「さっきはすまなかった。私の名はエイド。エルダー王国海軍の者だ。君はこの島の者か?」
副艦長=エイド含む八人の兵士達は、眼前の半裸の少年の姿を物珍しげに見詰める。この海域には住人はいないとされていたため、この少年の存在は、かなり意外だった。
「俺の名前はルイだ。この辺りの海を縄張りにしている水の精霊だ」
「!? 精霊!?」
水の精霊、という言葉に一同は動揺した。人や動物の姿に具現化した精霊の存在は、一応知られてはいるものの、それに目撃したという情報は、ここ最近は全くといって良いほど無い。
彼らは基本的に人間との接触を嫌い、人間の住む土地にはまず住み着かないのだ。ただ最近、雷精霊の一種が、国内の各海岸に出没したという情報があるが、それが本物の精霊だという証拠はまだ出ていない。
一応この海域に精霊が居るという噂はあったが、そういうのは未開の地域にはありがちなので誰も信じていなかった。
「今度はこっちから聞くが、お前らは何者だい? こんな遠海に人間が来ること自体珍しいのに、更にあんなおかしな有様になってるし」
ルイと名乗った少年は動揺する兵士達に構わず、話の続きを始める。
エイド達はルイの言葉に信じられないとは思った。だが先程の見せた水の魔法から只者ではないと判断し、特に聞き返さずに質問に答える。
「・・・・そうか。ではお話ししましょう。と言っても、我々にも判らないことだらけなのですが・・・・。我々は海賊討伐の任を受けておりました。一月程前に、ある海賊の一団が、この辺りの海に逃げ込んだという情報があったんです。危険な魔獣を飼い慣らして、国を脅かしている厄介な奴らでして、それで精強の我々が出動したのだが・・・・」
「ああ、あいつのことか」
ルイはすぐに何かを思い出したかのような素振り見せて、答えを返す
「知っているので?」
「知ってるよ。船とその魔獣だけはな」
ルイの言い方に兵士達は怪訝な顔をする。
「十日ぐらい前だったかな。この海に船が一隻入り込んできたのさ。どこの船かなんて俺は判らなかったけど。あんまり関わりになりたくなくてしばらくは放っておいたんだが・・・・」
「何かあったので?」
ルイは首を横に振る。
「何もないから変だったんだよ。その船、それからずうっと動く気配が無かったんだ。ただ波に任せるままプカプカと浮いてるだけでさ、特に誰かに乗ってる様子も見えなかったし、ちょっと気になって近くに寄ってみたんだ」
「それで何が?」
「誰もいなかったよ。もぬけの殻さ」
「やはり全員殺されていたか・・・・」
“やはり”という言葉に気にかかりつつも、ルイは答えを続ける。
「殺されたかどうかは判らないさ。ほんと中には誰もいなかったんだから。甲板は荒らされてて血痕とかもチラホラあったけど、死体は何もなかったよ。中の方もほとんど誰もいない。荷物とかはそのままだったから略奪とかでもなさそうだった。まあ丁度良いから、中にあった酒とか金とか勝手に貰っていったけど」
精霊でありながらおかしな物に手を出す。精霊が酒を好むなどと聞いたことがない。伝わっている話では、人間の俗物を嫌っている印象があったのだが・・・・・・。
それはともかく、最初の船が無人だった話しには誰一人驚かなかった。今度はルイが質問を発した。
「それでお前達はどうしてこうなったんだ? 海賊にやられたか?」
その問いに兵士達は一時沈黙した。ルイが不思議そうに彼らを見ている中、沈黙はしばらく続いたがエイドリアンが最初に口を開いた。
「・・・・全く判らない。姿さえはっきりしない奴に船は攻撃された」
正直こんな今日会ったばかりの謎の人物に、あまり詳しく喋るのは軽率に思えたが、どのみち自分たちには何の力もない。とりあえずこの少年を信用しておく以外に選択肢はない。
彼が本当に精霊だというなら、もしかしたら帰還に役立つ力を発揮してくれるかも知れない。
エイドは航海に出て数日程たった日から起こり始めた出来事を語り始めた。
ある日船から行方不明者が続出したこと、見えない敵に襲われことなどを、曲解無く詳しく説明する。そして海上にいるのは危険と判断して、近くの島に緊急避難したと話した。
ルイもまたこれらの話に驚いたりはせず、無表情で話しを聞く。そして説明を終えたところでエイドからルイに質問をしてきた。
「あなたはここに長く住んでいるのでしょう。ここの海には昔からあんな奇怪な生き物がいるので? 一応魔物がいるという噂は、以前からあったようですが」
「いや、いない。ここにいる変な生き物と言ったら、俺以外ではでかいタコが一匹いるだけだ。あんなの俺も今日初めて見た」
「見た?」
「その変な奴、今日会ったぞ。朝辺りに向こうの林のなかでな」
ルイは自分が見たと思われる島の部位に指さす。エイド達は表情こそ変えなかった者の、冷や汗が垂れ始める。
「陸上にも上がれたのか・・・・。海上から離れたのは失敗だったか。しかしあなたはよくご無事で」
「いや俺何もされなかったし」
ルイは困ったふうに答えを返す。
「されなかった?」
「ああ、話しかけても何も喋らなくてな、しばらく睨めっこしてたら勝手にどっかにいった」
意外な話だった。エイド達は、あれは見る者全てを狩り殺す存在だと、盲目的に思い込んでいた。
「何故ですか? あなたが精霊だからですか?」
「そんなの知るかっつうの。人間を見るのだって数十年ぶりだってのに、あんな変な生き物が出てきて、こっちこそ困惑してるんだ」
エイドは理不尽なものを感じながらも、ルイの言葉に納得せざる終えなかった。寿命のない長年の精霊でも知らないことを、人間の自分たちが知れるとも思えない。
「あんたらはこれからどうするんだ?」
「それなんですが・・・・ルイ様にお願いしたいことがあります。あなたの水霊の力で我々を国に帰していただけないでしょうか?」
エイドは彼に望んでいることを、単刀直入に申し出る。
ルイは難しい顔をして考え込む。彼は別にこの頼みを嫌がっているわけではない。
「帰せって言われてもな。俺はあんたらの国の場所なんて知らないぞ。そもそも最後に人間に会った場所がどの方角にあったかも忘れたしな」
「それならば大丈夫です。方位磁針も手元にありますし、航海術の手ほどきも受けていますから」
「あんたらの船に小舟とかはあるのか?」
「ええ、もちろん」
「ならいいぞ。後で礼はたっぷり貰うがな。極上の酒をたっぷりもらうぜ」
ルイの了承の言葉にエイド達は大きく喜んだ。
ルイとエイド達は砂浜に座礁した軍艦に戻ってきた。もちろんあの大きなカルガモも連れている。
だが軍船の様子は、先程ルイが見つけたときとは大分様子が違っていた。
「これはいったい・・・・?」
船の下層部には無数の穴が空けられていた。一つ一つは握り拳ほどの大きさだが、それがいくつも蜂の巣のようにポツポツとついている。穴の周囲は強い熱を受けたのか焼け焦げていた。
また船底にある竜骨が一カ所大きく破壊されていた。恐らくこの船は二度と海に上がることはできないだろう。
この惨状にエイド達はただ呆然とした。カルガモだけが呑気に地平線を眺めている。
「さっき俺が来たときはこんなじゃなかったぞ。これも例の謎の敵か?」
「この島で、我々以外に誰かいるとしたら、それは奴だけです」
もともとこの軍船は乗り捨てる予定だった。気を取り直して、彼らは船に上がり込んだ。小舟を探すためである。
国に帰る方法はただ一つ。乗員達を小舟に乗せ、それをルイに運んで貰うことだ。
別に馬車のように引っ張ってもらうわけでない。ルイの魔法を使って、船底の水を操り、スケートのように高速で海を駆けるのだ。
人になれる程の力を持った精霊の魔力があれば、その速度はこの世界の人間が作り出したいかなる船を凌ぐ。精霊の御技である。その速度ならば二日もあれば王国に帰還できるだろう。
甲板に上がった一行は、またもや驚愕させられることとなる。
何かがあったわけではない。何もなかったから驚いたのだ。
「ルイ様が来たときは・・・・」
「あったぞ。何十人ものお前らの仲間の死骸がな」
朝ルイが来たときは、あれほどあった乗員の死体が全て無くなっていた。
見たところ一人残らずである。転がった武器や大量の血痕が、あの惨状が幻ではないことを証拠づけていた。
「これもその透明怪人の仕業だと思うか?」
「そうなのでしょうが・・・・一体何のために?」
「まあ何だっていいや。小舟もぶっ壊れて使えそうにないし、別の手を考えるか」
ルイは甲板の一点を見やる。そこには緊急避難用の小舟が無残にもバラバラの状態で散らばっていた。
「別の手とは? 何か考えでも?」
「この島の木で新しい船を造るんだよ。イカダみたいな簡単な物でもいい、海の上で人が乗れて浮かぶ物なら俺の魔法でなんとかなる」
「しかしそんなことをして奴らに気づかれたら・・・・」
「その必要はないよ。残念ながら」
「残念?」
ルイの奇妙な言い回しに、エイド達は首を横に曲げる。
「最初に言うが、俺が何を言っても絶対に動くなよ。もちろん顔の向きもだ」
「・・・・? 判りました」
ルイは表情を変えずに喋り始める。
「あいつら俺たちの居場所にとっくに気づいてる。というか今現在監視中だ」
「なんですって!?」
エイドは反射的に、ルイとの約束を破りそうになる。
「動くなって言ったろ! 変な反応すんな!」
周囲を見渡そうとしたエイド達を、ルイは静かな口調で一括する。そして落ち着いて話しを続けた。
「俺は人間よりも感覚が鋭いから判るんだ。遠すぎて今は判らないが、多分俺の真後ろの方角の林の中に一人いる。林の中を歩いてきた辺りから、ずっとつけてきてるぜ。僅かな殺気と血と潮の臭いがついていたから、すぐにわかった」
林の方角に目を向けそうになったのを何と堪えて、エイド達はルイの僅かに強張った顔を直視して硬直する。
「何故ですか? 何故奴は襲ってこない?」
「そこまで判るかっての。俺という異分子が入ったことで警戒しているのか、もしくはただつけ回すのが好きな変態か・・・・・」
「いったいどうすれば・・・・?」
小声で会話する二人に、他の乗員達は怯えた表情を現しながら聞き入る。
「とりあえず今は気づいてないふりをしろ。近くによれば奴の気配はすぐに判る。俺がどうにか、あいつの居場所から逸れる場所を歩くから、お前らは俺の後をついてこい。それと船の中に食料と使えそうな縄とかがあったら持ってきな」
いつのまにかルイが全員の主導権を握っていることに特に文句はなく、乗員達は全員その指示に頷いた。
一行はルイを先頭に砂浜を一列に歩く。エイドは敵がまだ近くにいるのかルイに問おうとしたが、すぐに思い直す。敵が言葉を解せる存在だった場合、会話で気づかれるかもしれない。
やがて最初にねぐらにしていた場所とは、大分離れたところにある林の中でルイは足を止めた。そしてようやくルイが口を開く。
「大丈夫だ、あいつはもういない。途中までついてきてたが、引き返していった」
緊張で固まっていた一行は、一気に肩が軽くなるのを感じた。
「休んでる暇はないぞ。今すぐ作業開始だ。完成次第、あいつらが追ってこれない速さで海を走る」
そういってルイは近くにあった手頃な太さの樹木に手をかざす。掌を真っ直ぐ手刀の形にすると、掌が薄い水の膜で覆われる。
ルイは無言で樹木の幹に手刀を振るった。水の魔力で増強された手刀に、幹は野菜のように簡単に切断された。あまりの切れ味に、樹木が音も立てずに倒れ落ちていく。
「何してる? さっさと枝を刈り取れ!」
あまりに見事な魔法さばきに、エイド達は一瞬あっけにとられたものの、すぐ言われたとおりに作業を開始した。
その間にも、ルイは次の樹木を切り倒していく。
使えそうな分を切り終えると、ルイもエイド達の作業に参加した。巧みな手刀さばきで枝を次々となぎ払い、丸太同士がきちんと繋ぎ合うように幹の各部を削り、形を整えていく。
やがて船から持ち出した縄で縛り上げ、驚異的な速さでイカダは完成した。この結果に乗員達も驚きを隠せない。
「さてさっさと海に運ぶぞ」
これを聞いてエイド達はイカダを押して海に運ぼうと、イカダの背に集まり始める。だがそれをルイが止めに入った。
「まあ見てな」
ルイはイカダの一部に手を触れた。エイド達が不思議に思ってみていると、突然イカダが浮き上がった。
「これは・・・・水に浮いている?」
イカダと地面の間には平面上に広がる大量の水があった。それは常識的な物理法則を無視し、その場所に入れ物のない水槽ができたかのように存在していた。
イカダはその上に、普通に海面に置かれたように浮いているのだ。
「行け」
ルイがイカダをどんと押すと、不可解な形で存在している下の水が急速に増えた。それは海の方角に向かったイカダの前方を、河川のように真っ直ぐに伸びて広がり、あっというまに海に到着した。
その細長くなった水面を、イカダは激流に呑まれたかのように走り出す。雪山のソリのように走り出したイカダは、あっというまに海に到着した。
その途端イカダを運んだ水の魔力が解けた。地面の上に出来た河川は一気に崩れ落ちる。バチャン!と音が聞こえると、地面には直線上に広がるただの水たまりができていた。
イカダは今までのことが無かったかのように、海の上にプカプカ浮いていた。
「ここまで水を自在に生み出し、操れるとは・・・・・・」
エイドはルイの魔法の腕に、透明怪人とは別の意味で驚愕した。
我に返った乗員達は次々とイカダに乗り込む。ルイもウミガメの姿に戻って海に飛び込んだ。これを見てようやく、ルイが精霊だという話が真実だと、皆が理解できた。
何はともあれ出航である。