<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第十四話 小さな王

 □【偽リベリウス記】

 

 王とは、敵を定むるもの。

 王とは、民を定むるもの。

 

 ――偽リベリウス(10000?)

 

 ◇

 

 ■交差都市ユディト

 

 (ページ)はふらふら外へと歩み出た。

 尤も、半ば崩れ落ちた屋敷には既に外も内もあったものではなかった。石壁が粉々になり、踏み荒らされた庭木が土に突き刺さっている。癒えるまでにはきっと長くかかるだろう。

 (ページ)は身体から力が抜けていくのを感じていた。膨れ上がっていたリソースが、本来の水準へと少しずつ萎びて戻っていく。供儀による強化はあくまで一時のものだけらしい。

「それで……そちらも絶好調ですか」

 (ページ)はふと眼差しを遠くへやった。

 そこでは複雑に彫り上げられた土器のような<天使(マラーク)>が、低く震える吠え声を上げていた。アゲハの声なのに、動物のそれのようにおどろおどろしい。

 ハルヴァヤーは地に膝を突き、まさしく獣のように屈んでいた。その両拳が代わる代わるに地面を叩き、丘を掘り返している。

 えぐり取られた砂礫の底では、ぼろぼろになった(ニア)が小さく叫びながら手を伸ばしていた。

 助けを求めるように彷徨った指先のその中心へ、ハルヴァヤーがまた腕を振り下ろす。(ニア)が押し潰されるたび、重く轟く音が足元を震わせている。

 幾度殴られたのだろう?

 現実的に考えるならその身体はとうに肉塊になっているはずだったが、土埃の汚れこそあれ、(ニア)の生命に支障はないようだった。

(あぁ、“不殺”の……それで、あの荒れようは、まさか我を失ったんじゃないでしょうね)

 人のことは言えないな、と自嘲しながら、(ページ)はハルヴァヤーを見上げた。あの細い光の《円環》はまだそこにあって、とろとろと回っていた。背には硬い石のような翼が屹立している。

「……まだ人間の範疇ですか」

 あの(ニア)も、これ以上ことを荒立てる気はもうなさそうですね。(ページ)はそう心中でため息を吐くと、忠実な老執事を探して顔を上げた。

 

 ややあって、屋敷の一室が爆発した。

 茶色い煙を蹴り飛ばすように、老人が転がり出てくる。その手は毛むくじゃらの動物みたいななにかの喉首を掴んでいた。

「三人仕留めましたぞ!三匹というべきかな?」

「殺したのですか?」

「まさか」

 老人は煤けた首を振った。

 その指では聖異物の指環が一つ、砂に変わって崩壊していた。持っていた力を使い果たしたのだ。

「この手の連中相手とはいえ、汚点になりますからな」

 老人は獣化人間を放り投げた。それは砂礫と下草の上に力なく転がり、重い音を立て、抗議するようなうめき声を上げた。

「それで、このうるさい音は何です?」

 (ページ)は黙って老人の背後を指さした。そこで地を殴り続ける<天使(マラーク)>に、老人は目をパチパチした後で顎髭をひねった。

「では、“同化”したので?」

「そうですね。声が同じでしたから」

「ならば再び人間に戻るのを待って……いや、待て、それは!」

 老執事は血相を変えた。

「なんですその腕は!」

「大したことではありませんよ。気にせずともいい」

「いいわけがありましょうか!何があったのです、誰の仕業だ!蟻洞(ギリアード)の奴めがなにかしたのですか!急いで手当を……」

「必要ないと言いました。これは僕が自分でやったことです。詳しくはまた教えますから。とにかく、血の出るような怪我ではありません」

 (ページ)は片腕のあったところを押さえながら、執事に向かって言った。

「それより、賊の残りをどうにかしなくては……」

 (ページ)がそう言ったとき、ハルヴァヤーの動きが止まった。

 《円環》が回転をやめ、チカチカと瞬いて消失する。その胸の内側からは砂のような光の粒子が流れ落ち、地面の上で人間の形を再構築し始めた。

 すぐに、アゲハの姿が<天使(マラーク)>の脚により掛かるようにして立ち上がった。自分の身体の輪郭を確かめ直すように手を動かす。そのぼんやりした眼が、やっと焦点を結んだ。

(ページ)

 アゲハは言った。

「その腕は?」

 第一声がそれか。(ページ)は胸の底に粘りつくようなものを感じ、はーっと滑るような息を吐いた。

「捧げたんです」

 (ページ)はアゲハをはっきりと見据えて答えた。老執事がその傍らで目を見開いていた。

「あの【偽リベリウス記】のページに記されていたのは、<人間イカリ>の肉体を捧げて、その奇跡を増幅する儀式でした。僕に読めなかったわけではないんですよ。お兄さんにも、嘘をついていただけで。内容を知られるわけにはいきませんでしたから」

「腕を失ったのか」

 アゲハは何を言っていいのかわからない様子で口籠った。(ページ)は特に拘るふうもなく続けた。

「力のためです。<人間イカリ>は……<天使(マラーク)>は棄てることで強くなる。あらゆる奇跡がそうですよ。強くなりたくば捨て去ることです。たった一つの望みの他は」

 アゲハはまだ朦朧とする意識を繋ぎ止めようとするように、片(ページ)を見ていた。(ページ)は最後に付け加えた。

「守るべきものと敵とを分ける。それが特権であり責務ですよ……あなたの言う、王のね」

 そのとき、軽い金属を打つような音が響いた。

 アゲハは自分の体を見下ろした。肩に細い金属片が突き刺さり、布地を貫き、赤いものが滲んでいた。

 痛みはなかった。いっそ奇妙なくらいなにも感じなかった。

「なんだ……これ」

 それだけ言うのが精一杯だった。

 瞳が揺らぐ。目に映るものが歪んで遠くなっていく。手足の感覚が冷え切ったように痺れ、薄らいだ。

 煙る屋敷の中から、トカゲのような男が細長いものを構えて這い出してくるのが微かに見えた。あれがアゲハを撃ったのだ。

(さっきの音は、銃声だったのか)

 その思いを最後に、アゲハは昏倒した。同化で疲れ果てた意識は霧散して消え、指先に至るまで力無く伏している。

 

 老執事がトカゲ男に向かって怒りの声を上げた。

「貴様ら!いまだ良からぬ気を起こすか!」

「それはこちらの台詞ですな。なぜ終わった気でいらっしゃるのか。その神話級さえ大人しくなれば我々がまだ有利だ」

 古びた旧式銃を掴むトカゲ男はかちかちと歯を噛み鳴らしながら――その歯が人間のそれより数多くびっしりと並んでいるのを(ページ)は見た――慇懃に言った。

「さあお寄越しなさい【偽リベリウス記】を。古屋敷で腐らせ続けるより、我々の手にあるほうがその断片も本望でしょう。知識は、使われるためにあるのだから」

「手前勝手な理屈をこねるものだ。貴様らにそんな権利はないと言った!」

「いや、ありますとも。ええ、ありますよ、害されたくなければ目当てのものを差し出せと、こういうわけです。そちらには得しかない。我々に屋敷や命を奪われるはずのところを助かるのだから。そちらこそ、何も支払わずに無傷で済む権利がお有りだとお思いなのですか?」

「生憎ですが」(ページ)が口を挟んだ。「お探しの【偽リベリウス記】はもう失われました。僕が破壊したのです。ですから、どう脅しをかけようと出せませんよ」

「何。何ですと?」

 トカゲ男は叫んだ。(ページ)の冷静な面持ちに嘘のないことを見て取ったのか、その顔は見る見るうちに青褪めていった。

「失われた?“歴史”時代にも迫る遺物が?なんてことを、なんて恐ろしいことを!写本の一文字のためにさえどれほどのカネが動くと思って!」

 男は銃を投げ捨ててどしどしと歩いてきた。

「どんな知識が記されていたやも知れぬのに!なんという勝手か!これは冒涜だ!知識への冒涜ですぞ!」

「黙りなさい」

 (ページ)は決して声を荒げたわけではなかったが、トカゲ男はその声音に気圧されて黙り込んだ。(ページ)は続けた。

「それは、実体弾ですね。あなた方お得意のハザードドラッグ、眠り薬のたぐいですか。確かに、意識を途絶えさせればどんな奇跡も無力だ」

 トカゲ男はなにを言い出すのかという顔で(ページ)を見つめた。少年は幼い顔に気品を感じさせる表情で尋ねた。

「彼を差し出せば、【偽リベリウス記】の代償に見合いますか?」

「坊ちゃま!」

 執事が素っ頓狂な声を上げた。

「なにをお考えか!ことここに至ってこ奴らに屈するのですか?なにより、彼を裏切ることなど私めにはできませぬぞ、断じて!」

「貴方がする必要はありませんとも、爺や」

 (ページ)は穏やかに言った。

「裏切りというなら、彼を裏切るのは僕です。全ては僕の決断なのだからです」

「承服致しかねますな」

 老人はつかつかと歩み寄った。

「一度は助けたのだ。力を貸してくれと頭を下げもした!それをこのような、騙し討ちのような真似で取引の材料にするなど!いつからそのような情のないことを言うようになったのですか!人の道に背くこと、私の目の黒いうちは……」

「この家の主は僕だ」

 (ページ)は老人の言葉を遮った。

「僕は帆都(ヴェルヴェット)の長として、家と一族とを守る責務がある。半端な優しさを棄てて家族を護れるのなら、それが僕の為すべき道です。貴方こそ、いつからそのような過ぎた口を利くようになったのですか」

 老人はたじろいだ。

(このような顔をする方だったか?)

 幼い少年の顔には、厳しく、また毅い意思が浮かんでいた。それは小さくも固い、れっきとした王の決意なのだった。

「下がっていなさい。問答は僕がやります」

「は……」

 老人は口を噤んだ。トカゲ男は目をぎょろぎょろ動かしていた。

「確かに、神話級を捕えうるなら言い訳も立ちましょう。しかしお忘れかな。戦力の上ではまだこちらが有利だ。【偽リベリウス記】の贖いをお屋敷と貴方がたそのもので済ませて頂いてもよいのですよ」

「贖い。傲慢な言葉だ」

 (ページ)は首を傾げた。

「戦力的に有利ですか。そうとも限りませんよ。爺やは歴戦の異物使いですし、なによりこちらにはまだ僕の<天使(マラーク)>がある」

「扉の<天使>は所詮――」

 トカゲ男はまだ言い募ろうとしたが、(ページ)が残った左腕を掲げたその動きに、意味まではわからずとも、なにかただならぬものを感じ取って口を閉ざした。あるいは、その冷徹な貌にか。

「――いいでしょう。それで手を打ちましょうや。神話級と<人間イカリ>を引き取る代わり、我々は今後いっさいの手出しをせずにおきます」

「必ずそうするという保証は?」

 (ページ)の問に、男はやや躊躇いがちに懐からひと巻の紙を取り出した。赤い紐を解いてくるくると広げる。古び黄ばんだそれには、血のようなもので(ページ)にも読めない文字が記されていた。

第三級異物(ターシャリ)。【聖款】でございます」

「“ユースの契約書”か」

 (ページ)は言った。その目には幽かに驚きがあった。

「何かしら用意があるとは思いましたが。そこに印してあるのは貴方がたの長の血ですか?」

「我らが組織の幹部のひとりです。これで、我々にも公正な取引のつもりがあったこと、お分かりでしょうな」

 トカゲ男は言った。そして、安っぽい短刀を差し出した。

「印を」

 (ページ)は躊躇いなくその刃に親指を押し付け、溢れ出した血の粒を契約書の隅に押し付けた。ガサガサした紙はそれを一瞬にして吸い込んだ。

解言(かいごん)はご存知で?」

 トカゲ男の言葉を、(ページ)は無視した。唇が動き、低い声で力ある言葉を紡ぐ。

「“我は対のものに公正を誓う(Pro obstante iustis esse iuro arte nunc)”。《約定せよ(アドヌエ)》」

 (ページ)が唱えた途端、力を解放された異物が震えた。血判を押したところが黒ずみ、インクのように印される。

「制約されましたな。念の為申し上げておきますが、そこに記された約定を違えれば“契約書”によって罰せられること、お分かりですな。例えば、くれぐれも……後からこの<人間イカリ>を助けようなどとお考えにならぬよう」

「此度のそれはむしろあなたがたに課せられたものですが」

 (ページ)は言った。トカゲ男はくつくつと笑った。

「左様で。では、あの<天使(マラーク)>と<人間イカリ>を……(ニア)どのも回収に参ります。そこで伸びているうちのもね」

 トカゲ男はよたよたと歩き始めたが、すぐに振り返ってまた尋ねた。

「ときに、蟻洞(ギリアード)どのの居所をご存知ですかな」

 (ページ)は正直に答えた。

「さぁ?」

 その顔には柔らかな微笑みが浮かんでいた。

「皆目、見当もつきませんね」

 

 ◆

 

 □???

 

 冷たい。

『然、状如何遷?』

 アゲハは目を開けずに耳を澄ました。すぐ近くで聞こえていた雑音は、頭が冴えるにつれ言葉に変わっていった。

「【混乱薬】は十分に投与したのか?万全の状態なら拘束など不可能だぞ、牢も錠も壊して逃げられる」

「そんなのがそうそうあるかよ。麻酔はしこたまぶち込んだんだからそれで満足してろ。大人一人が3日眠る量だ。正直に言って、目が覚める保証すらない」 

 共通(シャーン)語だ。それも、ならず者特有の下卑た言葉遣いだった。

「あんたらこそ、いいのか?こんな扱いをして、死んじまったら元も子もないぞ」

「構わない。既に<天使(マラーク)>本体は回収してうちの商船に乗せた。転移(シフト)さえされなければ……むしろ殺してしまったほうが後腐れがない」

「使った薬の代金は払ってもらうからな。もったいないな、折角の<人間イカリ>を。精神系に当てはないのか?人間の記憶を書き換えられるような?」

「そんな伝手などあるか!軍や、政府や、或いは上の連中ならまだしも。それどころか我々は“硫黄”の契約者を失ったんだぞ。“紙”の彼も帰ってきたはいいが使い物にならん。埋め合わせはさせる。死体だけでも幾らかの金は寄越すはずだ、曳航連邦と言えどな。さっさと息の根を止めろ」 

 白衣の男は肩をすくめ、使いが扉から出ていくのを見送った。

 薬棚には色とりどりの瓶が並んでいて、電気蝋燭の明かりを受けてキラキラ光っていた。

 

 男は鼻歌を歌いながらその一つを引っ張り出し、シリンダーに流し込んだ。手を刺さないよう気を使いながら、沸かしておいた湯で温める。ついでに、彼は茶を淹れて椀に注いだ。香ばしい香りが部屋いっぱいに広がった。

 男は湯からシリンダーを取り上げると、その針を掲げてカビ臭い寝台の方に近づいた。固い長靴(ツッカ)の床とぶつかるその音が軽快に響いた。

 男は寝台の上で昏睡するアゲハの腕を持ち上げ、注射針を近づけた。微かに口笛を吹く。

「じゃあな、永遠にさようならだ」

 男は針先をあてがった。

 

 そして、シリンダーは木っ端微塵に砕けた。

「なんだ?」

 細い金属針が錆びついて消えていく。硝子のシリンダーはあっという間に砂に変わってしまった。男の掌も焼け付いたように荒れる。

「お前、意識が!」

 男は叫んだ。

 アゲハは立ち上がると同時にその男の顔を蹴り飛ばした。それを躱そうと揺らいだ胴へ、掌を押し当てる。

「《葬送(ハルヴァヤー)》」

 男の体が灰の粒を落としながら吹っ飛んだ。机がひしぎ、薬棚が砕け散る。白衣は野晒しにしたようにボロボロになり、湯呑みが音を立てて割れた。

「非合法の麻酔薬をたっぷりと投与したんだぞ、なんで目が覚めてんだよ、おい」

 無精髭の白衣はそう毒づきながら使い物にならなくなった服を引きちぎり、左肩の紋章を顕にした。牙を剥く獣のようなものが象られているのがちらりと見えた。

「《(エシュ)――」

 

 次の瞬間、その頭上が崩れ落ちた。

 灰の混じった瓦礫が男を押しつぶす。床を踏み抜きながらその身体が埋もれていくのを、アゲハは無味乾燥に見送った。

「クソ……どこだ、此処」

 頭痛がする。吐き気もだ。アゲハは足を踏み出し、そして瓦礫の上に思い切り胃の中のものをぶち撒けた。

 危ない薬のせいか、腹がひっくり返ったような気分だった。視界が歪んでいる。口の中が気持ち悪い。酸っぱい匂いに顔をしかめながらアゲハは扉を開けた。

 そこには鉄格子が嵌っていた。重厚で古そうだ。蹴り飛ばしたくらいでは開きそうにない。

 ここは牢なのだ。アゲハはさっき聞いた会話を思い返して言った。

「マフィアの本拠地か」

 呟くと、アゲハは鉄格子をなぞった。指先で格子の根を弾くように手を滑らせる。ややあって、裸足の裏が格子を蹴り飛ばした。

 鉄格子は音を立てて外れた。灰化した断面を踏まぬよう跨ぎながら、アゲハは通路へと出た。

 

 石造りの通路には誰ひとりいなかった。なんとなく、外は遠いのだろうと感じる。きっと叉路街(サロガイ)の、折り重なった都市構造体の奥なのだ。

 アゲハはあたりを見回した。

「見張りもいないのか?」

 やけに不用心だ。アゲハは怪しみ、息を殺しながらひたひたと廊下を歩いた。石造りの床は冷たかった。

 

 そして、角からいきなりあの男が現れた。

 さっき、白衣と話していたやつだ。アゲハは知らなかったが、蟻洞(ギリアード)に神話級の情報を流したのも彼だった。神経質そうな男は、いるはずのないアゲハの顔に小さな悲鳴を上げた。

「お前、なぜ出歩いている!」

 アゲハは舌打ちすると、突進し、男の襟首をやおらねじりあげて言った。一か八かだ。

「騒ぐな」

 もう片方の手で壁をなぞる。手の触れた場所が薄っすらと灰になって崩れた。

「解るだろ。あんたの頭でおんなじことをやってやろうか?」

 男は頷いた。荒事は苦手なのだ。アゲハは眼の前の男が“戒律”のことを知らないと解って少しだけ安心した。脅しは通用する。

「質問に答えろ」

「あ、ああ、なんだ?」

 男は努めて平静を装っていた。その様に小気味いいものを覚えながらアゲハは尋ねた。軽んじられるよりはいい。

「ここは?」

「わ、我々……港湾マフィアの本拠だ。都市構造体ひとつまるまるがな」

 男は両手を掲げて答えた。

「おれはどのくらい眠ってたんだ?」

 アゲハは考えつくままに尋ねた。

(ページ)たちは?」

「君を回収してから、凡そ丸一日が経っている……」

 男は言った。

「だが、(ページ)というのは、あの帆都(ヴェルヴェット)の継嗣のことか?」

 男はつっかえながら続けた。

 

「やつだぞ。君を売ったのは」

 その言葉に、今度はアゲハがたじろぐ番だった。

(ページ)が?」

 その驚きをどう思ったのか、男は一転して笑みを浮かべながら言った。

「そ、そうだ。やつはお前の味方なんかじゃあないんだ。自分の家に手を出させないことと引き換えに、抵抗もせず、気絶した君を売り払ったんだ。我々に従え。な?そうすればやつに仕返しできる機会もくれてやる」

 アゲハの勘所を押さえた気になっているのだろう。男は滔々と続けた。アゲハの右手を横目に見つめながら。

「実を言うとだな、やつと交わした契約書は無意味なんだ。血の名前を書かせたのが幹部なんて嘘っぱちさ。契約に罰せられたっていいくらいの、使い捨てのやつなんだ。しばらくして落ち着いたなら、いよいよあの正規市民崩れの全財産を毟り取ってやる」 

 アゲハは黙っていた。男はそれを肯定的に捉えたようだった。

「うちは人間売りにも伝手がある。あの屋敷に住めばいい。金も稼がせてやるぞ。海ではなく陸で採れたものを食べて、奴隷を侍らせて暮らすんだ。どうだ?想像してみろ。いい暮らしだろう?」

 男の言葉通りの想像が、アゲハの脳裏に走った。

「そうだな……」

「おお、そうか。解ってくれるか」

 男はこれ幸いと息を吐いた。

 アゲハは微笑んで言った。

「願い下げだね」

 その瞬間、アゲハの顔が雷のような速さで歪んだ。

「人間を買う?いい暮らし?知った事か!おれに、おれによりによってそんなことをさせようって言うのかよ!」

 アゲハは自分で騒ぐなと言ったことも忘れて絶叫した。遠くから、人の来る音が聞こえた。

「いつもそうだ。他人のことなんてどうだっていいんだ、あんたたちは!ゴミみたいに扱われる人間の気持ちが分からないはずないのに!解ってるくせに、あえて!」

 奇跡が暴発した。それは怒りによって膨らみ、強められていた。

 だが、灰の真ん中できょとんとする男を睨みつけて、アゲハは喚いた。

「あぁ、あぁ、あぁ!そうだよな、死なないんだよな、あぁ!無傷なんだ!こんな決まり、こんな制約……!」

 アゲハは唇を固く引き結んだ。

 戒律が恨めしかった。人殺しがしたいのではない。自分の怒りや暴力から意味を奪ってしまうこの“不殺”の戒律を思い知らされるたびに苛々する。(ニア)のあの不遜な態度が脳裏にちらつく。

「なのに……なのに、なんで!」

 戒律を棄てるのは簡単だ。そう願えばいい。<天使(マラーク)>との契約を破棄すれば戒律は消滅する。それが契約時に無意識へと刻まれたルールだ。

 

 それでも捨てられなかった。

 “不殺”なんて厭わしいだけなのに、戒律なんて嫌いなのに、それでもアゲハは<天使(マラーク)>を捨てられなかった。<人間イカリ>の力を失いたくなかった。

 なんて浅ましいのだろう。

 拾った力を後生大事に抱えて。嫌なら捨てればいいのだ。そんな潔癖さすら持てない、自分の身勝手な“欲望”がなにか汚いもののように感じられて、アゲハは歯を食いしばった。

 許せないのは己なのかもしれない。自分の矜持にさえ殉ずることの出来ない己なのかも。

 アゲハは遣り場のない怒りに任せてまた奇跡を膨らませた。波のようなそれは触れるものすべてを壊したが、やはり人間ひとり害せぬままだった。強すぎるから。致命的だから。 

 

「何の音だ!そこで何をしている!」

 アゲハは乱暴に、捕まえていた男を放り投げた。小柄な彼はその声のした方へ、惚れ惚れするほどの素早さで走っていった。

城長(キジェ)!どうされたのですか」

「や、やつだ」

 男は息も絶え絶えに唸った。

「例の神話級だ!殺せ!奇跡を使う前に!」

 男たちは一瞬固まった。

 そして、笛の音が響いた。狭く網の目のようになった通路の中を、それは反響しながら駆け巡った。

「<人間イカリ>を呼べ!」

 番兵の小隊長らしき鉢巻の男が叫びながら、腰の剣を抜いてアゲハに斬り掛かった。少年の頭を分厚い刃が横薙ぎにする。

 それは灰になってへし折れた。鉄屑まみれになったアゲハが頭を殴られた衝撃で仰け反った。額から一筋の血がたらりと落ちた。

 アゲハは無言で手を振りかざした。

 圧縮されない奇跡が唸りを上げて吹き荒れた。周囲が薄っすらと灰化して傷つき、爆風のようなものがマフィアらを煽る。当然、誰ひとり傷つかなかった。

「“戒律”か」

 アゲハは呟いた。言葉にしてみることで確信が欲しかった。

 蟻洞(ギリアード)の言葉は正しい。

「戒律はただの嫌がらせなんかじゃない」

 アゲハは歯を食いしばるように笑った。

「何をやっても殺せないんだ」

 物事は変わらない。だが、ものの見方は変えられる。大抵は、全く違った面がある。

「殺さずに済むんだ。なら手加減は要らない。なんだってやってやるよ。やりたいこと、何もかも、すべて!」

 

 ◆

 

「《炙れ(アッサー)》!」

 誰かが解言を唱えた。

 熱の奇跡を込められた第三級の指環が光り、炎熱を吐き出した。かすかな大気の揺らぎとしか見えないそれが、着弾するやいなやアゲハの左腕を焦がす。

 アゲハは腕を押さえ、苛立ちの息をシューッと吐くと、名前を呼んで圧縮された奇跡を撃った。大人の足で五歩ほどの間合いが残らず灰になって削れる。群衆がどよめいて一歩退いた。

(ページ)……あれは、そういう意味だったんだな」

 アゲハはアシタ語で言った。誰に聞かせるつもりでもなかったからだ。

「“捨てる事は強めること”。態々教えてくれたのか」

 彼が家の安全と引き換えに自分を売り渡した、そのことはアゲハの心を苛んだが、それでも完全に憎む気にはなれなかった。

 彼は王だったのだ。年若く、幼く、たとえ屋敷一つの小さな領域しか持たないのだとしても。アゲハを助けたのも、元々家族を守るためにしたことなのだろうし。

 アゲハは、(ページ)に小さな王の在り方を見ていた。

 ハルヴァヤーと逃げ出すとき、王になりたい、自由な人間になりたいと願った。その具体的な意味合いを、アゲハは(ページ)ほとに考えたことがあっただろうか。

「殺せ!神話級は既に手に入れた!同化限界に達してからまだ時間は経っていないはずだ!殺せ!」

 誰かがそう下知する共通語が聞こえた。

「おれの事はどうでもいいんだな」

 アゲハはそう言って笑った。

(当たり前じゃないか!みんな神話級が欲しいんだ、おれだってハルヴァヤーが大事なのに。神話級が無きゃ、誰もおれなんか、おれだって大して気にも留めないのに!)

 それを理解できることがなにより癪だった。自分と敵とが、同じ尺度でものを考えていることが。

 自嘲的な笑顔のまま、アゲハは苛立ちを吐き出した。

「必要ない。必要とされたくなんかない!誰がおれを嫌いだろうが知ったことか!お前らの都合なんかどうだっていいんだ。どうだっていいんだ!」

 そのやるせない激情によって、奇跡は燃え上がっていた。意思の力だからだ。強い感情は奇跡を何倍にも強くする。

 

 ハルヴァヤーと同化していたときの感覚は朧気だったが、まだ脳裏に残っていた。それをなぞる。というより、塗りつぶしていく。

 過去の奇跡を思い返して再現しようとしても、それは偽物にしかならない。どこか違う紛い物にしかなれない。奇跡の技はその場だけで作り上げ、必要なら名前で繋ぎ止めておくものだ。

 奇跡はつねに現在にのみ存在する。アゲハはもう既に理解していた。

「失せろ!」

 怒りのままに、アゲハは彼を囲む男たちを睨みつけた。

 幾人かは薬で獣じみた身体に変じていた。それがゾッとするような牙の生え揃った唇をめくり上げた。

『牢に戻レ<人間イカリ>!さもなくば噛み殺ス』

「何がさもなくばだ」

 アゲハはふらふらと壁に手をついた。

 それは石で出来ていた。床もそうだ。まるで石を四角く固めたみたいな通り道だった。

「さもなくば?従うか従わされるか、なんでその二択なの?おれが、簡単に、いいようにできるって言いたいのか!なぁ!」

 青写真などないままに奇跡を組み上げる。良し悪しは出来上がってから考えればいい。

 新しい名前が、口を衝いて出てきた。

 

「……《土葬陣(ハニノワ)》」

 冷たい石壁に付けた掌が、突然熱くなった。

 そこから波のように奇跡が石を伝わっていくのが解った。普段の奇跡が手から湧く水だとするなら、これは深い水の中に手を突っ込んでいるみたいだ。

 奇跡が染み込んでいくなかで、その石がどうなっているかが掌に感じられる。壁と床、アゲハ自身を起点に、周りを取り囲む彼らがどのように地に足をつけているかも。

 同化していたとき、葬送の奇跡に触れたものが奇妙な現象を起こしたのをアゲハは思い出していた。あのとき、何かいつもと違う感じがした。単に力を暴発させる荒々しいイメージではない。もっと繊細な、まるで……一部分だけを取り出したような。

 雑多ななにかを捨て去ったように純粋な感覚だった。

『繰り返ス。牢に戻レ!』

 アゲハは無視した。

 その不遜さに、彼らがとうとう実力行使に出ようとした、そのときだった。

 その足元が揺れた。

 アゲハの掌を起点にして、黒い楕円形の波紋が石を滑っていく。その次の瞬間には、石床が、ひどく硬いはずのそれがまるで溶けたように彼らの足を飲み込んでいた。

「なん、だ、これは!」

 彼らはそこから足を引き抜こうとしたが、沈み方はますます酷くなっていった。たまらず手を突けばそれもずぶずぶと音を立てて沈んでいく。貴重な銃を取り落とし、それを飲み込まれた偉そうな男が情けない悲鳴を上げた。

「ものを灰に変える奇跡じゃなかったのか?」

『小僧。貴様、何をしタ。なんだこれハ!』

 既に肩まで石に呑み込まれた獣化人間が言った。

「さぁね。なんで答えてもらって当然みたいな言い方なのさ」

『こんなことヲして!必ず始末しテやる、始末してやルぞ、小僧!』

 怨嗟を吐きながら、男たちは石の床に消えていった。服や手荷物ごと、頭の先まで沈む。不思議なことに、その跡にはたださっきまでと同じような、いっそさらに滑らかになったようにすら見える床が残されていた。

 

「これでも、殺せないんだろ」

 アゲハは吐き捨て、めり込んだ掌を壁から引き剥がした。手形の跡が残っている。ごっそりと奇跡を持っていかれた感覚があった。だが、思っていたよりは軽く済んだ。圧縮の甲斐だろうか。

「圧縮か」

 唐突に、アゲハは理解した。今までの自分は《葬送》をまったく理解していなかったということを。

 目をつぶったままで拳を振り回していたようなものだ。誰かを殴るときは、どこを殴るか考えなければ。ものを壊す奇跡なら、どういう壊し方をするか定めて使わなければ。ハルヴァヤーの力はただ壊すだけではない。いろんな事ができるのだ。

「なんとなく、分かってきた気がする……葬送」

 アゲハはいつもよりまっすぐに腕を伸ばし、指をも伸ばした。その方が圧縮される気がした。それが気の所為でもいいのだと、アゲハはもう分かっていた。

「《葬送(ハルヴァヤー)》」

 おのずから奇跡が高まっていく。アゲハはしかし、さらなる命令をそれに加えた。包帯の左手を持ち上げ、弓を引くように動かす。

 これも同化していたときの記憶だ。力天使(デュナミス)系統は近接戦闘型だが、遠距離攻撃ができないわけではない。主天使(ドミニヨン)系統のような遠隔操作は不可能でも、ただ射ち放つだけならば!

「撃て!」

 奇跡が爆発した。それはいつもより狭く、細い破壊のうねりになって暴走した。丸く美しい形を断面にして、曲がりくねった迷路のような都市構造体を奇跡が貫く。天井めがけて放たれたそれは、はるか都市上層の装甲板を穿って風穴を開けた。

 空が見えた。月明かりが鮮烈に差し込んでくる。

「少しは風通しが良くなったろ」

 アゲハは裸足のまま壁の残骸に手をかけ、体を持ち上げた。靴が欲しい。朽ちた石屑はちくちくと足を刺す。

 

 穴の上には暗く大きな部屋があった。

 その壁の断面がほかより分厚く、金属で多重装甲されているのを見て、アゲハはにやりと笑った。

「宝物庫か」

 港湾マフィアに散々嫌な目に合わされたことをアゲハは思い出した。まだ癒えない全身の傷が痛んでいる。路銀だって、逃亡した非正規市民のアゲハには持ち合わせがない。

「埋め合わせはさせてやる。そう言ってたよなあ」

 アゲハはその部屋の抉れた壁を跨いだ。

 そこには無数のゼータ硬貨が束ねられ、山のように積まれていた。中には異常な額の取引に使う高額貨幣もあったが、アゲハは無視した。個人で使うのはむしろ難しいからだ。

 驚いたことに、靴もあった。豪華そうなそれはどれもアゲハには大きすぎたが、一番小さなものを見繕ってアゲハは引っ掛けるようにそれを履いた。

「貴様、何してる」

 それを見咎めるように、最後方でどうにか呑まれず残ったらしいあの男が、膝から下を破り捨てた珍妙な格好で走ってきて、瓦礫を上りながらアゲハに向かって叫んだ。

「我が組織の金庫をネズミのように漁りおって!」

「そりゃ悪かったね。さっきまでみたいにご機嫌を取らないのか?」

 さっきまで奇跡に怯えていたのとは打って変わって、情況のあまり分別をかなぐり捨てたらしい男に、懐へゼータ硬貨を押し込みながらアゲハは言った。

「黙らんか!始末してやるぞ、この卑しい宿無しのガキめ」

 男はキイキイ言った。

「神話級は我々のものだ。我々の管理下だ。絶対に渡すものか!私は今回のことで上の組織にも声をかけられてるんだぞ」

 アゲハは金を漁り終えると、一緒に棚に入っていた剣を引っ張り出して、鞘付きのまま男に向けた。

「それがもう意味のないこと、知ってるんだろ」

 男もまた憤懣やる方ない様子で鼻息荒く、腰からちっぽけな飾り小刀を取り出した。だが、斬った張ったををする気なんてアゲハには無かった。

「来い、ハルヴァヤー」

 《円環》が空に開く。空間をこじ開けて<天使(マラーク)>が降りてくる。

 その背の翼も、土人形のような体躯も見知ったままだった。思った通り、マフィアたちは<天使>を傷つけたりはしなかったようだ。

 アゲハとその持ち物のすべてが光の塵になって天へと昇っていく。男はただそれを無力に見上げることしか出来なかった。

 <天使>が諸手を上げ、荘厳に男を見下ろす。その朝の海のような翠の眼光が、ひときわ強く発光した。《円環》が加速し、葬送の奇跡が柱のように都市へと突き刺さる。

 まるで、雲間から差し込む陽の光のように。

 

 そして港湾マフィアが根城としていた都市区画は、上から下まで完全に崩落した。

 

 To be continued…

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