第十五話 港の傷痕
■交差都市ユディト
ユディトの街並みは、横にではなく上下に広がっている。まるで虫の巣だ。金のあるやつがどんどんと上に建て増すのだから、来るたびに景色が様変わりしていた。その高さは、ユディト非正規市民たちの権力構造をよく現していた。
「お着きでしたか」
「あぁ。報告自体は軍港のほうで受けた。現場は?」
「こちらです」
ユディト軍の港湾管理者は、人好きのする顔で朗らかに言った。明らかに面白がっている。
「いや、困りましたよ。電源管が幾つか寸断されまして、幸い末梢系だったので被害はそうでもないんですが、破壊時のノイズで付近の有線接続中だった通信機器が軒並みイカれましてね」
男は通行禁止の看板をずらし、その向こう側へ進んだ。
「現場は港湾マフィアの所有する区画でした。表向きは商業用の格納庫ということで記録されていたようですが、実態は彼等の根城ですよ。まぁ非正規市民相手になにをやろうと自由なんですが」
暗がりが晴れた。大佐は思わず目を細めた。
そこには、抜けるような青空が広がっていた。
都市構造体が上から下まで、大きく円形に抉り取られている。重なり合った都市の層がよく見て取れた。
「最上層から基礎構造体近くの深度まで、完全に崩壊しています。さらに近隣区で構造の脆弱だった部分にまで崩落が伝播しまして、まだ予断を許さない状況です」
向こう岸とこちらを繋ぐように作業用の索道が吊ってあった。大佐は崩れた壁の切り口を撫でた。
硬い石や金属のはずだ。だが、その断面はひどく滑らかだった。細かな灰があたりを薄く覆っている。
(やはり同じか……あの少年の奇跡と)
「これをやったのは?」
答えは分かりきっていたが、大佐は尋ねた。
「未知の<
「ユディト近隣の水深は極めて浅いはずだが」
「それでも、海中にまではなかなか捜査の手が及ばないのです。最悪、他の都市へ逃げた可能性も」
「目撃者は?」
「いたとしても名乗り出ては来ないでしょう。今回のことで、港湾マフィアの悪事の数々がついでに明るみに出まして。官憲に関わるのは自分の首を絞めるようなものですからね」
「悪事?」
錬大佐の問いに、男は曖昧に頷いた。
「復旧時にゴロゴロと
(よく言う。知っていて見逃していたのだろう)
だが大佐は疑わしく思いこそすれ、なにも言わなかった。ユディトの監査は
男は気にした様子もなく続けた。
「港湾マフィアは壊滅状態ですよ。本拠地を残らず消し飛ばされてしまってはね。おまけに中枢の機能が死んだものだから、傘下のならず者が残らず反旗を翻したようです。上部組織からの、ハザードドラッグの裏ルートを取り合って抗争が頻発してますよ」
お陰で正規の港湾業務にまで支障が出てまして、商会から早いとこ解決しろとせっつかれてまして、と男は冗談めかして笑ったが、大佐の顔が薄笑いのまま微動だにしていないのを見て、慌てて話を戻した。
「その上部組織の<
「叩いて出る埃はあるまい」
大佐はため息交じりに返した。
「あれは“
そう言い置いて、大佐は立ち去った。
砂埃にまみれた通路を踏むたびに靴がじゃりじゃりと言った。
ひとりきりになった大佐は、歩きながら独り言のように呟いた。
「それで、状況は?」
『……この都市にいることは間違いないようです』
足元の石の中から声がした。
『目撃証言も取れました。ただ、時系列が時系列ですから信用に足らん、と言われたらそれまでですけど』
「簒奪者の少年の動きは限られている」
大佐は目も落とさずに答えた。
「西へは向かうまい。あちらには首都テーバがある。中央軍の怖さが分からないほど愚かではないはずだ。辺境を逃げ回るにしても、一度追われた南方へふたたび戻るとは心理的に考えにくい」
『東の海は、大海流を渡るのが難しすぎますね。北方へ向かった可能性は?』
「今は排除していい。
『了解』
水音がして、声が聞こえなくなった。大佐は足を早め、そして軽く溜息をついた。神経質な中佐どのの顔を思い出したからだった。
◆
「やっほおユーちゃん。一人で飲んでるなんて酷いなあ。あたしにも頂戴?」
「その呼び方は止めて頂けますか」
「因みにこれで5回目です」
「えぇ?だって、可愛いじゃない。仲良く行こうよ、しばらくおんなじ艦の上なんだからさ」
現在の
どうせ港は空いていたのだ。軍艦の半数は東へと既に発っていた。良くも悪くも普通の船とは違う、やたら場所を取る飛空艦が羽を伸ばせるほどに。
「僕は貴方方とは違います。キャリアが違うのです。馴れ合うつもりなどない。解ったらさっさと失せなさい」
だが、虫でも追い払うような彼の言葉にも、その女は動じなかった。
「そんなこと言ってさあ。ホントは話しかけてほしいくせに」
桃色の女は不満げに言った。
軍服を改造したのだろう、ふわふわした綿みたいなものが袖口や襟を包んでいる。生来の黒髪も赤味がかった色に染められ、手足の首には丸い金属の環が嵌めてあった。下半身に至っては、左の裾だけが太ももまで切り取られていた。
「愛と平和だよ、中佐くん、愛と平和。人と人は手を取り合って生きなきゃあ。はい、あたしのことは
「知りませんよ。僕の手を触らないでくれませんか
「まったく……いつからこんなのが尉官になれるような仕組みになったのか。僕は情報部付きの中佐ですよ。君、軍内の秩序ってものをなんだと考えてるんです?」
「わかんない。あたし馬鹿だもん。ねえ、それより遊ぼうよ。暇だしさぁ、
甲高い音がした。軍靴が壁を蹴りつけた音だ。
頭巾を被った少年が水の入った水差しを持ち、大きな舌打ちをしながら通り過ぎた。顔は見えない。ちらりと見えた口元は意地悪そうにひん曲がっていた。
「いい加減にしろ毎度毎度!僕のせいなのか?」
「あれ、感じ悪いよねえ。まぁ
「誰のせいだと思ってるんです?」
「もうたくさんだ。ここは仮にも軍艦だぞ?どいつもこいつも、協調性ってものはないのか?自分の都合ばかり主張して!」
その大声に呼応して、また壁を蹴る音がした。さらに頭を抱えたくなることに、子供の泣き喚く声が壁に反響して聞こえてきた。
「あぁ、泣いちゃったの……」
とりわけ最悪なのは、彼ら全員が<人間イカリ>だということだ。
(多少、人間性に問題がある<人間イカリ>の集まりだと聞いてはいた。聞いてはいたが……“多少”だと?どこがだ)
「おまけに、旧アシタ人ときた」
シラヌイ。そう名乗っていた。
曳航連邦に帰順した
(頑なに野蛮人だったときの名を使い続けているとは、連邦に恭順しきっていない証拠だ。クーデターでも企てているんじゃないでしょうね。いずれにしろ分裂主義者予備軍ですよ。審問官は何をしている?)
これは使命なのだ。野蛮で粗雑で、規律と伝統を軽んじるこの連中に、正しい人間とはどうあるべきかを手本として叩き込む機会を与えられたのだ。そう思えば、彼等の欠点もまた付き合いやすいものに見えてきた。
「そう。この僕が彼らを導くのだ……!」
「中佐。なにをしている?」
背後からの声に、中佐は余裕綽々で振り向いた。
「これは
「現場の視察だけだったからな。やはり例の少年の奇跡だ。全て灰になっていた」
大佐は上着を椅子に掛けると、どっかりと座り込んだ。その後ろからは、全身を魚の鱗に覆われたような怪物が入り込んできた。
「あれ、凄い奇跡ですよねぇ。普通の
「どうだかな。広すぎる力はうまく狭めないと使い物にならん……いい加減変身を解いたらどうだ、シラヌイ」
「おっと、これは失礼?」
サカナ人間は身をひと揺すりした。途端に、白銀の鱗は肌に吸い込まれて見えなくなった。
「やっぱり完全変身しないと俺の奇跡は使いづらくてね」
そこに立っていたのは、朗らかな顔つきの若者だった。
さっきの異形とは似ても似つかない。大きな目は今にも笑みそうに見開かれ、長い睫毛がきらきらと光っている。その顔に、
「ふん……
中佐はぽつりと呟いた。
「いかにも
「いやぁ、首都出身のエリートさんに比べりゃ確かに知恵が足りないかもですね。失敬。小さい頃からよく言われましたよ、落ち着きのないやつだってね」
シラヌイは怒る素振りなどかけらもなく、ただ頭を掻いた。中佐は拍子抜けしたように黙り込んだ。
「それで、状況ですが。例の神話級……【葬送奇跡 ハルヴァヤー】及び契約者“アゲハ”はまだこの都市にいると思われます。ですがユディトもそれなりに大きな都市ですからね。
「わかり切ったことを」
中佐は自分も椅子に腰掛けながら吐き捨てた。
「では、どうやって見つけるのです?」
「賢明なる中佐どのにおかれては」
「航行中、部屋に引きこもるか
「失敬な!」
「【呼称奇跡 バカーシャ】。人探しの奇跡を使う」
大佐がそういったとき、部屋から出ていたシラヌイがあの頭巾の少年、
「大佐……今日もか?」
絶対に目は合わせないまま、
「連日だ。疲れているとは思うが、今日も頼む」
大佐の言葉に、
床に坐すのか。
「では、始めてくれ。対象の名前は、“アゲハ”」
「“アゲハ”……」
「“アゲハ”……」
名前を呼びながら、
「“アゲ、ハ”……」
身体は前後に揺れていた。みなもに波紋が立ち、浮かべた欠片を動かしている。
最後に、彼は呟いた。
「《
欠片が大きく動いた。水面の揺れからすれば不自然なかたちで、尖った先がくるりと回った。
それが指し示した方角へ、
「あっちだ」
(顔と名前だけで方角を探り当てるのか)
中佐は顔にこそ出さないが驚いていた。
かなり有用な奇跡だ。力の消耗は激しいようだが、方位を探査するだけでも戦略的には十分お釣りが来る。
「ご苦労。では、港から始めて都市の左舷方向へと向かおう。簒奪者は少なくとも港の周囲から移動したはずだからな」
「了解、大佐」
「それじゃあ、僕は寝てくるよ。また用ができたら起こして」
そう言って、重たげな石の水盤を抱えた少年は、最後に
痛くなどなかった。軍靴は分厚い合皮で出来ていて、爪先には鉄が入っていた。だから、ただの嫌がらせだ。
「いずれ軍法会議にかけてやる」
大佐はなにも聞こえなかったような顔で、シラヌイを振り返った。
「おまえは
「暫くかかりますよ。あいつ、なかなか起きないから」
シラヌイは肩を竦めた。次いで、大佐は
「中佐は
「聞き間違いでしょうか」
「なぜ、僕があれと?だいたい、貴方の命令に従う義理などない」
「ここは東の国境に近い。単独行動は許可できん。君が付いて来たいと言うから
「貴方の指揮権は僕に効かないと強調したはずですが」
「では、ここで共に待つかね?私はそれでも構わないぞ」
◆
■交差都市ユディト・
非正規市民の住む街は、どこも同じだ。品性に欠けた雑多な街並み、規則など知りもしないような住人、そして違法すれすれの品物が売られる大声。
「嫌な街だ」
「あっ。そんなこと言ったらいけないんだよ、ユーくん。失礼じゃない」
「見られてるね」
(……最低限の訓練は受けているようですね)
景色の何処かに、二人を見ているものたちがいる。張り詰めた、刺々しい視線だった。非正規市民にとっての軍人は確かに嫌悪の対象だろうが、この視線にはどこか違うものを感じる。
「標的かな?」
「あれはこんなことをするようなタイプではないでしょう。もう少し直情的だ」
「港湾マフィアの残党でしょうか。“あれ”が欲しい人間はごまんといるでしょうからね。あるいは別系の非合法組織かも。ただでさえ今、この都市の裏は不安定ですから」
簒奪者は港湾マフィアを壊滅させたあと、行方を晦ましている。けれど、何の訓練も受けていない素人が完全に足跡を断つことなどできるはずがない。こういう場所の人間は常に臆病だ。見知らぬものが身を隠そうとしていたらそれだけでむしろ目立つ。
「あたしたちが標的を追ってるってわかると思う?」
「この時期に外から訪れた軍人を見逃すほど、彼らも迂闊ではないでしょう。少なくとも監視は付けておきたい、と。ユディト軍は現地の組織と通じているはずですから、そちらから漏れた可能性もありますね」
「ユディト軍が?」
「辺境都市はどこもそんなものですよ」
「でも、確証はないんでしょ?」
「さて、どうせ賄賂で私兵代わりにでも……」
重たいものが落ちる音がした。
眼の前に人影が飛び降りてきたのだ。そのなりが毛皮と鉤爪に覆われているのを見て、
「早速のお出ましですか」
「うわぁ、毛むくじゃら」
その獣化人間はガチガチと牙を打ち鳴らし、白く泡立った涎を垂らした。明らかに正気ではなかった。
「哀れですね。ハザードドラッグの末期症状じゃないですか。自分の名前すら忘れたケダモノを捨て駒に使うとは」
「では、お任せしますよ」
「あたし?」
「僕はあの手の下品な相手には関わらないことにしているので」
「えぇ、あたしだってヤだよ。ユーくん、お願い」
獣化人間は吠えた。手に携えた鉄の斧を振り回した。眼の前の二人組が自分を軽んじていることがわかったからだ。
その裸足の鉤爪が地を抉り飛ばし、筋肉で装甲された身体を射出する。獣は十歩の間合いを一息に詰め、その得物が
「はや……」
重たげな衝撃が女ひとりを容易く殴り飛ばした。その鋭く研がれた刃は、人間の頭蓋なんていとも簡単に致命傷にできる。
「死にました?」
獣化人間は肯定するように喉を震わせた。その生臭い息に
「獣化ですか。
「はッ!」
そして、その手斧が蹴り飛ばされた。
獣は驚いて飛び退いた。本能からそうしたのだ。わからないことがあれば逃げるのが動物というものだ。
女が立ち上がっていた。
鉄塊を頭に食らい、その身体は硬い石壁にめり込んだというのに。
「無様ですね」
「ごめん。ちょっと油断しちゃった」
石壁にはヒビの一つも入っていなかった。
獣は足元に落ちている己の斧を見た。その刃も同じように歪んでいた。
「なるほど。“軟化”の<天使>」
「……柔らかくする奇跡、といったところですか」
「心配してくれてあんがとね、ユーくん。これが終わったらお礼に口づけしたげるぜ」
「謹んで、辞退します」
(あれが
その手が傍の壁を掴んだ。
文字通り、平らな石へ指先を埋めたのだった。それはもう柔らかく溶け、引っ張られるままに伸びていた。
「《
石を掴んだまま、
獣は素手の鉤爪を振り回した。風を吹き飛ばすほどの膂力と俊敏さ、なによりその爪の鋭さが、常人を傷つけるのになによりの武器だと彼は本能で知っていた。
だが、
携えた石が波打って視界を塗りつぶした。その隙間を縫って、鋭い蹴りが毛皮を打つ。獣は激昂して唸った。女の蹴りなど効くものか!
獣は顔を突き出し、涎を撒き散らしながら牙を使った。柔らかな腹の肉を、はらわたまで噛み裂いてやろうというつもりだった。
「そう来ると思ったよ」
だが、
獣は膂力に任せてそれを振り解こうとしたが、傍目にも柔らかいはずのそれは、獣にとっては硬い石の感触だった。
「拘束完了……おっと」
はちきれんばかりの獣の肉体は、石でさえ砕けそうな膂力を振り絞った。全身を固める石から嫌な音がした。
次の瞬間、風を断ち割るような左脚の蹴りが獣の下顎を砕き、意識を刈り取った。
「どお?あたしだって結構やるでしょう」
そこには誰ひとりいなかった。ただ、
「逃げたなユーくん。もう、我儘なんだから」
◆
無数の道が立体的に交差するような街並みは、その上で一つになっていた。砂と錆が降り積もったそこに、僅かな下草が生えては枯れていった跡が残っていた。
「たとえ軍人に手を出そうとも、末期中毒者の勝手にしたこと……だなんて、下手な言い訳ですよ。そんなものが通じるかどうか、少し考えればわかるでしょうに」
「ユディト人の非正規市民に襲われた。建前としては十分だ。直接命令した証拠などいりませんよ、疑わしきは罰するだけですから。港湾マフィアもろとも、穢らわしい賊徒を掃討する理由になります」
そこで、中佐は少し言葉を切った。
「だから、ユディトの組織がそんなことをするわけはない」
彼の視線の先には、黒っぽい人影が佇んでいた。
「あの獣化人間を寄越したのは僕らと同じ、この都市の外から来たものだ。違いますか。君、誰です?」
人影は答えなかった。
「東の野蛮人か?分裂主義者か?ずっと僕らを尾行していましたね。まぁ、観客は他にもいらっしゃったようですが」
とうとう彼は銃を取り出した。
「頭巾を取れ。顔を見せなさい」
人影は黒い外套の中でごそごそと動いた。
その隙間から出てきたのは、手首から斬り落とされた腕の断面だった。
「貴様、まさか」
斬られた腕で掻きむしるように頭巾を外し、その人物は顔に付けた面を顕にした。白い平面に刻まれた赤黒いバツ印が、熱を持って光った。
『《
老いた女の声で言うのと同時に、その全身が炎に変わって膨らんだ。風が熱くなり、なにかを叩きつけたような音が一面に響く。次の瞬間、
「《
移動を禁じられた爆風が堰き止められ、轟音を上げて上下に分かれた。あたりの金属が砕けた砂が、焼けながら舞い上がって空を汚した。
焼け付いた砂が冷めるのを待って、
「どうしたの?」
柔らかくして壁や柱を登ってきたのだろう
「物凄い音がしたよ」
「最悪だ。神話級の争奪戦に絡んでくるとは」
「“諸王”や賊どもが簒奪者を追うくらいなら織り込み済みでしたが。最悪だ。面倒なことに……」
「
ピンと来ていない
「自爆されたんですよ。この手口までお決まりでしょう」
「<
To be continued…