某月某日 7時31分 吉本探偵社前
「ここか……」
御剣が吉本探偵社の入っているビルを見上げる。
かつて、警視庁の刑事部長だったという吉本今清を長とする探偵社だ。ここも昨日行った裁井手法律事務所にも負けない都内の一等地だ。
一月の賃料だけでも糸鋸の給料の何ヶ月ぶんになるだろうか。
この中にいる一人の探偵と、この日会う予定があった。
昨日、目暮警部から受け取った連絡先の一人。GO-5号事件の後に、吉本刑事部長とともに辞めた刑事上がりの探偵だ。
そのうちの一人に連絡したところ、意外なことに応諾してもらえ、すぐにでも来るならばということでこの探偵社のあるビルにまで来たのだ。
(吉本元刑事部長とともに、探偵をしているとはな)
軽く調べたところ、元々吉本刑事部長と親しかった刑事たちの多くは、この吉本探偵社に勤めているようだ。
いかに吉本刑事部長が人望のある人物だったとはいえ、辞めてからも同じ職場に集まるなど少し異常といって良い。
吉本刑事部長にしても、将来の警視総監候補とまで言われていた大物だ。警察を辞してからもいずれは政界に入るのではと言われていた。
にも関わらず、突然追い出されるように警視庁を去った。
探偵という職業を軽んじるつもりはないが、彼ほどの男が歩むにしてはあまりに意外すぎる第二の人生だ。
(やはり、何かあるのかもしれんな)
そんな風に御剣が考える中、ビルの中に入る。
どうやら、吉本探偵社はこのビルの六階に入っているようだ。
「仕方がない。階段で行くか」
そう呟き、階段のある方へと向かう。
もう少し上ならば、多少我慢してでも苦手のエレベーターを使うのもありだが、六階であれば微妙だ。
階段をのぼっていく。
そして六階までたどりつくと、一人の男と出くわす。
体格こそがっしりとしているが、よれよれのスーツに覇気のない顔の三十半ばと思しき年齢の男だ。よく見ると小さな穴や切れ跡が見える灰色の背広を気にすることなく着ており、しかもネクタイも折れまがっている。だが身長は御剣よりも20センチは高く2メートル前後の体格の良さとは裏腹に、そのあふれ出る覇気のなさがそれを台無しにしている。
「……誰」
ぼそり、と呟くような言葉だ。
その無愛想な態度に少しばかり顔をしかめながら、御剣は返す。
「検事の御剣と申すものだ。朝早くに失礼する」
「ああ、先輩の言っていた。 ……そこで待ってな」
それだけ小声で呟くと、中へと入っていく。
やがて、中から先ほどの男と同じか、少し上くらいに見える男がでてくる。引き締まった体躯と眼光の男であり、ネクタイはしっかりと結ばれ無精ヒゲとは無縁のたくましそうな顎に、立派な口ひげを蓄えている男だ。
「俺は
「どうも、はじめまして。検事の御剣と申します」
「ああ」
大森はそう短く返す。
だが、決して友好的な空気は漂ってこない。
「まあ、さっきのやつのことは悪く思わんでくれ」
そう言って、先ほどの男が消えた先を顎でしゃくって見せる。
「アイツは
そう言ってから、無断で煙草を取り出して火をつけている。
頭の中で、目暮警部から聞いた名前の一覧を引っ張り出す。当時、捜査一課を辞めたという刑事のリストだ。その中に、この大森同様に名前があるのを思い出した。
「まあ、俺もアイツほどじゃないけど検事にはあまりいい印象はないんだがな」
そう言って煙を吐き出す大森を見て、御剣は眉間にしわを作る。
(どうやら、あまり歓迎はされていないようだな)
御剣が検事と知った上での発言だ。
よく思われていないのは明白だろう。
そこで手っ取り早く本題に入ることにする。
「それで、GO-5号事件について聞きたいんだったな」
「はい。何かご存じのことがあればと」
「ご存じ、ね」
どこか皮肉げに返される。
「まさか、検事さんにそんなことを言われるとはな」
「……何か」
幾分か悪意が混ざったように感じるその物言いに、多少不快げに返す。
「いや、何でもねえ。アンタが検事になる前の話だからな。検事に俺はいい思い出がなくてな。それに」
「それに?」
「本当は検事なんかに話なんてしたくはねえが、アンタはあの男をブチ込んだって話だからな。だから、義理立てとして話ぐらいはしてやろうと思ってきた」
「あの男?」
「元検事局長サマだよ」
「ああ……」
元検事局長にして、検事審査会会長の一柳万才。
どうやら、あの男にあまり良い印象を持っていないようだ。
もっとも、彼と関わってなおかつまともな人間であれば、それは当然といえるかもしれないが。
「そうですか」
別に、万才の逮捕は彼から情報を得るためにったことではないとはいえ、プラスに働いているのであればそれに越したものはない。
「ま、何だ。それなりに長い話にはなる。続きは下のカフェで話してやるよ」
一階にカフェへと移動した後、注文を終えてから大森が呟くように言う。
「何だ、アンタ紅茶を頼んだのかよ」
「……何か問題でも」
妙な疑問が出てきたことを怪訝に思いながらも、御剣は訊ねる。
「いや、今の検事局じゃあコーヒーが大流行だって聞いたからな。だからこそ、コーヒーが旨いって評判のこの店にしたんだがな」
「生憎ですが、それは一過性のブームに過ぎなかったようです」
一時期、とあるコーヒー好きの検事の影響でブームになっていた。
そして、注文したものを待つこともなく、御剣は訊ねる。
「それで、GO-5号事件についてなのですが」
「ああ、それでアンタどの程度知ってるんだ?」
「ほとんど何も。ですが、CI-6号事件と関係があると聞いております」
「CI-6号事件、か。あの時もその名が出てきてたな」
太々しい面構えだった大森だが、ここで苦々しい表情を浮かべる。
「その事件、というと。やはり」
「ああ、GO-5号事件だ」
そう言ってから、大森は続ける。
「言っておくが、俺もあの事件のすべてを知っているわけじゃねえ。だが、それでも高山のヤツと話す機会もあって取り調べだってした」
高山――おそらく、GO-5号事件で仲間殺しの罪で起訴された高山友美のことだろう。
「何であんな事をしたのかって聞いた際に、零しやがったんだ。あの検事に、裁井手元検事にCI-6号事件の事を聞くためだってな」
「裁井手検事に……」
つまりは、CI-6号事件の情報を得るためというわけか。
そのような強引な手段を執ったのは間違っても認めるわけにはいかないが、それだけの理由が彼らなりにはあったということなのだろう。
だが、そこで気になるのが一つ。
――CI-6号事件捜査団の者だよ。
そうあの連絡相手は言っていた。
CI-6号事件捜査団を名乗る謎の相手と、検事の強引な手段を使ってでも調べようとしていた一味。
何らかの関係があるのだろうか。
「背後関係を調べるためにも、裏取りをしようとした。そこで、検事局の方から圧力が来やがった」
「検事局から?」
「そうだ。吉本社長、ああいや刑事部長も抵抗してはいたんだがな」
当時のことを思い出しているのか、悔しさをその顔に滲ませている。
「だが、結局監禁に関しての動機も、事件に至るまでの背景も不明のまま起訴しやがった」
心の底から不快そうな様子だ。
「高山は裁判では何と?」
「少なくとも、裁判の最中にCI-6号事件の事を口にしたりはしてなかったみたいだぜ。まあ、内心じゃあ何を思っていたのかはわからねえけどな。時期的にはギリギリ序審が導入されてなかったけど、まるで序審裁判みたいにあっさりとしたスピード判決だったみたいだな。高山のやつもほとんど抗弁しなかったみたいだ」
「ということは、控訴なども?」
「当然してない」
少なくとも、裁判の時点で高山友美はそれを受け入れる気でいたということか。
それは、何らかの圧力なり取引によるものか。あるいは、警察や検事に対する失望からか。
現時点ではわからない。
となれば、直接会うべきか。
当然、口を簡単には開かないだろうが何らかの手がかりは得られるはずだ。
そんな御剣の考えを察したのか、先んじるように大森に言われる。
「アンタ、もしかして刑務所に高山の面会に行く気か?」
「ム……? そのつもりですが」
何か文句でもあるのかと顔をしかめる御剣に、大森は意外そうな顔をする。
「アンタ知らねえのか。まあ、いくら検事さんでも無関係の事件のことで一々報告が行ったりしないか」
「……どういうことでしょうか」
「高山友美は、既に刑期を終えて米花刑務所から出所している。十日ほど前の事だ」
「そうでしたか」
考えてもみれば、事件の発生は10年前。事件発生の後にすぐに捕まったのだとしたら、殺人だとしても刑期を終えていてもおかしくはない。
「それで、その高山友美はどこに?」
「俺が知るわけねえだろ。もう何の関係もない相手なんだしよ」
そう否定する大森に御剣は追求してみせる。
「その割に、出所する日時まで知っていたようですが。さきほどアナタが言っていたように、かつて関わっていた事件の受刑者。いえ、元受刑者であろうともわざわざ元刑事のアナタに連絡がきたとは思えないのですが」
「……チッ」
そう指摘すると舌打ちしつつも、大森は続ける。
「アンタも賢しい男だな。ああ、その通りだ。何度か、あの男の面会には行っていた。事件を調べ直すにしても、肝心のアイツの証言がねえとどうにもならないからな」
「高山は何か話したのですか?」
「何も話さねえ。それでそのうち、俺との面会すら拒否するようになりやがった。だからこそ、出所する日もヤツが出てくる時間に米花刑務所の前で待ち伏せることにしたんだ」
ずいぶんと苛立った口調だ。
そのまま、「だが」と大森は吐き捨てるように言う。
「ヤツは出てくると同時に迎えの車に乗ってどっかに行きやがった」
「迎えの車? 家族か誰かですか?」
「さあな。一応、ヤツには妻がいて逮捕されてからも離婚せずにいて何度か面会には来てたみたいだが……」
「そうですか」
御剣はそういってから、ふと思い出す。
「そういえば、裁井手検事の監禁事件には、犯人グループで逮捕を免れた者が一人いるようですが」
ああ、と大森は続ける。
「当然、その件に関しても捜査はしていたが、高山の起訴と同時に打ち切りだ」
当時のことを思い出したのか、忌々しげな表情だ。
「ですが、まったく情報がないというわけではないのでは?」
「……まあな」
大森が言葉を濁した。
「何か、わずかでも情報があるのであれば、欲しいのですが」
「……」
御剣の言葉に、大森は黙り込む。
そして、しばし考え混んでいた様子だったが、
「……わかったよ」
やがて根負けしたように、一枚の紙を取り出す。
「これが、当時の証言を元に似顔絵捜査官が書いたものだ」
「なるほど」
顔を見る。
外見的にはまだ二十代と思しき体格の良い若い男だ。
眼鏡をかけており、自信に満ちた表情をしているのがわかる。
(……ム)
だがここで、ふと既視感があった。
どこかで見覚えがある相手な気がする。
「どうかしたか、検事さん」
「いえ、何も」
だが、それが誰かまでは思い出すことができなかった。
「これはいただいても?」
「構わねえよ。それは大量にコピーがある。当時、それを持って聞き込みに回っていたからな」
「彼について、高山は?」
「そっちも何も喋ってねえよ」
ある意味、予想していた範囲の回答だった。
それから大森はふと気づいたように、腕時計を確認する。
「……ああ、そろそろいいか? 別件でこれから約束があるんだ」
御剣としても、おおよそのことは聞けたはずだ。
現時点で彼から手に入る情報はこのくらいだろう。
(……とりあえず、今聞けることはこの程度か)
そう思った御剣は礼を言ってから大森との会話を終え、カフェを出て行く。
そして、停めてあった真っ赤なスポーツカーに乗り込み次の目的地へと向かうことにするのだった。