<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第六話 “圧縮”

 ■曳航連邦・洋上 準都市級(セミ・コロニアル)航洋艦・廃船トバルカイン

 

 アゲハは夜明けの風が好きだった。

 星が集まったようなレイラインの光が薄れ、その名残に沿って月が水平線へ降っていく。振り向けば、翡翠と緋を混ぜたような黎明の太陽がその先触れを伸ばしていた。

「ここは高台だ。心配しなくても海水は来ない。もう百年くらいしたら、ここもいずれ海に沈むだろうけど」 

 アゲハは女をじっと見つめた。その足元には、古びた浄水管と電源管のパイプがのたくっていた。

「この艦にも【清浄炉(ユートゥルナ)】はあるから、水と電源には困らないよ。大昔はきっと人が住んでたんだろうね」

 砕可(サイカ)はそう言うと、アゲハに帆布の包を渡した。

「腹が空いてるだろ。食べな。食べないと頭が働かないから」

 包の中は蒸し焼きになった魚だった。塩と香藻の匂いが香しい。

「塩だけは買わないといけないんだ。行商船が来たときにね」

 そう言えば、彼女はいったいどうやって生計を立てているんだろう。アゲハは訝しんだ。塩はそれなりに貴重品だ。香り付けは海からよく揚がる香藻(マルアミ)のそれだったが、仄かに他の匂いもする。

 砕可(サイカ)は自分も包を解くと、顔をしかめた。

「あ、あいつまた野菜入れてる。嫌いだって言ったのに」

 油で光る扇菜(アオギナ)をひらひら持ち上げ、仏頂面の口に放り込みながら、砕可(サイカ)は言った。

「あぁ、遠慮するなよ。香辛料とかはあいつの趣味なんだ、料理が好きだから」

「あいつ?」

「うちの旦那」

 アゲハは思わずぽかんと口を開けた。

「この船に、他に人がいたのか?」  

 砕可(サイカ)以外には人の気配すらなかった。尤も、この巨大な戦艦の全てに足を踏み入れたわけではまったくないのだから、たとえそうでも不思議はなかったが。

「あいつは人見知りなんだよ」

 砕可(サイカ)はそう言って、あっという間に蒸し魚を平らげてしまった。アゲハも慌ててそれを口に入れ、目を白黒させた。

「……美味しい」 

 砕可(サイカ)は自慢げに笑んだ。アゲハは呟いた。

「前は……有機錠剤(オーガニック)とかしか買えなかったから」

「うわ、あれ食べるやつなんか本当にいたのか」

 砕可(サイカ)は心底同情的にアゲハを見つめた。有機循環炉(サークレータ)の副産有機物を固めただけの錠剤は、たしかに栄養は申し分ないだろうが、人間の食べられる味付けなどしていない。

「それで、昨日言ってたのは?」

 アゲハは期待を隠しきれない眼で、砕可(サイカ)を見つめた。

「奇跡の使い方を教えてくれるって」

 砕可(サイカ)は面白そうにアゲハを見た。

 いかにも嬉しそうだ。伸びすぎた髪の隙間からでも、眼が輝いているのが解る。口元は緩んでいたし、身体はウズウズと動きたがっているように見えた。

「あぁ、いいよ」

 砕可(サイカ)はそう言って立ち上がった。

「なら、まずは奇跡を使ってみな」

 アゲハは頷いて、目を閉じた。

 

 朧になった記憶にも、あの感覚は焼き付いていた。奇跡を使う感覚だ、腹の底から熱を汲み上げるような、まるでどこまででも行けるような底なしの感覚。

 ハルヴァヤーとの力の紐を辿って、奇跡を呼び起こす。

 だが、奇跡は発現しなかった。風は穏やかにそよいでいて、日は白く降り注いでいる。

 あの時とは違う。ハルヴァヤーの存在は感じられるのに、奇跡だけが使えなかった。

「出来ないんだけど……」

 そう首を傾げるアゲハに、砕可(サイカ)は手にさっき食べ終えた魚の骨をぶら下げ、言った。

「なら、言い方を変えよう。奇跡でこれを壊してみな」

 アゲハはそれに手を伸ばした。さっきと同じように、体の奥から熱を呼び出だして。

 

 そして指先が触れた途端、魚の骨はチリになって消えた。

 

 アゲハははっと息を吐き出した。胴から指まで、稲妻のような熱が走って消えていったような気がした。

「奇跡だ……!」

「そう。これが奇跡だ」

 砕可(サイカ)は両手を合わせた。

 その掌の狭間から、黒鉄が溢れた。蠢く金属結晶はやがて形を変え、一振りの棒になった。

「最初、あんたが奇跡を使えなかったのは、漠然と力を使おうとしたから。<天使(マラーク)>の奇跡は契約者の望みを叶える力だ。結果を明確に望んで、イメージしなければ奇跡は使えない。はっきりした目的意識なしに振るわれた力は形を成しにくい。心当たり、あるんじゃない?」

「そうだ、あのときは……あいつを倒したくて……」

 監獄のときだって、逃げ出したいっていう強い目的があった。

 砕可(サイカ)は棒を構え、振り、地に突き下ろしながら続けた。

「まずひとつ。ただ奇跡を使おうとするな。それは手段に過ぎない。身を守りたいのか、誰かを攻撃したいのか、目的の良し悪しは問わず結果をイメージすることだね」

 その上で、と砕可(サイカ)はアゲハに鉄棒の先を向けた。

「力の使い方を考えるのも大事だよ」

「使い方、って?」

 砕可(サイカ)は首をひねった。

「さて、ね。例えば……道が崩れた瓦礫で塞がれていたとしたら、どうする?」

「……何、その喩え?」

「いいから。どうやって先へ進む?」

 砕可(サイカ)は頬を膨らませ、アゲハを促した。

「おれの奇跡で……壊す」 

「不正解。別の道を行けばいい。奇跡なんかいらないよ」

 なんだ、その話?アゲハは文句を言おうとしたが、砕可(サイカ)は真剣な顔で言った。

「必要なときに、必要なことだけをしろ。これは極意であり、基本だ。無駄な力を使うことはそれだけあんたを苦しめることになる。人間ひとりにできることなんてたかが知れているんだ、奇跡は大事に使わなきゃあさ」

 砕可(サイカ)はまた両手を合わせた。今度は黒い鉄の薄膜が湧き出して、その手を覆った。

「例えば、別にさ、手じゃなくてもいいんだよ」

 次の瞬間、砕可(サイカ)の足もまた黒く染まっていた。丸い指にも、滑らかな白い踝にも、黒い鉄が這い上がり纏わりついていく。それは波打ち、厚みを増していた。

「奇跡は全身から出せる。あたしの奇跡は鉄を産むこと。形は自在に変えられる。でも硬度には難があってさ」

 砕可(サイカ)は脈絡なく石に拳を叩きつけた。石は軽く削れ、鉄の装甲にも大きなヒビが入っていた。

「だけどさ、なにも全身で奇跡を使う()()なんかないだろ?」

 そういった瞬間、足の鉄が剥がれ落ちて塵になった。風に流れていくそれを猛々しい鉄の手で掴みながら、砕可(サイカ)は言った。

「例えば、製鉄の奇跡を手だけに限定して発現させる。そうすることで、奇跡の出力は飛躍的に増すんだ」

 言うなり、砕可(サイカ)は拳を振り下ろした。さっきとは違う甲高い音が鳴って、石材が砕け散った。

 鉄の拳には、傷一つ付いていなかった。

 アゲハは呆然とそれを見つめていた。砕可(サイカ)は高らかに言った。

 

「力の、奇跡の領域(テリトリー)を“圧縮”すること。これが、奇跡の使い方だよ」

 

 ◆

 

「“圧縮”だ」

 砕可(サイカ)は奇跡を解いて言った。

「奇跡そのものには実体がなく、ただその力の結果を受ける領域(テリトリー)だけがある。色も重さも形もない。だからカタチを変えることが出来るんだよ。本来全方位に広がろうとする力を一点に集めたり、指向性を持たせたりね」

 水のようなものだ、と砕可(サイカ)は言った。

「水門を狭くすれば水の流れる勢いは増すだろ?」

「圧縮……」

 アゲハは呟いた。砕可(サイカ)は肩を竦めた。

「言っとくけど、これは秘術でもなんでもないからね?<人間イカリ>ならみんな基本的にやってることさ。だから、あんたの奇跡が全然だめな理由も分かったろ」

 ハルヴァヤーは強い。それでも、アゲハは<人間イカリ>として未熟者にすぎない。

「素の奇跡をただ振り回すだけじゃ、いくら神話級といっても大した力は使えない。必要なときに必要な部分にのみ奇跡を集中させ、時にはほかを捨てる……その取捨選択が奇跡を強め、ヒトを強めるんだ」 

 アゲハは足元の鉄の欠片を拾い上げ、それに奇跡を込めた。ただ力を呼び出すのではなく、それを水のようにイメージする。胸の奥から湧いてきたその流れが、手の一点にだけ溢れ出すような。

 掌大の鉄片はあっという間に灰になった。

 だが、砕可(サイカ)は首を振った。

「違う。それは力を抜いてるだけだろ。“圧縮”なんだよ。力を緩めるんじゃなく」

 アゲハは掌の上で灰になった鉄を見つめた。砕可(サイカ)は言った。

「力の総量を減らしてはダメなんだ。大量の力を引き出しながら、それを同時に抑え込む。矛盾してるようだけど、そこが重要なんだ。奇跡は意思の力。強い意思で制御されない限り、どんな奇跡も無意味だ」

「これって、本当におれにも出来るの?」

「一日でとは行かないよ」 

 これは仕方がないことだった。圧縮は基礎にして秘奥だ。

 なにより、と砕可(サイカ)は心のなかでため息をついた。アゲハの才能は中の下ってところだ。奇跡を、リソースを直感的に扱う才が欠けている。

「<人間イカリ>には、長いこと修行してもろくに圧縮が使えないやつもいる。あんたがあたしのレベルに達するのにはもっと、何十年もかかるだろう」

 アゲハは考え込んだ。砕可(サイカ)の言うとおりだとしても、ハルヴァヤーと“同化”していたときは、もっと強く奇跡が使えていた。いざとなったら“同化”しさえすれば……

 その内容を見透かしたように、砕可(サイカ)はぴしゃりと言った。

「あんた、もう二度と同化はするんじゃないよ」

 アゲハははっと砕可(サイカ)を見た。

「そうだ、おれの……おれのハルヴァヤーは?」

「昨日のうちに海に沈めた」

 砕可(サイカ)は悪びれるふうもなかった。アゲハは困惑して立ち尽くした。

 あれが水に浮くはずもない。深度数百ローグの深海に没したのなら、もはや現在の人類の技術では回収不能だ。

「な、なんでそんなことを!」

「落ち着きなって。契約した<天使(マラーク)>は“転移(シフト)”でいつでも呼べる。むしろ、本体を地上に晒しておくことのほうが不味いんだ。あんたが無事でも、もし<天使(マラーク)>が害されたら奇跡は消失する。あくまでもリソースの本質はあちらにあるんだからね」

 砕可(サイカ)は言った。

「軍人なら軍艦に載せておくんだろうけどさ。あんたじゃ、そういうのは無理だろ。水棲生物は絶対に<天使(マラーク)>を襲わないし、海の中は人類の領域じゃない。一番安全なんだよ」

「絶対に襲わない……?」

 アゲハだって噂には知っている。一突きで軍艦を沈め得るヨロイイッカクや、艦砲射撃すら跳ね返すシマクジラのことを。 

 だが、砕可(サイカ)はそれを無視して言った。

「同化限界に達するまで<天使(マラーク)>と融合し続けるなんて……」

「別に、なんともなかったけど」

「そう?記憶は鮮明かい?意識は?はっきりと同化していたときのことを思い出せる?」

 砕可(サイカ)に言われて、アゲハは言葉に詰まった。たしかに、あのときのことはひどく朧気だ。まるで熱に浮かされていたときの記憶みたいに。

「さっきの喩えだけど、奇跡は水だ。同化すれば確かに出力は跳ね上がるよ、口を広げるようなものだから。でもそんな大きな力、未熟な人間に使いこなせるものじゃない」  

 アゲハの脳裏には、金属管を流れる水流が浮かんでいた。開いた水門の、大きな出口から勢いよく吹き出し、やがて緩んでいく。

「奇跡は決して無限じゃない。出口が広がれば、枯渇するのもずっと早くなる。圧縮だって人間態よりずっと至難の業になる。だから奇跡は人間のまま扱うんだ」

 砕可(サイカ)は言い聞かせるように言った。

「手慣れた戦士なら、たとえあんたが同化したとしても、それを躱し続けることはそう難しくない。最後には、あんたは奇跡の尽きた状態の無防備な本体を敵前に晒すことになる。本当なら、よほどの実力差があって、倒し切れると判断した場合でしか同化はしちゃあいけないんだよ」

「……あぁ」

「力に呑まれるな。人間は力を使うものであって力に使われるものじゃない。もし、激情に任せて同化し続ければ、今度こそ……()()()()()()()かもしれないよ」

 砕可(サイカ)の言葉に、アゲハは唾を飲み込んだ。

「まあ、今は慣れることだね」

 砕可(サイカ)は笑顔に切り替えて言った。

「正直言って、今のあんたには何もかも足りないから!まずは圧縮の感覚を掴むことと、あとは全力を出せるようになるんだね。あんたはまだ、自分の本気の引き出し方すらよく解ってないよ」

 

 ◆◆◆

 

 ■同・建州 洋上

 

 滑らかな潜水艇(サブマリン)が浮上する。そのそばには、一隻の軍艦が漂っていた。大きな艦だ。継ぎ足された傷だらけの装甲は錆こそ浮いていたが綺麗に磨かれていて、一部の隙もない。海水を防ぐために、窓の類はすべてきっちりと閉められていた。

 

 連絡橋が繋がり、タラップを踏む軽やかな音が響いた。

「これはこれは統括官どの」

 その艦を束ねる士官は、恭しく頭を下げた。

 波が落ち着くのを待ってから、彼は潜水艇に降り立った。

 純白と紺碧の装甲板は、金属とも樹脂ともつかぬ滑らかな素材で、チラチラと光が走っている。ふつうの艦とは似ても似つかない、“歴史”の船だ。これを造るための技術はもう残っていない。あたりには、微かにだが薬品のような鼻を突く香りが漂っていた。

「知らせを受けたときはまさかと思いましたよ。これがイザールの誇る遺物ですか。いや、美しい船だ」

(ペルガモフ)、久しいな」

 (レン)大佐は揮発する海水の芳香に顔をしかめた。甘ったるいこの匂いは、どこか本能的にいやなところがあった。

「緊急の出動、ご苦労だった」

「いえ。ちょうど付近の哨戒を行っておりましたゆえ。郵便船と出くわしたのも幸運でしたよ」

 (ペルガモフ)はそう言って、襟を正した。

 真面目そうな男だ。髪には油が付けてあって、服もぱりっと糊が効いている。小さな色付き丸眼鏡が鼻の上にちょこんと乗っていた。尤も、その物腰の柔らかさに対して図体の方はかなり威圧的だったのだが。

「それに、近頃は腕が鈍っていましてねえ」  

 その背後の甲板には、見上げるほど大きな海獣が転がされていた。

 鋭い鱗を連ね、分厚い脂肪と筋肉に覆われたオオクチナワは、叩き潰されたようにその腹をひしゃげさせて死んでいた。小型船舶と同等の大きさを誇る水棲生物がだ。

「部隊の食い扶持の足しにはなりましょうかね」

 (ペルガモフ)はそう言って、甲板作業中の船員に軽く手を振った。大佐は笑った。

「中型を一人で仕留めるとはな。どこが鈍っているんだ?」

「いえ、苦労はしたのですよ。我が<天使(マラーク)>を使っても」

 そう言う(ペルガモフ)の右頬には、みどりに輝く宝石の紋章が刻まれていた。<人間イカリ>だ。

「して、これから首都へ?」

「あぁ」長旅を思って、大佐はため息をついた。この高速艇を使ってもそれなりにかかる。尤も、行きは数週間を掛けて補給を繰り返しながらイザールまで来たのだ。それを思えば数日など、大したものではないが。

「だから君に頼みたい。周辺海域の初動捜査をしないわけにはいかないのでね」

 そこで、大佐は振り返って言った。「君のほうが残ってくれてもいいんだが」

「お断りですね」

 柚子(ユーリス)中佐はこれ以上ない渋面で言った。

「僕はあなたの部下じゃない。あなたの失態を報告する立場です」

「そうか。この先もその立場でいられればいいがね」

 大佐は皮肉交じりに言った。(ペルガモフ)は大きく頷いた。

「おおかたの事情は判りました、食料と水の備蓄はまだ充分ですから。都市船ギルガルへ帰還する前に、その簒奪者を捜索するとしましょう。ええ、きっとご満足頂けるかと」

「助かるよ」

 大佐は軽く肩を叩き、(ペルガモフ)は感激したように首を振った。

「では……是非またお目もじ叶いますよう」

 潜水艇が海水を巻き上げないようゆっくりと離れ、沈んでいくのを眺めながら、曳航連邦軍中佐(ペルガモフ)は帽子を被り直した。

「さて、現海域を離脱。イザール周辺海域にて船舶を捜索するとしましょう……そう言えば」

 男は舌なめずりをした。

 

「あの辺りには、“彼女”が住んでいましたね?」

 

 To be continued…

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