<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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序章 序曲(オーヴァチュア)
第一話 不死の異邦人


 ■西暦1万2043年 

 

 重苦しくしめった闇が、泥のようにあたりを覆っている。吸い込んだら(のど)の奥まで真っ黒になりそうなほど。

 都市船(コロニーシップ)の下層はひどく暗かった。きっともう何百年と、陽の光など浴びていないのだろう。音はなく、風も動かずに、じっとすべてが澱んでいる。

 

 それを押し退けるように、するどい携行燈(ランプ)の光が差した。

「お待ちしておりました」

 金属の壁に、しわがれた声がこだました。

(レン)大佐閣下、そして柚子(ユーリス)特別中佐どの、で宜しかったでしょうかな?遠路はるばるのご訪問、恐縮に存じます」

 あかりの持ち主、口髭を蓄えた老博士が、拳を合わせて深々と頭を下げる。

 

「出迎えご苦労、機学博士(シェジウ・ダ)

 それへ向かって、大佐と呼ばれた男は、黒い革のコートを羽織りながら目を細めた。頬骨の陰が濃く揺らいだ。

「冷えるな」

「地下でございますから」

「このような場所では身体に毒だろう」

 電燈はか弱く、かすかにあたりの壁を照らし出しているだけだった。堅固で冷たい金属と、雑多に這い回る配管の束を。

「足元もろくに見えないとあってはな。太陽が恋しくなりそうだ」

「僕なら一日で御免ですね。ここはもう海抜より下なのでしょう?」

 そばに控えていた若者が呟いた。その金髪に、電燈が柔らかく反射している。若者――柚子(ユーリス)中佐は、傍らの大佐に目をやった。

「大佐も大佐ですよ、ご自分の目で見ておきたいなどと仰って」

「生憎、私は前時代的な人間でね」

 (レン)大佐は、眼の前にいる白衣の老人に視線を移した。

「それで、報告にあったものはどこかね?」

「こちらです」

 老人は矍鑠とした足取りで歩き始めた。 

 金属の通路は次第に狭くなっていった。錆びついた配管や、ごわついた樹脂で覆われた電源有線も数が減ってゆく。空気の冷たさは、長らく人の立ち入っていない場所だと肌でわかるほどだった。

「つい最近発見されたばかりの区画でして」

 博士は言った。

「大気成分に問題はないはずですが、海水が侵入していることもありえますので、どうかご注意の程を。防護服などは?」

「問題ない」

 大佐ははっきりと言った。

「彼がいるからな」

「そう言って、あまり頼りにされすぎるのも困りものですけれどね……僕の()()にばかり仕事をさせられては」

 年若い中佐は、そう言って徐ろに、左手の甲を見せた。

 その手首から甲にかけてには、“螺子”の紋章が刻まれていた。

 

 博士は黙って一礼した。()()()()()()ならば、確かに問題はないだろう。

 足音だけが通路に響いていた。それは電燈の外で暗闇に吸い込まれ、くぐもった音になって鏡のように磨かれた壁に消えていった。

「この壁が何からできているかすら判らぬのです」

 博士は皺だらけの唇を舐めた。

「未知の金属類による複雑な化合物でしょうか。我々の技術は、火も薬品も通じませなんだ。先だって新たに発見されたこの通路も、機能の掌握など夢のまた夢といったところで」

「だからこそ、上は都市船深部への探査を重く見ている。未知で結構、それだけ調べる価値がある……だそうだ」

 大佐は言った。

「理には適っていよう」

「ええ、我らが曳航連邦の栄華のためです」

 中佐は明朗に言った。

「それに、あなたからの報告書は読ませていただきましたよ。今回()()()()()()()とて、言わば、そう、()()極致でしょう?博士(ダー)

「“未知”という意味ではそうでしょうな。勿論あなたこそ、きっとよくご存知の通り」

 中佐の左手を見、そう言って博士は突然立ち止まった。

 通路は途切れていた。巨大な縦穴に突き当たって、口を開けているのだ。冷たい風が微かにだが動き、三人の顔を撫でた。

「そう、あれが“何”なのか。どのような仕組みか、果たして生命なのか物質なのか……何百年という時間を使っても、人類は未だになお手掛かりすら得られておらんのですよ。判っているのはただ、その偉大さだけ」

 老人が壁際の配電盤を操作した途端、強すぎる白色光が縦穴をまばゆく照らし出した。視界がいっときだけ塗り潰され、やがて目が感覚を取り戻す。

 そして、彼らはそこにあるものを目の当たりにした。

 

「<天使(マラーク)>……か」

 

 金属の壁面に埋まっているそれは、巨大なヒトの輪郭をしていた。 

 その石の像のざらついた珊瑚のような表面は、精密に加工された壁面の滑らかさとは明らかに異質のものだ。

 それは沈黙していた。現在の人間の技術ではサンプルすら採集できないはずの壁を砕いて。

「あれが第78坑道(コリドー)のさらに奥、現状の最深到達層境界にて発見された、神話級<天使(マラーク)>です」

 博士(ダー)は重々しく告げた。

「実に、壮観だな」

 大佐は、僅かながらに驚きを隠せぬ口ぶりで言った。

 眼の前の<天使>は顔の前で両手を組み、跪くような格好で静止している。その背には紛れもなく、屹立する翼のかたちがあった。

 身体の細かな造形はざらついた石の表面にうずもれている。鎧のような、硬質の鋭角がその端々に覗いていた。指の一本が、大人の腕よりも太いほどだった。

 寒さとは違うものに身を震わせながら、大佐は白く曇る息を吐き出した。

「等級の測定は確かなのか?」

「不活性化状態では確実とまでは言えませんが、スペクトル測定の結果は“青”、神話級を示しております」

「神話級……青の第4位」

 柚子(ユーリス)中佐は呟いた。その声には、明らかに熱が滲んでいた。崇めるような、心酔するような慕情が。

「“王の器”というわけですか」

「この情報を知っているものは?」

 大佐は低く、鋭く尋ねた。博士は恭しく回答した。

「これを発見した私率いる学者団(シェジウ・マ)と、そして庶務に携わったここ現地の連邦軍人の一部には可能性がございますな」

「人の口に戸は建てられん」

 大佐は吐き捨てた。

「これは火種になるぞ。新たな神話級の発見など、ここ十数年は無かったことだ。他国に嗅ぎつけられれば最悪、この上の都市も戦場になりかねん」

「……ご存知とは思いますが」

 博士は禿げ上がった頭を揺らして言った。

「活性化してからでなくては、奇跡の詳細は判りませぬ。契約者はあくまでも<天使(マラーク)>が選ぶもの。神話級の奇跡を手にするものが誰になるかは人知の及ばぬところです」

「あぁ。一刻も早く首都へ移送せねばな。民間か敵国に流れでもしたら、いささか有り難くない事態になる」  

 大佐は厳しい顔で言った。

 <天使>はこの上ない資源だ。特に、不活性化状態の<天使>は。まだ、誰のものでもないのだから。

「いえ、移送は待っていただきたい」

 だが、そのとき横から中佐が口を挟んだ。

「動かすべきではないでしょう、今はまだ」

 その顔には、傲慢な自信が浮かんでいた。

「遠からず連邦本国から契約候補者が来ます。その時までこの<天使(マラーク)>はこの都市にて保管するべきだ。深部は都市で最も堅牢な場所、下手に無防備な洋上へ動かしては敵の思う壺でしょう」

 大佐は眉一つ動かさず、中佐に視線を向けた。

「現場では私の指揮下で動いてもらおう、中佐。それとも、私の命令には従えないとでも言うつもりか?」

「僕は正しいと思うことに従っているだけです。あなたこそ、僕の意向に敬意を払ったら如何ですか」

「それは、中央軍情報部からの出向としての言葉か?」

 渋面の(レン)大佐に、柚子(ユーリス)中佐はキッと鋭い目を向けた。

「上の意向は絶対だ。あなたの方が階級で上だとしても、僕の指揮系統は本国情報部の直属下にある。キャリアが違うのですよ。お忘れなく」

 中佐は振り向きもせず、その生真面目さに違わない四角四面な足取りで、来た道をさっさと戻っていってしまった。慌てて、博士がその後を追う。

 大佐はそれに続こうとしたが、ふと足を止め、名残を惜しむかのように<天使>を振り向いた。

 それは相も変わらず沈黙していた。石と同じことだ。

「神話級<天使(マラーク)>……」 

 大佐は呟いた。

「……我らの手の内に収まればいいがな」

 そして、明かりは音を立てて消えた。

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  <Infinite Apocrypha>

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 ■曳航連邦・南部辺境イザール市

 

 

 その浜辺の砂は、錆と珪素の破片だった。

 白と褐色の混じった穏やかな色だ。その上では発電帆(デンセール)が柔らかな海風を受けて膨らみ、朽ちた信号柱(シグナリヤ)が間を空けて立ち並んでいた。

 真昼に白く照らされた物寂しいその浜で、人影が怒声をあげる。

卑小用非(役立たず)!』

 連邦の共通(シャーン)語だ。

『この、役立たずが!』

 その男は(ヘザー)という、街のごろつきだった。

『おい、俺はなんて言った?3日前になんて言ったかお前覚えてるか?』

 陰険そうな顔だ。何一つ特別なところのない、平凡な顔だった。

『カネを持って来いと言ったんだ』

 (ヘザー)は血相を変えて怒鳴った。色白の顔が怒りに紅く染まっていた。

『だがお前は約束を破ったわけだ。なんで俺を悲しませるんだ?なぁ、アゲハ』

 

 アゲハと呼ばれた少年は、砂まみれで横たわっていた。 

 白い合成樹脂の服は薄汚れ、ぶかぶかの袖から指の先が覗いている。伸び過ぎた褐色の髪が眼差しを隠していた。

 逃げることはたぶん、やろうと思えばできたのだし、逆らってみることだってできた。けれど、それをしてもどうにもならないということをアゲハはよく分かっていた。彼は今、自分が人を殴れるような立場なのだと確認したいだけだ。

 流れに任せるべきだ。そうすれば、早く終わるのだから。

 (ヘザー)は黙ってアゲハの腹を蹴り抜いた。重たい音がして、華奢な少年は身体を折った。

『立て』

 アゲハは腹を押えながらおずおずと従い、(ヘザー)を軽く睨みつけた。唇が動く。

『……仕方なかったんだ、稼げなかったものはどうしようもないし、採掘屋(ザークヤィル)の連中は縄張りに入れてくれないし……だいたい、なんでおれがあんたにカネを払わなきゃいけな――』

 (ヘザー)はまたその爪先を振り回し、アゲハの脚を蹴った。砂がぱっと飛び散った。

『お前の事情なんざ関係ないんだよ』

 よろめくアゲハの胸倉を掴み、その懐に手を突っ込むと、(ヘザー)は幾枚かの硬貨を掴み出した。 

『卑しい異国民(イリン)ごときが、ろくに人間語も話せないくせして、精一杯の理屈を捏ねたもんだな』

 ちゃりちゃりと硬貨が音を立てる。

『いい加減理解しろ。この街でお前みたいなのが生きていきたきゃあ義理を通さなきゃいけないってことをだ』 

 勝手な理屈だな、とアゲハは思った。この手の人間は大概がそうだ。

『これは迷惑料として貰ってくぞ』

 アゲハの訛りを嘲笑いながら、(ヘザー)は手の上の硬貨を数えた。1枚、2枚、精々2000ゼータ足らず、というところか。(ヘザー)はその端金を蔑むように掌で弄んだ。

『も一度言っておく。今日中に10000ゼータ稼いで持って来い。さもなきゃ、お前を海に放り込んでやる』

 (ヘザー)はそれだけ言って、ずかずかと街の方へ歩いていってしまった。その姿が砂の丘陵に隠れるのを待って、アゲハは深く息をついた。

「嫌な奴」

 聞かれても殴られないよう、アゲハは母国語で呟いた。最も、聞こえないようにとは思っていた。異人のことばなんて、それだけでぶん殴る口実になるのだから。

 10000ゼータなんて1日で稼げないのは分かりきっていたし、それをあの男が知っていることも理解していた。あれは、盗みなりなんなりでもやって金を工面してこい、という意味なのだ。

「自分で手を汚す気もないんだから」

 海に放り込んでやる、という言葉を思い出してアゲハは身震いした。浜辺ははるか遠くまで続き、波打ち際では波が白く泡立っていた。

 海は美しかった。翡翠を砕いたような光が紺碧の波間に躍り、うねる水は驚くほどゆっくりと揺蕩っている。

 この街で、異邦人にまともな生き方は無いのだ。

 アゲハは反吐が出る思いで座り込んだ。

 故郷から、この街に流れ着いてもう随分と経つ。言葉はかなり上手くなったし、街の歩き方も学んだ。近づいてはいけない場所や、意地を張ってはいけない場面を。けれどそうやって巧く立ち回ったところでアゲハに先はない。まともな職に就けない異人には、根の下ろしどころがないからだ。

(カネがあれば……いや)

 自分が大金を拾ったらどうなるだろう?想像の中での1秒後、アゲハは殴られてカネを持ち去られ、路地に蹲っていた。アゲハはため息を噛み殺すように、苛立ちを込めて奥歯を咬み鳴らした。

 そして、ふと顔を上げた。

 

 立ち並ぶ帆の影のひとつに、人間が倒れていたからだ。

(死んでるのか?)

 アゲハは唾を飲み込んだ。

 若い男だ。腰まで伸ばした黒髪を束ね、堅牢な黒い長靴(ツッカ)を履いている。やわらかそうな白いシャツは、いかにも着心地が良さそうだった。

 10000ゼータは大金だ。まともな手段ではとても稼げない。

 死体から金を漁るのなら、少しは罪悪感もマシになるだろうか。

 アゲハはゆっくりとその死体に近づいた。生気のない身体は、なかば砂にうずもれるように横たわっていた。  

 その懐に手を伸ばす。金はなくとも、せめて何か金に変えられるものがあれば――

「泥棒かい?」

 突然の声に、アゲハは飛び上がった。

 男は目を開けていた。砂に塗れた顔で、エメラルドのような深い緑の瞳が煌めいている。死んでいると思ったのに!

「……生きてたのか」

 アゲハは妙に安堵しながらそう言った。

 そして、目を見開いた。

 男が話したのは、連邦の共通(シャーン)語ではなかったからだ。

「君の独り言は聞こえてたさ。君、連邦の人間じゃないね。戦争から逃げてきた異邦人、といったところかな?」

 男はアゲハの母国語で言った。ふらふらと砂に手をついて立ち上がったその身体は、ひょろ長い信号柱(シグナリヤ)のように見えた。

「アシタ語は久しぶりだよ」

 アゲハは雷に打たれたような顔で突っ立っていた。まさか連邦に異国語を解し、あまつさえ口にして見せる人間がいるなどとは思いもしなかったからだ。

「昔ね、あちこち旅をする内に覚えたのさ。あの頃はまだ国境も楽に通れた。僕は(ダーン)

 男はそう名乗ると、穏やかに眉を持ち上げた。

「さて、君の名前は?」

「あ、アゲハ」

 アゲハは躊躇いながらも、思わず本名を馬鹿正直に答えていた。その名前だけで、連邦の人間なら眉をひそめられるのに。

 けれど、(ダーン)は気にしたふうもなかった。彼はアゲハの訛りを笑わなかった。それどころか、異国民(イリン)と呼ぶことさえもしなかったのだ。

「戦争だろう?」

 (ダーン)は言った。特別な含みももなく淡々と。

「連邦ときたら本当にずっと戦争をしているからね。東の方で、君みたいなのは沢山見たよ。故郷を喪って、他の都市船へとどうにか落ち延びる人間は……君の国は、特に酷かったけれど」

 (ダーン)は何かを思い出すように顔をしかめた。

「で、食い詰めて死体を漁ろうってわけかい?どうせ後ろ暗い奴等に嵌められたんだろう?あの手の人間にとって、君みたいな繋がりのない余所者は格好の餌食だから」

「あの……悪かったよ」

 アゲハは歯切れの悪い口ぶりで言った。

「あんたにはなんの関係もないことなのに、おれの事情で勝手なことをしようとして……」

 

「なら、そのお金を取り返しに行こうじゃないか」

 (ダーン)は意気揚々とのたまわった。その言葉に、アゲハは目を白黒させた。

「あの悪漢はどこにいるんだい?」

「に、二番通り(ウーゼル)の奥の“笛吹き鶏”って店に、いつも」

 思わずアゲハは答え、そしてすぐに青くなった。

「いや、だめだ。殴り込みなんかに行ったらおれが後でひどい目に遭うんだから」

「あっちだね、解ったよ」

 なにも解ってない!アゲハがそう言うより早く、(ダーン)は風のように走り出していた。舞い上がる砂塵だけを残して。

 アゲハも一瞬遅れて、地面を蹴った。行かせるわけにはいかない。ますます面倒なことになりかねない。

(くそ、なんなんだあの足の速さ!)

 すばしっこさには自信があったのに、(ダーン)の背中はみるみる小さくなっていく。坂を駆け上がり、角を曲がり、街の右舷側へと向かっていた。

(道は知らないはずだろ?なんであんなに速いんだ)

 道は薄暗く、淫靡な香りのする方へと入っていった。アゲハは舌打ちした。入り組んだ路地を先回りしようにも、(ダーン)はどんどん先へ行ってしまう。

 アゲハは最後の角を曲がった。香料の匂いが、つんと鼻をついた。

 

称唖(何者だ)!』

 扉の前に屯していた一党が(ダーン)短刀(ナイフ)か何か突きつけているのを見て、アゲハは顔をしかめた。早速見咎められたのだ。

『見ねえ顔だな』 

 その一人、顔面にひきつれた傷のある男が、手の内の刃を弄びながらドスの効いた声で言った。

『ここはお前みたいなのが来るとこじゃあないぞ』

『へぇ?紹介がなきゃあ入れないだなんて、ここはそんなに格調高い店なのかい?』

 やめろ!アゲハは叫びたいくらいだったが、顔を半分だけ出して様子を窺うくらいしかやりようがなかった。

(ヘザー)とやらに用がある。出しなよ』

『失せな』

 (ダーン)の言葉には返事もせず、ごろつきは自分の都合だけ端的に述べた。(ダーン)は肩をすくめた。

 

 そして、男は握手でもするような自然さで切っ先を突き出した。

 よく研がれた刃はシャツを貫き、(ダーン)の腹に真っ直ぐ突き刺さった。ごろつきは刃を捻り、そのまま(ダーン)の腹から胸にかけてを深く、斬り上げた。水っぽいような、嫌な音がした。

『返事が遅いからだ』

 ごろつきはため息交じりに、(ダーン)の身体を蹴り飛ばした。粘りのある赤いものがぼたぼたと落ち、(ダーン)の身体が力を無くしてどうと倒れ伏す。

 

 アゲハは目を見開いた。自分の息遣いが嵐のように耳に響く。

『片付けとけ』

『なんだ、後始末は俺等かよ』

『またすぐに手を出しやがって、あぁ、店の前が汚れてるじゃないか』

 飲み物でも零したような気軽さで事が進んでいくさまに、アゲハは目眩がするようだった。あぁいう連中なのだ。暴力に慣れていて、人を殺めても後悔すらない。

 だから止めたのに。アゲハはじりじりと後ずさった。

 

『それで、そこの小僧は?』

 次いでごろつきは、壁に隠れているはずのアゲハに視線を向けた。

 逃げようとした瞬間、襟首を掴まれた感触がして、天地が回った。後ろにもごろつきの仲間がいたのだ、と分かったときにはもう遅かった。

 気づけばアゲハは店の前に転がされていた。疵面が下卑た笑いを浮かべてアゲハを覗き込む。

『なんだお前、あれの連れか?』

 アゲハは口を開こうとしたが、そのとき短刀がさっと振り抜かれた。ややあって、頬に冷たい金属の感触があった。突きつけられた刃が、アゲハの頬をからかうように叩いた。

『残念だなぁ、お友達は死んじまったぞ。お前はどうだ、希望はあるか?どこを刻んでほしい。ん?』

 アゲハは茫然と座り込んでいた。尻の下には硬い地面の感触があった。(ダーン)の死体は少し離れたところで、ずだ袋のように打ち捨てられていた。

『おれは、(ヘザー)に……』

(ヘザァー)(ヘザァー)!』

 男は心底馬鹿にした顔で繰り返した。

『お前、さては異国民(イリン)か。口の聞き方には気を付けるんだぜ。態度にもな。大事なことはいつだって、後悔してからじゃ遅いんだ。お友達の顛末を見て学んだだろうが』

 男は嘲るように言った。いつもこうだ。こいつらは蔑み得る人間を常に探している。どうせ同じ非正規市民のくせに。

 アゲハは、(ダーン)の死体を見つめて歯を食いしばった。

 

 その身体がふと、動いたような気がした。

『聞いてるのか?』

 それは見間違いではなかった。

 (ダーン)が血まみれの地面に掌を突き、起き上がった。ふらふらと上体を起こし、膝をつく。振り向いた男は、驚き顔でアゲハを放し、舌打ちした。

『運のいいヤツだ。頭は悪いがな。大人しくそこで寝てりゃあ良かったものを』

 悪趣味に飾り付けられたそのナイフを振り上げて、男は(ダーン)に近づいた。一歩、ニ歩、躊躇うこともなく間合いを詰める。

『今度はしっかり顔面の肉を削ぎ落としてやろう』

 言うなり、男は短刀を振り抜いた。刃が閃く。重いものがぶつかる鈍い音がして、ぱっと真紅の鮮血が飛び散った。

 

『それだけかい?』

 短刀は、(ダーン)の顔に突き刺さっていた。

 硬い頬骨で上滑りしたのだろう、その切っ先はこめかみと眼窩を切り裂いて右目を掻き回し、額を深く抉っただけで止まっていた。血は噴水のように吹き出していた。

 それでも、(ダーン)は死んでいなかった。顔をずたずたにされても、痛みに怯むことさえしなかったのだ。

『なんだお前』

 ごろつきは言った。突き刺した側のごろつきがだ。

『なんなんだ、お前は』

『生憎、僕はそれくらいじゃあ死なないんだよ』

 いつしか血は止まっていた。抉られた筈の傷も閉じていく。胸の致命傷さえも既に無かった。時計を逆回しにしたみたいに、身体が再生していく。

『それとも、試してみるかい?君ごときが、僕を殺せるかどうか』

 (ダーン)は優しく微笑んだ。それだけのことなのに、その笑みには粘つくような凄みが滲んでいた。

 ごろつきは素早かった。捨て台詞など吐かずにナイフを捨て、それが甲高い音を立てて落ちるより早く踵を返して逃げ出していく。悪友らしき仲間たちも慌ててそれに続いていった。

『なんだ、逃げるのか』

 (ダーン)は追おうとはせず、ただ額の血を拭った。その下から現れたのは、もう傷一つないすべらかな肌だった。

 アゲハは呆然とそれを見ていた。眼の前の、不死身の人間を。

 

「……<人間イカリ>」

 

 アゲハは平坦な声で言った。

 ただの人間にこんなことが出来るはずがない。あんな深い傷があっという間に、ひとりでに治るなんて、まさに……()()だ。

「羨ましいかい?」

 (ダーン)の言葉に、アゲハは思わず顔を背けた。頬が熱くなるのを感じた。唇が震えているのが分かった。

 (ダーン)はしばし考えて、言った。

「別に、恥じることじゃないよ。<天使(マラーク)>との契約を欲しがる人間は世の中にごまんといる。<人間イカリ>の多くは、ただ幸運だっただけだ。それを羨んだっていいじゃないか」

 アゲハは黙っていた。

 言葉を探していたからだ。ややあってその口から出てきたのは、思っていたこととは少しだけ違う気がした。

「奇跡が使えるって、どんな感じ?」

 (ダーン)はすぐさまにっこり笑って口を開いたが、その笑顔をふと消し、真剣な顔つきになって答えた。

「さぁ。特別な力を手に入れた気持ちっていう意味なら……君が思うほど特別でもないさ」

 (ダーン)はそう言って、扉に手を掛けた。

 

 その時、酒場の中から鈍い音がした。アゲハは(ダーン)の手を止めて、入口の小窓から中を覗いた。

(ヘザー)!』

 酒場の中では、知らない赤ら顔の大男が、あの(ヘザー)を怒鳴りつけていた。膨れあがっていて、まるで蛸のようだ。

『足りんぞ、このろくでなしが!俺は今日の朝までに、10万ゼータ返せと命じたはずだぞ!』

『ま、待ってくれ、すぐに集めてくる。だから夜まで待ってくれないか、頼むよ』

 その足元で情けなく唸っているのは、あれだけ傲慢そうにアゲハのカネを奪っていった(ヘザー)その人だった。

『なぁ、お願いだ。アテはあるんだ、へへ、あんたと俺の付き合いじゃないか、少し待ってくれ……』

 アゲハは顔を背けた。なんのことはない、あいつがアゲハのカネを奪ったのは自分の借金のためだったのだ。弱いものが、更に弱いものを探していただけのことだったのだ。

「どうする?懲らしめたりしない?」  

 (ダーン)は楽しそうだった。

「いや、もういいよ」

 アゲハは吐き捨てた。

 あんなに横柄だったあいつも、誰かの下僕だった。支配し、支配され、暴力と権力は連なる鎖のようにどこまでも続く。金があっても、別の場所に逃げても、きっと次の支配が待っている。最悪の気分だった。

(そのいちばん上まで行ければ……きっと)

 そんなのは無理だと、アゲハにはよく分かっていた。

 

 ◆

 

 街の右舷側へ歩いていくアゲハのあとを、(ダーン)はひょこひょこと着いてきた。

「家へ帰るのかい?」

「家なんかないよ」

 野宿には慣れていた。土地も、屋根も、そして持ち物を安心してひとところに置いておくことも、アゲハには高すぎる買い物だからだ。

 路地は終わっていた。一段下になった町並みが、目の前に広がっている。旧市街を眼下に望む高台で、アゲハは手摺にもたれかかった。パイプを嵌めただけのそれの足元には、水道管と電源管がうねっていた。

 今日はどこで眠ろうか、そんなことを考えるのも億劫だった。

 町並みの向こうには海が見える。きらきら光るさざ波が見える。

 右舷の街は、都市の北東の海に面している。水平線の向こうにはきっと別の都市船があり、その果てには別の国があるのだ、きっと。

 けれど、アゲハはどこにも行けない。

 

 そのとき、海のほうでなにかが光った。

「来たか」

 ふと(ダーン)がその海の一点に目をやった。

 つられて、アゲハもそちらを見た。眼下に広がる街、その向こうの都市船沿岸の荒野、そして、遥かに広大な大海原を。

 その波の上に、滑るように動く小さな影があった。

 (ダーン)はそれを見つめながら言った。その言葉には期待が滲んでいた。なにかを楽しみに待っている口調だったのだ。

「来るとは思ってたんだ。僕だって、あれの情報は耳にしてたんだからね。他の耳聡い誰かがあれを奪いに来てもおかしくはないよね」

()()()()?一体何の話だよ」

 船ではない。水を割くのではなく、躍る波の先を掠めながらそれは近づいていた。触れもしないのに、脚の下で波紋が後ろに拡がっていくのが見えた。

「血の気の多いやつらがさ」

 そう、それは人の形をしていたのだ。両の足があり、手があり、背には翼のような構造体が突き出し、頭に当たる部分は都市船の方をじっと眼差していた。

 影は大きさを増していた。近づいている。

 アゲハは息を呑んだ。呼吸が早くなるのがわかった。腹の底に冷たいものが走った。

 アゲハは知っていた。現れたそれが何なのか、よく知っていた。 

「あれは……」

 黒い影の頭上には、光の円環が回っていた。

 

「……<天使(マラーク)>!」

 

 to be continued……

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