<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第二十四話 落日

 □予言者ノコギリソウ

 

 予言者(ナビ)は生まれる場所を選べない。

 ノコギリソウは下級貴族の家に生まれた子供だった。大した由緒もない、つまらない家柄だったが、それなりに幸せだった。  

 母も予言の才能を持っていたから、怖い予言の夢を見たときにはよく慰めてもらったものだ。“才能を嫌いにならないで”。それが母の口癖だった。“貴女のそれは、お国のために役立つものなのだから”。

 けれど、それをすべて曳航連邦軍が打ち壊したのだった。

 彼らはアシタ人を殲滅しようとしていた。今でも脳裏に焼き付いている。国境を越えようとしていた避難船に、荒々しく乗り込んできた連邦軍は、降伏も許さずに無辜の人々を皆殺しにしたのだ。自分に覆いかぶさったまま撃ち殺された母の血の匂い、末期(まつご)の荒い息遣い、流れ出ていく温度、哄笑しながらあたりを乱暴に歩き回る連邦軍の足音……

 

「連邦のイヌめ」

 ノコギリソウは、崩れ行く軍港(ガンポート)を眺めながら、思わず呟いていた。

 流れる風こそ穏やかだったが、川辺の景色はひどく荒れ果てていた。ガザミがやったのだろう、巨人が鉈を振るったような破壊痕がそこかしこに刻まれている。

 敬愛するタカに逃げろと言われたがままに、ノコギリソウはここまで走ってきたのだった。彼女はただの予言者にすぎない。奇跡は使えないし、女の細腕では戦うこともできない。

 本当は。

 ノコギリソウはこころの中で呟いた。本当は、復讐してやりたかった。

 自分も剣を持って、槍を持って、曳航連邦の悪しきやつばらを皆殺しにしてやりたかった。あの日自分が味わった、世界のすべてがひっくり返って自分を見捨てたような、深い穴に堕ちていくような気持ちを味わわせて、それで目一杯苦しめてやりたかった。

 悲鳴を聞きたかった。命乞いをさせたかった。あの日、あんなことをして後悔していると大声で言わせてやりたかった。自分がどんなに惨めだったか、痛みに変えて刻み込んでやりたかった。

 それは彼女にはできないことだ。剣術も知らない、奇跡も使えない、兵法も教えてもらえなかった彼女には。でも、今はその代わりがいる。

「オオタカヒコさまは必ず思いを遂げて下さるお方だ。私達はこの都市を手に入れ、アシタを再建し、連邦を滅ぼしてやる」

 ノコギリソウは、川辺に転がっていた連邦兵士の死体に向かってそう吐き捨てた。それは白い顔をしてバカみたいに口を開けて転がっていた。なんて無様なのだろう。こんな奴らに、誇り高きアシタが負けるはずがない。

「もうすぐだ。もう私達は勝っているのだから。戦は、もう終わる」

 ノコギリソウはそう言って、踵を返しかけた。だが、すぐにその足を止めた。

「何です?」

 そこには、あの<黙示録(アポカリプス)>たちがいつの間にか音もなく忍び寄っていたのだ。

 黒服をざわめかせながら、彼らはじっと立っていた。心なしか、それは彼女の退路を塞ぐ包囲網のようにも見えた。

 ノコギリソウは早まる鼓動を隠すように、胸を抑え、平静を装って口を開いた。

「何をしているのですか?」

 彼女はアシタ語で尋ねた。

 答えはなかった。黒装束達はじっと立ち尽くし、彼女の方に顔らしき場所を向けていた。

『何を、して、いるのですか?』

 幼い日に習い覚えた記憶を辿って、ノコギリソウは辿々しいシャーン語に切り替えて尋ねた。それでも返答はなかった。ことばの問題ではなかったからだ。

「この大事な局面に、貴方がたは何をしているのですか?私を迎えに?」

 黒装束は答えなかったが、一斉ににじり寄ってきた。ノコギリソウはちょっと不安になってたじろいだ。

「迎えなら必要ありません。じきに、敵を倒したオオタカヒコさまが私を迎えに来て下さいますから。それより戦場の手助けに行って――」

 <黙示録(アポカリプス)>たちはとうとう、わっと溢れ出すかのように彼女へ群がった。

 手のないものたちも、手のあるものたちも、彼女を取り囲み、ざわざわと囁き合いながら抑えつけた。悲鳴を上げたノコギリソウの手首を誰かが掴み、掲げ、そして鋭い痛みが走った。

「なんの真似ですか」

 ノコギリソウは激昂して己の身を掻き抱いた。

「この一大事に、乱心でもしたというのですか、<黙示録(アポカリプス)>!」

 その手は震えていた。<黙示録(アポカリプス)>のひとりが、薬の入っていたガラス瓶を投げ棄て、口を開いた。

 

「乱心などしていない」

 そのことばは滑らかなアシタ語で、気品すら感じさせるほどだった。

 ノコギリソウははっと驚愕の表情を浮かべた。目の前の人影の頭巾が跳ね上げられる。

「サングィス」

 その長身の男、サングィスは黒いローブを揺らし、堂々と立っていた。土と金属でできた黒い太陽の仮面も、今まで通りだ。

 だが、あの慇懃で丁寧な物腰は消え失せ、不遜な笑みを浮かべている。不気味な<黙示録(アポカリプス)>たちの中で、彼は唯一と言っていいほど話の通じる人間のはずだった。なにせ、個人の名前を明かしているのは彼だけだったのだ。

 こうして見ると別人のようですらある。それがなおいっそう、ノコギリソウにとっては不気味だった。

「なぜこんな真似を。私たちは味方同士でしょう?」

「味方同士、か」

 その希うような確認を、<黙示録(アポカリプス)>のサングィスは、いやに饒舌なふうでせせら笑った。

「いや、いや、いや。実に肩の凝る日々だった。頭を下げ通して、誇り高きアシタ人どものご機嫌を取るというのは。おまえたちにおもねるのもこれで終わりというわけだ。清々しい気分ですらあるな」

「サングィス……まさか」

 ノコギリソウは男を睨みつけた。

「まさか。まさか裏切りを」

 そこで、彼女は崩れ落ちた。

 足に力が入らない。動悸が耳の奥に響いている。手首の傷から、痺れのようなものが広がっていた。

「毒を、使ったのですね」

 眼差しだけで<黙示録(アポカリプス)>たちを睨むノコギリソウに、サングィスは冷徹に言った。

「いいや安心したまえ。君に投与したハザードドラッグのうち、弛緩と麻痺はあくまで副作用のようなものだ。数分のうちに消え去る。主たる効用は感情の増幅だからな」

 ノコギリソウは目を見開いた。

 耳の内側で響く鼓動が、だんだん大きくなっていく気がした。

 <人間イカリ>のなかには、確かに、そういう薬を使うものもいるという。奇跡はヒトの心と直結し、想いや欲望が強いほどその力を増す。気持ちを昂らせる麻薬で奇跡の出力を上げるのだ。

 けれどそんな薬を、非契約者のノコギリソウに、なぜ?

「ここで裏切るなど、自殺行為ですよ」

 ノコギリソウはわけがわからずに言い募った。

「“ユースの契約書”に誓って、あなた達は自分の言葉に従わなければならないはずです。それとも、契約の霊に罰せられたいのか」

「心外だな」

 だが、ノコギリソウの言葉は<黙示録(アポカリプス)>にとってどこ吹く風のようだった。

「契約は今このときも遵守されている。私は常にずっと真実を告げていた」

 サングィスははっきりと言った。

「嘘などついていない。曳航連邦は我々の敵であり、我々が君たちに与えたものにも一切の細工はない。力を与えた。知識を与えた。契約通りだ。なにをそう糾弾するのか」

「詭弁はもう十分です。この慮外者め」

 ノコギリソウは歯噛みしながら叫んだ。こいつらは敵だ。もう、唾棄すべき敵だ。

「《叫べ(アトナー)》」

 ノコギリソウの指環が震え、青白い雷が甲高く叫びながらサングィスたちめがけて膨れ上がった。彼女はまるで木綿糸を手繰るようにその(いかずち)を振りかざした。

 

 けれど、それは突然止まった。

 動いていなかったのだ。形のない電流が、まるで凍りつきでもしたかのように静止していた。ノコギリソウにはなにがなんだかわからなかった。

 サングィスはため息をつき、さっと指を振った。

聖異物(アロトリオ)か、些か邪魔だな。《黙せよ(シレー)》」

 次の瞬間、もとの指環のなかへ吸い込まれるように雷は消滅した。

 ノコギリソウは目を剥いて呆然としていた。確かに奇跡を使ったはずなのに。怖くなった彼女は、もう一つの指環を嵌めて叫んだ。

「《隔てよ(エクスペッレ)》」

 だが、サングィスは面倒くさそうにその結界を指で払った。

「やめろ。《晒せ(エクスポーネ)》」

 物理結界は成形すらままならず消失した。ノコギリソウは顔を引きつらせて速い息をついた。

 奇跡は確かに発動させたはずだ。聖異物の力が消されるなど、今まで見たことがない。<天使>と同じく、聖異物もまた人間の手わざの範囲を超えたもののはずだった。それに干渉する“技術”などあるはずがなかった。

「なにをした」

 ノコギリソウは喘いだ。

「何が狙いだ」

 サングィスはまたため息をついた。

「いやはや、その愚かしさにはほとほと呆れ返る。ろくに正体を知りもしないものを漫然と使っているというのは……だが、いいだろう。教えてやろう」

 彼は嘲笑混じりの傲慢な口調で話し始めた。まるで、出来の悪い徒弟を前にした教師のような口ぶりだった。

 

「教えてやろう。<天使(マラーク)>のこと、聖異物のこと、この<楽園(ガン・エデン)>の真実を。すべて、すべて……」

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 ■強襲装甲艦タマノヲ 艦内

 

 人間というのは不思議なものだ。

 岩のような拳を食らったというのに、生きて歩けたりする。歯を食いしばって起き上がり、折れた足を引きずって、潰された胸で息を吸い込んで。

「どうなっている」

 満身創痍のガザミは、血反吐を垂らしながら、黒の集団に詰め寄った。声には水っぽい咳が混じっていた。

「“野良”は見るものすべてを襲うと言ってたはずだ。俺達アシタ人は、例外にしてあるだけだと。解き放てばすぐに“野良”は暴れ出すはずだった。どうなってるんだ、<黙示録(アポカリプス)>さんよ!」

 話が違う。ガザミは痛みすら忘れたように言った。

「“野良”はどこかへ行っちまいやがった。暴走させて爆弾にするはずだった特務兵もだ。ぜんぶお前らの杜撰さが招いたことじゃないのか?俺達は誇り高きアシタ人だ。ことは遊びじゃないんだぞ」

 まだ動く方の手で黒衣の襟首を掴み、ガザミは吼えた。

「いい加減なことをやりやがって。オオタカヒコどのの口添えがなきゃあお前らみたいな不気味な連中、俺がこの剣で串刺しにでもしてやるところなんだからな」

 その時、ブツリという音がした。なにか固いものを突き破るような。

 なんの音だろうか、ガザミは皆目見当もつかずに首を傾げ、ふとなんの気なしに自分の腹を見た。

 そこから、アシタ様式の反りのない剣が生えていた。

「何を」

 呆然とするガザミに、<黙示録(アポカリプス)>たちがざわざわと詰め寄ってくる。

『罪』

『罪のしるし』

『罪の形』

 <黙示録(アポカリプス)>たちは無感情に、口々に囁きあい、ガザミを取り巻いていた。その剣を持つひとりが、厚い刃をガザミの中で捻り上げた。手のある者たちは縋るようにガザミを掴み、手のない者たちは自分のそれを自慢げに掲げた。

 

『人の身で、<天使>を使う、罪』

 

 ガザミは粘っこい血の泡を吹き、怒りの形相で黒装束を掴んだ。

「本性を、表したか」

 その全身から、鋏の<天使(マラーク)>メザメロトの奇跡が立ち上り始めた。

 激情によって何倍にも膨れ上がった奇跡が、気の弱いものなら気絶しそうなほどの殺気になって、大気を張り詰めさせている。身動ぎだけで切れそうだ。鋼を研ぐような幻聴がその場にいた者たちをおどした。

 だが、それが突然弱まった。

 ガザミは力を失って倒れた。腹から生えた剣が硬い音を立てる。奇跡の気配は弱まって消えた。<黙示録(アポカリプス)>たちは幾重もの輪になってガザミを見下ろした。

「何をした」

 奇跡が使えない。

「お前ら……俺の<天使>に何をした」

 ガザミはひゅうひゅうと喉を鳴らしながら、搾り出すように叫んだ。腕の紋章はくすんで、褪せたようになっていた。

「答えろ、<黙示録(アポカリプス)>ども!」

 鋏の<天使>メザメロトはこの強襲装甲艦タマノヲの艦内、下層に収容されているはずだ。その<天使>から、なにか嫌な感触が伝わってくるのをガザミは感じていた。破壊ではない。もっと嫌な、重苦しいような感じだ。

 穢された。<天使(マラーク)>が穢された。

 メザメロト。ガザミはこころの中で叫んだ。メザメロト。【裁断奇跡 メザメロト】!

 薬を嗅がされたときのように忘れてしまったわけではない。それでも、そのことば、その名前はどこか薄っぺらいもののように感じられた。その名が持つ力は、もうガザミの思い通りには動いてくれないようだった。

 そのとき、艦が大きく揺れた。

 <黙示録(アポカリプス)>たちがなにかしたのだろうか。ガザミは脳裏でそれを却下した。こいつらだって同じ船に乗っているのだ。わざわざ自殺するだけのような真似をするわけがない。そんなのは、狂人の仕業……

「狂人」

 ガザミはやっと理解できたような気がした。

 眼の前にいるこの黒ずくめの者たちは、国とか、人生とか、生命であるとか、そういうまともな尺度でものを見ていないのだ。

 それは狂気だった。少なくとも、ガザミにとっては。

 

 その胸、心の臓がある場所へ、黒装束が剣を突き立てた。

 光が薄まり、音が遠くなった。凄まじい痛みが身体を稲妻のように走り抜けていって、そうしてらくになった。

『罪ありき』

『死は罪である』

『生もまた同じ』

 <黙示録(アポカリプス)>は口々にまたなにか囁きあい、潮が引くように去っていった。

 血溜まりの中、熱を失っていくガザミのひび割れた唇が震えた。その手が僅かに動き、なにか握るようなしぐさをした。

 そして、ガザミはただの肉になった。

 鎧をめくりあげられ放り出されたその腕で、<人間イカリ>のしるし、紋章が音を立ててふたつに割れた。それはさあっと色を失い、灰色の砂のようになって風に流れていった。

  

 ◆

 

 ■飛空艦(カルラ)

 

 アシタ人の戦士たちは、飛空艦(カルラ)の扉に手をかけていた。

 すでに他の船は制圧し終えている。舵は壊した。ネズミ一匹だってこの港からは逃げ出せない。残るは一番端に停泊していた、この横に長い奇妙な船だけだ。

 戦士の一人が、指環の嵌まった手を扉の縁に滑らせて、言った。

「《叫べ(アトナー)》」

 一瞬だけ、青白い光が扉の表面を走って、焦げ臭い匂いが漂った。電流の【聖環】に焼き切られた電気鍵(スロット)が力尽きたように扉を手放す。

 だが斥候が扉を開けようとした途端、その手はまるで殴られたように弾かれた。破裂するような音とともに。

 斥候は血を流している右手指を押さえて舌打ちすると、扉の近くを見回した。

「物理結界か」

 扉を囲むように、四枚の紙切れが貼り付けてあった。

 まるで手帳から無造作に引きちぎったような紙には、褪せたインクで《禁止》を意味する連邦共通文字(タル・シャーン)が書き記してあった。戦士たちが短剣でそれらを傷つけると、頁は最期の火花を散らし、その力を揮発させた。

 斥候は傷ついた手で合図をした。戦士たちは素早く扉を押し開け、艦内に侵入していった。

 

 艦内は静かだった。

 人の気配がない。それは今このときだけの話ではなく、もっと前からあるべき人間の痕跡が薄いのだった。この大きさの船ならふつうは数十人からの乗組員がいる。

 奇妙な外観といい、いびつな艦船だ。

 だが、アシタ人たちは大して考えることなく艦内を進んでいった。連邦の実験機なら、むしろしめたものだ。少数の乗組員しかいないのなら制圧も容易いということなのだし、貴重な新技術を労せず手に入れられる。

 幸い、艦橋(ブリッジ)の位置はふつうの船と変わりないらしい。戦士たちは足音一つもなく、水のように廊下を進み、そして艦首にたどり着いた。

 

 そこにいたのは、二人の子供だった。

 双子だ。まだ幼い。鏡のようなものを持っている。男と女、同じ顔を向けて怯えをあらわにしている。

 戦士たちも流石に立ち止まった。

 なぜ、軍艦に子供がいる?少年兵にしてもまだ幼い。それに艦首で自由にしているというのも妙な話だ。

(まさか艦長であるわけもない)

 長は戸惑いを隠せずに、振り上げた短剣を下ろした。戦士たちがあからさまな質問の目を向けてくる。

 双子がなにか尋ねてきたようだったが、彼らはみなシャーン語が理解できなかった。それでも、その言葉が挑発や宣戦布告などではなく、子供らしい舌足らずなものであることは考えるまでもなく解った。

「捨て置きますか」

 とうとう口を開いてしまったひとりの戦覆いを嗜めるように睨み、長は首を振った。

 軍毅オオタカヒコからの下知は、軍艦の制圧と乗組員の殲滅だ。いくら子供とはいえ戦場に立ったのだから例外ではない。

 それに、眼の前の子供達はなにか妙だった。非論理的なカンに過ぎなかったが、ただの非戦闘員と決めつけられないなにかがあった。

「始末する」

 長はそう言って、子供達を眺めた。

 ふたりはその意味を悟ったのだろう、とうとう泣きじゃくり始めた。戦士たちはいたたまれない気分になった。憎き曳航連邦に復讐するため張り詰めさせていたものが緩んでいく。次第に大きさを増す泣き声を聞きながら、長は短剣を構えた。その刃は木の葉のようにぎざぎざと尖り、血を抜くための溝が彫ってある。

「悪く思うな、坊主」

 せめて、男子(おのこ)のほうから送ってやろう。そう思って、長は抱き合うふたりの喉元へ刃を近づけた。ふたりは逃げ出すこともできずに泣き喚いていた。

「ママ!」

 少女のほうが叫んだ。

「ママ!」

 刃が喉に触れた。

 

 そして瞬き一つののち、長の身体は後ろに吹き飛んでいた。

 鎧がひしゃげ、破片が飛び散った。戦士たちが即座に構え直し、短剣を双子めがけて投擲した。

 それらはすべてふたりの手前で落ちた。まるで、目に見えないなにかにぶつかったように。

 いや、叩き落されたのだ。

 双子は顔を上げ、涙をしゃくりあげながら笑った。

「そこにいたのね、ママ」

 

 双子の姿がまるでレンズを覗いたように歪んだ。

 なにかがいた。人間大の目に見えないなにかが、獣のように唸りながら双子を護っている。輪郭が辛うじてわかるだけだが、髪を振り乱し、長い両の腕をだらりと垂らし、戦士たちをゆっくりと睥睨している。

 双子からは、今や明らかに異質な存在感が放射されていた。

(このふたり、<人間イカリ>か)

 長は驚愕の声を上げようとしたが、胸が潰れていたので、出てきたのは血反吐だけだった。先祖から代々伝わる氏族鎧が、いとも容易く一撃で貫かれている。幾重にも革と膠を張り合わせ、鉄の板で裏打ちしてあるというのに。

 幼い子供と侮った。出会い頭に奇襲しておけば、こうはならなかった。

 

 そして、“怪物”が絶叫した。

 戦士たちは手練だ。狭いところでの斬りあいならまず負けはない。だが、そんな彼らも、この“怪物”には敵わなかった。

 双子が契約した映像の<天使(マラーク)>、【伝令奇跡 セレム】の力で作り上げられたそれは、あたりの映像そのものを纏っている。

 見えない。その一挙手一投足はただ揺らめきとしか分からず、それでいて鎧袖一触の膂力を持っているのだった。堅牢なはずの鎧が、よく研がれた石の短剣が、まるで紙屑のように破壊されていく。おどろおどろしい咆哮が聞こえたと思った瞬間、一番近いところにいたひとりの頭が砕かれていた。その恐ろしい吠え声が人間の女のそれに似ているのが、なにより不気味だった。

(奇跡だ)

 長は喘ぎながら身体を起こした。

(術者を消せ)

 だが双子には触れることさえできず、そして不可視の“怪物”は止まらなかった。

「《叫べ(アトナー)》!」

 青白く燃えるいかづちが双子めがけて放たれたが、それはまるで水鉄砲のように怪物の腕に打ち払われ、そして次の瞬間にはそれをやった戦士が右手の【聖環】ごとふたつに引きちぎられていた。

 怪物は暴風のように戦士たちを薙ぎ倒していった。赤いものがあたりを汚し、柔らかいものが潰れる嫌な音が響き渡り、そして、艦橋は静かになった。

 長は短剣を振り上げてみた。戦士たちは誰一人として残ってはいなかった。

 物凄い衝撃が頭にぶち当たったと思った瞬間、ようやく、彼は眼前に迫る“怪物”の顔を見た。

 

 それは、女の死体のような顔をしていた。

(オオタカヒコさま……無念)

 そして、アシタの戦士たちは全滅した。

 誰一人として動くものはなかった。一面の血溜まりの中で、いままさに恐ろしい惨劇があったばかりだというのに、幼い双子は安心しきった表情でお互いを見つめていた。さっきまでの涙はもう止まっていた。

「ありがとう、ママ」

 双子は少しも狼狽えなかった。母親はいつだってふたりのそばにいて、危ないものから護ってくれるのだから。役目を終えた“怪物”はあたりを見回すと、紋章へ戻ろうとした。

 

 けれどそれが突然、動きを止めた。

 持ち上げられたかんばせは、軍港の方を見つめていた。まるで、なにか畏れ多いものの予感を受け取ってでもいるように。

 

 ◆

 

 ■ユディト軍港付近 

 

 禁止の<天使(マラーク)>は右腕を振りかざし、杖を槍のように構え、燃え上がるアゲハめがけて突きつけた。その光の瞳がタカを見、アゲハを見、またタカを見た。

『そういうことか』

 中佐の声が音楽のように轟いた。

『簒奪者にテロリストの頭目が揃い踏みとは。野蛮なアシタ人め、貴様たちははじめからこの都市を破壊するのが目的だったのですね?すでに手を組んでいたというわけですか。同じ種族のよしみで』

 その杖の先に、蒼白い光が灯った。

『二匹まとめて処刑してくれよう!』

 そして、オセルは杖を剣のように振り抜いた。

 南端都市イザールで渦の<天使>アルボルを痛めつけたあの螺子が、物質をその場に縫い止める奇跡が、横殴りの雨のように飛んできた。

 

 アゲハは舌打ちし、咄嗟に両腕を合わせると奇跡を前に向けた。

 全身を覆っていた《(カラ)》が歪み、背後のそれが消滅した分だけ前へと回る。灰の嵐が叫びながら吹き荒れ、螺子弾を分解して削り取った。二つの奇跡が衝突するときの不快な金属音が鳴り響く。

 いくつかは消しきれなかった。数本の螺子がアゲハの身体に突き刺さり、後ろへとふっとばして右腕を地面に固定した。アゲハは唸ったが、身体はびくとも動かなかった。

 ただの螺子ではない。これは固定することそのものが奇跡なのだ。だから傷はつかない。血も出ない。アゲハはぎこちなく左腕を持ち上げ、螺子を引き抜こうとしたが、人間の力ではどうにもならなかった。

 

 タカのやり方はもっとこなれていた。

『主天使系統か』

 タカはため息をつくと、両手を打ち鳴らした。

 その一拍の拍手は、どこか清らかな響きで炸裂した。途端に奇跡の気配が膨れ上がる。それはタカの引き金なのに違いなかった。

『《潮騒(ラーシュ)》』

 タカがそう呟くと、拍手の残響が嫌な唸りに変わった。

 轟く低音からつんざく高音まで、階段を駆け上がるように音がうねる。空を裂く螺子が共振して震え、そして残らず砕け散った。

 オセルは目を細めたようだった。少なくとも、アゲハにはその眼窩に灯る光がいささか陰ったように見えた。

『アシタ人……貴様の奇跡か』

 中佐は腹立ちを隠そうともしなかった。

『奇跡特性がなにか知りませんが、僕の《禁》をまとめて殲滅するとは。無礼だな。万死に値する』

『シャーン語で喚かれてもね、理解に苦しむね』

 タカはアシタ語で呟いた。その異形の顔が、地面に固定されているアゲハの方を向いた。

『君としては、この状況が狙いだったわけか。僕とこの連邦の特務兵が戦ってる隙に逃げようと……そういうことだろう?なかなか賢い戦略だ。してやられたというわけかな。まぁ、その君は今やそんな有り様なんだが』

 タカは肩をすくめ、オセルに背を向けた。

 

 途端にオセルが杖を振り抜いた。

『奇跡が通じないとしても、この肉体は<天使>のものだ!』

 その大質量の身体が、風を吹き飛ばす重さで、タカの頭めがけてぶち当たった。あたりの土埃と灰の層が地吹雪のように舞い上がり、空と風を汚す。

 <天使>はなにも奇跡を使うだけのものではない。“同化”した身体は岩のように硬く、大人一人を踏み潰せるほど大きく、風を嗅ぎ分けるほど鋭敏なのだ。

『思い上がりだな』

 だが、その中から、タカの言葉が聞こえた。

 柚子(ユーリス)は杖を引き戻そうとしたが、動かせなかった。土煙に絡め取られたようにびくともしない。その褐色が、次第に晴れた。

『君の作戦は及第点だよ、アゲハ。惜しむらくは経験の浅さかな』

 顕になったタカの姿は、首筋に突きつけられている巨大な杖を、右腕だけで掴んで引き止めていた。

能天使(エクスシア)は変身する系統。その力は、人間のそれをはるかに超える。わからないかい?これは<天使(マラーク)>そのものに近づく力なんだよ』

 怒りのあまり喚く中佐のオセルには目もくれず、タカはアゲハに言った。

『君が特務兵を呼び寄せようと、彼が同化状態でここに来ようと、無駄なんだ。この上なく無駄なんだよ。なぜなら、たとえ<天使(マラーク)>であっても僕の変身態には敵わないのだから……奇跡の圧縮術もままならず、それに同化には時間の限界もある。君のやったことは僅かな時間稼ぎにすぎない』

 空いている左腕で、タカはアゲハの方へ掌を翳した。

『だが確かに面倒だ。そろそろ君を本気でさっさと叩きのめして、船まで連れていくとしよう……無事ならだが。この特務兵くんはなぜここにいるのかな』

 そこで初めてタカは怒りをにじませ、そして言った。

『少し静かにしていてもらおうか』

 その右腕がオセルを引き寄せ、つんのめらせた。船のような巨体をタカの掌底が押し、今度は地面を抉りながら吹き飛ばす。白い陶磁器のような<天使>は中佐の声で喚きながら転がっていった。それを尻目に、タカは手を打った。

『《潮騒の歌(ラーシェ・ゼーミラー)》』

 その手から虫の羽音のような唸りが噴き出した。

 アゲハの腕を貫いていた螺子が震えて、さっきのように砕けて消えた。ここぞとばかりに距離を取ろうと立ち上がったアゲハは、しかしすぐに膝をついた。

「なんだ、これ」

 視界が揺れる。頭の中にタカの音が響いている。ぐるぐると回る景色が歪み、そして真っ赤になった。目から、鼻から、耳から、どろっとした血が溢れてくる。

『あまりやりたくはなかったんだ』

 タカの声が脳裏にぐわんぐわんと鳴った。

『使い勝手はいいんだが、それなりに力を食ううえ、やりすぎると頭の中が壊れるんでね。ああ、聞こえていないかな?』

 

「聞こえて、るよ!」

 アゲハは力任せに奇跡を撃った。力の名前を叫んだアゲハの喉から血が混じった咳がこぼれる。

 けれど、破壊と分解の奇跡を受けてなお、タカはのうのうと立っていた。肌を削った程度だ。アゲハを苛む原理不明の奇跡も、止められない。

『ダメだよ。君、僕の奇跡の正体がわかってないだろう?』

 タカは言った。

『敵が何をしているかわかっていないのに、それを破壊できるわけがないだろう。奇跡は意思を具現化する力だ。闇雲に奇跡を撃ったところで、それは暗闇の中の見えない相手に剣を振るうようなものだよ。君に僕と……僕の【喧騒奇跡 ラーシュ】は止められない』

 タカの両手がアゲハに近づき、唸りがひどくなった。アゲハはたまらずに地面へ膝をつき、手をついた。血が止まらない。目眩と吐き気もだ。

『呪うならば、自分の未熟さを呪うがいい』

 

 だが、そのときオセルが動き出した。

 四つん這いになってまるで赤ん坊のように、あるいは獣のように、塵を蹴立てて這い寄ってくる。タカは異形の顔をしかめ、そちらへと片手を向けた。

『しつこいな。君も!』

 唸りが半分になり、それはオセルの方へ向かった。歯の奥が粟立つような感触がオセルを襲い、その蒼白の体躯の表面に細かいヒビが入る。地面の上で砂と灰が震えて踊りだし、不思議な文様を描き出した。

 タカはこれほどに強かったのだ。未熟な神話級の力天使と、同化した伝説級の主天使をふたり相手にできるほどに。

『それほどに死にたいのならいいさ、特務兵くん。君の<天使(マラーク)>の心臓ごと、塵にしてあげよう』

 

 だが、その手が裂けた。

 人間のそれとは違う黄色っぽい血が飛び散った。掌から二の腕にかけてまで、螺旋状に抉られた一筋の傷口が開いていた。

 オセルが奇跡を飛ばしたのだ。タカは信じられないといった様子で声を上げ、その手を抑えた。アゲハを苛んでいた奇跡がやみ、脳を蝕む唸りが消える。

『やはりですか』

 全身から欠片をこぼしながら、かすり傷だらけのオセルが杖を下ろした。シャーン語が通じない敵だと知ってなお、中佐は言った。

『能天使系統は変身する系統。それは変身にリソースを割いているということ。変身にはリソースが必要だということ。ならば、奇跡の出力を上げれば上げるほど、肉体の強度は落ちる』

 オセルが奇跡の名前を宣言し、杖を振った。放たれた螺子は、今度はタカの身体を傷つけられずに弾かれたが、中佐は満足げだった。

『奇跡出力と変身濃度の両立はできぬということ!貴様の肉体のスペックであっても、奇跡を使った瞬間であれば傷がつけられる!そして、僕の奇跡は物質の強度を無視した影響が可能!』

 地に落ちたさっきの螺子が再び浮き上がり、タカの腕を貫いた。それは傷つけるのではなく、奇跡的に固定されているのだった。

 主天使(ドミニヨン)系統は遠距離戦闘に向いた系統だ。たとえ一旦は外した奇跡でも、遠くからいくらでも操作できる。間合いを詰めなければ主天使には勝てない。

『奇跡戦闘に持ち込むなら遠距離で撃ち殺す。肉弾戦ならその腕を縫い止めてくれる。貴様の引き金はその手でしょう?なら、手を封じてしまえばもう高度な圧縮は使えまい。さあ、選ぶがいい、テロリスト!』

 中佐は勝ち誇り、そしてタカは首を振った。

『よく喋るものだ』

 その身体が膨らみ始めた。盛り上がる肉が傷を無理やり塞ぎ、全身の羽根が逆立って擦れ合い、不快な音を立てる。

『その嬉しそうな声は耳障りだ。やはり君から始末してあげようか。消耗するから使いたくはなかったんだけどねえ……』

 その声までいよいよ人間離れしていく。アゲハは血に濡れた眼を見開いた。打ち合わせられたタカの黒い鉤爪が鎧のように前腕を覆い、肉体がみるみるうちに膨張していく。

 負けじとオセルも杖を構え、何をしようというのか、その石突を持ち上げた。

『《変身(エシュターネ)殲滅態(ハルサーン)――』

『《封鎖禁槍(オセル・カイン)――』

 しかし、二人の<人間イカリ>がいよいよさらなる圧縮を解き放とうとした、そのときだった。

 

 空が大きく揺れた。

 

 まるで目に見えない光が澄み渡る青空を駆け抜けていったようだった。耳に聞こえない鐘の音が大気に響き渡っていったようだった。タカも、柚子(ユーリス)も、なにより奇跡感知がろくにできないアゲハでさえ、迷わずに空を見上げた。

 凄まじい存在感(プレッシャー)があたりに降り注いでいる。まるで偉大で限りのないなにかに、天からじっと見下ろされているかのような。

 

 そして蒼穹に、レイラインの光が灯った。

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 □予言者ノコギリソウ

 

 <黙示録(アポカリプス)>たちから解放されたあと、ノコギリソウはふらふらと当てもなく彷徨っていた。

 身体に傷はない。彼らはノコギリソウに何もしなかった。手荒なことは何もしなかった。後を追ってきすらしない。それはもう事が済んだとわかっているからなのだった。

 そう、もう事は済んだのだ。取り返しなどつかないほどに。

 

 路地の角を曲がる。

 戦闘音を背にノコギリソウは歩いていた。大きな音を聞くたびに頭痛がする。サングィスの言葉が、頭の中で何度も鳴り響く。

『教えてやろう』

 彼は言っていた。

『教えてやろう。真実を』

 

 そう言って、彼は信じられないようなことをノコギリソウに聞かせたのだった。それは失われたはずの知識であり、そして信じがたいことに“真実”だった。ゆっくりと丁寧に教えられたそれを呑み込むにつれ、ノコギリソウはそれが真実であると確信を持ってしまった。

 すべて理解した。

 理解してしまった。

 理解してしまったのだ。

 

 <天使(マラーク)>の正体。

 

 <人間イカリ>の存在。

 

 《円環》の意味。なぜ、空にレイラインがあるのか。予言者(ナビ)の仕組み。沈黙病がなぜ生まれるのか。【偽リベリウス記】の著者について。二千年前に“歴史”が終わった理由。聖異物(アロトリオ)の本質。大地を飲み込んだ海のこと。■■■■■(セフィロト)。<黙示録(アポカリプス)>。そして<偽典(アポクリファ)>のこと。すべて、すべて。

 

 そして、この世が<楽園(ガン・エデン)>であるということ。

 

「罪深い……」

 頭が割れるように痛み、あたりのものがぐるぐると回っているかのようだった。ノコギリソウはたまらず座り込んだ。

 罪深い。

「そんな、それなら、私達は、私達の意味は」

 ノコギリソウは地を掻き、涙を流していた。

「アシタ皇国……わたしたちがやってきたことの意味は、すべて、すべて無意味な足掻きだとでも?時間稼ぎだとでも?そんなはず……」

 罪深い。

 違う。ノコギリソウは心のなかで否定しようとしたが、感情が抑えられなかった。吐きそうだ。心が乱れてどうしようもない。互いに矛盾するどす黒いものが胸の内で渦巻き、投与されたハザードドラッグに増幅されて溢れ出しそうだった。

 彼女は真実を知ってしまった。もう無垢ではいられない。知ってしまったことについて、なにか思わずにはいられないのだ。

 罪深い。罪深い。罪深い!

 

 そして、彼女は思わず天を見上げた。

 見てしまった。見てしまったのだ。見なければよかったのに。けれど一度見上げてしまった空は青く、清く、そしてどこまでも澄み渡っていた。

 なんて美しいのだろう。そうか、あれは、海と同じ色なんだ!

 それに気づいた途端、ノコギリソウは血相を変えた。

「あぁ、違う、違います!」

 彼女は半狂乱になって叫んだ。

 それは誰かに向かって(ゆる)しを求めているようだった。そばには誰もいないのに。真昼の空には、燃える太陽があるだけだというのに。

「違う、わたしは、わたしはそんなこと考えてない!」

 ノコギリソウは両手を差し出し、太陽を覆い尽くそうとした。けれど、それはいつも通り暖かく輝いていて、人間の両手なんかでは隠しきれなかった。

「気の迷いです。恨んでなんか、叛いてなんかいない。違うんです」

 ノコギリソウは必死に言い募った。

「赦して、お願いだから、赦して……わたしは、わたしは、わたしは、()()してなんかいない!」

 

 そしてその頭上に輝く《円環》が灯った。

 

 To be continued…

 

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