<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第二十九話 死者の影

 ■交差都市ユディト

 

 【喧騒奇跡 ラーシュ】が立ち尽くしている。

 その()にはタカの魂があるはずだ。だが、その意思は欠片ほども感じられなかった。ただ石像のように佇むだけだった。

 アシタ人の復権を願った男の燃えるような意思も、それを持て余した果ての乾いた諦観も無い。だから、アゲハはそれを睨んだ。忌まわしいというか、不気味なものだと言おうか、とにかく恐ろしいような感じがしたからだ。

 

「さて、どうしたものだろうか」

 <黙示録(アポカリプス)>のサングィスはラーシュに向かって言った。

「すでに“無限偽典”は始まった。このままユディトが沈むのを眺めるというのも乙なものだろうが、そうだな」

 その太陽紋の面が大佐たちを睨みつけた。

「やれ、ラーシュ」

 

 その途端、ラーシュが絶叫した。

 軛から放たれた獣のように、<天使>は四つん這いになると、崖崩れのごとく丘を駆け下った。光の翼がひときわ強く輝き、巨大な身体を持ち上げる。さっきまで虚ろに佇んでいたというのに、あのサングィスに命じられた途端。

「厄介な!」

 大佐はやむを得ず腕を突き出した。

 みどりの暴風が吹き荒れる。だが、ラーシュにとってはそよ風程度のものでしかなかった。

 本当ならアゲハを確保したかったが、この状況ではそうも言っていられない。大佐はちらっと柚子(ユーリス)のほうを見やった。ただ気を失っているだけだと思いたいが。手足が変な方向に曲がっている。

「《握れ(アプレヘンデ)》!」

 ユディト親衛隊も動き出した。

 聖異物のひかりがラーシュを貫き、押さえつける。それでもラーシュは止まらなかった。ギシギシと軋みながら親衛隊に向かい、その中のひとりを殴り飛ばしたのだ。

「なんという出力……やはり」

 そのラーシュの肉体が変じた。

 ヒト型を失い、まるで四つ足の獣のように変わっていく。光の翼がやや腰の方に映り、背中から尾のようなものが剥がれて鞭のごとく伸びた。

「やはり能天使(エクスシア)か!」

 

 能天使系統は変身して奇跡を使う。

 それはなにも<人間イカリ>だけではない。<天使(マラーク)>の本体もまた変型の機能を持つのだ。<天使>の形態論にはまだ謎が多いなか、天使学者が見つけ出したこれは数少ない明確な法則と言っていいものだった。

「変型したぞ!距離を取れ!」

 親衛隊の誰かが叫んだ。

「形から見ておそらくは陸戦態だ、接近戦は――」

 その瞬間、ラーシュの顔面が裂けた。

 <天使(マラーク)>の顔は人間や獣のそれとは違う。ただの飾りみたいなものだ。それでも、そのギザギザとした裂け目は獣の牙に似ていた。その裂け目の奥でなにかが唸った。

 

 大佐は血相を変えて怒鳴った。

「全員、伏せろ!」

 そして、ラーシュが咆哮した。

 光と音が混ざり合って炸裂した。まるで透き通るひかりの波を照射したような有様だった。軌道上にたまたまあった岩の塊と、そこにいた兵が一人、溶けるように燃え上がった。

「“叫び(フォルマント)”」

 大佐は苦々しげに言った。

 <天使>のうち、口のような器官を持つものはある種の砲撃を行うことが記録から分かっている。曳航連邦の銃にも似た仕組みだ。当たったものは熱と振動をじかに叩き込まれて壊れる。

「だが、あれはまだ形態素の範疇だな。奇跡を使っていない」

 奇跡ではなく肉体強化にリソースを使うのは、能天使にはまま見られる型だ。それでも大佐は不安がぬぐえなかった。このラーシュはスペクトルをみる限り伝説級だ。

 一体、何の<天使>なのか?

 

『よくも我が兵を』

 そのとき、ユディトの声がした。

『貴方たち、そこで止まりなさい』

 親衛隊は言いなりに足を止めた。光のくびきに押さえつけられたラーシュが怒っているようにその輪の中心で吠えた。

 ユディトが再び矢を放ったらしい。それはラーシュの直上へ降り落ちると、鋼鉄の輪郭をゆがめた。

 

 次の瞬間、鋼の矢は錆の粒になって弾け飛んだ。

 まるで赤褐色の雲だった。ねじれ、渦巻きながら、親衛隊の兵士たちを包みこんで巻きついていく。

「なぜ味方を?」

 大佐が言った、そのときだった。

『《錆騎兵(ハルダート・パラーシュ)》』

 ユディトが力の名前を告げた。

 兵たちがみるみるうちに赤く、錆の色に染まっていくのを大佐は驚いて眺めていた。身体がとがり、鎧を着込んだような形に変異していく。彼らは聖異物によるひかりの束縛を維持したまま、包囲網を狭め、<天使>ラーシュににじり寄り始めた。

「他者への強化術……見事な」

 大佐は思わず舌を巻いた。ほんとうの忠誠がなくてはあの手の術は使えない。錆の親衛隊はいまや、触れるものを切り刻む錆の鎧をまとっていた。細かな欠片が鎧の上で蠢いているのがわかる。まるで虫の翅のようなものが四つ、彼らの背で輪郭を広げた。

 ラーシュもまた、自分を囲む人間たちが奇跡を帯びたのを理解したらしい。抵抗をやめ、四本の足を踏ん張ると、尖った鼻面を地に向け、光の翼を持ち上げた。

『《潮騒(ラーシュ)》』

 そう、ことばが聞こえた気がした。あたりに重苦しい音が響き始めた。

 地面が揺れている。

 この一帯は都市の崩れた砂地だ。それが震えていた。大佐は自分の軍靴がそれに飲み込まれ始めているのに気付いて言った。

「ついに使ったか」

 ラーシュは地に奇跡を注ぎ込んでいた。

 さらさらと砂の多い土質のところでは、時折見られる現象だ。砂粒が支えを失い、沈み込むように地下へ流れ落ち始める。いくつかの口が開いて、地面を吸い込んでいく。

 ()()()に乗せた砂金を揺らすようなものだ。

「流砂……まさか、やつは」

 大佐はどうにか足を持ち上げ、柚子(ユーリス)のほうへ向かいながら歯噛みした。地の底から震えが伝わってくる。震動、揺動、鳴動――

 

「音の<天使>か」

 

 その名は響鳴(ラーシュ)

 タカの契約したのは、音の<天使(マラーク)>だった。タカはあまりこの奇跡を頻繁には使わなかったが、ひとたび放たれればこれほど防ぐのが難しいものもない。

 コートの内懐で結界系の【聖環】を探しながら、大佐はぐったりしている柚子(ユーリス)を引っ張り上げ、砂を蹴立てて辺りを見回した。

 嫌な感じがした。

「どこへ失せた……あの、サングィスとやらは」

 

 ◆

 

 サングィスはアゲハの前にいた。

 猛り狂うラーシュとはやや離れていたし、吹き荒れる砂塵で見晴らしは良くなかった。だから逃げ出そうと思えば逃げ出せたのかもしれない。ユディト親衛隊も、連邦の軍人も、アゲハを追いかける余裕などなかった。

 

「なぜ、逃げなかった?」

 だから、サングィスは首を傾げていた。

 アゲハのそのふらついた立ち姿は隙だらけだった。つつくだけで倒れそうなほど疲弊している。タカにそこかしこをえぐり取られ、さらにユディトが身体中をずたずたに切り裂いたのだ。固まった黒い血の上から、赤い鮮血が滴っている。

 どうやったってこれ以上戦えるはずがない。

「先ほどまでの状況下、お前の勝ち目はゼロだ。青の第四位の契約者とはいえ、お前は未熟すぎる。お粗末な圧縮術では黄の第二位にすら敵うまい。それにもかかわらず、なぜ、今、逃げなかった?」

「逃げる?」

 アゲハは荒い息をつきながら言った。血を流しすぎた。頭がふらふらする。

 だが、それを聞き逃すことはできなかった。

「逃げるだって?しっぽを巻いてこそこそ逃げ隠れするのが正解だって言いたいのか?」

「そうだ。それが弱者……おまえだ」

 サングィスは薄く笑った。アゲハは咳き込みながらそれを睨んだ。

「誰が逃げるもんか」

 自由になりたい。この世の誰よりも自由に。

「追手に怯えて逃げ回るなんていうのは、誰かに行き先を決められる奴隷と同じだ。正面から戦って勝ってやる。絶対に」

「不可能だ」

「黙れ!おれは強いんだよ!」

 アゲハは奇跡を燃え上がらせながらわめいた。

「逃げるもんか。逃げ出したりなんかするものか。そんな惨めな生き方はもうたくさんだ!おれが欲しいのは、“王”の――」

 

「罪深い」

 サングィスは首を振った。

「おまえたちはいつもそうだ。幸せになろうとする。解き放たれようとする。より良い方へ向かおうとする。それがどれだけ罪深い行いかも知らずに」

 <黙示録(アポカリプス)>の教導師は、まるで出来の悪い生徒に語るようにそう言った。

「少し話してみようと思ったのだがな、神話級の強奪者。所詮はこんなものか。やはりお前も俗人だ」

「欲して何が悪い」

 アゲハは唸った。

 目の前の男が否定しているのは、きっと、アゲハの願いそのものだ。自由に広い世界を歩きたい。誰にも縛られることなく。邪魔するものがいるのなら――

「そこを退け。さもなくば」

「さもなくば?滑稽なことだな、おまえ程度の契約者(アンカー)にいったい何ができるというのかね」

 

「《葬送(ハルヴァヤー)》!」

 アゲハは右手を構えて叫んだ。

 曳航連邦の使う砲のように、灰色のオーラが牙を剥いて荒れ狂った。触れるものをすべて分解する力だ。砂粒でさえさらに細かな塵になって吹き飛んでいく。“不殺”の戒律のことなど、頭から吹き飛んでいた。ただちょっと、少しばかり痛い目を見せてやれれば――

 

 そして、サングィスの上半身は塵になって消滅した。

 

 それをやった張本人のアゲハは、鋭く息を吸い込んで狼狽えた。

 奇跡が効かなかったからではなく、発動したことにこそ。

(ありえない)

 “不殺”の戒律は絶対だ。それは無意識の本能に刻まれた確信だった。どんな手を使っても、戒律だけは無視できないはずだ。

 だが、目の前のサングィスは確かに死んでいた。

 なにせ腰から上がないのだ。心臓がないので血が噴き出しさえもしない。衣服も消し飛んで、ただ大気に奇跡の唸りの名残だけが重く残っていた。残った脚がぐらっと揺らぐ。  

 

 そして、それが踏みとどまった。

『なるほど』

 そのうえ、どこからか、サングィスの声がした。

 もっとありえないことだ。上半身を失って生きていられるはずがない。話せるはずがない。大して物を知らないアゲハだって、人の死くらいは知っている。人間は傷ついたら死ぬのだ、例外なんてない。

 

 たった一人を除いては。

 

『実に面白い』

 サングィスの肉体が再生を始めていた。

 白い脊椎が形成され、肋骨を伸ばし、頭蓋骨を作り出す。靭帯と筋肉がその上を覆い、ついで内臓が生まれ始めた。心臓がふくらみ、鼓動し、血管が網目のように這い回っていく。白い皮膚が最後にそれらを綴じ込めた。

「《不動(ツェダーク)》で防ぐのを忘れていた。そうだったな、おまえはどちらかといえば中距離型の<人間イカリ>だった」

 アゲハは呆然としてそれを眺めていた。サングィスのみずみずしい顔にはもはや傷一つなかった。それに見覚えがあったからだ。

 その再生と、そしてその顔にだ。

 

(ダーン)!」

 

 みどりの瞳。黒い髪。やや白い肌。

 サングィスの顔はあの不死者、(ダーン)そっくりだったのだ。

「どうしてここに……」

 アゲハはそう言いかけて気づいた。

 (ダーン)じゃない。

 確かにびっくりするほど似ているが、どこか違う。まるで、同じ人間が違う人生を辿ったらこうなる、というふうだった。形は同じでも、しぐさや表情は別のものだ。髪も短い。それに、年齢もアゲハの知るあの男より少しだけ年かさに見えた。

「そうか、おまえは不死のオリジナルに会っているんだったな」

 サングィスは砂の上から仮面を拾い上げると、遠くを見るような目つきでいった。

「しかし、そうか……(ダーン)か。そうだったな。やつめ、嫌味な名を名乗ったものだ。そうじゃないかね?ふふ………灯火とは。人類の導き手にでもなったつもりか?は、はは、は!」

「おまえはあの人の同類なのか」

 アゲハは呟いた。

 

 サングィスは太陽を象った仮面を被ると、安心したように息をついた。

(ダーン)か。奴は古代からいつでも数多の名を名乗ってきた。二千年前の“歴史”が終わった日も知っているはずだ。同類というのはやや違うな……やつは私よりも古い。はるかに古く邪悪だ。

 やつは数多の国々を渡り、甘言を弄して人を誘惑してきた。お陰で踊らされたよ。私も、我ら<黙示録(アポカリプス)>も」

 サングィスはそこで、アゲハの顔を見て笑った。

「なんだ、自分が特別に選ばれたとでも思っていたのか?」

 アゲハは鼻白んだ。サングィスはそんなアゲハの心を見透かすように告げた。

「それは違うな。誤りだ。ここ数百年だけでもお前のような者は大勢いたぞ。やつに導かれ、<天使>と出会い、そして契約者(アンカー)になる……誰もが望みを叶えようとしてもがき、必死に足掻く。醜いことだ。嘆かわしいことだ。“不死”に誘惑されるがあまりに」

 だが、とサングィスは続けた。

「だがしかし、どんな愚者にも救いの門は常に開かれている。おまえが……もしおまえが<黙示録(アポカリプス)>を受け入れるなら、我らは歓迎しよう」

「どういう意味だよ」

「生きることは罪だ」

 サングィスは繰り返した。アゲハは嘲笑した。

「死ねって言いたいのか」

「違う」

 サングィスは言った。

「死は悪だ。だが死は生命の一部でもある。だから生命もまた等しく悪なのだ」

 サングィスの言葉には、暗い情熱のようなものがまとわりついていた。

「生きることは変わっていくことだ。何がそれを齎すのか、分かるだろう?」

 視界の端で、塵になった砂が崩れた。

 アゲハは左手の紋章を握りしめた。ハルヴァヤーはものを灰に変えられる。そう願うだけで。そう望むだけで。

「望み」

 アゲハは思わずそう答えていた。サングィスは肯定した。

「ああ。契約者の奇跡と同じだ。人間の意思は自らを、そして世界をも変えてゆく」

 サングィスは勢いよく両手を広げた。

 

「進化するのは不全ゆえだ。初めから完成された存在ならば、変化など起こさない。欲する必要などない。望みを抱くのは、不完全に欠けた我々……人間だけなのだよ」

 

 完成。アゲハは顔をしかめた。

 柚子(ユーリス)のことが頭によぎった。凝り固まった正義感と傲慢さを振りかざし、変わろうとしない人間。自分の正しさを疑わない人間のことが。

 このサングィスも同じだ。

「それが正しいってどうして言えるんだよ」

 アゲハは言った。

「そうやって、あんたたちは傲慢な正しさを振りかざすんだ。その影で犠牲になるやつのことは気にもとめずに!」

「詭弁だ。それこそ傲慢さだ。ああ、誰も彼もが言う、唯一の正しさなどないと。変化し続けることこそが正義だと……誤魔化しだ。ただの諦めだ」

 サングィスは初めてそこで怒りをあらわにした。

「それは逃避だ。本当の正義とは、完全で、不変で、唯一無二のものであるはずだ。

 私は逃げない。我らはそれを手に入れる。たとえそれが地を這う不完全な人間の知性では想像すらできないものだとしても」

 不死の教導師は天を、あの光の柱を振り仰いで言った。

「それこそが、我ら<黙示録(アポカリプス)>なのだから」

 

 そう言って、彼はアゲハのほうへ一歩近づいた。

「生きることは罪だ。願うことは罪だ。それは存在の不全ゆえなのだから。変化も進化も奇跡も、“可能性”はすべて欠けたる存在のあかし。

 我らはそれを否定する。可能性を拒絶して、我らは“完全”を手に入れる。それを求めるなら――」

 サングィスが手を差し出した。

 

「――来い。世に<黙示録>を齎すために」

 

 アゲハは黙ってその手を撥ねつけた。

 サングィスは頷いた。

「そうか」

 その気配が急激に危険なものを帯びた。

「ならば消えるがいい、契約者よ」

「あんただって、<人間イカリ>だろうに」

 アゲハは右手を構えながら言った。

「自分の罪とやらは棚上げにする気か」

「罪を以て罪を滅す。それこそが我が役目なのだよ」

 “正義”のサングィスは言った。そして、さっと手をかざした。

「いやはや、行儀の悪い坊やだな」

 それを言い終わるか否か、葬送の奇跡が吹き荒れた。

 灰色の爆発は見えない壁にぶつかったかのように止まった。宙を舞う砂塵でさえ動きを止め、固定された。

「話している相手の頭を吹き飛ばそうとするものではないぞ」

「話は終わりだ」

 アゲハは右手を銃口のように持ち上げて言った。

「クソくだらないお説教。おれの二番目に嫌いなものだね」

「ほう、一番は?」

 そう尋ねたサングィスに向かって、アゲハは両手を構えた。

「偉そうなやつ」

 次の瞬間、両の掌から奇跡が噴き出した。

 砂もこれ以上細かくはなれない。だからだろうか、塵の一部はむしろ吹き飛ばされた形のまま、まるで石のように固まった。飛び散ったその礫岩がすぐさま崩壊し、凝固と分解を繰り返しながら消えていく。サングィスは首を傾げた。

「興味深い奇跡だな」

 サングィスはそう言うと、飛び散ったその砂をさっと宙ですくい取り、戯れのようにアゲハに向かって投げ返した。

 アゲハはそれを避けようとした。危ないに決まっている。だが、散らばった砂がその逃げ道をふさいだ。

「《不動(ツェダーク)》」

 砂がまるで雲のようだった。違うのは、それが動かないということだけだ。サングィスはまた砂を放った。アゲハを包囲するように。

 アゲハはその砂を払いのけようとしたが、びくともしなかった。ヤスリのようなものだ。触れるだけで手がずたずたになってしまう。

力天使(デュナミス)系統は触れねば奇跡を起こせないと思われがちだが」

 サングィスは言った。

「しかし奇跡を込めたものを投擲するくらいはできる。万が一にもお前を逃さないためには――」アゲハが怒りに顔をゆがめた。「――まあ、これくらいの保険は必要だろう。第四位のリソースは強すぎる。無造作に放たれれば世を乱すのでね」

「言ったはずだ。おれは逃げない」

 アゲハは剣を鞘ごと抜き放つと、足元の小石を拾い上げ、それに叩きつけた。

「《火葬砲(ヒムカ)》!」

 かすかな火花が飛び散って、膨らみ、いくつもの火の玉になる。それは砂の雲をすり抜け、サングィスめがけて飛んでいった。

 サングィスはため息をついた。手を翳す。

「《不動(ツェダーク)》」

 火の玉が止まった。

 燃え上がる炎そのものが静止したのだ。凍りついたように。それから伝わってくるはずの熱すらなく、空気は冷たい。

「灼熱ならばと思ったのか?」

 熱すら静止させたサングィスは火の玉を握りつぶし、せせら笑った。

()()()()()()。正義は動かない。正義は変わらない。たとえ葬送(ハルヴァヤー)であろうと、正義(ツェダーク)は動かせん。どのような奇跡であろうと我がツェダークには及ばぬ」

 サングィスはそういうと、素早く腕を伸ばし、アゲハの手首を掴んだ。

「悪い手だ。ヒトの手はあらゆる可能性に通ずる。あらゆる罪にな」

「離、せ!」

 アゲハはサングィスを蹴りつけたが、その靴が動かなくなった。服も、外套も、剣とてそうだ。鎖で宙吊りにされたような気分だった。

 正義の奇跡を全身にまといながら、寸時に触れたところに圧縮している。そんな奇跡の使い方は彼が達人である証明だった。

「私は何百年も奇跡を磨いてきた」

 サングィスは言った。

「不死の最大の利点だよ。お前はどうだ?一年も経っていない。師もいない。だからこんな単純な術も拒絶できない」

 サングィスは動けなくなったアゲハの首に手を伸ばし、獰猛に笑った。

「だが人体は聖域(アサイラム)だ。こればかりは奇跡でなく、この世のルールに則って手を下さねばならぬ。忌まわしき死をもって、忌まわしき罪を雪ごう」

「やめろ……!」

 サングィスのその白い指が、アゲハの喉元にしっかりと食い込んだ。人間は奇跡では殺せない。だが、こうして指先に力を込めるだけでその息は絶える。 

 生命のかくも力強く、またかくも儚いことよ。

「さあ、お前に<黙示録(アポカリプス)>があらんことを!」

 

 その瞬間、火の玉が次々に弾けた。

 

 宙に浮いていた、凍りついていたはずの《火葬砲》の火が燃え上がり、熱を噴き出しながら破裂していく。サングィスは驚きを浮かべて振り向いた。

「なんだと」

 その火のひとひらが黒衣を焦がす。サングィスはそれを指先で押さえて()()ると、炸裂して消えゆく炎に目を向けた。

「私は許可していない」

 そしてアゲハのほうへ向き直る。

「お前ごときの圧縮術で私の論理出力を押し切れるはずもない」

 砂粒はまだ固定されている。サングィスはそれらを鬱陶しそうに手で払うと、停止を解除して地に落とした。

「そうか……奇跡特性の相互干渉。おまえの奇跡は分解や破壊などではなく……」

 先ほどのユディトと同じだ。ある種の奇跡はお互いに不具合を起こす。同質の奇跡はうまく噛み合わないことがある。あるいはまた……

 

「おまえ、私とまったく逆の奇跡を持っているのか」

 

 アゲハは彼がなにを言っているのか解らずに、ただサングィスを睨んだ。サングィスはアゲハの喉から手を離し、火傷した指を振った。それはすぐに癒えてしまった。

 アゲハの外套がばさりとはためいた。固定が解除されたのだ。動けるようになった少年は、両手に奇跡をつがえながら構えたが、サングィスはもう戦意を失っているようだった。

「気になってはいた」

 サングィスはぶつぶつと呟いた。

「予言は絶対だ。何らかの形で成就しない限り無にはならない。ここで私が始末できてしまえばそれを覆せてしまうと、思ってはいたが……」

 サングィスの唇が歪んだ。せせら笑っているような、苛立っているような、どちらとも取れるふうに。

「そう来るか、因果律め」

 サングィスは持ち前の長身でアゲハを見下ろした。

「おまえと戦うわけにはいかなくなった。我がツェダークと同質にして相反とは。おまえのハルヴァヤーが低位であればまだ無視できる範囲ではあったがな。いかんせん……」

 その仮面がぎらりと光った。天にそびえる光の柱を背にして、サングィスは言った。

「青の第四位が二人、矛盾する奇跡で戦うのはまずい。計画に差し支える可能性がある。今はまだ」

 サングィスは笑った。

「運命とはかくも数奇なものだな」

「どういう意味だ」

 アゲハは喉を押さえて咳き込みながらよろよろと立ち上がった。

「逃げるのか。おれと戦え!」

「身の程知らずもいい加減にしたまえ」

 サングィスは切って捨てた。

 その言葉通りというべきか、アゲハは直ぐによろめいて座り込んでしまった。サングィスは哀れむように言った。

「私と伍するには百年早い。今のおまえなどわざわざ始末するほどの価値もないぞ。勝ち負けを語りたければ、自分の奇跡の本質くらい掴んでからにしろ」

 サングィスは黒い外套を翻し、仮面を持ち上げた。その下で、あの鮮やかなみどり色の瞳がきらめいた。

「あるいは、残念だよ。おまえが<黙示録(アポカリプス)>を受け入れるなら我らの同胞になれるのに。だが、まあ、人は変わるものだ。もしその気になったなら、我が名を呼ぶがいい」

 サングィスはアゲハの掌の紋章を指差した。次にその指は光る天に向かい、海に向けられ、そしてあの光の柱を指した。

 

「おまえは、この世界がおかしいとは思わないのか?」

 ふと、サングィスはつぶやくように言った。アゲハは何が言いたいのか分からずに黙っていた。

「まるで、もともとあった書物にもう一つの物語を付け足したような、けれどそれが頁の中ですら混ざりあってしまっているような違和感だ」

 サングィスは太陽の仮面を撫でた。

 

「いや、世界と、そう呼ぶのも相応しくない……ここは<楽園(ガン・エデン)>だからな。本来の種は“歴史”の彼方に忘却され、後から来たりしものも一種では完結しなかった。<正典(カノン)>は永久に完成せず、<偽典(アポクリファ)>が緩やかに続いている」

 

「何の話だ」

 アゲハは荒く息をつきながら言った。サングィスは微笑んだ。

「嗚呼、叶うなら教えてやりたいものだ」

 その微笑みが凶猛に避けた。

「<天使(マラーク)>のこと。聖異物のこと。不死者のこと。すべて、すべて。だがおまえは意思が強い。絶望するならばいいが、もし真実を知ってもなお、希望を抱くような人間なら……」

 サングィスは首を振った。何も教える気はない、ということらしかった。

 

「何にせよ、はっきり言っておく。<黙示録(アポカリプス)>はすぐ近くまで迫っている」

 

 それだけ言いおいて、その姿は掻き消えた。

 奇跡なのか、聖異物なのか、あるいは全く別のなにかなのか。サングィスの影も形も消滅したあとには、屈辱に燃えるアゲハの張り詰めた表情だけが残されていた。

 

 ◆◆◆

 

 ■【喧騒奇跡 ラーシュ】

 

 翼もつ能天使は四肢を踏ん張り、そして親衛隊のひとりを柔らかいあぶらみのようにやすやすと咬み裂いた。

 血と臓物の混ざったものが滝のように流れ落ち、骨の塊が吐き出される。いくら獣のように見えても、<天使(マラーク)>はものを食さない。

 彼らは何も喰らわない。生き物ではないからだ。

「怪物め」

 大佐は柚子(ユーリス)中佐を揺すぶりながら言った。スペクトル(イエロー)の伝説級、能天使(エクスシア)系統であることを加味しても、強すぎる。光の翼が羽ばたくたび、あの光の柱から陽光のようなものが注がれるのを大佐は見ていた。“野良(フェレシュテ)”だから普通の<天使>より強いのか。

 理屈が何にせよ、あれに対抗するには中佐の力がいる。

 奇跡で強化された兵に、疲れ切った聖異物使いがひとり、それだけではあまりに心許がない。<天使>と闘うには熟達した<人間イカリ>の力が必要だ。

「起きろ!起きたまえ、中佐!」

 大佐は流砂を蹴散らしながら叫んだ。

「頼む、起きてくれ!」

 その汚れた頬に何発目かの張り手を叩きつけようとしたとき、大佐はぞっとして顔を上げた。

 

 音の<天使>ラーシュが、目のない獣のような顔をこちらに向けていた。

 ラーシュが絶叫した。

 それはどこか、憎悪を帯びた咆哮に聞こえた。アシタ人の首魁が昇華した“野良”だというから、連邦の軍人を怨んでいるのかもしれない。そんなくだらない思いつきが脳裏を走ったとき、大佐は膝をついた。

 吹き鳴らす笛のように、ラーシュの叫びが甲高く、ひらめくような節回しをつけて響いていく。《錆騎兵》たちもまた立っていられずに膝を折った。地面がぐらぐらと揺れているようで、上下の感覚が分からない。どろっとした血が耳や鼻から溢れ出す。

「奇跡……」

 音の奇跡だ。

 耳から人間の脳に影響を及ぼしている。響もすからこそ影響とはよくぞ言ったものだ。大佐はひどい吐き気と頭痛を催しながら倒れた。その横顔が流砂に飲み込まれていく。

「ユディト」

 大佐はそばに倒れていたあの矢に向かって呟いたが、鋼鉄の矢は沈黙していた。“思念像(ソートフォーム)”を送り出す余裕もないほどのなにかが、ユディト本人がいる陣で起こったのかもしれない。

 ラーシュはあたりの人間を一網打尽にすると、やはり連邦の軍人である二人の方へ近づいていった。その動きにだけは、どこか意思のようなものが感じられた。

 残滓だ。タカと呼ばれた男の妄執のかけら。

 ラーシュは(あぎと)を開いた。形だけの口の中で牙の列がぎらりと光り、ひかりが渦を巻き始める。

(また“叫び(フォルマント)”が来る)

 大佐は身を起こそうとしたが、その手脚は宙を掻くばかりだった。

(こんな所で終われるものか)

 もつれる舌で解言を唱える。だがコートに盛り上がった牙の印(クオーツ)は、開きこそすれ、そよ風を吐き出して終わった。聖異物の力を使いすぎたのだ。

 <天使(マラーク)>も聖異物(アロトリオ)も同じだ。エネルギーは有限、どこかで力は尽きる。この世に無限など無いのだから。

 光の波が震え、吐き出された。 

 そして、大佐の顔に影が落ちた。

『《変身(エシュターネ)》』

 あのユディトの貴族、“雄牛”の契約者が、そこに立ちはだかっていた。

 能天使系統は肉体を<天使(マラーク)>に近づける力だ。途端に動けなくなった彼は膝を折り、耳朶からだらだらと黒っぽい血をこぼしながら唸った。

『たとえ、手足が使えずとも、頑健さは変わらぬ』

 装甲態。硬さに特化してリソースを割り振れば、能天使系統の<人間イカリ>は地上で比肩するものがない盾になる。“叫び(フォルマント)”の光の奔流を背に防ぎながら、焼け爛れていく身体で彼は言った。

『軍人よ……そいつは、使えるのか?』

「主天使系統だ」

 大佐は血の混じった唾を吐きながら、敬語を忘れて答えた。柚子(ユーリス)はまだ失神したままだった。

「どうにか、起こせれば」

『ならば、使え』

 雄牛の<人間イカリ>は、毛皮の手からぽとりと小さななにかを落とした。

 聖異物だ。ちっぽけな指環だ。

『【聖環レース・エクスキタト】。覚醒の指環、それを使えば目覚めるはずだ』

 どんどんと聞き取りにくくなるその言葉に、大佐は顔をゆがめた。

「だめだ……人間に、戻れなくなるぞ」

『はやく、つかえ!』

 “叫び”は止まない。白い火花が飛び散り、砂が焼け焦げ、“雄牛”の変身者の背中を色とりどりの炎が包んでいる。大佐はかすかに頷くと、どうにか苦労してその指環を掴み、人差し指に嵌めた。

『解言は、しっているか』

 答える余裕もなかった。大佐はぜえぜえ喘ぎながら柚子(ユーリス)の頭に指環を押しつけ、囁くように言った。

「《覚ませ(エクスペルゲ)》!」

 

 “叫び”が途絶えた。

 音の<天使>ラーシュは四足獣の姿のまましゅうしゅうと勝鬨を上げ、立ちはだかる邪魔な<人間イカリ>の身体を脇へ押しやった。人間性を留めているような奴に、真の<天使>が負けるものか。

 

 けれど、その虚ろな(あぎと)に純白の槍が突き込まれた。

「まったく……」

 鼻持ちならない、偉ぶった声がした。

 人間の声だ。

「……僕がいなきゃあ、どうしようもないようですね」

 柚子(ユーリス)中佐はボロ雑巾のようになりながらも、右手で槍を持ち、そう勝ち誇った。身体中が傷だらけで骨も折れている。奇跡の音を食らったので力もろくに入らない。

 だが、それでいい。必要以上は望まない。

 “野良”の方から彼を噛み砕くために口を差し出してくれるというのだから、それを待っていればよかったのだ。

「意思なき死に損ないが……さっさと、消え失せろ!」

 その右手に具現化された巨大な槍を、ラーシュの口の中でねじる。青磁のように美しく輝くそれには、やはり螺旋が刻まれていた。

 オセルの奇跡も力尽きる寸前だ。本体も打ち捨ててきた。正真正銘、これこそが彼の最後の一撃だった。オセルに残った奇跡を残らずかき集めて右腕に注ぎ込む。

 だが、ラーシュは喉元まで突き込まれたそれに牙を立てた。

 噛み砕くつもりなのだ。能天使(エクスシア)本体の馬力で圧せられた槍がみしりと嫌な音を立てた。

 

 そのとき、“雄牛”の男が立ち上がった。

 暴走寸前まで変身濃度を上げている。言葉すら失くした怪物は、レイラインの光に力を吸い取られながらも、なかば倒れ込むその身体の重みを使うようにして、槍の石突を殴りつけた。

 とうとうオセルの純白の槍が、その螺旋で石のような肉体を削り取りながら、音の<天使(マラーク)>の首を貫く。

 柚子(ユーリス)は、大佐の上に突っ伏しながら口を開いた。そのコートの裾を、その指がわずかに摘んで引っ張った。

「《封鎖禁槍(オセル・カイン)》」

 次の瞬間、ラーシュの躰内から螺旋を刻まれた槍が突き出した。

 純白の槍が身体の中で枝分かれし、炸裂したのだった。肩を吹き飛ばし、頭を抉り取り、そして肋骨を突き砕きながら。その胸の内側でなにかが壊れる音がして、深紅の欠片がぼろぼろとまろびでた。

「<天使>は、心臓を、破壊されれば、滅ぶ」

 中佐は息も絶え絶えに言った。

「そして“野良”ならば……(イカリ)のない<天使>ならば、おまえを地上に繋ぎ止めるものは、もう、無い……!」

 中佐の言ったとおりだった。

 ラーシュの身体はバラバラに崩れ始めた。その欠片は、普通の<天使(マラーク)>と同じように《円環》に吸い込まれるのではなく、空に浮き上がってあの光の柱、レイラインへと飛んでいく。いや、落ちていったのだ。空へと逆向きに墜落していく破片を眺め、中佐は弱々しく笑った。

「ざまあみろ。僕の骨を折った報いだ」

 

 そしね、音の<天使(マラーク)>ラーシュは完全に崩壊した。その契約者、あるいは彼が抱いた妄執もまた。

 

 ◆

 

 しかし、柚子(ユーリス)中佐は目を見張った。

 野良のラーシュが消えたその場所に、灰色のしみのようなものが渦を巻いていた。それは次第に形を変え、はっきりとした輪郭を取り始めている。かすかな響鳴を伴って。

 人影だ。

 中佐は研ぎ澄ませた感覚で感じ取っていた、そこに僅かながらリソースの気配があるのを。 

『どこだ……』

 それは、消えたはずのタカの姿だった。

『連邦の、奴らは、どこだ……!』

 死者の妄執だ。

 真っ黒な眼窩で、灰色の顔で、タカは中佐を見つめた。そこには恨みと悲しみと、痛いほどの欲望が満ち満ちていた。向かうべき敵を欲しているのだ。その手が力なく伸ばされ、中佐のほうへ掌を向けた。

「死に損ないめ」

 中佐は吐き捨てるように言った。

 死者は奇跡をまるで火のように焼き付けることがある。強い遺志は死んでも残るものだ。それが、生前のそれとはまるっきり異なってしまうとしても。

「貴様は、もう死んでいるというのに」

 中佐は奇跡を放とうとした。正式な儀式もなくきちんとした(アンカー)もない、前準備なしに偶然残されただけの遺志など、吹けば消える。

 だが、禁止の奇跡は撃てなかった。すっかり使い切ってしまったのだ。かといって、立ち上がろうにも体が動かぬ。中佐は口惜しげに唇を噛んだ。こんな、残り滓のようなものにやられるのか。

『連邦……アシタ人の……敵を……』

「過去の亡霊めが」

 ゆっくりと近づいてくる亡霊を、いずれ自分へと到達するだろうそれを、中佐は真っ直ぐに見据えた。どこかから助けが来るかもしれない。

 

 そして、そう、確かに助けは来た。

 中佐の睨む灰色の亡霊の向こう側に、動く人影が見えたのだ。ただし、それは中佐の望む助けなんかとはひどくかけ離れていた。

「……タカ」

 そこにいたのは、ぼろぼろになったアゲハだった。

 タカはゆっくりと振り向いた。否、それはもうタカなんかではなかった。名前のない、本質のない虚ろな影、奇跡と意志の輪郭だけを残した亡霊だ。

『アシタ』

 亡霊は呟いた。そよ風と衣擦れを足したような頼りない音だった。ざらついていて耳障りだ。

『連邦を……滅ぼせ』

「結局、それか」

 アゲハは肩を竦めると、影を怒鳴りつけた。

「戦争しかできないのか、あんたは!」

 アゲハは砂を踏みつけにして、灰色の影に近づいた。それは無意味な行いだった。死者になにを言っても、虚ろに響くばかりなのだから。

『連邦を――』

「世界を否定形で考えてるのはあんたのほうだ」

 アゲハはふいごのように息を吸い込みながら言葉を叩きつけた。今にも倒れそうだった。気力だけで立っているのだ。

 

「死に場所なんかいるものか。生きる場所はいつだってここにある。あんたの、おれの、足もとにある!」

 

 タカの影は震え、アゲハを見つめた。その口元がなにか言うように動いたが、ことばは聞こえなかった。

「おれはあんたみたいにはならない」

 死者の想念は戸惑うように、アゲハに手を伸ばした。それは憧れているようでもあり、また疎ましく思っているようでもあった。人間はいつだってアンビバレンツなものだ。

「終わらせてやる」

 だから、アゲハは左手を伸ばした。

「《葬送(ハルヴァヤー)》」

 次の瞬間、奇跡がはぜた。

 灰色の亡霊は紐の解けるように消え失せ、光の粒子があふれ出した。砂のように細かなそれらは、風もないというのに、散り散りになって空へ飛んでいった。

 ラーシュの“叫び”に焼け付いて燻っていた砂がぱっと燃え上がった。

 流砂が凍りついたように固まった。渦を描いたままのその砂岩のうえで、小さなつむじ風がくるくると踊る。

 

 アゲハはそこで、はじめて柚子(ユーリス)たちに気づいたように目をやった。

 右手が動いた。その手が砲口のように中佐を狙い、しかし、なぜだかあっさりと下ろされる。アゲハはしばらく中佐を見つめていたが、やがて踵を返し、都市遺跡の塵の向こうへ消えていった。

 

 To be continued…

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