「うーん! 田舎だね!」
「灰原、そういう事はあまり大声で言うものではないですよ? まぁ今は車中なので構いませんが、こういう気の緩みは外でも漏れるものです。……産まれ育った土地への愛着というものは、その土地が『変化に乏しい』方が肥大するものですから」
「……確かに、昔からずっと同じ風景なら愛着や思い出も形成されやすいですよね」
「確かに失言だったかも! ごめん! ありがとう七海!」
なんて会話を交わしつつ、補助監督の熊谷が駆る黒のセダンで仲良く3人移動しているのは、呪術高専東京校の灰原、七海、そして伊地知。
彼らは今日この日、和歌山県の南部、いわゆる紀南地域を訪れていた。
「……さて熊谷さん、今回の案件ですが、呪霊の影響と思われる霊障を受けた住民が複数人発生でしたか。その割には死者は発生していないんですね?」
「ええ。あくまで呪力に当てられての影響と思われます。被害者はいずれも集落を流れる川沿いの住人ですね。被害の規模から本件は二級呪霊によるものと判断され、おそらくは河川流域に存在するものと思われます」
「なるほど。……まぁ川は得てして恐怖の象徴たり得ますからね」
「三途の川とか、あの世の象徴みたいな所もあるしね。水難事故のイメージもあるし」
「今回は伊地知くんの実地訓練も兼ねていますから、まずは残穢を追って呪霊を捜索するところから始めましょうか」
「は、はい!」
「まぁ、気負いすぎないようにね! 3人で力を合わせて頑張ろう!」
などと車内で情報交換を行いつつ、山道を進む事しばし。問題の集落に到着した一行は、目に呪力を込めて残穢の捜索を開始した。
「熊谷さん、遅くとも1時間程で一度此処に戻る予定で行動しますので」
「承知しました。お気をつけて!」
「行ってきます!」
「い、行ってきます」
なんてやり取りの後、とりあえず被害のあった川の流域を訪れてみれば、水に沿って流れ続ける残穢がかなり色濃く見えてくる。
「うわぁ……コレは酷いですね」
「情報通りですね。川からの呪力で住民に被害が出ているのは確定で良いでしょう。後は、この残穢の元を辿って呪霊を祓えば任務は完了です。とりあえず、上流に向けて川沿いを行きましょうか」
「油断せずに行こうね伊地知くん!」
「は、はい!」
と、思いの外早く手掛かりを得た彼らが、流れに逆らうように河原の藪を漕ぎつつ移動する事しばし。上流の山中にまでやってきた彼らが目にしたのは、呪力で強く汚染されて澱んだ『深淵』だった。
「コレは……思いの外呪力が濃いですね。二級との話でしたが、準一級に近いかもしれません。淵の近くにまで寄らないと詳しい事はわかりませんが……」
「少し結界っぽい感じもするね。もし本当に結界なら七海の言う通り、準一級以上かも」
「ヒッ、だ、大丈夫なんですかそれ」
「呪霊の等級認定のブレは時々あるんですよ。……そうですね、念の為、帳を張る前に熊谷さんに連絡を入れておきましょう。伊地知くん、衛星電話は君に持ってもらっていましたね?」
「あ、はい、コレですね」
「では、熊谷さんに連絡を。呪霊の等級がおそらく準一級以上である旨と、今から呪霊の討伐を開始する旨を伝えてください」
「分かりました……! ————あ、あの。もしもし。熊谷さん。はい、到着しました。呪霊の等級がおそらく二級ではなく準一級以上————あれ? 熊谷さん? もしもし? もしもし?」
前触れもなく突然切断された通話に、困惑する伊地知。そんな衛星電話ではまずあり得ないその挙動に対し、迅速に対応したのは灰原だった。
「臨兵闘者皆陣列在前ッ! 防御結界! 七海ッ!」
「気取られましたかッ!」
『深淵』を基点として周囲の山中を覆う様に展開された呪霊の『領域』。生得領域をただ展開するだけのシンプルなものではあるが、外界から七海達3人を孤立させる為にはこれ以上ないほどに有効だ。
そんな領域の展開と同時に、それに対抗するべく即座に展開された灰原の結界に激突するのは、黒い靄の様な呪霊の吐息。さながらゲームなどでよく見る『ブレス攻撃』の様なその吐息の主は、西洋の伝説における『ミノタウロス』の様な姿をしていた。
「七海、この息、結界でとりあえず防げてるけどマズいんじゃない?」
「十中八九、毒でしょうね。息の掛かった範囲の草木が枯れていますし。それにしても、牛頭の鬼ですか……厄介ですね。産土神の類かもしれません。露骨に『逸話がありそう』じゃないですか」
「だね。……でも、それにしては術式は毒の息だけなのかな?」
「いえ、そうと決まったわけでは————伊地知くん!? どうしました!?」
そう、問いかける七海の声に灰原がちらりと視線を向ければ、牛頭の鬼と『目が合った』伊地知が、顔面蒼白な状態で滂沱の涙を流しつつ白目を剥いて泡を吹いている。
そんな彼を七海が揺さぶれば、『視線が切れた』のか、青い顔と紫色の唇ながら、どうにか伊地知は正気を取り戻し盛大に嘔吐した。
「す、すいませ……」
「いえ、問題ありません。無理に顔をあげずそのまま少し目を伏せていてください。————おそらく精神攻撃を行う『邪視』の術式でしょう。灰原も目を合わせない方がいい」
「そうだね。今は足先だけ見る様にしてる。————毒の息と邪視かぁ。やれそう? 七海」
「やるしかないでしょう? 灰原、結界の方はどれほど保ちますか?」
「あの毒の息だけならどうって事ないと思う。……結界の起点を伊地知くんに変更して、呪力の供給も伊地知くんからに切り替えたから、僕も出れるよ」
「毒対策は?」
「直哉の真似だけど、体内を一種の領域に見立てて結界を張ればちょっとは持つかな」
「了解です。短期決戦で行くしかなさそうですね」
なんてやり取りの直後、呪力で総身を強化した2人は、牛頭の鬼の脚部に視線を集中しながら、結界を飛び出し鬼へと駆ける。
灰原はあくまで陽動、メインは七海。そんなフォーメーションを口に出す必要もなく互いに理解できている2人の内、まず初めに仕掛けたのは当然陽動の灰原。学生服の背から抜き放った短刀に呪力を巡らせ、鬼目掛けて切り掛かるその一閃はしかし、呪力を纏った鬼の拳で防がれ、猛毒の吐息が灰原へと襲い掛かる。
が、そうして意識を逸らした鬼の片足を『7:3』に七海がぶった斬ったことでその吐息は大きく逸れて、灰原が毒まみれになる事態は避けられた。
「ナイス七海!」
「いえ、どうやらイマイチです。もう生えそうですよ片脚」
「嘘でしょ!? 直哉並みじゃん!?」
「いや、流石に直哉よりは遅いですが。……何で彼は呪霊より再生が早いんですかね? *1」
などと敢えて明るく会話をしているが、彼らの額に垂れるのは冷や汗。強力な再生能力、強靭な体躯、毒の息、狂気を付与する邪視。
どう考えても一級呪霊の中でも上澄み、下手をすれば特級認定もあり得る高スペックは、この呪霊の存在の核となる『畏れ』の根深さを示している。
「もう一度仕掛けますか」
「だね。攻め続けないと勝てないし」
などと手短に言葉を交わし、今度は七海が正面を切って呪霊の腿へと愛用の『鈍』を叩き込む。『身長』の7:3の位置を狙ったその一撃に対し、呪霊が選択したのは膝での迎撃。
最高効率で対応してきたそのカウンターに対し、七海が更なるカウンターとして振るうのは、鈍の柄を握る己の拳。
「透核呪法————!」
七海建人の術式反転。7:3の位置に『無敵判定』を生み出す超理不尽パリィング呪術が見事に呪霊の膝蹴りを迎撃し、蹴りの衝撃を全て自分の膝だけに押し付けられた呪霊が大きくバランスを崩す中、今度は灰原の強烈なドロップキックが呪霊を襲い、呪霊の巨躯が木々を幾つもへし折りながら山の中を吹き飛んでいく。
「……灰原、今の威力は一体?」
「実行後に両脚の骨にヒビが入る縛りを掛けて全力で蹴った!」
「バカです? 歩けるんでしょうね?」
「体内の結界を無理矢理添木にしてるから滅茶苦茶痛いけどいけるよ!」
「なら良いですが。……距離は稼げましたし、一旦撤退ですね。もっと準備をして相手を————灰原!」
そう七海が叫んだ直後こちらに向けて吹き飛んできたのは丸ごと一本引っこ抜かれた杉の巨木。咄嗟に七海が透核呪法で殴り付けたことで投擲の勢いこそ無効化したものの、その大質量は七海の術式では無効化出来ない。
が、それについては、彼の頼れる相棒が請け負った。
「防御結界ィ! 嘘でしょ! 滅茶苦茶元気じゃんアイツ!」
「まだ投げて来ますね! 十劃呪法————瓦落瓦落ッ!」
新たに飛んでくる大木を、七海の『瓦落瓦落』で切り飛ばした先ほどの大木で迎撃する。そんな無茶を強いられる七海は防戦一方。灰原も流石に脚を折った状態では結界の維持が精一杯。投げつけられる木々の残骸が徐々に灰原の結界を押し潰さんとするその中で、彼等が離脱する活路を開いたのは、先程まで喘いでいた、少年の機転だった。
————このままでは全員死ぬ。
————何かないか、何か僕に出来ることはないか?
そう悩み、考え、出力された伊地知潔高の行動は————!
「闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓えッ————先輩ッ!」
「伊地知くん!? いや、ナイス!」
「帳による一時的な呪霊の隔離とは考えましたね。助かりました」
伊地知が生み出した一瞬の隙。それを利用し、伊地知を守っている灰原が初めに展開した結界の中へと退避した彼等だが、現状はジリ貧。怒り狂った呪霊が内側から帳を破ったのも遠目に確認できている以上、此処でどうにかあの『牛鬼』を祓わねば、3人に明日はない。
灰原に吹き飛ばされた際の怪我をすっかり修復し、毒の息を撒き散らし、呪いの眼差しを真っ直ぐにこちらに向けて突進してくるその巨躯に、七海と灰原は決死の覚悟で相対し————。
そんな彼等の眼前で、天から堕ちてきた『
「ごめん! 間に合った!?」
全身に紫電を纏い、七海と灰原に向けてそう問い掛けるその『稲妻』の主は、京都校四年、一級術師『坂田あずき』。
伊地知との通信途絶を受けて事態を察した熊谷の機転で招集された応援が、まさに雷光の如き素早さで、彼等の元へと現れたのだった。