これは猫の記憶のうちの一つ。
人間が大好きな猫の、苦しみの記憶……。
そもそも、前提として……この猫は普通の猫ではなく、怪異である。
異世界、異空間であるあの駅に物心ついた時からいたのだから、怪異で当然だろう。
それらは、基本的に人間を傷付け、屠り、取り込み、己の糧とする。
友好的な怪異など、この世にはどこにもいない。
そう、どこにも、いない。
この猫も当然例外ではない。
この猫が人間に友好的なのは、たまたま猫の形を成して生まれ、たまたま優しくされ、たまたま本能を抑える理性、知能を手に入れることが出来たから。
いくら猫が友好的であろうとした所で、怪異は怪異。本能は変わらない。変えることなど、出来ない。
本猫も、その本能に苛まれて生きることの覚悟はしていた……いや、考えが甘かったかもしれない。
猫は、いつか本能に打ち勝てると、傷付けずにいられると、そう信じていた。
(ほんとはむりなことだって、わかってた)
……。
しかし、その本能は駅にいた時よりもずっと強く、日に日に増して猫に襲いかかって来ていた。
怪異として"食事"をしたのはあれが最初で最後……猫の中の本能は飢えている。
(だってひとりじゃ足らない。おなかいっぱい食べたいよ……。)
本能は収まることを知らず、猫を苦しませ、狂わせていた。
人間は大好き。
(おいしいから?)
やさしくて、あたたかくて
(食べたい)
……どうしてそんな事するの?
(……してしまおう)
仲良くしたいだけだったのに……。
(やっぱり食べてしまえば……)
悲しいよ
(憎い)
(おなかすいた)
……すいてないよ
(食べたい)
だめだよ
(食べたい)
だめだよ……。
(食べたい)
だめなの……。
(もう我慢できない)
だめなんだってばぁ……!
(食べたい)
だめだよ、
(食べたい)
だめ……。
(おなかすいた)
……。
(はやく……!)
「だめなんだってば!!!!!!!!!!」
本能との無言の戦いに堪えきれず、ついに葛藤は声に出てしまう。
猫は強く手を床に叩き付け、頭を掻き毟った。
せっかくセットしてもらった髪が、乱れてしまった……。
仲良くなるために、人間が親しみやすくなるようにと手に入れた人の体。
息を切らしながらおもむろに鏡を見ると、そこにはとても親しみやすいとは言えない、酷い姿が映っていた。
猫はうぅ……と声を洩らす。
「これじゃ……仲良くなれない……。」
本能は飢えている。
だからといって、食べるわけにはいかない。
私には約束がある。託された願いがある。
それを破って、裏切るわけにはいかない。絶対に。
もし次同じことが起きた時は、もう二度と食べられないように、……を……して……れないように……………………。
記憶はここで途切れているようだ。