Do not go gentle into that good night.   作:ブラックモア

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渚にて

 

 

 

 

「この技術が完成すれば」男はそこまでいって体を向こうへ向けた。「我々は勝利に大きく近づけるだろう。」

「エーギルにとってこれは間違いなく救いになる筈です。」傍の助手が首肯する。彼は彼の師と同じく白衣を着ているが、ベッドの上で横になっていた。

「その通りだ。我々は永きにわたってよく耐えてきたが、自らの傲慢さとデータの不足により同時に多くの失敗を犯してきた。しかし…」

 男は言葉に詰まった。自分が今貴重な時間を、いや“彼の“貴重な時間を無駄にしているように思われてならなかった。

 本当はもっと有意義なことを、”彼”の手助けになるようなことを言うべきなのだと彼は気づいたが、彼の世界の文化と職業はその能力をほとんど奪い去るか埋め立ててしまった。

しかし、

「…先人達の失敗を傲慢と不足だけに求めるのは正確ではありません。なぜなら…」…彼の予感は杞憂で済んだようだった。

 助手はその残り少ない時間にも関わらず、”その”問題を話し合うことに満足しているようだ。少なくとも、彼にはそう見えた。

 少しばかり安堵したおかげで、再び彼は現状を話し合う余力を得た。男はベッドの横の丸椅子に座り、助手と向き合った。それから彼らは、自らの共同体の過去と未来、技術の考慮すべき点についてもう一度話し合い始めた。

 

 

 

 長い長い話し合いの後、男はとうとう切り出した。

「…怖くはないのか?」男は背を向けた。

 助手はどういう意図で師匠がその言葉を発したのか最初は理解出来なかった。

「…突然どうしました?教授らしくありませんよ?」「怖くはないのかと聞いてる」

 男の声は冷静だったが、応答は食い気味だった。

教授らしくない─”彼”はそう思ったが、圧に押され、

「…怖いです、正直に言うと。明日のこともですけど、何よりそれからのことが。」

「…」

「明日の手術自体は実はそんなに怖くないんです。確かに電算機はあんな確率を提示しましたが、私は信じていません。なぜなら教授と研究室の皆さんの能力の高さは機械よりも私の方がよく知っているからです。私は教授が過去に執刀した手術をよく知っていますし、皆さんのことはよくわかっているつもりです。大体腕を持たない電算機なんかに判定させること自体がナンセンスなんですよそもそも導入を決めた連中ときたら」

「もういい!」

 突然の怒声に怯んだ助手は話そうとしていたことを引っ込めた。顔には驚きと困惑が浮かんでいる。

「もういいんだ」

 

 怒鳴り声から一転、教授の声は穏やかなものに戻っていた。教授がなぜそんなことを聞いたのか、この時の助手にはわからなかった。

 だが、助手には男の言わんとしていることがわからなかったとしても、男の方は助手の真意を感じ取ったのだった。そしてそのうえで、自分にできることをできるかぎりしようとしたのだった。

 彼は”彼”の態度に好奇心を示した訳でも、気味悪く思ったのでもなかった。彼は労ろうとしたのだ、死への岐路に立とうとしている弟子を。そしてそれは長年この世界の研究者として生きてきた男には不似合いなものだった。それ故に彼は背負うことが、いや、ほんの少しでも肩代わりできないことに気付いてしまったのだ。

 彼は自らに絶望した。

 

 病室は沈黙で満たされた。二人ともかける言葉を失っていた。

 それからしばらくして男がもう一度しゃべり始める。

「もうそろそろ寝たほうがいい」窓外は暗くなり始めていた。それほど時間は経っていただろうか。

 教授はテーブルに置かれていた茶を飲み干すとおもむろに立ち上がる。

「できるだけ安静にしていてくれ。明日の手術から出来るだけ不確定要素は排除しておきたいのでね」

 教授の話し方はいつも通りに戻っている。その話し方からは先ほどの切羽詰まった雰囲気は感じ取れない。”彼”はようやく男が先ほど無理をして、慣れない言葉で己を労わったのだと理解した。

「また明日。」

 その言葉を最後に、男は病室から去った。扉は閉まり、二度と開かなかった。

 

 

 

 実際のところ私は何も分かっていなかったのだ。自分が背負うことになる責務、戦うという事、自分の後に何が続くかという事、皆が思っていた事、何より、明日の手術の後に自分がどうなっているかという事など。

 一応言っておくとこの中のいくつかの事は頭では理解出来ていた。ただし、実感を持つことが出来なかったという点では全て同じだった。先駆者にあるまじき状態と言っても過言ではないだろう。

 結局私はある思いに引きずられてそこまで来てしまっただけだった。ただ一つの願い、そう、彼女に───

 

 

 

 目を覚ます。先ほどの夢は何だったのだろう。

─明日という日を控えておきながら情けない限りだ。できるだけ安静にしておくように教授も言っていた。寝ておくべきだろう─

 そう思って、再び目を閉じる。

─ぴちょん

額が濡れるのを感じた。「何だ、ただの雨か。」

─雨?確かここは雨漏りなんてなかった筈だ。

ぴちょん。今度はテーブルの上に落ちたようだ。身を起こして確かめてみる。「白?」

少なくとも水滴の色ではない。手に取って感触を確かめてみる。それは薄く引き伸ばされた。少し粘り気があるようだった。これではまるで、「クリーム?」

 ふと、天井を見上げる。…白い建材のあちらこちらに大小さまざまの穴が開いていた。よく見ると、ベッドの周りはクリームで一杯だった。

「…工作機械の誤作動?」そんな訳はないと思いながらも口に出してしまう。尤もリフォームはなくとも解体工事はあるかもしれない。書類上はここはとっくに廃墟なのだ。

「ガシャン。」という音と共にティーカップが床に落下する。琥珀色の液体が扉の方へ流れていく。

「傾いているのか…?」

 一考しようとしたときに今度はテーブルが倒れた。

 ほかの家具ももうじき倒れるだろう。今度は迷わず飛び出した。

 

 

「何だこれは?」廊下にはすでにいくつかの穴が開き、他の部屋からあふれ出た家具やら道具やらが溢れていた。慎重に足場を選ぶ時間はどう見てもなかったので、安全そうなものを即興で踏みつけながら全速力で出口を目指す。足裏に何か刺さった感触がしたが、不思議と痛みはなかった。

 

 

 通りにでて、荒げた息を整える。正直激しい運動は柄ではないのだ。飛び出してきた建物を振り返る。

「逃げ出してよかった…」つい先ほどまで横になっていた建物は今や霧吹き機をふりかけられた砂糖菓子のようにふやけ、自重で崩れようとしている。

 最初は緩やかに、だが少しずつ傾いて、「ぺしょん」

押し潰れたクリーム菓子のように倒壊した。

「そうだ、他の人たちは─」逃げるのに必死で忘れていた。ここには他にも人がいた筈だ。「早く助けないと」

「─ぴしょん」顔が濡れる。雨滴がはじけ、表面を潤していく。

 

「─あ」

突如として鮮明なイメージが沸き上がり、デジャヴに似た感覚に陥る。

 

 なぜ、忘れていたのだろう。小雨に降られる感触が、気泡が肌の上で踊る感覚に似ていることを。

 

 なぜ、思い至らなかったのだろう。自分は故郷を思い返すには、あまりにも長く遠く離れてしまったことを。

 

 なぜ、気付かなかったのだろう。陸の空気に慣れ過ぎてしまったことを。

 

 

全てが崩れてゆく。

世界と認識していたものがボロボロになって消え去ってゆく。

時よ止まれと念じても、考えた先から消えていって。

お前は美しいと讃えることすらできなくなっていく。

終いには自分が何かすら分からなくなって。

最後の瞬間脳裏に浮かんだのは─

 

 

 

 

 

 

 

 

「─ですか?大丈夫ですか?カゲリウスさん?」声が聞こえる。青年の顔がぼんやりと目に浮かぶ。意識が急激に起き上がってゆく。

「─ありがとう、ジョディ。大丈夫だ」まだ視界ははっきりとしないが、誰かは分かった。そもそも私なんかを自分から訪ねてくる物好きなど、ここグランファーロにはほとんどいないのだ。

「本当に大丈夫ですか?ずっと魘されていましたよ?」

「…そんなに?」

「ええ」

「もしかしてずっと介抱を?」

「はい」

 どうやら自分はずっと魘されていたらしい、離れた場所にいるジョディを起こして介抱させるぐらいには。

 青年の手にはタオルが握られていた。

「…なら君にはお礼をしなくちゃいけないな」

「お気になさらなくて結構です。いつも世話になっているのは僕のほうですから。それより、なにか必要なものはありませんか?多分気分がまだよくないと思いますし、僕がとって来ます」

「…何から何まで君には迷惑をかけてばかりだな。そうだな、君だけでなくティアゴさんも起こすのは忍びない。このコップに井戸の水を注いできてくれないか?」

「分かりました、持ってきます」

 

 

 

 ジョディがコップをもって扉から出て行ったのを見送ると、私は窓を開けた。

「───」

 しばしの間、外を眺める。頭上にはただ二つの月がある。

 今は夜であるために吹いているのは陸風だったが、海がすぐそこにあるせいで潮の香りはしっかりと感じ取ることが出来た。海は、直接見ることはできなかったがその存在感は健在だった。

 自分が今感じ取っている海が望んでいるものではないことは明白だったが、それでも故郷を思い返さずにはいられなかった。

─ここ最近、繰り返し見るあの日の回想と弁明が入り混じった悪夢はあの海が見せているのだろうか?─

 そんな妄想を一蹴する。大体そうならここに来たあの日から見るはずだ。なのに最近に限って、しかも繰り返しというのは何か良くないことを予感させる。

「何も起きなければいいのだが」勘が案外馬鹿にできないというのはこれまでの陸上生活で学んだことのひとつだ。

「二十年」口で言うと数秒もかからない単語に自らの半生が籠っているというのは何ともおかしく思われる。

 だが、自分はあの二つの月に親しみをもってしまっていた。最初見たときはただ奇妙としか思わなかったあの双月に。長の年月が自分にあの双月に親しみを覚えさせてしまったのだ。

 長いこと異邦から異邦を渡り歩いて生きてきて、様々なものが変わりゆくのを見てきたが、あの双月だけはいつも空にあったのだった。

 

 頬を涙が伝う。この涙が何なのか、私は言い表す術を持たない。

 

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