<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第十九話 少女、婦人、老婆

 ■交差都市ユディト 

 

 足元は砂まみれだった。

 地を踏むたびに、白い砂の塊が崩れながら沈んでいく。植物の影はなかった。真っ白な石造りの朽ちた壁が、丘陵地帯をまるで背骨のように横切っていた。

 からからの風が髪を煽っていく。既に太陽の姿はなかった。夕暮れに染まる西の空の橙色に、純白のレイラインが突き刺さっていた。それに沿って東からは月光の兆しが伸びてきている。星々の中でも明るいものが、チカチカと瞬き始めていた。

「どこへ向かっているのです?」

 (レン)大佐は、前を行く(ページ)にそう尋ねた。

 叉路街(サ・ロ・ガイ)の街並みが、膨れ上がった波のように背後に見えていた。太陽の最期の光を受けて、街の上の白い塔や橋がきらきら光っている。

「ここはもう正規市民の領域でしょう」

「牧場は向こうですよ」

 (ページ)は振り向くことなく言った。

 執事は連れてきていなかった。彼一人で案内すると言って、それきりだ。そのことも、大佐にとっては訝しかった。旧家の幼い当主が、隻腕の身で、なぜ?

 ギイギイとものすごい音がして、大佐は上を見上げた。

 一本の発電帆が荒野にそびえていた。それは吹き抜ける風を受けて、太いマストを軋ませながら、足元のケーブルに電力を吐き出していた。金属の糸で編まれた帆は、砂で汚れていて、褪せた褐色に見える。

「近よらないほうがいいですよ」(ページ)が言った。「年代物だから」

 丘を越えた先にあったのは、もう一つの荒野だった。左を向けばそちらには正規市民たちの住む街なのだろう、うず高く建てられた壁が草原を切り取っていたが、(ページ)は全く逆の方へ向いて歩いていた。

 扉の<天使>は確か、離れたところを移動できるのではなかったか?

 大佐はそう思ったが、しかし、何も言わなかった。奇跡について尋ねるのは不躾だと思ったからである。なに、別に念を入れて探ったわけでもない情報だったが、いい気はするまい。それに、人の前で奇跡を使いたくないのはふつうのことだ。

「あそこ、わかりますか」

 (ページ)がそう言って指す先には、崩れかけた遺跡があった。

 巨大な純白の石を組合せて造られたのだろうそれは、砂に埋ずもれているのか、砂に変わっていっているのか、鋭い立方体の輪郭を曖昧にぼやけさせて、荒野に佇んでいた。

「あれは“禁忌霊廟”」

 (ページ)は言った。

「ユディト旧王家の廟ですよ」

「あそこに例の少年が?」

 (ページ)は曖昧に首を揺らした。肯定とも否定とも取れなかった。

「ここは既に禁足地です」

 よく見渡せば、あたりには一定の間隔をあけ、古びた石碑が建ててある。その削れた表面に、微かにだが大佐は文字が刻まれているのを見て取った。

「あれに近づかないでください。術が彫られていますから」

 そう言って、少年は慎重に歩き始めた。大佐は横目で、その掠れた文字を読んだ。それが危ないものだなんて、言われるまでもない。

(古いシャーン文字……“禁”の字か)

 霊廟は、近づくにつれその威容を強めていた。石造りの隙間を縫うように、古い電源管が根を張っている。

 そのとき、ふと、大佐は(ページ)の足取りを見咎めた。

「何をしている」

 少年は石碑のそばに近づきすぎていた。これでは、見張りの術に引っかかりかねない。

「あなたが言ったことだろう」

「ええ、そうですね」

 (ページ)はそのときニヤッと笑った。そこで初めて、大佐は目の前の少年があのアゲハよりも年若いこどもだと気づいたような気がした。

 

「《(ダルト)》」

 そして、(ページ)が手をさっと振り上げた。

 砂をかき分けて、その足跡から古びた扉が飛び出してきた。戸枠はひび割れ、剥げかけた緑の塗装は色褪せている。

 その“扉”が、石碑の一つを打ち砕いて屹立した。

「何を」

 大佐は言いかけて、口を閉じた。

 奇跡の力が弾けて散らばり、さざなみか、あるいは眠りを妨げられた番犬の身震いのように伝わっていったのが分かった。あたりの石碑が震えて歌い、荒野の丘陵地帯から夜空を背にしていくつもの人影が現れた。

 杖を持っている。

(“転移(シフト)”か!?)

 大佐は舌打ちし、(ページ)に銃口を向けた。

「これはどういうことだ、帆都(ヴェルヴェット)!」

『侵入者に告ぐ!』

 人影のひとりが叫んだ。やけにくっきりと聞こえる声で、耳に無理やり入り込んでくるかのようだった。奇跡を使って強めているのは明らかだ。

(強制認識音声か。そんな偉ぶった奇跡を使うのは……)

『我らはユディト王佐親衛隊。跪き、武装を捨てろ。禁足地に立ち入ったお前達を拘束する』

「私を嵌めたな」

 大佐は顔をしかめた。

 (ページ)は肩を竦めると、丸腰の手を広げてただ立っていた。背後ではあの“扉”が塵に変わって崩れ落ちていた。 

 杖を持つ人影は二人を取り囲んで円を作り、半径を狭めていた。その一糸乱れぬ行軍に、大佐は彼らが人間ではないかもしれないと思い始めていた。奇跡で具現化された兵かもしれない。

「このまま良いようにされる私だと思うなよ」

 大佐は(ページ)に向かって言うと、手を振りかざした。羽織っていたコートの裾がはためき、奇跡の気配が濃くなった。

 その襟に刻まれていた牙の印が、音を立てて開いた。

「《巻け(ロタ)》」

 その瞬間、大佐を中心にして風が渦巻き出した。砂を吸い込んだ旋風がカーテンのように大佐を覆って取り囲む。その渦が、包囲網の一角に向かって首をもたげるヘビのように揺らめいた。

「第二級異物【聖套テンペストゥス】」

「おお、これはすごい。いい聖異物ですね」

 (ページ)は前髪を残らず持ち上げられながら、穏やかに言った。

 大佐は苦虫を噛み潰したような顔で一歩、踏み出した。

 風が膨らみ、包囲網の一人へと迫る。砂を巻き込んだ奇跡の旋風は、人間の肌くらい簡単に削り取りながら、その身体を吹き飛ばすだろう。

「残念だよ、こんなことになって」

 そう言って、大佐は【聖套】の出力を上げた。風が喚き、その牙を全方位に向けて荒ぶった。その裾ではチラチラと奇跡の光が踊っていた。

『《握れ(アプレヘンデ)》』

 そのとき、黙していた彼らが、円を描く彼らが杖をさっと掲げた。呼応し合うように、その先へと寒々しい明かりが灯った。磁気のように奇跡の力が高まるのがわかった。

 杖のひかりが膨らんで弾け、青白い稲妻が大佐の身体を貫いた。

 痛みはなかった。だが、すさまじい重圧を感じて、大佐は膝を折った。【聖套】の起こす風が揺らめいて、少しだけ弱った。

『《握れ(アプレヘンデ)》!』

 円陣が狭まる。稲妻が激しさを増し、身体に掛かる重圧がますます強くなり、大佐は苦鳴を漏らしながら砂と石の上に這いつくばった。【聖套】が完全に沈黙し、旋風が消える。杖の奇跡は、すさまじい重みになって大佐を押さえつけていた。

(聖異物か。第二級の【聖套】を物ともせずにとは)

 部隊の長らしき影が近づいてきた。それが振り上げた杖が風を切って唸ったと思った時、後頭部に衝撃を感じて、そして大佐は何もわからなくなった。

 

 ◆

 

 ■???

 

「《覚ませ(エクスペルゲ)》」

 その言葉に頭を殴られたように、大佐は覚醒した。

 指環を嵌めた儀仗兵がつかつかと離れていく。周りはやけに明るかった。電気で作られた人工の白色光が大広間を照らしている。

 そう、大佐は大広間にいたのだった。

 側、というには少しばかり離れた場所に、(ページ)が転がされていた。青褪めてはいたが、その表情は冷静に見えた。怒鳴りつけてやろうか、大佐は考えて、止めた。なんの得にもならないからだ。

「さて、そこなもの」

 奇跡で不自然に目覚めさせられた、いまだ曖昧な意識に、その厳しい声が突き刺さるようだった。

「なにゆえ、ユディト王家の禁足地に踏み込んだ?」

 あたりには沢山の人間がいた。兵もそうだが、文官らしきものもいる。尋ねたのはそのひとり、いかめしい顔をした老人だった。

「……その少年に連れられてだ」

 大佐は一瞬考えてそう言った。

 大臣ふうの老人は不快そうに眉をひそめた。

「逡巡などするな。不敬であろう」

「左様。貴様はただ答えさえすればよい。考える暇はいらぬ。それで、なにゆえ、ここに参った?」

「だから、彼に連れられてだ。言っただろう」

「少年には後ほど尋ねる」

 老人は言った。

「貴様は、なぜ、この少年に従ってここに参ったのだ?何やら狙いがあったに相違あるまい。隠し立てをすると為にならんぞ」

 大佐はゆっくりと立ち上がった。足元にシラヌイはいないようだった。水の音がしない。人の目が多すぎて潜り込もうにも難しかったのかもしれない。床は石を敷き詰めたもので、硬く、磨き上げられて輝いていた。

 目が慣れてきた。ここの壁はすべてそうだ。重厚な石造りの巨大な空間に、のたくるような黒い電源管が這っている。

「私は、曳航連邦に所属する軍人。階級は大佐だ。この都市へは特命を帯びて調査に来た。それ以上のことは言えない。証明が必要なら従うが、最後には解放してもらおう」

「特命とは?」

「言えない。曳航連邦の大きな事柄に関わるとだけ言っておこう」

「彼は、“新しき神話級”を探している」

 ここに来て、黙りこくっていた(ページ)が口を開いた。少年は独りごつように言った。

「彼は、ここ都市船ユディトに“簒奪者”がいると思っている。その手がかりを探すことが彼の任務で……」

 大佐が今にも撃ち殺しそうな目つきで睨みつけたので、(ページ)は口を閉じ、自分は純真な子供だとばかりの顔つきになって座り込んだ。

「……あぁ、その件だ」

 大佐は両手を上げた。

「遅くに辺鄙な場所をうろつく動機としては十分だろう。で、まだ、おわかりいただけないのか?」

「ひとまず良かろう。で、少年よ。汝はなぜこの男を禁足地に伴った。子どものなしようとは云えど悪戯では済まさんぞ」

 (ページ)は冷徹な表情で黙っていたが、おもむろにその片腕を持ち上げると、突然に勢いよく襟元を広げた。引き裂かれんばかりに伸ばされた布地の向こうから、“扉”の紋章がはっきりと顕になっていた。

「おお、そなたは」

「“扉”の末裔か」

「いかにも。私は当代が【扉絵奇跡 ダルト】の継承者、(ページ)=帆都(ヴェルヴェット)。この男を連れてきたのは、ユディトにおける一大事を奏上せんがため」

 百戦錬磨のような顔をして、(ページ)は広間を見渡した。あたりを囲む衛兵、彼等の持つ聖異物、偉そうな役人、そして、その奥にある薄絹で作られたような御簾を真っ直ぐに。

「畏れながら」

 御簾が動いた。

 (ページ)は頭を下げた。

 大佐は訝しげにそれを見ていた。あのふてぶてしい少年が、必死に頭を下げている。その緊張は絶対に偽物なんかではなかった。議場にもまた動揺、あるいは動揺を抑え込もうという嘘くさい昂りが、風のようにさっと広まった。

「畏れながら、“簒奪者”を追う連邦の特務兵がおりますことを、臣帆都(ヴェルヴェット)、必ずや直々にお見せしたくこのような手段を取らざるを得ませなんだ」

 

「よいのよ」

 女の声がした。

 甲高いそれは、しかし下品に尖ることなく、むしろきめの細かな砂が落ちるような柔らかい音として響いた。木琴(モロン)の上で陶器の珠が跳ねたような、愉しげな言葉が聞こえた。

「それにしても、落ちぶれたものね帆都(ヴェルヴェット)。市民権すら失くしたのでしょう?貴方のような幼子が主を務めねばならぬほど窮しているとはね」

 現れたのは、雲をまとっているような女だった。

 身体の線を幾重にも隠す、薄衣の塊のような衣が、広間の僅かな空気のそよぎに応じて、少しずつ揺れている。肩で切り揃えられた黒髪には一分の狂いもなく、大きな瞳は猫のように、好奇心旺盛に輝いていた。

「それで、本当なのかしら?()れが特務兵で、“簒奪者”を……二億の首を追っているというのは」

「はい。確かでございます」

 大佐は戦慄して立ち尽くしていた。交差都市ユディトの名家、帆都(ヴェルヴェット)が膝を突き、これほどにへりくだる相手など、指折り数えるまでもない。

「それにしても、本当に跪かないのですね。中央から来た方は。私の知っている人たちは皆私の前だと跪くのですよ」

「……連邦軍人は国家安寧の理想と、それを体現する皇帝陛下にのみ膝を折ると存じております」

 不快そうな役人たちの視線から逃げるように、大佐はそう答えた。

「して、貴女は?」

 

「私はユディト」

 

 高貴な女は言った。

「このユディトを収める、王の一族ですわ」

 そうではないかとは思っていた。それでも大佐は愕然として、眼の前の女を見つめずにはいられなかった。

(やはり王家の、ユディトの名を継ぐ人間か!)

 大佐は脳裏で集めた情報を急いでさらった。確か、ユディトの現当主は姫だと聞いていた。それも、悪評を伴う噂で聞いていたのだ。

「つまり、貴方がたに殲滅された血筋、ということになりますわね。我々が“首都”テーバの軍に敗北を喫したことで、このユディトは属領になったのですから」

 ユディトは背後を指さした。

「見えますか?」

 大佐は視線を上げた。

 なぜ気づかなかったのだろう。きっと光の強さに目が眩んだか、緊迫したこの場に知らず知らず飲まれていたからだ。彼女のいうそれが見えないはずなどない。

 ユディトは指を下ろした。その手の甲を埋めるように、図像はうまく読み取れなかったが、紋章が刻まれていた。

 

 その背後には、破壊された<天使(マラーク)>が磔にされていたのだった。

 五体は切断され、砕け散っている。手と脚とが柱のように大きな鉄の杭で縫い止められ、鎖に吊られた胴は力なく俯いていた。傷だらけの体躯に刻まれているそれは、敗残の過去そのものにも等しい。翼はへし折れ、砕かれてなお天を目指すように屹立している。

 そして真紅の心臓が、肋骨のような構造体から半ばこぼれ落ちて、祭壇の中央へと留め置かれていた。

「貴方がたに倒された、我が王家の<天使(マラーク)>ですよ」

 ユディトは言った。

 大佐は釘付けになったようにそれを凝視していた。耳の奥でざらざらした羽音が聞こえるような気がした。唾を飲み込む。

 死者だ。恨みだとか嘆きだとか、そういうありふれた言葉では形容しきれないなにかが、死者の想念がそこにあるような気がした。それは大佐を冷徹に観ていた。曳航連邦の軍人を、じっと見つめていた。

(錯覚、錯覚だ)

 眼差しを引き剥がして、大佐は苦労して言葉を繋いだ。

「なるほど。王の<天使(マラーク)>を。では……貴女があの」

 名家と呼ばれる血筋には必ずと言っていいほど<天使>がつく。尤も、それが失われた家も数多いのだが。

 ユディトの王族が今もなお継いでいる<天使(マラーク)>を、大佐は知らなかった。どんな奇跡なのか、位階はどれほどなのか、なにひとつ知らなかった。知っているのは、それで“何をやったか”だけだった。

「噂に名高いユディトの姫にお目通りできるとは、光栄です」

(そう、噂の“虐殺姫”とはな)

 大佐は内心でそう続けた。

 ユディトの姫の噂は知っている。街をひとつ潰して、“人間狩り”をやったという女だ。危険極まりない<人間イカリ>のはずだが、こうしてみるととてもそうとは思えなかった。

「それで、私の任務に不審な点でもお有りで?」

 大佐は堂々と尋ねた。自分にはなにひとつ悪いところなどないのだ。しおらしくすればその分だけ押し切られかねない。

「いいえ、不審だなんて。ただ、興味があるだけですわ」

 ユディト姫は言った。くるくると回りながら、階段を降りてくる。

「私、はしたないのですけど、狩りが好きですの」

 大佐は黙ったまま続きを促した。

「獲物を追い詰めたときの昂り、お友達や他の方々と競うことへの恐れのような高揚。たまらないのですわ」

 わずかに上気した頬を光らせて、ユディト姫は言った。

「それで、思ったんですの。連邦中に追われている、二億ゼータの懸賞金を掛けられた“簒奪者”をもし狩ってみたら、さぞ面白いでしょうねえ、って!」

 大佐は呆然として立っているのがやっとだった。そしてユディト姫は大佐のことなど見てはいなかった。

「いつもの獲物とは質が違いますわ。こちらも奇跡を使えるし、聖異物だって使い放題。きっと面白くなりますわよ、人も呼んで、お菓子を食べながらに致しましょう。美味しいお茶があるの」

「では、まさか、私の任務に手を貸してくれると?」

 大佐はつばを飲んだ。ユディト姫は大佐の言葉を無視して笑っていた。この女性がさっきから自分の目を見ていないことに大佐は気付いた。この女、生まれながらの特権階級にとっては、他の人間は自分の興味を惹きでもしない限りは壁掛けの置物と変わらないのだ。

(非正規市民を百人集めて人間狩りをやったという話は本当だったか)

 この女ならそんなことも躊躇いなくやるだろうと大佐は思った。

 ユディト姫は(ページ)に向き直ると、その頭を撫でて言った。まるで躾のできたイヌにやるように。

「よくできましたわね。この人のお陰で楽しくなりそうだわ。ご褒美を上げましょう。なんでもよいわよ。何がほしいかしら」

「勿体ないお言葉、有り難く存じます」

 (ページ)は伏して言った。

 

「では、願わくば、我が姉に“市民権”を。哀れにも沈黙病の彼の者には、大変な幸せに御座いますゆえ」

 

「良くってよ」

 ユディトは曖昧に頷いた。役人がすぐに言った。

「手配いたします」

「万事頼むわね」

 その役人の手がわずかに強張っているのを眺め、大佐は(ページ)に視線を移した。

「これが狙いだったわけか?」

 (ページ)は何も言わず肩をすくめた。大佐はそれを睨みつけた。

(この状況を読んでいたというのか。この姫がこういうことを言い出すと、会ったこともないはずの女のことを、伝聞だけで)

 その何を考えているかわからない顔に、大佐は予兆のようなものを見て取った。

(まだなにか考えているな。これで終わりではあるまい)

「では、始めましょうか。狩り場はこの都市全土ですのね」

 そのときユディト姫が告げた言葉に、大佐ははっと我に返った。

「当座は、ええ、この都市にいると見ていいでしょう」

 大佐は渋々首肯した。

「人員をお貸し願えるのでしょうな。こちらとしては、見つけられるのならそれで良いのですが」

「私のお友達がお役に立てると思いますわ」

 ユディト姫は振り向きざまに言った。

「狩りにはお友達がいるものでしょう」

「ご友人?」

 大佐は怪訝そうに眉をひそめ、ユディト姫の視線を追った。

 

 途端に、空気が張り詰めた。

 辛味のある緊張感が走り、全身から汗が滲んだ。背とうなじを悪寒が駆け巡る。

 途轍もない力の気配がそこにはあったのだった。燃え盛る火に触れなくても顔を向けるだけでそれを感じるように、見るだけでわかった。

 そこにいたのはふたりの女だった。

 朽ち木のような萎れた老婆と、純白のヴェールに身を包む婦人だった。ふたりとも、物静かでなにひとつ剣呑なところなどない穏やかな見かけだったのだが、それはむしろ白い灰の奥に埋もれて燻る熾火のように、静けさの中に危うさを孕んでいた。

「そう、お友達ですわ」

 ユディト姫の言葉が、遠いもののように聞こえた。

 大佐は上ずった声で呟いた。

 

「“放浪王(ザ・ウェンド)”……それに、“堅牢王(ザ・ハーデン)”」

 

 その言葉に、(ページ)ははっと顔を強張らせた。

 ふたりの“(アーセリング)”は壇上に座っていた。

「私が丁度お招きしていましたの。お二人も、例の“簒奪者”を探しておられるのですよ」

「……それは少し違う」

 長身の婦人、“堅牢王”が口を開いた。

 上品な黒髪は丁寧に梳られ、蒼白な肌との間でコントラストを作っている。だが、細面の繊細そうな女の、ヴェールに霞むその唇から出てきたのは、明らかに男の声だった。獰猛な獣の唸りのように深みのある、やや濁った声だ。

「貴様ら連邦はやつを殺そうとしている」

 虫も殺せなさそうな女はゆっくりと、叩きつけるように言った。

「あぁ、連邦法に照らして、<天使(マラーク)>の奪掠は極刑相当だ」

 大佐は唾を飲み込みながら肯んじた。“堅牢王”はどこからか、鎖の音を響かせながらため息をついた。その眼差しはヴェールの奥に隠れて見えなかった。唇だけが動いている。

「それで処刑か」

 “堅牢王”は確認するような口調で言った。

「それはさせん。“簒奪者”のアシタ人は()れが奴隷にする。殺させはせん。或れは己れのものだ」

 彼女はなにかを掴み取るように拳を握った。

「貴様たちの法律は、おれには意味がないということを忘れるな。おれは己れ自身が国土であり、人民であり、王権なのだからな」

「……引き渡しはない。あれを処刑することは連邦の総意だ」

「ことばだけでは意味がない。力なき意志は世界に対し意味を持てない」

 “堅牢王”は気にも留めていない様子だった。ユディトが手を叩いた。

「あら、でしたら競争ですわ。先に仕留めた人が好きにするというのは如何かしら」

「好いだろう。だが、この女がその約定を違えないかどうか」

 “堅牢王”は隣の老女を見やったようだった。

「おれはどうも信用できん。“放浪王”よ」

 “放浪王”はにたりと笑った。やけに白い歯が、日に焼けた船乗りの肌から顕になる。 

「信用できないって?」

 “放浪王”は気安い調子で言った。

「いいよ。そうしようよ。僕もそれがいいと思う。早い者勝ちとはよく言ったものだね」

「おまえのような人間との口約束は信頼に値しないと、己れは考える」

 “堅牢王”は低い息を漏らしながら、言い聞かせるように言った。“放浪王”はやれやれとばかりに首を振った。

「だったらどうする?力尽くで君が僕に勝てるとでも思うのかい」

「お前こそ己れの奇跡を破れるつもりでいるのか」

 パチっとなにかが弾けるような音がして、一陣の風が吹いた。

 次の瞬間、“堅牢王(ザ・ハーデン)”は心底不快そうな顔で突き出した腕を引き戻し、かたや“放浪王(ザ・ウェンド)”はなんと、(レン)大佐の背中に抱き着いていた。

 二十歩はある距離をどうやって一瞬で飛び越えたのか、老女は大佐の背に体重を預け、その頬を後ろから艶かしく撫でた。彼女の頸では大きすぎる紺のコートの襟がはためき、頭の上には眼差しを隠すように巨大な帽子が乗っている。

 (ページ)は驚きを込めてその右手を見た。老女の右手は読めない文字の刻まれた、円弧を描く銀色の鉤の手だった。間違いなく聖異物(アロトリオ)だ。

「離れろ、下衆めが」

 大佐は不快感を顕にしてそれを振り払った。

「なぜ貴様がこんなところに、しかもひとりきりでいる。船団(タルシシュ)はどうした。貴様にはこれ以上神話級など要らないはずだろうが」

「僕にだって単独行動するときくらいはあるんだよ。そんなに僕を嫌わなくってもいいじゃあないか、ねェ、大佐?」

「馴れ馴れしく呼ぶな、“放浪王(ザ・ウェンド)”」

 普段の彼からは想像もつかないような口ぶりで、憎悪を顕にして大佐は“放浪王”を睨みつけた。状況が許せば撃ち殺してやりたいとでもいうような態度だった。

「傷つくなあ」

 老女は軽薄に笑った。そうしているとその瞳は皺の奥に埋もれて隠れてしまった。

 ユディト姫は楽しそうに手を叩いた。

「まぁ、お知り合いだったのですね。それはいいわ。でも、もうだいぶ遅くってよ。詳しいことは明日話しましょう」

 大広間に、深夜の零時を報せる鐘が小さく鳴った。

 “放浪王(ザ・ウェンド)”はコートを翻して、よろよろ歩いていった。その足は空を踏み、空中を歩いていたのだった。頼りない老人の足取りが、風を踏みつけにしている。

 大佐は唇を動かさずに喉の奥で唸った。

「失せろ」

「哀しいね」

 彼女は大佐の顔を覗き込み、囁くように言った。

 

「お祖母ちゃまと呼んではくれないのかい、可愛いレイナール……我が孫息子よ」

 

 そう言って、怒気を噛み殺している大佐とすれ違うように、“放浪王”は空を踏んで歩いていった。

 (ページ)はその後ろ姿をじっと見ていた。

 “放浪王”の横顔はいつの間にか、瑞々しい少女のそれへと変わっていた。ありえないことだ。だが確かに、あの老女の面影を残したまま若返っている。

 溌剌として、今にも駆け出しそうに。

 

 ◆◆◆

 

 ■ベトリア運河・数時間前

 

 黄昏を吸い込んで金色になった運河は、ゆったりと水路を流れていた。それは地上の道と同じように、大通りや、路地や、小道や、またあるいは門を備えていた。

 そのひとつの河畔に繋がれて、さほど大きくもない商船が停泊している。

 

 運河に映る夕陽を――と言ってももうそれは都市構造体の端に隠れてしまった太陽の尻尾に過ぎなかったが――船端から、ひとりの男が眺めていた。

 憂いのある顔つきで、男は船端の椅子に腰掛け、ガラス質の砂が河畔に積もっているのを見ていた。時折、なにか小さな生き物たちの影が水中の陰影から出たり入ったりして煌めいている。

 船室から、誰かが上がってくる靴の音がした。男は光のない瞳を動かしたが、顔は向けずにただ呟いた。

「カワカマス老が戦死したそうだね」

 それはアシタ語だった。訛りのないものだ。

「“狩猟王(ザ・ハヴ)”との遭遇は失敗に終わったね。せめて、穏便に済ませられればよかったのだが」

「使いのものも先程、息を引き取りました」

 従者もまたアシタ語で言った。若い女だった。

「ホテイアオイの隊もやはり、道半ばで不穏分子として連邦に処刑されたそうです。ですが、ヤブガラシとカラスノエンドウのところは無事に合流しました」

 従者は付け加えた。

「それと、<黙示録(アポカリプス)>から伝言です。“軍備が整った”と」

 男はそれを聞いて、考え込むように唇を歪めた。手元には紙を糸で綴じただけの簡素な書が握られていた。

「彼ら抜きではことを起こせなかった」

 男は独りごつように言った。

「彼らは船を、糧食を、武器をくれた。ありがたいことだ。だが、我々はこれを恥じなくてはならない。哀しくもお隠れになられた帝に僕はもはや顔向け出来ないよ。アシタの復権は、アシタびとだけで成したかった」

「恥ではありませんわ。我々には未だアシタの誇りがあります。憎き曳航連邦に身を隠しても、必ずやその(はらわた)を喰い破ってみせましょう」

「そう思うかい?ノコギリソウ」

 ノコギリソウは頷いた。だが、男はさほど納得のいった様子でもなく、ぼうっと水面に目をやった。

「例の少年の居所は?」

 ノコギリソウは髪を不安げにいらった。

「それが、まだ、何も。連邦の側でも手がかりがないようです」

「おかしいね、神話級の<人間イカリ>ともなれば。強い力は否応なしに痕跡を残すものだ。奇跡の気配が焼き付くはずだろうに」

 男はぱらぱらと手元の書を捲ったが、その目は別のところを見ていた。にもかかわらず、まるで読み上げているかのようにすらすらと男は言った。

「天使学者トルバトスによると、<人間イカリ>はみな欲望をエネルギー源としており、ゆえに正しく欲せないものは弱いのだそうだ。彼は何を欲しているだろう?人は欲するままにしか動けないものだ」

「それ、もう読み終えられたのですね」

 男は書を懐にしまうと、立ち上がった。

「長たちを招集してくれ。<黙示録(アポカリプス)>のほうも」

「今夜ですか?」

「あぁ。期を逸してはよくない。“葬送”の確保はできていないが、始めよう。ガザミが捕らえてくれた特務兵(イレギュラー)のことが騒動になっても面倒だ」

 ノコギリソウは頭を下げた。

「仰せのままに、オオタカヒコ様」

 タカの名で呼ばれた男は、レイラインを見上げ、ため息をついた。それは困憊や焦燥ではなく、決意から来るものだった。

「我らが曳航連邦に立ち向かうこの時に、アシタの()()が神話級<天使(マラーク)>に選ばれるとは。僕は宿命のようなものを感じているよ、ノコギリソウ」

 “同胞”という言葉に特別なアクセントをつけて、タカは言った。

「それとも、君の目にはそれも映っているのかな」

「私の“予言”に間違いはありません」

 ノコギリソウはその大きな瞳でタカを見つめた。

「“我らは必ずや、このユディトで“アゲハ”と出会うでしょう”。それが、私の予言です」

 断言する予言者(ナビ)の女に微笑みかけ、タカは言った。

「人は王、国なしには生きられない。僕達は七年前のあの日からずっと死んでいた。生きているふりをし続けていたんだ」

 その穏やかな笑みが一瞬だけ凄絶なものを帯びた。

 

「アシタ皇国を取り戻す。さあ、生き返るとしよう」

 

 その首の後ろには、“時を作る鶏”の紋章が刻まれていた。

 

 To be continued…

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