<Infinite Apocrypha>   作:N.O.

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第三十五話 白の人形劇

 ■交差都市ユディト 同日正午 爆発現象跡 

 

 そこはあのレイラインの光が落ちた場所だった。

 乾いた風が耳朶(じだ)を掠めていく、その静かなノイズは、じゃりじゃりいう足音の淋しさをいっそう寥々と強調しているかのようだった。

 足音がまた、じゃりっ、と鳴った。

 護衛の(メイ)准尉が傍らで、ざらついた砂地を踏みしめたのだ。試すように、確かめるように。

「ひどいですね」

 (レン)大佐は頷くと、ため息を飲み込んだ。

「報告では、大気に毒性はないらしい。気分のいい場所ではないが」

 

 見渡す限り、すべてが消し飛んでいた。

 都市構造体のわずかな残骸が残っているだけだった。鋼鉄とガラス化した砂が交じり合って、だんだらの波紋を描いている。重なり合って開いた花びらのようなクレーターは、爆風のすさまじさを形にして残していた。

 そのねじれた残骸が、なんだか指のようだと大佐は思った。

 天を仰ぐ五本の指だ。空に向かってなにかを受け止めようとするかのように伸ばされている――

 愉快な景色ではなかった。

 それでも見ておきたかったのだ。あの<黙示録(アポカリプス)>が何をしたのか、それがどれほど大それた行いであったのか。曳航連邦皇帝からの勅命で呼び出された以上、首都にすぐ発たねばならないとしても、その前にせめて。

 

「何をすればこんなことになるんですか?」

 (メイ)が静かに言った。

「<黙示録(アポカリプス)>は<天使>を禁じているはずです。けれど、奇跡なしにこんな破壊工作ができるものでしょうか」

「よく勉強している。だが、その情報は書き換えねばならないかもしれないな」

 大佐は忌々しげに言った。

「私はこの目で見た。サングィスと名乗ったあの男が、<黙示録(アポカリプス)>らしからぬ彼が、奇跡を使うのを……正義の<天使(マラーク)>だと言ったのを」

 (メイ)は首を振った。

「調査班はなんと?」

 大佐は融けた大地を踏み越えながら答えた。

「ろくな答えは返ってこなかった。無理もないが……今までの<黙示録>からしても異例だ。今までこんなことはなかった」

「レイライン、ですか」

 (メイ)は空を見上げた。

 昼間の青空には、レイラインの光は見えない。けれど見えないだけで、その白い光はこの空にいつでも横たわっているのだった。

「レイラインが超高濃度のリソースを秘めているというのは以前から言われていることではあったが、だとしても分からないことだらけだ。まったく……どうして、こんな?」

 大佐は足を止めた。(メイ)も立ち止まった。

 口をついて、驚きのことばがこぼれずにはいられなかった。

 

「珊瑚が――」

 

 そこには、おびただしい数の珊瑚礁が生まれていたのだった。

 陸の上、都市構造体があった場所だというのに、色とりどりの珊瑚が枝を広げ、重なり合い、小さな森のように、余人を退けるように爆心地を閉ざしている。

 ルルルル……と風が鳴った。

 珊瑚礁の丘を吹き抜けるたび、甘い匂いとともに大気が震えている。まるで木々の梢の緑のように、紅く鮮やかな珊瑚の枝が揺れて、ぶつかりあってさざめいていた。

 けれどその色は次第に薄れ始めていた。死にかけているのだ。

「海に属するものは地上では長く生きられない」

 大佐はそう呟いた。信じられない気分だったのだ、前もって人伝に聞いてこそいても。

 また、リリリリ……と風が鳴った。

「だが、いったい何の意味がある?レイラインが落ちた地にこんなものがあるだなんて。果たしてただのナンセンスだと思うか?誰かが我々をからかっているんじゃないだろうな」

「<黙示録(アポカリプス)>がですか?」

「たちの悪い悪戯だ。それとも本気なのか。意味が分からない」

 大佐は忌々しげにそう言うと、警備兵にちらっと会釈をして、入り組んだ珊瑚礁の盛り上がりのその内側へと入っていった。

 

「お待ちしておりました、大佐」

 すぐそこにいた歩哨、ユディト軍の生き残りの兵士ふたりが、疲れた顔で大佐を出迎えた。

「状況はお聞き及びですか?」

「大まかには」

 大佐は簡潔にそう答えた。警備兵は小さく頷き、この意味の分からないものを一から説明せずに済むことに安堵しているかのようだった。

「爆発の中心は、この珊瑚礁なんですか」

 (メイ)は誰にいうでもなくそう尋ねたが、警備兵は無視した。そのちょっとした沈黙には、特務兵に対する何気ない軽蔑と敵意がこもっている。彼ら正規兵にとって、大した階級もないのに特別な振る舞いを許されている特務兵は目につくのだろう。

「きみ、どうかね」

 大佐はわざと偉ぶった口ぶりでそう言った。兵士は軽く頭を下げた。

「はい。測量によれば、四方の爆心地はこの形成物を中心にして広がっています。詳しいことは学者団()を待たねばなりませんが、ただ……凄まじい高熱があたりを焼いたことだけは確かなのに、この珊瑚と……内部の()()の表面にはその焼跡(しょうせき)が見られませんでした。つまり、爆発のあとに現れたものだと」

「爆発の後に、か」

 大佐は言った。

 だとするなら、レイラインを呼び寄せたのではなく、レイラインがこれを作ったのだ。この巨大な珊瑚礁を。

 兵は後ろを振り仰ぎ、小さく頷いた。

「どうぞお進みください」

 そう言って、彼らは仮設の遮蔽扉(シャッフ)を開けた。もはやこれ以上は目で見て確かめろということらしい。大佐と(メイ)は促されるままに戸口を抜け、珊瑚礁の内側へと踏み入った。

 内部は珊瑚の硬い枝がお互いに絡み合い、混じり合っていて、泡のような、スポンジのような構造になっていた。電磁刃(カッター)で切り取られた入り口から奥へ踏み込むたび、甘い匂いが強く香る。

 潮のにおいだ。

「まだ中心部は生きているのか」

 明らかに鮮やかさを増したサンゴの壁を撫で、大佐はそう言った。脈打つようなあわい光がその内側を走っていく。薄暗がりだと思っていたのに、不自由なく歩けるほどの明かりがあった。

 壁のような珊瑚が重なり合った隙間は、人ひとりがやっと通れるほどの広さしかない。曲がりくねったそこを通り抜けていくと、何度目かの曲がり角で、突然、ぱっと視界がひらけた。

 

 そしてそこには、一体の<天使(マラーク)>があったのだ。

 (メイ)が驚愕の息を飲み込むのが聞こえた。

 その<天使>は両の手を伏せ、頭を下げているような、まどろむ赤子のような、曖昧なかたちで静止していた。輪郭はおぼろげでよくわからない。びっしりと石に覆われているからだ。それでも背の翼、五本の指、両の手ははっきりと見て取れる。珊瑚の檻に囚われるようにして蹲っていた。

 (メイ)がぽつりと呟いた。

「珊瑚の<天使>……ってことでしょうか?」

 大佐は曖昧にうなずきながら<天使(マラーク)>に近づいた。珊瑚が邪魔をするように枝を広げている。それに触れると、パチパチとあわい光が弾けて飛び散っていった。

「そうか。ここが中心点か」

 大佐は自分で出したその答えに眉をひそめた。

「しかし、これは石化している。不活性化状態だ。ひとりでに動いたりはしない。レイラインを引き降ろしたのがこいつの奇跡だとしたら、なぜこの<天使>は眠っているんだ?」

契約者(アンカー)が死んでしまったんじゃないですか?」

 (メイ)が横合いからそう言った。大佐は唸った。

「あの現象を引き起こしたあとにか」

「はい。あり得ない話ではないと思います。この珊瑚礁も奇跡だとすれば」

 光の脈動を眺めながら彼女はそう言った。

 大佐は唇をなめた。

「主天使だ」

 石の手が杖らしきものを握っていた。

 主天使(ドミニヨン)系統は遠隔操作に優れているけれど、こんなふうに死後も残るようなものを作り上げるのには向いていない。

 それに、あのレイラインがただ<天使(マラーク)>の仕業で引きずり降ろされたものだとはなぜかどうしても思えなかった。

 きちんとした理屈があるわけではない。それでも、あれはもっと別の、もっと奇跡的なことなのだという気がしたのだ。

「誰か契約するかもしれませんね」

 (メイ)のからかうような軽口で、大佐は我に返った。ハルヴァヤーを思い出す。あのときも、あんなことになるなんて思いもしなかった。

 <天使(マラーク)>の発掘は謎が多い。どのようにして<天使>が形成され、都市深部から現れるのか、その理由は未だに分かっていない。

「この<天使>はなぜ、いったいなぜ、こんな場所に――」

 

「――<黙示録(アポカリプス)>の仕業だろうな」

 そのとき聞こえた低い声に、大佐と(メイ)は顔を引きつらせた。

 それは奥から響いてきた。<天使(マラーク)>のほうから聞こえたのだ。

「考えるまでもない。レイラインを降臨させた地に<天使(マラーク)>と珊瑚がある。これが無関係であるはずはない。小難しく頭をひねる必要があるとは思えないな。尤も、やつらにとって、何の得があるのかは知らないが」

 そこには、純白のヴェールをまとった女がいたのだった。

 奇跡の気配が途端に強くなった。今まで抑えられていた威圧感が大気に響く。

「“堅牢王(ザ・ハーデン)”!」

 大佐は驚きを込めてその字を呼んだ。

「なぜここに?」

 その問いに、王はやや馬鹿にしたように答えた。

「来たのはお前たちだ。おれはずっとここにいた」

 堅牢王は<天使(マラーク)>を見上げながら珊瑚に腰掛けていた。さざめく光がちらちらと揺れて、その周りを踊っている。

「お前が特務兵の飼い主だな。しかし、なんだ、存外つまらぬ男だ……王の顔ではない。飼い犬にあそこまで言わせるのだから、よほどの人物かと期待していたのに」

「なぜここにいるのか、と訊いている」

 大佐は厳しい顔になって繰り返した。堅牢王は静かに答えた。

「見ておきたかったのでね。特務兵の長の顔もそうだが、なにより――」

 そう、なにより、と堅牢王は笑った。

「<黙示録(アポカリプス)>が、何をしようとしているのか?」

「知っているのか」

 大佐は言った。傍らの(メイ)は凍てついたように立ち竦んでいた。

「あの光の柱は何だ?<黙示録(アポカリプス)>は何をした?なぜ、奴らはこの都市を狙ったのだ?なにか知っているのなら教えてもらおう」

「おれにできるのは推し量ることだけだ」

 堅牢王は一転して不機嫌そうに言うと、畏れ多くも、<天使>を軽く小突いた。

「<黙示録(アポカリプス)>は<天使(マラーク)>を至上のものとする一方、その契約者たる<人間イカリ>を禁忌とする組織だった。教義はよく分からないにせよ、奴らはずっと人界への徹底した敵意で動いてきた。あらゆる国々で騒乱を起こし、あらゆる人々に戦を吹っ掛ける、そんな彼らが此度のアシタ人の反乱に乗じ、都市船ユディトを襲ったことそれ自体は不自然ではない。

 問題は手段のほうだ。レイラインに手を出せるなどとは思いもしなかった。そんな強すぎる奇跡が存在するわけはないし、引き降ろされた光の柱が野良と同質の力を持っていたことも不思議でならぬ」

「<人間イカリ>のいう“畏れ”のことか?」

 王は首肯した。

「契約者はみな本能的に野良を畏れる。恐ろしいのさ。怖いのだよ。あの光はそれと同じだった。能天使系統の高濃度変身者が無力化されたことも、同化が強制解除されたのも同じことだ」

「……存在が、<天使>に近づくほど影響が大きくなっているのか」

 大佐は言った。王は肯定した。

「おそらくは。野良は(われ)を失ったものたちだ。つまるところ、おれたちは人間性の喪失を恐れている。あの光の柱(レイライン)は、地上の“人間”と対極にあるものだ。何といえばいいのか……清すぎるから。強すぎるから。畏れ多いから」

 

 ――生きることは罪だ。

 あのサングィスと名乗った男の言葉がふと、脳裏によみがえった。

 ――我々はその罪を否定しよう。どうか、その()()に安らかな<黙示録(アポカリプス)>のあらんことを。

「人間性……生命。罪の否定か」

「くだらぬ」

 堅牢王は吐き捨てた。

「生命が罪であるはずがない。泥水を啜ってでも生きたいと藻掻く者たちを己れは大勢見てきた。おのれの生を愛することが悪だというのなら、受け容れがたいものだ」

「それが、どれだけの悪人でもですか?」

 ふと、(メイ)が静かに言った。

 柚子(ユーリス)の叫んだ憎しみを思い出しながら。異民族を邪悪と決めつけ、正しくない人間を拒絶する彼の清潔さを考えながら。

 王は何を考えているのか、ヴェールの内側でしばし沈黙してから、答えた。

「善悪はその行為のみに属するものだ。その存在には善も悪もない。たとえそれが次の瞬間には消えてしまうような脆く儚いものだとしても」

 彼女は言った。

「在ることは、罪ではない。生きているならば――」

 

 そのとき、珊瑚の燐光が揺らめいた。

 泡のような光の球がさあっと散らばってはひとつ、またひとつと弾けて薄れていく。鮮やかな色もあっという間に褪せて、冷たい灰白色へと変わっていく。

「ああ」

 顔を上げた三人が思わず声を揃えた。堅牢王は立ち上がり、悲しげに言った。

「死んでいく」

 珊瑚礁は真っ白な灰のように変わり果て、硬度を失って崩れ落ち始めた。さらさらと滑り降ちるその欠片に混じって日の光が差し込んでくる。

 

「とにかく、気をつけることだ……汝の敵に」

 堅牢王はその降りしきるなかに平気で立っていた。

 灰の粒がまるで磁石のように嫌がって離れていく。聖異物を使った様子はなかった。彼女の<天使>の力で何かしているのだった。

彼奴(きゃつ)らは人を滅ぼそうとしている。<黙示録(アポカリプス)>を野放しにしておくな。それはお前たち、軍人の仕事なのだから」

 

 話は済んだとばかりに、彼女はさっきまで珊瑚だった砂地を踏み越え、融けた大地をゆうゆうと登っていった。その後ろ姿に向かって大佐はさけんだ。

「返還交渉に応じる気はないのか」

「数が合わん」

 堅牢王は背中越しに言った。

「おれの捕らえた者たちなど僅かなものだ。だが、連邦の提示した要求はそれよりずっと多い。いないものは返せない。()()、他に連れて行ったやつがいるのか――」

 堅牢王はちらっと振り向いた。

「――或いは屍体泥棒か。そっちは戦死者の頭数から引き算で勘定したのだろう?おれにばかり咎を着せるのはよしてもらおうか」

「奴隷狩りは咎められないとでも?」

「見解の相違だな」

 堅牢王は足を止めて言った。

「これは救済なのだよ。おれは自由ゆえに死ぬ者たちを大勢見てきた。その逆も大勢。鎖につながれ、人に飼われても、健やかで豊かに生きていられるならそのほうがいいだろう?」

 そのヴェールが風に揺れる。王はそのとき、確かに嗤っていた。

 

「――他ならぬお前とて、軍という組織(くびわ)に繋がれたイヌだろうに」

 

 そう言い捨てて、王は立ち去っていった。

 大佐は何も言わずにそれを見送った。言い返す言葉も見当たらなかったからだ。

 

 ◆◆◆

 

 ■準都市級航洋艦タルシシュ 

 

 なぜ、人には上下があるのだろう。

 アゲハは眼の前の人形兵たちを見ながらふとそう思った。この世にはどうしたって命ずるものたちと、命ぜられるものたちがいる。

 だが野にある魚や、鳥や、けものはほかの生き物を隷属させたりしない。傷つけ、喰らい、殺すことはあっても、支配するのは人間だけだ。

 知恵のある人間だけがそれをする。

 眼の前の彼らは、死してなおその枷に囚われている。人形王の奇跡というだけではなく、もっと大きくてどうしようもないものに。アシタでも連邦でも、その仕組みの冷たいまでのどうしようもなさは変わらない。そんなどうしようもない人間の世界から外れている力こそ<天使>のはずなのに、いま、目の前では、その力でやっぱり人が人を従えている。

 

『思いの外、落ち着いているのだな』

 精巧な金属製の人形がそう言った。

 色の違う金属を組み合わせた装甲は流れるような曲線を描き、長い手足はまるで蜘蛛(クモ)のように優雅だ。

 その手に握られている戦鎚も、武骨だが美しかった。蛋白石(オパール)を削り出したような乳白色のうえに、開いた牙の印が浮かび上がっている。

 人形はそれを持ち上げ、軽々と構えた。がらんどうの甲冑の内側から、存在しないはずの眼差しで、アゲハを睨めつけるように。

 その額には、角張った飾り文字(タル・ジーク)で、【司祭(ビショップ)】の文字が刻まれていた。

 

『同じアシタ人をわざわざ人形化したのは、君に少しでも躊躇いが生まれるかと考えてのことだったんだが、見くびっていたよ。君はどうやら、生きるために必要なことが何かよく理解しているようだな。そう、つまらない(なさけ)戦場(いくさば)で足枷になる』

 【司祭】の言葉に、アゲハは目を細めた。

 アゲハがアシタ人たちを奇跡で破壊したのは人形王の言とはまったく違う理由からだったが、それをことさらに教えたいとも思わなかった。同郷の民だからこその憎しみも、それを人形にして操ることへの忌まわしさも、ひと言で簡単に表しきれるものではなかったからだ。

「おまえが殺したのか?」

 アゲハは冷たく言った。

「ユディトにいた人たちだろ」

『どれも戦の遺体だよ。私が手を下したわけじゃない。もっとも、必要ならばそれを躊躇ったりはしないがね』

 【司祭】の言葉は誇らしげですらあった。

『私は、君を(とら)えにきた』

 人形は静かに続けた。

『あるいは殺せと。連邦はよほど君を始末しておきたいらしい。正直に言って異例のことだ。<天使>の契約者は普通、捕らわれたり珍重されこそすれ、殺して奪うなどということはまずない。だが、どういう思惑があるにせよ、彼らがそうせよというなら私はそうする』

「できると思うのか?」

 アゲハは言った。気負いも力みもなく、始末すると言われたことに虫唾が走った。

『できないと思うのか?』

 人形はそう言うと、くいっとその長い人差し指でアゲハを指し示した。

 途端に、人形兵たちのうち近くにいた数体が走り出した。

 さっきまでのような緩慢な動作ではなく、跳ねるようにしてアゲハに迫ってくる。拳を振り上げ、虚ろな顔をゆらゆらさせて。その周りでちらちらと糸の光がきらめいた。重みを乗せた握り拳が風を切って――消えた。

 

 灰色の奇跡が爆発するように膨らんでからしぼんだ。

 アゲハは瞬きをし、睫毛に乗った灰を払った。あたりを埋め尽くす塵が風に吹かれて飛んでいく。

 人形兵たちが、残らず灰化して崩れ去っていた。

 アシタの戦士、羽飾りをつけた異国の海賊、採掘屋(ザークヤィル)の格好をした女――つやつやで無機質な彼らの屍体が。全身から奇跡を大きく放ったあとのけだるい虚脱感に、アゲハは軽くため息をついた。

 ――使える。

 アゲハは口のなかで聞こえないように小さく呟いた。とたんに安堵の震えが全身を走った。思いがけず、それほどに張り詰めていたのだ。

 ――対抗できる。

 弱っていたところを襲われたとはいえ、放浪王に叩きのめされたことは記憶に新しかった。同じ神話級の<人間イカリ>、それも“諸王(アーセリング)”に対してどれほど戦えるか、自信がなかったのだ。けれど、こうしてまみえてみると、思いのほかその差は絶望的でもないように思えていた。

『葬送の<天使(マラーク)>か』

 【司祭】は感心するように言った。

『普通の――』

 そう言って、それは言葉を切った。奇跡の話をするときに、普通、だなんて言葉を使うのはそぐわない。それは常識を塗り替える力なのだから。だが一瞬の沈黙のあとで、彼はやはり同じ言葉を繰り返した。

『――普通の奇跡であれば、もっと物理現象に則ったかたちで破壊をする。何もないところに火が現れるのは奇跡だが、火がものを燃やすことは奇跡ではない。だが、君のそれはもっと先まで――破壊そのものを“状態”に直接刻んでいるな。強いが、強すぎる。それほどの強制力、枯渇するのもあっという間だろう?君の未熟な術では』

 奇跡が弾けた。

 【司祭】めがけてまっすぐに、大地を蹴ってアゲハが踏み込む。その右手が立ちはだかった人形兵の頭をつかみ、《葬送(ハルヴァヤー)》で速やかに腰までを消し飛ばした。

 ――やっぱり、使える。

 くずおれる人形兵とすれ違いながら、アゲハは少なくとも安堵していた。唇が無意識に持ち上がる。

 “不殺”の戒律は人間を殺すことを禁じている。

 けれど、この場を埋め尽くしている人形たちはみな屍体だ。動いてはいても、操られていても、もう死んでいる。アゲハにとって彼らを壊すことは殺人ではない。

 人を殺してしまうかもしれないという恐れ、あるいはまた戒律を見抜かれてしまうかもしれないという怯えも、気にする必要はない。目いっぱい力を振り回して、思うがままに戦えるのだ。

 

『私たちを、殺さないで……』

 そんな台詞を吐いた屍体の腹に、アゲハは奇跡を叩き込んだ。灰になって消える人形の周りに、切れた糸のきらきらしたかけらが漂っていた。

『聞かないのか?命乞いを。随分と冷酷だな』

「安い引っかけはやめろ」

 【司祭】の人形に向かってアゲハは叫んだ。人形はぎしぎしと軋みながら戦鎚を弄ぶように叩いた。

『躊躇うだろう、普通なら。君は人殺しをなんとも思わないのか?憐れみを覚えたりはしないのか?』

「下衆め」

 奇跡を燃え上がらせながら、アゲハは歩を進めた。

 どうしようもなく腹立たしかった。そんな簡単な言葉でどうにかなると思われている自分が、そしてなにより、人間をそんなふうに弄ぶこの人形王のやりくちが。

 【司祭】は悲しげに言った。

『ならば、戦型を変えよう』

 

 そのとき、一番前にいた人形兵たちが、揃って首を傾げた。

 カチッと音がした。

 産毛が逆立った。

『《潰せ(エクスプリメ)》』

 そして、人形兵たちが炸裂した。

 まるで屍肉が炎へ変わるかのように、内側から膨れ上がって弾けたのだった。熱い爆風がアゲハの顔を叩き、喉を焼いた。轟音が耳を貫き、鼻の奥から甲高い耳鳴りが高らかに響く。 

『確かに、安い挑発に過ぎたかな』

 倒れようとしたが、できなかった。今膝を折ったら二度と立ち上がれない。煙の向こうから、敵のことばががんがんと揺らぐ耳に届く。

『しかし足は止まったんじゃないか?まさか、数合わせのためだけに私がこれだけの雑兵を用意したとでも思っていたのか?』

 【司祭】は静かに言った。

『君の力は知っていた。ただの捨て駒(ポーン)では取り押さえられないことも分かりきっていた。だから、ここに投入する精巧品(マスターピース)にはすべて聖異物を持たせてあるのだ』

 そういうなり、【司祭(ビショップ)】人形は傍らの人形兵を戦鎚で殴り飛ばした。地面をもんどり打って転がるそれの背には、戦鎚の打面に刻まれているのと同じ印章(シグヌム)が現れていた。その人形は地面を這いずるように進むと、アゲハの方に向かって立ち上がりながら爆発した。

 黒い土が吹き飛ばされて柱を作り、重たい音が腹に響く。アゲハは奇跡でどうにか身を守りながら後ずさった。しゅうしゅうと体の周りで白い煙がたなびいていた。

「屍体を爆弾に変えるだなんて――」

『心外だな、君だって散々やっていたことではないのか?それとも自分で破壊するのはいいが私がやるのは気に食わないのか。それでは辻褄が合わないな』

 

 人形兵たちを吹っ飛ばしながら、【司祭】はアゲハに迫ってきた。金属の重みなどかけらも感じさせぬ、恐ろしいほど軽やかな動きだった。糸で吊られている彼らにとっては、跳躍も突進も思いのままなのだ。

 アゲハは咄嗟に右へ飛び退いた。【聖鎚】が左耳を掠めて、地面に叩きつけられる。躱したと安堵したのも束の間、【司祭】が笑った。

『《潰せ(エクスプリメ)》』

 次の瞬間、地面がめくれ上がった。

 アゲハの立っているところが地の下から吹き飛んだのだ。大地を割って火が吹き出す。焼けてばらばらになった土や、砂、小石の裂け目に足を取られながらも、アゲハはどうにか続く【聖鎚】の一撃を横っ跳びに避けた。

『屍体だけと言った覚えはないがね』

 人形が言った。

『しかし、この【司祭(ビショップ)】にばかり気を取られていていいのか?後ろから兵士(ポーン)が来ているぞ』

 追い詰められていた。

 それが肌に染みてわかった。

『どんな達人であっても、囲まれてしまえば無傷とはいかないものだ。どこまでいっても人の手は二つきり、背中に目をつけることはできないのだから。君もそうだ。君は所詮ちっぽけな個人戦闘型(マークタイプ)だからな。だが私は違う』

 人形のいずれかがそう言った。輪唱のように声が続いていく。

『私は違う。私にはたくさんの手がある』

『私は軍にして個。個にして軍』

『この戦場そのものが()()()なのだ。君を取り巻くわたしなのだ!』

『さあどうする?こんなものか?簒奪者よ、これで詰み(チェック)なのか?』

 戦鎚が振り上げられ、風を切って落ちてくる。その爆弾化の印は、アゲハの顔面をまっすぐに目指していた。それが少しでも触れれば、少年の(かんばせ)は内側から消し飛ぶだろう。

『つまらないな。案外、取るに足らない打ち手だったか』

 

 そう言った【司祭】の足が、沈んだ。

 人形兵たちも足を止めた。 

 その指がアゲハを掴もうともがき、そしてずぶずぶと沈んでいく。まるで地面が柔らかな泥濘(ぬかるみ)に変わってしまったかのように。

「どうした?“取るに足らない”んじゃなかったのか」

 アゲハは荒く息をつき、誇らしげに笑った。

 人形は均衡を失い、【聖鎚】を取り落とした。それすらゆっくりと地の下へ呑み込まれていく。黒い波紋が地を覆い、人形たちを覆っていた。

『おかしい』

 【司祭(ビショップ)】がはじめて余裕を失い、やや狼狽したような声を上げた。

『葬送の奇跡は破壊の力のはずだ。しかし、これは……大地の変質ではない。人形への呪いでもない。何をした?』

「未熟な圧縮術だよ」

 アゲハは(ページ)を思い出しながらそう言った。目の前の人形にではなく、記憶のなかのあの賢い少年に話しかけていたのだ。

「捨てることは強めること。そうだろ?」

『論理圧縮だと?まさか!』

 人形は四肢を絡め取られながら明後日の方角に向かって言った。

『ただの破壊の力から、こんな属性が引き出せるはずはない。ましてや君のような未熟な術者に』

「食らって確かめれば?」

 アゲハは荒く息を吐き出しながらそう言うと、動けずに項垂れている【司祭】の頭を右手で鷲掴みにした。

 それは思いのほか冷たかった。指先につるりとした硬さが張り付いてくる。その眼が獰猛に見開かれ、くちびるが戦の興奮を肺に吸い込む。

「《葬送(ハルヴァヤー)》」

 力ある名前に命ぜられるまま、灰の嵐が吹き荒れた。

 地面を這っていた黒い波紋が消え失せ、代わって破壊の力が土と石を薄く削り取っていく。人形兵たちが頭や手足を失い、地に突き刺さったままで動かなくなった。

 糸が切れたのだ。

 アゲハは指先に冷たい金属の感触を感じながら、じっと立っていた。

 

 そして、驚きに目を見開いた。

 まだ指先に冷たい金属の感触がある。

 【司祭】の人形の硬さが残っている。

 力天使系統は自分を中心にして奇跡を放つものだ。《葬送》の中心に触れていたというのに、この精巧な人形は――

『だから、未熟だというのだ――』

 煙の中から飛び出してきた腕が、アゲハの喉を掴んだ。

 傷一つない、冷たく細い金属の指だった。万力のような強さで、白いのどに食い込んでくる。アゲハは思わず手を離し、締め付けられたかすれ声でまた、奇跡の名前を叫んだ。

 《葬送》が爆発した。

 けれどもアゲハの両手が握っている金属の腕は、それでも無傷だった。焼け付いたような白い煙がその上っ面で遊んでいるだけだ。

『君の奇跡には驚かされたが、それだけのこと。何も変わらない。なぜなら私は王で、君は簒奪者だから。くだらない小手先の術で、その一手だけで、盤面が動くとでも思っていたのか?』

 壊せない。

 それは初めてのことだった。アゲハが願えば、あらゆるものは灰に、塵になるはずだったのに。今まで躱されたり先手を打たれたりすることはあっても、傷がつかないなんてことは無かった。あるとしたら、あの鳥籠か、或いはタカの手と競り合ったときくらいか。

『聞き取りづらいな。もっと大きな声で喋り給えよ』

 【司祭】は――人形王(ザ・トラス)はそう言うと、アゲハの喉を締め上げる力を強めた。

『私の人形は、私の奇跡の支配下にある。そこへ君が干渉するためには、私の奇跡を追い出して己の奇跡を通さなくてはならない。これは大原則だ。《操作》と《葬送》では、起こす奇跡が矛盾するからな……そして、力が矛盾しあったときには、強いほうが勝つ』

 奇跡は世界をゆがめる力だ。

 どれほどちっぽけな奇跡であれ、それは変わらない。そして同じひとつところ、ひとつの物質にふたりの<人間イカリ>が術をかけたなら、そのふたつが同居するということはあり得ない。食い合うのだ。権力の椅子を奪い合った果てに、強いほうがおのれの意思を通す。

『この精巧な人形を支配している私の《操作(フト)》が、君の《葬送(ハルヴァヤー)》を跳ね除けた。奇跡戦とはこうやるのだよ。どんなおそるべき術理であっても、どんな奇跡も、どんな力でも、強い意思で拒絶してしまいさえすれば防げる。君の、この、大地の圧縮術にはやや驚かされたが――』

 人形の指がかすかに動いた。

『《切断操作(フト・ケリータ)》』

 笛の音のような唸りとともに、地面が断ち切れた。

 地の下からすっぱりと、まっすぐに切られたのだった。 

 頭や手足をなくした人形兵たちが、それでもなおその四角い岩盤を持ち上げて立ち上がる。傷ついても動き続けられるそのありさまが、彼らの死を強調していた。彼らには生命の仕組みはもはや無く、ただ糸に繋がれて動くだけの輪郭(かたち)に過ぎないのだ。

 人形兵と【司祭】を、きらめく直線がつないでいた。

『糸はヒトの手わざの象徴だ』

 “人形王”の声がした。

『結びつけもするが、同時に断ち切りもする。接続と切断、糸の属性だよ』

 アゲハは咄嗟に奇跡を燃え上がらせた。

 口の端で力の名前を呟く。《(カラ)》が少年の体を覆い、【司祭】の手を無理に弾き飛ばした次の瞬間、凄まじい衝撃が四方からぶち当たった。

『防いだか』

 服の上から、いくつもの真っ直ぐな傷口がぱっくりと開いた。

 糸で斬られたのだと分かった。細く明滅する影が、辺りを取り囲む人形たちの間を動いている。万物を分解するハルヴァヤーの奇跡に触れてなお、その糸は強靭に張り詰めていた。

『なぜ君のような直接干渉型の奇跡が非効率なのか、これが答えだ。わたしの糸の斬れ味は奇跡でも何でもない、きちんとこの世界の物理(ルール)に則っている。本物なんだよ。だから君の奇跡でも容易には防げない』

 【司祭】は両手を引き寄せるように動かした。

 刃のようにとがった殺気が神経に突き刺さる。アゲハは咄嗟に姿勢を低くし、腕を顔の前で構えた。その腕に真っすぐな傷口がいくつも開き、《葬送》を纏ったまま吹き飛ばされる。

『そして逆に、もし君がもっと本当らしい力を使っていれば、私の人形に傷くらいはつけられただろうに。君の奇跡は強すぎる。現実離れした力ほど扱いづらいものだ――人を傷つけるのにそんな高度な奇跡など必要ない。その辺で拾った小石ひとつあればいい』

 そう言って、【司祭】は手のなかの石くれを手遊(てすさ)びのように軽く投げた。

『こんなふうに』

 糸が引き絞られる。まるで強弓(こわゆみ)のように後ろへ下がったそれが、力を解き放った。

 見えなかった。

 気がついた時には、腹ににぶい重みが突き刺さっていた。

 奇跡に触れた石くれはすぐさま灰になってしまったが、それでもその重みはずっしりと腹の中身を傷つける。アゲハは血反吐を吐きながら思わずその場にくずおれ、膝をついた。

『形は滅ぼせても、運動力は打ち消せまい』

 そう、人形王は言った。

 糸の<天使>は、ただ糸を張るだけの奇跡だ。だが、それですらこれほど色々な使い方ができる。おのれの奇跡と向き合い続けた男の、これが王にまで達した研鑽だった。

 

 【司祭】がみたび指を振る。

 あの糸がまた繰り出されるのを感じて、アゲハは目を細めた。見えない。来ると思ったときにはもう身体が切り刻まれている。

 アゲハは鞘に収まったままの剣を突きだした。

 あのタカは、これが聖異物(アロトリオ)だと言っていた。思った通り、ただの錆びついた金具にしか見えないそれは、フトの糸にも耐えきってみせた。砂のような細かい火花が散った。

「《火葬砲(ヒムカ)》!」

 そして、オレンジ色の炎が【司祭】に向かってなだれかかった。

 無から火が現れるのは奇跡であっても、それがものを燃やすのは奇跡ではない。

 それはでっちあげではない、ほんとうの物事だ。たとえ【司祭(ビショップ)】がどれほどの精巧品(マスターピース)でも無傷ではいられない。

 みなこの王が言ったことだ――もし、当たりさえすれば。

 

『実に面白い』

 迫りくる炎の向こう側で、【司祭】は両手を打ち合わせると、本当に感心している口調で言った。

『素晴らしい。土の次は火ときたものか。さあ、では、次手はどうくる?私を楽しませてくれよ、ハルヴァヤーの簒奪者よ』

 その指がくっと動く。

 

 そして、いくつもの直線が炎を切り裂いた。

 

 ◆◆◆

 

 ■シャルキイイ

 

 <ジン>は息せき切って工房街を走っていた。もちろん生き物ではないから、彼に本当のそれは必要ない。そういう想像力で動いていたというだけのことなのだ。

 転移は制約が大きい。

 それに、探している相手がどこにいるか分からないのでは飛びようもなかった。シャルキイイの力は、そんなに便利なものではないのだ。

「ウミガラス様!」

 シャルキイイは叫びながら走った。

「どちらにおいでですか、ウミガラス様!」

 

 かくして、彼はすぐに見つかった。

「やあ、シャルキイイさん」

 ウミガラスはゆったりと工房街の外れに佇んでいた。

 そしてその足元には、壊れかけた人形が力なく横たわっていた。馬をかたどっているのだろう、四つの脚はすべてへし折られ、ばらばらにされ、胴も肩から半分に抉られている。近くには青銅で造られたような重盾がなかばひしゃげて、石壁に突き刺さっていた。

「【聖盾】だったな」

 ウミガラスは盾を拾い上げた。だが、その牙の印は音を立てて閉じた。

 ウミガラスはしばらくそれを眺めていたが、やがて手(すさ)びのように遠くへ放った。

「俺には従わないというわけか。盾にしては忠義者だな」

「襲われたのですか」

 シャルキイイの言葉に、ウミガラスは首を振った。

「俺だけではない。強いリソースを狙って駒を置いたのでしょう。どうやら――あの叫び声から察するに――瑪瑙(マークナイン)のところも攻められているようで。

 それも、ただの兵ではなく、聖異物を持っていました。おのれの人形を介してなお解放が行えるとは、驚きですがね」

 そう言って、彼は地面の“頭”を蹴り飛ばした。【騎馬兵(ナイト)】の飾り文字が刻まれているそれは、がらがらと音を立てて転がった。

『賞賛に値する』

 虚ろな声で、金属製の頭が言った。

『我が【騎馬兵】を単騎でこうも容易く破壊せしめたことは賞賛に値する。警戒すべき戦力だ』

 そのがらくたへ、ウミガラスは冷たい目を向けた。

「主天使系統はこれだから。しぶとくて嫌になる」

 ウミガラスはひしゃげた兜を踏み潰した。沈黙した鉄屑を見やり、爪先で引っ掛け、弄ぶように遠くへ蹴り飛ばす。

「それで、俺を捜していたわけを聞きましょうか。あなたならこんな連中、どうにでもなるでしょう?純粋な火と風から造られたあなたならば」

 ウミガラスはそう言ったが、シャルキイイは首を振った。

「買い被らないでください。私は<ジン>のなかでも目眩ましが得意なだけの、非力なほうにすぎない。かのゼフィルやユーラクロンといった強い連中に比べれば――この人形たちをどうにかするにはあなたがた人の子に頼るしかないのです」

 シャルキイイは言った。

「この襲撃の狙いはあの少年です。いくら彼が神話級と言っても、“王”が相手では勝てるはずもない」

 それに、とシャルキイイは続けた。

「彼は逃げないでしょうから」

 ウミガラスは頷いた。

「急ぎましょう。この人形と同じものが来ているのだとしたら、確かに――」

 

『無駄なことだ』

 そのとき、あの人形のうつろな声がそう言った。

『君たちは全く無駄なことをしている』

「まだ話せるのか」

 ウミガラスは舌打ちをした。

 あの踏み潰されたがらくたの頭だけが、ひっくり返ったままで口を利いていた。その縁からまるで蟲のように蠢く白い糸がはみ出してきている。そこまでされてもまだ壊れきっていない。

『<ジン>か……炎と風の息子。熱砂の民。西海域では珍しいな』

 人形は言った。

『放浪王は珍獣趣味だと聞いているが、そんなものまで手駒にしていたとは。さすがは音に聞く嵐の女だ』

「手駒ではありませんよ」

 シャルキイイは毅然として言った。

「私も、彼らも。ここにいる皆は我らが王に忠誠を誓った臣下なのです。あなたのように、一人きりの人形遊びしかできない王とは違う」

 人形王はしかし、特に否定することもなくカタカタ震えた。笑っているのだった。

『忠誠か。この世で最もくだらないもののひとつだ』

 王は言った。

『命令に従っているだけだからな。その忠誠とやら、あの女がやれといえばあの少年とて殺すのだろう?守ろうとしている彼をも。欲すると欲せざるとにかかわらず』

 シャルキイイも、ウミガラスも、怒りの眼差しを人形の欠片に向けた。だが、人形は続けた。

『他人の意思で動かされるお前たちに、真の力は決して宿らない。誰かの願い、誰かの望み、そんなものに身を委ねるほどくだらないこともない。

 意思だ。

 おのれの意思なんだよ。

 自分だけの願いで、何もかもを犠牲にしてでも、欲するものを手に入れる――それが王の器だ。だから君たちは王になれない。自分の意思に嘘をついている君たちに、私が殺せるものか』

 兜の破片を中心に、白い直線が地面をわっと走り回った。

 まるで地がひび割れたかのようだった。細かく精緻な直線が、折れ曲がり、つながり、無数に枝分かれを繰り返しながらあたりを覆い尽くしていく。

 それらが壊れた人形をつなぎ、聖異物にまで届こうとしている。王は力強く言った。

『時間稼ぎはもう十分だ。あの簒奪者の少年はすでに死んだぞ。私が殺したのだ。お前たちの王もすぐに同じところへ送ってくれる。諸君らの忠誠とやらが大事なら、一足先に行って待っているがいい!』

 青銅の盾がカッと光った。白の直線に繋がれた聖異物が息を吹き返したのだった。牙の印が開く。

『《呑め(ビベ)》!』

 奇跡を放つために、だんだんと光を強めている【聖盾】を睨みながら、ウミガラスは首を振って呟いた。

 

「《溺死(トヴィア)》」

 そう言って、彼は目を閉じた。

 その瞬間、あたりが暗くなった。ウミガラスのまばたきが、彼の眼差しだけでなく、外の世界を飲み尽くしたみたいに。

 くろぐろとした薄黒い空気に沈められて、息苦しい雰囲気が一帯を覆っている。

権天使(アルケー)系統』

 人形王は言った。 

『あの女と同じ最強種。気に食わんな』

「あまり俺たちの前で陛下を侮辱するものじゃない」

 ウミガラスは目を閉じたままで言った。

 空間がひりついていた。

 権天使系統は領域型の奇跡、そして奇跡は人の意思そのもの。ここはウミガラスの心の内側なのだ。

 彼の苛立ちが世界を満たして震えている。

『飼い主の悪口で頭に来たのか?つくづく度し難い――』

 人形王はしかし、挑発の言葉を切った。

「そんなお前に相応しいのは、俺よりも、かの王の御力で滅びることだろうよ」

 薄暗い大気の中心で、ウミガラスの懐からみどり色の光がこぼれていた。それは彼の<天使>とはまったく別種の力だった。脈打ちながらちらちらと揺れている。

「嵐の王よ、大気の(あるじ)、暴風と荒天の統率者よ。しもべの名を以て召喚す、大いなる汝の右腕を――」

 

『おぞましい』

 人形王が言った。

『結局、それがお前たちの“忠誠”とやらのざまか……それほどまでに愚かだったとは!』

 ウミガラスは腕を突き出して、何かを招くように指先をぐっと持ち上げた。

 

 次の瞬間、地を割って現れたのは、巨大な緑色の右手だった。  

 それは<天使(マラーク)>の右腕だった。嵐の<天使>、セアラの一部だけがここに現れているのだった。

 がらがらと崩れる地を押し退けて、蜘蛛の巣を拾い上げるみたいに、とがった指が地上の糸を掬い上げ、壊れた人形と、聖異物の盾とを残らず掴み取った。

 それは翡翠のように透き通っていた。ウミガラスの胸元で揺れている光と、まったく同じ色をしていた。

 掴まれた人形王は興味深げに吐き捨てた。

『<天使>を取り込んだな。それで忠誠だなどとよく言えたものだ。心ノ臓まであの女に譲り渡して、その対価がこれか――』

 そして人形王が術を使うよりも早く、その<天使>の右手が風ごと人形を握り潰した。

 小さな暴風が掌の中で渦巻いて、今度こそ【騎馬兵】人形を完全に打ち砕く。人形王の断末魔が、光の砂とともに流れ落ちた。

 本当に死ぬわけでもないくせに。

 

 ウミガラスは深く息を吐くと、腕を振るって“返還”のしぐさをした。

 <天使(マラーク)>の右腕が震えながら地に潜っていく。その地割れの向こう側からは、《円環》の光が差し込んでいた。

 

 ウミガラスが目を開けた。

 とたんに、光が戻ってきた。あの薄暗く重たい大気が消えて、あたりが澄んだ。展開されていた奇跡の領域が<人間イカリ>の中に吸い込まれて消えたのだ。ウミガラスは胸を押さえて咳き込んだ。

「無駄な時間を使った」

 その胸元の光はいつの間にか消えていた。ウミガラスは首を振ると、シャルキイイを見やった。

「聞きましたか?簒奪者の少年を殺したと」

 シャルキイイは何も言わずに首を振った。ウミガラスは頷いた。

「そうですね。敵の言葉など信じるものではない。では――お願いできますか?」

 シャルキイイは無言で片手を差し出した。

 その手をウミガラスが取るやいなや、何かが弾けるような音がして、二人の姿が掻き消えた。

 

 だが、人形のいったことは嘘ではなかったのだ。あの簒奪者の少年はすでに死んだ―― 

 

 ◆◆◆

 

 ■アゲハと【司祭】

 

『私の勝ちだ』

 王はアゲハに言った。

 あたりには何重もの輪を描いて、人形兵たちがじっと包囲している。一番内側の円には、黒い爆弾のしるしがしっかりと牙を剥いていた。“人形王(ザ・トラス)”が命ずればすぐに燃え上がるだろう。

 

 対するアゲハは、満身創痍だった。

 身体中に開いた切り傷から血がこぼれている。なにより、その手足は真っ白な糸に縛り上げられていた。その端を縫い留めているのは、幾つもの捨て駒(ポーン)たちだった。

『動くと、切れるぞ』

 硬い岩すら断ち切る細い糸が肌を締め付けているのだから、それは白刃を突きつけられているのと同じだった。アゲハは無理やりに立ち竦ませられているような格好で静止していた。少しでも藻掻いたなら、喉も、うなじも、指の腹でさえ真っ赤な血を噴き出すだろう。

『これで詰み(メイト)だ。君にもう逃げ場はない。それは分かっているはずだ。だが――』

 【司祭】は――人形王は静かに少年を見下ろした。

『だが、いい目だ。意思の強い目だ。敗北を認めていない。なぜだ?なぜそんなに私を憎む?』

「おまえにおれの気持ちなんか解るものか」

 アゲハは両手に奇跡を番えながら言った。灰色のそれがじりじりと、縛り糸に触れて焦がれている。

「他人を操って――」

 周りを囲む人形兵たちは、じっと小動ぎもせずに立っている。それが本当に不愉快だった。身じろぎの権利すら奪われて、ものみたいに扱われている屍体たちが。

「――人をいいようにして。おまえに分かるのか?自分のこころがあるってことも気に留めてもらえないような、もの同然の扱いを受ける人間の気持ちが!」

『ああ、なるほど』

 人形王は頷いた。人形を頷かせたというべきか。あたりの捨て駒(ポーン)たちでさえ、さざ波のように頷きを伝えていく。

『アシタ人だったな。あの国は身分制が徹底していたと聞く。そうか、君、奴隷階級出身者なのか』

「もう違う」

 アゲハは吐き捨てた。

「おれはあんな国から自由になったんだ。この連邦のくだらない市民制度からも。<天使>と契約したときから、おれは王の器なんだ――二度と、奴隷だなんて、呼ぶな!」

 それは傍目にはやや滑稽だったかもしれない。

 喉元に奇跡を突きつけられているのに、奴隷と呼ばれるだけで、腹の底から焼けるような怒りが突き上げてくる。繋がれて、頭を垂れ、命ぜられるままにされることを思うだけで、虫唾が走った。

 死ぬよりも嫌だ。繫がれて生きるくらいなら、死んだほうがましだ!

『わかるよ』

 だが、人形王は静かにそう答えた。

『よく知っている。隷属の屈辱も、使われるものの気持ちならよく知っているさ。ああ、この上なく分かっているとも――』

 人形王は言った。

 

『――私も、嘗ては奴隷(スレール)だったのだから』

 

 人形王はまるで弄ぶように【聖鎚】の柄を撫でながらそう言った。

『戦災孤児だったんだ。私を買ったのは首都テーバの商人でね。愚かだったが、豊かな男だった。やつの指笛一つで、たくさんの奴隷がまるで駒のように一斉に動くさまときたら、それはもう。壮観だったよ』

 思い出を味わう男の声は、静かな熱に満ちていた。

『たくさんの奴隷がいた。男も女も。私もその一人だった。今でも覚えている。主人が我ら奴隷に向ける、蔑みも何もない、空っぽな眼差し……人間ではないものに向けられる、あの冷徹な眼差しを』

 人形は、少しだけきしんで、肩をすくめてみせた。

 

『おまえが嫌うものに、私は憧れたのさ』

 人形は少年の眼差しをまっすぐに見た。その向こう側に、それを操っている王の魂があるのをアゲハは感じた。

『私は、人間になりたかった。誰かを支配して踏みつけにしたかった。ご主人様が妬ましかった。あんなにも驕り、高ぶり、幸せそうだったのだから、そう思っても何ら不思議はないだろう』

 アゲハは言葉に詰まった。人形王は叫んだ。

『おや、おや、おや、どうした?さっきまでのように吠えてみせたまえよ。己の敵には屈しないと。貴様にはおれの苦痛などわからないのだと。おれを奴隷呼ばわりするなどやめてくれと――できるまいね。わかる、わかるさ。手に取るように分かるとも』

 人形王は【聖鎚】を投げ捨て、機械仕掛けの指先で少年の鼻先をさした。

『違うと思っていたんだろう?』

 その声には憐れみと侮辱が混ざり合っていた。

『おのれの敵はおのれとは違うと。恐ろしい化け物だと。

 だから何を言ってもいい。どんなに蔑んでも、憎んだって構わない。理解などできるはずもない、同じ人間のすることじゃあない!

 死んでしまえ、消えてしまえ、この冷たい人でなしが!

 ――けれどそれは間違いだ。

 君と私は同じなんだよ、同じ人間なんだ。君が気持ちよく否定してきたのは、君と同じ私なのだよ』

 アゲハはなにも言えずに黙っていた。奇跡が揺らめいた。

『誰もが人間の定義を探している』

 人形王は呟いた。

『連邦ではそれを“市民”と呼んでいる。しかしそれだって間違いではないわけだ。同じ姿形をして、同じ生き物だと言われても、皮で、血で、肉で、なにが決められる?なあ、身体の作りが同じだというだけで、同じ“人間”なのか?』

 王は言った。

『それとも受け入れられるか?この私がお前と同じ人間だなどと』

「おまえなんか、人間じゃない」

 どうにかこの相手を否定したくて、アゲハは精一杯そう言った。

『ああ。だから私はおまえを笑わない』

 王の声に凄みが増した。

『王の器と言ったな。そう、奴隷でさえ王になれるのが<天使(マラーク)>の力だ。だから、対等な相容れない“敵”として、私はおまえを殺す。曳航連邦に取り入るために。私の野心のために。私の欲望に従って』 

 バチッと奇跡が鳴った。

 とうとうアゲハは力の名すらも忘れて、奇跡を解放した。

 加速された時間の中心で、灰と塵の渦が【司祭(ビショップ)】の人形めがけて突進する。触れるものすべてを遥かなる未来の向こう側へと分解しながら。

 そして、笛の音がそれを劈いた。

 

『――《切断操作(フト・ケリータ)》』

 

 真っ白な糸が、燃え盛るハルヴァヤーの奇跡を貫いて、ぎりぎりとアゲハを絞め上げた。

『さようなら、我が愛すべき敵よ』

 その無数の糸が引き絞られ、少年を斬り裂いた。

 

 ◆

 

 小柄な屍体が奇跡を失って、どさりと崩れ落ちた。

 奇跡が解除されたということは、<人間イカリ>が死んだのだ。人形王はその身体を見下ろし、どくどくと湧き出す血だまりから兵たちを下がらせた。

『しまったな』

 彼は独りごちた。

『<天使>を喚ばせるまえに殺してしまった。問題がないといいが』

 その傍らにいた捨て駒からも、人形王の声がした。

『“放浪王(ザ・ウェンド)”を下したあとでゆっくり回収すればいい』

 それを独り言というには、あまりにも会話じみていた。奇跡に長年親しんできた彼にとって、人形の群体こそがその精神の形そのものだった。

 奇跡は人間を拡張する。まったく新しい力を手に入れるのは、泥の器をこねて広げるようなものだ。中身の精神は時間とともに、その器になじんでいく。それがどれだけ異形で人間離れした器であったとしても。

『何にせよ任務完遂のあかしは要る』

 人形王は兵の一体を動かして、アゲハの屍体を回収させようとした。その手が悔しげに投げ出されているのを、彼であり彼らである王は無数のまなざしで見下ろした。

『悪く思うなとは言わない。だが、せめてもの礼儀として骸を辱めることはすまい。君の死は私の栄華の礎として、我が権力の内側にあり続ける。その血潮を忘れはしない――』

 屍体は何も言わなかった。ただ、血がどくどくと溢れている。

 多すぎるほどに。

『――破壊した心臓がまだ動いているのか?』

 人形王はつぶやいた。

 だが、フトの奇跡は少年の体をずたずたに斬り捨てたはずだ。血潮などとうに足りなくなっていなくてはおかしい。

 けれど、血溜まりは確かに脈打っている。

 真っ赤な波紋がぐらぐらかすかに揺れている。

 

 そして――アゲハが地面に両手を突き、ゆっくりと起き上がった。

 生きている。

 気のせいか、そのしぐさは戦い始まる前よりもずっと伸びやかだった。まるでナイフに切り分けられた凝乳(カード)の如く、肉から骨まで滅多切りにされたというのに。

『知っているぞ。ああ、知っている』

 人形の一体が言った。

『――不死の力』

 

 アゲハは傷一つない手のひらで、真っ赤な血をぬぐった。

 蟻洞(ギリアード)から受けた硫黄の焼痕(やけど)も、タカに付けられた身体中の裂創も、ユディトのハールーダが蝕んだ傷も、そして放浪王が与えた痛みも、もう全て治っていた。ただ一つ、短くなってしまった小指だけがその痛々しさを残している。

 

 アゲハが瞬きをした。

 その右眼は、鮮やかなみどり色に輝いていた。

 いつからか、どこからか、強い風が吹き始めている。

 

 腰に携えた、ずっと鞘に収まったままのあの剣を持ち上げて、アゲハはひとこと口にした。まったく知らないはずの、力あることばを。

 

「――《復讐せよ(レッデ)》」

 

 そして、鞘から剣が抜けた。

 

 To be continued…

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