<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第三十四話 <超級(スペリオル)

 ■タルシシュ船団

 

 紺碧の<天使(マラーク)>が、太陽を背にして舞い降りていく。

 鋭く切り立った眼窩のなかでは、赤い燐光が目のように燃えている。背中には岩盤を切り出したような六枚の翼があり、涼やかな白銀の枷が身体を這い回るように絡まっている。

 

 その肩には“人形王(ザ・トラス)”が、普段通りの白ずくめでゆうゆうと立っていた。

 彼は辺りの景色を見渡し、目を閉じて、第六感を開いた。

(さて、近くで強大なリソースを有するのは……三人、いや四人。もう一つそばにいるのは、これは人間ではないな?まったく、妙なものが彷徨いている都市だ)

 彼ははじめて目にするタルシシュの風景を、目を閉じたまま睥睨した。頬をなでる風、梢の揺れる音、あたりを流れる“力”の動きを。

(感じない。特に仕掛けがあるようではない。これは意外だな。あの女ならば迎撃術式の仕込くらいはやりそうなもの――)

「おい」

 針のように鋭い声に“人形王”は振り向いた。

 

「なんの真似だ」

 

 “放浪王(ザ・ウェンド)”が空を踏んで立っていた。

 片手には本を携え、鉤の手はぎらぎらと光っている。全身から尖った力の気配が放射されていた。流れる風が淡い緑の光を帯びる。力の気配は感じなかったというのに、人形王の感覚外から一瞬で“飛んで”きたのか。

「これはこれは放浪王。お久しぶりです」

 狼狽えることなく、人形王は猫なで声で慇懃に言った。

「七年ぶりでしょうか。相変わらずお美しい。御年百を超えてらっしゃるようには見えませんねえ」

「なんの真似だと聞いている」

 放浪王は吐き捨てた。

「この僕のタルシシュの物理結界を残らず突き破った上、内部で<天使(マラーク)>を召喚してみせるとはな。死にたいという意思表示か?」

「捜し物と、新しい“生人形”の試運転ですよ」

 人形王は肩をすくめた。その白い帽子の下で、眼光が鋭く揺れた。

 

「アシタ人の少年を捜しています。曳航連邦から神話級を簒奪した子供を。イザール、トバルカイン、それからユディトまでは追いかけてきたのですが、そこで足跡が途絶えましてね」

 人形王の言葉に、放浪王は鼻を鳴らした。

「知ったことか。出ていけ」

「このタルシシュには力ある人間が多いのですねえ」

 人形王は返事になっていない言葉を返した。

「こうして探ってみるとはっきりわかる。しかし、なぜこんなにもありありと感じられるのです?それなりに熟れた<人間イカリ>なら、リソースの気配などある程度は制御できるはずだ。こんなにも垂れ流しになっていい筈はない」

 帽子の下で鋭い目つきがきらめいた。

 

「……わざとだな。貴女(あなた)の臣下に命じてわざと気配を開放させている。リソースを探られることで制御技術の未熟な簒奪者を見つけられないようにだ。まったく、小賢しい真似をする」

 

「はっ。口の利き方すら分からぬほど錯乱したか」

 やや老獪な口調になって、放浪王は言った。

「若僧が。この僕に少しでも敵うつもりでいるのか?」

「そちらこそ耄碌したものだ」

 慇懃さをかなぐり捨てて、人形王は<天使>の肩で言った。

「戸口を踏み荒らされてなお問答を始めるとは思わなかったよ。音に聞く放浪王が随分とアマい。喉元に牙を向けられているのは、今まさにそちらだというのに」

 “人形王(ザ・トラス)”は胸元の笛を持ち上げ、口の端で軽く吹いた。

 

「《操作(フト)》――」

 

 途端に、紺碧の<天使>が動き始めた。

 巨大な両の腕を持ち上げ、放浪王に向かって掲げる。女は気にもとめず、携えた【翠風秘典(ザ・ウェンズ・ブック)】を開いた。

 圧倒的な力の気配があたりを塗りつぶす。人形王は目を細めた。さっきまで探知できていた幾つかのリソースがあっという間に分からなくなったからだ。まるで、強すぎる月明かりに星々が霞んでしまうことみたいに。

「これだから権天使(アルケー)は」

「そうだ、これが権天使系統だ」

 その中心点で、放浪王は言った。

 奇跡は目に見えないし触ることもできない。それでも、人間ならば肌で感じるものがある。日なたから日陰に踏み入ったときのような、違う世界に入り込んだという薄ら寒さがある。

「ここは僕の領域なんだよ。お前がどれほど強い人形を連れてきたか知らないが、所詮は僕の掌の上だ。これだけは何をやっても変わらない……第20番《(たち)》」

 放浪王を襲う<天使>の両腕が、見えざる壁に止められる。彼女を囲む風が、水晶玉のように丸く集まって主人を護っているのだった。

 放浪王は書に栞を挟みながら言った。

「警告はしたぞ。愚かな思い上がりの報い、その身でもって受けるがいい」

 そのページがぱらぱらと後ろの方までめくれていく。

 だが、人形王はわざとらしくため息をつくような仕草をした。その指がなにかを引っ張るような動きをする。

「やれ」

 

 次の瞬間、<天使>の両腕が燃え上がった。

 《絶》が音を立ててひずみ、少しのあいだ耐えてから、爆発するようにして砕け散る。放浪王は驚愕に青ざめ、そしてその身体を炎の両手が合掌で押しつぶした。

「勝算があるからこそ驕っているのだ」

 人形王は<天使>の首筋で言った。

「それとも、本気で思っていたのか?そんじょそこらの<人間イカリ>を人形化したくらいで貴女に挑むほど、この私が愚か者だと。心外だな」

 火が爆ぜる。

 焦げた裾を蹴散らし、炎を振り払いながら“放浪王”が飛び出してきた。ところどころ焦げ目のついた【翠風秘典】を振り回す。

「第3番《風斬(かざきり)》」

 触れれば切れるほどの暴風が一筋、その右手から放たれる。形のない風でそんなものを作ってしまえること自体が、彼女の強い奇跡のあかしだった。

 けれど<天使>は、まるでそよ風みたいに片手でそれを打ち払った。燃え盛る指が暴風を握りつぶし、吹き飛ばしてしまう。

「まさか」

 放浪王は信じられない、という口ぶりで叫んだ。

「《明かせ(レウェーラー)》」

 大きすぎる帽子の中から、古びた片眼鏡(モノクル)が右目に落ちてくる。それに透かされた光、眼の前で燃え上がる<天使>の《円環》は、深い藍色を示していた。

 

 <天使>には五つの位階がある。

 逸話級(アッシャー)伝説級(イェツィラー)古代伝説級(ブリアー)神話級(アツィルト)。そして最上位の青すらも超えた色、空より濃く海より深い、スペクトル(インディゴ)――

 

「<超級(スペリオル)>だと――」

 

「正解だ、老いぼれ」

 人形王が哄笑した。

 さっと右手を振る。<天使>も同じように長い右手を振り上げ、放浪王を空から地面へと叩き落とした。ほんの一瞬、風と炎がぶつかり合い、そして嵐が力負けする。

「曳航連邦の老人たちもついに重い腰を上げたというわけだ。この私に、この“人形王(ザ・トラス)”に<超級天使(スペリオルマラーク)>を貸し与えようというのだから。簡単な足し算だよ、貴女と私は<天使>の位階は同じだ。それに<超級(スペリオル)>が加わるのだから、勝ち目のほどは容易く叩き出せよう?」

「馬鹿な」

 墜落させられた放浪王は、土に塗れながら唸った。屈辱だ。天空を支配する女、風に乗る女がこんなふうに、大地に叩き落とされようとは。

「曳航連邦に属する<超級(スペリオル)>はその誰もが力ある人間だぞ、それがお前ごときに<天使>本体を『貸し与える』などあるわけが」

「だから耄碌したというのだよ」

 耳聡くそれを捕まえて、人形王は高みから叫んだ。

「見覚えはないか?あるはずだ、私も、貴女も、我々はみなあそこにいたのだから。七年前のあの場所で、我々はあんなにも猛り狂ったではないか。それは、なぜだった?」

 放浪王は紺碧の<天使(マラーク)>を見やり、そして瞳を揺らした。

「そうだ」

 人形王は囁くように肯んじた。恍惚としているようですらあった。

 

「これこそ“最新”だ。かの旧アシタ皇国が秘密裏に保有していた、世界で七体目に発見された<超級(スペリオル)>だ!」

 

 ◆◆◆

 

 ■アゲハとシャルキイイ

 

 ぎらぎらと、空から凄まじい存在感(プレッシャー)が降り注ぐ。

 シャルキイイは明らかに怯えていた。力そのものたる<ジン>には肉体(うつわ)がない。力の気配がじかに伝わるのだろう。

「<超級(スペリオル)>。まさか、連邦がそんなものを追っ手に投入するとは思いませんでした」

 彼はアゲハに向かってそう言ったが、前が見えているのかいないのか、よく分からない目つきだった。

「藍の第5位、とんでもないリソース量です。あの方が力負けするところなんて、私、初めて見ました」

 シャルキイイは震えるというより揺らめきながら言った。

 

「追っ手?」

 アゲハはつぶやいた。

「あれはおれを追ってきたのか」

 考えてみれば、それ以外に理由などあるわけがない。曳航連邦はアゲハに二億ゼータの懸賞金をかけ、死に物狂いで捕まえようとしている。

「おれのせいで、この都市が戦場に――」

「それは違う。あなたのせいなどでは」

「殺される人たちにとっては同じだ」

 アゲハはそう言うと、鞘に収まったままの剣を腰から引き抜いた。金属の重みが傷ついた骨身にしみる。

「何をする気です」

「撃ち落とす」

 アゲハは剣を引きずりながら歩き始めた。火打石を失くしてしまったけれど、そのあたりの石にでも叩きつければ火花は飛ぶ。《火葬》には火種がいる。ハルヴァヤーの力は無いものをあっと出してみせるような奇跡ではないからだ。

「承服できません。こちらから喧嘩を売るなんて、居場所を教えるだけです」

 シャルキイイは必死にその剣を押さえつけた。

「あれは<超級(スペリオル)>なのですよ。分からないのですか?あなたでは勝ち目などない。いや、並大抵の人間には勝ち目なんかないのです。陛下に任せて隠れるのが正解ですよ」

「おれは戦う前から負けるつもりなんかない」

「それは蛮勇です」

 シャルキイイの声が厳しいものを帯びた。

 

「失礼ながら……あなたは未熟だ。私が人間でないことなど<人間イカリ>なら即座に見抜けてしかるべきなのに気づかなかった。見えていない、聞こえていない、そんな術者の奇跡があれに通用するとは思えません」 

 その指がアゲハの肩を掴む。

「赤ん坊に剣だけ持たせて戦場に放り出すようなものだ。奇跡で大事なのは使い手の技なのですよ!純然たる格上には神話級の力押しも通じない。リソースを感じ取ることすらできないあなたが、あれから逃げることは弱さではない。賢明さです」

「おれは“王の器”だ」

 アゲハは叫んだ。

「ただの人間じゃない。ハルヴァヤーと契約したんだから。それで逃げるだなんてできるものか」

 あまりの激情に奇跡が燃え上がり、足元の土を灰色に焼く。

「誰かの後ろへ隠れて、他人を盾にしても生き延びろっていうのか?それが仕方ないって言ってられるのはもう終わったんだ。ハルヴァヤーに、<天使>に選ばれた時から!」

「それで死んでもいいのですか?」

 シャルキイイの言葉に、アゲハは首を振った。

「死んだように生きるくらいなら、死んでるのと同じだ」

 その眼が<ジン>を睨む。(ダーン)と同じことばが口をついて出ていた。

「ここで逃げ出したら、二度と正しい道に戻ってこられない。おれは死にたくない。生きていたい。自由になりたい。(アーセリング)になりたい。欲することが生命そのものなら、おれは自分の生命(いのち)に叛くことはしない!」

 

「それがどれだけ正しいことばだとしても」

 シャルキイイは云った。

「力なき言葉は世界に対して意味を持てない。見過ごすわけには参りません。どうしてもというのなら、私を破壊してからお行きなさい」

 アゲハは目を細めて、顔を背け、向かい合う二人の王と紺碧の<天使(マラーク)>を見上げた。

 この遠くからでもはっきりと見て取れる。あの背中の、まるでスレートのように真っすぐ板状になった、六枚の翼が。

 

 

「六枚羽根、か……」

 “放浪王”がそう言った。風をまとってすうっと浮き上がりながら。

熾天使(セラフ)系統。そういえばそうだったな」

 六枚の翼は熾天使系統のあかしだ。主天使(ドミニヨン)系統の杖や能天使(エクスシア)系統の変形と同じように。

「《踊れ(バッラー)》」

 人形王はどうやってか、自分も宙に浮き上がりながらそれに応えた。身につけた聖異物のひとつだろうが、完全な単体飛行ができる奇跡は珍しい。

 いい品を手に入れたものだ。

「熾天使系統・超級【戦火奇跡 エシュ】。火の<天使>だ。貴女の技では、この身体に傷をつけることすら叶わない」

 

 熾天使(セラフ)は、力天使や権天使とはまったく異なる。

 他系統が外向きの力をどのように扱うかの違いなのに対して、熾天使系統は内向きの力、自己改変の奇跡だ。

 眼の前で燃えているあの<天使>の両手は、火をまとっているのではなく、火に()()()()()。それそのものが莫大な熱エネルギーの塊だ、そう簡単に破壊はできない。

「風で火が切れるか?貫けるか?無理だろうな。神話級とはいえど貴女の奇跡は所詮、物理世界にとどまっている。それでは“(エシュ)”を殺すことなどできはしない」

「完全な非実体化とは。さすが<超級(スペリオル)>といったところか。おまえの奇跡も、こうして目の当たりにするのは初めてだな」

 放浪王は肩で息をしながら言った。すでに午後だ。それに奇跡を全力で吹かした。老いの響きが、少しずつだが身体に現れてきている。

「《操作(フト)》……人間を人形にして操るというのは聞いていたが」

 この<超級(スペリオル)>を操っているのは“人形王”の奇跡だ。  

 人形化した契約者(アンカー)を介して、同化した<天使>本体さえも。それは確かだが、それにしてもどのようにして操作しているのか、奇跡の本質を見極めなくては戦いようもない。

「必要か?これから始末されてしまうだけの貴女に」

 人形王はせせら笑うと、また笛を吹いた。

 <天使(マラーク)>エシュが動き出した。その右手が炎へと変じ、輝きを高めていく。本当なら全身を火に変えるところ、圧縮術で一つ所に集めているのだ。その光に照らされて、なにかがきらりと光った。

「制御の代行だよ」

 人形王は物乞いに食べ物を投げてやるときの口調でそう言った。

「<超級(スペリオル)>のリソースを、この私の操作で扱う。簡単な掛け算さ。未熟な<超級>の力だけを引き出し、圧縮術は達人のものだ。わかるかね、この強さが。貴女の勝ち目などどこにもないということが」

「ああ、よーくわかったよ」

 放浪王は肩をすくめた。

「おまえの奇跡……精神干渉系じゃないな。あくまでも肉体を動かしているだけだ。心まで操れるならそんな回りくどいことをする必要はない。主天使系統ってところか」

 人形王は鼻白んだように言葉を止めた。放浪王が続ける。

「だが、曲がりなりにも奇跡の操作にまで干渉しているということは精神と心の聖域に触れているということ。どこかで見た覚えがあると思ったんだ、その枷」

 <天使(マラーク)>の全身には、白銀の枷と鎖が嵌っている。空の上で、契約者の少女も身に着けていたものだ。確かにそれは、紺碧の<天使>の意匠からはやや浮いている、ちぐはぐなものだった。

「“白銀王(ザ・ホルド)”の爺の造物だろう?精神(こころ)を縛られている。そんなものに頼らなければならないのなら、お前はやっぱり主天使だ。“人形王(ザ・トラス)”とはよく言ったものだな、文字通り木偶(でく)を繰るだけの人形遊びだ」

「安い挑発を」

 人形王はしかし、言葉とは裏腹にいささか苛立った様子で両手を振り乱した。<天使>エシュがそれに操られて右腕を振り抜く。凄まじい熱量が放浪王めがけて炸裂する。

「音に聞く嵐の<天使>とはいえ、これをいつまで防げるものかな。楽しみだよ、その偉ぶった口が跡形もなく燃え尽きるのが!」

 そう勝ち誇った人形王はしかし、はっと帽子の奥の目を見開いた。

 

 雲が渦巻いている。

 あの空よりも低いところ、打ち破られた物理結界の内側で、灰色の積乱雲が生まれていた。それはもくもくと膨らみながら押しつぶされて、回転する巨大な球になる。

「気づいたか。僕の時間稼ぎのお喋りに付き合ってくれて礼を言うよ。せっかくこんなに熱があるんだから、利用しない手はないよなあ」

 放浪王は獰猛に嗤った。

「熱せられた風は膨らんで上昇気流を作る。そこにちょっとばかし湿り気を加えてやると、どうなると思う?」

 いささか乱暴な口調で王は怒鳴る。その彼女を中心にして、奇跡の領域がぐわっと広がった。地表の湖沼から水気を持ってきているのだろう、霧のようなものが立ち上っていく。

 雲がぐるぐると渦を巻くその球へ、彼女は鉤の手で命令した。

「第72番《荒天星(あらめぼし)》」

 次の瞬間、<天使(マラーク)>の巨体すら凌駕する暴風雨の塊が人形王とエシュを飲み込んだ。

 炎の熱と荒れ狂う風がぶつかり合い、鳥の群れの絶叫のような音を立てる。外から見ると、まるで上空に灰色の星がひとつ浮かんでいるようだった。半径数十ヴルほどの嵐が丸く窄まっているのだ。

「嵐ときたらこれだろう」

 放浪王は間髪入れず【翠風秘典】に栞を挟み、鉤の手を振りかざした。

「《罰せ(エクスピアー)》!」

 その鉤は第一級異物【聖鉤フルグラ】という、雷霆の聖異物だった。

 鉤の手の切っ先から青白い稲妻が走り、幾度となく嵐に向かって横向きに落ちていく。そのたびに大砲のような腹に響く音が鳴る。

 積乱雲はもとより雷を孕んでいる。そこに放り込まれたいかずちは、まるで盤上遊戯の駒を並べ倒すように嵐の中を駆け巡った。

 灰色の星が稲光を抱え込んで明滅する。

「第81番《閃刃刑(せんじんけい)》」

 放浪王はもう一枚栞を挟み込むと、なおも呟いた。

「駄目押しだ。第95番《蒼天灼鎚(そうてんしゃくつい)》」

 空がゆがんだ。

 壊れた多層結界の穴から見える丸い太陽の光が黒ずみ、輪っかのようにつぶれていく。太陽がどうにかなったのではなく、タルシシュの大気が変じているのだ。

 嵐の<天使>セアラが支配する領域内で、風が揺らいでいた。分厚い硝子レンズのように固まって、陽光をねじ曲げている。下からは揺らぎにしか見えないそれは、“人形王”とエシュのいる暴風雨を中心にして焦点を作り、光で彼らを蒸し焼きにした。

 

 はるか下、タルシシュが地上のアゲハはそれを固まって見つめていた。

 恐ろしいほどの技だ。何が起こっているのか分からない。あの女が領域を作り変えるたび、ごとりと天が動いて暴れ狂う。

 なにより恐ろしいのは、そうまでしていてもこの地上には精々そよ風しか吹いていないことだった。領域の内と外を完全に支配下に置いているのだろう。

 砕可(サイカ)から聞いてはいた。最強種の呼び声も高いと。けれど、目の当たりにしてみて初めて分かることがある。

「これが、権天使(アルケー)系統」

 アゲハはそれをただ見上げていた。その胸にあったのは畏怖や感嘆ではなく、焼けるような嫉妬と屈辱だった。<天使>を手に入れてなお、誰かを見あげなければならない自分の未熟さが呪わしかった。

 

 ◆◆◆

 

 放浪王は風を吸い込みながら、乱回転する嵐の塊を眺めた。

 まだ解除はしない。念には念を入れて、敵をすり潰すつもりだ。領域内の風はいくらでもどんどんと送り込めるし、あたりの空気が尽きることはない。

 

 けれど、その雲が突然はじけた。

 稲光とは違う赤みの強い光がカッと瞬いたかと思うと、めらめらと燃え盛る火が回る積乱雲を突き破り、ばらばらに噛み砕いてはちぎり捨てていく。

 

「――さすがは“気象兵器”だ」

 あの嵐があった場所の中心、まだ円を描く雲のかけらが残っているのを指先で押しのけて、“人形王”が余裕綽々で姿を現す。<超級(スペリオル)>もまたその傍らで翼を広げ、《円環》に吊られていた。

 放浪王は目を見開いた。

(無傷だと?)

 人形王の白い格好には染みの一つもない。濡れてすらいない。あれだけの暴風雨に閉じ込められておいて、まったく綺麗なものだった。

(<超級(スペリオル)>はともかく、術者本人に傷一つないだなんていうのはおかしい、妙だ。なにかタネがある。並の物理結界なら粉々にできる術式なんだぞ)

 放浪王は黙ったまま敵を睨んだ。翻って、人形王のほうは饒舌だった。

「まだ衰えてはいないのか……精密な奇跡のコントロールと、莫大な出力と。同時に複数の圧縮術を動かしてみせるとは、さすがと言わざるを得ないな」

 楽しみだ。人形王は笑った。

「まったく実に楽しみだよ、貴女のような強い“王”を斃した暁に、この私が得られる名誉のことを考えるとね」

「よく喋る」

 放浪王は舌打ち交じりに答えた。手元の【翠風秘典】が音を立てて閉じる。

(さてどうする。栞は全部で四枚、うち二枚は飛行術と防御に割かざるを得ない。残りの二枚と開いたページの三つでこいつを斃しきるには?95番でもだめだったとなると、一撃で沈めるのは無理があるか)

 放浪王は手持ちの術式を頭のなかで浚った。彼女が作り出してきた圧縮術は百を超える。この手札の数こそ彼女の強さなのだ。

「そうも長考していていいのか?」

 けれど、その放浪王を、人形王が嘲った。

「なら、今度はこちらの駒を進める手番だ」

 その手が動く。手袋と袖口のすき間から、金属の光沢がちらっと光った。

 

 放浪王は即座に書を開いた。

 何かする気だ。ただ<超級(スペリオル)>を《操作》するのとは違う、もっと厄介な何かを。

 領域がぐっと濃くなり、“人形王”と<天使>のまわりに力が集まる。風がざわめいたかと思うと、すうっと薄くなった。

 あたりの空気を抜いたのだ。これで人形王は呼吸はおろか、ことば一つ発することもできない。いくら喉を鳴らしても、出入りするものがないのだから。

 

『《蔑め(コンテムネ)》』

 

 そのはずだというのに、どこからか人形王の声がした。

 空気がないのだから話せるはずがない。彼女は苛立ちながら人形王を睨んだ。なにか策を講じてきたのだろう。そういう見透かされているような感じが神経に障る。

『出でよ【聖像グランディス】よ』

 空が暗くなったような気がして、彼女ははっと天を見上げた。

 突き破られた物理結界の穴からは、巨大な影がタルシシュを覗いていた。

 カタカタと音を立てて、それを隠していた四角いうろこ状の論理結界がはがれ落ちていく。 

 

 そこに浮かんでいたのは、太陽を隠すほどの巨大な顔だった。 

 唇は谷のように広く、鼻梁は山のように切り立っている。論理結界の内側に隠れて空を進んできていたのだ。あれがいわば、人形王の母艦なのだろう。

 白い大理石を彫り上げたようになめらかなそれが、ごとりと音を立てて、微笑みの唇を開いた。

『吐き出せ』

 “人形王(ザ・トラス)”が命じるようにするどく、指を差し下ろした。

「くそっ」

 放浪王は口汚く吐き捨てた。

 山一つが浮いているような【聖像】は、その口の中の暗闇から、白い光を迸らせた。

 光の矢のようなものが飛び散ってはタルシシュに落ちていく。細かく見えるそのひとつひとつが、人間大の大きさを有する光のかたまりだった。

『言っただろう、私の駒を進める番だと。人の話には耳を傾けておくものだ。この私がどんな“王”であるか知らないわけはないな?』

 放浪王は効いてもいない真空の術を解除すると、そこへ吹き込む風をうねらせて上昇気流を作り出した。それが落ちてくる何かを迎え撃つ。形あるものなら粉々にできただろう。

 けれど、風では光の矢を打つこともはたくこともできない。人形王は帽子の奥で言った。

「無駄、無駄、あれが口を開いている限り、何人たりとも邪魔はさせない。実体化していないものは貴女といえどどうしようも無いはずだ」

 光の矢は次々とタルシシュに落ち、そして光を失って実体化した。

 それらがゆらりと立ち上がり、地上に足をついて歩き出す。

 光の矢から現れた者たちは、人間の形をしていたのだった。けれども人間でないことは明らかだった。顔はうつろで生気がない。その歩みは無理やり動かされているかのようにぎこちない。その目は開いているのに何も見ておらず、耳も聞こえていない。

 そんな不気味な者たちが数百体、タルシシュの地に降り立ったのだった。放浪王は奥歯を噛み砕きそうなほどに食いしばった。

 

「“人形王(ザ・トラス)”ッ!」

 

「私の愛読書は知っているかね?」

 人形王は事も無げに言った。真空に晒されていたというのに、その声には疲れもかすれもない。

「シァルル著【戦術論】。天使学者シァルルは奇跡論における戦争を複数の類型に分けた。

 貴女は広域殲滅型(マークロスト)だ。おのれの領域を広げて敵軍を一網打尽にできるが、うまく手加減が利かない。このタルシシュは貴女の国、この空ならまだしも、地上で全力を出し切ることはできないはずだ。守るべきものを貴女自身の手で破壊してしまうのだから」

 人形王はせせら笑った。

「そして、この私は広域制圧型(マークピース)だ。分かるか?」

 その目がぎらぎらと光る。

「貴女が“面”であるように、私は無数の“点”なのだよ。いま、貴女の大事なタルシシュに我が人形兵どもをばら撒いた。その忌々しい領域のせいで気配を邪魔されたので狙いはやや不確かになってしまったが、それでもさっき見つけた強いリソース保有者のところへとな。貴女が臣下に命じて囮役をさせるというのならそれでも構わない。一つ一つ、着実に潰していくだけだ。いずれは辿り着くだろう。簒奪者アゲハに」

 人形王はそう言って、挑発するように指先を振った。

「もちろん、貴女にそれを止めに行かせはしないがね」

 その挑発に呼応して、【戦火奇跡 エシュ】が燃え上がった。

 

 凄まじい熱量だった。燃えるかまどを覗き込んだときみたいに顔が焼け、唇が乾いていく。嵐の奇跡の守りをすら突き抜けて。

(まるで太陽だ)

 放浪王は思わずそう考えて、嫌な気分になった。気圧されている。意思のぶつかりあいである奇跡戦で、相手に気後れするのは敗北への第一歩だ。

 けれど、その意思をすら焼いてしまいそうなほど<超級(スペリオル)>の気配は強かった。本当に第二の太陽が目の前に現れたみたいだ。直視すれば間違いなく目が潰れる。

 

 だから、放浪王は気づくのが一瞬遅れたのだった。

 炎の塊のようになった<天使>から、無数の火がはじけて溢れ出したことに。ひゅうひゅうと風をあぶって唸るそれらが、放浪王へ向かうかと思いきや、あらぬ方向へと飛び散っていったのに。

「さあ、どうする?貴女のタルシシュが火の海になるぞ?同情するほど難しい選択だなあ放浪王、私を取ればタルシシュが、タルシシュを取れば私が野放しになってしまうのだから!」

「べらべらと。少しは黙ってろ!」

 “放浪王(ザ・ウェンド)”は間合いを空けながら【翠風秘典】を素早く開き直した。目には見えない奇跡の領域がずっと広がり、二人と一体を包み込む。

「第55番《角離宮(かどのりきゅう)》」

 風が唸った。

 さっきと同じ暴風が輪を描いて回る。違うのは放浪王もまたその内側にいることだ。<天使>エシュが放った火の欠片たちが風にぶつかって掻き消された。地上は静かなまま、空だけが暴れ狂っているのだ。

 まるで暴風の膜が空にうすく張ったようだった。本当に宮殿みたいだ。領域の四隅には、上に伸びるつむじ風が尖塔のようにそびえている。

「自分ごと閉じ込めたのか」

 人形王はあたりを軽く見回した。

「悪くない。あつらえ向きの舞台だな。だがいいのか?タルシシュにはすでに王手(チェック)をかけてあるんだぞ。私はこれで貴女という大駒をここに食い止めておける。大事なタルシシュが人形兵に蹂躙されていくのを黙って見過ごすというのは、賢い選択とは言えないな」

「違う。()()()()()を食い止めているんだ」

 放浪王は言った。

「“人形王”本体と<超級(スペリオル)>はこの僕が抑える。地上の兵力はそっちでかたを付けるさ」

「見解の相違だな」

 人形王は肩をすくめたが、放浪王は構わず続けた。

「やつの奇跡は人形の操作だ。決して侮るな。全部がただの木偶ならいいが、強そうなのが何体が混じってる」

「ああ、確かに。少なくとも一体は……待て。誰と話している?」

 人形王が聞き咎める。彼女はここではないどこか、誰かに向かって叫んだ。

 

「残らず破壊しろ、瑪瑙(マークナイン)黒檀(カラユダン)!」

 

 その途端に、力の気配が膨れ上がった。

 ――仰せの通りに、我らが王よ。

 風のうなりが、そんな人の声に聞こえたような気がした。放浪王の領域に塗り潰されたこの中でも、あたりの空気が張り詰めたのがわかる。敵意と戦意が大気中にこだましている。

「言ったはずだ、この僕がおまえを食い止めているのだと」

 放浪王は突きつけるように話す。

「心ない人形だけのお前とは違う。僕には、出来のいい仲間たちが沢山いるんだよ」

 

 ◆

 

 ■タルシシュ 工房街レドリヴァー

 

 瑪瑙(マークナイン)という名前の女は、道端に腰掛けながら、甘いイチジクの実を齧り取り、汁気たっぷりのそれを飲み込んだ。

 荒々しい印象の女だった。軽装だが、その身体つきは肉食獣のように獰猛でしなやかだ。なによりその姿は人間のものからやや離れ、鱗のある獣じみた異形をしていた。

 能天使系統は変身すればするほど、人間から離れていく。自らの肉体を奇跡で歪めるうちに自分の姿を忘れていくのだ。瑪瑙(マークナイン)の姿はもうかなり変異が進んでいて、見るものを不安にさせるほど恐ろしげだった。

 傍らを工人たちが躊躇いがちに駆け抜けていく。

「ほら、ちんたらやってないで坑道(コリドー)に避難なさい。来るわよお」

 瑪瑙(マークナイン)は手を叩いて彼らを急かすと、その向こうを見やった。

「我が王の言ったとおりね」

 そこには、数多の“人形たち”がゆっくりと歩いてきていた。物を壊すでもなく、人を襲うでもなく、ゆっくりとただ歩いてきている。強いリソースを目指しているのだ。それに辿り着いた暁に何をするのかは、考えたくもない。

 瑪瑙(マークナイン)は目を細めて敵軍を睨んだ。

「あれは……」

「下衆な奇跡だ」

 そばに立っていた黒檀(カラユダン)が言った。

 目を閉じている黒髪の優男だ。長身に見合った銅の錫杖を突き、頭には笠を被っている。黒い衣は引きずりそうなほど長い。その白い顔が、人形兵たちを睨めつけた。

 曳航連邦の兵士、東サダクビアの海賊、ホロフェルネス風の戦士装束、ジブジアナのマヌス教徒、腕に赤いスカーフを巻いたユディト人の商人たち――

「屍体だ」

 人形兵たちはみな、さまざまな姿をしていたのだ。国も時代もばらばらでまとまりがない。その生気のない顔は屍体のそれだった。

 黒檀(カラユダン)は吐き捨てた。

「奴の人形兵は、人間の屍体を操っているんだ。なんたる傲慢、許せない行いだね。死者を手駒として弄ぶだなどと」

「そのくらい、言われなくても分かるんだけど。横から出てきて話しかけないでよ」

 瑪瑙(マークナイン)は冷たく言った。

 不機嫌そうにべたべたの口を拭う。

「王様はあたしに命令したんだから。敵を片付けろって。あの生意気な子供はどうでもいいけど、そのためにリソースで敵を釣ったのよ。あんたは横で見てなさいよ」

 女はそう言うと、自分の腕をがりがりと爪で引っ掻いた。奇跡の気配が膨れ上がる。力ある言葉が、女の唇からこぼれる。

 

『《変身(エシュターネ)》!』

 

 次の瞬間、女の腰からぬらぬらと光る尻尾が飛び出した。

 手足が膨らみ、ごつごつとした鱗に覆われていく。緑がかった髪と同じ色の鎧が背中を装甲した。女は倒れ込むように地に手をつき、ごろごろと唸った。

 そこにいたのは、もはや人間ではなかった。足の生えた魚のような、巨大な四つ足のけだものだ。とがった嘴のような細長い口にはノコギリのごとく牙がずらりと並び、前脚には短剣ほどもある鋭い爪がある。

 怪物は刺々しい尾を振り回し、人形兵の一体を軽々と川まで吹き飛ばした。哀れな人形は赤錆だらけの河原を転がり、糸が切れたように動かなくなった。

『雑兵どもめが』

 能天使(エクスシア)系統は変身する系統だとはいえ、ここまで極端に人型を失うものは珍しい。ただでさえ<天使>の側に近づきすぎる能天使にとって、これほどに人間性から離れるのは危ないのだ。もっとも、その危うさは間違いなく力に直結していた。

 人形兵たちは、『強いリソースを襲え』という単純な命令を与えられている。それに従って、彼らは瑪瑙(マークナイン)へと喜び勇んで群がった。ひとつひとつは雑兵の弱卒でも、数が集まればそれなりの脅威になるのだ。

『ああ、鬱陶しいわね、もう!』

 瑪瑙(マークナイン)は一声さけぶと、石畳を軽く鉤爪で引っ掻いた。

 それを引き金(トリガー)として奇跡が発動する。

『《凝固(エヴェン)》!』

 その途端に、瑪瑙(マークナイン)の全身に目が開いた。

 鱗をかき分けて、ぎろぎろと人形兵たちを睨めつけている。鋭く尖った瞳孔が動いたかと思うと、蒼白い光を放った。

 その眼光に睨みつけられた人形兵たちが動きを止め、固められたかのように立ち竦む。

 屍体の彼らの足元から、だんだらの縞模様が広がり始めた。石に変わっているのだ。まさに瑪瑙のような結晶になっていく石像たちを、瑪瑙(マークナイン)は巨体を揺すって押し潰し、砕いた。

「吾輩まで巻き込む気か」

 結界の指環で奇跡を防いだ黒檀(カラユダン)は文句を言ったが、瑪瑙(マークナイン)はどこ吹く風だった。

『あたしの戦場に立つのが悪いのよぉ。王様に褒めてもらうんだから。あんたはどっかに行ってなさいったら』

「陛下は二人に命じたのだ」

 黒檀(カラユダン)は目を閉じたまま言った。

「雑兵ばかりと侮るべきではないね。なかには手強い人形がいるかもしれないって陛下は仰っておられた。吾輩と貴殿、今こそ手を取り合って事に当たるべきではないかな、うん?」

 黒檀(カラユダン)は顔を街並みの向こうへ向けた。

 おりしもそこには、押し寄せる人形兵に混じって、ひときわ大柄な人影が近づいてきている。

 それは川辺の橋を一息に飛び越え、二人のほうへと身構えた。

 どん、と重たい音がした。石畳がくだけて飛び散る。全身は鋼鉄に(よろ)われていて、顔や身体つきはわからない。その巨漢は女だった怪物を、次に男のほうへと顔を向けて、ぎりぎりと、弓を引き絞るような音を立てた。

 

『……どちらも、少年、ではないな』

 

 その途切れ途切れの声に、黒檀(カラユダン)は錫杖を揺らした。

「口がきけるのか」

 あたりで蠢いている人形兵とは違う。下手くそな人形遊びみたいな彼らとは違って、機敏でしっかりした足取りだ。それに、わずかながら力の気配を感じる。

「もしや、人形ではないのかな。確かに、敵方にもまだ<人間イカリ>がいておかしくはないが」

 黒檀(カラユダン)が銅の杖を突き下ろす。

「なんにせよ、このタルシシュに踏み入ったなら我らの敵だ」

 そして、その影が揺らいだ。

 影の中から真っ黒な短剣が、夜を押し固めたような金属色のそれが浮かび上がった。持ち主もいないのに、ひとりでに宙へ浮いている。それがくるくると切っ先を中心に回りながら、途中に立っていた人形兵の耳をえぐり、風を貫いて巨漢へと飛んでいく。

 巨漢は防御するようにおずおずと手を差し上げたが、遅すぎた。腕のすき間をすり抜けて、よろいかぶとに刃がぶつかる甲高い音が鳴る。黒檀(カラユダン)はそれへ向かって命じた。

「《炭塵ノ剣戟(ピアハ・へレヴ)》」

 次の瞬間、短剣が半円に形を変え、ぐるりと回転した。

 激しい火花が散って、巨漢の兜がぱっくりと横に割れる。

 役目を終えた黒い刃がざらざらと塵になって消えた。額からうなじまでを切り取られた鎧の大男は、力なく、ごとり、と音を立てて背中から崩れ落ちた。

 黒檀(カラユダン)は閉じたままの目で、その屍体を残念そうに見やった。

「あっけないものだね」

『偉そうに。あんたがいなくたってあたしがやったんだからあ』

 不満げに喚く瑪瑙(マークナイン)を無視して、黒檀(カラユダン)はひとりごつように言った。

「しかし、<人間イカリ>がいるとは驚いたよ。“人形王”は人形しか使わぬと吾輩は聞いていたのだが――」

 

『――人形だとも』

 

 その言葉に、黒檀(カラユダン)がはっと顔を歪めた。瑪瑙(マークナイン)ですら牙をむき出しにして唸る。

黒檀(カラユダン)

「分かっている」

 彼は再び地を杖で突くと、今度は二本の短剣を浮かび上がらせた。頭をなくして仰向けに倒れている巨漢に向かって、油断なく撃ち放つ。

 その大きな手が短剣を掴んだ。

 ギイっと耳障りな音が鳴って、黒い刃が弾き飛ばされる。黒檀(カラユダン)は目を剥いた。奇跡で作り出したその短剣が、まるで柔らかな木切れのように、三枚に薄く切り下ろされていたのだから。

『人形だとも。この私がタルシシュに連れてきたのはすべて人形、あの<超級(スペリオル)>を除いて、生きた人間はいない。あれだけは仕方がなかった。契約者が死ねば<天使>は不活性化してしまうのだから』

 大柄な“人形”がゆっくりと手をつき、起き上がる。

 その切り飛ばされた頭の中身は、がらんどうの空っぽだった。切り口を振り回して、頭のない男がいう。

『いい奇跡だ、【戦塔(トレビシェット)】の鎧を切るとは。これはかのアスェルの鋼だというのに』

「さっきから口を利いていた貴様は」

 虚ろに響く誰かの声に向かって、黒檀(カラユダン)は敵意をさけんだ。

「“人形王”か……だが、いや、あり得ない。貴様は我らが王とあそこに」

『君たちの物差しで私を、(アーセリング)を測らないで貰いたいね。この私にとって、人形を同時に動かしながらそのあちこちで口を利くだなんていうのはしごく簡単なことなのだよ。私は個にして群、群にして個だ』

 そばにいた人形兵たちも一斉に、口々にざわめき始めた。

『君たちのことも知っているぞ』

『石の<天使>。能天使系統【凝固奇跡 エヴェン】』

『煤の<天使>。主天使系統【炭塵奇跡 ピアハ】』

『小駒の割には侮れない。標的ではないが、放っておくのは危ないな』

 空っぽの頭を揺すりながら、【戦塔(トレビシェット)】が言う。

『まず、君たちを取ってしまってから、ゆっくり簒奪者の子供を探すとしよう』

 その巨大な手が小さな何かを握りしめ、厳かに宣言した。

『《叩け(クーデ)》』

 拳のなかで金属色があふれた。鋭い切っ先が石畳に突き刺さり、重々しくその身を横たえる。大柄な人形兵【戦塔】に比べても雄々しく巨大な、一本の太ましい馬上槍(ランス)だった。

精巧品(マスターピース)にはみな、聖異物を持たせてあってね。【聖槍プラーガ】だ。心して防がないと、一瞬で勝負が決まるよ』

 また、ぎりぎりと、弓を引き絞るようなあの音が聞こえる。

 瑪瑙(マークナイン)が、牙のずらりと並んだ嘴を長い舌でなめた。そのまなざしの先では、あの三枚におろされた短剣が塵になっていくところだった。

 

『そうか。“人形王(ザ・トラス)”、おまえの奇跡の正体は――』

 

 ◆◆◆

 

 ■アゲハとシャルキイイ

 

 アゲハは息を切らしながら街を飛び出した。

 あそこで奇跡を撃つわけには行かない。反撃されでもしたらまだ逃げ遅れている人たちを巻き込んでしまう。

 褐色の城壁に手を当ててつぶやく。

「《土葬陣(ハニノワ)》」

 城壁は一瞬だけ抵抗したが、すぐにアゲハの意思に従った。ずぶずぶと少年の身体は石壁に飲み込まれ、その向こうへと通り抜けていく。あとかたには穴の一つもなく、追いかけてきたシャルキイイは面食らったように門扉の方へ走っていった。

 

 街の外に出たのは、人形兵たちが見えたからでもあった。 

 いても立ってもいられなかったのだ。それは別に、敵を倒したいという怒りなんかに燃えていたわけではない。

「やっぱり」

 アゲハは呟いた。

 街の外から、巨大なリソース反応を目指して迫ってくる人形兵たちの、その格好が目についた。派手な商人、学者のぼろきれ、連邦のきっちりとした襟の軍服、そして、そのなかに少なくない数の混じっている戦装束が。

「アシタ人を……屍体を操ってる」

 それは見覚えのありすぎる、アシタの戦士階級だった。

 顔の覆いに、太陽の紋章、反りのない剣、そのどれもがみな、ほかの人形兵に比べても新しすぎた。傷ついて汚れてはいても、他の人形ほどに古びてはいないのだ。

「ユディトにいた人たちを人形にしたのか。あの騒動に紛れて、死んだ人間の遺体を盗み出したんだな」

 とうとう一番前にいた人形が喜びすがるように、ゆっくりとした足取りで、虚ろな顔でアゲハの首へとしがみついた。生気のない青白さの指がアゲハの喉を掴み、押さえつけようとする。

 ぷん、と嫌な匂いが鼻を刺した。薬品と油の匂いだ。この屍体はみな腐ってすらいない。酸っぱいような本当の死臭がしない。

「なんてことを」

 アゲハは首を絞め上げられながらつぶやいた。

 アシタ人の大半はアゲハにとっても敵だ。同郷とはいえど、奴隷階級だった卑族を虐げていたのだから。それでもこれはあまりに酷かった。きちんとした死すら取り上げられ、誰かの手駒にされる彼らがあまりに醜いものに思えた。

「こんな、死者を弄ぶようなことを!」

 奇跡が燃え上がった。

 圧縮も何もかけていない《葬送(ハルヴァヤー)》が、掌という領域限定すらなしに暴れ狂う。目に見えない嵐が吹き荒れた瞬間に、近くにいた人形兵たちが灰になって崩れ落ちた。しゅうしゅうと荼毘の塵が風に乗って舞い上がっていく。

 その中心点で、アゲハは人形たちの中の一体を睨んだ。

「お前か」

 

『――そうか、君か?』

 ほかの人形兵とは明らかに違うなりだった。手足が長すぎる。鎧兜を身に着けてはいたが、その兜の目庇から覗く内側は、明らかに空っぽのがらんどうだった。

 背の高い精巧品(マスターピース)は、面白がるような声で言った。

『いや、まだ分からないな。年格好の似た子供という手もあるだろう。名乗りたまえ』

 アゲハはそれをじろりと見た。

「おまえがこれをやったのか?」

『それを答えたら名前を教えてくれるのか?』

 人形はうつろな声で言った。がらんどうによく響く。

『ああ、そうだ、私の作品だ。()()も、これらも、私が造った人形だよ。捨て駒(ポーン)には人間を使うことにしているのでね。テレピン油と合成樹脂の混ぜものに浸け込むとよい防腐剤になる。屍体のまま、ありありとしたディティールを残せる。それがどうかしたのか?』

「罪悪感はないのか」

 アゲハは唸った。

「人間をこんなふうに使うことに、何も思わないっていうのか」

 精巧な人形はぎりぎりと、弓を引き絞るような音を立てて俯いた。

『そうだな、何も思わないというわけでもない』

 がらんどうの声が答える。

『自分の指先で駒が思い通りに動くのを見ていると、実にいい気分だ。整然としていて、どこにも乱れがない。晴れやかで落ち着いた気分になる。これで、どうかね?』

 アゲハは歯を食いしばって剣を持ち上げた。鞘の先が空っぽの人形の顔をするどく指す。どうしようもなく心がざわめいていた。他人を手駒にして悦に入っているこの奇跡が、あまりにも不愉快な見覚えのあるものだったからだ。

「同じだ」

 アゲハは吠えた。

()()()()()()()()と同じ、人間を自分の持ち物だと思い上がってるんだ。答えろ!おまえは誰だ!」

 

『私は、“人形王(ザ・トラス)”』

 人形は軋みながら答えた。

『簒奪者を追ってきた』

「当たりだよ。おれがアゲハだ」

 王の字(アーセリング)を名乗られたというのに、アゲハはたじろぎもせず答えを叩きつけた。人形はカタカタ震えながら両の腕を広げた。笑っているのかもしれなかった。

『《潰せ(エクスプリメ)》』

 その手のなかに取り付けてある針のようなものが、途端にぐうっと大きく膨らんだ。太さを増しながらどんどんと伸びていき、片方の端が大きく膨らんで地面に落ちる。ことばによって、聖異物がその本性を解放したのだ。

『【聖鎚シグナ】』

 重たげな戦鎚を引きずり、アゲハの頭に狙いをつけながら、人形は言った。

『まあ、正直に言って、<超級(スペリオル)>が手に入った今となっては君ももう終わった口実に過ぎない。が、仕事はきっちり果たさねばなるまい。始末するにせよ、生け捕りにするにせよ』

 ぎりぎりと、弓を引き絞るような音が聞こえる。

 精巧な人形のまわりにきらきらと光るものが見える。そう思って見れば、人形兵たちのうえにも、すうっと伸びていく光のかすかな筋が見える。

「そうか。人形を操ってる、おまえの奇跡は――」

 

 ◆  

 

 不意に“放浪王(ザ・ウェンド)”の鉤の手が、切り飛ばされた。

 

 くるくる舞いながら嵐の中へ落ちていく。

 暴風のうえにいるというのに、ぷつっと微かな音がしたのは不思議だった。気の所為だったのかもしれない。“放浪王(ザ・ウェンド)”は憎しみを込めて吹き出す血を押さえた。

「僕の手が……僕の手!くそっ、まだ肘から先は残っていたんだぞ!」

 <超級(スペリオル)>の炎は風で完璧に受けきっていたはずだ。けれど死角から、目に見えないなにかがものすごい速さでやってきて、彼女の腕を持っていった。

 女は霞み始めた目を凝らした。第六感を開いて力を感じ取る。目の前の存在圧に塗りつぶされかけているが、本当にわずかながら奇跡の気配があたりに漂っているのを感じた。

 甲高い笛の音が響く。

 操り人形にされた<超級(スペリオル)>が燃え上がる右腕を大砲のように掲げた。目も眩みそうなその腕の焔のまわりに、なにかきらめく別の光があった。

 細長い光が、つうっと空へ散らばっている。火照りを受けて輝いている。

「そういうことか」

 放浪王は血みどろでさけんだ。

 生きながらに<超級(スペリオル)>を縛り、死んだ者たちを人形にして操り、自分の腕を切り飛ばしていった奇跡の正体が、いまここにきてやっとわかった。すべては同じものだったのだ。

 

「おまえの<天使(マラーク)>は、“糸”か」

 

 人形王はそこで動きを止め、傲慢な仕草で頷いてみせた。

「ああ。主天使(ドミニヨン)系統の神話級――」

 まるで指揮者のように広げられたその指先には、いくつもの細かい糸が光っていた。それが複雑に動き、支配された<超級(スペリオル)>が優雅なしぐさで踊り出す。

 

「【操作奇跡 フト】だよ」

 

 To be continued…

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