■曳航連邦・南端都市イザール
アゲハは眼の前の男を胡乱げに見つめた。
「一筋縄では行かなさそうだな」
眼の前の少年、歳の頃は15、6だろうか、その眼が虐げられた痩せ犬のように激しく自分を睨んでいる。
「だが、手足は動くまい」
そう言われて、アゲハは自らの四肢に目を落とした。
手首、足首、そして手足の関節は、黒く長い大螺子に貫かれて繋がれていた。思わず力を込めてみたが、その部分は氷漬けになったように指一本とて動かせない。自由になるのは頭と口を動かすことくらいなものだ。
アゲハの驚きを制するように、大佐は言った。
「それは私の……部下が、奇跡で具現化したものだ。本当に肉を貫いているわけではないから安心するといい。尤も、それが付いている限り君の肉体は動くことを“禁じ”られているがね」
「あんたは、軍の偉い人なの?」
「立場を弁えたまえ。質問はこちらがするのだよ」
大佐は座椅子に深く腰掛け直すと、手元のファイルをパラパラと弄んだ。
「そう、先に立場を明確にしておこうか。名前は?」
「……アゲハ」
大佐は興味深げに眉を上げたが、それについてはなにも言わなかった。代わりに、彼はアゲハの戒められた左手を差した。
「君は我が軍が秘匿していた神話級<
大佐は言った。
「本日午後12:35、契約直後の君は“
アゲハは曖昧に頷き、左の掌をちらりと見た。
記憶には霞がかかったようで上手く思い出せなかったが、それでもあの熱は身体が憶えていた。そうだ、自分はあれと契約したのだ。契約したとき、どうなったのだったか……
「<人間イカリ>……おれが……」
「言っておくがね、あれは連邦の最高機密だった」
大佐は叩きつけるような物言いで、アゲハの物思いを妨げた。
「神話級は通常の<
「それがあんたらのやり方ってわけ?」
アゲハは唸った。
「おれは何もしてない。罪人なんかじゃない!何が悪いっていうんだ、<
「確かに、契約者は<
大佐は言った。
「これは鉄則だ。例外はない。卑しくもヒトの技では<天使>の契約を云々することなどできない。だがそれでも、君は機密に触れてしまった。立派な重罪人だ。死刑か、或いは有機循環炉への投身刑だろう」
アゲハはぞっとした心の内を隠そうとするかのように、ただ黙って眼の前の軍人を睨みつけた。
「そう、ことはここまで大きくなってしまった。我々としてもね、うちの者から契約者が出てくれればこれに越したことはなかったのだ。地下にあれば契約は為されないと踏んで。けれど君はその距離を飛び越えて“選ばれて”しまった。不幸な巡り合せだ」
大佐は言葉を切った。
「だが、助かる道がないでもない。一つだけだがな」
そう言って、大佐はアゲハを真っ直ぐ指さした。
「君、連邦軍に忠誠を誓いたまえ」
アゲハは呆然と口を開けた。大佐は深く息を吐いた。
「それしか道はないだろう。さっき言ったはずだ、連邦は<天使>を欲しがっていると。せっかく現れたんだ、貴重な契約者をむざむざ失うよりは、首輪をつけて管理しておきたい」
アゲハはなにか言おうとしたが、大佐はそれを遮って続けた。
「君に拒否権はないぞ。死刑になんかならないなどと思っているなら、それは甘い考えだ。連邦は己の利益のためにしか動かない」
大佐は冷たく言った。
「東の戦争が長く続いていることは君も知っていようが。連邦は東部戦線を攻略するためならなんでも喜んで欲しいのだし、少しでも障害になるのなら容赦なく消す。これを踏まえて再び言おう、私の部下になりたまえ」
アゲハは押し黙っていた。その褐色の目には、敵意が燃えていた。
「……いやだ」
「拒否権はないと言ったはずだ」
「いやだ!」
アゲハは吠えた。
「うんざりだ!戦争、戦争、戦争!東に行って、おれに人を殺せっていうのか?顔も知らない、名前も知らない、憎くも嫌いでもない人たちを、他人の都合で命令されて殺せっていうのかよ!そんなのお断りだ、おれは誰かに道具みたいに利用されるなんていやだ!」
「ではどうする?今ここで処刑されたいか?」
大佐は懐から拳銃を抜くと、その銃口をアゲハの額に向けた。
「生憎だが神話級の奇跡は使えないぞ。奇跡操作を封じる薬が効いているし、オセルの禁止で雁字搦めに封ぜられているんだからな。いくら<人間イカリ>と言っても、肉体は常人と同じだ。頭を吹き飛ばされれば簡単に死ぬ」
アゲハは見るからに怯えながら、それでも必死に大佐を睨みつけた。彼に出来ることはそれだけだったからだ。
「……そうか」
やがて、大佐は銃口を下ろした。
「君がそうまで頑なになるのは、旧アシタの人間だからか?」
大佐は尋ねた。どこか疲れた表情を滲ませながら。
「そうだろう?君の
「……だったら?」
「いや。7年前のあれは……あれは、酷い戦争だった」
大佐は遠い思い出を見つめる目をしながら呟いた。
「君の故郷を滅ぼしたのは、他ならぬ曳航連邦だ。祖国に忠誠心を持っているがために、曳航連邦を恨んでいるために降らないのなら……」
「勘違いするな!」
アゲハは思わず口走っていた。
「連邦に恨みがあるんじゃない……軍隊に入るなんて願い下げだって言ってるんだ。いつだって、高いところから偉そうにものを押し付けてきて、勝手に罪だとかなんとか決めつけて!さっさとこれを、外せ!」
「それは出来ない相談ですね」
そのとき後ろの扉が開いて、コツコツと足音が近づいてきた。
片手に手帳を持った
「蛮人が……いくらあがこうと無駄なことです。君はいと高き曳航連邦の持ちものをあろうことか盗んで使ったのだ、この恥知らずが!誰の治める土地に足をつけているか、少しは考えたらどうですか!」
アゲハは首を回した。一目みて理解した。こいつは嫌いだ。軍人の中でも特にお高く止まっている。
「さぁ?ここってあんたの部屋なの?」
「家無しの
「それを誰がやったと思って……」
アゲハの言葉など気にも留めず、中佐は話し続けた。
「連邦に楯突いたのが愚かだったんでしょうねぇ。まぁ、所詮は蛮族の国、浅知恵で身の程を履き違えても責められはしませんよ。同じ野蛮人の親の顔でも思い出しながら、大人しく刑死していればいい!」
中佐は嘲笑うと、アゲハの顔に銃口を向け、戯れるように左右に振った。
そして、アゲハを縛っていた螺子の一本が弾け飛んだ。
それは壁際に転がり、途中で光の塵に変わって消えた。他の螺子も悲鳴のように軋み、アゲハの掌の紋章が光を放ちながら震え始める。アゲハは身体の力を振りしぼり、喚きながら身を捩っていた。
「中佐!」
「味な真似を……」
叫ぶ大佐に一瞥をくれながら、中佐は手帳のページを破り取り、指に挟んでアゲハの額へと投げつけた。
「我が禁止に敵うものか!《
紙片は額に張り付くと、くるりと捻れて大きな螺子へと変わり、アゲハの頭部を前後に貫いた。
途端に、アゲハの身体が弛緩した。頭を垂れ、叫びが途絶える。紋章はそれでも薄っすらと輝いていたが、やがて戸惑うように明滅して、光を失った。
大佐は中佐を睨みつけた。
「貴様!」
「意識を禁じただけですよ」
中佐は首を振った。
「先日申し上げたでしょう……螺子一本じゃ殺せないと」
「……気絶したのか?眠らせたのか?」
「まさか。精神そのものはオセルの奇跡の範囲外ですから。肉体とそれを動かす意識を遮断しただけです。今頃、感覚も何も無い暗闇に閉じ込められて悔やんでいることでしょうね」
大佐は渋面を崩さずに、アゲハをちらりと見た。
「まさか、薬を打ってなお奇跡を暴発させるとは」
「ですが、これではっきりしましたね。
中佐は笑顔でそう述べたが、大佐は唇を引き結んだまま黙っていた。
「大佐どの?」
「いや……彼はこのまま拘束する。さしあたって最高警備の監房に入れておけ。【混乱薬】を追加投与するのを忘れるな」
「……本気ですか」
答えはなく、大佐はコートを翻して出ていった。中佐は昏倒した<人間イカリ>をちらりと見、溜息をついた。
◆
あの少年はやはり容易くなかったな、と
(あの眼……あの苛烈な眼光。幼さか、それとも大器の兆しか)
それに、本国から送られてきたあの若い士官のこともある。
(奴もまた違った意味で容易くない。どう手綱を取ったものか……いくらエリートといえど、ああもきかん坊ではな)
あの一瞬、中佐は少年を確かに殺すつもりだった。
ああも煽り立てれば埋み火が燃え上がるのも当然だ。長年かけて連邦が併呑した国々の民は、たとえ正規市民であっても心の何処かに固く捻くれた恨みを抱えている。市民権を持たない非正規市民ならばなおのことだろう。
連邦に恨みがあるんじゃない!
ふと、あの叫びが脳裏に蘇った。
(少しばかり妙だな。7年前のアシタ戦役は間違いなく史上最悪の戦だった。わざわざ恨んでいないだなどと吠えるのはどういう心情だ?)
大佐は考え込み、そして頭を振った。そのあたり、懐柔の手がかりになるかもしれない。
大佐は通信機を持ち上げ、そのすぐ下の鍵盤で通信番号を手早く入力すると、開口一番尋ねた。
「調査結果は?」
『おお、これはこれは閣下、ご連絡をお待ちしておりました』
有線の向こうで、あの
『賢明なる大佐閣下におかれましては音声のみのご報告となりますこと誠にご容赦の程を……』
「口上はいい。あの神話級の奇跡はどのようなものだった?」
大佐はきっぱりと言った。老人は口ごもり、続けた。
『そこですな。現場の写真はご覧になりましたか?』
「あぁ。敵の<天使>さえ、街並みもろとも崩壊させられていた」
大佐は写真を取り出し、その粗い画像を眺めた。
薔薇の花弁のように、ハルヴァヤーを中心とした崩壊の波は同心円状に傷跡を残している。灰化させられた都市構造体がその輪郭を失いながら、地上のクレーターに流れ落ちては積もっていた。
「
『ええ、掃除の手間が省けまして。これを期にこの旧市街区画を農地プラントに転用したいと、先だっても……』
「……現地担当者に回しておけ。それで、あの灰化は何だ?」
『ひとくちに申し上げることはできませんが、まぁ……概念としての“崩壊”と言うべきでしょうかな』
老人は述べた。
『切削面が同じなのですよ。土も、石も、金属も、有機物も、どれも同じように崩壊させられている。物性による破壊なら、材質によって違いが出るはずですがそれがない。硬かろうが柔かろうが、掠めただけで等しく崩れ、灰化させられて……』
「流石は神話級というべきか。<天使>の肉体さえ崩壊させたのだろう?」
『ええ、<
「その“敵”は?」
『自死を。骨は回収できました。東方の民が使う溶解毒でございます。やはり東からの……』
老人は言葉を切って、気遣わしげに尋ねた。
『それで、簒奪者の懐柔の目処は立ちそうですかな?』
「さてな。最悪の場合は頭を壊す。精神干渉系の奇跡にも当てがないではない」
大佐はため息交じりに言った。出来るなら、まともな人格を残したまま戦力にしたいのだ。
「口先だけでも受け入れるのなら、まだ穏便な
◆◆◆
■同日
日は暮れようとしていた。
水平線は濃い橙に染め上げられ、そこから真紅の夕暮れが空へと伸びている。星が瞬き始め、丸く白い月光が昇ろうとしていた。
鉄製の回廊はだから、既に闇に沈んでいた。
灯りの途絶えた真っ黒な屋内では、人の足音さえ闇が吸い込んでしまう。ここは地上より高い場所だと言うのに、まるで都市船の地下層のようだ。
中佐は珍しく軍帽を被って、静かに歩いていた。
暗闇は問題にならなかった。暗所での戦闘訓練なら腐る程受けている。見知った廊下をただゆっくり歩くだけなら難しくなどない。
奇跡の使いすぎでどこか気怠いような感覚が、身体ではなく精神の奥から滲み出してきていた。それも、別に構わなかった。今夜は、もう奇跡を使うつもりはないから。
中佐は腰に提げた拳銃を確かめ、その真っ白な樹脂製の角に指を滑らせた。心地よい重さが手に伝わった。
「灯りを忘れているぞ」
そして、突然カンテラの電燈がその目を刺した。
中佐は一瞬目を細めて、すぐにそこに立っていた人間のシルエットを睨んだ。立ち姿にも服装にも特に敵意は見受けられない。
「これはこれは、大佐殿」
中佐はわざとらしく肩を竦めた。
「こんな時間にどうしてここへ?」
「その言葉、そっくりそのまま返そう。なんのつもりだ?」
「連邦軍大佐、
「その権限があなたにないということは既に述べたはずですが」
中佐は至極丁寧に言った。
「僕はあなたの部下ではない。行動を報告する義務もない」
「本任務の関係で行動する限り、現場では私の指示を尊重してもらう。あの簒奪者を暗殺するつもりだったな?」
大佐は無表情だった。理解できないものを見る、冷たい顔だった。
「何故だ?確かにやつは機密に触れたが、それでも神話級の貴重な
「ですから、既に申し上げましたよ。あなたにその権限はないと」
中佐は左手甲に触れた。大佐が少しだけ目を見開いた。
「あなたは所詮、非契約者の常人だ。単なる一現場指揮官に過ぎない。ですから、そういうことです」
大佐は不服そうに中佐を見ていた。
「……
「往生際が悪いですよ。とにかく奴は危険すぎる。どのみち、亡国の野蛮人が連邦に真の意味で忠誠を誓いなどするはずもない。今なら【混乱薬】も効いている。処分させて頂きます」
中佐は大佐の横を通り抜けた。大佐は苦々しげに、しかしそれを止めることはなく、後よりついて行こうとした。
そして、二人は足を止めた。
「……リソースが動いている」
中佐は呟いた。次の瞬間、二人は脱兎のごとく走り出していた。
◆
■第一級特殊秘匿監房A10
アゲハはぼんやりと力が入らない手足を眺めていた。
あの若い軍人のように生身でも奇跡を使ってみようとしたが、それも奇妙な脱力感と共に終わった。“同化”していたときの感覚は憶えている。全身に熱が溢れるような、心臓が炎に変わったようなあの、危険で甘美な感覚は。
けれど、それは人から聞いた噂話みたいに遠く、現実感のない記憶になっていた。ハルヴァヤーの存在も感じなくなってしまった。
(なにか飲まされたのか……)
思考も鈍い。眠くないのに眠い。既に身体を拘束するあの“螺子”は無くなっていた。必要がないからだ、とアゲハは思った。こんな状態で逃げたりなんかできやしない。
ふと、牢の戸が開いた。
鉄格子の向こう側で、金属の擦れる耳障りな音がして、防護扉がずれていく。アゲハはどうにかそっちに視線だけを向けた。
そこでは、ひとりの軍人がアゲハに銃口を向けていた。
軍帽で眼差しが見えない。口元は笑んでいる。その指が引き金を引こうとして、急に銃口を下げた。
「つまらないなぁ」
アシタ語だ、とアゲハは思った。何年も母国語を耳にしていない。でも、そう言えば、少し前にも誰かから聞いた。
「君、もう少し驚くとかなにかしたらどうかな?」
軍服を着た
アゲハは乾いた唇を舐めた。
「軍人だったの?」
「いいや?」
それで、と
「どうだい、<人間イカリ>になった気分は?」
「お陰で捕まったよ」
アゲハは呟いた。
「じゃあ、辞めるかい?」
アゲハは笑おうとして、
「君は知ってるはずだよ」
「基本的な条件の知識は<
「でも、嫌なんだろ?」
「うん」
アゲハは絞り出すように言った。
「<天使>。奇跡の力。棄てたくない。絶対に、棄てたくない」
アゲハにとって、それは“特別”だった。平凡でひ弱な彼が、唯一手に入れた偶然の奇跡だった。
「この<
「おや、それはどうしてかな?」
「君に一つ教えといてあげよう。<
「さて、君は何を望むのかな?」
「……のぞみ?」
「欲だよ。力は道具だ。欲されない力は世界に対して意味を持てない」
「何を成す?何を望む?何を壊す?何を恐れる?それが言えないなら、僕が君を処刑しちゃおうかな」
その言葉は冗談めいていたが、アゲハは思わず唇を舐めた。軽薄な口調の奥に、なにか冷徹なものが潜んでいるのがわかったからだ。この男は至って真剣だ。
返答に時間はかからなかった。
「おれは――」
気づけば、口から言葉が零れていた。
「――自由になりたい」
アゲハは力を振り絞って言った。
「誰にも指図されることなく、誰にも利用されることなく、自分のやりたいように生きたい。家も、金も、国も!欲しいものは全部欲しい。誰にも馬鹿にされたくない!命令されたり脅されたり、雑草みたいに好き放題に殺されたりするのは嫌だ!世界中の誰にも、おれを支配させたりはしない!」
「なんて傲慢な!」
世の中のだいたいの人間は不自由だ。一握りのお偉方でもなければ、人に使われて一生を終えるものだ。
「つまり、君は王になりたいわけだ」
アゲハは瞬きをした。
「王?」
その言葉は陳腐で、非現実的な響きだった。そんなの、想像したこともなかった。王族や貴族は雲の上、下民には目にすることさえ叶わない。自分がそれになろうなどと……
「……あぁ、いいね」
アゲハは頷いた。確かに、誰にも左右されない人間、それこそが“王”だ。
「それがいい。そうなりたい!」
「そう。人に所有されるのではなく、己で己を所有する人間が王だ。実に身の程知らずで、大きすぎる望み……だからこそ、僕は君が好きだよ」
「生きることは、罪だ」
淡々と、不死者は言った。
「望むことは罪だ。願うことは罪だ。欲すること、祈ることはすべて罪だ。それは、生きることそのものだから」
その言葉はいつしか、詩吟のような調子に変わっていた。
「生命は平等で、欲望に貴賤はない。だから、人を愛することも、希望を抱くこともすべて罪だ。愛することは憎むこと。哀しむことは憤ること。ヒトはみな、生まれながらに消えない罪を背負っている」
「けれど、僕はその罪を肯定しよう」
霧がかかっていたような意識が晴れていくのを感じた。
どうして解らなかったのだろう?ハルヴァヤーとの繋がりは、ずっとアゲハの魂にあったというのに。己の手を動かすように、ただ命じればよかったのに。
「さぁ、呼べ!」
アゲハは頷いた。
「来い、ハルヴァヤー!」
監房が弾け飛んだ。
石と金属、珪素、樹脂の破片が粉々の吹雪になって空に登っていく。その砕けた隙間から、《円環》の光が覗いていた。
あの無機質な人型と、朝の海のような眼光。間違いない、ハルヴァヤーだ。
『止まれ!止まりなさい!』
そこに現れた中佐は銃を構え、共通語で絶叫した。
破壊された監獄と、《円環》の内側から降臨しつつある神話級と、空に手を伸ばす簒奪者と、そして軍服を着た男がいる。
『貴様、賊の一味ですか!』
重い銃声が二発、空気に響いた。
頬と首筋を丸い破壊痕に貫かれた
『残念。銃なんかじゃ僕を殺すには足りないな』
『馬鹿な』
中佐は吠えた。
『本国の最新式です。どうやっても生きていられるはずなど!』
『どうもこうも、こういうわけで』
うぞうぞと再生する傷口を見て、傍らに追いついてきた大佐は顔を引き攣らせた。腰の銃を取ろうとして、諦めたように手を下ろす。
『その顔、傷の再生……
『まさか、例の、不死の<人間イカリ>ですか?』
中佐の言葉に、大佐は頷いた。
『
『誤解だよ。僕はさ、本当は単なる遊山のつもりだったんだ。新しい神話級が発掘されるなんて久しぶりじゃない?それなのに、面白そうなことになったからさ、つい、ね』
<天使>は完全に
「アゲハ!ここから逃げ出しても、連邦は君を全力で追う。君なんかじゃとても敵いはしない……今はまだね。だから、北東に向かうんだ。そこなら君にとっていいことがあるはずだよ」
「いいかい、北東だからね。海中を進むんだ。水棲生物は<天使>を襲わない。追手も海に潜れば撒ける。海の中を逃げるんだよ!」
『何を話している』
中佐は叫び、自らもオセルを呼び出そうとしたが、
『蛮人めが!』
『ふたつ、判断ミスかな』
『君さぁ、同化し慣れてないでしょう。昼間の戦闘でもう同化限界ギリギリって風だったじゃないか。そしてもう一つ、この状況じゃあ死なない僕より彼を優先して射撃するべきだよ』
『貴様……!』
中佐は床を転がり、
そして、神話級<
風が唸った。大きなものが動く時の重く粘る音が大気を震わし、月明かりを遮る巨影が滑るように動いていく。
崩れた壁からは、大きな鳥のように円弧を描いてゆっくりと飛んで行くハルヴァヤーが見えた。止めなければ、すぐに行ってしまう。
『くそ、来い!来なさい!オセル!』
『させないさ』
その背後で、
だが、大佐は舌打ちした。
『これでも死なないのか』
『へぇ、実体弾とは珍しいね』
鉄の礫が壁の残骸に突き刺さっているのを見て、
ハルヴァヤーはもう夜空に溶け込んでしまっていた。それが次第に高度を下げ、海面へと滑り込むさまを、
「さて、あの神話級は、僕の望みを叶えてくれるかな?」
どちらでもいい。
「期待しているよ……【葬送奇跡 ハルヴァヤー】」
To be continued……