<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第十二話 奸計/絡み合って

 □【契約論】

 

 契約者(アンカー)は<天使(マラーク)>によって選ばれる。

 

 ――天使学者トルバトス(10200?)

  

 ◇

 

 ■交差都市ユディト

 

 アゲハは目を開けた。

 傷は鋭い激痛から、鈍く粘りつくような痛みへと変わっていた。治り切るまではまだかかるだろう。熱で喉が渇く。傷を受けた腕と脚はやはり腫れ上がっていた。

(その指は戻りませんよ)

 眠る前に言われた言葉を、アゲハは思い出した。

 アゲハは少しだけ短くなった小指を、傷口を覆う布越しに見た。

「……指か」

 未熟さの代償としては、安いのだろうか。

 

 窓越しの夜空には、美しいレイラインが横切っていた。

 星々の光が撚り合わされたような白銀の線は、月の、そして昼間は太陽の動く軌道に沿って空を走っている。窓から注ぐ冷たい金属質の光を、アゲハは面白がるでもなくただ眺めていた。

 

 アゲハは左手を伸ばした。掌に刻まれた髑髏の契約印(しるし)は、青白い月光を受けてなおその黒みを増す。

 アゲハはその指先に奇跡を灯した。なにを灰化させるでもなく。

 

 そして、月光がその形を変えた。 

 空気が揺れているのだ。アゲハの吐息、吸気、身動ぎ、扉の隙間から動く夜風。その穏やかな循環が、アゲハの掌の上でだけ歪んでいた。まるで、掌中に珠を握るように。

(そういえば……風は、奇跡で壊せるんだろうか?)

 それは既にさんざんやったこと、鉄や石を灰に変えて砕くのとは、また違うように思えた。

 形のない風、輪郭を持たない風、そのイメージは、どこか奇跡のそれとも似ている。

(そうだ。破壊や崩壊じゃない。おれの、ハルヴァヤーの奇跡は“葬送”……それって、何なんだろう)

 壊すこと、崩すこと、砕くこと。葬ることは、それらとどう違うのだろう。

 掌の上で歪む風を見つめ、アゲハはじっと考え込んでいた。考えることはなにより大切だ。アゲハはまだ自分の奇跡についても何一つ解っていない。

(なぜ、<天使(マラーク)>はおれを選んだのだろう)

 自分のような人間を。取るに足らない人間を。

 けれど、だからといって失いたくはなかった。ただ唯々諾々と流されているだけなら、死人と同じだ。

 生命がほしい。己の意志で、世界に存在し続ける力がほしい。それが、身の程知らずの驕り高ぶりだとしても。

 もうすぐ夜明けだ。

 アゲハは物思いから覚め、顔を上げた。大して眠れなかったのに、頭は冴えていた。身体からは鼻を突く薬と血の匂いがしている。

 風に当たろうとして、アゲハは窓に手をかけた。蝶番は軋みながらゆっくりと開いた。

 

 そして、窓から飛び込んできた真っ白ななにかがアゲハの顔を正面から張り飛ばした。

 口を開けることすらままならず、瞼や唇が封じられていく。部屋の壁まで吹き飛ばされながら、アゲハは顔に張り付くそれを毟り、必死に目を開けた。

 無数の紙人形が窓から飛び込み、アゲハを絡め捕らえていた。

 ぶんぶんと虫の唸る音を百倍にしたようなものが轟いている。それらは次第に数を増し、また圧力を増していた。

(奇跡か!)

 アゲハは知っていた。これは“硫黄”と連んでいた誰かの奇跡、“紙”の天使と契約した<人間イカリ>だ。

(襲撃?でも、なんで今になって!)

 

 ◆

 

 ■帆都(ヴェルヴェット)

 

「何事ですか」

 (ページ)は寝間着のまま枕元のマントを咄嗟に掴み、飛び出した。屋敷が揺れている。

 賊にしては奇妙な音だった。ぶんぶんと低く唸るようなものが寄せては返し、家を取り囲んでいる。

 (ページ)は窓の外を見た。早朝の光景は、飛び交う無数の紙人形によって白く塗りつぶされていた。

 老執事はもう起きていた。不寝番でもしていたのかもしれない。服装はいつも通りで、しかしその顔は酷く厳しいものだった。

 

 そして鍵が嫌な音を立てて弾け飛び、扉が蹴破られた。

「朝早くに失礼」

 ぞろぞろと、黒服の男たちが踏み込んでくる。泥塗れの靴が敷物を踏みつけた。決して安物ではないというのに。

「まったくだ」

 老執事は後ろ手に自らの主を制し、長杖(ステッキ)を剣のように携えた。

「何用だ。うぬらのような下臈がこの屋敷の床を容易く踏めると思うてか」

「用件はおわかりのはず」

 あの蜥蜴のような男が、ギョロ目を瞬く。

「この屋敷と土地を、財産をお売りください。対価の用意はある」

「……だそうですが」  

 執事は(ページ)のほうを見た。

「いかがなさいますか?」

「千金を積まれても手放さない、と」

 (ページ)は断言した。執事は白髪をかき上げた。

「だ、そうだ。やはり失せ給え。貴様らの下劣なカネで、価値のあるものが何一つ買えるなどと思うな」

「仕方ありませんな。しかしねぇ、うちの下働きどもは血の気が多くてねぇ」

 男の言葉に、一行はぞろぞろと歩を進め始めた。

「“失せろ”などと言われては、いやはや、気分を害する余り、些か向こう見ずな行いに走るやもしれませんなぁ。まったく嘆かわしい」

 

 そして、男達は変形し始めた。

 肌が膨らみ、歪んでいく。髪が逆立ちながら伸び、身の内で骨と肉が作り変わっていく音がしていた。見るからに異常な有り様だった。

「お下がりください、奥へ、お早く」

 (ページ)へ厳しく叫んで、老人は戦闘の心構えを取る。

 眼の前では、もはや人間を辞めた男たちが涎を垂らし、牙を向いていた。一握りで老人の枯れた腕など折ってしまえそうだ。怪物たちは無造作に間合いを詰め、老人の貧相な体つきを見て笑い合っていた。毛むくじゃらで、動物的だった。

 

能天使(エクスシア)系統か?いや……」

 男達は手に持っていたものを捨てた。その丸い筒は機械に挿し込む電力ドライブにも似ていたが、先端には刺針が付いていて、中の液体を注入できるようになっていた。

「【獣化薬】……ハザードドラッグか」

 拍子抜けしたように言うと、執事はステッキを床に勢いよく突いた。その持ち手がきらりと鈍く光り、老人は力ある言葉を唱える。

 

「《立ち尽くせ(コーンスター)》》」

 そのとき、狼藉者たちの歩みが引っ張られたように止まった。

 今にも飛びかかろうとして地を踏んだまま、その足の裏が床に張り付けられていた。とんでもない接着剤を踏んだみたいに。けれど、それを成したのは接着剤なんかよりもっと奇跡的なものだ。 

「第二級異物【聖棹カスティガートル】」

 老人はステッキを撫でた。

「さて、諸君、全員私がよいと言うまで動くことを禁ずる」

 

『爺め、聖異物使イか』

 顔面がめくれ上がったようなひとりが、牙を鳴らして呟いた。

 執事は眉を上げた。

「<天使>だけが力ではあるまい」

『ほざケ、老い耄レが!』

 毛むくじゃらが腰から長いものを引き抜き、老執事に構える。引き金が動き、運動エネルギーが射出される。だが、その一瞬に先んじて、執事は左手を掲げた。

「《堰け(ストルエ)》」

 言葉とともに、その指に嵌められた指環から、黒い光が飛び出した。それは固くどろどろしたタールのように変わって銃口を押し包み、行き場をなくした衝撃波は銃身を破壊して男の指と手のひらをも吹っ飛ばした。

「銃なんぞ持っているとは。獣じみたさまには似合わんな。軍から盗んだのか?貴様らマフィアごときでは開発どころか、メンテナンスさえできるまい、不勉強だったな。銃口を塞げば、定義された軌跡を遮断された運動はよそへ向かう」

 手を失って泣きわめく怪物を冷たく見やり、老執事は吐き捨てた。

「身の丈に合わぬ武器など使うからだ」

『【聖棹】に【聖環】。聖異物(アロトリオ)ヲ二つも保有とはナ』

 指環を見つめながら、一番前で飛びかかる寸前のまま足を貼り付けられた哀れな獣が呟いた。イヌとネコを混ぜたような、よくわからない肉食獣のような。

『流石は物持ちダ。市民権ヲ買うカネは無いと言うのニ』

「口は閉じておれ」

 次の瞬間、執事の裏拳がその顎を打ち、意識を刈り取った。哀れなマフィアは獣に変じたまま、また足裏だけをそのままに膝を折って仰向けに崩れ落ちた。後頭部から嫌な音がした。

「急に勢いづいたものだ。貴様ら下臈(げろう)にしては向こう見ずだな」

 老人は蔑みを込めて言った。

「それほどに、帆都(ヴェルヴェット)の家が欲しいか」

「ええ、ええ、家もほしい、土地もほしい。なによりあのお宝もほしい。しかしながら、もう一つばかり欲しいものがありましてな」

 足の裏を張付けられながら、蜥蜴のような男はぶつぶつと慇懃に言った。周りで立ち尽くす配下のことなど、目に入らないとでもいうふうに。

「旦那、ご存じないのですか?」

「何をだ」

「お客人のことですよ。いえ、惚けないで頂けますか、ここにいることは確かなはずだ……ふむ」

 男は笑みさえ浮かべていた。

「そうですねえ、我らも業突張りだが、取引は好きですよ。事によると、お宅との御縁をどうにかほかで精算できるやもしれませんな」

「何が言いたい。勿体ぶるでないぞ」

 猛禽のような眼で睨みつける老執事に、男はにやにやと言った。

「我々はこれでも商人(あきんど)だ。利益が上がるならその出所はさしたる問題じゃあない。別のものでお支払い頂いても構わないのです」

「何が言いたいと訊いている!」

 老人は猛獣のように吠えた。それにも臆すことなく、文字通りの猛獣を従える彼は、静かに唇を捲り上げた。

 

「二億ゼータ。あれは、政府から懸賞金を掛けられているのですよ」

 

 ◆

 

「今までこんなことはなかったのに」

 (ページ)は苦々しげに呟いた。

「正規市民の住まう家に不法侵入するなんて、どう考えてもやりすぎです。なんでそんな事ができる?」

 嫌な予感がした。

 こんな強硬手段は初めてだ。あいつらにできるのは屋敷の周りを怪しげに彷徨いてみせるくらいが関の山だったのに。

(とにかく、状況を把握しないと。お兄さんともすぐに合流して……)

 そのとき、(ページ)は慌てて立ち止まった。

 屋敷の壁が歪んでいた。粘つく煙が立ち上り、しゅうしゅうと音を立てて溶け落ちていく。刺激臭が鼻を刺す。黄色い線が垂直に引かれ、次は横に、最後にまた地面へと降りていき、切り取られた壁を足が蹴り倒した。

 

「邪魔するぜ、お坊ちゃんよ」

 蟻洞(ギリアード)は石屑を払い除けながら言った。

「面と向かって会うのは久しいか?元気そうだな、すぐに元気じゃなくしてやるが」

 足元で硫黄に変わっていく壁の残骸を踏みつけ、蟻洞(ギリアード)は武器を構えた。いつもの矛ではなく、小さな短刀を携えている。

「用件はふたつだ。ページを寄越せ。神話級の小僧もだ」

「断る。立ち去りなさい」

 (ページ)は圧倒的劣勢にも関わらずきっぱりと言った。

「貴方がたにはなにひとつ、なにひとつ正当性なんかありはしない。帆都(ヴェルヴェット)家の当主として、力で他人を虐げようとする輩に、僕は屈しないのです」

「勇敢な台詞だ。勇敢なやつは早死するぞ。お前もそうなりたいのか?」

 蟻洞(ギリアード)はそう言うやいなや、アンバランスに長い機械の腕を振り上げた。モーターの柔らかな唸りとともに、黄色い奇跡が励起する。

 

「《隔てよ(エクスペッレ)》!」

 そして、(ページ)のまわりが歪んだ。

 硝子越しに見た窓の外みたいに、なにかが光を隔てていた。蟻洞(ギリアード)の腕が弾かれ、硬い音を立てる。

 丸い結界が、(ページ)を包んでいた。

 (ページ)は手に嵌めた指環を握り締めていた。それは僅かに輝き、震えながらエネルギーを吐き出し続けている。

「まぁ、妥当だが……結界の【聖環】か。だが、第三級(ターシャリ)ごときで?」

 指環型、それも結界系は、聖異物として最もありふれた下級のものだ。蟻洞(ギリアード)はせせら笑った。護身用にはいいかもしれないが、蟻洞(ギリアード)たちにはもっといいものがある。

「力尽きるまでそこで引きこもる気か?誰かが助けてくれると?」

「お忘れですか?」

 (ページ)は笑った。

「僕の《開扉(ダルト)》を」

 次の瞬間、(ページ)のもう片方の手には重厚な絵筆が握られていた。どこからともなく取り出されたそれは、緑の絵の具に濡れている。(ページ)はそれを突き出すと、結界の球面の内側に走らせた。

 

 扉の奇跡は、ただの描かれた絵を不思議な扉へと変える。簡素な線が浮き上がって木製の古びたアンティークに具現化されるのを、蟻洞(ギリアード)はただ眺めていた。

 ふと、その扉の向かう先を振り向いてみる。ガフリートの奇跡で斬り裂いてきた屋敷の穴越しに、積み重なった都市構造体の山が見えた。

叉路街(サロガイ)に行くつもりか」

「ダルトの奇跡はご存知でしたね」

 (ページ)は努めて余裕を装いながら言った。

 ダルトは力天使だ。扉はその先の直線上にしか“出口”を作れない。方角くらいは定められるが、細かくどこに出るか、こんな使い方では(ページ)にも判らない。

 しかも一回ごとに奇跡を酷く消耗する。力の半分ほどが削り取られ、ごっそりと指先から出ていくのを感じ、(ページ)はその喪失感に深く息を吐いた。

「開け、ダルト!」

 (ページ)は低く叫び、ドアの把手を回そうとした。

「……それで?」

 蟻洞(ギリアード)は湿っぽく笑った。

 

 (ページ)の手は、扉に触れられていなかった。

 軋むような、低く這いずるような音が鳴って、その手と扉とを隔てている。柔らかいぶよぶよした皮に触れているような感触だった。

 扉に近づくほど、指先が遅くなっているのだ。

「《鎖せ(クラウデ)》」

 蟻洞(ギリアード)は呟いていた。

 その手には、鳥籠を象った小さなペンダントのようなものが吊り下がっている。(ページ)の張った指環の結界のまわりにも、同じものが現れていた。

 空から金属のフレームが生まれ、球形の結界を取り囲んでいく。その檻に、ひん曲がった時計の意匠があるのを(ページ)は見た。

「苦労したんだ。これを持ち出すのを承服させるのにはな」

 蟻洞(ギリアード)は笑った。

「結界で時間を稼いで“扉”を開き、態勢を立て直す。結構な策だな、惜しむらくは俺達にそんなチンケな聖異物じゃあ及びもしなかったってことだが」

「これは……硫黄の奇跡じゃない」 

 (ページ)は言った。それしかやれることもなかったからだ。

 蟻洞(ギリアード)はそんな子供を嘲笑うように、籠のペンダントを揺らした。

「ご明察。【聖籠セラ】、第一級(プライマリ)だ」

 その言葉に、(ページ)は顔をしかめた。

 よくある第二級までのものとはわけが違う。聖異物は第一級以上で大きくその力を変じさせる。より複雑に、より高度に、そしてより強力に。

「逃走は許さん。お前だって指環で自分を護ったんだ、それに倣ってやるよ。そこで籠に入ってろ」

「こんなものまで手に入れていたとは、驚きですね」

 (ページ)はあどけない顔を歪めた。  

「港湾マフィアがそれほどのものを所有していたとは」

「苦労はした。金庫番をぶちのめして持ってきたんだからな。だが、力の強さは折り紙付きだ。この屋敷すべてがすでに効果領域内、籠の中も同然。お前のようにそこから“逃げようとした”やつには第二段階の拘束が下される」

 

 蟻洞(ギリアード)は少し考えてから付け加えた。

「ちなみに、破壊は不可能だぞ。この籠は、“時間”だ。時間の凍結だ。()()()がその壁を通り越す“時間”を拒絶している。その籠に扉の奇跡を使うこともできんぞ」

 第一級なら、そのくらいの芸当はできる。

 

 蟻洞(ギリアード)は引き裂かれた屋敷越しに振り向いた。

(ニア)ァ、この紙は全部でいくらした?」

 その後ろで、紙人形が震えて声を発する。

『しめて153万ゼータ』

「そりゃ大変だ、頑張って稼いで元を取らねえとな」

 蟻洞(ギリアード)はそう言うと、(ページ)を無視するように歩を進めた。実際、扉の契約者など大した脅威ではないと思っていたのだ。

「《黄蝕(ガフリート)》」

 そう呟いて、彼は壁をなぞった。黄色い線が煙を吹いて壁を焼き切っていく。

「まさか、貴様……」

「だからな、目当てのものはなんとしても頂くぜ」

 蟻洞(ギリアード)は最後の壁を蹴破り、短刀の刃を鋭く持ち上げた。

 その暗い部屋の隅では、いつも通りあの沈黙病の少女がぼうっと立ち尽くしていた。

「姉さま!」

 叫ぶ(ページ)に一瞥すらくれず、蟻洞(ギリアード)はずかずかと部屋の中に踏み込み、ギラつく刃を少女の青く透ける喉に突きつけ、その柔らかさを確かめるように軽くつついた。

「さて、解りやすくしようか。こいつを無事生かしたままにしてほしいなら、俺達に従え。負けを認めろ。一切合切を差し出すんだよ、ほら、早くしろ」 

「貴様ら……姉さまに指一本でも触れてみろ、僕が、僕が!」

「お前がどうするっていうんだよ、文句でもつけようってのか。あ?籠の中で、ろくな奇跡も持ち合わせてないお前に、何か意味のあることができるっていうのかよ」

 言うなり、蟻洞(ギリアード)は担当ではなく艤装を振りかぶった。

「そぉら、考える時間は与えんぞ!」

 重たげな金属の塊が、風を切って迫る。

「《隔てよ(エクスペッレ)》!」

 (ページ)は半狂乱で叫んだ。彼を“籠”ごと囲んでいた結界が消滅し、代わりに蟻洞(ギリアード)(アーヤ)の間へと立ち塞がる。結界と艤腕がぶつかり、火花を上げながら沈黙する少女を結界ごと部屋の奥へ吹き飛ばした。

「奇跡の展開位置をずらすとは、それなりに使いこなしてるじゃあないか。だがどうも余力は少ないみたいだなぁ、その指環」

 蟻洞(ギリアード)は仰々しく(ページ)を振り向いた。その小さな掌では、力を使い果たした聖異物が白っぽい砂に変わって崩れ落ち始めていた。リソースの抜け殻だ。

 

「姉さまに手を出したら……軍が黙ってないぞ」

 (ページ)はやっと冷静さを取り戻して言った。それが情けない物言いであることは判っていたが、それでも頼れる理屈はそれしかなかった。

「正規市民。あぁ、そうだな。お偉い正規市民だったんだものなぁ。え?」

 だが、ならず者蟻洞(ギリアード)は何がおかしいのかクツクツと笑った。

「確かに、港湾マフィアの青瓢箪どもお得意の賄賂にだって限界はあるだろうな。市民権を持つ人間が害されたならユディトの軍も動くだろう。あぁ、そうだとも。だから、今までは大人しくしていたさ」

 (ページ)は恐れを滲ませて蟻洞(ギリアード)を見ていた。

「お前、気づかなかったのか?政府が懸賞金を掛けた人間を匿ったんだ。そりゃあ……罪深いよなぁ」

 蟻洞(ギリアード)はまるで誰かに聞かせているように大音声を張りながら、なにかの印鑑が押された写しをひらひらと振った。

 

「お前の姉貴の市民権は、今朝方剥奪されたんだよ!残念ながら、お前らもこれで完全に俺達と同じ。そう、()()()()()ドブネズミだ。お前らは都市から見放されたんだよ!」

「馬鹿な、だって、監査も、証拠も……通告も、だいたい次の査定までまだあと半期は残って……」

 市民権の剥奪だなんて、簡単にできるはずがない。ややこしい手続きと通達と、山程の処理が必要なはずなのに。

「そうだな、うん。それで?」

 蟻洞(ギリアード)の心底蔑むような表情に、(ページ)は絶望の顔で返した。

「口実を与えるべきじゃなかったな。どっちみち時間の問題ではあったが。お前が派手にやってくれたおかげで段取りを繰り上げられた」

「手を回したのですか」

 (ページ)は丁寧に言った。声を荒げるような、エネルギーの無駄遣いさえないほどの静かな怒りを込めて。

「そこまで腐っていたのか……!」

「腐る?ご挨拶だな、これは純粋なビジネスの話だよ。親切にしてもらったから礼をするんだ。法律にへいこらしなきゃあ腐ってるのか?流石の高慢さだ」

 蟻洞(ギリアード)は少し考えながら頷いた。

「勘違いしていたんだよ、お前は」

 (ページ)は籠越しに蟻洞(ギリアード)を睨んだ。それはいかにも悪足掻きだった。蟻洞(ギリアード)は気にも留めない。

「こうして向かい合って、殺し合いをしたら勝つのはどっちだ?一切合切がそうさ。塀で、屋敷で、カネで、知恵で、法律で、道徳で。それに隠れた気になってたのか?違うね、結局はここに集約されるんだ。面と向かっての勝ち負けに集約されるんだよ」

 蟻洞(ギリアード)は肩を竦めた。

「策を弄して、知恵を使えば、暴力に劣っていても渡り合えると思っていたんだろう?違うな、敗北はいつだって己の内からやってくる……墓穴を掘ったなぁ、小僧。さて、出してもらおうか。()()()()()()?」

「僕を、殺す気ですか?」

 (ページ)はキッと男を睨みつけたが、蟻洞(ギリアード)はそれを虫けらを見るように見つめた。

「おいおいおい、まさか、まさか抵抗してみるだとかそういう頭の悪いことを考えてやしまいね。無理だろう?お前は“扉”で、逸話級だ。非戦闘型の最低級が、俺たちに敵うと思うか?お前だってそれを理解しているから、そんなつまらないものを持ってたんだろう?」

 (ページ)の手の、すっかり崩れてしまった指環を指して、蟻洞(ギリアード)は肩を竦めた。

(考えろ……)

 (ページ)は必死で頭を回した。

(考えろ……!)

 けれど答えは出なかった。堂々巡りをしているだけだ。

 蟻洞(ギリアード)の言ったことは紛れもない事実だった。(ページ)たちを守っていた市民権、それを保証する曳航連邦の庇護は、もうないのだから。

 それでも、考えを止めることだけはできない。

(なにか、なにかあるはずだ!あの神話級の彼を……いや、市民権を……いっそブラフに……)

 (ページ)は馬鹿ではない。蟻洞(ギリアード)たちに抵抗するためにたくさんの策を打っていたし、知恵だって回していた。だが、それは彼らが直接の武力行使に出ないことが前提だ。舞台をひっくり返されては、こうも向かい合ってしまっては、分が悪いにもほどがある。

「まだ……」

 そして、(ページ)の頭の奥でなにかが切れる音がした。使いすぎで熱を持った頭から、湯気がかすかに立ち昇る。

 “愚鈍”の戒律は、すでに許容量を超えていた。頭脳を使いすぎたのだ。

 

 やがて、(ページ)は懐に手を当てた。

 扉の開く音がして、その手がなにかを掴み出した。古びた紙だ。何世紀もの時を経た紙は、今にも崩れて埃になってしまいそうだった。

「ほぅ、それがか」

 赤茶けた紙に蟻洞(ギリアード)が顔を綻ばせる。

「かの【偽リベリウス記】、その断片か!」

 それは知識の塊だ。二千年の昔から継がれてきた。

 知識は力になる。それは広められなくてはならない。

 だが、(ページ)はそれを握り潰した。

 掌の内側で、憎しみの熱を感じさせる荒々しさで、万力の如く力を込めてその紙切れをすり潰しながら、(ページ)はうわ言のように呟いた。

蟻洞(ギリアード)……これが欲しいなら、くれてやりますよ。ええ、くれてやりますとも。知りたいんでしょう?ここに書いてあることが」

「何を言っている」

「くれてやりますよ、欲しいものは、すべて」

 (ページ)は危うげな眼で、浅い呼吸を繰り返しながら言った。後先も、まわりのことも、目に入ってはいなかった。戒律で熱暴走(オーバーヒート)した彼の頭脳は、自制心など捨てていた。

 (ページ)は右手を持ち上げた。

 

「……“我、此処に唯一の至宝を捧ぐ”」

 

 To be continued…

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