神楽輪視点
アフリカ系と思われる黒人の男とタイマンでの戦闘開始から10分強。
校内の一階での戦闘で、私は校舎を突き抜けて外まで殴り飛ばされ、地面に倒れていた。
「…術式も使わないでここまでやられると、正直ショックだな。」
そう言いながら私は立ち上がる。目の前にはアフリカ系と思われる黒人の男。互いに殴り殴られ、蹴り蹴られたのに、「弾性」の呪力特性のある私よりも相手の方が傷が浅いなんて始めての経験だった。
…五条さんは例外として。
「…ソレハ、オ互イ様ダロウ?」
そう言いながら、男は黒い縄を巻きつけた手を構える。
(神楽輪ガ万ガ一デモ、術式ヲ発動スル可能性ガアル限リ黒縄ヲ手放スコトハデキナイ…俺モ術式ヲ使エントナルト、泥沼ダナ…)
互いに拳を構えて静かに相手の隙を窺う。…一時の静寂。
先に破ったのは、男の方だった。
男は右手でフェイントをしかけて、左足で私の右脇を狙って蹴りを入れようとしてきた。
「ッ!」
私はそれを右の腕で辛うじて受ける。思わず後ずさる私に、男はさらに追撃を仕掛ける。
「ソラッ!!」
手に巻きつけていた縄を解き、私の体に巻き付けようとする。私は呪力を全開にし、弾性で縄を弾く。
「クッ…」
(俺ノ黒縄ハアクマデ術式ヲ乱スモノ…呪力特性相手デハ…!)
男が怯んだ隙に私は一気に相手の懐に低姿勢で潜る。
そして相手の鳩尾にモロにアッパーを入れる。
「オウッ…!!!」
だが…
「硬った…!!」
男の体は鋼のように硬い。殴った拳の方が痛むんじゃないかと思うほどだ。
だが相手の体は浮いた…!それに表情を見るに効いてはいるようだ。
「今!」
私は男の首を掴み、一気に地面に倒す。そして両足で相手の首を挟んで絞め落とす!
「ヌッ…グ…コノ…」
「はあ…はあ…ぐっ…なんて力…」
男は私の両足を無理やり引き剥がさんと両腕に凄い力をこめてくる。
私は呪力でパワーを増強しているとはいえ、素の力では圧倒的に負けている。
…でも、ここで負けるわけにはいかない!
「まだ…まだ…ッ!!!」
「ヌ…ハ、離セ…!!!」
そのままの力比べで5分ほど経過。
互いに次の手はうてないと感じるほど消耗した時、その均衡は、突然破られた。
「お待たせ、ミゲル。随分手こずってるみたいだね。」
「あら、ミゲルちゃんがここまでやられるなんて珍しいわね。」
「!?」
夏油…!!そしてもう一人の金髪の男…!!
私は思わず脚の力を緩めてしまう。次の瞬間、男…ミゲルは私の脚を抜け出し、逆に私の首を掴み壁際に押しつけた。
「が…はっ…」
「悪イガ、向コウノ決着の時点デ俺達ノ勝チハ決マッテタナ。」
「こらこら、ミゲル。もう戦う意味もないんだから。離してあげなさい。」
その夏油の一言でミゲルは私を離す。
「はっ…はっ…」
思わず座り込んでしまう。もう立ち上がる力も気力もなかった。
「ま、真依は…?」
「ん?」
「真依を、皆んなを、殺したの…?」
ここに夏油が来たということは、最悪の展開だ。
つまり、向こうの術師は全滅…最悪の想像が頭をよぎる。
夏油はその言葉に笑顔を浮かべると、しゃがみ込んで私の顔を覗き込み、子供を諭すような声音で話し始めた。
「ああ!大丈夫、大丈夫だよ。私はこんなことをした後では信じて貰えないかもしれないが、術師達には本当に幸せに生きて欲しいんだ。」
「全員無事だよ。怪我はしているが、死者は一人もいない。誓ってもいいよ。ただ…」
そこで彼は困ったような顔で私に言った。
「もし君がまだ暴れるというのなら…それは保証できないかもしれない。」
ドクン
私の心臓が一際大きく鳴った。
私が抵抗したら誰かが死ぬ。
死ぬ。また死ぬ。誰かが。私の村のあの時みたいに。
私のせいで。
「ハァ…ハァ…」
呼吸が速くなる。胸が苦しい。吐きそうになる。
辛い。苦しい。
そんな私を、誰かが抱きしめてくれる。
暖かい。人の温もりを感じて、頭が落ち着く。
…そこで始めて気づく。私を抱きしめているのは…夏油だった。
「…ごめんね。こんなやり方で君を追い詰めた私を許してくれとは言わない。ただ、これだけは知って欲しい。」
「私は、本当に…本当に、心の底から君を大事に思ってる。全ての呪術師が、笑って暮らせる世の中にしたいんだ。」
「そのために、君の力が必要なんだ。君の恋人の真依ちゃんのためにも。だからどうかお願いだ。君の力を、私に貸してくれないか?」
そう言って、夏油は私に頭を下げた。
その光景を私は呆然と見つめていた。
…演技だったら、嘘だったらどんなに楽だっただろう。
この悪党がと見下すだけで充分のはずだった。
…でも、嘘じゃない。これが嘘であるはずがない。
彼は、心の底から本当にそう言っている。
ただ人質が居るからというだけではない。
私は、この人の理想を、もっと知りたいと、そう思ってしまった。
「……………わかり、ました。」
「!本当かい!?」
そう言って彼はパァッと笑った。
私が男の人が好きだったら、靡いていたかもしれない。それぐらい彼の笑顔は眩しかった。
「ただ、行く前に…皆んなに伝言を残したいんですが。」
「ああ、もちろん構わないとも。君の恋人の真依ちゃんを連れてくるかい?」
「いえ…三輪ちゃんでお願いします。」
多分、真依の声を聞いたら、私は揺らぐ。だから私は、あえて三輪ちゃんに伝言を残すことにした。
夏油さんは少し驚いたようだったが、金髪のオネェらしき人の「女心ってやつよ!」との一言で、無理やり納得したようだった。
少しすると、芋虫のような呪霊がボロボロの三輪ちゃんを乗せて這ってきた。
「う、あ…輪…ごめんなさい、私たち…」
「ううん。謝るのは私の方。私のせいで皆んな傷ついてしまって…ごめんね、本当に。」
その一言に、三輪ちゃんの顔が歪む。
「それは…違う。違うよ、輪。」
「ううん。違わないよ。だから、私はもう行くね。」
「だ、だめだよ輪!!私、まだ貴女に…」
「一つお願いがあるの。真依にこう伝えて。『私の恋人になってくれて、本当に嬉しかったって。守るって約束、守れなくてごめんって。』」
「あと、楽厳寺学長に伝えて。『今まで育ててくれてありがとうって。本当に感謝してますって。』」
「そんなの…そんなの!自分で伝えてよ!」
その叫びに、私は言葉を返せない。
涙が出てくるのを拭って、夏油さんの方に振り返る。
「もう大丈夫です。終わりました。」
「そうかい、ありがとう。ようこそ、私たちの家族へ。今日から君も家族の一員だ。」
そう言って夏油さんは私を抱きしめる。
そして先ほどとはまた違うカラスのような巨大な鳥型の呪霊が現れた。
金髪のオネェのような男性がウインクして近づいてくる。
「…辛かったでしょ?でももう大丈夫よ。私たちの家に帰りましょ?」
ミゲルさんも私の肩を軽く叩いて言った。
「イイ締メ技ダッタ。俺ハミゲル。コレカラヨロシク頼ムヨ。」
そして私たち4人はカラスのような呪霊に乗って京都高専を飛び立った。
雲一つない空が、腹が立つぐらい澄んでいた。
ちらりと振り返って小声で私は呟いた。
「さようなら。」
こうして、京都高専での戦いは終わった。