〜勇者ヒンメルの死から31年後〜
-北側諸国 レーラー樹林-
朝霧が立ち込める森の中、二人の人間が活動していた。
一人は少女、年齢は10代前半といったところか。
野宿に使用したと思われる道具を丁寧に荷物入れに仕舞っていく。
「それじゃ私はコレを片付けてくるよ」
「はい!お師匠様!」
そしてもう一人……少女から"お師匠様"と呼ばれた妙齢の女性。
使い古されたローブを見に纏い、いかにも"熟練の魔法使い"といった出立ちの彼女は
昨日まで燃えていた焚き火の消し炭や石の囲いを魔法で浮かべると
それらを野営地から離れた場所まで運ぼうとしている。
彼女は大陸魔法協会の規定でいう所の二級魔法使いであり
焚き木を浮かべるその所作も片手間で、かなり洗練されている。
「……んんっ、しょっ……!」
一方の少女も、身に付けていている真新しいローブからして魔法使いなのであろう。
まだ師匠ほどは腕が立たないのか全て手作業で荷物を畳んでいく。
しかし、身体の小さな彼女では手に余るのか
二人分の厚ぼったい寝袋相手に悪戦苦闘していた。
「……ヒルフェ、一人では無理があるから、戻ったら私が手伝うよ」
見かねた師匠は微笑みながら、別の荷物の片付けを頼む。
「……は、はい。わかりました……」
少女────ヒルフェは、やや顔を赤らめて
恥ずかしそうにそちらの作業へと移った。
◇
ヒルフェが家を出てから約一年。
七級試験を経て見習い魔法使いとなった彼女は
師匠と共に旅を続けている。
家にいた頃に彼女がやっていた、我流と呼ぶのすら烏滸がましいごっこ遊びのような訓練と違い
歴とした魔法使いに師事しての鍛錬はとても有意義で
魔法史などの座学はもちろん、防御魔法や攻撃魔法などの実戦的な講義を吸収し
メキメキと成長していくのを実感していた。
しかし、最近はやや伸び悩んでおり
魔力の流れや制御がおぼつかない事が多々ある。
そんな彼女に対しても師匠は優しく、基礎的な部分から手取り足取り丁寧に指導してくれた。
「(早くスランプを抜け出して、お師匠様に手間かけさせないくらい魔法を上達させないと!)」
師と弟子という間柄とはいえ、いつまでもおんぶに抱っこのままというのは思う所があり
一刻も早く一人前になろうと躍起になっている。
「(だけど……何が原因なんだろう?少し前まではもっとスムーズに魔法を展開できてたのに……)」
不調子の原因が分からないヒルフェは、
手をグーパーと握ったり開いたりして魔力を幾度も込め直している。
「(お師匠様は『魔力の量とコントロールする力の釣り合いが崩れてる』って言ってたけど、どういう事なんだろ……?)」
己の師の指摘を何度も心の中で反芻し、その意味を理解しようとする。
その時、
「────たすけてぇ」
草陰から、蚊の鳴くようなか細い声が聴こえてきた。
「……?…………誰?そこに誰かいるの?」
「…………たすけてぇ…………たすけてぇ」
ここは人里から離れた森の奥深く。
人などそう訪れない場所なのだが、草むらからは幼い子供のような声が確かに聴こえてくる。
「……たすけてぇ……たすけてぇ」
「もしかして怪我をして……
……あ、あれ?」
そこまで言い掛けたヒルフェは、脳裏に何かが過ぎって口を噤んでしまった。
"デジャヴ"である。
そう、ずっと小さい頃に
同じような経験をした事を彼女は思い出した。
「たすけてよぉ……たすけてよぉ……」
そうしている間に、ガサゴソと草むらを掻き分けて声の主は現れた。
「お姉ちゃん、ボク……親とはぐれちゃったんだ。たすけてよ」
「────ッ!!!」
それは魔族であった。
まだ子供ではあるが、普通の人間にはある筈のない小さな角が生えているのが
何よりもの証明である。
すぐさま足元の杖を拾い上げて構えるヒルフェ。
緊張のあまり身体の外に漏れる魔力が荒れる。
だが、まだ魔力を杖には込めておらず、魔法を発動できる予備動作にすら入っていない。
「……あ、あなた。魔族……だよね?」
「うん」
「お父さんや、お母さんは……ち、近くにいるの?」
「たぶんいないかも」
最初は強く警戒していたヒルフェも
項垂れて哀しそうな表情を浮かべる魔族の少年の様子を見て
次第に緊張を解いていく。
「そう、なのね……!だ、だけどここは危険だよ?」
身体の表面から立ち昇っていた魔力の荒々しい波を鎮めて
優しい口調で語り掛ける。
「そうなの?」
「う、うん。本当は一緒にご両親を探してあげたいけど、ここには私のお師匠様もいるから。見つかる前に早く……」
『魔族と人間は相入れない』
師匠からの座学でそういった知識を既に学んではいるが
幼い頃に
どうしてもその知識と、実際の認識とを擦り合わせる事が出来ていない。
故に、優しく、人間の子供を相手取るように優しく、寄り添うように語り掛ける。
「……………………うん、わかった」
「ほ、ほんと?」
それは悪手であった。
「うん、ほんとだよ、アリガトウお姉ちゃん」
俯いていた顔をパッとあげた魔族の少年。
そして、能面のように無機質な表情を湛えたまま、突き出した片手から何の脈絡なく攻撃魔法を撃ち出してきた。
「────へっ?」
ジュッとヒルフェの肩を掠めた攻撃魔法は
そのまま背後の大木を抉りながら通過する。
「あれ?外してしまったか。それ程の魔力を有するものだから、また中途半端に才能だけはある魔法使いかと思っていたんだけど」
「……ぇ、あっ、…………へぇ……?」
「以前に会った同じくらいの年齢の人間は、攻撃の予兆を察知してギリギリで左右に避けたから、今度はそれを見越して狙ったんだが……余計な事は考えずに直撃させた方がよかったか?」
肩の痛みと同時に、目の前の光景に理解が追いつかないヒルフェを他所に
先程までの辿々しい口調が嘘のように理路整然とした考察をブツブツと呟く魔族。
「まぁいい、くだらない事は殺してから考えれば」
そう言うと、再び片手を前に突き出して
今度は頸から上を消し飛ばそうと魔力を収束させる。
「──ゥ、────ッ!!」
声にもならない呼吸を漏らし、震える手で防御魔法を使用するヒルフェ。
しかし、空中に現れる六角形の障壁の展開スピードは
緊張している事を加味してもあまりにも遅い。
「……」
その欠伸が出るくらいの遅さにやや呆れながらも、魔力の収束は一切緩めない。
そして、人間の少女など一撃で死に至らしめる魔族の魔法が、今繰り出されようと────
「"
「────なッ!?」
咄嗟に真横から強い魔力を感じ取り、魔族はそちらへ魔法の照準を向けようとした。
が、それを上回る速さで心臓付近を一筋の光が穿つ。
「グぅっ……!?ち、畜生……テメェ……!」
ボロボロと崩れていく魔族の身体は
恨み節を言い終える猶予も与えずに魔力の粒子へと還ってしまった。
「大丈夫か!?」
魔族の方には目もくれずに、地べたにへたり込むヒルフェに師匠は駆け寄るも
茫然自失な彼女は師匠の声に殆ど反応を示さない。
「(……当然だ、こんなに怖い目に遭ったのだから……!)」
己の周囲への注意不足が今回の事態を招いたのだと歯噛みをしながら
抱きしめた少女の背中を何度も撫でる。
しかし、ヒルフェの意識は
師匠にも、危うく命を落としかけた自身にも向いていない。
「さっきまで……そこに、いたのに……」
その視線は、最早影も形も無くなった、魔族の少年が立っていた場所に釘付けであった。
◇
「……魔族はね、魔力の多い人間をご馳走として認識しているんだ」
「…………」
「だから、ヒルフェを狙ったのだろう」
怪我をした肩に包帯を巻かれる間も、ヒルフェはあまり口を開かなかった。
そんな弟子の事を悲しそうな目で見ながらも
師匠は魔族に関して淡々と話す。
「魔族にとって、魔法や魔力は自慢の対象であり誇りだ。だから、基本的に魔力で劣る人間の魔法使い相手に魔力制限しながら近づく事は少ない」
「……だけど、君の場合は少し別だ。明らかに魔力の量が多いからね。"熟練の老魔法使い"と警戒した魔族は魔力を隠匿しながら近づいたんだ。……そして、いざ目視してみたら『ただの人間の小娘』だった訳だ」
どうりで奴が私の魔力探知に引っ掛からなかった訳だ、と魔族の隠密能力の高さを実感しながら溜め息混じりに師匠は続ける。
「魔力は多い、なのに強さ自体は大した事のなさそうな、あまりにも
「……そう、ですか」
日頃優しい事ばかり言っている師匠が
オブラートに包んでこそいるがだいぶ酷で冷淡な事を言っているのにヒルフェは内心驚いていた。
と同時に、それらの考察を当て嵌めたら先程の魔族が口にしていた内容とも多少合点がいくとも思っていた。
「ヒルフェ、君の資質は生まれついての物だ。天与の才能だ。実を言うと、君が最近攻撃魔法や防御魔法が下手になってきたのもその才能のせいだ」
「……えっ、そうだったんですか?」
この流れで、自身の魔法が不調な理由を聞かされるとは思っていなかったらしく
目を丸くして聞き返す。
「あぁ、君を天狗にしない様に話すのはもう少し先にしようかと思っていたけど…………魔法を使う上で大事な事を覚えているかい?」
「えっと……"基礎的な魔力量"と、"緻密な魔力のコントロール"……で、合ってます……?」
「その通り、ちゃんと勉強してるね」
優しい顔で頷きながら肯定されて、おっかなびっくりで答えたヒルフェの頬も綻ぶ。
「普通はそれでいい…………ただし」
しかし、そこから更に言葉が続いた為に
緩んだ表情を引き締め直した。
「例外として、"魔力量が不釣り合いに多すぎる"……この場合は話が違ってくる」
「魔力量が……多すぎる?」
「そう。魔力量を増やすというのは、毎日の地道な修行を何年も続けないといけない。だから一朝一夕でどうにかなるものじゃない」
実際ヒルフェは、瞑想しながら体内の魔力の流れを操り続けるという修行を
師匠から毎日するように言い渡されていた。
攻撃魔法を撃ったり防御魔法を展開する事に比べれば
何とも地味で面白味に欠け、成果があるのか無いのかすら実感しづらい鍛錬である。
「ただ稀に、『生まれつき魔力が多い人』や『魔力量の上がり幅が異常に大きい人』がいる。……君の場合は恐らく後者だ」
「そ、それってダメな事なんでしょうか?聞いてる分には、良い事づくめな気が……」
「物事には何にでもバランスがあるんだよ。一方が強ければもう片方が割を食い、均衡が崩れる。……まるで偏った天秤みたいにね」
「そしてそれは魔法の世界にもある。過剰に魔力が増えると、増えた分の魔力も無意識に操ろうとしてコントロールが下がってしまう。更に、膨大な魔力を打ち出そうと変に力むと余計な負担が掛かり、魔法の速度も低下するだろう」
ここまで一気に話して師匠は一旦解説を辞める。
「(……私には才能がある……?で、でも、その才能は悪い事もあって…………頑張れば克服、できる……のかな)」
常人には無い天稟と、それに伴うデメリット。
そして、それは修行などで矯正できるのか否か?
ヒルフェは、ドッと押し寄せた情報を噛み砕き、処理するのに手一杯であった。
そんな彼女の心情を察した師匠は、再び口を開く。
「……これが女神様の素敵な贈り物だとは私は思えない。一応、増える魔力に追いていかれない様に一生懸命に技量を磨けば、欠点は克服出来るだろう」
「だけど、魔力が多い程に魔族に付け狙われる可能性も高まってしまうのは避けられない事実。……言い方は最低だけれど、魔族が何の苦労もせずに美味しい思いが出来る餌としての資質を渡すなんて、女神様は残酷だ」
「きっと君と同じような人間は歴史上、少なからずいた。そして、成長したら偉大な魔法使いとして名を刻んできた事だろう」
あくまで無事に成長したら、と師匠は付け足す。
「歴史に名を残す事なく、それどころか大人にもなれずに命を落とした、君と同系統の才気を持った人間は大勢いただろうね…………強さと魔力量が見合ってない格好の餌として」
「格好の…………餌……」
才能がある、そう言われた当初は期待と不安の入り混じった気持ちで胸が膨らんでいた彼女も
この頃にはすっかり意気消沈していた。
魔法使いとしての才能でもあり、同時に魔族の餌としての才能でもある資質。
これから師匠よりも、周りの人よりも加速度的に増えていく魔力。
そしてそれを魔族に付け狙われやすいという未来。
「(魔族にとって……私は……)」
……いや、ヒルフェが気にしているのは己の未来だけではない。
魔族に美味たる食糧として狙われやすい体質が、昔から……家に居た小さな頃からの物だったならば、つまりは……。
「……勿論、技術を磨けば克服できるし、技量を身につけるという事は同時に襲い来る魔族に対抗できるようになるって事だ。だから、そんなに気に病む必要はないよ」
「君はちょっと頑固な所はあるけど、だからこそ私の課した修行も真摯に取り組めてるんだ。きっと、その才能を物にすれば誰よりも強い魔法使いになれるかもしれないよ?」
あまりに辛気臭い雰囲気になってしまったが為、やり過ぎたと思った師匠は
口調と表情を和らげて励ます。
「…………お師匠様。もし、魔族にとって私が都合のいいご馳走なら……例えば」
「ん?」
「……っ!や、やっぱり、何でもありません!これからもっと修行を重ねて、もっと強くなります!」
思い詰めた顔で何か質問しかけたヒルフェは
己を励まそうと懸命な師匠の思いを無下にしまいと、なるべく笑顔を作る。
そんなヒルフェの作り笑いを見抜きながらも、師匠は敢えて口には出さない。
「(……今は急がず、ゆっくりと解決に徹しよう…………大丈夫、きっとこの子は私よりも強くなれる)」
「さて……!暗い話はここまで、この道を真っ直ぐに進めば要塞都市フォーリヒ!……魔族に無事に勝った記念に、街に着いたら豪勢な食事といこうか?」
「は、はい!私も街の園芸店に行くのが今から待ち遠しいです!」
そう言って荷物を纏め終えた二人は、深い霧に包まれた森を歩いていく。
大人の歩幅に頑張ってついていくヒルフェと、なるべくゆっくりとした足取りを努める師匠。
側から見れば、魔族という危機を跳ね除けた師と弟子の長閑な旅路に見える。
……しかし、その間もヒルフェの心中はあまり穏やかではなかった。
「(魔族にとって私が都合のいい餌なら……例えば────)」
先程口にしかけた質問、ずっと頭の中で繰り返される疑問。
「(────魔族が私の魔力を見て、『とても凄い』って言ってくれたら…………そこには、どんな感情が込められてるんでしょうか?)」
ヒルフェはその質問が言えなかった。