」
昨日調べた部屋を思い出しながらも御剣は頷き、先を促す。
「ですが、大した成果はなかったらしく引き上げたのですが、はい」
そう言って平井は話を続ける。
「一日経って、ふと思い出したことがありました、はい」
「思い出したこと?」
御剣の言葉に、平井は答える。
「それは、こちらです。はい」
そういって、渡したのは一枚のメモ用紙だった。
「これは?」
御剣はそのメモを見ると今日の日付と共に、『14:00 東都タワー』『17:00 東都ドーム』、その下に明日の日付とともに『11:00 トロピカルランド』、『16:00 東都スタジアム』と書かれている。
「事件のあった数日前、メグンダル氏が書いていたものです、はい」
「被害者のメグンダル氏が?」
「ええ、私が話しかけようとしていた際にどなたかと電話の最中だったらしく、それをメモしておりました、はい。その後、私と打ち合わせをした後にこのメモを忘れていったらしく、どこかで返そうと思っていたのですが、つい忘れてしまっておりまして、はい」
「今になって思い出した、と」
平井の言葉を聞いて御剣がメモを改めてみる。
「これは間違いなく被害者が?」
「間違いありません、はい。私の目の前で書いておりましたから、はい」
「通話の相手は?」
「わかりませんでした、はい。私も聞き耳を立てるような真似はしたくありませんので、はい」
「そうですか」
「ですが、メグンダル氏は終始、命令口調でしたので立場が下の相手だったのではないかと、はい」
「ふむ……」
御剣は顎に手を当てて考える。
伊国めぐるもその相手候補になるが、狼捜査官から聞いたメグンダルの正体の事もある。
謎の犯罪組織の幹部――それが被害者の正体だという。
もしかすると、その組織の部下か誰かからのものだったかもしれない。
被害者の持っていたスマホの通話履歴を調べたいところだが、残念ながらそれは公安の刑事たちが確保しているはずだ。
「……わかりました。それでは、預かっておきましょう」
「助かりました、はい」
平井は、それで満足したように頷く。
「いえ、こちらこそ。また何か思いだしたことがあれば同じ番号に連絡をお願いします」
では、と言葉を残して御剣は立ち去る。
「さて、と。問題のこれをどうしたものか」
ロビーにまで戻ってきた御剣は、改めて例のメモを見ていた。
「御剣検事、もしかしてこれを警察に渡す気ッスか?」
「……ム。それはだな」
御剣の歯切れは悪い。
常時ならばともかく、今の警察――すなわち公安にそのまま渡していいのかという不安はあった。
そんな御剣の態度に、糸鋸は吠えた。
「ダメッスよ、御剣検事! そんなことしたら、あのコーアンのカザミドリ刑事にまた持ってかれるだけッス!」
「風見刑事、だ。イトノコギリ刑事」
御剣は糸鋸の言葉を訂正するが、聞いていない。
「御剣検事も言っていたじゃないッスか、警察は信用しちゃダメッス!」
「キミもその警察だろう」
御剣は冷静に突っ込むが、糸鋸は聞いていない。
「しばらくは御剣検事が持っておくッスよ!」
「いや、それはだな」
「とにかく大丈夫ッスよ。少しの間、借りておくだけッス! あの弁護士もよくやってる事ッスよ」
「だから、それは……。だがまあ、良いか」
迷いはしたが、結局は糸鋸の言葉に従う。
確かに彼の言葉もまた事実。公安に素直に話したところで、取り上げられるのがオチだろう。
あの様子では、交渉の余地はなさそうだ。
(それに、このメモだけでは……)
日付と場所が書かれてあるだけのもの。
正直、どんな意味があるのかもわからない。
「イトノコギリ刑事」
「はい、何スか?」
「とりあえず、東都タワーに行くぞ」
「何スか。もしかして、御剣検事、急に東都タワーに昇りたくなったッスか? いいッスね、最近出来たベルツリーなんかもあるッスけど、やっぱり東都タワーは東京のシンボルッス」
「違う! キミはさっきのメモの内容をもう忘れたのかっ」
そう言って先ほどのメモを糸鋸に突きつける。
「もうすぐ午後の2時だ。ここに書かれてある東都タワーにまで行ってみる価値はある」
「わ、わかったッス!」
「それと、他の場所に関しても少し調べてみる。今日の東都ドームの予定は――やはり日売戦があるか、明日の東都スタジアムでもスピリッツ戦、時間的にメモに該当するのはこれの可能性が高いな」
手元の携帯電話で東都ドームと東都スタジアムの日程を確認しながら、御剣は呟く。
「そして、トロピカルランドの方は――ム、トノサマンショーがあるのか」
どうやら、トノサマンの特別ショーが明日、トロピカルランドで開かれる事を御剣はここではじめて知った。
「あ、もしかして御剣検事、見たいッスか?」
「な、何を言うのだイトノコギリ刑事!」
慌てて御剣は続ける。
「今、捜査に必要な情報を確かめていただけなのだ! それ以上の意味はないっ」
「またまた」
「それよりも、だ。妙なことがある」
照れを誤魔化すように、一つ咳払いしてから話題を変えた。
「何スか?」
「伊国めぐるの事だ。いまだに何の報道もされていない」
「そういえばそうスね。事件のこと、どこにも書いてないッス」
ロビーに置いてあった日売新聞や東都新聞を持ってきて、近くにあった机の上に広げるが、どこにもこのホテルで起きた事件に関してはのっていなかった。
警察が出動し、実際に殺人事件として捜査が行われたのだ。
それで、三面記事にすらならないなど、いくら何でもありえない。
「ホードーキセーってヤツッスか?」
「それだけではない。伊国めぐるの裁判も、いまだに行われていない」
通常、逮捕されれば翌日。そうでなくても翌々日に裁判となる。
10年以上前ならばともかく、序審制度が当たり前になった今ではそれが常識だ。
にも拘わらず、裁判を行う様子はない。
一応、留置所に留置されているようだが、御剣本人がそれを確認したわけでもない。
「やはりウラがあるとしか思えないな」
急に介入してきた公安の刑事、そして団財副局長からの圧力。
不自然なことだらけだ。
さらには、狼捜査官から知らされた、被害者の正体。
明らかに、何かが隠されている。
否、隠されたまま話が進んでしまっている。
「イトノコギリ刑事」
読み終えた日売新聞と東都新聞を戻してから、御剣は立ち上がり糸鋸に声をかける。
「とりあえず当面の方針としては――」
「なあ、アンタ達」
御剣が言葉を続けようとした時、話しかけられた。
「やっぱり昨日の検事さん達だよな?」
「キミは確か、警備員の荒井木さん、だったかな」
後ろから現れたのは警備員の制服を着た男――さきほどの平井泰六同様に、昨日の事件の関係者の一人である荒井木翔だった。
「ああ、その、アンタ達がいるって事はまた何かあったのか?」
「いや、少し平井さんから昨日の話を聞きに来ただけだ」
「そうか……」
そう黙り込む荒井木に、御剣が訊ねる。
「キミこそ、どうかしたのか?」
「ああ、いや。あの後に来た刑事たちに色々言われてよ」
「色々?」
「ああ、ここで起きた事件について余計な事は言わないようにって。いずれ、然るべき形で言うからって……もう、何が何だか」
顔色の悪い荒井木に御剣も「そうか」と同意する。
ある意味当然といえるが、やはり関係者の口留めも行われていたようだ。
「ったく、気に食わない連中だったぜ」
公安の刑事たちにいい印象を持っていないらしく、不快そうに吐き捨てる。
それから、少し間を置いてから、
「ああ、それで、何だ。その、昨日はありがとよ」
「ム? 何の事だろうか」
「オレへの疑い解いてくれただろ」
「いや、まあ。当然のことをしたまでだ。キミは無実だった。それが証明されただけだ」
ほとんど成り行きでやったことではあるが、彼と平井泰六への疑いを晴らした事には変わりはない。
「それで、これはその礼だ。受け取ってくれよ」
「いや、刑事にしろ検事にしろそういったものを受け取るわけには……」
そう固辞しかけたところ、差し出されたそれを見て固まる。
「これ、昨日の凶器ッスか?」
糸鋸が言うように、昨日あった事件の「考えるワトソン像」に酷似した代物だった。
「バッカ、違えよ。昨日話にあっただろ、作るのが遅れてるのがあるって。これがその3号だ」
英国人男性と少女のものだった1号、2号とは異なる日本人男性と思しきものだ。
「結局、1号と2号は証拠品だからって持ってかれちまったし、これだけオレが持っていても仕方がないしな!」
いや、まさかいらなくなったものを押し付けようとしているのでは――などと疑問が浮かんでいる間にそのまま持たされてしまった。
「じゃあな! まだ仕事が残ってるんでな!」
それだけを言うと、荒井木はそのまま立ち去っていってしまった。
「あ、待ちたまえ!」
御剣の静止も聞かず、荒井木はそのまま上の階へと向かってしまう。
「む、ムう……」
あとには、考えるワトソン像の3号だけが残される。
「御剣検事、どうするッスか?」
「い、いやまあこのようなアレは困るのだが、受け取ってしまった以上、どうしようもあるまい」
不承不承という様子で、考えるワトソン像を抱える。
「……まったく、とにかく話を元に戻すぞ」
ふう、と一つ息をついて仕切り直すように言う。
「それでは、ひとまずはさきほど言った通り、東都タワーに向かうぞ」
「了解ッス!」
糸鋸の言葉を背に、彼と共に再びホテルの駐車場へと向かったのだった。