■曳航連邦・交差都市ユディト
丈の短い、白っぽく褪せたような硬い草が風に揺れている。
積み重なり絡み合った都市構造体は、崩れ落ちるように草原へと続いていた。黒い金属と白い珪素が砕けたそれ自身に埋み、墓碑のように疎らな列を作り、そして草地に還る。
豊かな植物があった。なだらかな草原に立つ無数の風車が気流を生み出していた。
「ここは?」
「ユディトの郊外とでも呼ぶべきでしょうね」
「あの風車は、地下から電力を汲み上げて風を起こしているのです。港湾地帯の排ガスを寄せないために」
アゲハはうず高く積もった山脈のような街を見、その反対側に広がる牧歌的な草原を見た。絡み合った綿毛みたいな煙は風に吹かれて、都市山脈の上に留まっている。対して、褪せたみどりの草原の上には、透き通る青空が晴れ渡っていた。
「牧場か」
「ええ。正規市民の住む中枢の街もあっちの方角にあります。遠くですけれど」
「ここは、まだ都市船の辺縁なんですよ。市民権を払えなくなってからは、この別邸に住んでいるんです」
だろうな、とアゲハは思った。イザールでも、正規落ちの扱いは微妙だ。悪くすれば、非正規市民たちに恨みを買いかねない。だから、こんな中途半端な場所に住んでいるのか。
アゲハは目を凝らしてみた。
海は見えない。広大な牧草地帯はどこまでも続き、白っぽい壁に遮られて止まっていた。きっとあれが、“交差都市”ユディトの本体だ。その向こうには、ワイヤーとフレームに支えられた都市中枢塔が細い線になってそびえている。
きっと、有毒の海など恐れたことのない人間達なのだ。
「どうぞ」
開いた門の内側で、
◆
■
「おかえりなさいませ、坊ちゃま。あら、その方は?」
「やあ、
「お客様ですか?」
アゲハを見て頓狂な声を上げたその中年の女は、恰幅の良い身体を揺らして会釈した。手に持っていたはたきがバサバサと音を立てた。
「これはこれは、珍しいですね、すぐにお食事の準備を……おや、怪我しておいででありませんか?」
「……できれば、水を」
血と泥に薄汚れたアゲハは、息も絶え絶えに言った。召使の女は優しげな顔を歪めて首を振った。
「いぃええ、それどころじゃあありませんよ。今、お湯を沸かしてきますからね。薬箱は青い戸棚の一番上に。手拭いもお持ちしましょう」
「座ってください」
「気分は?」
「最高だね」
アゲハは言った。
「とんでもない有り様ですよ!」彼女は言った。「とんでもない。戦争でもしてきたんですか?」
「まぁ、間違ってはいませんね」
「泥を落としてくださいよ!」
「私の足は存分に綺麗だ」
老いたる執事は猛然と反駁した。
「屋敷の周囲に人影はありません。奴等、本当に追手は出しておらんようです。しかし……」
「“扉”を見せてしまった。時間の問題でしょうね。確証がなかったとしても、難癖をつけるには十分だ」
「奴等が我が家を狙う理由。それは僕達が、
「坊ちゃま。よろしいので?」
「ええ。明かしておく必要はあります。それに、それがバレたからこんなトラブルに巻き込まれているんじゃありませんか」
「あなたのそれと同じ、世界の情勢に一石を投じ得るもの。千金に値するもの。その一欠片」
「【偽リベリウス記】。その写本の一部を」
「あの、何か?」
アゲハがまったく見当のついていない様子だったからだ。
「知らない」
アゲハは顔を拭い、首を振った。
「知らない?本当に?あなた、<人間イカリ>ですよね?」
「あなたの戦闘は把握していました。あの圧縮技術は一人で、数日で編み出せるものではない。概念を教えた人間がいるなら、【偽リベリウス記】のことだって聞いているはずだと思ったんですが」
「悪いけど、本当に知らないよ。そんなに貴重なの?その本は」
「貴重、というより……唯一無二でしょうね」
「簡単に説明すると、【偽リベリウス記】は二千年ほど前……ヒトの“歴史”が終わり、現在の世界が始まったとされる少し後に書かれた書物です。内容は、<
「全てって、奇跡とか戒律とか?」
アゲハの言葉に、
「ですから、全てです。奇跡、圧縮、系統……<
「尤も、偽リベリウスの手によるオリジナルは散逸して、現代には遺っていません。我が家が保有するのも千年ほど後世の写本です」
「だから、狙われると?」
「1ページでも一億は下りませんね。ましてやもし、まだ未知の秘儀が記されていたなら、その値は天井知らずでしょう。圧縮の基礎でさえ、奇跡を遥かに強めるのです。まったく新しい術が見つかったなら……」
「もちろん、既に広まった“圧縮”について記されていることもあり得ますけど、そう言ったところで引き下がってはくれないのですよ、マフィアは」
「
呼び捨てに執事は眉をひそめたが、しかし何も言わなかった。当の
「別に、お見せしても構いませんよ。読めないでしょうから。大昔の写本です。中身は新ヤペテ語で書かれていて、詳しい人間でもなければ話題すら拾えませんね」
「じゃあいい」
アゲハは首を振った。その途端、傷の痛みが腕から背中にかけて走り、彼は体を強張らせてゆっくりと息を吐いた。
「おれ、こんな有様なんだけど」
「ええ、まずは静養してください。客間がありますから」
「違う」
アゲハは呟いた。
「おれに、何をしてほしいんだ?戦うだけなら……
「いくつか間違いがありますね」
「僕は逸話級です。【扉絵奇跡】はものをすり抜けて扉を開くだけの力。とても戦闘向きではない。そして、僕らがマフィアに狙われながらもやってこれていたのは、彼らにも彼らの遵守すべきルールがあるからです。早い話が、一線を越えることはできない」
「しかし、じり貧なのですよ」
ここに来て、執事が口を開いた。
「彼奴らは日に日に悪辣さを増しとります。このままでは早晩、良くないことになるでしょう」
「ええ。第十六代
「軍もですな。ユディト駐留軍と来たら、出涸らしみたいな奴らばかりだ。お解りかね」
「東の……戦争」
アゲハの言葉に、執事は頷いた。
「サダルメリク、ジビア、トルクラー、そしてホロフェルネス……近年、ユディトより大海流を挟んで東にある小国家群が次々と陥落した。曳航連邦は益々戦線を拡大しておる。主戦力はみな東におるのです」
アゲハは口籠った。
「あなたが軍に追われていることは知っています」
「なら、何故助けた」
「そうするに足ると思ったから。正規市民だからといって、いつ何時も軍に忠誠なんか誓いませんよ」
「左様。
老執事はそう言ったものの、
「しかしですな坊ちゃま、この御仁が奴等に勝てると申されるので?」
「彼は神話級です」
その言葉に、執事は目を剥いた。
「神話級?彼が、でございますか?本当に?」
知らなかったのか。アゲハはそう思ったが、何も言わなかった。その沈黙を自信の現れと取ったのか、老執事は敬意を払うように頷きはしたが、それでも、まだ心配そうであった。
「恐るべき幸運だ。<人間イカリ>の中でも更に希少、“王の器”たる青の第四位とは、しかし……現に殺されかけているというのに」
「まだ負けてない!」
アゲハは憤慨し、そして咳き込んだ。
「あいつら、おれなんかには負けないってたかを括ってるんだ。そんな奴等には絶対に負けない。次は勝つ」
「それは……殺す、と?」
「口外はしませんよ」
そう言って、
「しかし、想定外ではありました。あれらはお兄さんを全く恐れていない。やつらに負けを認めさせるには、どうしたものでしょうね」
「奴等は荒事に慣れておりますからな。やはり、奇跡で以て打ち負かす他ありますまい。我らも、今や非正規市民です」
「……おれを、そのために利用しようと?」
アゲハの声に籠もった冷たいものに、
「いえ。これはお願いです。対等の立場からの願いですよ。言ったはずです、僕は家族を守りたい。この家を。ですが、その力が僕では足りないのです」
対等の立場、という部分を強調して、
そのとき、薄っすらと気まずいものを打ち破るように、無造作な扉の音が軋んだ。
入ってきたのは、痩せこけた娘だった。歳はアゲハと同じくらいだろうか、その焦点の合わない目はふらふらと揺れ、顔には無表情のみが浮かんでいたが、それでもその造作は
「姉さま!」
「
慌ててその手を取り、寝室へと引き戻す
「姉さま、今日はお加減がいいんですね。でも、もう少し食べてください、お金のことなら心配いりませんから……」
扉の向こうから聞こえてくる
「あれは?」
思わず尋ねてしまったアゲハに、老執事はそれを咎めることもなく答えた。
「
そう分かって思い返せば、確かにあの二人は姉弟に見えた。
「先ほど……なぜ、これまで
老執事は躊躇いがちに続けた。
「彼奴らはこの家に易易と踏み込んでは来られんのです。あくまでも、嫌がらせどまりのことしかできない。なぜなら、お嬢様を傷つけるわけにはいかないから。お嬢様のことを、万が一にも害するわけにはいかないから」
話が見えず、アゲハは首を傾げた。老執事が口を開いたとき、ドアがまた開いて、すぐに閉じた。
「そう……姉さまが、この家で唯一、未だに正規の市民権を持っているからですよ」
「浴槽に、お湯が溜まりましたよ」
そのとき、廊下のほうからあのメイドの気の抜けた声がした。
◆
湯に浸かるなど何年ぶりだったろう。
脚の傷やら腕の火傷やらは酷く痛んだが、それでも湯に身体を浸すことはなにかを洗い流すような気持ちだった。苦しみだとか、悲しみに近いなにかを。
こうして湯を使えるのもアゲハにとっては典型的な富の象徴だった。個人で浴槽を持てるものとなると、さらに貴重だろう。
(腐っても元正規市民ってわけか)
だが、それを妬ましいとは思わなかった。連邦の市民権システムは、どちらかと言えば心底嫌いだったというのに。
「願い……」
アゲハは呟いた。人を使うことと願うことは、なにが違うのだろう。
(
そういうことだろうか。
少なくとも、アゲハはもう
泥に塗れた服を持ち上げると、そこから一枚の紙片が滑り落ちてきた。
アゲハはそれを拾い上げた。
(なにを読ませたかったんだろう)
アゲハは二つに折り畳まれたそれを開いてみた。
黒いインクで記された文字はくねくねとのたくっていた。彼女らしい、お転婆な字だ。その隙間に残っていたあの廃船の、トバルカインの空気の香りが記憶をくすぐった。
だが、アゲハは顔をしかめた。
簡単な名前などならともかく、びっしりと埋め尽くされた文字は読みにくい。共通語を話すのならまだしも、読み書きはまだ苦手だった。
(あとで、誰かに読んでもらうか)
それでも言葉を拾おうと、アゲハは眼を滑らせた。長々と続く手紙の最後には、小さくこぼすような字で、一言だけが加え記されていた。
『許してくれ』
謝っていたのだ、アゲハに向けて。
それがどういう意味なのか考えようとしたとき、足音がした。慌ててアゲハは着替えの内側に手紙を突っ込んだ。
「お済みかね」
ノックの後で入ってきたのは、あの老人だった。
「大きさは合っておりますな。私の息子のものだが、捨てられんでね」
「息子がいたのか」
アゲハの言葉に、老人は頷いた。
「死に申した。軍に志願して、東の異国で」
執事はそれだけ言って、アゲハを案内するように歩き出した。
廊下もまた殺風景だった。かつては調度品で埋め尽くされていた屋敷を、次々に切り詰めていった、というような。壁に残る飾りの跡が、どこか物悲しい。
「その、今までの服は捨てたほうが良いかもしれませんな。彼奴らめの奇跡でかなり傷んでおる。まぁ、あの
通された部屋は、人の気配こそなかったが、まだ小綺麗に保たれていた。寝具と簡単な机以外、なにもない部屋だ。
「お好きにお使いください。これもなにかの縁だ」
「……ありがとう」
アゲハは困ったように、脱いだ服をとりあえず机に置いた。執事は窓を開き、軋む閂に顔をしかめた。
窓の外には、小さな庭が広がっていた。ここは小高い丘の上のようになっているのだ。背の低い草が広がる丘陵地帯を望むそこで、
「絵がご趣味なのですよ」
「そこの壁にあるのは」執事の指を追って、アゲハは顔を上げた。「坊ちゃまが描かれたものです。画家顔負けでしょう、まだお若いというのに」
それは簡単な鉛筆画だった。一見して、安紙にさっと走らせただけの線が、絡み合って精緻な人物画を創り上げている。あの“姉さま”だ、とアゲハは気付いた。
「近頃では珍しくなりました。画材も安くはないのでね」
「巧いんだ?」
「ええ。同じ人の手、五本の指だというのに、私の無粋なこれとは違って、あのお方のそれは優しい」
「だから、お家を守らんと必死なのですよ。貴方の力を借りたいのも、そういうことです」
「礼はするよ。助けてもらったから」
アゲハは言った。
「おれも、連邦軍に泣きつくわけにはいかないもの」
「賢明ですな。少なくとも協商港の部隊にはマフィアの息が掛かっております。いつの時代も、カネは力ですよ」
老執事は、慈しむように二人を眺めていた。
「お嬢様が……あんなご様子なのを、訝しんでおいででしょう。ご病気なのです。市民権を払えなくなってから、それでも一人ぶんだけは残しておかれたのも、お嬢様を護るためですよ。奸賊に狙われては、ひとたまりもないのですから」
「治せないの?」
そう言って、アゲハはすぐに後悔した。できるなら、やっているに決まってるのだ。案の定、老執事は首を振った。
「大枚をはたいても不可能でした。医者はみな匙を投げた。生まれつきなのです。心を失ったように、無気力で、言葉を発することもない奇病……“沈黙病”。不治の病です」
執事は憎しみを込めて言った。
「坊ちゃまの悲しみはいかばかりか!況して斜陽のお家を担われて、賊のお相手まで!」
老人の言葉に、アゲハは考え込むようにして黙っていたが、やがてまた口を開いた。窓の外では、赤みを増す空に
「貴方には、夢がお有りですかな?」
唐突に、執事は言った。
「率直に申し上げて、驚きましたよ。神話級の契約者など、私も初めて見たものですから」
「……
アゲハの言葉に、老人は面白がるように眉を上げた。
「望むなら、なんでも叶うでしょう。勿論……トラブルも多いでしょうが」
「王の座が欲しいんだよ」
アゲハはそう言って、怪訝そうに執事を見上げた。
「笑われると思ったんだけど」
「いえ。貴方はアシタの民でしたか?あれは、ひどい戦争だった。戦争の意味をさえ変えてしまった」
アゲハの内心を察したかのように、老人は言った。
「このユディトは四本の大航路が交わる結節点。かつては東方との貿易の玄関口でした。7年前の戦争で、曳航連邦が世界から拒絶される前は、アシタ人の商人も少なからずいたものです。
だから誰もおれの訛を嗤わないのか、とアゲハは得心した。あの
老人は言葉を続けた。
「神話級、それは“王の器”です。貴方が言った王の座も決して絵空事ではない」
「“王の器”?」
アゲハは繰り返した。老人の口ぶりには、単に王と言うのとは少し違った含みがあった。
「ええ、“王”の」
老人は言った。
「坊ちゃまは橙の第一位。逸話級です。それにお優しい。荒事には不向きだ」
「あの憎き
そして、と老人は言葉を続ける。
「古代伝説級ともなれば、国や組織が放っておきません。だから、そういった連中はどこかに所属せざるを得ない」
じゃあ、神話級は?
そう思ったアゲハの顔を読んだように、老人は言った。
「神話級はその逆です。強すぎて首環が付けられない。だから、あの曳航連邦軍と言えども従わせられない。倒せはするかもしれませんよ、しかし大きな痛手を負うことになる。代わりに、“盟約”を結ぶのですよ。敵対せず、ことがあれば力を借りる代わりに、自由を確約する盟約を」
老人はアゲハの掌を見た。
「“
ただの王ではなく。そう、老人は締め括った。
アゲハは黙っていたが、その顔は暗くはなかった。腹の底から、熱のようなものが湧いてくるのを、アゲハは感じていた。
◆
「ずいぶん、俺を信用しているんだな」
しばらく沈黙したあとで、アゲハは言った。
窓の外では立木が風に震えていた。さわやかな緑の匂いが窓を通り抜けてくる。
「そもそも普通なら、人が襲われていたって助けないだろ。誠実な態度を取る必要だってない。さっきの話だってそうだ」
「確かに、普段ならここまであけすけには申しませんよ」
執事は頷いた。
「しかし、坊ちゃまが信用されたお方ですから」
その言葉の意味がわからず、アゲハは執事を見た。老人はしばし言葉を探してから、静かに続けた。
「坊ちゃまは、人の悪意が分かるのですよ」
執事は背筋を伸ばして言った。
「いや、奇跡ではありませんよ。そう、生まれつきの……才能とでも言いましょうか。その人物が悪人か否か、見た途端に感じるのだそうです」
「そんな才能が?」
アゲハは眼を瞬いた。絵描きや頭脳とは違う、そんな奇跡的な才能があっていいものだろうか。だが、老人は薄く笑った。
「お客人。世間には、思いの外おもしろい才能の持ち主が数多くいるものですよ」
だから、と老人は言った。
「マフィアの手のものが来たればすぐに判ります。坊ちゃまに、誤魔化しの手は通じませんから」
ちょうどその時、玄関先の呼び鈴が鳴った。
「しばしお待ちを」
そう言って、早足で玄関へと向かう老人のあとを、アゲハは躊躇いがちについて行った。
老いた執事は、心なしか嫌悪を感じさせる手つきで扉を開けたようだった。
「これはこれは、執事どの」
「何用かね」
老人は打って変わって、厳格な態度で睨んだ。戸口を塞ぐように、長身の胸を張って。
訪ねてきたのは、どこか爬虫類のような印象を与える男だった。
背は曲がっていて、目つきも冷たい。薄い唇を舐める舌は、いやに赤く尖っていた。
「マフィアどもの使いか」
「まぁ、人聞きの悪い!こちとらも商売ですぜ」
男はへらへらと言った。
「いや、なに。近くまで来たもので、用件は例の商談ですよ。いよいよ、五百万ゼータまでなら出せる、とまでうちの親分が申しておりましてね。どうです?」
男は落ち着かなげに肩を揺すった。その後ろに回した手に小さな紙人形が滑り込んだが、老執事がそれに気付くことはなかった。
「断ると言ったはずだ。
「しかしお家も資金繰りが苦しかろうと。これはお互い美味しいお話だと思いますがね。あぁ、そうそう」
男はにたりと笑った。
「こいつは別件なんで別にようがすが、うちの用心棒どのと揉め事を起こした小僧がおりましてね。行方をくらまして、今、捕物の真っ最中。居所をご存知ありませんかねぇ」
解っているんだぞ、というふうに、男は笑った。
「知らんな。失せ給え」
「いやぁそう仰らずに。市民権、お買い戻しは大変で御座いましょう?謝金も用意して御座います。思い出せませんかね?」
老執事は無言で扉を閉めた。
アゲハは外の足音が遠ざかっていくのを確かめてから、口を開いた。
「来たのか」
「ええ、いやにあっさりと引き下がりましたが」
老執事は首を傾げた。
「警告のつもりでしょうか」
「……そうかもね」
アゲハはそう言ったが、このまま
「なにか狙ってるはずだ。嫌ななにかを」
あれで終わるはずがない。この屋敷に彼らが手を出せないとしても、それに甘んじていては状況に絞め殺されるだけだ。
それに、とアゲハは心の中だけで呟いた。
◆
◆
■廃船・航洋艦トバルカイン
だが、彼女は鳥を警戒するフナネズミのように頭を持ち上げ、風の匂いを嗅いだ。
強い力を感じる。それも、隠れ潜むようなこそこそとした狡猾さで。
「曲者か」
両掌を合わせる。
「《
足元に黒い鉄が湧いた。
月明かりに鈍く光るそれは、彼女の脚を支えて若木のように伸び上がった。ぐんぐんと揺らぐ鉄の枝を踏み台にして、
「出てこい」
かつて艦橋だった塔の上で、
「姿を現せ」
『そう叫ばずとも、聴こえている』
どこからか、そう、しわがれた声が聞こえた。
『“
空間が裂けた。
夜空の光景が剥がれ落ちるように消え、隠れていた者たちが現れる。
「お前……“
眼の前、何もない空を踏んで立つ二人組に向かって、
巨軀は分厚い金属で全身を覆い、顔すらも隠していた。生身の部分はひとつも見えなかった。
対照的に、傍らにいる男のほうは柔らかな服装をしていた。白服に純白のマントを羽織り、丸い帽子を被っている。首には銀色の小さな笛が掛けてある。
だが、
「なんの用だ。夜更けに黙ってあたしの領地に忍び込むなんて、殺してほしいって意味かい?」
『少年を探しに来た』
“
『彼の死体には2億の賞金が掛かっている。<
「さぁ、なんの話かな」
とぼける
『知らないはずはない。“葬送”の契約者を。最も新しき王候補を』
「勝手に決めるなよ」
『ここに来たことは間違いあるまい。“
リソースが張り詰めていた。今にも奇跡が放たれんとする緊張感が大気を、夜風をも揺らしている。ふたりはしばし見つめ合い、高空に肌を晒していた。
先に稚気を収めたのは、“
『やめておこう』
彼は肩の力を抜き、笛を下ろした。
『
「まさかそれは、全力でなら勝てるって意味かい?」
“人形王”はたじろぐように背筋を伸ばしたが、毅然として言った。
『覚えておきたまえ。伝説級ながら王に至った例外よ。君は所詮、黄の第二位なのだと。それに私は既に、
「相変わらず言いたいことだけ言いやがって」
だが“
何らかの奇跡か、あるいは聖異物か。それとも他のなにかなのか。傍らの大男さえ薄らいで消える。
「逃げたか」
不気味な男だ。“人形王”に会ったのは数えるほどしかないが、それでも
けれども、強さは本物だ。あれがアゲハを狙っているというのなら、あの少年にはあまり余裕がないかもしれない。
「……急いだほうがいいかな」
To be continued…