某月某日 19時39分 警視庁前
GO-5号事件。世間一般には、杯戸ビル検事監禁殺人事件の名称で伝わる事件だった。
事件の発生は、10年前。発生場所は、その事件名のように杯戸町にある廃ビルで発生した。
検事監禁殺人、などというと検事を監禁して殺したように聞こえるが違う。
被害者となったのは、むしろ監禁した側の人間だ。
事件の発端となったのは、とある検事と当時15歳の少女が三人組のグループによって杯戸町の廃ビルに拉致監禁されたところからはじまる。
その事実を目撃した通報を受け、警察が出動。廃ビルを包囲しつつ、交渉を行うも犯人グループは金銭や逃走手段などの要求はなし。ただ、ビルへの突入等はせず何もしないことのみを要求。断った場合、人質となっている検事と少女を殺害すると脅した。
食料の要求すらしてこなかったこともあり、ビル内部に入り込む手段もなく、人質解放の交渉は難航――というよりも犯人グループはビル内に誰も立ち入らせるな、という要求をした後は交渉そのものを拒絶していた。
むろん、警察としてもはいそうですか、などというわけにも行かない。三日間が経っても交渉の糸口すらつかめずにおり、人質の状態や体力などの問題から強行突入が検討されていたころ、事件は発生した。
監禁されていると思しき部屋から煙が出ている。火災か、あるいは犯人グループが火をつけたのか混乱する中、一刻の猶予もなしと判断され強行突入が行われる。ところが抵抗らしい抵抗もなく、監禁部屋に到達。犯人グループの一人である男を確保。同じく犯人グループの一人である女が倒れているのを発見。人質の検事と少女も救出される。
これで事件はめでたく解決――とはいかなかった。この事件の被害者というのがまさに倒れていたという女。犯人グループの一人でもある女だった。
そして逮捕された男こそが、犯人グループの女を殺害した犯人と断定され、裁判で有罪判決を受ける。
その後の捜査で、被害者となった女は
動機に関しては、おそらく何らかのトラブルがあり仲間割れの末だろうと思われた。
なお、犯人グループ三人目のリーダー格の男もいたとされるが、混乱に乗じて逃走。今もなお行方がわかっていない。
(……これが、GO-5号事件の世間一般に流れている情報、か)
御剣は頭の中で、軽く調べたGO-5号事件の概要を整理する。
あの後、一度検事局に戻り、GO-5号事件について調べようとしたものの、SS-5号事件のように閲覧には制限がかかっており、詳細を知るには検事局幹部の許可がいるらしく、資料は手に入らなかった。
だが、事件自体はあの謎の通話相手が言っていたように世間一般にも公表されており、ある程度の情報は軽く調べただけで出てきた。
といっても、検事と一緒に監禁されていたという少女の名前に関しては当時未成年だったということもあり年齢と性別以上のことはわからなかったが。だが少女とは違い監禁されていたという検事の名前はわかった。
(裁井手紅、か)
この日の午前中に出会った元検事の弁護士。
彼女こそが、この事件の際に監禁されていたという検事の正体だった。
(やはり、あの通話相手の言うようにCI-6号事件とも関係があるのか。それとも……)
さらに言うのであれば、犯人グループが裁井手弁護士——否、裁井手検事を監禁していた理由に関しても、調べた範囲では出てこず謎のままだ。
犯人とされた男が被害者の女を殺した理由に関しても「仲間割れだろう」といった推測交じりのものがある程度だ。
(事件の資料を見ることができれば手っ取り早いのだがな)
どういうわけか、事件の資料の閲覧には幹部の許可が必要となっている。
そして、検事局の幹部から許可を求めれば十中八九、団財副局長にも伝わる。
そうなれば、事情を説明しなくてはならなくなりできることならば避けたいことだった。
そんな理由もあり、警察側の資料ならばと警視庁に来てみたところで、受付の付近で見覚えのある顔を見つけた。
「これは目暮警部。昨日ぶりです」
「おお、御剣検事」
そこにいたのは、昨日のシャーロック・ホームズ展で起きた殺人事件で出会った目暮十三警部だった。
(まあ、いても当然か)
むしろここは、彼の根城だ。
何をどう話すべきか――と思った際に、傍らに彼の部下と思しき女性の刑事がいることに気がつく。
そちらも御剣に気づいた様子で挨拶をしてくる。
「どうも、佐藤美和子警部補です」
「はじめまして。自分は検事の御剣と申します」
「あ、いえ。御剣検事とは既に一度お会いしております」
初対面だと思い、そう返したのだが佐藤は首を左右に振って否定する。
「ム。そうだった、でしょうか……?」
記憶に糸を辿りつつ、御剣は返す。
「あ、といっても私が警察学校時代のことでしたし覚えておられなくても無理はないかと」
「警察学校……」
「はい。その際にその、狩魔豪検事が特別講師として講演がありまして」
不意に出された師の名前に少し戸惑う。
そして彼女も、狩魔豪の事件については知っているためか、少し言いづらそうにしてから続ける。
「そこで御剣検事が付き添いとして来ておりまして」
その説明を聞き、かすかにあった記憶がよみがえってくる。
(そういえば、そんな事もあったか)
確か、まだ検事デビューしたばかりだった時期、師である狩魔豪が警察学校へと講演に向かった際についていった記憶がある。
「狩魔検事がどうしてまた、警察学校に?」
隣でやり取りを聞いていた目暮が疑問符を浮かべる。
「あー、えっと、その。私の前の代が色々と問題が起こしていた世代らしく、それで私の代の時は厳しくという方針だったらしくて。その一環で」
その説明を聞き、御剣も記憶が鮮明になってくる。
確かその講演会ではいつもの調子で、未来の警察官たちを相手に散々に脅しつけていた覚えがある。
「いつまでも学生気分でいるなー、とか。暢気に過ごしていると初任給でとんでもない数字を見ることになるとか、言われちゃいまして」
当時のことを思い出した様子で佐藤は苦笑する。
「今でも軽いトラウマですね。給料やボーナスが500円とか1000円しか振り込まれてないんじゃないか、とか妄想してしまいます」
「おいおい、いくら何でもそんな非常識な金額になるわけがないじゃないか」
「まあ、それもそうですけどね」
そんな風に笑いあっている二人を見つつ、御剣はその非常識な金額をもらっていそうな刑事を頭に浮かべる。
だが、すぐにそれを打ち消して話を切り出す。
「それはそうと、昨日の事件についてなのですが」
「ああ、あれから小田切部長や黒田管理官からも正式な通達がありましてな、公安に任せろと」
目暮からしても、いかに上の命令とはいえ自分の事件を横取りされるような真似をされるのは不快らしく、苦虫を嚙み潰したような表情をする。
「それって、昨日のホテルであったという事件のことですか?」
「ああ、何かしら上の方で動きがあったらしい。どうなっているのか、今の我々ではわからんよ」
佐藤の問いに目暮は返す。
(……ふム)
それはまあ、予想の範疇だ。
やはり捜査一課を事件から外し、介入されるのを嫌がっている。
彼から得ることのできる情報はあまりないだろう。
「ところで目暮警部。アナタはGO-5号事件についてご存じでしょうか?」
仕方がないので、もう一つの要件を切り出すことにした。
「GO-5号事件……?」
目暮は、急に出てきた事件名に困惑した様子だった。
「ええ、別件で調べる必要がありまして」
「うむ、確かにあれは、うーむ」
先ほど以上に、どこか苦々しげな様子だ。
「警部。どうかされたのですか?」
心配そうに佐藤がたずねるが、それを制し、
「いや大丈夫だ。ただ、あまり良くない記憶があってな」
「……それほど凄惨な事件だったのですか?」
「いや。 ……ああ、いえ。確かに痛ましい事件でもあったのですが」
凶悪犯罪を多く見て来た目暮であっても、思い出したくないほどの事件なのかと思いきや、それを否定された。
「事件そのものというよりも、その捜査の結果に苦い思い出がありましてな」
「何かあったのですか?」
「自分はこの事件を担当していたのではないのですが、当時の捜査一課の同僚から色々と聞いておりましてな。それに、御剣検事にとってはあまりいい気はしないでしょうが」
「何でしょうか?」
言いづらそうにしつつ、目暮は続ける。
「実は、当時の検事局や担当検事との意見が対立しておりましてな」
「検事局と……?」
「ええ。犯人の男性と、被害者の女性が裁井手検事を拉致監禁した理由などについて当時の捜査本部、そして捜査本部長だった吉本刑事部長はある事件との関与を疑っていたとか」
(ある事件、か)
ここでふとCI-6号事件のことを思い浮かべる。
(決めつけるのは危険だが、その可能性はあるな)
心の中でそう考えつつも、無言のままだ。
目暮はそのまま話を続ける。
「だが、結局、検事局はそれを否定。結局強引に押し切られる形でそのまま裁判は行われ――犯人とされた男に有罪判決が出た」
犯人がクロとされ、有罪判決。
警察としても、検察としても勝利、といっていい状態であるにも関わらず、目暮はまるで嬉しくなさそうだった。
「そのあと、何かあったのですか?」
佐藤の言葉に目暮は答える。
「判決からしばらくして吉本刑事部長は警視庁を去ることになってしまったんだ。しかも、それから暫くして吉本部長と親しかった刑事たちも順次辞めていった」
「まさか検事局から?」
「GO-5号事件が原因だったと断言はできん。だが、その刑事たちというのは吉本部長と親しかっただけではなく、検事局に反抗的だったとされる人たちでもあったからな」
当時のことを思い出しているのか、苦々し気な表情のままだ。
(確か、当時はまだあの男が検事局長だったはず。この件にも奴が何か絡んでいるのか、それとも……)
10年前の時点では、まだあの一柳万才が局長だったはずだ。
検事局から何かあったとすれば、彼が絡んでいないはずがない。
むろん、決めつけるわけにもいかないが。
「目暮警部。できましたら、当時やめたという刑事の連絡先を教えていただけませんか?」
「それは構いませんが……」
目暮から、当時やめたという刑事数人の連絡先を聞くことに成功する。
直接関わっていたという刑事たちから、何らかの情報を得ることができるはずだ。
無論、素直に話してくれたらという話になるが。
その後、礼を言ってから目暮らと別れここでふと自分の携帯電話に着信があったことに気づき、その相手にかけ直した。
「もしもし、イトノコギリ刑事か」
相手は東都タワーで別れた糸鋸だ。
『あ、御剣検事!』
「刑事。今、キミは東都ドームか」
『そうッス! カザミドリ刑事の姿も見たッスよ!』
「そうか。やはり、あのメモには意味があったというわけか」
被害者のオサツー・メグンダルが残したメモ。
その先にわざわざ公安の刑事が出向いているのだ。
「それで、何をしているのか分かったか?」
『それッスけどねえ、どうやら誰かの護衛をしているみたいッス!』
「護衛だと?」
意外な事実がでてきて、思わず御剣は聞き返す。
『そッス! 最初はその人のことを自分みたいに尾行しているのかと思ったッスけど、どうも違うみたいッス!』
「それで、その護衛しているという相手は?」
『うーん、それはまだわからないッス。自分も近づきすぎたら気づかれてしまいそうッスから、なかなか距離を詰められないッス』
「そうか」
まあ、尾行にばれたら元も子もない。
そのまま続けるように指示を出そうとしたが、
『けど、遠目でチラッと見えたッスけどどうやら外国のヒトみたいッスよ! 明らかに見た目が日本人じゃないッス』
「外国人、か」
御剣はそうつぶやく。
被害者のメグンダルはイギリス人。そのメモにあった以上、その関係者の可能性もある。
「わかった。引き続き頼む」
そう言って通話を終えようとした時だった。
『それよりも御剣検事、大変ッス!』
「どうしたのだ」
『自分、今日まで非番だから良かったッスけど、明日は仕事ッス! 御剣検事の手伝いができないッス!』
「そうか。それは付き合わせてすまなかったな。明日からは刑事としての職務に」
そうねぎらいの言葉をかけようとしたが、
『何言ってるッスか! 御剣検事の手伝いとなれば、これは立派な公務ッスよ! 課長に言って、明日も手伝うッス!』
「やめたまえ」
気持ちはありがたいが、大事にしたくはない。この件を探っていることをあまり知られたくないのだ。
「明日のトロピカルランドと東都スタジアムの件は私が何とかしよう。キミは刑事としての職務を全うするのだ」
『あ、もしかして御剣検事、明日のトロピカルランドのトノサマンショ』
ぷつり、と糸鋸との通話を終えた。
「……まあ、刑事にこれ以上迷惑をかけるわけにはいけないからな」
決してトノサマンショーのあるトロピカルランドの方は自分で行ってみたかったわけではない――と自分に言い聞かせながら、再び御剣は歩き出す。
すでに、時間も遅い。
先ほど目暮から教えてもらった相手に電話をするのも非常識な時間だ。これは明日にするとして、やることはまだある。
再び御剣は警視庁の外へと歩き出すのだった。
補足
本作で出てくる警察組織は警察局ではなく警視庁で統一しております。
原作で一柳万才がどのタイミングまで検事局長だったかは不明ではありますが、本作では10年ほど前までは局長だった設定にしてあります。