<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第三十三話 <ジン>と巨人と精霊と

 ■準都市級航洋艦タルシシュ

 

 都市船は動かない。

 曲がりなりにも船だというのに、その動かし方は忘れられてしまったのだ。どんな大都市でも把握率は3割、機能掌握率は精々が1割といわれている。主機(メイン・エンジン)の在り処すらわからず、座標を固定している空間錨(ワールドアンカー)も、軌道舵(スラスター)も操れない。

 だからこそ、タルシシュは貴重なのだった。

 

「タルシシュ」

 アゲハは繰り返した。知らない名前だった。

「これが船なのか」

「船団だよ、船団。勘違いしないでほしいな、そんじょそこらの船とはものが違うのさ。準都市級航洋艦は文字通り都市だよ」

 確かに、大広間から見える景色は陸地そのものだ。塔や港町、陸橋のある街並みの向こうには海なんか見えやしない。

 ここは大きな船ではなく小さな都市なのだった。こうしていると、この大地が動いているだなんて感じは微塵も分からなかった。

「一隻しかないのに船団なんて変だ」

 アゲハの言葉に、放浪王は肩をすくめた。

「この船はとてつもなく大きいんだぜ。一隻で複数形に値するくらいのことはあるだろう」

 よくわからない理屈を、彼女は得意げに言った。傲慢さがべたべたと言葉のうえに滲んでいるような口調だった。

「この僕こそが“放浪王(ザ・ウェンド)”だ。タルシシュ船団の王、あらゆる海を巡る通商貿易の要。曳航連邦ですらこの僕の経済力を怖れている。ここには世界のすべてがあるんだ」

 その手が大広間の柱を指す。飾り物を指す。料理をぐるりと指し示す。

「見るがいいさ。レメクの石細工、アスェルの彫金、トゥバンの茶葉にラスタバンの香料、アークベンスの色ガラス。たとえ曳航連邦の皇帝でもこれほどのものはなかなか集められまいね」

 そのなかには知っている名前も、知らない名前もあった。この女はアゲハの世界の内外を行き来しているのだ。

「まる一年かけて世界を巡るんだ。どんな国境も戦争も関係ない、この僕がいるんだからね。海を分かつあの大海流すら越えて、あらゆる場所へ、あらゆる品を手に入れるために。アシタ皇国の首都艦には行ったことがないから君が知らなくても無理はないが」

「凄いね」

 アゲハは素直にそう言った。皮肉だったのかもしれないが。放浪王はそれを睨んだ。

「そう思うかい?」

 そう言うやいなや、彼女は鉤の手を振り回した。

「そうだ。僕はすごい。僕は偉い。僕は“放浪王”だ。だが……どんな人間もいずれは死ぬ。富も名声も墓のなかには持っていけない」

 放浪王は我慢ならないというふうに言った。

「わかってるよ、生き物はみんな死ぬものだ。それに文句を言うのは愚かなことさ。だけど僕は思うんだよ、そんなのは誰が決めたんだろう?」 

 放浪王はアゲハに向かって息を吹きかけるみたいにさけんだ。

「誰が決めたんだろう?生き物が死ぬことを。ものが上から下に落ちることを。昼と夜があることを。どこにいるんだか分かりもしない誰かが決めたルールに、どうして従わなくちゃならないのか」

 そんなのは当たり前だ。アゲハは言いかけて気づいた。

 放浪王は笑った。

「そう。“当たり前”なんてのは僕らにゃなんの意味も持たない。奇跡を起こせるんだからね。できるできないは別にして、常識なんていうのは僕らにとって覆すべきものだ。僕らには“可能性”があるのだから」

 だから、僕は永遠のいのちが欲しい。

 放浪王は静かにつぶやいた。その眼は自分の作り上げたタルシシュへの慈しみと愛に満ち満ちている。誰が何と言おうと、彼女は永久にタルシシュのそばにいたいのだ。

 

「食後の薬の時間だ」

 ふと思い出したように、放浪王は言った。

「君ときたらまあ、結局一口も食べなかったな。それでも睡蓮(スマール)の薬はもらっておいたほうがいいよ。部屋に帰りなよ、あそこは自由にしていいから。後からお腹が空いたら誰かに頼むんだね」

 話は終わったらしい。勝手なものだ。まるで嵐のような女だ、とアゲハは思った。自分の都合で現れて、掻き回しては、不意にいなくなってしまう。

「じゃ、そうするよ」

 アゲハは鼻を鳴らすと、堂々とした歩きぶりで来た道を戻っていった。

 放浪王は微笑みながらその後ろ姿を眺めていた。なんだ、案外素直じゃないか。

「あとでこの料理、部屋に持っていってやってくれ。ひょっとしたら手をつけるかもしれない」

「はい、御主人様」

 シャルキイイはうなずくと、アゲハのぶんの皿に向かってさっと手をふった。パチンとなにかが弾ける音がして、それらが残らず消え失せる。

 

「さて、と。“絹のくびき(Iugum Sēricum)――」

 女はアゲハが見えなくなっても、少し待ってから呟いた。

「“いびつな(Tēlescopium)黄銅製の(Orichalcum)望遠鏡(Distortus)”」

「“汝の召使いは(TuĪ FamulĪ sunt)埃と煤(Pulvis Fūlīgōque)”……【606】“雨の音(Pluvia)”」

 

 その聖歌(カントゥス)をウタい終えた途端に、ひいん、と大気のなにかが震えた。放浪王はこの場にいないものたちの名前を呼んだ。

黒檀(カラユダン)瑪瑙(マークナイン)……聞こえているね。君たちにも聞いていてほしい。大事な話だ」

 ゆったりと椅子に背を預ける。

「さあ、どう思う。シャルキイイ」

 シャルキイイはいつも通りの穏やかな顔で答えた。色とりどりのモザイク調がゆったり揺れる。

「陛下が執着するわけは分かりました。彼のなかにはあの、“不死”の欠片がある。しかし、力の奪取はうまくいかなかったのでしょう?」

「たった一度や二度で諦めたりしないさ。試行錯誤は商売の基本だろ。そのためにも、彼には僕のところにいてもらわないと困る」

 さっきは自由に出ていっていいと言ったくせに、放浪王は何食わぬ顔でうそぶいた。

「契約なんか誤魔化し方はいくらでもあるからね。そのためにもあの子には味方になってもらわないと、なんなら自分から血を差し出してくるくらいには。やっと見つけた手がかりなんだから」

「出来るでしょうか。そう簡単に懐柔されるような人間だとは思えませんが」

「君には無理なのか?活性化していないとはいえ、あの子のなかに彼の血があることだけは確かなんだ。どうにか取り出せないか」

「難しいですね。睡蓮(スマール)様がどうにもできないということは、物理法則内のものではないのでしょう?それをどうにかするとなると、やはりそれに特化した奇跡がいります」

「とりあえず生体分野の<人間イカリ>を探させてはいるけどね。どっちみちすぐには無理だよ。どんな奇跡特性が要るのかも曖昧だし。やはり何をおいても時間だな」

 放浪王は投げやりに言った。

「ひとまず、あの子を見張れ。引き留めるんだ。ただし勘付かれるな。このタルシシュから決して逃がすなよ」

 

 ちょうどそこへ、医術師にして(ズヴヴ)の<人間イカリ>、睡蓮(スマール)が足早に歩いてきた。放浪王は彼女が本気で走ったのを見たことがない。ひょっとすると、戒律なのかもしれぬ。放浪王は尋ねた。

「ちょうどいいところに来た。彼の様子は?」

「そのことでご報告が」

 蝿の医術師は死んだような目つきで言った。

「あの少年の具合を見に、部屋へ行ったのですが」

 放浪王は顔色を変えた。やはり容態が悪化したのか。考えてみれば、あの傷でさらに食べ物も摂らずにいて平気なわけはないのだ。

「悪いのか?」

「いえ、それが」

 医術師はちょっと考えてから答えた。

 

「部屋にいないのです。廊下はひとつですから、迷ったりするはずもないのに」

 放浪王は呆気にとられて立ち尽くした。シャルキイイが首を傾げる。

「ふむ、どうやら、逃げ出したようですね?」

 

 ◆

 

 ■タルシシュ中央部 “空中庭園”

 

 部屋を抜け出したアゲハはひたひたと、素足で誰もいない廊下を歩いていた。

 この宮殿は間違いなくおかしい。

 階段は一段一段が見上げるほど高いし、柱や回廊も人間の使うのには大きすぎる。天井は遠すぎて見えない。さっきの大広間だって、よく思い返してみれば異様に広すぎた。まるで、おのれの背丈が虫けらのように縮んでしまったような気分だった。

 

 よく見ると、縮尺の狂った宮殿の隅には、『小さな』人間大の階段や扉がそこかしこに造ってあるのだった。それをくぐると、アゲハは壁に刻まれた人間用の階段を降りていった。

 途中には踊り場や見張り台、汲み上げられた水が流れ落ちていく水盤や池さえもあった。円弧になった空中回廊を渡ると、その横を水が走っていく。手すりや礎石の一つ一つにさえ、細やかな植物の浮き彫り(レリーフ)が施してあった。

 まさに空中庭園だ。

 階段が折り返すたび、壁から突き出すようにして花や庭木が植えられている。その細やかでジグザグした繊細な道のりと、大きすぎる宮殿の対比が目眩のしそうなほどアンバランスだった。ひらけた橋だと思って渡ったものが、実は格子の嵌った窓辺だったりしたのだから。

 

 ちょっと考えて、この巨大な宮殿が<天使(マラーク)>のために作られているのだとアゲハは気づいた。

 ここは<天使>達が集まるための場所なのだ。きっとハルヴァヤーも近くにある。存在を感じる。契約のつながりが、自分の<天使>の居場所を教えてくれている。

 だが、アゲハは<天使>を探しに行くことはしなかった。あれで動いたのでは目立ちすぎるからだ。“転移(シフト)”でいつでも呼び出せるのだから、もっと離れたところまで行ってからのほうがいい。 

 

 つまり、問題はどうやってここから逃げ出すかだった。

「くそっ」

 アゲハは階段を降りるのをやめ、下をのぞき込んで舌打ちした。

 城の最下層は階段がぷっつりと途切れていて、それより下がなかった。アゲハは下の暗がりを覗き込んだが、ものすごい高さで底が見えない。きっと都市の古層に通じているのだろう。ひゅうひゅうと風が唸りながら吹き上げてくる。そこから水を汲み上げているらしいポンプが、細い管を下まで垂らしていた。それを動かしている風車が、吹き上げる風に軋みながらどうにか回っている。

 

 ここは、宙に浮かぶ空中庭園なのだ。

 

 眼差しを持ち上げると、輪を描く断崖がこの宮殿を取り巻いているのがわかる。

 いわば大きなすり鉢の中央に造られた浮島なのだった。その縁のところには、あの大広間から見えた街並みがあった。

 けれど、そこへ続く橋も人間が渡れるような造りではなかった。この空中庭園を繋ぎ止めているだけの支柱みたいなものだ。重さを少しでも誤魔化すためなのか、ところどころに上を向いた電気風車がバタバタと騒がしく回っている。

「あいつらはどうやってここに出入りしてるんだ」

 アゲハはそう呟いてから、自分の馬鹿さ加減に気づいた。放浪王は大気を操るのだ。どんな奈落だって、空を飛んで超えていけるのだろう。それに<天使(マラーク)>にも《円環》がある。あれは慣性を操って空を踏む仕組みだ。

 だが、いったいどうやってこんな大きなものを浮かせているのか、アゲハには見当もつかなかった。奇跡をずっと使い続けているのだろうか。そんなことができるはずがない。いくら嵐の奇跡があるとはいえ。

 

 とにかく、向こう岸の町に渡らなくてはならない。

 貨物を運ぶためのリフトと、電力供給用の電源管、それに水路のようなもの。それだけがひとつの橋に押し込められている。人の歩く道はない。だからこそ門番もいないのかもしれない。

 アゲハは慎重に支柱へ近づくと、鉄骨によじ登った。足をかけられるのは、細いワイヤーとパイプの鋲くらいのものだ。

 

 アゲハは背後を窺いながら、ワイヤーに右足を引っ掛けた。

 途端に、ぐいっと足が沈んだ。

 振り回した指先が錆びついたネジの頭にどうにか引っかかって落ちずに済む。アゲハは足元を見て、それから後悔した。ただ落っこちるだけでも長くかかりそうなほど、とんでもない高さだったのだから。おまけに、嫌な風が吹いている。頭のうえで電気風車の軋む音がなんだか不気味だった。

(あの(ひと)がなにかしているんじゃないだろうな)

 あたりに奇跡の気配は無かった。

 権天使(アルケー)系統は領域型だ。広がりのある空間として、奇跡を展開する。それは例えば触れたものへ干渉する力天使(デュナミス)や、自らを異形へと変える能天使(エクスシア)系統とは違って、自分の世界を作る力なのだと、砕可(サイカ)は言っていた。

『――最強種と呼ぶ奴もいる』

 砕可(サイカ)の何気ないことばを、アゲハは思い出していた。

権天使(アルケー)はその領域内に入れた時点で奇跡に触っているからね。避けられない、躱せないんだよ』

 狙いをつけて、奇跡を放つ、権天使系統にはそんなひと手間すら必要がない。狙ったところにそのまま、ひと睨みで嵐を起こすことができる。

『壁や目隠しも意味をなさない。圧倒的な“先手”を取れる。でも、力天使にだってやりようがないわけじゃ――』

 

 そのとき、足を踏み外した。

 下腹が浮き上がるような感覚にぞっと冷たくなる。途端に考え事なんかは頭から吹っ飛んだ。つるりとしたパイプの上で、必死に掴もうとした手があえなく滑っていく。

 落ちたならどうなるだろう。こんな、空の上みたいな場所で。

「嫌だ!」

 奇跡がパチパチ音を立てながら燃え上がった。

 灰の粒がぼろぼろと溢れた。穴の開いた鋼鉄に指先が食い込む。両手でどうにかぶら下がるアゲハを、突風が煽った。

 

 動けなかった。

 おびえて震えようとする身体をどうにか抑えつけながら、アゲハは必死に息を吸い込んだ。

(落ち着け、落ち着けったら!)

 どうにか助かったのだと腹の底が理解した瞬間に、安堵の熱がじんと腕に走った。痙攣している喉に命令して、ゆっくりとどうにか呼吸を飲み込む。

 奇跡を使うつもりはなかったのに。

 アゲハは苦い顔で再びパイプに這い上がり、ワイヤーに足をかけた。今のであの放浪王に見つかったかもしれない。それとも、奇跡を使おうが使うまいがリソースの気配とやらで分かるのだろうか。

 

 そして、ブツンッと音を立てて足場のワイヤーが切れた。

 知らず知らず、足でも発動した奇跡がそれを傷つけていたらしい。足元が突然に消え失せたような感じだった。わけも分からず宙に放り出されたアゲハの脳裡で、砕可(サイカ)がにやっとあの笑顔を浮かべて言った。

『奇跡っていうのは、使うより使わないほうが難しいものなんだ――』

 アゲハは知っている限りの悪態を力いっぱいに叫んだ。

 こんな馬鹿な死に方があるものか。咄嗟に、一緒に落ちているワイヤーのざらざらした端をしかと掴む。

 ぐあん、とワイヤーが振り子のように揺れた。

 掴んだ手がかっと熱くなった。両腕の傷口が再び開いたのか、ひりひりと痛む。肩が外れそうなほどの力が身体を引っ張っている。掌からすり抜けたワイヤーがブーンと唸って、身体がぐるっと回った。

 黒い“向こう岸”が目の前に飛んできた。

 もはや奇跡の気配がどうだとか言っている場合ではなかった。

「《(カラ)》!」

 考えるより先にさけぶ。名前で繋ぎ止められた圧縮術は、命ぜられたとおりに発現した。全身を燃え上がる奇跡が包んだ次の瞬間、棍棒で思いっきり殴られたような衝撃が身体中を通り抜ける。

 高さはやや足りないくらいだったが、風向きが幸いした。奈落の底から吹き上げる突風がアゲハを持ち上げて、上向きに崖っぷちへと叩き付けたのだ。

 黒い金属質の石を割って、岬をがりがりと抉りながら、少年は岸辺へ転がり込んだ。灰色の塵と埃がもうもうと舞う。

 少なくとも、向こう岸へ渡ることには成功したわけだ。

 アゲハは咳き込みながら、岩盤の傷口に横たわっていた。奇跡で全身を護っていなければ岩壁で潰れていた。今の有様だって、それよりはまし程度のものだ。心臓の鼓動に合わせて、泣きたくなるような痛みがずきずきと骨の髄まで脈打っている。

 

 そして、シャルキイイがそれを見下ろしていた。

 

 ◆

 

 シャルキイイは穏やかに微笑んでいた。

 どこから現れたのか、息を切らしてすらいない。“転移(シフト)”にしても、空間を渡る光は見えなかった。

「立てますか?」

 品のいい声で、男は左手を差し出した。東の民の古い習慣で、人助けには左手を使うという。アゲハがあんなにも馬鹿な真似をしたばかりだというのに、彼は何の色もない笑みを浮かべて見せていた。

「見せてください。骨は……折れていないようですね。しかしできれば医術師のところに行ったほうがいい。頭を打った傷というのは、そのときは大丈夫でもあとから出血することがあるのです」

 抱き起こされたアゲハは唸るようにしてシャルキイイを睨んだ。

「どこから……どうやって現れた」

「そう怒らないでください」

 シャルキイイは言った。

「まさかこのような無茶をなさるとは思わなかったのです。知っていればお止めしたものを。本当ならまだ安静にしておかないといけないくらいなのですから。打撲も侮ると怖いのですよ」

「知ったことか」

 アゲハは呟くと、地面に当てた手を小さく動かした。

「《土葬陣(ハニノワ)》」

 シャルキイイの足元が沈んだ。

 黒い波紋が波打つたびに、今しがた跳ね飛ばした小石や石礫がずぶずぶと岩に沈んでいく。ハルヴァヤーの持つ時間の加速のうち、重力を選んで強めているのだ。どんなものも、どんな地面の上でも、必ず沈み込もうとする力を持っている。何百年ぶんの時間があれば、なんだって沈められる。

 けれど、シャルキイイはそのまま立っていた。

「おや、それも貴方の奇跡ですか」

 召使いは微笑んだまま足元を眺めた。

「面白いですね。物質の変性というより、もっと……相互作用そのものに干渉しているのですか?しかし、それは破壊や分解とはまったく異なる力ですね。大抵の<天使(マラーク)>はふつう一種類の概念しか持たないはずなのですが」

 アゲハは呆然としてシャルキイイを見あげていた。奇跡は間違いなく起こっている。だとするなら目の前の男には重さがないことになってしまう。《土葬》は時間の重みを積み上げる技なのだから。

「奇跡か」

「私ですか?いいえ、奇跡は使っておりませんよ。些か私の、そう、()()は……あなた方に比べて特別なところがありますから。そのせいやもしれませんね」

 穏やかにそういうシャルキイイに、アゲハは諦めたようにため息をついた。《葬送》と《火葬》は使えない。ただ沈めるだけの《土葬》とは違って、あれらは出力が大きすぎるし、荒っぽすぎる。

 “不殺”の戒律を見抜かれるようなことはしたくない。こんな、誰かの目があるに決まっている場所では。

 

 アゲハはあの港湾マフィアから盗んだ剣を支えにしてどうにかゆっくり立ち上がると、おずおずと足の痛みを確かめるように歩き出した。

「どちらへ行かれるのです?」

 シャルキイイが尋ねていたが、返事をするような気力もなかった。とにかく、この場からどこか別のところへ行きたかった。

 うんざりだ。息が詰まる。あの女に絶えず見られているような感じがして。

 

 あの大広間から見えていた街並みは、近づいてみると、褐色の石と金属で造られていた。

 イザールとも、ユディトともずいぶん違う。あそこはぎっしりと身の詰まった果実のような、上下にも左右にも押し込められた都市だったが、ここはゆとりのある家々の間を広い道がゆっくりと伸びをするように縫っている。

 アゲハは巨大な石造りの門をくぐった。見間違いでなければ、そのアーチのうえにはあの放浪王(ザ・ウェンド)の顔が浮き彫りにされていた。アーチを支えるように、赤銅色の風を象った彫刻柱が据えられている。

 シャルキイイが後ろで口を開く。

「“放浪門(オ・ハ)”。我らが王のための記念碑です」

 道端には本物の草木が生えていた。

 土が生きているのだ。アゲハは石畳を踏みしめて、それを眺めた。何もない野原だとはいえ、それに踏み入るのはなんだか畏れ多いような気がした。

「ここは“高町”ですね。タルシシュの中枢部です。あちらに行くと大図書館と博物館のある“知恵の館”が、反対に行くと職人達の工房街レドリヴァーが――」

 いつまでついてくるんだろう。アゲハは口にこそ出さなかったが、疎ましげな目をシャルキイイに向けた。

 彼らがアゲハを手当てしてくれたのはありがたいけれど、それはただ、不死の血が欲しいからなのだ。敵に救われた。それが本当に嫌だった。

 大きく腹が鳴ったので、シャルキイイは肩をすくめた。

「お食事にされますか?」

「よけいなお世話だ」

 アゲハはふらつきながら言った。

「別に、一日くらい食べなくたって大したことない」

 イザールではそんな日ばかりだった。有機錠剤で紛らわすようなことばかりしていたのだから。

「傷を塞ぐのには血肉がいりますよ」

 シャルキイイは困ったように言った。アゲハは首を振った。

「そんなこと言われたって、あそこには戻らないぞ。閉じ込められるのなんか嫌だ。料理だっていらない」

「いえ、連れ戻す気はありませんよ」

 シャルキイイは言った。

「もとより、貴方の<天使(マラーク)>もお返しするつもりでいたのです。私はただ、見るべきものをご案内できればと思っていたものですから」

 アゲハは疑わしげにシャルキイイを見た。

「ちょうどこの町にも貴方をお連れしたいところがあったのです。ある鍛冶師(タルシクス)の工房がありましてね。すぐそこです」

 シャルキイイはひときわ大きい、丸っこい建物を指さした。

「素性を聞けば、貴方もきっと会いたいと思うはずですよ」

 折しもその中からは、鍛冶師らしい男が出てくるところだった。彼は傍を歩いていた人たちに軽く会釈をすると、こちらに気づいた様子で手を差し上げた。シャルキイイとは知己らしい。

 アゲハはそのどこが特別なのか分からずに、じっと見つめていた。何の変哲もない男だ。強いていえば、片方の耳に欠けたような古傷が――

 

「――彼の名はウミガラス。貴方と同じアシタ人の、鍛冶師(タルシクス)ですよ」

 

 ◆

 

「やあ、シャルキイイさん」

 そのウミガラスは火の匂いを漂わせながら挨拶した。

 細身だが、いかにも鍛冶師らしく、獣のようにしなやかな筋肉に覆われている。自分で作ったものなのか、鉄の腕環がいくつか手首で揺れていた。

「しばらくですね。この前の鉄瓶はその後いかがです?香りが膨らむようにちょっと広く空間を取ってみたんですが」

「素晴らしい出来ですとも。やはり茶の淹れ方というのは器で変わるものですね。その節はありがとうございました。今日は……」

『アシタ人なのか?』

 アゲハはアシタ語で呟いた。

 欠けた耳は奴隷階級の証しだ。タカやノコギリソウのような戦士階級とは違う、アゲハと同じ民のしるしだった。

 しばし沈黙があった。ウミガラスはアゲハを見つめると、口を開いた。

「すまない」

 シャーン語だ。男の眼差しが髪に隠れたアゲハの耳へ向かってから、また瞳に戻ってくる。

「アシタ語は分からないんだ。両親は俺が幼い頃に亡くなったものでね。シャルキイイさん、彼は、その……」

「陛下の客人です。貴方のお察し通り、旧アシタ皇国出身の」

 男はうなずくと、アゲハに向かって手招きした。

「立ち話というのもなんだから、中へどうぞ。ちょうど遅めの昼餉(ひるげ)にするところだったんだ」

 

 工房の中は清潔に整えられていた。火と鉄の苦いような辛いようなにおいが漂っている。金属製の椅子に腰掛けると、ウミガラスは息をついた。

「おとといから腰を痛めてしまってね。さて、何から話そうか。君の名は?」

 アゲハはちょっと躊躇ってから、シャーン語で答えた。

「アゲハ。……(おや)はホタル氏族」

「“血の名乗り”だな。すまないが、俺はあまりそのへんのことを教わっていないんだ。アジサシ族とは聞いている、母の言を信じるならだが……しかし、アシタ人は本来、父系の氏族に属するんだろう?」

 ウミガラスは昼餉の準備をしていた。一切れのフラムに魚の油漬けと、海ユリの実まで添えている。それが自分のぶんまで出てきたので、アゲハは目を剥いた。ウミガラスは笑った。

「そう驚くなよ。同郷の人間に会ったのだから、これくらい食っていけ。ひどい顔色だぞ」

 シャルキイイにしてやられたような気がする。アゲハはしかし、素直に礼を言ってからそれを口に運んだ。飲み込むたび、腹のなかに熱が広がっていくような気がした。

 

「俺は君と同じ、卑族の出でね」

 ウミガラスは食べながら言った。

「もう随分と前になるが、俺の両親はまだ幼い俺と兄を連れて、アシタから逃げ出したのだそうだ。そういう逃亡者は結構いる。大半は捕まって連れ戻されるんだが、父と母は運が良かった。もっともすぐに(おこり)で死んでしまったから、俺もそれ以来ずっと連邦にいる」

 だからアシタ語は話せない。 

 ウミガラスはそう言って軽く笑った。

「シャーン人同然だ。だが後になってみれば、連邦にいたのは運が良かった。あの戦争に巻き込まれずに済んだからな。七年前のアシタ戦役に」

「最悪の戦争だった」

 アゲハはつぶやいた。

 ウミガラスも頷いた。

「俺もいろいろとひどいものを見てきたし、聞いた。戦場を横切ったことだってないわけじゃない、だが、あれは……あのアシタ戦役はどんな戦争とも比べものにならない。連邦は決してやってはならないことをしたんだ。戦争だからといって、何でも許されるわけがあるものか」

 ウミガラスはため息をついた。

「君はアシタにいたんだな、あの七年前も」

「無くなってよかったのさ」

 アゲハは思わず呟いた。

「あんな国。身分で何もかもを決める国。貴族が遊び半分で卑族を殺すような、人間に上下がある国なんか!」

 そこではっと我に返って、アゲハは口をつぐんだ。ウミガラスは悲しげに黙っていた。

「俺はそれを知らんからな」

 そう言って、彼は自分の欠けた耳を撫でた。フラムを食いちぎる。

「アシタ皇国は厳しい身分制度を敷いた国だったらしい。そう聞いてはいるが、俺は何一つ知らないんだよ。せいぜいが自分の名前くらいだ。俺の家族が何を思ってあの国から逃げ出したのか、何があったのか、本当は何一つ知らないんだ」

 アゲハは黙っていた。

 アシタ皇国で過ごした幼い頃のことは、今でも記憶に焼き付いている。忘れられるはずがない。だが、それを言葉で説明したところで伝わるようなものだとはどうしても思えなかった。

 アゲハの中心を焼いているのは怒りだ。奴隷階級を虐げて暮らす“(かみ)の人々”、それに何よりそんな仕組みを作った王の氏族が許せなかった。顔すら見たことがない、姿を現しもしない敵が許せなかった。彼らはアゲハのことなんか気にもとめず、憎んですらいないのだ。南端都市イザールを襲ったあの黒い“(アルボル)”の<天使(マラーク)>と同じように。

「あんたは……なんでここにいるんだ?」

 アゲハは言った。やや礼儀知らずなずけずけしたその問いにも、ウミガラスは優しく肩をすくめた。

「王様に救われたんだよ、俺は。ここにはそういう奴が多い。我が儘で、気分屋で、すぐどっかへ飛んでいっちまう、風みたいなお人だが、それでも俺たちはあの王様が好きなんだ。俺もいざとなれば彼女のために力を使うと決めている」

 ウミガラスの首筋から、青い紋章が覗いているのにアゲハは気づいた。

 <人間イカリ>だ。

「そう。君もだな」

 ウミガラスは言った。その目がアゲハの包帯まみれの掌を見透かし、リソースの気配を探っているのが分かる。

「ただのみなしごがひとりで生きていけるほど世間は容易くない。俺がこの齢まで生き延びられたのは、その力があったからだ。君もそうだろう」

 アゲハは頷かなかった。彼が生き延びたのは奇跡など関係のない身一つの幸運だったし、アゲハの<天使>は彼を救いもしたが、厄介事を呼び込みもしたのだから。けれどそれをウミガラスに明かしてみたところで意味なんかないと思った。

「契約者は<天使(マラーク)>が選ぶものだ」

 ウミガラスは言った。

「俺や君は選ばれた人間なんだよ。選ばれたものにはそれなりの生き方がある。俺はこの力を俺の忠誠のために使うと決めている。俺がそうしたいと望んだんだ」

 その口ぶりは誇らしげだった。彼は奴隷ではなく、臣下なのだ。その二つは似ているようでも、まったく違う意味を持っている。

 

「君、家族は?」

 唐突に、ウミガラスは尋ねた。アゲハは首を振った。

「そうか」

 ウミガラスは皿を重ねると、水場に持っていった。かたかたと木椀が擦れる音がする。

「君がこの先どうするつもりなのかは君の自由だ。だが、同じアシタの血を引くものの(よしみ)だ、もし当てがないなら俺のところへ来るといい。一人くらいは食わせてやれるし、レドリヴァーの鍛冶師(かじし)(れん)は緩いからな、鍛金の技だって教えられる。手わざがあればどこへ行っても食っていけるから」

 それに、とウミガラスは言った。

「もっと故郷の話もしたいじゃないか」

 

 ◆

 

 やがて、ウミガラスの工房から黒い煙が立ち始めるのを、アゲハとシャルキイイは外の道端からじっと眺めていた。

 通りかかりの人々がときおり怪訝そうに目をやっては、シャルキイイに気づいて顔を綻ばせる。当の彼は、どこから取り出したのか、小さなカップに近くのパイプから水を汲んでいた。ひとゆすりすると、それが瞬き一つの間に香り高い湯気を立てる紅白茶になった。

 アゲハは顔を動かさずに唇だけで言った。

「あの人に会わせたかったのか」

「はい。言ったでしょう、興味をお持ちになるだろうと」

 シャルキイイは静かに答えた。

「ウミガラス様は<タルシシュ船団>の中でも古株でしてね。戦場にいたところを放浪王陛下に拾われてこの船団に入ったのです。<人間イカリ>としても優れた術者でおられる。幹部のお一人ですから」

「どうして?」

 アゲハは訊いた。シャルキイイは杓子定規に突っ立ったまま、どう答えたものか言葉を探しているふうだった。

「どうして、おれをあの人に会わせようと思ったんだ。同じアシタ人だからか」

「それも間違いではありません。しかし……そうですね」

 シャルキイイは言葉を切ってから続けた。

「ご足労ですが、ついてきていただけますか」

 

 工房の脇を抜けて、小道を進んでいくと、そこには古びた石造りの門が据えられていた。

 アゲハは瞬きをした。さっきまでの街並みと、門の内側に覗いている緑豊かな森があまりにもちぐはぐに思えたのだから。その向こうにはもう赤茶けた褐色の石などひとかけらもなく、色とりどりのみどり色しか見えなかった。

「この門にも仕掛けがあるのです。()()が工房の煙を嫌うのでね」

 シャルキイイは門をくぐり、アゲハを手招きした。

 門の縁でなにかがちらちら揺らいでいる。近づくと、ルルルル……と何かの鳴き声がして、黒っぽく丸いものが宙に列を作ってアゲハから逃げていった。

「ああ、<元素霊(エレメンタル)>ですよ」

 シャルキイイは事も無げに言った。

「この門のあたりには炭素の精霊が棲みついているので、流れてくる煙を喰ってくれるのです。可愛い門番ですね」

「エレメンタル?」

「ご存じないですか、純粋な元素から出来上がるという。まあ、蟲のようなものです。人の少ないところが好きなのでしょう」  

 黒っぽいそれらを柔らかに払い除けて、シャルキイイは木々のそばに足を進めた。

 

「ここは農園ですからね」

 はじめ森だと思ったそれらが、整備された木々だということにアゲハは気づいた。よく見ると、規則正しく植えられた木々がお互いに枝をぶつけないようにきちんと剪定されている。本物の果物が葉っぱに混じって揺れていた。下生えがさりげなく刈り取られ、光差す小道が農園の奥へ続いていた。

 空気が澄んでいる。静かすぎる。

 梢を掠めるように、さっきのエレメンタルとよく似た青白い光がつらつらと舞っている。その尻尾を目で追っていると、木々の隙間から見える丸い何かに気づいた。

 それは眼だった。

「やあ、邪魔していますよ」

 枝葉の向こうに向かってシャルキイイはそう呼びかけると、一番近いところにあった果物をもぎ取ってアゲハに手渡した。

「さあどうぞ。土と水からできた本当の果物です。土からできたものがなくては、土からできた人間を癒やすことはできない」

 真っ黒で巨大な瞳に、アゲハは射竦められたように立ち尽くしていた。目を凝らすと、家ほどもある背丈が森のなかで佇んでいるのが見えた。

「そんな目で見ないほうがいい」

 シャルキイイは口の端で静かに囁いた。

「エレメンタルとは違う。彼らは貴方と同じ人間ですよ。寡黙だが気のいい連中です、巨人族(レファイム)は」

 その巨人(ラファー)は何か言うでもなく、すぐに森の中へ去っていった。彼らにとってみればそれは生け垣程度のものだったのだろう。

「園丁として森の番をしてもらっているのです。巨人族(レファイム)は草木と共にある民ですからね。数が少ないあまりに滅びかけていたのを、我らが王が拾われたのですよ。ここの元素霊(エレメンタル)もたいてい彼らについてきたのです」

 

 そういうシャルキイイを、アゲハはじっと見つめていた。

 紋章は見当たらなかった。服を着せ替え、水を茶に変え、どこからともなく神出鬼没に現れたというのに、<人間イカリ>の証は手にも足にもどこにもない。

「そうか」

 アゲハは言った。

「あんたも、普通の人間じゃないんだね?」

 

「はい、私は<ジン>ですから」

 

 シャルキイイは目を見開いたまま深々と頷いた。彼はさっきから、一度たりとも瞬きをしていなかったのだ。

「奇跡の力を使えるのはなにも<天使(マラーク)>だけではないということです。しかし、その『私も』というのはよして頂きたいですね。巨人族と私はまったく違う。彼らは人間ですが、私は――」

 シャルキイイは茶を一啜りすると、香りを楽しむように湯気を吸い込んだ。カップのなかのそれはまるで減っていなかった。

「土と水に属するあなたがた、人の子とは違う。私たち<ジン>は風と火に属する存在です。東海域には我が仲間が結構いますよ」

 湯気を立てる茶が水に戻る。

「我々はことばそのもの、力そのものです。貴方がたのように、ことばを、力を“使う”のではなく。怪物と言ってもいい。化け物と呼ばれたこともあります。それはまったくもってその通りですが」

 シャルキイイは自分の指先を炎に変え、揺らめかせ、握り潰して消した。瞬きも息づかいもない。彼はヒトの形をしているだけの、いわば幻影に過ぎないのだ。 

 

 そんなアゲハの驚きを見透かすように、シャルキイイは頷いた。

「私は貴方に見せたかった。そうしろと命じるのでもなく、押しつけるのでもなく、ただ見てほしかったのです、このタルシシュのあり方を。ここまで沢山の民が混じり合う場所はそう多くない」

 確かに、多くはない。曳航連邦はシャーン民族に同化しないものを許さない。アシタ皇国は三族身分制に当てはめることでしか人間を見なかった。

 どんな国でも、異人は異物にしかなれない。

「確かにおとぎ話みたいだ。でも、それが何になる?」

「そう欲するならば、あなたはここに留まることができる」

 アゲハは反発しようとしたが、口をつぐんだ。

 シャルキイイが真剣に言っていることがわかったからだ。どんな思惑があれ、彼の申し出たことは本当だった。それを無碍にするほうがむしろ子供っぽく感じられたのだ。シャルキイイはしかし、急かすでもなく、ゆっくりと続けた。

「あらゆる人間も、人間でない者たちも受け容れる。それこそが我らが王の理想です。当てどない旅を無理に続ける必要が、果たしてあるのでしょうか?」

 アゲハは躊躇いがちにかぶりを振った。

 あまねくすべての種族を受け入れる場所、素晴らしいと思わないわけではない。ただ、心の奥底のどこか分からない場所でその気持ちを押し留めるものがあった。素直に首を縦に振れない何かがあった。

 

「おれは――」

 

 ◆◆◆

 

 

 

『――《操作(フト)》』

 

 

 

 ◆◆◆

 

 そのとき、しじまを破る凄まじい衝撃音がとどろいた。

 

 アゲハとシャルキイイは咄嗟に空を見上げた。

 橙の混じった赤が、真昼の青空をぐちゃぐちゃに塗りつぶしていく。剣を擦り合わせるような甲高い音が空から鳴り響く。

「あれは……火?」

 間違いなく炎だった。どこかから降り注いだ火の玉で、タルシシュの空が燃え上がっているのだ。なにより、息が詰まるほどの力の気配が立ちこめていた。その向こうで、光の膜みたいなものがちらちらと剥がれて消えていく。

「なんということだ」

 シャルキイイが血相を変えて唸った。いつもの丁寧な口調まで消え失せている。

「多重物理結界が第13層まで一撃で貫通()かれるだなどと、まさか、そんな出力、いったい何者が……」

 アゲハはシャルキイイを振り向いた。聞き捨てならぬ。

「これが人間の仕業だっていうのか」

 <ジン>は無言のまま空を指さした。

 

 人差し指の先に、隣り合うふたつの人影が見えた。

 白い長身の影が、小柄な誰かを連れている。はためく布みたいななにかに乗って、空の上からタルシシュを見下ろしているのだ。

 高すぎて砂粒くらいにしか見えないけれど、彼らが何かしたのだということは分かった。得体の知れぬ二人からはとても強い力の気配が放射されている。

 まるで太陽みたいだと、そう思った次の瞬間、《円環》が開いた。

 小さい方の人影が細かな光の粒子に変わった。

 空をこじ開ける光の環が回りながら広がって、その内側から巨大なものが降りてくる。もう見慣れたはずのそれなのに、不思議と目が離せない。瞬きすら躊躇われるような、圧倒的な気配があった。

 

 転移(シフト)で現れたのは、濃紺に近いような、黒と青をないまぜにしたような、雄々しい<天使(マラーク)>だった。

 ハルヴァヤーやオセルに比べても一回り大きい。人間のかたちと比べると、その手脚は長くて太すぎた。方解石のように四角形をより集めた輪郭に、火の揺らめきがきらきら光っている。不思議な色合いだった。透き通っているように見えたかと思うと、艶のない黒に見えるような気もする。

 それは巨大な両腕を掲げ、背で六枚の翼を広げた。

「この存在感(プレッシャー)は、まさか」

 シャルキイイが色とりどりの懐に手を突っ込むと、丸いレンズを取り出して空の光に翳した。白い《円環》の光がその色を鮮やかに変える。

 それは青よりも濃く、深い藍色をしていた。

(スペクトル “(インディゴ)”……それって!)

 砕可(サイカ)から教わったことばが脳裡に蘇る。聖なる青をも超える、奇跡の中の奇跡の色……アゲハは思わず呟いていた。もつれる舌の上で転がり、唇を震わせる名を。

 

「……<超級(スペリオル)>」

 

 紺碧の<超級天使>が、タルシシュに舞い降りる。

 

 To be continued…

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