女子大生、星野玲美《ホシノレーミ》は幼い頃から唇の荒れに悩まされていた。もともとそういう体質なのだ。
猫のようにぱっちりした目や主張のない控えめな鼻筋、バランスの取れた丸い輪郭は正直、かわいい方だと自覚している。でも、唇がえげつないほど最悪なのだ。
レーミが幼稚園や小学校の頃は「オバQ」や「キン肉マン」と男子に馬鹿にされ(例えが古すぎないか)、中学、高校では必死にドラッグストアでリップクリームを買い漁っては塗りたくった。どれもことごとく失敗に終わったから、今も悩まされているわけだけど。
一応、マスクをしていれば顔つきは多少マシになる。唇さえ隠していれば、街のショーウィンドウに映る自分の顔にも満足できるし、路上で声をかけられることだって少なくない。ご時世もあいまって、マスクはいつだって外せないものになっていた。
大学生になってから髪も明るく染めたし、メイクも上手くなったし、好き放題にブランドものを着るようになったけれど、マスクの下の唇は「オバQ」だとか「キン肉マン」のままだった。
この唇さえなければ、わたしは完璧だったのに。そう思いながら、色が濃くてマットなテクスチャのリップティントを選ぶ。イヴ・サンローランもM•A•Cもディオールも、唇の厚ぼったさと荒れ、出血は覆い隠せなかった。
コンプレックスの塊である唇を見せるより、股を開いた方がマシだとレーミは硬く決めていた。元彼とのセックスもマスクをしたままだったから、当時は「そういうのもアリっちゃアリだけど」と曖昧に笑われたものだ。優しかった彼の心の内は、だいぶ盛り下がっていたに違いない。
それでも、
秋の雨がしとしと降る深夜の、スナック街にあるドラッグストア。缶の酒と強肝剤、コンドームが目立つ店内で、流行りのピンクベージュの二十枚入りマスクを手に取った。顔が小さく見えるように輪郭とぴったり沿うサイズ、肌がくすんで映らない明るい色味、さまざまなマスクを試して計算し尽くし、たどり着いた珠玉の商品。
ドラッグストアの店内に、かわいいゼリーみたいにポップな手書きの文字と、似たようなのがどこにでもいそうな安っぽい店舗キャラクターの商品広告が、あちこちで踊っている。無機質な店内装飾に似合わない。白いLEDの店内灯が、作業的にレジへ向かうレーミを照らす。
レジ列では、前に並んでいる女性客がドラッグストアコスメのリップティントを手に持っていた。レーミが使っている高級なデパートコスメとは比べ物にならないくらい安価な、プチプラ商品。その女性客はお世辞にも美人ではなかったが、マスクは着けておらず、唇は整っていてぷるぷるに潤っていた。
次の方どーぞ、とレジ操作をしながら気だるげに発声する店員。レーミはマスクをレジ台に叩きつけた。ついでに、並ぶ前に掴んでいた、アルコール度数の高いレモン酎ハイのロング缶も。
だん、と意外と大きな音がしたが、普段からこういった客を相手にしているのか、店員は気にしていない様子だった。
そんなレーミが二十一年間かたくなに死守してきた「オバQ」「キン肉マン」的な唇を奪われるのは、ここから間もない出来事だ。
ちなみに、奪ったのは人ではなく、吸血鬼である。