吸血鬼くんの生きる知恵   作:zok.

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【吸血鬼の弱点】
・焼却
・太陽の光
・杭で打ち抜く
・十字架やロザリオ、聖水
・銀の弾丸
・ニンニク

参考文献:カラー版徹底図説幻獣辞典(新星出版社、2009)
幻想生物 西洋編 (Truth In Fantasy) (新紀元社、2010)
ニンニクの絵本(農山漁村文化協会、2008)






吸血鬼くんのサバイバル術

 

 二郎系ラーメン。あれで俺は盛大にゲロを吐いた。なぜなら、吸血鬼である俺にとって毒劇物であるニンニクがこれでもかというほど入っているからだ。

 悪いのは二郎系ラーメンそのものではない。原材料であるニンニクである。

 

 入店するやいなや立ち込める、質量を持ってこちらにぶち当たってくるかのようなニンニク臭。俺達は全身をもってして受け止めた。

 人間の友人たちは顔を輝かせて興奮するが、いっぽう吸血鬼である俺にとっては、人間的表現で毒ガス部屋に「死ね」と突っ込まれたようなものだ。これはホロコーストのアウシュヴィッツ収容所(人間界に来てから、大学の授業で学んだ)も真っ青の惨事だろう。

 何度も言うが、悪いのはニンニクである。

 

 しかし、店内でそのような拷問的食事を残すことは禁忌とされているらしい。し、友人たちも周りの客もあんまり旨そうにラーメンを食うので、俺はその時、根性で一杯を完食した。ラーメンが通過した俺の粘膜は爆発しそうなほど発熱し、電撃のような刺激感をともなって、五感や平衡感覚が狂うという急性で重篤な症状を呈した。

 

 そもそも吸血鬼は疾病や感染症というものがなく、人間にとっての毒劇物は基本的に効かないし、人間よりはるかに長寿である。それでも死にかけたというわけだ。もういちど人間的表現をするならば、まさに三途の川に膝まで入った感覚があったと言えよう。

 

 ちなみに、間違っても俺は「雲の隙間から光が差し込み、天使がぱたぱたと舞い降りる」などというキリスト教めいた表現はしない。キリスト教といった聖なるものもまた、俺たち吸血鬼が嫌うものである。

 

 そして、そんな苦労をみじんほども知らぬ友人たちと別れてすぐ。駅前のスナック店の側溝で、俺は冒頭に述べたように盛大に嘔吐した。通行人のひんしゅくを大いに買ったのは言うまでもない。

 

 

 

 それが数日前。俺はその間、ずっと自宅で寝込んでいた。

 濡れたアスファルトが白い電柱の灯りを鈍く反射し、地面は暗闇に浮かぶ曇りガラスのようになっている。霧ともつかない小雨が降っているが、傘をさすまでもない。というより、リュックサックから折りたたみ傘を取り出す元気もない。空腹でへろへろの俺は、夜道をよちよちと歩きながら、手のスマホを漫然と眺めた。

 画面に映し出されているのは、人間界でのコミュニケーション学習教材こと“LINE”である。

 

 青空の背景には、横へ長い白吹き出しが縦方向に羅列していた。今日一日大学で一緒に活動していた友人たちである。その内容を斜め読みすると、誰かが流したURLの面白動画に皆が反応したり感想を述べたりして盛り上がっているようだ。何人も繰り返す「w」の単語は、口語ではなく文章的表現であること、意外とたくさんの意味を含んでいるということも、このツールによって学んだことである。

 人間の友人たちは昼夜逆転、まさに吸血鬼的生活リズムのメンバーも少なくないので、LINEは24時間駆動ツールだ。俺はこうして起きてから眠るまで、手軽に人間界でのコミュニケーションを学ぶことができる。

 

 俺は右手の親指でちょこちょことLINEの画面をスクロールし、思案する。どうやら動画に対してまだ発言していないのは俺だけか。

 会話の流れに沿っていて、端的で、当たり障りがなく、それでいて「お前ほんとうに動画観た?」と突っ込まれないような文章はなにか。寝込んで溶けかけの脳みそが火を吹くんじゃないかと唸るほど考えた末、前の人のメッセージを少しアレンジして「観たー。めちゃおもろいわw」という風に発言しようと決めた。

 俺のメッセージは、しゅぽ、と爽快に脱糞したときのような音で送信された瞬間、便所に流れるように素早く、はるか上方へ飛んで行った。 

 俺が数分かけて考察した珠玉の返信を、友人たちはたったの数秒で、より簡潔な言葉で喋り抜く。俺はため息をついた。

 流れていく会話の中へ、俺を嘲るように、いや本人は俺を嘲る気はまったくないのだが、LINEには有名アニメのキャラクターのスタンプが誰かによって放り込まれる。「w」だけでなくスタンプもまた、LINEでの会話を簡略化させたり、逆に複雑化させる変数である。

 

 人間のコミュニケーションをマスターするのもまだまだか。俺は曇天の夜空をあおいだ。うら淋しい秋の暮れそのものが降っているような、冷たい湿り気を顔いっぱいに浴びる。

 普段なら非常に興味深いこのツールも、俺の好奇心は満たせたって腹を満たしてくれないし、傷を癒してもくれない。

 俺の体は二郎系ラーメン、正しくはニンニクでぼろぼろである。病み上がりというわけだ。石のように強張った肩へ薄っぺらいリュックサックが容赦なくめり込む。こめかみに響く鈍痛で路上へ頭から落下してしまいそうだ。帰宅まで意識が持つかどうか自信がなった。

 

 自宅にたどり着くまでには、この駅前のスナック通りを抜けなければならない。明るく華やかな電飾が、余計に俺を憂鬱にさせる。夜は吸血鬼の活動時間ではあるが、やっぱり自然の月明かりの方が体には優しい。まるで叩きつけるように強烈な人工の明かりも、俺は得意ではなかった。

 

 空腹できゅうと腹が鳴った瞬間、ふと、俺の鼻が微小な化学成分をキャッチする。全身が総毛立ち、己の瞳孔が広がるのを感じた。人間らしく米やパン、麺で胃を膨らませ、満腹感を騙していても、俺の体はやはり本来の主食を忘れていなかった。

 ――血液だ。それも若い女の。

 

 反射的に歩みを早めた。小舟が白波をたてて水上を走るように、俺は通行人をかき分けて進む。多少ふらつくが、目的地を見失わないように神経をめぐらせて血液の匂いをたどる。ときどき、どこかのスナックで出されているだろう肉料理や焼き鳥、焼肉の匂いは一瞬だけ血液の匂いと間違えそうになる。それでも日本人が同じデンプンであるタピオカではなく米を好むように、俺は肉ではなく、血液を好むのだ。

 

 スナック店のカラフルな看板やのぼりが、視界の端をぐんぐんと流れて行く。グループLINEにおいて上へ上へと流れていく他愛ないメッセージが頭をよぎった。どこかで出されているニンニク料理の匂いに再び吐き気を催した。数秒息を止めて、苦い唾を嚥下して、耐えた。

 人間界の若者と同じように長く伸ばしている俺の前髪は、濡れて額に張り付く。シルバーではなくゴールドの安物のリングイヤリングが耳元でちゃりちゃりと鳴る。同じ色のネックレスが首元で跳ねている。

 雨を含んで重くなった黒のワイドシルエットのパンツも、無骨なデザインのスニーカーも、すべて人間界のインターネットやファッション雑誌を読み、真似たものだった。けれど、それは特別なことではない。歴代の吸血鬼は人間に溶け込むためにチョンマゲを結い、着物や袴を着こなし、刀を腰に携えたという記録もある。

 

 日本の和食にはニンニクが入っておらず、銀の弾丸どころか銃刀法により銃さえ持てず、なキリスト教徒も少ない。だから吸血鬼にとって天敵のいない世界だと、吸血鬼の間では考えられていた。

 だから、かつての吸血鬼が侍と肩を並べて城下街を闊歩したように俺は人間の、さらに言えば若者に馴染まんと男子大学生のグループでつるみ、好きなだけ酒や煙草を喫し、夜を練り歩きながら過ごしてきた。

 

 結論から言うと、人間の若者らしい生活というのは俺にとって悪くなかった。蝙蝠の姿になって寝床に侵入し、人間界でいう泥棒のようにこそこそと吸血するより、堂々と若者に化けて生活する方が、それなりに刺激があって楽しいのだ。

 ただ、盲点は、日本人の人間はぜんぜん肌で触れ合わないことだ。

 別の国では「ハロー、会いたかったよ、機嫌はどう?」と挨拶として抱き合っているうちに、さりげなく首筋を噛むことも容易いだろう。でも、日本の挨拶はあっさりしすぎていて、これでは血液を得る機会がない。ちなみに、加えてニンニクは意外と食事に入っている場合が多い。よく不意打ちを食らう。

 どんなに人間のふりをしていても、やはり俺の肉体は吸血鬼なのだ。この生活も限界か、という考えが頭をよぎる。

 

 息が上がり切ったとき、血液の匂いの元へ辿り着く。どこまでも続いていそうなスナック街の雑居ビルの隙間に、こぢんまりとしたドラッグストアがある。緑の蛙とオレンジ色の象のばかでかいフィギュアに挟まって、「わたしも企業キャラクターです」と言わんばかりに、若い女がしゃがんでいた。

 彼女は酔っぱらった虚ろな目でレモン酎ハイのロング缶をかたむけ、スマホを親指でこねくり回すように弄っていた。最近はやりの色付きマスクを顎までずり下げていた。俺がぴたりと足を止めたのに女は気づいて、こちらへ視線だけ向ける。

 

 例えば人間が蝙蝠の愛くるしさが分からないように、俺は人間の美醜を判別できない。それでも俺の経験によると女は美人の部類で、年齢は俺の外見と同じ大学生のようだ。というか、俺の通っている大学の同級生にいたような気がする。

 女のダボついたパーカーにスウェットという寝間着のような服装は、雨でまだら模様になっていた。その恰好は形式ばっていないもので、誰かに会うためというより、ふらっと家から出てきたのだということを俺は学習していた。

 

 女はロング缶を握りしめたまま、まぬけた感じで口をぽかんとあけている。肉色の舌と白い歯が覗いていて、その唇は薄い色のリップを塗っているにも関わらず、縦にひび割れて出血していた。固まった血が線状に盛り上がっている。乾燥して荒れているのだ。

 良心的な人間を演じるならば、そもそも見て見ぬふりをして、何もせず通り過ぎるといった行動が適切だろう。

 けれど、目の前に血液があるのだ。――血液、血液! 俺はそのことで頭がいっぱいで吸血鬼的思考と人間的思考がせめぎ合い、それらが混ざり合った文句を口にしていた。

 

「あの、キスして、くれないか」

 

 やっちまった。その時の俺も、とんでもなくまぬけな顔をしていたに違いない。そして彼女はぽかんとしたまま相槌を打った。

 

「え、はぁ」

 

 彼女が言い終わるより早かったかどうかは微妙だ。俺は膝を折って屈みこみ、そのぷりぷりとした形の唇に己の唇を重ねていた。

 学習教材としてAVで観たような、互いの口がそんなに美味なのか、と思うほどの貪りあうような行為ではない。ただ唇どうしが触れ合うだけだ。それでも、必要な栄養を摂取するには十分だった。

 

 ――うまい!

 雨に濡れるのもかまわず、俺は喉を反らせて喘ぎ、呟いた。二、三度、肺いっぱいに空気を取り込んで『生きていること』を実感した。器に水がたっぷりと満ちていくように、顔が紅潮していくのを感じる。

 何度も唇を舐めて、残さないよう親指を腹でしごいて、後味もやっぱりうまくて、思わず表情が複雑なものになっていたに違いない。栄養を無駄なく摂らねばという真剣みと、栄養が摂れる喜びが混ざったものだ。

 

 実をいうと、前戯だとか愛の確認だとかではなく(人間はどうしてそんなに面倒な手段でコミュニケーションをするのだろう、一言断れば済むのに)、栄養摂取が目的ではあるものの、これが初めての人間との接吻だ。女の唇というのは、こんなにやわらかきものがこの世に存在していいのかと思うほど、ふんわりとしたものであった。

 

 だが、感触などどうでもいい。そんなことより、主食である血液はあまりにも甘美だった。

 俺はじりじりと中途半端に後退すると、その場でへなへなとくずおれてしまった。尻に雨が染みこみ、パンツまでぐっしゃりと濡れる。金玉の裏がひんやりとした。

 

 手を伸ばせば届く距離で、きょとんとした酔っ払い顔の彼女はこちらを見下ろしている。彼女の髪は湿気でうねっているが、スナック店の電灯を透かしてピンクブロンズに輝いていた。

 彼女は髪を首の動きで払いながら、「え、こんなんでいいの?」と言わんばかりに唇を指でぷにぷにとつついている。

 

 彼女の思考が一瞬わからなかったが、しばし考えて「なるほど」と胸の中でポンと手を打つ。彼女はキスの見返りを必要としているのか。確かに挨拶もせずキスしてくれ、なんて無礼な行いだった。「お忙しいところ恐縮です、この後お時間よろしければ大変お手数をおかけしますが……」と前置きが欲しかったに違いない。

 

 謝礼金としてこの場で財布の中身を渡してもいいが、彼女は雨に濡れている。恩人であるから、せめて髪や服を乾かしてから金を持たせ、傘を貸して帰らせるのも悪くない人間的対応だろう。もし彼女が疲れているようなら朝まで眠らせてやってもいい。かつてチョンマゲを結った吸血鬼は、侍どうしで打ち合いの協力のお礼に米俵や刀剣を贈り合ったとかいうのだから。

 

「じゃあ、ちょっと夜遅いけど」夜遅いのは吸血鬼の生活にとって当たり前であるのだが、ふつう人間は夜に眠る生き物だ。夜遅いけど、という文句は正常な人間のイメージを与える、と俺は学習していた。

 

「ちょっと歩けば俺の家があるから、あがっていってくれ。礼をする」

 

 打ち合いの協力の後は贈答品を送りあうらしいが、キスをした後はどのようなやりとりをするのが正解なのだろうか。AVではすぐにセックスを始めていたけれど、それはベッドの上だったからだ。路上でのケースは教材にはなかった。様々なケースに対応する教材が欲しい、と吸血鬼界キャリアセンターに後で意見を送らねばならない。

 

 真剣な面持ちで返事を待つ俺を前に、彼女はもともと開いている口を余計にあんぐりさせた。

 

「え、えぇ――!?」

 

 雨は相変わらず降る。俺と彼女をドラッグストアの店内灯が無機質な白に、スナック店のネオンが下品なピンクに照らしていた。

 

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