<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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断章 間奏曲(インタールード)
天使達の戦争


 ■東海域 ホロフェルネス市

 

 西海域のユディトから<大海流>を東へ越えたすぐ、ホロフェルネスは今まさしく曳航連邦に攻め落とされようとしていた。

 

 都市の中枢たる都市塔と“浄土(ゾーン)”を抑えられてなお、彼らは東の港町を背に最後の布陣を固めていた。うず高く積まれた土塁、石垣、そして虎の子の弩が平らげられた戦場を向いている。ホロフェルネス王もまだあそこにいるはずだ。

 

 だがその当の戦場はもう、まっさらな荒野でしかなかった。

 

 かつてホロフェルネスの至宝と謳われた“赤の城(アーハムラ)”はきれいさっぱり消えていた。複雑に入り組んでいた都市構造体は残らず破壊され、砂漠に変えられている。

 平らだ。

 絢爛な都市構造体も、円を描いてカーヴする街道も、美しい庭園も、人々も。なにもかもが同じ薄灰色の瓦礫になってしまっている。残っているのは都市船の要である(タワー)、それだけだ。

 

 曳航連邦の一糸乱れぬ行軍が、紺色の軍服が、その平野を踏みつけにしていく。戦車輌(ヒルドレグ)が石を轢き潰し、砲を掲げて撃ち鳴らす。どうどうと戦符号が響き渡り、後方からは何本もの電源索(シールド)が尻尾のように黒黒と伸びていた。

 まるでカンヴァスに描かれた色とりどりの風景画を、つまらない灰色が塗りつぶしていくかのようだ。 

 

「酷い有様だなあ」

 特務兵、(イース)は行軍していく曳航連邦軍をそばに見下ろしながら、聞こえないようにいった。

 そこはすり潰された都市の最後の名残だった。積み重なった階層が島のように残されているのだ。行軍の足跡のうねり、その流れの隙間に盛り上がった“島”に立って、(イース)は吊り上がった目で戦場を睥睨していた。

「かつてユディト市と覇を争ったというホロフェルネス市が、音に聞く重装歩兵団(ガル・カシャラ)までもが、こうもあっさりと」

 “島”のてっぺんで吹き抜けていく風を浴びながら、(イース)は首にある紋章を撫でた。戦場の風はひどく乾いていた。棘のように逆立った髪が揺れている。

 そのとき、通信機が鳴った。(イース)は気安くそれを取り上げ、白い鍵盤を押した。

「はいはい、こちら(イース)

『配置についたか?特務兵』

 そのきつい声音に、特務兵の(イース)は顔をしかめながら肯んじた。

「はい。今度からは通信兵を付けてくれませんか。ここまで機材を運ぶのは大変でしたよ」

『これより我が軍は敵陣に攻撃をかける』

 通信の向こう側で、声は冷たく言った。

『貴様たちの任務はいつも通りだ。進軍と同時に行動を開始しろ。軍の規律を乱すなということだ。解ったか、特務兵(イレギュラー)。貴様たちのような連中に貴重な実体弾兵装をくれてやっていることを努々忘れるなよ』

 (イース)は正直、その冷ややかな口ぶりにかなり閉口していたが、態度には出さずにおとなしく言った。

「ええ、了解しました。攻撃目標は?俺達はどこを狙えばいいんですか……あぁ、いいや。すいません。あれですね。見えました」

 (イース)は途中で言葉を切って、ひとりで頷いた。

『遅れるな』

 通信はそれだけ言って切れた。(イース)は天を仰いだ。

「上官殿はイライラしてるぞ、あの(ひと)。今度は何したんだっけ、俺達?」

「君がおととい彼女に侮辱的なことを言ったからじゃない?」

 うしろで、兜を被った少年がそう言った。

 (ドゥーエ)という名前だった。鉄でできた兜をがしゃがしゃ上げたり下げたりしながら、どうでもよさげに下手くそな鼻歌を歌っている。その右腕は白っぽい機械でできていた。

 艤装者だ。

「勘弁してよ。僕まで目の敵なんだから」

 (イース)は不満げに答えた。

(レン)大佐ならもっと説明をくれるっていっただけだ。あの人は情報もなしに仕事へ放り出したりしない」

「お気に召さなかったんだろうね」

 (ドゥーエ)はそう言うと、巨大な狙撃銃を磨きながら尋ねた。

「それで、下知は?」

「まもなく進軍開始。タイミングを合わせて狙撃。目標は……聞かなかったんだけど、間違いなくあれだろうな」

 

 敵陣の壁の向こう、(イース)が指さした先には、巨大な<天使(マラーク)>が屹立していたのだ。

「あれがホロフェルネス最強の盾。“忠実”のイフラアス将軍か」

「あぁ、岩の<天使(マラーク)>……【巌盤奇跡 スール】だ」

 その<天使(マラーク)>は、石の巨人のようだった。

 荒削りな体躯は重厚で、岩山が手足を生やして立ち上がっているみたいだ。肩から生えた四本の逞しい腕は地につきそうなほど長い。普通の<天使(マラーク)>に比べても大型の個体だった。背には尖った翼があり、右腕に寄り添う盾のように構えられていた。

 その顔は帆布で隠されていた。まるで面布みたい、と(イース)は思った。あの巨大な顔面を覆う面布など、並の発電帆より大きいに違いないのだが。

「スペクトルは緑。古代伝説級。ホロフェルネス最強の<人間イカリ>、さすがは壮観だね」

 四本腕の巨人は静止していた。《円環》は消えている。けれどひとたび同化すれば、その奇跡は戦場の地形を丸ごと作り変えてしまう。あの敵陣を覆う城壁の数々も、岩の奇跡によるものだ。

制圧せよ(ガーン)

 戦符号とともに、曳航連邦軍が進み始めた。

 砲声が轟き、岩の壁を削り取ってゆく。目に見えない運動エネルギーが空間に書き込まれて、敵陣をゆっくりと食い破り始めていた。奪われたホロフェルネスの電源、【清浄炉】から大量の電力が汲み上げられ、一つところに集まったそれが唸りになって互いに干渉しあっている。

 岩の<天使(マラーク)>が顔を上げた。

 その頭上には《円環》が輝きはじめ、古代伝説級の気配が戦場を支配しようとしていた。普通の人間でも、よほど鈍くない限りはその威圧感が分かるはずだ。それは殺気であり、敵意であり、警告だった。

「始めるぞ、(ドゥーエ)

「そうだね、(イース)

 特務兵(ドゥーエ)はそう言って、狙撃銃を構えた。彼の艤腕とケーブルで繋がっているそれが、ブーンという電気の唸りを上げはじめる。痒みにも似た人工神経接続の感覚に、(ドゥーエ)は顔をしかめて唸った。

 

 あたりの瓦礫が、見えない紐で吊り下げられるように浮かんだ。小石や砂屑が二重螺旋を描いて(ドゥーエ)の持つ狙撃銃へと吸い込まれていく。

 (イース)はそのそばで、狙撃銃に繋がった二枚の鍵盤を操作していた。

「誤差修正マイナス1、マイナス1.5。風速は良し」

 黒鍵と白鍵をリズミカルに叩くその指は、いっそ芸術的なほどだった。そして鍵盤の上で踊る五本の指は、その動きを突然止めた。

「いつでも行ける」

「さすがだね」

 (ドゥーエ)はあぐらに座って、ポンプみたいに銃把のグリップを押し込んだ。

「《錬成(タアシヤー)》」

 砂礫が銃身の中で押しつぶされて固まり、圧縮され、黒い弾丸を形成していった。艷やかな表面にはまだらの模様が走り、風を貫く槍の穂先のような形をしている。

 電力が汲み上げられ、電気の鈍い唸りが耳に残るべたつきで入り込んできた。生暖かい排気に思わず汗ばんでしまいそうだ。(ドゥーエ)はしかし、平静そのものの顔で引き金を引いた。

「【超電磁式AAA徹甲砲(アンチアーセリングアーマメント)】発射」

 凄まじい音が耳を貫いた。

 弾頭は見えなかった。気づいたときにはそれはもう駆け抜けた後で、ただ吹き飛ばされた風だけがその痕跡を示している。心臓を狙ったその弾頭は、狙い違わず岩の<天使(マラーク)>スールの胸に深く食い込んだ。

 

 だが、(イース)は舌打ちした。

「浅い」

 その瞳は鮮やかなオレンジ色に変わっていた。

 瞳孔が大きく開いている。人間のそれより遥かに増した視力で、(イース)は敵の<天使>を捉えていた。

 弾痕は間違いなく<天使(マラーク)>を抉っている。けれど、こたえた様子はなかった。動きが鈍ったりすることもなく、平気でまだ立っている。

「あいつ、全身に自分の奇跡で岩を纏ってたんだ。増加装甲みたいに」

 ボロボロと胸元のそれを崩しながらも、岩の<天使(マラーク)>は地を震わせる重たげな一歩を踏み出した。その手のうちの二本は間違いなく(ドゥーエ)たちを狙っていた。

「反撃来るぞ、頭守ってろ、(ドゥーエ)!」

 腹に響く轟音がして、殴られるような風が吹いた。吹きつけるその砂塵のなかで、(イース)は見た。

 岩の<天使(マラーク)>が地面から抉り取った岩の塊を奇跡で押し固め、四本の腕を使って投擲してくるのを。

 大地が落ちてくる。

 その塊は船一隻ほどの巨大さだった。大きすぎてうまく目測が計れないほどだ。装甲車輌だっていともたやすく圧し潰せるだろう。<人間イカリ>を平らにするのならもっと簡単だ。太陽が邪魔をされて、薄暗い影がふたりの上に陰った。

「おいおいおいおい、冗談じゃないぞ、なんだそりゃあ」

 (イース)は顔面蒼白で下唇を噛んだ。

 

『《変身(エシュターネ)》』

 

 その上唇が嘴のように顔を覆い、下顎を固定した。

『《装甲態(シュリオン)》!』

 白い殻のような皮膚が身体を鎧っていく。オレンジ色の瞳はガラスのような瞬膜に隠され、手足は大型化した。刺々しい輪郭がさらに尖り、右腕に集まっていく。

 右腕が肥大していた。左手より長く、太く、大きくなっていく。純白の殻がまるで円盾のように膨れ上がり、重たげに持ち上げられた。

『受け損なったら怒る?』

 能天使(エクスシア)系統、完全変身した(イース)はちらっと(ドゥーエ)を振り返った。兜の下から覗く口元が笑っていた。

「信じてるよ」

『じゃあ、しょうがないな』

 そう叫んで、(イース)は右拳を振り上げ、頭上から落ちてきた岩塊へ叩きつけた。

 凄まじい衝撃がぶつかり合い、なにかが弾けるような轟音がしてそれから右耳が聞こえなくなった。右腕に集めた変身の殻に罅が走った。落ちてくる勢いは止められても、<天使(マラーク)>が掬い上げた大地はその重さだけで十分ふたりを押し潰せるのだ。

 その寸前に(イース)は下唇を噛み千切って叫んだ。

『《(ツァバール)》』

 何本もの“棘”が、真っ白な身体から溢れ出した。

 右腕を中心に枝分かれしたそれは瓦礫の“島”に根を張って、(ドゥーエ)を守るように枝を広げる。割れた殻を繋ぎ止めながら巨石の方に伸びた先端は一本に溶け合って、白い馬上槍みたいに鋭く、大きくなった。

『もっとだ!《(ツァバール)》!』

 (イース)は叫んだ。

 ひび割れから血がこぼれる。人間ではない能天使の肉体からのそれは、人間よりずっと濃く深い赤色で白い体躯を汚した。

 

 そしてとうとう、“棘”の変じた槍が巨石を貫いた。

 岩が三つに引き裂かれると同時に“島”が崩壊した。狙撃設備ごとすべてを巻き込んで、砕け散った瓦礫がざらざらと滑り落ちた。割れた巨石のかけらが、ずうん……と腹に響く音を立てて倒れた。

『死ぬかと思ったぞ』

 瓦礫を跳ね上げて、(イース)が立ち上がった。

 その右腕は真っ赤に腫れ上がっていた。

 骨が粉々に砕けている。いくら頑強さが売りの能天使でもしばらくは使い物にならない。

「言っておくけど、君ばっかり怪我してるのは申し訳ないと思ってるんだ」

 (ドゥーエ)は枝分かれした棘の上にへし折れた狙撃銃ごと引っかかっていた。始末書ものだ。また給金が減らされる。実体弾を使える武装は本当に貴重なのだ。

「でも、生命が助かっただけ儲けもの――」

 (ドゥーエ)はそこで言葉を切り、口元を引きつらせた。

 

 はるかかなたで、岩の<天使(マラーク)>が再び大地を踏み鳴らした。

 奇跡でもなんでもない。

 巨体にものを言わせた足踏みだけで、ホロフェルネスの荒野は水のようにうねった。いっそ見ものだった。平坦なはずの荒野がぐわんぐわんと滑らかに動くのだから。

 たまらず揺らいだ曳航連邦軍の前に立ちはだかるように、またいくつもの岩壁が隆起した。茶色い石が砂ぼこりと一緒にぼこぼこと沸き上がった。

 その一つを、<天使(マラーク)>が掬い取る。

『さっすが、ホロフェルネス最強は伊達じゃないな』

 ぐちゃぐちゃになった地面にひっくり返って自棄っぱちでそう喚いた(イース)は、まだ動く左腕で(ドゥーエ)の襟首を掴むと、脱兎のごとく走り始めた。

 それがどれほど役立つ行いなのかは疑問だった。遥か遠くでは<天使(マラーク)>が投擲の姿勢に入っている。さっきのをもう一度やられたなら、きっと今度は防げまい。 

「おっとしまった」

 引きずられながら、(ドゥーエ)は言った。

「遺言の準備を忘れてたね」

『一緒にするなよ。俺は書いといたぜ。艦の壁にでかでかと』    

「何だって?」

『そりゃもちろん、“(レン)大佐に宜しく”ってさ!』

 最後の方は半ば悲鳴に近かった。

 岩の<天使(マラーク)>は今度こそ本気のようすだった。

 拾い上げた岩盤を四本の腕で捏ね上げ、圧縮していく。《円環》が強く輝くたびに、ぎしぎしと軋む石の悲鳴がここまで聞こえてきていた。<天使>は厳かに四本の腕を広げると、片方の右手だけで投擲の構えを取った。

  

 けれど、その動きが突然止まった。

 

 (イース)も足を止めた。

 あの敵とは全く別の、凄まじいリソースの存在感(プレッシャー)が敵陣から放たれている。ホロフェルネス最強の岩の<天使(マラーク)>でさえ霞んでしまうほどの力の気配だ。それが何であるか咄嗟に思い至って、(イース)(ドゥーエ)を放り出した。その変身が解けていく。

「自分の足で歩けよ」

 曳航連邦軍が進軍を止めた。

 撤退とは違う、ゆっくりした動きで後退していく。宣言されている戦符号は、たった一つだけの内容だった。

勝利(シーイェ)勝利(シーイェ)勝利(シーイェ)

 どろどろと戦鼓が鳴っている。

「俺達の勝ちだ。ホロフェルネスは今、完全に落ちた」

 (イース)はそう言って、敵陣を睨んだ。

 岩の<天使>スールは連邦の布陣に背を向け、岩の壁を踏み越えてホロフェルネスの陣に踏み込んだ。その巨体が硬直したと思った瞬間、柔らかで温かいひかりがホロフェルネス軍の中心から吹き出した。

「見るな!」

 (イース)は自分も咄嗟に目を逸らし、(ドゥーエ)の頭を抑えつけた。(ドゥーエ)は口の中の砂を吐き出しながら唸った。

「何さ、さっきから。どうしたっていうんだよ」

「今、ホロフェルネス王が死んだんだ。討ち取られた。ここでの戦争は終わりだ。あの光は――」

 一瞬眼にしただけで、そのひかりは(イース)の脳裏に焼き付いていた。ほんの一目だけで目を逸らせたこと、それも土煙にけぶる戦場の向こう側だったのは幸運だった。それだけでも、今も(イース)はそのひかりをもう一度目にしたくてたまらない衝動を必死で抑えていたのだから。

 荒い息をつきながら、(イース)は言った。

「たぶん、<最輝星(クァーン)>のひとりだ。“美”の<天使(マラーク)>。見たらまずい」

 戦場は一変していた。

 曳航連邦軍も、そしておそらくホロフェルネス軍も、みな空へ立ち上る光に夢中になって、恍惚とした表情を浮かべている。まるで恋に狂った若者たちのように。それはきっと、あのスールに“同化”していたイフラアス将軍もそうなのだろう。

「神話級だ」

 その奇跡の気配が消え、兵士たちのなかに我に返るものが現れ始めるまで、(イース)はじっと地面だけを見つめていた。

 

 ◆◆◆

 

 ■港町

 

 一昼夜が明けた。

 今上のホロフェルネス王、アファン・ル=アファンの首は港町の広場に晒され、屈強な兵士たちのもとに監視されている。生き残ったホロフェルネスの人々は列を作り、順繰りにそれを眺め、慄いた。そうなることが曳航連邦軍の狙いだったからだ。

 

 丘の上のホロフェルネス軍の本陣は、不気味なほどきれいに残されていた。戦のあとも、汚れもなく、ただ王の座っていた椅子だけが血みどろに濡れていた。

「侍女に扮していたそうだ」

 (イース)は口の端で言った。

「あの王様はうちとの戦争にかなり神経が参ってたらしい。本陣の真ん中だっていうのに、踊り子だのの女を侍らせて酒盛りをしてたんだと。そこに紛れ込んで、王が泥酔したところで剣を奪い取って、そのまま……」

 (イース)は首を掻っ切る仕草をした。

「そうなればあとは、奇跡で制圧するだけだったんだろうな」

「<最輝星(クァーン)>か」

 (ドゥーエ)は言った。

「よく知ってるね、そんな話」

 (イース)は肩をすくめた。

「お前、連邦の最高戦力だぞ。そりゃあ気になるじゃないか。まぁ勿論、あんまり詳しい話は聞けなかったけど」

 

 ふたりがいるのは、本陣の端のところの天幕だった。

 特務兵は通常の指揮系統に属さない。それはつまり軍の中で浮いた連中だと言うことで、こういうときには都合がいいのだった。仕事を押し付けられずに済む。もっとも、正規軍は正規軍で自分たちの整然とした仕事場に特務兵がうろうろするのを嫌がるのだけれど。

「で、これはなんの集まりなの?」

 (ドゥーエ)は天幕の外を指さした。

 降伏したホロフェルネス軍が、武装を奪われて並ばされていた。虜囚の彼らは、規則正しい列を作って、本陣の中を埋め尽くしている。その外側には曳航連邦軍の重武装した兵士たちが銃口を構えていた。何人か力のある<人間イカリ>がいるのを感じたが、どこにいるかまでは(ドゥーエ)にもわからなかった。

「うまく聞き出しそびれた。兵士は配置につかなきゃいけないらしくて。でも、やりたいことはなんとなく分かるなあ」

 (イース)は唇を舐めた。

 

 (ドゥーエ)はそれに目をやり、そして硬直した。

 (イース)の右腕は包帯で巻かれて肩から吊られていた。だが、その右手はちょっと異常だった。

 変身がうまく解けていない。

 指先まで色が抜けたように白く変わっている。爪は指先と融合して鉤爪のようになりかけ、関節は装甲されたように盛り上がっている。

「それは」

 その眼差しに気づいたのだろう、(イース)は笑った。

「あぁ、これ。そうだよ、ちゃんと戻せなくなった。あのとき力込めすぎたな」

 (ドゥーエ)を遮って、(イース)は言った。

「謝るなよ?おい、その顔もやめろ、役目を果たしただけだ。別に腕が無くなったわけじゃない。見た目がちょっと変になっただけだよ。スペックはむしろ健康体以上なんだし、傷の治りだって早くなるし」

「君は能天使(エクスシア)系統だ」

 (ドゥーエ)は無感情に言った。

「わかってるだろ。僕の力天使(デュナミス)系統とは違う。それが進んだら君は……いつかヒトの形を失う。人間に戻れなくなる」

「考えすぎだ。仕方ないだろ、能天使は遅かれ早かれみんなじわじわこうなるんだから。俺だって、いつまでもまともな人間のままでいられるなんて思ってなかったよ」

 (イース)は肩をすくめた。

「それに結構気に入ってるんだ。見た目がかっこいいからさ。きっと女の子にはもてないけど」

 笑えなかったかな。そう言って(イース)はニヤニヤ笑い、(ドゥーエ)の背中をバンバン叩いた。

「始まるぞ」

 

 虜囚たちの前、壇上に幾人かの軍人が上がってくるのがそのとき見えた。

 どれも将校に違いない。下っ端の特務兵なんかとは口も聞かないレベルのお偉方だ。そのひとりは、遠目にだが、女だった。

「例の(ひと)だ。美の<天使(マラーク)>の契約者」

 (イース)はそう言って、そのまま口を開けた。

「うわ、まさかそんな――」

 その後ろに続いて上がってきた人間を、(イース)は知っていた。(ドゥーエ)だって知っていた。遠目に見たっきりでもわかる。なにせ、いつだって遠くでしかお目にかかれないのだから。

「直々のお出ましか」

 

 そこにいたのは、曳航連邦軍最高司令官、戦塵(セザン)総帥だった。

「<最輝星(クァーン)>筆頭、連邦最強の<人間イカリ>じゃないか。なんでこんな……」

「いや、むしろ当然だろ。あの人ならこういう場面には自分で出張る」

 (イース)は言った。ここから始まることがなんとなくわかっていたからだった。

 

 総帥の戦塵(セザン)はまるで力の塊のような男だった。

 もう若くはない。だが、その顔は老いてなお気品と危険性に満ち溢れている。身体ははち切れんばかりの長身で、手脚は大砲のようだった。ただ立っているだけで恐ろしい。

『《響け(ソナー)》』

 嵌めた指環に向かって、総帥は命じた。途端に、その声が膨れ上がった。呟き一つでさえ耳を吹き飛ばしそうな大音声へと増幅されている。 

 けれど、総帥はそれきり黙り込んだ。

 整列させられている虜囚たちの間に戸惑いのようなものが漂い始めた。その波が広がり、ざわめき、そして落ち着くのを見計らったように、総帥はやっと口を開いた。

『諸君――』

 雷鳴のような声だ。決して怒鳴っているわけではないのに、身体じゅうに響く。

 

『諸君らは、人間ではない』

 

 第一声はそれだった。

 ホロフェルネスびとの虜囚たちには、彼の話す壮麗なシャーン語は理解できないはずだ。だが、彼はそんなことお構い無しだった。

『今日この日までの諸君らは人間ではない。正しく生きていない。歩き、食べ、呼吸し、戦をしていたのは獣同然の生き物だ』

 慌てたように、近くにいたホロフェルネス人が何人か引っ立てられ、大声でそれを訳し始めた。シャーン語の知識があったのだろう。だが、その声は総帥の雄大な演説に比べるとどうも霞んでしまっていた。

『我々は決して無法な簒奪者ではない。理性ある人間だ。故に諸君らに示そう――』

 そこで、通訳師たちははっと顔を伏せた。

『――此度のこれが決して、卑怯な手段で勝ち得た戦果ではないことを』

 

 ひとりのホロフェルネス人が、そこに引き立てられてきた。(イース)にも一瞬でわかった。

 <人間イカリ>だ。力の気配を感じる。それも強い。縛られていなかったら、(イース)でも勝てるかどうかは分からない。そんな力の存在感がひしひしと伝わってくる。

『貴様たちの将、イフラアスとやらがここにいる』

 その奇跡は、薬で縛られていないのだ。

 だがその後ろには若い女と、まだ幼い少年が鎖で繋がれているのが暗がりに見て取れた。人質なのだろう。おそらくは妻子か。

『鎖を外せ』

 総帥の唸り声に従って、イフラアスの戒めが解かれる。その足元に、身の丈ほどもある大剣が放り投げられた。

『貴様の剣を返してやろう』

 総帥は言った。

『今から、お前にいい機会を与える。奇跡は使えるはずだ。武装も返した。全力を以てこの私を、戦塵(セザン)を殺してみせよ。それが叶うなら、ホロフェルネスよ、我々はここを去ろう。素早く消え失せようではないか』

「公開処刑をやる気だ」

 (イース)は唇を舐めた。

「ホロフェルネス軍の前で、将軍を一対一で叩き潰して敗残兵の心を折る気なんだ」

『どうした』

 総帥は悠々と近づき、剣を拾い上げ、壇上に突き立てた。

『取れ』

 イフラアスは戸惑いに眼差しを震わせながらも、大剣を取り、下段に構えた。その顕になった背中には、<天使(マラーク)>の紋章が刻まれている。

『言い忘れたが、私はここから動かない』

 総帥は付け加えた。

『避けもせん。貴様の初太刀を無防備に受けよう。さあ、打ち込んでくるがいい。奇跡でもよいぞ』

 イフラアスは心底困惑していた。だが、その目が妻子を見、ホロフェルネス軍を見、そして決意に固くなった。

 サーローク語でなにごとか叫びながら、忠実なるイフラアスは壇上を踏み抜く勢いで右脚を踏み込んだ。奇跡の気配が強くなった。背の紋章が光を放ち、大地が震える。

「あれが引き金か」

 足踏みを引き金(トリガー)にして、奇跡が発現する。

 イフラアスは喚くように力の名前を宣言し、重たげな大剣を総帥の太い首筋めがけて一直線に叩きつけた。

 周囲の大地から、奇跡を注がれた岩が槍となって突き出し、四本のそれが剣と同時に総帥の首を貫く。古代伝説級の<人間イカリ>だ。鋼鉄すら軽く吹き飛ばせそうな一撃だった。

 

『そんなものか、蛮人の将』

 

 だが、総帥は生身でそのすべてを受け止めていた。

 首筋から血の雫がたらりと落ちる。それで終わりだった。分厚い鋼鉄の剣、真っ黒なその刃は、彼の素肌をやや傷つけた程度で止まっていた。

『惰弱だな』

 そう言って、総帥は右腕を振り抜いた。

 次の瞬間、剣を引き戻して防御したイフラアスの屈強な上半身が、消え失せていた。

 肉が粉々に千切れ、骨が吹っ飛んでいる。鮮血の塊になったイフラアスの死体が崩れ落ち、数秒後、空から呆然とした顔をしているイフラアスの頭だけが落ちてきた。

 場は騒然となった。

 イフラアスの妻は甲高い声を上げて泣き叫び、夫の名前を呼びながら鎖を引きちぎろうとするかのように引っ張った。そばにいた幼い少年は嗚咽しながら母親に縋りつこうとしていた。兵士たちは狂乱しながら、逃げることもできずにどよめいていた。

 

 二度、銃声がした。

 イフラアスの妻子が力を失って棒切れみたいにばたりと倒れた。

 総帥は拳銃をしまい、頭を撃ち抜かれたふたりの死体を一瞥すると、静かに言った。

『捨てろ。床が汚れておる』

 場は静まり返っていた。

 総帥は首筋のかすり傷を撫で、わずかばかりの血を拭った。その何でもなさ気な仕草は、ホロフェルネス最強の<人間イカリ>でさえまったく彼の相手になっていないことの雄弁な証明だった。

(嘘だ。なんで生身であれっぽちの傷なのさ。奇跡?)

 (ドゥーエ)は声を殺してささやいた。

(能天使だ)

 (イース)は戦慄しながら言った。

(見かけが変わらないような濃度の、薄い変身を肉体に纏ってるんだ。でも、そんなの、変身濃度は生身とほとんど同じ筈なのに)

 <最輝星(クァーン)>の長は、つまり曳航連邦で最強の男だ。

(神話級、能天使(エクスシア)系統。圧縮術の極みってわけか。奇跡すら使わずに!)

 (イース)はわなわなと言った。同じ能天使系統だからこそ、その凄まじさがよくわかるのだ。

 総帥はしかし、それを誇ることもなく、当たり前のように続けた。

『さて諸君。ついに敗北した諸君らは、今後どうするかね。曳航連邦軍に忠誠を誓い、一兵卒として従おうというものは?挙手しろ』

 ホロフェルネス軍は次々に手を上げた。

 両手を上げているものも少なくなかった。彼等の顔はすべて、絶望と恐怖に満ち満ちていた。

『良かろう』

 総帥は応えるように、自分の右手を差し上げた。

 それはとろけるように歪み、本来あるべき指が足りなかった。生まれつきの奇形なのだ。だが総帥には、それを恥じたり隠したりするような動きは一切見られなかった。

『見たまえ。私は欠けた体を持って生まれた』

 総帥は誇り高く言った。

『人間の定義とは、なんだ?手足の数か?生まれた場所か?見目麗しいことか?』

 否。総帥はその場の人々を吹き飛ばそうとでもいうように叫んだ。

『否。断じて否だ。醜い奇形のこどもであろうと、どんなに卑しい生まれであろうと、高潔な精神を持っているのならそれは人間だ。人間性とは精神に宿るものなのだから。ゆえに諸君、ないし人間の価値とはただ生きているだけで漫然と手に入るものでもない』

 その全身から苛烈な存在感が放射されていた。高リソース保有者の持つプレッシャーが、その場の全員を圧倒している。

『諸君らは今、正しき人間としての一歩を踏み出した!』

 総帥は一人ひとりの目を見つめながら言った。

『正しき社会。高等な哲学。洗練された言語。我々は諸君らへ与えよう、曳航連邦のなんたるかを』

 色の薄い髪が逆立ち、パチパチと音を立てる。

 

『野蛮な旧習との訣別を果たし、真の人間たらんとする諸君らを私は誇りに思う!大シャーンに栄光あらんことを!』

 

 ――大シャーンに栄光あらんことを!

 ――大シャーンに栄光あらんことを!

 その宣言を、思わず皆が繰り返していた。曳航連邦軍の軍人たちには感極まって涙を流しているものさえいる。高らかに繰り返されるそれは、大きく膨らみながら青空まで広がっていった。(イース)(ドゥーエ)を圧倒し、戦慄させながら。

 

 ◆◆◆

 

 ■曳航連邦軍 旗艦メルキゼデク

 

 巨大な旗艦内の一室には<最輝星(クァーン)>の紋章が刻まれた議場がある。青と白の清潔な色合いに銀色のはがねがあしらわれた室内は、品のいい壮麗さだ。

 総帥、戦塵(セザン)はその一席に腰掛け、向かいに座る女に鋭い眼差しを向けていた。

 

 虜囚だったホロフェルネス人たちのうち曳航連邦軍へと恭順したものは船に載せられ、<大海流>を超えて西へと送られることになった。

 曳航連邦は立ち去ろうとしていたのだ。ほとんどは東へ、とうとう東海域の奥深くへと旅立つ準備をし、少数は西へ帰還していく。ホロフェルネスに残されたのは深い傷だけだ。 

 

「既に積み込みは終わったようね」

 女は粘りつきそうな口調で言った。

 美の<天使>の契約者だった。思わず見惚れてしまいそうなほどの美貌は、けれどどこか不健全だった。奇跡で無理やりに魅了している美しさだからそう感じるのかもしれない。あいにく、総帥にはその奇跡の効き目もない。

「これからは鉄の航路(ロ・トト)を遡るのでしょう?これで、ますます西海域からは遠ざかってしまうわね」

「帰還したくばするがよい」

 総帥は言った。

 すでに若くはない彼の面立ちは、燃え盛る炎というよりはすでに弱った熾火の炭に似ている。静かな見かけの内側に、危険なエネルギーを感じさせる熱がある。それを吐き出すように、総帥は息の多い口調で言った。

「誰も止めはせぬ。戦力は十分足りている。この先、サダルメリクでも艦隊と合流する予定だ」

「あら、それも久しぶりね。同じ<最輝星(クァーン)>連中の顔くらい見てから帰ろうかしら。あの生意気な僕ちゃんに、仮面の彼もいるのでしょうね。それで――」

 女は真剣味を増して尋ねた。

()()()()は見つかったの?」

「ここにはなかった。記録さえもな。やはり東の奥深くへ分け入らねば難しいのやもしれぬ。かの緋々色(サーローク)帝国にとって、ここはまだ辺境の属領に過ぎなかったはずだ」

 ホロフェルネスはまだ大海流に近い。総帥は言った。

 このあたりは東と西を挟んで、人類が数多の支配を争ってきた場所だ。だが、さらに奥深くへと進めばいよいよ本当の異邦人の国へとたどり着く。

 そこにどんな都市があり、どのような国があるのか。夜空にどのような星座が輝くのか。曳航連邦はその名前すら知らないのだ。

「<黙示録(アポカリプス)>……それに、あの“不死(オリジナル)”も東から来たと年代記にあるわ。東の果てにはなにがあるのかしらね」

「“不死”か」

 総帥は鼻を鳴らした。

 女は呟いた。

「不老不死の奇跡。いったいどんな<天使(マラーク)>と契約すればそんな力が手に入るのか考えものだわ。“生命”?それとも、“死”?」

 その言葉を面白がるように、総帥は眉を上げた。

「どちらにせよ相当の高位よ。他ならぬそれが、我らの探しているものである可能性はないの?」

「その方向なら、あれは我々の役には立たぬ」

 総帥は言った。 

「考えてみるがよい。どのような<天使>であっても、不老不死などあり得るはずがない……それは奇跡の限界を超えているのだから。一度や二度ならまだしも、何百年という時間を生き続け、再生を繰り返すなど、リソースが足りぬ……そのような<人間イカリ>が存在できるはずがない。あり得ない」

「現にいるじゃないの。あなた、なにが言いたいの?」

「言うべきことはすでに言い終えた。それ以上のものはない」

 総帥のその口ぶりに、女は顔をしかめた。

「常の秘密主義ね。私には教えられないというわけかしら。<最輝星(クァーン)>のひとりであるこの私にも?」

 その不快感が空気を張り詰めさせた。

「……このホロフェルネスも、私の奇跡があったからこそこうも容易く落とせたというのに。忘れないことね。いつまでもあなたの仕事に手を貸すと思ったら大間違いよ」

「好きにするがよい。だが、単身の帰路は難しいだろうな」

 総帥はそこで初めてちょっと笑った。微笑んだつもりなのだろうが、獰猛な獣が獲物を前にしているようにしか見えない。

「まもなく、ホロフェルネスは消滅するのだから」

「ちょっと、それはどういう意味かしら」

 女は言った。

「変だと思っていたのよ。戦後処理がおざなりに過ぎるもの。あなた、ここで何をする気?」

 

■■■■■■(ザ・フォールン)

 

 端的な総帥の言葉に、女は絶句した。

「まさか。そんな不遜なことを。本気だったの?」

「あぁ、聖性を引きずり下ろす。計画は進められなくてはならぬ、特に西での出来事を考えればな。“最も新しき神話級の契約者が曳航連邦を滅ぼす”。簒奪者は特務兵が追っているはずだが、拿捕の知らせは聞かぬ」

「予言は絶対よ。必ず起こる。曳航連邦は終わりね。覆した例はないわ」

「あぁ、だからこそ計画を進めねばならぬのだ。ここで滅びの予言が現れたことはむしろ運命かもしれん。因果律を超越しない限り我々に未来はない。はじまりと終わりは常に同じところから流れ出ずる」

「どうせ詳しく教えてはくれないのでしょうねえ。いいわよ。好きにすればいいわ。それで、ホロフェルネスはどうなるの?」

 総帥は笑みを消した。

 その目が見えないものをとらえ、分厚い船の装甲越しの外をうかがうように動く。

「ちょうど、始まったようだ」

 

 ◆

 

 特務兵の(イース)(ドゥーエ)は、慌てて甲板に走り出た。

 巨大な旗艦の上には海のしぶきも届かない。それでも毒を恐れて、そこにいる人間はわずかだった。

 あとにしたばかりのホロフェルネスが右舷に見えている。そこで異様なことが起こっているのがはっきりと分かった。

 

 都市の中心で、(タワー)が黒い煙を噴き上げていた。決して壊れないはずの都市船が、ぎしぎしと軋みながら崩壊していく。

 その根本から真っ白な光が立ち上り、炸裂した。

 大地が消し飛んでいた。都市をひっくり返すように、光の爆発があらゆるところから噴き出している。その光が海に触れたとたん、青みがかった蒸気がしゅうしゅうと荒立った。

「何だよあれは。なにが始まったんだ?」

 (イース)は血相を変えて怒鳴った。

 オオオオ……という唸りとともに、海の上を越えて、爆風が船の右舷へと到達した。猛毒の海水が噴き上げられて横殴りの雨みたいに飛んでくる。(ドゥーエ)は息を吸い込むと、船の装甲に艤腕の掌をつけて囁いた。

「《錬成(タアシヤー)》!」

 それが歪み、持ち上がって壁を作った。防壁の陰に引っ込みながら、やっぱりちゃんと防護服を着てくるべきだった、と(イース)は歯噛みした。飛び散った海水の雫が揮発して、甘い香りになって消えていく。頭や腹に当たったらひどいことになる。

「ここでの戦争は終わったはずだろ」

 (イース)はつぶやいた。

「何をしたんだ、いったい」

「さあ。分からないよ、(イース)

 (ドゥーエ)は奇跡で作り出した防壁からおそるおそる顔を出して言った。

「あんなのは、いままで見たことがない……!」

 

 いまやホロフェルネスは、真っ白な塩の大地に変わっていたのだ。

 

 まだ残っていたはずのわずかな人々や、街並みや、港までが残らず真っ平らに吹き飛ばされたあとには、塩の結晶がとげとげしく広がっていた。わずかに桃色がかったそれは、まるで大輪の花びらみたいに何重にもなった輪を描いて広がっている。

「物質への干渉?」

 (イース)は眼を強化してそれを睨みつけた。

「ただの爆発じゃない。あれは……なにかの奇跡じゃなきゃこうはならないぞ」

 塩の爆心地には、まだ光の残滓が輝いていた。

 大気中に叫びのような音がこだましていた。金切り声のような、鳥の鳴き声のような、なんともいえない不思議な音だ。

「ホロフェルネスに残存勢力なんかいなかったはずだ」

 (イース)は言った。

「奇跡だろうが新兵器だろうが、なんだろうとこれ以上攻撃する意味なんてない。なんなんだ?何をしたんだ?」

「大佐なら知ってるかな」

「さあな。知らないと思うぜ、こんなのは」

 もし知っている人間がいるとしたら―― 

 <最輝星(クァーン)>筆頭の総帥がこの戦場にいたことは、関係があるのだろうか。(イース)はそこまで考えて、首を振った。鼻を突っ込まないほうがいいことというのはあるものだ。

 余計なことを考えずに、誰かの頭に乗っかって生きてきたからこそ、(イース)(ドゥーエ)はこの歳まで無事で居られたのだから。

 

 そしてなお厄介なことに、(イース)が思っていたとおり、事態はおおむね総帥の差し金といっていいものだった。

「さて諸賢」

 総帥は抑えきれぬ高笑いを噛み殺しながら尋ねた。船室のなかには外の騒ぎなどまったく届いていない。

「どうだ、首尾のほどは」

「問題はございませぬ」

 壁際にずらりと並んだ機学博士(シェジウ・ダ)たちが一斉に答えた。みな顔を隠すように布をかぶり、真っ白な衣を纏っている。

 端にいた博士(ダー)が代表して続けた。

「必要なのは只管に観測数値にございますゆえ。あと数回の試験を行えば実用化に進めるでしょう。……安定させるためにはどうしても臨界状態のデータが入り用なのです。その際に高密度のリソースが都市クラスの破局を引き起こすことも避けられぬ事象です」

 言い訳をするように、彼は付け加えた。総帥は大して気にもとめず鷹揚に息を吐いた。

「構わぬ。軍令院(ケースメイト)建設院(シュラウド)には話を通してある、なにより元は元老院(キール)からの仰せだ。東の都市などいくら破滅しようと問題ない。もとより簡単なことだとは思っておらぬ」

 総帥はいかめしく続けた。

■■■■■■(ザ・フォールン)。天上の聖性を我ら人界に引きずり降ろそうというのだ。犠牲はつきものだろう。だが、これは崇高なる犠牲だ。東の蛮族共もいずれは我らに感謝するだろうよ」

 総帥は筋骨隆々の身体を揺らして笑った。

「さて、ここでの用は済んだ。東へ向かおうぞ。()()()の艦隊と合流する」

「無事だと良いけれどねえ」

 女が壁際に腰掛けながら気の無いふうで言った。総帥は冷徹に微笑んだ。

「無意味な問だ。<最輝星(クァーン)>に敗北者は必要ない。そして、あ奴らならばその心配もいるまい。なんとなればこの私よりも、力の位階は()()のだから……」

 神話級、能天使系統の契約者は、そう言って静かに息を吐いた。

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 ■東海域 “鉄の航路(ロ・トト)” サダルメリク近海

 

 悪しき曳航連邦軍を討て。

 

 その報せは風のように東の諸国を駆け巡っていた。東海域の平和を守るべく、王も貴族も下民もみな、船を駆り出し、武器を手に取っていた。にわか仕立ての軍船もどきでも、ないよりはましというもの。

 殆どが軽装の商船だったが、なかには分厚い装甲を身にまとった漁船も混じっている。どれもみな弩や衝角(ラム)を取り付け、貧相なからだをどうにか軍船に見せかけていた。

 

 来たぞ(ジャ・ウー)、と誰かが叫んだ。

 たなびくかすみ雲を割って、連邦の艦隊が顔を出した。

 石と金属で装甲され、ぎらぎらと輝く大きな船は、その威容だけで東の民をおどしている。

 軍船の舳先に待ち構えていた戦士長は、しかし、にやりと笑みを浮かべた。その数が、東の船団よりも少いことがはっきりと分かったからだ。

 船の数で上回っているのなら海戦で後れを取ることはない。そして、<天使>戦ならばまだ勝ちの目がある。<天使(マラーク)>の頭数はどこの軍でも大して変わりはしない。あとは<人間イカリ>次第だ。

 怖じけるな、と彼は下知を飛ばした。それははためく赤い旗に変わって全軍を鼓舞した。殲滅の合図だった。足の速い小舟が突撃をかけ、弩が鋭く連邦軍を睨む。

 

 そのとき、あっ、と誰かが空を見上げて叫んだ。

 

 薄雲を蹴散らして、天からいくつもの影が姿を現したのだ。

 それは横に引き伸ばされたような翼を持っていた。鳥だ、と人々が口々に言った。連邦軍の鉄の鳥だ。

 

 何隻ものカルラ級飛空艦は、環を描き、東の艦隊の上をぐるぐると旋回した。その懐で、ぎらりと強いリソースの気配がした。

 

「うわァ、何あれ。原始的な船ばっかじゃん。ありものの寄せ集めって感じだし、あんなのが敵なの?」

 

 はるか上空、飛空艦のタラップにいたのは、小柄な少年だった。

 肩まで伸ばした茶色の髪を幾つかの束にまとめ、大粒の翡翠をあしらった紐で括っている。少女と見紛うほどの愛らしさだったが、そのまなざしは陰険で残忍そうだった。少年は自分の膝を抱え、前後に揺れながら言った。

「つまんなぁい。やる気出ないし、とっとと終わらせちゃおうよ」

『侮りは自らの足を掬うぞ、向日葵(カジカ)

 傍らに立っていた男が、くぐもった声で少年を諌めた。

 動きやすい白の断衣(シャイル)を纏った簡潔な服装だが、目を引くのはその顔面だった。黒い鋼鉄を組み合わせた仮面が張り付いているのだから。上に羽織っている真っ黒な絶縁套(ゼファー)と相まって、ぬばたまのような感じを与えている。

 色のない男は仮面の内側で言った。

『彼らは彼らの尊厳と生命のためにあそこに立っている。それに強弱も貴賤もない。勝敗にかかわらず、戦人(いくさびと)の誇りは尊ばれるべきだ』

「見解の相違って感じ」

 少年――向日葵(カジカ)はぞっとするほど暗い目つきで男を見返した。

「まあ前言は撤回してあげるよ。雑魚ちゃんたちを蹴散らすのは愉しいからね。つまんないってことはないんじゃない?」

『見解の相違だな』

 男――“字伏(あざふせ)”と呼ばれていた――は掠れ声で首を振った。向日葵(カジカ)はゆらりと立ち上がると、眼下の海を見おろした。

「じゃ、僕がお先ね。あとからゆっくりくればぁ?君の好きな互角の勝負ってやつができるかどうか知らないけど。僕だけで全員消し飛ばしちゃうからさあ」

 向日葵(カジカ)はそう言うと、まるで家に帰るような気安さで、高度100ヴルはありそうな空から海へ向かって飛び降りた。

 

 風が唸る。

 栗色の髪がはためいている。飾り気のない青銅の腕輪が嵌った右手を差し出して、落ちていく向日葵(カジカ)は呟いた。

「《殺せ(エクスアミナー)》」

 その腕輪――【聖輪ルトゥム】が瞬くように発光した。その蒼白い光が向日葵(カジカ)を包み込むやいなや、沼地に足を突っ込んだみたいに彼はどんどんと速度を失っていった。

 軍船の真ん中で、とうとう向日葵(カジカ)は宙で静止した。ふうっと光が失せて、静かに着地する。

「さて」

 鮮やかに勢いを殺してみせた向日葵(カジカ)は、未だに呆然としている敵軍を見渡した。そこは数少ない本物の軍船だったのだ。 

 

 だが、東の戦士たちは目の前にいるのが何なのかまだ諮りあぐねていた。無理もない。いきなり現れたのだから。

「その鈍さときたら。ほんとに駄目じゃん。あんたたちさ、そんなんじゃこの僕に勝つなんて夢のまた夢だよ」

 気だるい口調で、向日葵(カジカ)は指環の嵌った指を差し上げた。目の前にいた女がそれに驚いて後ずさった。

 今さらだ。

「《飾れ(ディスティングエ)》」

 指環が赤く輝いたと思った次の瞬間、女は火達磨になっていた。

 身体中を焦がされて喚きながらのたうち回る女に、慌ててあたりのものがボロ切れを打ち付けた。

 黒焦げになった彼女を確かめるまでもなく、戦士たちは敵意をむき出しにしていきり立った。サーローク語の怒号が飛び交った。

 その恐ろしげな声に、向日葵(カジカ)は身を揺すって笑った。

「目ェ覚めた?なら、始めよっか。なんていうんだっけ……多勢に無勢ってやつをさ」

 戦士たちが槍や、斧や、弩を構えた。黒い石でできたそれらが向日葵(カジカ)のニヤけ面めがけて放たれる。少年は右腕を持ち上げた。

「一応言っとくけどそっちが無勢だからね」

 その手の中に鉄のような黒い金属が生まれ、一振りの剣になった。小柄な向日葵(カジカ)に似合いの、丈を詰めたような刃渡りだ。何もない所からそんなものを生み出すだなんて、まさに奇跡だ。

 四方八方から放たれた刃が、向日葵(カジカ)の身体に迫る。

 だが、少年はその手の剣を振るうこともなく、自然に立っていた。

 ただ、まばたき一つをしただけで。

 

「《革命(シィヴヴ)》」

 

 ただそれだけのことで、矢も、肉厚の刃も、ぎらぎらと光る槍の穂先も、彼には届かなかったのだ。

 それはおかしい。戦士たちは自分の目が信じられなかった。

 敵の少年までの間合いはせいぜいが二歩だ。戦斧が当たらないはずはない。槍が届かないはずはない。それなのに届いていない。まるで向日葵(カジカ)の周りで、目に見える距離が狂ってしまっているみたいだ。

 絞り出すように、向日葵(カジカ)は囁いた。

「常識はひっくり返る。あんたたちの矮小な常識がね……たとえば、こんなふうにさあ!」

 向日葵(カジカ)が剣を振り上げる。

 小振りなはずのそれは、持ち上げられた瞬間に膨れ上がった。

 右下から左上へさっと振り抜かれるだけの間に、小枝くらいの大きさしかなかったそれが小舟ほどの大きさになったのだ。切っ先も、黒い刃も、目の錯覚みたいに。

 船べりが砕け散り、帆柱が断ち切られて倒れた。人間の身体も簡単にぐちゃぐちゃにされて吹き飛んでいく。まるで鋼鉄製の竜巻みたいだった。伸びたり縮んだり、膨らんだりを繰り返す大剣がぐるぐると回り続けているのだから。

「弱い、弱い、弱いんだよ!そんなだから僕に勝てないんじゃないか!もっと本気を出せよ!せめて死の間際くらい、奇跡でも起こしてみせろったら!」

 軍艦を斬り裂きながら向日葵(カジカ)がそういった瞬間、あたりでリソースの気配が動いた。

 少年は巨大な剣をしゅるしゅると縮め、針ほどにして手の中に収めた。真っ二つにされかけた船が崩れて沈んでいく。

 その周りを、何体もの<天使(マラーク)>が取り囲んでいた。

「少しはマシなのが来たな」

 普通ならひしひしと伝わってくる敵意だけで吐きそうなほどだ。けれど、向日葵(カジカ)は挑発的に笑った。

「“同化”して暴れまわるだけが取り柄の蛮族ども。いいよ、相手してあげるよ」

 <天使(マラーク)>たちに向かってそう挑発すると、向日葵(カジカ)は天を指差して叫んだ。

 

「来いよ。【革命奇跡 シィヴヴ】!」

 

 

 “字伏(あざふせ)”は飛空艦の舳先に立って、ずらりと並んだ艦隊を見おろした。向日葵(カジカ)は強いが、敵を弄ぶきらいがある。

 敵兵は拿捕するか、そうでなければ皆殺しにせよというのが曳航連邦の規則だった。海に落とすことなく速やかに奇跡で殲滅するべきなのだ。なぜならば、必要なことだからだ。

 死を楽しむべきじゃない。生まれ、愛され、必死に生きている彼らがまだ死にたくないと思いながら事切れていく、一体それのなにが面白いというんだ?

 “字伏(あざふせ)”は巨大な戦鎚を持ち上げ、鯨革の真っ黒な手袋の指を二本立て、剣を意味する掌印(キログラム)をつくった。

 バチッ、と小さな雷がその手の中で鳴った。

 

『来たれ。【雷霆奇跡 バーラーク】』

 

 天に二つの大穴が開く。

 東の軍勢はみな、曳航連邦がじりじりと後退していくのに気づいた。空を舞う鉄の鳥でさえ雲の向こうに消えていく。味方すら危ぶむほどの凄まじいものがこれから降臨するのだと、皆が理解した。

 

 東の艦隊を率いていた船ノ将(ラス・ラ)は、角張った水晶を掲げてそれ越しに空を見た。

 青よりも深い青。

 聖なる青よりも濃い、暗く鮮やかな藍色(インディゴ)のひかりがまばゆく輝いていた。それの意味するところを悟って、彼は小さく呟いた。

 

『<(スペリオ)――』

 

 そして次の瞬間、彼の身体は焼き尽くされて消えた。 

 

 To be continued…

 

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