<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第三章 狂想曲(カプリチオ)
第三十二話 <タルシシュ船団>


 ■ある古い詩

 

 来りしものは人に問ひけり

 哀れな子らよ、望みは何そ?

 

 臆病者の答て曰く

 永遠(とわ)なる生と朽ちぬ身体を

 

 強突張りの答て曰く

 稀なる富と尽きぬ暮しを

 

 さる善人の答て曰く

 清き世界と罪なき子らを

 

 かくて望みは果たされき

 

 

 ―【偽リベリウス記 序文】―

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 ■西暦1万2043年 ???

 

 薄暗い部屋だった。

 灯りがなかったからだ。ガラスの立方体を積み上げて造られたその“見えざる部屋”の壁には、細々とした銅のワイヤーが通されていて、その周りにだけぼうっとほんの僅かな光が生まれている。一緒に、かすかな温もりも。

 

 そのガラスの床に横たわっているのは、アシタ人の少年だった。

 アゲハだ。

 ぴくりとも動かずに目を閉じている。唇はひび割れていて、頬は蒼白い。血を流しすぎだ。そばにいた医術師が、鉄の小刀を構え、アゲハの右手にそっとあてがった。

 

 途端に、バチッと弾けるような音がした。

 アゲハの身体を薄ぼんやりとした光が覆っていた。それはどくん、と脈打ったあとですぐに消えたが、火照りのような弱い熱はいつまでも少年を鎧のように取り巻いていた。

 あたりの銅線の燐光がゆらめく。ガラスの床がざらざらと砂を吹き、細かなヒビがクモの巣のように走った。

「やはり、だめです」

 医術師は言った。

 持ち上げて見せた小刀はあっというまにぼろぼろになっていた。数十年野ざらしにしておいたみたいだ。加速された時間が鉄を焦がしたのだった。

「近づくとこれです。薬も包帯も何もかも崩れて壊れてしまうのでは、ろくな治療も出来ませんよ」

 部屋から出てくると、医術師は人間味のない仕草で肩をすくめた。

「どうしますか?王よ」

 

 “放浪王(ザ・ウェンド)”は部屋の外でじっと座っていた。

 

 だぼだぼの服に首をすくめるようにして、アゲハを眺めている。その眼差しの先では、アゲハが死んだように横たわっていた。

「死なれちゃあ困る」

 放浪王は言った。ブーンという電気の唸りがあたりに低く響いていた。

「貴重なサンプルなんだ。“彼”の血を受けた人間なんてそう見つかるものじゃない」

「率直に申し上げて」

 医術師は言った。

「あまりいい状態ではありません。とくに右腕がひどい。膿んで地腫れしているのです、あのままだと切り落とさなければいけないかも。熱も下がっていないようですし」

「そんな状態でよくもまああんな」

 放浪王は呆れてため息をついた。それは小さなつむじ風になってくるくると回った。

「もう立ち上がれもしないはずなのに。そんなはっきりした意識があること自体驚きだな」

 奇跡は意思の力だ。眠りながら奇跡が使える人間はいない。

 放浪王は意識を凝らし、アゲハの精神を探った。弱くなっているが、確かに敵意のようなものをこちらへ向けている。

「艦長の力でどうにかなりませんか」

 医術師は困ったように言った。

「あの奇跡を破れればまだやりようがあるのですが」

「そりゃできるよ。できるけど、それは最後の手段だ」

 放浪王は鼻を鳴らした。

「僕の奇跡は強すぎる。中身のあの子まで傷つけてしまったらどうしようもないし……眠らせようにも、あの様子だとそのまま二度と目覚めないなんてことにもなりかねないんだよね?」

 放浪王は手元の書物をめくった。【翠風秘典(ザ・ウェンズ・ブック)】には、今まで彼女が組み上げた術式が残らず書き留めてある。けれども、そのなかにある術はどれも出力の高すぎるものばかりで、アゲハの守りだけを引き剥がせるような繊細さには欠けていた。

「生きているのが一種の奇跡ですよ」

 医術師は言った。

「身体中の細かい傷が膿んで、壊疽を起こしている。今すぐに傷を洗わなくては命が危ないんです。全身を火であぶられるような苦痛の筈なのに」

「いよいよとなればやらざるを得ないけれどね」

 放浪王はまたため息をついた。賭けに出るより、あの融通の利かない子供をどうにか説得するのが先だ。医術師が電気時計を見ながら言った。

「もう時間はありませんよ」

「分かったよ」

 放浪王は立ち上がると、ガラスの部屋へと踏み入った。

 

 部屋の中は甘いような、生臭いようなにおいが薄く漂っていた。アゲハの傷が腐り始めているのだ。放浪王は顔をしかめると、軽くそれを指で払った。途端に風が動き、すっかり空気を入れ替える。

「意地を張るのもその辺にしておくことだね」

 放浪王はそう言うと、アゲハの前に座り込んだ。

 アゲハの瞼が開いた。動かない体のなかで、眼差しだけが放浪王を睨みつける。彼女はそれを見返すと、その中の敵意に向かって言った。

「正直、君には感心したよ。死にかけているのにそんな強情を通せるやつなんてそういるものじゃない。だからさあ、せめて治療はさせてくれないかな。彼女も<人間イカリ>でね、腕は確かなんだ」

 アゲハは答えなかった。答えられなかったのかもしれない。放浪王はにっこり頷いて、その額に手を伸ばした。

 指先が燃え上がった。

 金属の擦れるような音がして、放浪王が素早く手を引き戻す。

「まだ強情を続ける気か?」

 放浪王は信じられない気持ちで怒鳴った。

「分からないならはっきり言ってやる、君の身体はぼろぼろなんだ。傷の手当てもろくにしないままいたせいで悪くなってる、ほっとけば明日の朝には冷たくなっているかもしれない。傷の毒が身体に回りきる前に、奇跡の治療を受けるんだ。さもないと、本当に――」

 そこで、アゲハの口が動いた。聞き取りづらい囁きをどうにか捕まえようと、放浪王は少年の口元にかがみ込んだ。

「そう、なったら」

 途切れ途切れの掠れた声でアゲハは呟いていた。ひび割れた唇がにやりと笑う。

 

「――そう、なったら、お前の目論見も、パアだ!」

 

 放浪王は目を丸くした。

「馬鹿なのか?」

 女はそう言って、鉤の手をアゲハの目の前に突きつけた。チリチリと、奇跡の荒立つ音がする。

「死ぬんだぞ。形だけでもいいじゃないか。助けてくれって言えよ。意地を張って、それで死んじゃったら元も子もないだろう」

 放浪王は言い募った。

「損得を考えろよ。このままじゃ君は死ぬ。僕は……確かに、君のなかの血が欲しいだけだ。けれど、今、この場で、君を助けようとしてるのは事実なんだぞ。あとで殺すかもしれないけど、それは事実なんだ。大事なのは今だろ。なんで分からないんだ」

 アゲハは精一杯の侮蔑を込めて、放浪王を見返した。

「ハルヴァヤーを、返せ」

「今そんなこと言ってる場合か!」

 小さくさけぶ放浪王に向かって、尚もアゲハは吠えた。掠れた囁き声で、かれた喉から絞り出しているように。

「こっから、出せよ!」

 奇跡が燃え上がった。

 バチバチと音を立ててガラスが砕けていく。電流が息を吹き込まれた埋み火のようにカッと発光し、放浪王を炙った。アゲハはどうにか立ち上がろうともがいたが、身体に力が入らなかった。

「出てどうするんだ。歩けもしないのに」

 放浪王はいっそ怯えているような声でそう言った。

「そんな身体で奇跡を使い続けたら死んでしまうよ」

 放浪王は恐ろしくゆっくりと出口に向かって這いずるアゲハへ、懇願するように言った。アゲハはまるで独り言みたいに答えた。

「おまえに……」

 浅く速い呼吸が唇から出たり入ったりしている。

「上から、いいようにされて、たまるか」

 

「ああ、もう、この分からず屋!」

 放浪王はとうとうやけっぱちになって叫んだ。感情の影響で荒ぶった奇跡があたりで空気の渦を巻く。けれど、彼女はそれでもアゲハの奇跡を無理やりこじ開ける気にはなれなかった。重傷の死に損ないだ。本当に殺してしまう。こんなことになるなら、もっと優しく連れてきたのに。

「君のそれはプライドじゃない。馬鹿だ。くそっ、最低だよ、まったく」

 放浪王は諦めたように首を振ると、残っている方の手で帽子のなかの頭を掻きむしり、そこからなにかガサガサいうものを取り出した。

「分かった。君の勝ちだ。これを使ってやる」

 それは一枚の古びた紙だった。それをアゲハの鼻先に突きつけて、放浪王は言った。

「【聖款ユース】。不可侵条約だ。僕は君に危害を加えない、君も僕に危害を加えない。そういう内容にする」

 そういうなり、彼女は自分の指から血を絞り出して紙に垂らした。何もなかった紙面にインクの染みが現れて、ちろちろとのたくった。ひとりでに連邦共通文字の線が走っては、放浪王が言った通りの文面を作っていく。

「これは第三級異物だ。この紙の中にはね、契約書の霊が閉じ込められていて、契約を破った人間に罰を与えに来るんだよ。どんなに強い<人間イカリ>でも、これには逆らえないんだ。さあ、これでいいだろう。望み通りにしてやったぞ」

 放浪王は叫んだ。

「僕は君の許しなしに血を抜いたりしない。頼むから、これで治療を受けろ!」

 

 アゲハは眠たげな目で【聖款】を眺め、かすかに頷いた。放浪王は忌々しげにつぶやいた。

「契約成立だ。“我は対のものに公正を誓う(Pro obstante iustis esse iuro arte nunc)”。《約定せよ(アドヌエ)》」

 契約書がぶるりと震え、二人の名前を刻み込んでくるくると巻いた。途端にアゲハを包んでいた奇跡が消失し、アゲハが目を閉じる。

 

「貴重な聖異物を」

 放浪王は疲れた顔で言った。医術師が慌てて薬箱やなにかを抱えながら駆け込んできた。意識がなくなったのだから、急がないと本当に目覚めなくなってしまう。

「助かるかどうかは五分ですよ」

「君の奇跡を以てしてもかい?」

 放浪王は力なく笑った。医術師は手に持っている明かりを強めた。あたりの影がくっきりと濃く、黒くなって、鋭さを増す。

「《蝿群(ズヴヴ)》」

 宣言とともに、蝿の<天使(マラーク)>の契約者の影から、ものすごい数の蟲が溢れ出した。小さな一匹一匹が傷んだ肉を食いとり、膿を吸い出し、傷を縫い閉じていく。眷属術に特化した奇跡なのだろう。

「いいさ」

 放浪王はそれだけ言い残すと、部屋を出ていった。

「何を支払ってもいい。僕の手元にありさえすれば、可能性はゼロにはならない。必ず手に入れてやる」

 完全な不死を。

 もう真夜中が近い。すっかり年老いてしまった王は、自分の骨ばった身体を奇跡で支えながら歯噛みした。若返り、年老いて、また少女に戻る。だが、こんな拷問のような身体とももうすぐお別れだ。

(死にたくない)

 放浪王は心中で怒鳴った。

(他の生き物がみんな死ぬとしても、僕だけは死にたくない。永遠の若さが欲しい。そのためならどんな代価だって支払ってやる)

 だから、アゲハを失うわけにはいかない。折角見つけた“不死”への手がかりなのだから。

 たとえどんなに力のある追っ手が、後を追ってきたとしても。

 

 ◆◆◆

 

 ■曳航連邦 元老院(キール)

 

 曳航連邦の<不死の評議会>は、いつだって闇の中にいる。

 本当ならば絢爛に見えるはずの、精緻に彫刻された列柱や飾り細工の座椅子は、残らず闇に塗り潰されていた。陽の光が怖いのだ。自分たちの姿が白日のもとに晒されることが。

「“人形王(ザ・トラス)”よ」

 評議会が一斉に言った。

「現状報告を聞こう。簒奪者追跡の任、どうなったかね」

 

 その議場の真ん中で、白っぽい光がぼうっと点った。

 人間の輪郭を縁取るように、光の線が伸びていく。

『栄光ある評議員の方々よ』

 その白い人影が深く一礼した。思考だけで結ばれた投射、思念像(ソートフォーム)だ。

『簒奪者を追って、ユディト近海までは参りました。しかし、ここでは奇妙なことがあったようですね』

 人影はあたりを見回すような仕草をした。

『都市船が沈んでいる。それに強いリソースの気配が残っている。海もまだ騒いでいます。ヨロイイッカクが群れを作って“渡り”をしているのを見ましたよ』

「世界が揺らいだのだ」

 評議員が言った。

「<黙示録(アポカリプス)>の破壊工作だ。レイラインから高リソースの奔流を引き降ろし、“野良”を暴走させた。遺憾だが、彼らには失われた秘密の知識がある。不可能ではない」

「都市クラスの破局だった。許されざる行いだが、現象の性質上、これには世界に対し引き金(トリガー)となる誰かの強い意思が必要であったはず」

『仰りたいことは理解できます』

 人形王の思念像は言った。

『ですが、例の簒奪者の少年がその引き金になったという可能性は薄いでしょう。彼はどうやら、ユディトを既に発ったようですから』

「なぜ分かる?」

 評議員の質問に、思念像は首を振った。

『私には出来のいい“目”と“耳”がたくさんあるのです。確かではありませんが、王のひとりに拐かされたふしもあります』

 思念像(ソートフォーム)はそういうと、ごろごろと顔を揺らめかせた。思念像は思念そのもので出来ている。思い浮かべたことがそのまま形に反映されるのだ。ぱっ、ぱっ、と顔が切り替わり、二人の女のそれになった。

『あの都市には“堅牢王(ザ・ハーデン)”と“放浪王(ザ・ウェンド)”がいた。どちらかが簒奪者に手を出している可能性は十分にあります。どちらにもその力がある』

「奴隷狩りと海賊か。どちらも連邦に忠実な王ではない」

 評議会はつぶやいた。

「特に“放浪王”は危険だ。彼女の勢力はいまや、行き場のない者たちを取り込んで手に負えぬほど膨れ上がっている」

『念の為確認を申し上げたかったのです』

 ぼやけた思念像は女の顔を消して言った。

『仮にどちらかの王が邪魔をした場合、実力で排除しても構わないかどうか』

 一瞬だけ、尖った殺意に思念像が鋭く震えた。

『ユディトの当主が死んだそうですね。力のある<人間イカリ>も所詮は人間。人はみないずれ死ぬものです。例外なく』

 評議会は淡々とさざめいた。

「“諸王”は国に等しい」

「相争うこともまた自由」

 

『――それは“殺し”の許可と受け取って構わないのですね?』

 

 人形王は揺らめきながら言った。ひときわ年嵩の評議員がくつくつ笑った。

「よかろう。だが、君に可能なのかね?」

 白い思念像の人影に、紅い炎のようなイメージが混じった。薄れて消えていく影が、はじめてはっきりとした笑みの形を浮かべた。

『ことにあの()()()()()()()を私に貸し与えて下さった以上、負けはありません。ましてや相手は青く若い。立ちはだかる者たちもろとも、容易く消し飛ばしてご覧にいれましょう』

 思念像は笑みの形だけを残して消えた。愉しげなことばだけが最後にこだましていた。

 

『お忘れなく。私が“人形王(ザ・トラス)”であるということを……』

 

 ◆◆◆

 

 ■???

 

 アゲハは目を開けた。

 やたら広い一室だった。寒々とした石造りで、窓から明るい午前中が差し込んできている。

 まるで泥の中から起き上がるような重たさで、アゲハは身体を起こした。記憶が曖昧だった。一体、どこで何をしていたのだったか……

 

「おはようございます」

 いきなり声をかけられて、アゲハは飛び上がりそうになった。

「お元気になられたようですね。やはり睡蓮(スマール)様の腕は素晴らしい。惚れ惚れしますよ。普通の医術師ならきっと死んでいましたとも」

 そこにいたのは、背の高い男だった。

 彫りが深い顔はどこか異国風だ。頭は剃り上げていて、植物のような模様が彫り込んである。目を引くのは服装だった。色とりどりの布地をずたずたに引き裂いてから縫い合わせたような、鮮やかなモザイク調の長衣をまとっているのだから。

「誰?」

 アゲハは寝台から降りた。その服装は、清潔な病人着に着替えさせられていた。その肌触りときたら、思わず頬ずりしたくなりそうなほど柔らかい。

「あなたの荷物はここにありますよ」

 男はそう言って、部屋の中央にぽつんと据えられた机の上を指した。薄汚れたあの剣や、靴や、路銀が無造作に置いてあった。

「服だけは焼き捨てたそうですが……ああ、その格好で出歩かれるのは些か不便でしょう。ご用意しますよ」

 アゲハの寒そうな格好を指で指すと、男はぱちんと手を叩いた。途端に色とりどりの煙が上がって、アゲハを包み込む。

 噎せながらそれを払いのけた時、アゲハは自分の格好がすっかり様変わりしているのに気づいた。すっきりした革の靴に麻の短袴(トゥカ)、ゆったりとした青い上衣。まるでシャーン人の、裕福な商人の息子みたいだ。

「お気に召しましたか?」

 男はにっこり笑った。アゲハは警戒心をあらわにして睨みつけた。

「あんたの奇跡か……<人間イカリ>」

「いえ?」

 男は首を振った。

「私は契約者(アンカー)ではありませんよ」

「あんたもあの女の仲間か」

 アゲハの不躾な言葉に、男は首を傾げた。

「あの方のことをそういうふうには呼ばないほうがいい。ここは“放浪王(ザ・ウェンド)”陛下の領域ですからね。まあ、まずは食事にしましょう。腹が空いていると気分も荒れるものです。ちょうど、昼食の時間だ」

 男はそう言うと、また手を叩いた。部屋の扉がひとりでに開く。

「お忘れですか。あなたは昨日、我らが王と不可侵条約を結んだのです。我らはあなたを害せない。あなたは陛下を害せない。それでは、客人ということになりますね」

「嫌だね」

 アゲハはそれでも強情に立ち尽くしていた。男は悪戯っぽく笑うと、付け加えた。

 

「ふむ。では、こういうのはどうです?知りたくはありませんか、あの“不死”の青年について」

 アゲハは目を見開いた。男は続けた。

「我らが王よりことづかっています。なぜあなたを捕らえたのか、なぜ死なない人間がいるのか、“不死”について、知っていることを教えると」

 男は肩をすくめた。

「悪い話ではないでしょう」

 アゲハはため息をつくと、小机の上から剣を掴んだ。ユディトの港湾マフィアから盗んだ路銀や、砕可(サイカ)の手紙、失くしてしまったあの小舟の鍵も。

「あんたの名前は?」

 アゲハの不躾な問いに、男は恭しく頭を下げた。

 

「私は陛下の忠実なるしもべ、このタルシシュの王臣がひとり。シャルキイイと申します。以後、どうぞお見知りおきを」

 

 ◆

 

 そこは、宮殿の大広間みたいだった。

 壁はなく、ぽっかりと空いた横合いには大きな石のアーチがかかっている。外からの風が悠々と吹き込むその吹き抜け広間に、アゲハは堂々と足を進めた。

「やあ、よく来たね」

 円卓の向かいには“放浪王(ザ・ウェンド)”がゆったりと腰掛けていて、差し込む午前中の光の下で何やら書き物をしていた。日誌のようだ。船乗りの使う崩し共通文字で、一見しただけでは読めないようになっている。  

 午前中だから、放浪王は少女の姿をしていた。アゲハよりやや年上くらいで、まだ幼さを残している年頃の。日に焼けた腕は健やかにすうっと伸びていて、肌には瑞々しい張りがある。

「来ないかと思ったよ。てっきり」

 航海日誌を閉じると、放浪王は円卓の上の手持鐘を取った。後ろにいたシャルキイイが頷き、手を叩く。

 何もなかったはずの円卓のうえに豪勢な昼食が現れた。湯気を立てるスープや、こんがりと焼き上げられた魚、丁寧に切り分けられた果物まで。

「さて、食事にしようか。座りなよ」

 放浪王がそう言うが早いか、椅子の一つがひとりでに滑るようにアゲハの前へ歩いてきた。

「君ときたら死にかけだったからね。睡蓮(スマール)の奇跡は治療の力だけど、失った血肉はそのままだ。何か腹に入れたほうがいいぜ」

「施しは受けない」

 アゲハは金色に輝くスープを見下ろしながら言った。放浪王はため息をついた。

「好きにすればいい。餓死しても知らないぞまったく」

「私、今回の料理はとくに腕によりをかけたんですが」

 シャルキイイが悲しそうに言った。

「東海域風に仕上げてみたのです。冷めないうちにどうぞ」

「おれを殺そうとしたくせに」

 アゲハは目に入るものを全部睨みつけた。放浪王はどこ吹く風だった。

「誤解だよ。君は貴重なサンプルなんだ。彼の血を受けた人間は僕も数えるほどしか知らないし、その誰もがもうこの世にはいない。君を失うわけにはいかない」

 彼女はそこではじめて、ぎらぎらと唇を吊り上げた。瞳の奥で、力ある人間の威圧感が牙を剥いた気がした。

「ま、()()あとのことは話が別だがね」

「簡単にやれると思うなよ」

 アゲハが怒った野良猫のように唸る。放浪王は破顔した。

「やだなあ、冗談だよ。覚えてないかい?【聖款】を結んだろう。僕が変な気を起こしてもあれに止められる。あの紙切れにはとんでもなく強い妖霊が閉じ込められていてね、契約を破ろうとした人間を罰するんだよ。だから僕は君に手が出せない。君もね」

 放浪王の目は冗談なんか言っていない目だったが、アゲハはひとまず矛を収めた。嘘はついていないと思ったからだ。そんな回りくどいことをしなくても、この女は大抵の人間に力で言うことを聞かせられるのだから。

「何が目的なんだ?」

 アゲハは言った。放浪王は、言わなかったっけ、と首を傾げてから続けた。

 

「僕は君の中の血が欲しいんだ」

 放浪王は言った。

「僕はね、不死でも不老でもないんだ。若返りはしても少しずつ老いていっているし、彼のような再生力は持っていない。完全な不死を手に入れたいと思うのは当然だろう?」

 もし、それが夢物語ならば諦めもついたかもしれない。子供っぽい、ばかげた望みだからだ。けれども、それは確かにいるのだった。現実のこの世に、確かに永遠の若さはあるのだ。

「思うに、量の問題なんだよ。僕を復活させた時『1回きりだ』と彼は言っていた。血の量が足りないんだ。取り入れる量を増やせば、彼の不死をもっときちんとした形で引き継げるはずだ」

「そんな推測」

 アゲハはしかし、首を振り切れなかった。

 サングィスと名乗った男の顔が頭にちらついたからだ。(ダーン)と同じ顔をして、同じように再生する力を持っていた男のことが。もし彼が、この放浪王のいうきちんとした形なのだとしたら。

(不死の力は、他人に引き継げるのか)

 それが自分のなかにも入っているというのに、アゲハは不気味なものを感じていた。

 あの時のことはよく覚えていない。一度死んだことも、それから復活したことも。その間に(ダーン)が何かしたのは事実なのだろうけれど、自分が彼の血を受けたと言われても実感がなかった。

「僕がこうなれたのは単なる偶然だ」

 放浪王は呟いた。少女の顔は、少しずつだが、目に見える速度で大人へと近づいているようだった。不完全な不死が、それでも老衰に抗っているのだろう。

「血の適合率には個人差があるらしい。まったく何の影響も受けないものもいれば、僕みたいに過剰適合するものもいる。どの側面を引き継ぐかも違いがあるみたいだ。例が少ないから、なんとも言えないけどね」

 アゲハは自分の手を眺めた。そこにはまだ生々しい傷が残っていて、アゲハが不死なんかではないということをありありと教えてくれていた。

「君が自分から血をくれるのなら契約にも引っかからないんだけどなあ」

 放浪王はそう言ったが、アゲハは聞こえなかったふりをした。どちらにせよ、やりようの分からないことでもあった。それとも、生き血を飲ませろとでもいうのだろうか。

 

(ダーン)が何者なのか、お前は知ってるのか?」

 アゲハは不躾に言った。彼女にそんな口の利き方をするものは多くない。ましてやこんな子供が。放浪王はやや面食らったように答えた。

「さあ。普通じゃないことは確かだけど。これは<人間イカリ>としても普通じゃないって意味だぜ。不死の<天使>なんてね」

 放浪王は首を振った。

「天使学の本は読み漁ったよ。大した実にはならなかったが、わかったこともある。“死なない”というのはリソースとしてあまりにも重い。とてつもなくね。一度きりの復活ならまだしも、彼は何百年も生きているんだ。その不完全な過剰適合者に過ぎない僕でさえ普通の人間よりは人生が長い。だが、そんな力はあり得ないんだよ。神話級や()()()ですらリソースが足りない。あり得ないことが起きてるんだから、なにか仕掛けがあるはずなんだ」

 彼女はしかし、その答えを持ち合わせていない様子だった。アゲハは肩をすくめた。

「圧縮術だろ」

「圧縮術は万能じゃない」

 放浪王は首を傾げた。少しずつ老いていく自分の手を見つめながら。

「奇跡の圧縮を突き詰めていくと、必ずどこかで限界に突き当たるんだ。なんでもかんでもできるわけじゃない。君は、力天使(デュナミス)系統だったっけ。力のかたちを小さくするのにもいつか限界が来るよ。まったく、世の中上手くできてるよな」

 放浪王は吐き捨てると、料理を口に放り込んだ。

「まだ歯がしっかりしているうちに食べておきたくてね」

「本当は幾つなの?」

 アゲハは尋ねた。放浪王は気を悪くした様子で首を振った。

「その質問には答えない」

「ご主人様は確か、今年で百と――」

「シャルキイイ!」

 シャルキイイは一礼して黙り込んだ。放浪王は柔らかくほぐされた魚の身を飲み込むと、唇を舐めた。

「そう。だが、僕は有限の人生で満足する気はない。勿論ね」

「そうまでして不死身になりたいのか?」

「君はなりたくないのか?誰だって欲しいはずだろう、永遠の生命(いのち)。僕はまだ可能性があるほうだぜ」

 同じ話ばかりだ。アゲハは辟易して椅子にもたれ掛かった。放浪王は食事を終え、食後の果物に取り掛かっていた。

「僕は彼に知識を願った」

 野性味のある顔つきで、彼女は言った。

「君も尋ねられたはずだ、何を願うのか。人間の意思と欲望こそ奇跡の原動力、ひいてはこの世すべてを形作るエネルギーだからね。僕は知りたかった。この世のすべてを、まだ見ぬ世界を。だから、それを知らないうちに老いさらばえて死ぬ気はない」

「おれは自由を願った」

 アゲハは真正面から放浪王を睨みつけた。

「おれを自由にしろ。ここから出せ。閉じ込められるのなんか大嫌いだ。さもなきゃ奇跡で暴れてやる」

 放浪王は肩をすくめた。

「ああ、いいよ、でもどこに行く気だい?君、どうせどこにも行く当てなんかないんじゃないのか」

 アゲハはそう言われて言葉に詰まった。屈辱的な気分だった。

 確かに、アゲハには目指すべき旅の目的がない。逃げているだけだ。そう思った瞬間に、タカの鋭い目が脳裡に浮かぶ。

(君は逃げているだけだ。王たるべき理想がない。世界を否定形で考えているだけの人間が、王になれるはずもない)

 タカの言葉が耳の中でこだました。

 <天使>はみな、本質的に王の力だ。

 世界を統べる力、己に従わせる力、意思を貫くための手段だからこそ、使い手の器量を浮き彫りにする。空っぽの少年は、張りぼての力しか持てない。

(それは違う!)

 アゲハは心のなかでタカの影に反論した。

(おれにだって理想はある。目指してるものが――)

「それに、どこに行くかと言ってもねえ」

 放浪王のわざとらしいため息で、アゲハは我に返った。

「ま、百聞は一見にしかずというからね。外を見てごらんよ」

 壁のない大広間からは、外の景色がよく見える。

 アゲハは椅子から滑り降りると、その縁に近づき、宮殿の外側を見下ろした。

 

 見知らぬ街だった。

 巨大な森がこの宮殿を囲んでいて、その向こうには城壁や、街、うねる街道が並んでいるようだった。大きな陸橋がそれらすべてをまたぎ越しながら走っている。遠くには都市の大塔と、港町すら見える。

 ユディトじゃない。

 

「タルシシュ」

 

 おれをどこに連れてきた、と尋ねようとしたアゲハより先に、放浪王は言った。

「この僕の治める国だよ」

 彼女は鉤の手で器用に帽子を引っ掛けてくるくると回す。

「かつて“歴史”では沢山の都市船が建造された。それに準ずる船舶もね。そして現在、この世界には三つだけの準都市級航洋艦が遺っている。ひとつは曳航連邦軍が旗艦メルキゼデク、ひとつは南方で発見された廃船トバルカイン。そして――」

 放浪王は心底誇らしげに笑った。そうしていると、本当に無邪気なものだった。

 

「準都市級航洋艦タルシシュ。<タルシシュ船団>だ。世界でたったの2隻だけ、まだ航行可能な()()だよ」

 

 To be continued…

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