<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第三十話 天に触れし手(フェレシュテ)

 ■同刻 ユディトの陣

 

「人払いをしなさい」

 ユディトは確かにそう言ったのだった。

 親衛隊の側仕えたちには正気とは思えなかった。得体のしれぬことが立て続けに起こっているというのに、なぜひとりきりになろうというのか?都市船がいまこの瞬間に爆発したって驚きやしない。

「せめて私だけでも」

 口々にそう言い募る彼らに向かって、ユディトはたった一言だけ、しかし鋭く語気を強めて言った。 

「なりませんわ」

 そう言われてしまってはどうしようもなかった。陣幕を十重二十重に張り、人を徹底的に追い払って、ユディトはだだっ広い草原の、小高くなったところにひとり佇んだ。

 

 これから行うことは、ユディト王家の秘儀だ。

 古い名家ともなれば、先祖代々の宝物を所有しているものだ。黄金や宝石のような俗っぽいものではない。たいていは力ある品、いと貴い<天使(マラーク)>、そして知識だった。

 知識は力だ。圧縮術の知識だけで<人間イカリ>は何倍にも強くなれる。失われた手わざがあれば“歴史”の文明を復活させられる。

 ユディトがこれから行うことはその手の知識のなかでも、飛び切りの秘密だった。だからだれにも見られるわけにはいかないのだ。大貴族たちとて失伝させてしまった知識を知っているのは、いまや彼女ひとりなのだから。

「《開け(アペリー)》」

 まず、ユディトは古びた宝櫃に命じた。螺鈿細工を施された箱は軋みもせずその中身を晒した。うすぎぬに覆われた中身を取り出すと、ユディトは固く締められた紐をほどいた。

 中身は剣と鏡、そして弓だった。

 矢はない。ユディトが普段使っている血なまぐさい長弓とはまるっきり違う。弓柄は短くって、紅い紐が巻きつけてある。弓弦はなにかの生き物から取ったたてがみで造られていた。

 櫃のそばには、なみなみと中身を湛えた大杯(おおつき)が置かれている。強い酒の香りがした。ユディトはそれを櫃の上、台座の上に据え、鏡を覗き込んだ。

 あのレイラインの光の柱を前にして、その前に酒、鏡と弓が置かれているのだ。彼女は剣を手に取ると、弓に向かって言った。

「では、始めましょうか」

 途端に弓が震えた。

 誰に弾かれたわけでもないのに弓弦が鳴り始めた。その音は次第に甲高さを増し、人の泣き声に似通っていった。

 次に、鏡が異変を起こし始めた。

 セレムのそれ、あるいはダルトの奇跡にも似ている。鏡の面が水面(みなも)のように揺れ、色が滲んで、まったく別の風景を映し出そうとしている。

 ユディトは剣を構え、優雅にその切っ先を動かした。

さて(Dum)此の時に當りては(tum crĪnis suus est)――」

 剣舞が始まるのだ。

 

 ◆

 

 ■軍港

 

 飛空艦(カルラ)に戻ってきた(メイ)准尉がまずやったことは、顔を洗うことだった。煤で汚れていたからだ。次に温んでしまった果実水をしこたま飲み込むと、彼女はようやくのことで荒く息をついた。

「それで、状況は?」

「港から来たんだろうが」

 (ゲラック)は目をぎょろぎょろさせて言った。

「見てきたんだろう?<人間イカリ>がひとり、野良堕ちした。例に漏れず暴れ回っとるようだ。(ハーヴン)坊とは連絡がつかん」老人は手の中の銅鏡を眺めた。「媒介が壊れたか」

「それだけじゃないよ。あいつらが用意した“野良”も彷徨いてる。知性のない野良だからそんなに悪いことにはならないと思うけど、奇跡の特性によってはまずいかもね」

 (メイ)は自分でも信じていない慰めを口にした。“野良”が都市に放たれて、()()()()()()()()()()()()()、はずもない。

「で、嬢ちゃんはどうするのかね?」

 (ゲラック)はにやにや笑った。

「儂は尋問しかできんし、例の双子は制御不能の爆薬だし。この船には嬢ちゃんしかおらんぞ、まともな<人間イカリ>は」

「わかってるよう」

 間延びした声をあげ、(メイ)は首を振った。

「出撃準備。艦上部のハッチを開けて。あたしが出る。せめて一体でも敵を減らさなきゃ」

「敵を減らす?」

 (ゲラック)は肩をすくめた。

「一体全体なにをする気だね。“野良”を倒せるのか?嬢ちゃんの奇跡でか?」

「それは、たぶん無理」

 (メイ)は冷静に言った。

「あたしの奇跡は破壊に向かないの。同化戦術に持ち込んで殴り合いをしても、一、二体倒すくらいが精々でしょう。だからちょっと別の力を使うよ」

 老人は目を細めた。

「聖異物か」

「首都から大佐が持ち出してたやつのなかに、あの【聖銃ルイーナ】があったよね。あれの奇跡なら“野良”もたぶん倒せる。うまくいけば、こっちは傷つかずに。必要なエネルギーは艦の電気系統を介して都市から賄えばいい」

「船が傷むぞ」

 老人は言った。

「大飯を食いながら走るのと同じだ。飛空艦(カルラ)とはいえ、それほどの大電力を流し続けられるようにはできとらん」

「ちょっと電源系が傷むくらい許される事態だと思うけど」

 (メイ)はそう言って、老人の方をポンと叩いた。

「だから、電力の準備はお願いね」

「儂がやるのか?」

 戸惑ったように言う(ゲラック)老に、(メイ)は厳しい顔を作って言った。

「お願いしますからね、お爺ちゃん」

「老人使いの荒い連中め」

 (ゲラック)はぶつくさ言いながら艦橋へと歩いていった。

 

 (メイ)は自分が言ったとおり、聖異物を収めたコンテナの前に立っていた。力ある物品をこんなふうに一つところへ置いておくのは本当は危険なのだが、致し方なかったのだ。

「ユーくん」

 その黒々とした扉には、柚子(ユーリス)の施した封印術が白い符のかたちで何枚も貼り付けてあった。(メイ)は唇をちょっとだけ持ち上げた。これがまだ活きているということは、中佐もまた生きているということだ。禁止の奇跡は、あの規則に煩くって神経質な柚子(ユーリス)によく似合っていると、(メイ)は思った。

「入れてくれる?」

 扉に手を当ててそう尋ねると、白い紙切れはぶるりと震え、扉の上からするすると逃げていった。鍵が音を立てて開いた。

 扉を押し開ける。窓のない真っ暗な部屋の中には、いろいろな形の包が積み上げられていた。目なんか使わなくても分かるピリピリした力の感覚に従って、その中でもひときわ長大な包みを引っ張り出すと、(メイ)は通路の伝声管に向かって叫んだ。

「準備は?」

 (ゲラック)の疲れ果てた声がそこから返ってきた。

『三番のハッチを開けたわい。老骨には堪える仕事だ』

「レバーを引くだけだと思うけど」

『そうとも。重労働であろうが』

 (メイ)は肩を竦め、鉄の通路から身を乗り出し、昇降機の床へ飛び降りた。背後では、閉じた扉の上で白い紙切れたちが再び門番を始めようとわさわさ這いずっていた。

 (ゲラック)が準備を整えておいてくれたらしく、昇降機は彼女が飛び乗るやいなや簡単に動き出した。ハッチの天井が近づいてくる。それを眺めながら、彼女は右腕を差し上げた。

「来い」

 その舌が乾いた唇を舐めた。

 

「【柔和奇跡 メイミィ】」

   

 そして、《円環》が近くの隔壁に浮かび上がった。

 その内側が霞のように歪む。まるで壁などはなから無かったかのように、<天使(マラーク)>がその頭を出した。

 【柔和奇跡 メイミィ】はやわらかですべらかな、丸みを帯びた薄桃色の体躯だった。<天使(マラーク)>にしては小柄だ。拳を覆うように丸い装甲が両手を膨らませている。それを突いて、メイミィは昇降機の上に身を屈めて降り立った。床が昇っていくのと同時に、メイミィの胸が(メイ)を吸い込んでいく。

 ハッチが勢いよく開いた。薄暗い艦内にひかりが差し込み、空と水平線が見えるようになる。

 

 港はやはり、惨状そのものだった。

 青黒くうねるなにかが、見渡す限りの海岸線をどろどろと埋め尽くしている。あのアシタの船から逃げていった“野良”たちが遠くで浮遊しているのが見えた。飛空艦のある入り江からやや離れたところ、軍港の広場では、壁の内側でくろがね色をしたたくさんの帯みたいなものが蠢いている。薄くて鋭いそれらが建物を切り飛ばすたびに、鉄を削るようないやな轟音が聞こえた。

 “紙”の<天使>だ。誰かが戦っているらしい。

 

 そして、すべての向こうにはあの得体のしれないレイライン、天を衝く光の柱がそびえている。

 

『……気持ち悪い』

 (メイ)は……メイミィは、頭を垂れて呟いた。

 <天使(マラーク)>と同化すると、目は鋭くなる。耳が敏くなる。大気中にこだまする悲鳴が満ちているのがわかった。光の柱から照りつけるひかりが自分の力を奪い、這いつくばらせようとしているのがわかった。意志を強く保っていないと力が抜けていく。

(あれは一体何なんだろう。あんな光は見たことがない……精神干渉系に似ているけど、それよりももっと強くて怖い)

 それでも、どうにか(メイ)はメイミィを飛空艦の上に這い上がらせた。ここが限界点だ。もう少し近かったら光の作用で動けなくなっていただろう。

 これ以上、この街を無茶苦茶にさせるわけにはいかない。

『準備はいい?』

 (メイ)がそう言うと、(ゲラック)の声がした。足元の伝声管からだ。それを踏みつぶさないように、彼女はメイミィを一足下がらせた。

『操舵手は嬢ちゃんのはずなのに』

 老人は不満げだった。

『言われた通りだ。電磁抵抗壁は解除したし、直結系以外の回路は遮断した。慣れておらんから壊しても文句言うなよ』

『言わないったらさあ、お爺ちゃん』

 (メイ)は軽口を叩きながらも、内心では弓のように張り詰めていた。人間の肉体だったら心臓が早鐘のように打っていただろう。

 

『では、これより、“野良”の掃討を開始します』

 真剣味を増したことばでそう言うと、彼女はメイミィの右手を差し出した。

 そこには、船倉から持ち出した細長い包がある。人間にとっては身の丈ほどもあるそれも、<天使(マラーク)>から見れば小枝程度の大きさに過ぎなかった。

 (メイ)は少しだけ躊躇い、教えられた解言(かいごん)をとなえた。

『《番えよ(エクソールナー)》』

 

 途端に、小枝のような包がぐわんと膨れ上がった。

 聖異物を使うためには、<天使(マラーク)>と同じように、ある種の関係を結ぶ必要がある。心の中で、彼女はその異物を屈服させようと意思を叩きつけた。それは抗い、暴れ、逆らおうとしたが、(メイ)はあらかじめ聞いていた名前を呼んだ。

『《番えよ(エクソールナー)》【聖銃ルイーナ】!』

 包の布が弾け飛んだ。

 長大な杖のようなものが、メイミィの手から溢れ出した。長さは何十ヴルもあって、柔和の<天使(マラーク)>が抱え込むのにやっとのものだった。

 それは銃だった。狙撃銃だ。

 聖異物は解放されることではじめて奇跡を使える。それは本質を解き放つことでもある。この巨大な姿こそ、【聖銃ルイーナ】の本質なのだった。

 そしてその聖銃の、銃把にあたる後ろの部分から無数のケーブルが湧き出し、飛空艦に根を張り始めた。(ゲラック)老が伝声管ごしに叫んだ。

『艦内警報が鳴り出したぞ』

『静かに』

 (メイ)は聖異物との同調に集中しながら短く答えた。

(私を探っている。飛空艦の構造も)

 ケーブルは枝分かれしながら走行の隙間を貫き、電気系統を見つけるとそれに取り付いて電力を吸い上げた。艦の動力が軒並みダウンして、メイン・ドライブがくぐもった音を上げる。

 <天使>メイミィは膝を折り、艦の上にしゃがむようにして狙いをつけた。標的はくろがね色をした“紙”の<天使>だった。一番近くにいたのがそれだったからだ。

(こっちには気づいていない)

 (メイ)はうぞうぞと動き回る鉄の帯の中心点へ、照準を合わせた。《円環》があったなら頭の場所も、心臓の場所もまだ分かりやすかっただろうに、見えるのは光の翼の羽根の先だけだ。

 それでも、撃つしかなかった。躊躇えば躊躇っただけ犠牲者が出るのだから。

 そして、メイミィの指が【聖銃】の引き金を引いた。

 

 ◆

 

 目には見えない風のようなものが、港の空を通り抜けていった。  

 “紙”のニヤロトは寸前でそれに気づいたようだった。まさに今にも(ハーヴン)の首を跳ねようとしていた刃が止まり、一斉に引き戻され、うずうずと震えながら本体を覆い隠して防御の姿勢を取る。鉄のカーテンに身を包んだような様子だった。火だろうと矢だろうと、大抵のものは防げるだろう。

 それはまるっきり、無駄な行いだったのだけれど。

 

 次の瞬間には、丸い傷口がニヤロトを貫いていた。

 頭を消し飛ばし、何十枚もある帯を削り取って、その向こう側まで突き抜けたのだ。音はなかった。静かすぎるくらいの破壊だった。切り口は異様にきれいで、ハルヴァヤーのそれにも似ていた。

「おお」

 “堅牢王(ザ・ハーデン)”が目の前の土煙を手で払って、それを見上げた。

「壮観だな」 

 

 その弾道には、『夜』が見えていた。

 ここではないどこか、夜の星空だった。目が狂うほど黒いそこに、見知ったそれよりも少ないが大きな星が燃えている。かすかに山の稜線のような輪郭や、夜空を映す海のようなものも見える。宙に長々と裂け目が開いたようにして、別の場所が覗いている。

「<天使(マラーク)>……いや、違うな、聖異物か。異物のなかに作り上げられた小世界そのものを撃ち出しているのだな。見事なものだ。空間を属性にできるのは第一級だけ、これはいいものを見た」

 軌道上のものをあまねく吸い込み、切り取った夜空は、次第にゆっくりとその空間に開いた窓を閉じ始めていた。それが通り過ぎたあとは、鋼鉄の壁も、<天使>のからだも、まるで柔らかい粘土のように丸く消し飛んでいる。この夜空のある向こう側に吸い込まれたのだ。

「命拾いしたようだな、特務兵」

 震えながら首を押さえてへたり込む(ハーヴン)に向かって、“堅牢王”は言った。(ハーヴン)は憎まれ口を叩く余裕もなく、黙ってその足元でうごめく鎖から離れた。

「おれに屈するなら護ってやったものを」

 “堅牢王”は残念がるようにそれを見下ろした。(ハーヴン)はぜえぜえと喘ぎながら目を逸らした。今しがた死にかけたのだ、多少無愛想にもなろうというもの。

「残念だったな、僕の飼い主は、ずっと、大佐だけだ」

 (ハーヴン)は絞り出すように言った。

「しつけの悪いイヌだってねえ、首環の持ち主くらいは選ぶんだよ。僕は、大佐のほかに尻尾を振る気はないね」

「おや、そう言わせるほどの主がお前にはいるのか」

 “堅牢王”は面白がるように言うと、ニヤロトの骸を振り仰いだ。

「ならば生きて帰らねばなるまい。まだ安心するには早いぞ」

 その身体はまだ輪郭を保っていた。破片になって空へ落ちていったりはしない。身にまとっていた帯の半分は寸断され、頭もなくしているが、それでもまだ。

「あまり腕のいい射手ではなかったらしいな。心臓を外している。頭を潰したところで<天使>は止まらない。動き出すぞ」

 ニヤロトは手を突き、どうにか立ち上がろうとしていた。光の翼も健在だ。消し飛んだ首のあったところからは紅い心臓が覗いている。あれを壊さない限り“野良”は倒せないのだ。

 あたりではあの青黒い《悲嘆(マーツィバ)》もまた、輪を描くように迫ってきている。ふたつの流れの頭がくっついて、円が閉じた。頭をなくした“野良”と一緒にかれらも閉じ込められたのだ。どろどろと地を打つ地響きが強くなっていく。

「光の柱」

 堅牢王は落ち着き払っていた。

「特務兵、あれがなにか判るか?」

「こんな時に」

 (ハーヴン)はよろよろ立ち上がった。手持ちの聖異物はまだあるが、こんな天地を揺るがすようなものはどうしようもできない。堅牢王はヴェールの奥でため息をついた。

「こんな時だからだ。このような“野良”の異常発生と暴走、そうそう起こるものではない。あの光の柱(レイライン)がその根源だ。あれにはそれだけの特別なものを感じる。あれをどうにかしない限り、事態は治まらないぞ」

 ご尤も。じゃあ、どうにかできるのか?(ハーヴン)はそう言おうとして、口をつぐんだ。

 

 光の柱が揺らぎ、光を失っていくのが見えたからだ。

 

 ◆◆◆

 

 ユディトは幕の内側で、ゆっくりとした舞を続けていた。

 つるぎを手に、得体の知れぬなにかと切り結び、追い詰められていくのが見て取れた。動きは緩慢そのものだったが、ユディトの顔は張り詰めていて、まるで本当に生死の争いをしているようだった。

 彼女は低い声でしっかりと、古い叙事詩を諳んじていた。セムの【知恵の詩】にある伝説だった。長い詩だ。

 

 あるとき、どこかの国に“野良”が舞い降りて、町を焼いた。あまたの奇跡使いが挑んだが敵わない。

 廃墟になった街に居座る“野良”へ、ひとりの町娘が立ち向かった。彼女は“野良”へ八回も醸した強い酒を捧げ、弓を鳴らして剣舞を奉じ、そして舞いの隙をついてその首を斬り落とした。

 最後に鏡を掲げると、それの映した陽光に目が眩んだ野良はひるみ、天へ帰っていったという。

 

 おとぎ話のたぐいだ。

 そんな手口で“野良”は斃せない。だが、ユディトはそれが事実を伝えたものだと知っていた。虚飾と歪んだ比喩に覆い隠されていたとしても、事実をもとにした物語なのだと。

 ユディトは剣を地に突き立てた。

 

 レイラインから降りてきた光の柱は、心臓のように脈打ち、明滅していた。そのまわりでは光の環があぶくのように生まれては消え、天へ昇っていく。

 十体の【悲嘆奇跡】たちが、泣くのをやめた。流れ落ちていた涙が彼らのつま先から離れた途端、繋がりを失って弾け飛んだ。輪郭を崩壊させ、光の塵になって消し飛んでいく。【悲嘆奇跡 マーツィバ】たちは空を見上げ、まるでなにかに呼び戻されでもするように光の柱へと進み始めた。

 

 ユディトは弓を取り上げ、そしてその弓弦をかき鳴らした。

 オォオォ……と地面がおどろおどろしく鳴った。都市船そのものが震えているのだ。海辺では無数の珊瑚礁が天へと突き出し、白化して死んでいっている。

 潮が満ちている。ひたひたと揺れる海の指先が、港を越えて少しずつ内陸へと迫っている。

 ユディトは弓を捨てた。

 

 軍港の端では、膨らみ始めた海に揺れる飛空艦(カルラ)の上で【柔和奇跡 メイミィ】がうずくまっていた。【聖銃ルイーナ】の銃身にはあの夜空が透けていたが、それもだんだんと元の金属質な見かけに戻りつつある。

『あり得ない』

 (ゲラック)の声がした。

『こんな、馬鹿なことが――』

 そして、飛空艦の装甲が中から弾け飛んだ。板状のハニカム・スレートが幾重にも組み合わさった構造体だというのに、まるでやわな木っ端みたいに。

 その中から現れたのは【黄蝕奇跡 ガフリート】だった。

 がらがらと砕けていく装甲の破片を払い除け、花のように鮮やかな黄色の<天使(マラーク)>は戸惑うように甲板の上へ這い上がると、鼓動する光の柱に手を伸ばした。

『あの捕虜は』

 (メイ)は叫んだ。

『尋問室にいたはずのあの捕虜は?』

『今確かめた。消えておる。いない。そんなはずはないのに。動けるはずがない。拘束していたのだから』

 気が動転した様子で、(ゲラック)はまくし立てた。

蟻洞(ギリアード)にはまともな人格は残っていなかった。そんな状態で“同化”などできるはずがない。できたとしても――』

 次の瞬間、ガフリートの頭上にあった《円環》が光の粒になって弾け飛んだ。

『我を失った!』

 メイミィが彼女の声でそう言った瞬間、ガフリートが翼を広げた。光の翼がまるで手のように空をつかみ、<天使>の肉体を持ち上げた。ぐんぐんと飛んでいくガフリートは、天に焦がれるように右手を伸ばし、そしてもう片方の手を地上に向かって差し出した。

 まるで、誘うような動きで。

 

 その瞬間、(メイ)はものすごい力で引っ張られるような感覚を覚えた。

 思わず空を見上げてしまう。焦がれるような思いが強く、甘く、心を揺らした。あの大空に飛んでいきたい、光の柱へ向かって飛んでいきたいと。《円環》が輝き、メイミィの躯体を持ち上げ始める。

『だめ、だ!』

 恐ろしさのあまり、彼女は言葉に出して拒絶した。途端に、その引力は消え失せた。(メイ)はぞっとして空を、そこにいるガフリートを見上げた。さっきまでの異様な感覚は、ひどく心地よかった。気持ちが良かったのだ。あるべき場所へ還っていくような、そんな感じがした。不快でもなんでもないそれが、だからむしろ恐ろしかった。

 

 だから、それに逆らえるものばかりではなかったのだ。

 港の中心点で、首をなくした【紙片奇跡 ニヤロト】が立ち上がった。欠けた身体をぼろぼろ零しながら、なにかに焦がれるように。

 光の翼が燃え盛り、ガフリートめがけて飛んでいく。それはやっぱり、空を掴む五本の指に似ていた。(ハーヴン)は両手で顔を覆った。紙の<天使>が地を蹴ったとき、ものすごい風が吹いたからだ。

「呼び合っているのか」

 指の隙間から彼は呟いた。

「“野良”同士が」

 あたりにはもうあの《悲嘆》はほとんど残っていなかった。光の塵になってめくれ上がり、天へと揮発していくのだ。それを眺めながら、(ハーヴン)はなぜか後ろめたいような気持ちになった。間違っているのは自分たちのような気がしてきたのだ。“野良”たちが昇天していくなかで、地上にしがみついている自分たちが、ひどくわがままに思えてきた。

「くだらない錯覚だ」

 (ハーヴン)は抵抗するようにそう独りごちた。

 けれども、どうだろう?あの空へ昇っていく二体の<天使>をご覧よ。翼を広げ、光をはためかせ、大空へ飛び立っていく彼らを。あんなにも美しく、本当のさいわいに近いように見えるじゃないか。

 

 丘の上で、ユディトは最後に酒を地にこぼし、丸い両面鏡を手に取ると、それを掲げ、光の柱を映し出した。

「――かくて“野良”(Sic Feresteha)天へ去りき(ad caelum abiēre)

 そしてレイラインが輝いた。

 光の柱がするすると消え失せ、天を走る一筋のレイラインへと戻っていく。光の奔流が地上から去っていくのだ。それとともにニヤロト、ガフリート、それにマーツィバたちもまた天へと昇っていった。割れんばかりの鐘の音が鳴り響いた。鐘なんかありはしないのに。きっと、それに似たなにかだったに違いない。

 

「<天使(マラーク)>が……“野良”が消えていく!」

 (メイ)は同化を解除し、自分の目でそれを見上げた。

「お爺ちゃん、これって」

『今日は意味のわからぬことばかり起こりよる』

 (ゲラック)はそれだけ答えた。答えの持ち合わせもなかったのだから。

 

 ユディト市にいるすべての者たちが空を見上げていた。あの光の柱が消えうせた空には、いつのまにか夕暮れの赤みが現れていた。起こっていることの意味が分かるものはほとんど誰もいなかった。

「おやおや」

 荒野に黒い<黙示録(アポカリプス)>たちを引き連れて、その例外、サングィスもまた空を見上げていた。

「これは予想外だ。まさか無限偽典を収めるほどの知識を持っていたとは。思いのほかユディト家、侮れぬものだな。あれはもうとっくに()()()()では失われた技術体系だと思っていたが」

『宜しいのですか』

 掠れた声で、<黙示録(アポカリプス)>のひとりがそう言った。アシタ人たちについていた女の声だった。

『術者を消せば、この儀式も妨げられるのでは』

「それは正しい。だが、その必要はない」

 サングィスは肩をすくめた。

「今回の計画で決まっていたのは現象の発動まで。都市船ユディトの完全な消滅には至らなかったが、それは主目的ではない。既に<黙示録(アポカリプス)>の序文は記されている。我々は来たるべきその日に向けて、やるべきことをやっていればよい」

 サングィスはそう言うと、首を傾げた。

「まあ、しかし確かにあの知識は消しておくべきかもしれぬ。今回はともかく、以後の計画には差し支えるだろう。他の都市でも邪魔が入るのでは些か面倒だからな」

 <黙示録(アポカリプス)>たちは、いつでも命じられれば動く準備はできている、とばかりに頭を下げた。だが、サングィスは手をひらひら振った。

「その必要もない。我らがなにかするまでもない」

 そう言って、サングィスは何かを見通しているように小さく笑った。

「かくもヒトは愚かで罪深いものだ。幸福を欲し、誰かを愛し、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが緩やかな滅びへの道であっても」 

 サングィスはとうとう高らかに哄笑した。その両腕を力強く広げ、黒いローブをはためかせる。

「この都市にもう用はない。帰るとしようか」

 その言葉が終わるより早く、彼らの姿は掻き消えていた。サングィスの姿をくらます術と同じように、五十人からの人間がどこかへ消え去ったのだ。だが、どこへ消え去ったのかは誰も知らなかった。

 

 ◆

 

 ユディトは深くため息をつき、丸い銅の鏡を置いた。

 空はもう元のとおりに戻っていた。けれど、彼女はそこに傾く太陽を伏し目がちに睨んだ。

「王家に伝わる知識は、やはり真実なのですね」

 夕暮れの空には、まだレイラインが見えない。赤みを増しつつある太陽は、あと数百分をかけて水平線に没するだろう。夜空にはそれと入れ替わりに月が昇る。

「太陽と月は常に空に在り続ける。<黙示録(アポカリプス)>の起こしたあの天の現象といい、やはり、この世界は――」

 そう言って、ユディトは人を呼ぼうとした。

 

 振り向いたユディトの胸から、剣が生えていた。

 

 ユディトの顔が驚愕に歪んだ。信じられぬものを見るように自分の胸元を見下ろす。血に濡れた刃がおのれを貫いているのだと理解した瞬間、熱のような痛みが襲ってきた。

『この鏡は、“扉”の契約者が造ったものです』

 ユディトの背後から、聞いたことのある声がした。どこか狭いところから話しているみたいに響いている。それがそこから出て、ひらけた草原の陣内に歩いてきた。

「だから、僕の奇跡であれば繫げられる。祖に感謝したいですね。あるいは自分から人払いをしたあなたにも」

 そこには、隻腕の(ページ)=帆都(ヴェルヴェット)が立っていたのだった。

 背後では、あの両面鏡がみどり色の光を失っていくところだった。ユディトは辛うじて座り込み、荒い息をつきながら自分を貫く刃に手を当てた。けれど、錆による破壊はうまくいかなかった。

引き金(トリガー)はこれですか」

 少年は布地に置かれた長弓を取り上げると、無造作に遠くへ蹴り飛ばした。

「自分ではどうしようもしがたい部分ではありますが、やはり物に頼る引き金は危ない。身一つで完結できない。もっとも、その制約は出力の向上と表裏一体ですから、一概に捨てたものでもありませんが」

 なぜ?ユディトはそう言った。ほとんど声が出ていない。

 味方のはずの、“扉”の<人間イカリ>が、なぜ?

 

「何故だと?」

 (ページ)は顔をしかめた。

「何故か。僕はね、ずっとこの機会を狙っていたんですよ。いくつものパターンを考えていました。流石に<黙示録(アポカリプス)>は予想外でしたが、連邦軍と主義者、そしてあなたが戦うことは分かっていた。彼が……アゲハがいる限りそうなると。そしてそこには隙が生まれる。理由ができる」

 (ページ)は言った。

「あなたが死ぬ理由が」

 

 どさっ、と重いものが落ちる音がした。

 それは<黙示録(アポカリプス)>のひとりの骸だった。黒尽くめのローブ姿で、手には剣を持っている。手を残したままの段階の者だ。軍港での動乱で死んだものであろう。

()()、あなたを殺した下手人だ。<黙示録>にとっては邪魔だったんでしょうね、この“野良”の暴走を止められるあなたの術が」

 白々しく、(ページ)は言った。

「そういえば、ありがとうございました。市民権ですよ。姉さまはあれで少なくとも無事に市民に還れます。あなたの口から取り消されない限り、あの命令はまだ活きているでしょうからね。もっとも、僕らもすぐに市民権を手に入れるつもりではあるんですが」

「と……びら……の」

 ユディトは血の混じった言葉を吐いた。

「裏切り、者……」

「裏切り者。いい響きですね。ああ、その顔もいい。無念というやつだ。我が父を思い出しますよ。屋敷で首を吊っていたあの男、家を守る責務から逃げ出した臆病なあの男を」

 (ページ)はユディトを見下ろした。ちっぽけな少年が、おとなの女を見下ろしたのだ。その顔はぞっとするほど大人びていた。

「僕は逃げない。どれほどあなたの血で汚れても姉さまを守ってみせる。それがダルトと契約した僕の務めだ。僕らがどれほどの思いで生きてきたか、あなたに判るのか?」

 ユディトは恨みを込めて少年を見つめた。(ページ)はない方の腕をひらひら振ってみせた。

「権力闘争というやつですね。僕らはしくじった。政敵に負けた。貴族たちに食い物にされ、しゃぶり尽くされたあとは捨てられた。港ではマフィアに狙われ、使用人も家財も殆ど消えた。そのすべてを貴女は知っていたはずだ。だが無視した。敗者にかける情などないということでしょう?立派なポリシーだ」

 (ページ)は残酷に笑った。

「だから僕も、貴女に情などかけない」

 その手が、ユディトの背に生えた剣の(つか)を握った。

「心配せずとも、あなたのこのユディトは僕がもっといい形で引継ぎますよ。戯れで非正規市民たちを虐殺したあなたのようにはならない」

 そして、(ページ)は剣を引き抜いた。

 鮮血が溢れ出した。地に投げ出された第16代ユディトの身体が冷たくなっていく。その手にある紋章が灰色に褪せていき、音を立てて割れ、そして塵になって消えた。

 

 

「誰か、誰かいないのか!」

 その絶息を見届けてから、(ページ)は叫んだ。

「早く来い!ユディト殿下が暗殺された!」

 親衛隊が駆けつけるのは、その言葉がこだまするよりも早かった。

 陣幕を引き裂いて、兵たちが怒涛のように溢れ出す。血に染まった丘を凍りついたように見つめ、先頭にいた親衛隊長は口を開いた。

「ですから、せめて私めをと申し上げたのに」

「下手人はそこの賊だ。せめて、殿下の魂がこの地へ安らかに還らんことを……」

 (ページ)は冷たく言った。ユディトの骸のまぶたを閉じ、優しく寝かせる。

「なにをしている」

 そこで(ページ)は厳しく吐き捨てた。

「なにを立ち尽くしている。これは<黙示録(アポカリプス)>の仕業だぞ。奴らを一人残らず捕らえて処刑するんだ、早く行かないか!」

「貴様などに仕切らせるものか」

 親衛隊長はつかつかとユディトに歩み寄った。平静を装っているが激怒しているのだろう。手足が蹄のように変わりかけ、顔の骨格が歪んでいる。能天使系統だ。

「弁えろ、非正規市民の小僧が――」

「君こそ弁えたまえ」

 親衛隊長に向かって、叩きつけるように(ページ)は言った。ここが重要なのだ。最初に立場を明らかにしておかなくては、あとの地固めに差し支える。

「軍勢で囲んでおきながら主君をすら護れなかった君に、これ以上なにができるつもりだ。まだ無様を晒すつもりか?おとなしく僕に従え。我が名は(ページ)、“(ダルト)”の契約者だ!」

 しばしの睨み合いがあった。親衛隊長、“駱駝(ガマル)”の契約者は分厚く伸びた唇を震わせていたが、やがて静かに頭を下げた。

「仰せの……とおりだ」

 (ページ)は冷徹な目を親衛隊長のつむじに向けていた。その威厳に彼らは息を呑んだ。神童とは聞いていたが、それを加味してもなお、小さな子供とは思えぬほどの厳めしさに満ちていたからだ。

「行け」

 幼い少年は怒鳴った。

「行け!」 

 親衛隊たちは弾かれたように走り出した。“駱駝”の男もゆっくりと踵を返して歩いていく。その憎悪に満ちた背中を見ながら、(ページ)は唇を噛んだ。

(ここからだ)

 これからだ。家の再興も、姉の保護も、すべてがここから始まるのだ。どさくさ紛れに実権を握ったとして、貴族たちも黙ってはいまいし、あの手この手で(ページ)を蹴落とそうとするだろう。なにせ、ユディトの玉座がからになったのだから。

 先頭に立ち続けなければならない。誰もついてこれないスピードで走り続けなくてはなるまい。

「あなたはあなたの道を往けばいい」

 ふと、(ページ)はひとりごちた。

「二度と会うこともないでしょう……僕には、そんな資格は無いのだから」

 

 ◆◆◆

 

 ■海岸

 

 アゲハはユディト市の海岸にいた。

 浜辺はひどい有様だった。おびただしい数の隆起した珊瑚礁がそこかしこにあって、空に指を伸ばしている。満ち潮が寄せていた。海が上がってきているのだ。あたりには誰もいなかった。海が騒いでいるときに浜に近づくものなどいるはずがない。

「ここはまだ陸地のはずだったのに」

 アゲハは小さく呟くと、苦労して珊瑚礁のひとつを登った。身体はぼろぼろだった。流れ出た血が固まって黒く張り付いている。手足に力が入らない。指の骨が折れているので、歩くたびにずきずき痛んだ。まぶたが腫れぼったい。

(もう、この都市に用はない)

 アゲハは珊瑚礁の上に這いつくばると、ひたひたとその隙間を流れてくる海を眺めた。

(あの軍人には会えた……意味はなかったけど。くそっ、最低だけど、仕方ない。仕方ないんだ)

 アゲハは心の中で毒づくと、隣の珊瑚礁へどうにか飛び移った。滑り落ちれば海に触れて死ぬ。腫れた指ではざらつくサンゴをうまく掴むこともできない。

(やっぱり連邦にいちゃだめだ。どうにかして東海域に渡れれば、大海流を越えられたら……あいつらも追ってこれない)

 アゲハはため息をついた。

 

 いやな感じだ。それは七年前からずっとあった。ひとりぼっちの感覚、立つところがない感覚だ。

 あの軍人は首都に帰るのだろう。親兄弟がいるのかもしれない。(ページ)にはこのユディトに守るべき居場所がある。それを護るためには何でもするような、それさえ護っていればいいという確たるものがある。

 アゲハにそれはない。タカの言ったことはある種の真実だ。アゲハには、行くべきところも、帰るべきところもないのだった。目指すべき指針がないのだ。あたりを見回してもアゲハの同族はいないし、探すこともできない。

「違う」

 アゲハは声に出して言った。

「そんなものいらない。それは弱さだ。心細いなんてのは」

 アゲハはぜえぜえと息をつくと、目当ての場所に辿り着いたのに気づいた。

 

 そこには、隆起した珊瑚礁に交じって、人間の手のような構造体が突き出していたのだった。

 材質は石とも金属ともつかぬ。アゲハを掴めるほど巨大だったが、その手の造形は精緻で、人間そっくりだった。アゲハはそれに触れると安心したように言った。

「ハルヴァヤー」

 珊瑚礁がきしみ、割れた。

「ハルヴァヤー……」

 【葬送奇跡 ハルヴァヤー】がサンゴを破壊しながらゆっくりと這い出してきた。

 港湾マフィアのところから逃げ出したあと、浜辺に隠しておいたのだ。ハルヴァヤーの奇跡なら、浜辺の岩の間に潜り込むくらい簡単なことだった。

 砕可(サイカ)の言ったように海に投棄する気には、どうしてもなれなかった。同化していたときに海の中は見たことがある。あのぞっとするほど深く、冷たく、どこまでも続く海に<天使>を放り出すなんていうのはあまりにも嫌だった。

 その<天使>の掌に座り込んで、アゲハは深く息をついた。何回か試して分かったことだけれど、“同化”している間も人間態の傷は治るのだ。とにかく、この痛みが少しでもましになるまで<天使>の姿でいたい。

 海図はマフィアの所から持ち出したゼータ硬貨で買った。ひとまず次は、北上しながら傷を癒して――

 

「へえ、これが君の神話級かあ」

 そのとき聞こえてきた声に、アゲハは身を硬くした。

「こんなところに隠していたとはね。思い切った手を使うものだ。誰かに見つかっていれば面白いことにはならなかっただろうに」

 知らない声だった。女の声だ。この場所に人間はいなかったはずなのに。

「怯えているね。だめだよ、そんな簡単に意思を顕わにしたら。特に君や僕みたいな強いリソースを持つ人間はね、世界を揺らしてしまうから」

 アゲハは耐えきれずに振り向いた。

 

 そこにいたのはひとりの女だった。

 小柄で、ぶかぶかの服を身に纏っている。大きすぎる帽子が風に揺れていた。片方の手は人間の手でなく、銀色の鈎に変わっている。顔には大きな傷があり、鼻筋を横断して目の下まで走っていた。

「やあどうも、簒奪者。はじめまして、僕は……」

 女はそこで首を小さく傾げた。どう名乗ろうか迷っているふうだ。結局、彼女が選んだのは、もっとも分かりやすい(あざな)だった。

 

「……“放浪王(ザ・ウェンド)”だ」

 

 空を踏む女は、危険な雰囲気でそう告げた。

 

 To be continued…

 

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