<Infinite Apocrypha>   作:N.O.

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第三十七話 罪人(つみびと)の名前

 □約60年前 曳航連邦 とある屋敷

 

 薄暗い小部屋のなかに、黒い長髪を束ねた男が腰かけていた。

 もう若くはない。けれどその皺の刻まれた顔つきには、子供のように純粋なところがあった。

 ――で、君は何を望むのかね?

 男は言った。弦楽器のように深みのある、聞くものを魅了する声だった。

 ――欲することは罪だ。だが、それは生きることそのものでもある。ヒトは希望の光なくして生きてはいけないからね。

 

「権力が欲しいのです」

 

 その前に立つ少年が言った。

 色の薄い髪を後ろに撫でつけ、額をあらわにしている。真面目そうな、張りつめた顔で、彼は続けた。

「地位が、名誉が欲しいのです。この世の誰もが、私に額づくところが見たい。曳航連邦の皇帝であれ、我が奴隷にしてやりたい」

 男は手をたたいて笑った。

 ――なんと傲慢な!

 ひとしきり笑い続けたあとで、老壮の男は皺のなかに埋もれかけたエメラルドの瞳を煌めかせた。

 

「――つまり、君は王様になりたいというわけだね?」

 

 ◇◇◇

 

 

 ■タルシシュ 地上

 

 ウミガラスは地面のほこりを軽く払うと、土の上に丸く線を描き、その中央に腰掛けた。

 ぼんやりと、胸の奥から緑色のひかりがあふれ出した。ウミガラスはそれを楽しむかのように口ずさんだ。

 ――永遠なる生と朽ちぬ身体を。

 知ってるかい?そんな眼差しに、アゲハは首を振った。

「古い詩だよ」

 ウミガラスは言った。

「他ならぬ俺たちこそが、“臆病者”というわけだ。だが、死にたくないと欲することこそ、ヒトの根源だとは思わないか?」

 アゲハは何も言わなかった。ウミガラスはちょっと笑って、背筋を伸ばした。

「だからそのためにはどんなことでもする。はじめよう」

 

 その胸の光が強まって、天へと昇る燐光がまるで柱のようなかたちを作りはじめた。ここだけではない。見渡せば、遠くからも同じ光が立ち昇っていく。

 

「暴風よ!」

 ウミガラスは言った。

 その頭上に《円環》が開いた。その内側から巨大な影がゆっくりと、物理空間をこじ開けて降りてくる。

「我が<天使>トヴィアの名を以て希う――ズヴヴの、エヴェンの、ピアハの、ザアムの、ミトノデデトの名を以て、我らが王に力を。立ちはだかる敵に滅亡を」

 ウミガラスが目を開けた。

 

「さあ、開け。――“翠風園(ガン・セアラ)”」

 

 ◆◆◆

 

 ■人形王とエシュ

 

 雲を抜けた。

 “人形王(ザ・トラス)”はその残滓を鬱陶しそうに払いのけ、あたりを見回した。後ろには紺碧の<超級(スペリオル)>が浮かんでいる。

 だが、放浪王はいなくなっていた。

 

 何が起きたのか分からなかった。

 さっき、嵐の<天使>の領域がぐんぐん小さく、か細くなっていったかと思うと、ついには小さな点になり、そして完全に消えた。だが、そのあとには何も特別なことなど起きなかったはずだ。

「《操作(フト)》」

 人形王は糸を繰り出すと、火の<天使>エシュを引き寄せた。

 奇跡の気配は、再び復活していた。だが、彼女はいったい何をしようとしたのだろう? 

 人形王は雲の下を見おろし、そして立ち竦んだ。

 

 タルシシュがない。

 あの巨大な船が、動く都市そのものが影も形もない。それどころか、海さえもなかった。 

 下には空があった。

 雲があった。

 空を見上げたときと、全く同じものが広がっていた。

 人形王は上下の感覚を失ってくらっと揺らいだ。

 ここには空しかない。

 大気のほかには何もない。

「何だ」

 彼は思わず言った。自分のおびえを、不見識をわざわざ曝け出すなどと、打ち手としては失格だろう。

「一体どこだ、ここは!」

 なぜ気づかなかったのだろう、この肌を刺すような異質感に。

 ここはさっきまでの場所ではない。タルシシュではない。だが“転移(シフト)”は感じなかった。あまりにも滑らかに、すべてが変わってしまっていた。

 ここは、違う“世界”だ。

 

 人形王は異界の上空を見下ろした。

 灰色の嵐が渦巻いていた。

 積乱雲が壁のようにそり立ち、空を塞ぎ、白の王と<超級天使>に近づいてきていた。

 

 ◆◆◆

 

 ■再び、地上

 

 トヴィアと呼ばれた<天使>は、その丸っこい水甕のような姿を丸め、ウミガラスを覗き込むように静止していた。

 その体躯から、緑色の光の柱が空へ昇っていく。

 <天使>を礎に、力の結節点にして何かの術式を使っているのだと分かった。だが、それが何か読み取るにはアゲハの感覚はあまりにも(うぶ)だった。かろうじてわかるのは、その力の向きが空の上にいる放浪王に注がれているのだろうということだけだった。

「そう長くはかからないよ」

 ウミガラスは言った。

「それにそう長くは保たない。俺たちの補助を支点にしても“園”を開くのは簡単じゃないんだ。すぐに不安定化して崩壊してしまう」

 ここを合わせて、六つの光が屹立している。

「“(ガン)”?」

 アゲハは言った。だが、ウミガラスはそれ以上を教えてくれはしなかった。

「術の限界を超えた術だよ。悪いが、それ以上は教えられない。というより知らないんだ。俺たちは王の術式を安定させるために力を貸している人柱に過ぎない。訊きたけりゃあ、王様に訊いたほうがいいな」

 天上には何か異質な気配があった。

 さっきまで散々感じていた、ただの強い力とは違う。あからさまにぎらぎらと火照る太陽のようなそれではなく、まるで熾火のような、静かな見てくれの裡にもっと熱いものを孕んでいる気配だった。

 その気配が動いた。

 

 ひゅう、っと、風を切る音がした。

 緑の星が落ちてきた。

 ひかりの塊が地に横たわって、丈の短い草を揺らす。その中心に、目を凝らさなくては気づかないほどの黒い“点”があるのに、アゲハは目を留めた。ウミガラスは座ったまま頭を下げた。

「終わりましたか?王よ」

 その黒点から、まるで子どものする泡玉遊び(ホーラム・ホイ)みたいに膨れ上がって這い出してきたのは、荒く息をつく“放浪王”、その人の姿だったのだ。

「ああ。済んだよ」

 放浪王は傷口を押さえながらひかりの球を振り向いた。

 それが弾けた。目の錯覚みたいにぐにゃぐにゃと大小を失いながら、その内側にあったものが飛び出てくる。

 紺碧の<超級(スペリオル)>が現れた。火の<天使(マラーク)>エシュは手を突き、膝を引きずりながら少しだけその巨体を動かしたが、すぐに力尽きてうなだれ、胸元から光の粒子を砂のようにこぼし始めた。ガラスの器に砂を注ぐみたいに、同化していた<人間イカリ>の輪郭がもとに戻っていく。

「そうですか。この子供が?」

「<超級(スペリオル)>だ」

 気を失っているような少女のその柔肌には、銀の鎖と白い糸がいくつもいくつも絡みついている。アゲハは嫌悪感を吐き出すように息をついた。

 

 その張本人もまた、“園”から帰ってきていた。

 “人形王”は<天使>のそばに立ち尽くしていた。襟を立てた白装束と目深にかぶった帽子で顔を隠した男だった。

 その上体がぐらりと揺らいで、ゆっくりと滑り落ちた。

「真っ二つになったのは結局、お前だったね」

 腰のところで切断され、二つに分かれた“人形王”の死体をろくに見もせずに、放浪王は吐き捨てた。

「術式終了。すぐに被害状況を確認して、物理結界の再起動と修復。睡蓮(スマール)も呼んでくれ。あと、椅子を頼む」

 その顔はすっかり年老いていた。力を使いすぎたがために、老化が早まっているのだろう。それに、腕の傷は死んでもおかしくないようなものだった。止血のすき間から、赤い血がぼたぼたと落ちてくる。立っているだけでもつらそうだ。

「あの娘は?」

 ウミガラスが言った。

超級契約者(スペリオル・アンカー)は、どうしますか?」

「“銀”で縛られている。あれは精神を縛る鎖だ。放っておいたってどこにも逃げたりはしないよ」

 放浪王はそう言って、首を振った。

「そういう意味ではなかったのかい?」

「俺はただ、すぐに解いてあげるべきではないかと思って。ずっとあの男に繋がれていたのでしょう?いい気持ちはしますまい」

 ウミガラスは肩をすくめた。王は笑った。

「悪かったね、残酷で。だけど考えなしに解き放って逃がすわけにはいかないよ、<超級(スペリオル)>ともなればね。そのあたりは追々考えようよ、僕は疲れた」

諫言(かんげん)のつもりはないですとも」

 ウミガラスは笑って誤魔化した。

「疲れたよ」

 放浪王はため息をついて、地面に腰を下ろした。

 

 そして、“人形王(ザ・トラス)”がすっくと立ち上がった。

 放浪王が血相を変えて振り向く、その驚き顔を白い糸の波が吹き飛ばした。

『《攻撃操作(フト・ゼローア)》』

 糸で編まれた巨大な右腕だった。幾重にもなった糸の編み目が折り重なって腕と手の形を作っている。五本の指が放浪王を押さえつけて、土と砂をえぐりながら無理やりに捉えた。

『初めてだよ。【人形王(アーセリング)】の躯体が壊されたのは』

 人形王の身体を、白い糸が縫い合わせていく。

 はだけた外套から見えているその肉体は、金属と歯車、紐と布張りで造られていた。

「お前自身も……お前自身じゃあなかったのか」

 放浪王は息も絶え絶えに言った。

精巧品の人形(マスターピース)で人間のふりをして」

『別に私は、一回だって自分が人形ではないと言った覚えはないがね。いや、言ったかな?まあどちらでもいいことだ』

 人形王は首を振って、ウミガラスに向かって空いている左手を翳した。

『おっと、動くなよ。《遮れ(アルケー)》』

 指環から白い光があふれたかと思うと、真っ白な霜がウミガラスの脚をとらえた。軋むような音を立てて氷の結晶が重たげに膨らんでいく。

『君の奇跡は知っている。見たからな。引き金(トリガー)はその“眼”か、いい術だが、やめろ。この()の右腕が諸君らの王を抑えているということを忘れるな、力と束縛こそ糸の属性だ。どれだけ素早い術でも、わずかにでも力を感じたら私の指先がこの女の首を圧し折るぞ』

「構うな、やれ!」 

 放浪王は叫んだが、ウミガラスは躊躇った。人形王は陶製の造り物の顔で笑った。

『自分より大事なものを作るからだ。忠誠心など、何の役にも立ちはしないということだよ』

 左手の指先から、五本の白い糸が見る見るうちに伸びて、ウミガラスを縛り上げる。

『《牢の繭(フト・ケーレ)》』

 ウミガラスは隅々まで真っ白にされて動けなくなった。

『しばらくそうしていろ。お前もあとで人形として使役(つか)ってやる。お前たちの壊した精巧品の駒(マスターピース)の代わりくらいにはなって貰う』

 人形王はそういうと、銀の鎖を糸で器用に拾い上げた。それを引っ張りながら命じる。

『エシュ。エシュ!』

 繋がれた少女は糸と鎖に引かれるままどうにか立ち上がろうとしたが、力なく倒れた。同化限界に達している。人形王は舌打ちした。

『役立たずめ。肝心な時に役に立たん人形だ。連邦からおまえを買うのにいくらの鉄を支払ったと思っている』

 

 アゲハは歯を食いしばった。

 人形王はアゲハにまったく注意を払っていなかった。

 放浪王を押さえて膠着状態を作った気でいるらしい。  

 だが、アゲハにとってはあの王だって、味方という気持ちではないのだ。

 繋がれた“人形”の少女は<天使>に縋り付くように藻掻いていた。外から強制されたようすで、糸に吊られ、鎖に繋がれて、どうにか“同化”しようとしている。

 憎悪と嫌悪が膨らんだ。

 今なら人形王はアゲハを見ていない。不意をつける。そう考えるより早く、アゲハは右腕を持ち上げていた。奇跡が励起され、掌の紋章が熱を持って脈動した。

 

 人形王はその時はじめて、アゲハに目を向けた。

 水晶と真鍮でつくられた人形の瞳が、少年を睨めつける。

 アゲハの敵意に彼が気づかないはずはなかったのだ。人形王は機械の左手を差し上げ、糸の奇跡をそこに番えた。

 

 だが、その人形の動きが止まった。

 歯車が軋み、糸がぎりぎりと唸る。それでも、人形は動かなかった。生きているかのようだった表情も死んだように凍っている。まるで誰かの見えざる手が人形の手足をぎゅっと掴んでいるみたいに。

「不調だ」

 放浪王が消え入りそうな声でさけんだ。その周りで風がぐるぐる回った。

「今のうちに、早く、壊せ!」

 アゲハは深く息を吸い込むと、ありったけの敵意を込めて、【人形王(アーセリング)】が壊れるさまをありありとイメージして、言った。

「《葬送(ハルヴァヤー)》」

 灰色のオーラが、稲妻のように宙を駆けた。

 

 けれど、人形王の瞳が動いた。

 がたん、と何かの外れる音がして、王の人形は首をそらした。アゲハの奇跡はその顔をかすめ、帽子をはじき飛ばし、人形王と少女の間を繋いでいる銀の鎖を何本か消し飛ばして、それから背後の地面で炸裂した。

 もう、人形の動きに不調はなかった。アゲハの奇跡も続けて撃てはしなかった。

『外したな』

 もうもうとくゆる灰の嵐を背負って、そう、再び動き出した人形は笑い、唇の端に咥えた小笛を噛んだ。 

 

 そして、鎖の少女がよろめいた。

 人形王ははっと手を止めて振り返った。

 

 銀の鎖は断ち切れていた。アゲハの奇跡が掠めたから。

『おまえ――』

 少女のからだが燃え上がった。

 皮も肉も骨も、艶のある黒髪やはためく薄衣も、すべてが紅い炎へと変わっていく。火そのものになっている。まだその身を戒めていた銀の鎖と白い糸の残りがすべて、焼き切られてぼとぼと落ちた。

 なにか言う暇もなく、【人形王(アーセリング)】の人形が炎に包まれた。

 炉を覗き込んでいるみたいな凄まじい熱が、その場にいた皆を炙った。傍から見ているだけでも焼け焦げそうなそれの中心にいるのだから、人形王とてひとたまりもなかった。金色の火に飲み込まれて、部品ごとにばらばらと分解していく。それをどうにか繋ぎ止めようとする糸もすべて灰にされていく。

 少女は止まらなかった。

 憎悪、屈辱、復讐心、そんな強い感情が焼きごてのように熱く伝わってくる。壊れた人形を引き裂き、砕き、それが砂粒のような大きさになっても、少女はボロくずの塊に、何度も、何度も、何度も火をたたきつけた。

 

 まるで太陽のようだ、とアゲハは思った。

 見ていられなかった。第六感ですらが火傷をしそうだった。太陽の輝きを人間の目で見つめていられるはずもないのだ。

 やがて、少女は火を消した。

 炎が人間の姿へと戻っていく。だが、それでもなお収まりきらないのだろう、彼女は、煙を上げている焼けた地面を鋭く睨みつけると、思いっきりその人間の足で蹴り下ろし、ぐりぐりと踏みにじった。

 

 ◇◇◇

 

 □???

 

 “人形王(ザ・トラス)”は座椅子のうえで静かに目を開けた。

 送り込んだ人形はすべて破壊されてしまった。聖異物もすべて回収不可能だろう。なにより<超級(スペリオル)>を失った。思いもよらなかった失態だ。

 だが、勝っていた。

 あと少しで自分は勝っていたのだ。あのほんの少しの隙に、<超級(スペリオル)>を縛っていた鎖の術式さえ壊れなければ。

 

「何者だ」

 本来の、中年の男の肉体に戻った“人形王(ザ・トラス)”は、座椅子からゆっくりと立ち上がり、自らを繋いでいたケーブルを引きちぎった。

 薄暗い部屋に差し込んでいる入り口の光に、人影が混じった。

「人形との接続を一瞬邪魔したのはおまえか。なぜここがわかった?私の肉体の場所は誰も知らないはずだ」

 その人物は長髪を後ろに揺らし、悠々と部屋に踏み入ってきた。

 人形王は目を細めた。

「知っている顔だな。確か、(ダーン)とか言ったかな?<超級(スペリオル)>の引き渡しの時にいた軍人だな」

「やあ、久しぶりだね」

 

 その青年、(ダーン)は、薄っぺらな笑みを浮かべて手を振ってみせた。ひょろりと痩せた身体に、軍服がぶかぶかだ。

「どうやってここに来られた」

 人形王はため息交じりに言った。首元の笛を油断なく持ち上げながら。

「あのシリウス沖とは何ローグも隔たっているはずだ。いや、そもそも場所がわかるはずがない。ここのことは連邦軍にすら教えていない。なぜだ。“転移(シフト)”か?だが、あれは情報のない場所には飛べない」

「いやだな、僕には教えてくれたじゃないか」

 (ダーン)は言った。人形王はわけが分からずに眉を持ち上げた。

「教えた?私が?何を言っている?」

「二人だけの秘密の場所。君と初めて会ったのもここだったねえ。あの主人の屋敷にそのまま住んでいるだなんていかにも君らしい。だけど守りはお粗末だ。それとも、わざと気取られないようにそうしていたのかな?」

「なぜ貴様がそれを知っている」

 人形王は顔色を赤くして怒鳴った。後ろに撫でつけた色の薄い髪が額に落ちてきた。

「答えろ。それを誰から聞いた」

「ここまでいってもまだわからないのかい?君ときたら相変わらず頭が硬いんだからな。もっと発想を広げろと教えといたはずだが」

 (ダーン)はそう言うと、自分の顔をずるりと撫でた。

「これでわかるかな?」

 

 その顔がみるみる年老いていった。

 頬のしわが深くなり、髪には白いものがかすかに混じる。あっという間に壮年の男へと変わってみせた彼へ、人形王は驚きの目を向けた。

 変わったからではなく、その顔を知っていたから。

「ブレイザー!」

「不死の応用だよ」

 (ダーン)、あるいはブレイザーと呼ばれた男は、姿を変えながら言った。

「死に抗う力を強めたり弱めたりすれば年齢のコントロールくらいは容易いことだね。同じ顔でも歳が違うとなかなか分からないものさ。とくに、相手が“不死”だと知っていればなおさら」

 うまいものだろう?そう、不死の青年は言った。

「最近はやっぱりこのくらいの歳が気に入っていてね。名前も変えたんだ。連邦で遊ぶにはシャーン語の名があったほうがいいのでね。懐かしいな、君と会ったときはまだブレイザーの名前を使っていたんだっけ」

「では、貴方が……貴方が私の邪魔をしたのか」

 人形王は言った。

「それほどまでにあの子供が気に入りなのか。不死の力まで分け与えて。とんだ依怙贔屓だ」

「誤解だな。僕は与えてない。あれは彼らの資質というか、勝手に持っていかれたようなものさ。不死に過剰に適合したんだろう。そこまでは僕も知ったことじゃあないよ」

 不死者はそう言うと、肩をすくめた。

 

「だが、君には失望した」

 その話し方はいつしか古風なシャーン語の、いかめしいものに変わっていた。百年前の人物みたいだった。

「僕はかつて君に血を与えた。<天使>を与えた。君が望んだからだ。強く望んだからだ」

 不死者はドーム状になった部屋の天井を見上げた。

 そこには糸の<天使(マラーク)>、【操作奇跡 フト】が鎮座していた。手足の上にはまるで楽器のように弦が張っている。手を突き、膝を折って、二人を天井から見下ろしている。

 

 ――権力が欲しいのです。

 人形王は小さく呟いた。

 彼はかつてそういったのだ。

「そう。その傲慢さが僕は好きで、期待していたんだ。君ならばきっと、我が望みを叶えてくれるほどに突き進んでくれるのでは、と」     

 だが、と不死者は言った。

「君はいつしか曳航連邦に近づき、満足してしまった。王の地位を得て、それを愛してしまったんだろう?築き上げたものを。足りぬものを欲望することを忘れ、足元にある財産を失うことを恐れるようになった。連邦を破壊するのではなく、むしろその権力構造のなかで生きることを望むようになった」

「だから、あの少年のほうがいいと?」

 人形王は言った。不死者は別に頷きこそしなかったが、こう続けた。

「彼は子供だよ」

 不死者は言った。

「若く、愚かしく、身の程を知らない。そういう子供だからこそ世界を変えられるんだ。古い世界(システム)を壊せるのは無分別で無様な子供だけさ。

 だけれど君はおとなになってしまった。賢く思慮深い、わきまえのある大人に。生きることは罪だ。願うことは罪だ。欲することはすべて罪だ。しかし君は、思ったよりも大して罪深くはないらしい。期待外れだよ」

 不死者が一歩近づいてきた。

「没収だ。かつて僕が助けてあげた生命(いのち)と、糸の<天使(マラーク)>を、没収する。こうなってしまって残念だが、巡り合わせが悪かったのだよ」

 

 人形王はそれを正面から睨みつけた。

「あなたにそんなことを言われる筋合いはないな」

 いらいらと笛を噛む。両手の間に糸がぴんと張った。

「それに、没収だと?私は何一つ恥じることなく、我が望みに殉じて生きてきた。できるものならやってみるがいい。ただし、この“人形王(ザ・トラス)”を下せるものならばな」

 人形王もまた間合いを一歩詰めた。

「貴方の奇跡は“不死”だ。本質的には防御の力。それは大したものだろうが、どうあがいても攻撃性は得られまい。それに、生きたまま無力化するすべなどいくらでもある。楽しみだよ」

 人形王は言った。

「“不死”の人形を造ったら、少しは<超級(スペリオル)>を獲られた憂さ晴らしになりそうだね」

 だが、不死者はそんな王の挑発にも、薄ら笑いを浮かべてぼうっと立っていた。人形王はやや苛立ちを覚えて、言った。

「なんだ。来るがいい。奇跡を使うがいいさ。そういえば、貴方は自分の奇跡についてなにも教えてくれやしなかったな。自己再生ということは熾天使(セラフ)なのだろう?名前は?位階くらいは教えてくれるんだろうな?」

 ぴんと張られた糸が部屋の壁を走った。

 不死者は腰から真っ二つになって倒れた。人形王は大ぶりなレンズを取り出し、蓋を開けた。

「さあ、見せろよ。お前の“不死”を――」

 

 けれど、人形王は言葉を切った。

 レンズの中で、再生しようとする不死の身体は、夜の闇のような真っ黒に染まっていたのだった。

 王は息を呑みこんだ。

 天使学のスペクトルは橙、黄、緑、青、藍。それだけだ。

 スペクトル“黒”など存在しない。聞いたこともない。まだしもレンズに光が写らないのならよくあることだが、こんなことは初めてだった。まるで紙の上にインクを塗りつぶしたように黒く、暗い。

「ああ、“黒”か」

 不死者は再生し終わると、腰の具合を確かめながら言った。

「スペクトル測定のレンズは僕より後の“(トラ)”に基づいているからね。僕を解釈できないんだろう。いつもそうなるんだ。世代が違うからね。たとえ既存の超元素(イクシード)を媒介にしているとはいっても、結局のところ出力すべき<天使>のリソース情報は――」

「何を言っている?」

 人形王はわけが分からずに喚いた。

「いったい何だ。貴様の奇跡は。何だというんだ」

 不死者は少し考えてから言った。

「奇跡?違うよ。これは“能力”さ」

 彼は言った。

「僕らは罪人なんだよ。罪を犯したんだから。かみさまに出会ったんだ、だけど欲深な僕らはそれを使い果たしてしまった」

「カミ?」

 呆然と繰り返す王に、不死者は残念そうに言った。

「知らないだろうね。特に、<天使>が実在するこの時代では。昔はみんながそういうものを信じていたんだよ、みんな忘れてしまったけどね。あのいやらしい太陽と品のない月が輝く前の時代。レイラインが夜を汚す前の時代。<■■■(マギ)>がまだ人の声に答え、人の手わざが絶頂に達し、大地が乾いていた時代――」

 人形王は聞いていなかった。

 彼は咥えた銀の笛を噛み潰しながら吹き鳴らすと、糸の腕を繰り出した。放浪王を殴り飛ばした術だ。糸で編まれた右腕が、不死者を押さえつけようとする。

 

 けれど、彼はそれを正面から止めた。

 不死者の腕は、異形のようすに膨れ上がっていた。石でできているようなやや透き通った左腕が、部屋を埋め尽くしそうなほどの大きさになって、人形王の奇跡を食い止めていた。

能天使(エクスシア)か?」

 だが、人形王は自分の言葉を振り払うように首を振った。

 能天使系統ではない。《変身》しているのではない。

 その目がちらりと、天井に吊られた自分の<天使>フトを見た。その石とも機械とも樹脂ともつかぬ、不思議な材質の躯体を。

「まるで<天使(マラーク)>そのもの――」

「ああ、叶うなら教えてあげたいけれどね」

 不死者が言った。

「だが知識は力。過ぎた力は祝福にも呪いにもなる。それを希望にできるのならまだいい。だけどもし君が“絶望”してしまうなら――」

「――何者だ」

 人形王は叫んだ。

「いったい誰なんだ、お前は!」

 

 不死者はそのとき、なぜかまた天井を見上げた。

 糸の<天使>ではない、その石造りの奥を透かし見ようとでもいうように。それで何を見て取ったのか分からないが、彼は口を開いた。

「私はいろんな名前を使ってきた」

 不死者は人形王に向かって、愛おしげにすら聞こえる口調で言った。久しぶりに再会した弟子に言い聞かせるように。

「わたしはノア。

 わたしはデューカリオン。

 わたしはクシストロス。

 わたしはべーゲルミア。

 わたしはマヌ。

 わたしはアトラ・ハシス。

 わたしはジウスドラ。

 自分でつけたのも他人(ひと)につけてもらったのもある。ブレイザー、フォースファー、(ダーン)……“臆病者”と呼ばれたこともあるね。好きな名前も、口に出したくもないほど嫌いな名前もある」 

 その名前のほとんどは、人形王の知らない言葉だった。

「だけどね、一番好きなのは、僕の友達が最初につけてくれた名前なんだ」

 不死者は両手を広げて、喜びの記憶を反芻するように、頬を薔薇色に染めて言った。

 

「僕は――“ルシファー”だ」

 

 不死者はその名を転がすように、囁くように、熱を込めて発音した。しかしその熱は水をかけられたように突如として冷め、彼は静かに呟いた。

「残念だよ」

 人形王の顔に影が落ちた。

「そろそろさよならの時間だ、(アリス)

 不死者の姿が大きく変わり始めた。その身体中が人間らしいかたちを失って――

 

 ◇◇◇

 

 ■同刻 タルシシュ

 

 <超級(スペリオル)>の少女は、光の塵に崩れていく糸と鎖のなかで、まるで金の葦原に立っているかのようだった。

 その青白い横顔がちらっと見えたとき、アゲハはなんだか、それを見たことがあるような気がした。

 誰も何も言わなかった。火は消えていた。

 

 アゲハは少女のかんばせを見つめて立ちつくしていた。

 小柄だが、それでもアゲハと同じくらいの背丈がある。手足がすらっと長かったので、それ以上に伸びやかな印象を与えていた。

 さっきまでの姿とは大違いだった。踏みつけにされていた野の草が、解き放たれた途端、そよぐ風に力いっぱい揺れてみせるように。

 

「――無礼であろう」

 

 その唇が動いた。

「卑しき外つ国びとよ。予を何と心得る」

 アゲハは驚きのあまり何も言えなかった。彼女が口にしたのは、流れるようになめらかなアシタ語だったのだから。

「予は、アシタ皇国が第20代皇王、イサリビなるぞ」

 煙が立った。

 イサリビは、アシタの王を名乗った少女は、わずかにその輪郭を燃やしながらまっすぐにアゲハを見返した。

「ひれ伏せ」

 

 その眼は血のような、炎のような深紅だった。

 

 To be continued…

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