<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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Epilogue ヘイル・トゥ・ザ・シーフ

 ■曳航連邦・南端都市

 

 (レン)大佐はハルヴァヤーが逃げたことにも当然気がついていた。

 海中を行ったのは不死者の入れ知恵だろうか。少なくとも、これで哨戒艦は役に立たなくなった。<天使(マラーク)>の巡航速度なら、一晩で何十ローグと進める。

 今すぐ追わないといけないのは分かっていたのだ。けれど、眼の前にいるこれを見逃すわけにもいかなかった。

「逃がすと思うなよ、“不死”」

 大佐のそれに、(ダーン)は心底バカにした眼差しを向けた。

「捻りのない言葉選び。思ってなきゃここに来ないよ」

「いいえ、覚悟をしたほうがいいですよ」

 中佐がフラフラと立ち上がった。軽く脳震盪じみたものを起こしている気がする。

 だが、不死者の動きは決して目で追えないようなものではなかった。ろくに格闘術を知らない素人のそれだ。いくら死なないとはいえ、中佐なら制圧できる。

 たとえ海中に逃げようが、今しがた逃げたあれも“同化”すれば追える。<天使(マラーク)>はやつだけのものではないし、昨日今日契約したばかりの未熟者に負けるはずもない。中佐は偉ぶるように唸った。

「僕がただ殴られているだけの人間だとでも?」

「いや?殴られた上に一級の囚人を取り逃す能無しだと思ってるよ」

 その時の中佐の顔たるや、激怒のあまり赤と白が交ざりあった珍妙な顔色になっていたが、激情型の彼にしては珍しく何も言わなかった。

「《封鎖(オセル)……」

 ひとつの宣言を除いては。

「……禁獄(エゾール)》」

 

 あたりの瓦礫から、螺子が湧き立つように溢れる。

 それは雲霞のように、中心に居た(ダーン)をめがけて集まり、あっという間にその肉体を貫いた。

 本物の金属ではない、奇跡で具現化されたものにすぎないそれは、だからこそむしろより直裁的に“禁止”の力を表現している。

「さっき転げ回った隙に仕込んでいたのか」

 (ダーン)が呟いた。螺子まみれの手足は指一本動かすどころか、感覚さえ存在しなかった。力を入れていないのに倒れもしない。

「君、主天使(ドミニヨン)系統だろう?媒介をばら撒いて、得意の遠隔操作で捕縛する大技、というところかな」

「普通なら、これでもいいんですけれどね」

 中佐は吐きそうな顔で言った。余裕の顔が消えないのがなにより不快だった。なんとしても絶望と後悔の表情をさせてやりたい。

「あなたの奇跡はどうやら規格外らしい。なので、こっちも相応の手札を切らせていただきましょうか」

 そう言って、中佐は懐から小箱を取り出した。(ダーン)はかすかに目を見開いた。

 美しい木製の装飾品だ。植物を象った立体文様がその表面を多い、盛り上がった葉には葉脈の透かし模様すら入っている。

 中佐はそれを持ち上げ、(ダーン)に向けて翳した。

「《凝せ(ゲラー)》」

 そして、小箱は音を立てて開いた。

 

 すぐさま、(ダーン)の輪郭が歪み始めた。まるであの渦の天使アルボルの奇跡みたいに、ぐるぐると輪を描いて、色のしみになって小箱の中へと吸い込まれていく。

 (ダーン)は最後になにか言おうとしたが、声はもう出せなかった。渦巻きは速度を増し、オセルの螺子ごと(ダーン)を吸い込んで、またカタリと音を立てて閉じた。

 その表面の彫刻が消え、平面的なただの紋様になっているのを見て、中佐は溜息をついた。

「本当はあの簒奪者に使いたかったんですが」

「それは」

 大佐は尋ねた。

「それも君の奇跡か?」

「いえ……【聖棺ゲラーレ】。人間を閉じ込める力があります」

 中佐は本当に気分が悪そうだった。

「やつの奇跡は驚異的ですが、攻撃力に欠けている。ましてや僕のオセルの奇跡も組み合わせたうえで使いましたから、この箱は壊せませんよ。不死の奇跡と言えど、封印に閉じ込めてしまえばケリがつく。この失態も、不死者を連れ帰れば少しは埋め合わせになるでしょうか……」

「その幽閉はどれほど続くんだ?」

 大佐の言葉に、中佐は力無く答えた。

「さぁ、僕の奇跡との掛け合わせがどうなるか判りませんが。とはいえ、螺子を57()も使った上にこれですから、半永久的に保つと信じたいですね」

 中佐は箱を見、心底残念そうにそれをしまった。

 そして、馬鹿みたいに口を開けた。

 

「やぁ!」

 さっき箱に吸い込んだはずの(ダーン)が、朗らかな笑顔で眼の前に立っていたのを見て。

 いや、立っていたというのは少し違っていた。まだ足がなかったからだ。何も無い空中から身体が生え、頭が生え、肉体が再生していっている。ご丁寧に、さっき身につけていた服までもが。

「そんな……なんなんだ、お前は!」

 中佐は金切り声で絶叫した。その手元の箱には傷一つ無かった。

「馬鹿げている、馬鹿げているぞ!なぜ【聖棺】が壊れていないのに外へ出られる!不死の奇跡なんて、土台それだけでリソースが足りないはずなのに!余計な技なんて使えるはずが――」

「いや、だからさあ」

 (ダーン)はにやりと笑った。

「半永久的な封印なんて、“死んだも同然”だろ?」

 

 今度こそ、中佐は我を失った。小箱を投げ捨て、拾っておいた銃を抜き、流れるような滑らかさで乱射する。

 (ダーン)の身体が抉れ、血が吹き出した。ぼろ雑巾のように粉砕された肉体から力が抜けてゆき、ぐちゃぐちゃに掻き回される。

 そして、(ダーン)は顔を上げた。

「終わりかな」

 傷口が閉じ始めた。血が止まり、肉が埋まり、皮膚が繁茂する。零れ落ちた血の痕さえいつの間にか薄れて消えていた。

 中佐は狂ったように引き金を引いたが、拳銃の充填電力はもう尽きていた。連射速度制限すれすれで撃ち尽くした銃身は熱く、夜の空気に煙を上げている。

「不死の奇跡。そんな力、ヒトの領域を超えている」

 中佐のヤケになった言葉にも、(ダーン)はちょうど再生したばかりの肩を竦めるだけだった。

「僕はただの旅人さ」

「たちの悪い冗談だ」

 大佐は静かに言った。

「まさか、ここまでの奇跡の使い手とは思いもしなかった。実に不本意だが、我々の武装では止められないということも分かった」

 そして大佐は銃を下ろした。中佐が水から揚がった魚のような顔で目を見開いた。

「行くがいい」

「本気ですか、大佐」

 中佐は顔をしかめた。

「それこそたちの悪い冗談でしょう。“不死”ですよ」

「大真面目だ。不死の<人間イカリ>より、あれを追ったほうがいい。癪だが時間の無駄だよ」

 大佐は皮肉を込めて不死者を睨んだ。

「そちらもだ。時間稼ぎはもう十分だろう?」

「うん?あぁ、あぁ、僕はこれ以上いたずらに干渉する気はないよ。(アゲハ)の運命はもう彼自身のものだからね」

 中佐はまだ銃口を構えていたが、(ダーン)はそれに呆れた目を向けた。

「無駄だって。だから、物理的損傷じゃ僕は殺せないったら」

 そう言って(ダーン)は悠々と二人に背を向け、壁の裂け目に足を乗せた。

 中佐は決死の形相で歯を食い縛りながら言った。

「いったい、貴方は何が目的なのですか……神話級を唆し、連邦の支配を乱し、我々を嘲って!」

「あぁ、是非聞かせてあげたいけどね」

 (ダーン)はくるりと振り向いた。その足元に罅が走った。

 

「でも、君じゃ駄目だね」

 一瞬だけ、(ダーン)は凄絶な笑みを浮かべた。

「何もかも足りないもの。それはあのアゲハだって同じことだけど。今、僕がすべてを明かしても、君ではその半分も理解できないし、そもそも解らないほうが君のためだよ。

 知識は力だ。過ぎた力は災いになる。それはよく知っているだろう?君も<人間イカリ>なんだから」

 顔をしかめるだけの中佐に手を振って、(ダーン)は割れた足元を踏み抜いた。

「じゃあね」

 そして、(ダーン)は壁の向こうに落ちていった。何回か石を蹴る音がして、すぐにそれも聞こえなくなった。

「……それで、どうなさるおつもりですか?」

 中佐は死にそうな声で言った。実際、あまり生きた心地もしなかった。

 オセルを喚び出す気ももう無かった。単身追ったところで既に追いつけまい。軍艦が要る。

「失態だ。神話級を失い、その契約者までも取り逃がした。上は赦しませんよ」

「過ぎたことを嘆いている暇はない。それに“不死”の介入は完全に想定外だった。だが、やつは……少年はまだ<人間イカリ>としてこの上なく未熟だ。つけ入る隙はいくらでもある。特に、奇跡にはな」

 中佐は力無く笑った。自嘲的な笑みだった。

「あなたの子飼いの特務兵たち(イレギュラー)を動かすつもりですか……<人間イカリ>の問題児どもを」

 大佐は黙ってその場をあとにした。遠くから、慌てふためく兵士たちの声がやっと耳に届き始めた。今更来たのか、と、大佐が呟くのが聞こえた。

 中佐は落ちていた軍帽を拾った。

 

「そうでしょう?<人間イカリ>たちの司令塔……(レン)特務大佐どの」

 

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