ちなみに俺は司教アゴヒゲ
「いやぁそれにしてもやっぱりゴリラ……戦士ゴリラにそっくりねぇ」
「なるほど、俺とこの人物を見間違えたという訳か」
本の挿絵と目の前の顔とを何度も見比べるラオベンとアウラ。
対するエルフの武道僧────クラフトも、失礼極まりない発言の全容が分かったらしく、納得した様に頷く。
「300年ほど前に俺に似た戦士が居たとはな……一度直に相見えたかった」
「300年前って流石に……あぁそうか、エルフなら直接見れるもんね」
人間とエルフの時間感覚のギャップを改めて実感しながら
ラオベンは隣の席に座るクラフトをまじまじと見つめる。
「(ヴェヒターのおっさんはああ言ってたけど、やっぱりエルフって南側諸国以外には結構いるんじゃ……?)」
怪訝深そうな顔で見てくるラオベンを不思議に思いながらも、クラフトは視線をアウラへと移す。
「たしかそっちの嬢ちゃんは、アルム…………だったか。何か探している本でもあるのか?」
「えぇ、昔の顔見知りと…………仲間?が載っている本を探しているの」
「………………そうか。ところで……いや、なんでもない」
長い沈黙の後、クラフトは何か言おうと口を微かに開けるが、少し視線を左右に彷徨わせた後
思い直したように静かに唇を結んだ。
「ところでさ、ええっと、クラフト……さん?」
そんな何処か含みのある顔をしたクラフトの様子などお構いなしに、ラオベンは声を掛ける。
「クラフトでいいぞ」
「じゃあクラフト。クラフトも何か本を探しに来たの?」
いつか何処かで別のエルフの魔法使いとやったやり取りの焼き増しに「エルフって気さくでいいな」と思いながら
先ほどアウラに投げかけたばかりの問いを、今度は目の前の男へと使い回す。
「俺か?俺は…………そうだな、俺も……俺自身や、仲間が為した偉業が書かれていないか探しに来たんだ」
そう答えたクラフトの瞳は、一瞬だけここではない何処か遠い過去の情景を映し出したように細められ、僅かに潤んでいた。
その穏やかな微笑みの裏には、気の遠くなるような年月を一人で歩んできた者にしか宿らない、透明な寂寥感が漂っている。
「ふぅん、じゃあ私と同じ様なものね」
「だねー。で、なんか成果はあったの?」
アウラは、相手の表情の深淵に触れるつもりなど更々ないといった様子であっけらかんと返し
ラオベンもまた、しんみりした空気をまるごと素通りして屈託のない声を被せた。
「いや全くだ。分かってはいたんだがな……俺の成した偉業も、仲間の足跡も、遠い歴史の彼方に埋もれてしまったらしい。せめて古い文献や写本の一つでもあればと思ったが」
「……それって、魔王を倒したとか?もしかして、『実は勇者様御一行には幻のエルフの武道僧が居たのです』、とかってやつ?」
「ははっ、まさか。そこまで最近じゃないさ。…………しかし、"勇者様御一行"か、懐かしい響きだな」
「……?」
勇者ヒンメルを"最近"と言ったり、最後の妙な言い回しといい
目の前のエルフは一体いつの時代の人物で、あの「勇者の一行」とどのような関わりがあったのか。
ラオベンの頭の中に疑問符が絶えない。
────ゴーンッゴーンッ
「……おや、もう昼時か」
そんな折、街の広場から正午を告げる重厚な鐘の音が響いてきた。
「あ、ほんとだ。……どうしよう、読むのに夢中で昼ご飯の事考えてなかった」
「適当な飯屋で済ませればよくない?」
アウラは退屈そうに指先で髪を弄りながら、投げやりに応じる。
だが、ラオベンは即座に首を横に振った。
「えーっ、せっかく大きな街に来たんだから、食事を摂る場所はちゃんと吟味したいよ! ここ数日、保存食ばっかりだったんだから」
「……言われればそうね。私も保存食じゃなくて、例えばそうっ、ほらパスタとか……」
せっかくの贅沢ができるチャンスを無下にはできない。ラオベンとアウラは積まれた本と空腹を天秤にかけながら、眉間にシワを寄せて真剣に悩み始めた。
そんな二人を交互に見やり、見かねたようにクラフトが穏やかに口を開いた。
「よかったら俺が奢ろうか?丁度おすすめの場所があるんだ」
「わぁ、すごい……! 本当にここ、クラフトのおごりでいいの?」
「ああ、構わない。街を訪れるのは十数年に一度だが、俺は来る度必ずこのバーに立ち寄っている」
案内された店に入るなり、ラオベンは目を輝かせながら店内を見回した。
図書館の張り詰めた静寂とはまた違う、昼間から緩やかに流れる活気と、酒樽や燻製料理が混ざり合った独特の匂い。
木の温もりが感じられる広々としたバーのカウンター席に腰を下ろした彼女は
「カビ臭いけど嫌いじゃないかも」と、鼻腔を刺激する歴史の匂いに顔を綻ばせた。
「そうね。でもなんだか、凄く寂れた雰囲気のところね」
一方のアウラはずけずけと物を言う。
以前にフリーレンと立ち寄った草原の町の飯屋と比べると
良く言えば「味がある」、悪く言えば「オンボロ」。
隣のラオベンのように「味がある」とまでは思えないのか、少しだけ所在なげに店内を眺めた。
「ここってパスタはあるの?」
「パスタ?パスタかぁ……マスター、今はパスタはあるのか?」
「ねェなそんなもんは」
遠回しにオンボロ呼ばわりされた事を気にも留めないマスターは、仏頂面のまま手元のグラスを拭いている。
「だそうだ。残念ながら俺が前に来た時と変わらずの様だ」
肩を竦めたクラフトは残念そうに、しかし自分が訪れた数十年前と変わっていない事をどこか愛おしむ様な口調で言った。
「そう残念。じゃあ、小麦を使ったものは何か無いの?」
アウラの問いかけに、マスターは相変わらずの仏頂面なままだが、視線だけを上げて返答した。
「小麦……?それならお嬢ちゃん、『英雄焼き』ってのがあるぜ。なぁ旦那」
「ん?あぁそうか、アレがあったか。……ではマスター、それを三つ」
「ほいよ……ところで旦那、それならベリースペシャルとセットの方がお得になるんだが」
「なら、そちらを頼む」
「あいよ。少し時間がかかるぜ」
マスターが奥の焼き台へと向かうのを見送りながら、アウラはクラフトに尋ねる。
「ねぇクラフト、その……『英雄焼き』?とやらはどんなものなの?」
「あぁ、元々は北側諸国の小村の特産品だったらしくてな。痩せた土地でも負けない小麦が有名な村だそうで、その小麦を使った焼き菓子は北側諸国でも人気なんだよ。200年ほど前からは中央諸国の方にも広まり始めている。……北側と中央との窓口にあたるこの街では先駆けて流行ったんだ」
「へぇ……どうして『英雄焼き』なの?」
「菓子の表面に色々な時代の勇者や戦士、英傑などの焼き印がされている事が由来らしい。誰が出るかはお楽しみ、という遊び要素もあるから子供からは特に評判も高い」
そんな会話をしている内に、奥から戻ってきたマスターが
皿に乗せられた焼き菓子をカウンターに置く。
「ほいよお待ち、ベリースペシャルと……焼きたての『英雄焼き』だ」
運ばれてきたベリースペシャルなる料理は、小ぶりな銀の器にアイスやクリームが盛り付けられ、その周囲を様々なフルーツが飾られた彩り豊かなパフェであった。
その横に添えられた英雄焼き──こんがりと黄金色に焼き上がった、小麦の香ばしい匂いが立ち上る円形の菓子を見つめる。
クラフトの言う通り、その表面には焼き印があり、
精緻な線で描かれた人物の絵と、その下に対応した名前が刻印されていた。
「俺のに描かれているのは……ザイン司教か。聖都に名を連ねる偉大な聖職者の一人だな」
「へぇ、私のはこの人だ。アイゼン……ドワーフの戦士だね。これアレでしょ?勇者一行でフリーレンの仲間の……」
「む……?勇者一行だというのは聞き覚えがあるが、『フリーレン』……まるでその魔法使いをよく見知っている様な言い草だ」
「あっ、まだ言ってなかったっけ?私たちね〜フリーレンと一緒に……」
ラオベンの弾んだ会話が意識の外側を通り過ぎていく中、アウラは目の前の焼き菓子を見つめていた。
描かれているのは勇者ヒンメルの刻印、非常によく知っている顔である。
が、今のアウラが注目しているのはそこではなかった。
「……んん〜〜?」
焼き菓子を目線と同じ高さまで持ち上げ、裏返したり斜めにしたりと、執拗に視線を這わせる。
「でねー、いつも私達より早く起きて…………ん?どしたのアルム、もしかして生焼けだった?」
「そうじゃないんだけど……この焼き菓子がちょっとね」
「ん?……ってこのやり取り前にもあった気がするな」
以前に何処ぞの村で銅像を前にした時のような険しい表情に、デジャヴを覚える。
ラオベンに釣られるようにしてクラフトもまた、アウラの手元にある菓子へと視線を落とした。
伝説のドワーフや勇者が描かれたソレを、アウラが何故にそこまで検分しているのか。
その意図を図りかねて僅かに眉を寄せる。
そして、溜めに溜めた沈黙を破り、アウラは確信に満ちた声を絞り出した。
「ねぇ、これってどう見ても『戦士ユンゲモチョチョ』よね?」
皿に乗せられた円形の焼き菓子。
アウラはソレが初見では無かった。
以前、アルム村でフリーレンから手渡された物に似ている……いや、ほぼ同一の存在である。
「……戦士ユンゲモチョチョ? すまない、ここ200年ほどは北側と中央を何度か往来しているが、その名は初耳だ」
クラフトがその名を反芻し、記憶の索引を引くように首を傾げる。菓子の名称としては初耳である上に、『戦士ユンゲ』というその響きそのものにも全く心当たりがないようだった。
「戦士ユン……モチョチョ。 ……それってアルムがずっと探してた『戦士ユンゲ』と関係あるやつ? でも、なんか名前の後ろの方がすごく伸びてるっていうか……」
ラオベンも、アウラが先刻まで探していたと名との共通点に気づきつつも、あまりに間の抜けた語尾の響きに関連性のある単語として結びつけて良いものか判断に迷っている様子である。
そんな三人のやり取りを、カウンターの奥で腕を組んでいたマスターが鼻で笑った。
「よく知ってるなお嬢ちゃん。だが、そいつは『通り名』っていうか、ここよりもっと北にある……この英雄焼きの発祥地と言われてる小村だけで通じる『異名』みたいなもんだぜ」
マスターはカウンターの下から、小麦の入った麻袋を引っ張り出す。
「『戦士ユンゲモチョチョ』……なんざ、本人がアホみたいに吹聴したのが地元にしか根付かなかったらしい呼び名だがな。……だが、戦士としてじゃなく、こっちなら知らねぇ奴はいねぇだろうよ」
そう言って指し示した麻袋には一つの商標が印刷されていた。
円形の縁取りの中に、厚手の作業着と革製のエプロンを纏った恰幅の良い男が太い腕を組んで笑っている。キャスケット帽の隙間から覗く豊かな髭が特徴的なその肖像を囲うように、円環状に仰々しい飾り文字が記されていた。
『ユンゲ・ファクトリー』
「……あ! 思い出した! この人の載ってた本!」
ラオベンが弾かれたように声を上げ、図書館から借りてきた本の一冊を引っ張り出す。
表紙には『大陸・農業経済史』と書かれた厚ぼったい本であった。
「ほら、このページ!……うわぁ、こっちの肖像画だと、ロゴマークよりさらにガッシリして見えるね」
ページを捲れば、そこにはロゴとして簡略化される前の威厳に満ちた写真が鎮座していた。
文字の羅列を嫌うラオベンですら目を引くほどの、筋骨隆々な男が棍棒を地面に突き立てている力強さに溢れた写真である。
『小麦産業の中興の祖・ユンゲ』
『北側諸国に古くから伝わる伝統的な農法を再編し、寒冷地により特化した合理的な作付体系を確立。さらに、野生種との交配による耐寒性に優れた新品種の固定に成功した。また、収穫した小麦を湿気や害虫から守り、遠方まで品質を落とさず届けるための独自の乾燥保存法を考案。ノルム商会などと提携し物流の──』
「とまぁ、よく分かんないけどこんな感じみたいで……親方みたいな見た目に似合わずインテリだったのかな?この人」
「うむ、軽く目を通しただけでも一廉の人物であったのが分かる。……写真の当人も、まるで一本の巨木が服を着ているような威圧感だ」
最初の一行目辺りで脱落したラオベンと大まかな功績を読み込んだクラフトが本の中の先人を讃える様子を
アウラは釈然としない顔で眺める。
「…………そいつ、『北側諸国一の弓使いになりたい』とか、『騎士になりたい』って言ってたのよ。……で、なんやかんやあって戦士になったと思ってた」
一人の人間の偉業や功績が、風化せずに数百年も記録として残っている。
それそのものに不満はないが、アウラの記憶の中でのユンゲとは、「何かを成し遂げた偉人」ではなく「何かを志す少年」である。
"何か"の部分が異なれば、言いたい事の一つや二つは湧いてくる。
そんな何とも言えない表情を浮かべるアウラに対して、言葉を探していたラオベンが口を開く。
「ん゛ー……だけどさ、こうして今も名前が残ってるんなら、それはそれで本人も嬉しいと思うなぁ」
「……戦士ゴリラの時も似たような事言ってたけど、それでいいの?」
図書館の時同様に、楽観的とも能天気とも取れる発言は、アウラにとっては思慮の浅いものにしか思えなかった。
「だって、誰でもあるでしょ?『誇り』とか、『憧れ』とか……『譲れないもの』とか。…………あぁ、あと……『信念』……?とかいうのも。お伽話の英雄に憧れてるなら、英雄として名前が残る方が嬉しいわよ」
淡々と、しかし一点の曇りもない真顔で言い切るアウラを前にラオベンは「えぇ〜〜〜っと……」と言葉を詰まらせる。
いつもは自分と同じか、あるいはそれ以上に幼い振る舞いを見せることもあるアウラが
今はまるで物事の本質を深く調べ明かそうとする探究者のような鋭い物言いをしている。
まだ13歳の少女に、この重苦しい理詰めへの返答を持ち合わせている筈もなかった。
「……そうだなぁ」
そこへ、低く落ち着いた声が割って入る。
助けを求めるように目を泳がせていたラオベンの、年長者へと縋るような視線に応えたクラフトは
深い悟りを湛えた眼差しをアウラへと向けた。
「……アルムの言うことも一理ある。当人が望んだ形、夢に描いた理想と異なっていたのなら……多少の不服はあるだろうし、手放しには喜べないのかもしれん」
クラフトは一度言葉を切り、カウンターの焼き菓子を愛おしむように見つめた。
「だがな、自分の生きてきた軌跡の一切が、誰の記憶にも残らずに消えてしまうというのはあまりに酷なことなんだ。……理想とは違う姿であっても、たとえ風変わりな異名であってもだ。三百年経った今もなお、こうして彼の名が誰かの口に上り、その成果が人々の腹を満たしている。……その事実そのものが、彼がこの世界に確かに存在したという証左であり、救いというものだ」
クラフトは菓子の表面にこんがりと刻まれたザインの老練な司教然とした、徳高く威厳のある焼き印を指先でなぞった。
「この『英雄焼き』もそうだ。次は誰が出るだろうと遊び感覚で、表面に焼き付けられた英傑の姿を覗き込む。食べるたびにその名が人々の目に映り、僅かながらも印象に残る。この菓子を食する者はそうして自然と彼らが実在した事を思い出すんだ。……どんなに荘重な文言や連ねた美辞麗句よりも、『そういう奴が昔いた』と多くの者が語り継いでくれる。それは何よりも尊いものだと俺は思う」
独白にも似た説法を紡ぎ終えたクラフトは、ふっと表情を緩めた。
その隣でラオベンも「そうそうそれが言いたかった」という感じで、うんうんと自身ありげに頷いている。
「そういう……ものかしら……」
理解しかねる、共感ができない、そんな様々な感情が渦巻くアウラは
ヒンメルが描かれた手元の焼き菓子を眺め続ける。
「……ねぇアルム? 食べないなら私が貰っちゃおうかな?」
横からラオベンの手が、するりと伸びてきた。
「ダメよ」
横取りしようとする手からヒョイと遠ざけたアウラは、菓子を口に放り込む。
「これは……私が頼んだんだから。私のよ」
焼き印の焦げた苦味と、小麦の素朴な甘みが口いっぱいに広がった。
◇
「……えっ!もういいの?もしかしたらジャンルの違う他の本なら『戦士ユンゲ』として」
「いえいいわ。これ一冊でアイツがどんな風に生きてたか何となく分かりそうだし」
図書館に戻るなり、アウラが探し求めていた『戦士ユンゲ』としての記録を調べようとしたラオベンであったが、アウラはそれを制止させる。
その手には先程の農業経済史の本が握られている。
「えぇ〜〜…………あっ!じゃあさ、昔の仲間の事は?ほら、リュグナーとかリーニエとか──」
「それももう大丈夫…………一応、アイツについて何か記録が残っていないか調べてはみたんだけど」
そう言って既に傍に積み上げてあった本の山から何冊か取り出してみせる。
『魔法史大全』『《完全版》魔法使いの歴史』『人魔戦争〜魔王軍の千年の暴虐〜』などの物々しい書名の分厚い本たちである。
「使う魔法くらいは書かれてたけど、それ以上のものは特になかったわ」
リュグナーの人物像が詳細に分かるような記録は見当たらなかった事を、「悔しい」だとか「やりきれない」といった感情すら滲ませない、何とも形容しがたい顔で語った。
「……私も探そっか?リュグナーって人のこと、もしかしたら別の本に……」
「多分載ってないでしょうね。大体目星をつけた本は集めてぜんぶ読んだから、多分アイツのことはこれ以上は書かれてないんでしょう。無いなら無いでそれで構わないし」
「……まぁ、アウラがそれでいいならいいけれど……」
無関心……とまでは言わずとも、探して無いと分かればキッパリ諦める姿勢に
魔族の複雑怪奇な精神性をまたもや実感したラオベンだが、その違和感もすぐに心から抜け落ちる。
「ん?もう調べ物は済んだのか」
「うん、何かもういいんだって」
別の書棚から戻ってきたクラフトに、ラオベンは釈然としないながらもアウラのあっさりとした引き際をそのまま伝えた。
クラフトはアウラが抱え込む一冊の本に目を留めたが、何も言わず、ただ静かにその選択を受け入れているようだった。
やがて、午前よりもかなり人影の減った閲覧室に
コツコツと誰かが歩いてくる足音が響く。
「……いたいた。どう二人とも、知りたい事は色々と分かった?」
フリーレンだった。
片手に鞄を持ち、二人の首尾を尋ねるように首を傾げるが
その視線が隣に立つエルフの武道僧に移った途端に「あっ」っと声を漏らした。
「……久しぶりクラフト、丁度300年ぶりになるね」
「あぁ、フリーレンか。……そうだな、思いの外早い再会になったな」
ラオベンからフリーレンの事は既に聞いていた為に、然程驚いた様子もなく返す。
「フリーレン、買い物に行くって言ってたけど、ようやく終わったのね」
「旅の道中の保存食に、知り合いの墓参りの御供え物……あとはゼーリエへのお土産と、色々買う物があったからね。そういうアルム達もクラフトと何か話したの?」
「昼をごちそうになったくらいかしら。……ねぇ?」
「うん、そこのバーで英雄焼きとベリースペシャルご馳走になったんだ!」
「へぇ、英雄焼きと……ベリースペシャル?」
この数時間に何があったのかを口々に語る二人と、それを頷きながら聞き入るフリーレン。
そんな様子をクラフトは静かに見守っている。
「──へぇそんな事も……二人の面倒を見てくれてありがとうクラフト」
「いや、礼には及ばない。俺もとりたてて用は無いし、暇を持て余していたからな」
フリーレンは小さく頷き、知人に預けていた連れを回収する時のような、ごく自然な調子で感謝を口にした。
対するクラフトも、散歩のついでに迷子を保護した程度の気軽さでそれに応じる。
300年ぶりの再会とは思えない、つい数日前に顔を合わせたばかりの友人同士のような淡々としたやり取り。
両者の間に長命種特有の悠久の空気が流れていた。
「じゃあ私たちは、先に受付で貸し出しの手続きをすませてくるから……そうそう、フリーレン」
机の上の本やら荷物をラオベンと一緒に纏め終えたアウラが司書の立っている受付へと向かう去り際に、何か思い出したように言い添えた。
「あとで英雄焼き……ユンゲモチョモチョについて話があるから」
「…………あー……分かった、後で話を聞くよ」
「そういえばソレがまだあったな」、という感情を顔に滲ませるフリーレンは
後々の説明の面倒さを予感して遠い目をしながらも、遠ざかっていくアウラの背中に向かってひらひらと軽く手を振り返した。
「…………以前と顔触れが変わったが、元気そうでなによりだ。それに、前よりも面倒見もよくなっているぞ」
「そう?」
「山小屋での半年間、一度も自分で起きられなかった事を思えば大した進歩さ」
二人きりとなったクラフトとフリーレンは、遠い昔話に華を咲かせる。
「そりゃ300年も経てば、色々と経験するからね。あの頃の私がガキだっただけだ」
「…………300年
「……なに?」
フリーレンは知る由もないが、ほんの数時間前、アウラに対しても見せた沈黙。
それは相手の言葉から漏れ出した"何か"を検分するような、独特の間隔だった。
しかし、クラフトはすぐに表情を和らげて口を開く。
「いや……なんでもない。お前も大人になったのだと思えば喜ばしい限りだ」
沈黙の意味は分からず仕舞いだが、褒められたという事だけは確かなので「ありがとう」と短く返す。
「そういうクラフトは今は何をやってるの?また北側諸国を旅して──」
「いや、俺は40年ほど前からこの街の近くの修道院を拠点……というほどでもないが、定期的に顔を出していてな。数年に一度立ち寄っては、失われつつある古い伝承や、女神様の教えの昔の解釈なんかを、若い修道士たちに語って聞かせている」
前に会った時と同様、行く当てもない放浪を続けているのだろう。
そう思って聞いたフリーレンは予想外の返答にパチクリと目を丸くした。
「……この辺りに腰を落ち着けたんだ?」
「いや、あくまで旅の合間だ。前ほど幅広くこそないが、この地方の範囲内を今も変わらず巡り続けているに過ぎない」
旅の合間の暇つぶし、そんな風に語っているが
永遠に等しい寿命のエルフというのは、変化に乏しい同じ様な暮らしぶりを何十年、何百年と続けるきらいがある。
それを考えると、クラフトの今の生き方はだいぶ活動的に思えた。
「……クラフトの方こそ、ちゃんと今を生きてるんだね」
自身よりも遥かに年上であるのに、感受性の鈍化や永い時がもたらす虚無感に呑み込まれる事なく
時代に合わせて前へ前へと歩み続けるその姿は、どこか眩しく、そして健やかに見えた。
「フリーレン、早くしないと置いていっちゃうわよー!」
「今行くよー!……ごめんそろそろ行くね。何百年後かにまた何処かで……とは言っても、この街にはもう少し滞在する予定だから、すぐ会うかもしれないけど」
急かすアウラ達に応じたフリーレンは、床に置いていた鞄を拾い上げる。
そして、半年もの冬を越した山小屋をようやく発つあの瞬間に交わしたのと同様に、気負いのない仕草で軽く右手を挙げて出口へと向かった。
「ああ、また会おう」
クラフトもまた、300年前の記憶をなぞるように微かに口角を上げ、同じように短く手を挙げて応える。
だが──
「……それとフリーレン。最後にこれは俺からのほんのアドバイス……というよりは忠告だが……」
穏やかだった声色が、そこで少し低くなる。
「………………あのアルムの嬢ちゃんに入れ込みすぎるのは辞めた方がいい。……分かるだろ?」
出口へ向かっていたフリーレンの歩みがピタリと止まる。
そして、クラフトの方にゆっくりと向き直った。
「やっぱり気付いてたんだ。……いつから?」
「最初からだ。魔法職ではないから魔力探知はそれほど得意ではないが……会った時から"気配"の異質さですぐにピンと来たんだ」
『何が』、とは互いに口にしない。
具体的な主語は一切なかったが、交錯する視線だけで言わんとしている事の核心はとうに伝わっていた。
いつの間にか二人の間には刃物のように張り詰めた空気が降り下りている。
長く、重苦しい沈黙。
やがてフリーレンの口が開き、
「元魔王軍の七崩賢で、大陸で最後の大魔族、断頭台のアウラ。……クラフトは知らないだろうけど」
アルムの……断頭台のアウラの素性を、つらつらと語り出した。
「あぁ、俺は知らん。アウラという名も、七崩賢とやらも。……ただ、一つだけ確かに言える事はある。その旅路を続ければ──」
「分かってる。承知の上でやってる。……大丈夫、本当にどうしようも無くなったら、尻拭いは自分でするつもりだから」
その翠玉の瞳には、最悪の事態を自らの手で引き受けるという暗い覚悟が宿っていた。
クラフトはそれ以上踏み込むことはせず、ただ短く息を吐き出す。
再び落ちた沈黙は、互いの考えを噛み砕くためのわずかな時間だった。
やがてクラフトがゆっくりと口を開く。
「…………今生の別れとは思わん。何百年後かに、"また"会おう」
「うん、"また"会おう」
その"また"が来る事を互いに願いながら
今度こそ背を向けたフリーレンは閲覧室を後にし、図書館の外で待っていたアウラやラオベンと合流した。
「遅いわよフリーレン。そういえば、さっき、クラフトと何を話していたの?」
訝しげに小首を傾げるアウラに対し、フリーレンは先ほどの重圧など微塵も感じさせない、いつも通りの平坦な声で返した。
「なんでもないよ」