<Infinite Apocrypha>   作:Mk.Z

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第七話 汝の敵

 ■曳航連邦・廃船トバルカイン

 

 才はないな。

 砕可(サイカ)が自分のことをそう思っているのを、アゲハもなんとなく勘づいていた。

 出力は不安定だし、領域を狭める感覚をうまく掴めていない。それは掴んだと思ってもするりと消えてしまう曖昧なものでしかなかった。成功したときでさえ、なぜ出来たのか分からないのだった。

「奇跡には実体がない」

 傍らで、砕可(サイカ)は暢気そうに言った。

「手で触れたり感じたり出来ないものを使うだなんて、目を瞑って剣術を教わるようなものだ。なにより、つい最近まで存在しなかった力を使うなんてのも土台無理な話だね。ある日突然人間に翼が生えたって、すぐ飛べるようになるわけじゃないよ」

 その曖昧さを見返すように、アゲハは尋ね返した。

砕可(サイカ)は、どのぐらいかかった?」

「あたし?」

 砕可(サイカ)はきょとんとした顔で瞬きをした。

「あたしは……どうだったかなぁ、あんまり苦労した覚えがないけれど」

 過去に思いを馳せ始めた砕可(サイカ)を無視して、アゲハは自分の左掌の紋章を眺めた。

 こんなのじゃあだめだ。<天使(マラーク)>を手に入れても、使えないのでは意味がない。

 神話級を手に入れたことの意味は、もう判っていた。これからは逃亡者として生きなければならない。あの黒い敵もそうだったように、たとえ異国に逃れても神話級を求める人々はアゲハを襲うだろう。

(誰にも、渡すつもりはない)

 紋章を握り、アゲハはどうしようもない思いに心を焦がした。掌の中のそれを奪われることを想像しただけで、ひどく身体が竦む。

 これは自分のものだ。誰にも取られたくない。だから、力を守るための力を手に入れなくてはならない。 

 

「あんたのは力天使(デュナミス)系統だね」

 ふと、それを横で眺めていた砕可(サイカ)は言った。アゲハは尋ね返した。

「力天使系統?」

「<天使(マラーク)>には系統があるんだよ」

 砕可(サイカ)の言葉に、アゲハは瞬きした。

力天使(デュナミス)はあんたやあたしみたいに、一番ベーシックな系統だ。基本的に触れることで奇跡を使う。あんたが戦った“渦”、そして軍にいたっていう“禁止”は主天使系統だね。奇跡を切り離して遠隔操作できるのは主天使(ドミニヨン)の特性だから」

 砕可(サイカ)は指折り数えた。

「5つの位階、9つの系統。そのひとつがあたしの【鉄鋼奇跡】であり、あんたの【葬送奇跡】だ」

「じゃあ、他にも系統はあるわけ?」

「あるよ。まぁ、そのあたりは追々教えてあげるよ」

 砕可(サイカ)は考え込むように首をひねった。

「圧縮もそうだけどね。知らないのと出来ないのは全然違うんだよ。知っているだけで役に立つことはある」

 確かにそうだな、とアゲハは思った。アゲハの<天使(マラーク)>に対する知識は、何やら不思議な力を人に与える大きなもの、程度で止まっていた。

「他には?」

「<天使(マラーク)>には位階がある。あんた、“神話級”の意味を理解してるかい?それはさぁ、第4位の名前なんだ」

 砕可(サイカ)は地面を鉄の爪で掻き、文字を書きつけた。

 

逸話級(アッシャー)伝説級(イェツィラー)古代伝説級(ブリアー)、そして、神話級(アツィルト)。あんたのハルヴァヤーは()()()<天使>たちの中で最上位に位置するんだよ。スペクトルを測れる道具を使うなら“青”だ」

 そして、だからこそのこともある。

「前にも言ったろ、力が増すほど制御しづらい。逸話級より、神話級のほうが圧縮は難しいんだ。神話級のあんたが手こずっているのもそのせいかもね」

「それを聞いて考えてたんだけど」

 アゲハは言った。

「圧縮は基本なんだろ?でも上手く出来ないやつもいるって、そういう人間はどうしてるのさ」

「やりようはあるんだよ」

 砕可(サイカ)は答えた。

「圧縮はなにも領域の制約だけを指すわけじゃない。論理的な圧縮だってできる」

 砕可(サイカ)は指先に鉄を作り出すと、それを次々に変形させた。よじれ、丸まり、あるいは刺々しく。

「鉄って何だろうね?時には硬く……」

 鉄が硬質化する。

「あるいは柔らかく……」

 黒っぽい金属色が液化し、ドロリと垂れ落ちた。

「黒く、白く……重く、軽く……」 

 様々に色を変え、錆付き、そして再び鈍色に戻る。

「鉄の含む属性を取捨選択することも圧縮のうちだ。だから、<人間イカリ>は己の奇跡の本質を考えなくてはならない。あんたの“崩壊”もそうだね」

 砕可(サイカ)は鉄を握りつぶした。

「さて、論理的な圧縮には他にもいくつかやり方がある。たとえば奇跡に発動条件を付けることもそのうちの一つで……補助でもある」

 砕可(サイカ)は呟き、また両手を合わせた。

 

「《黒鉄(バルゼル)》」

 

 鉄が溢れ、砕可(サイカ)の掌で丸く固まった。

「あたしが時々言ってたこれ、何だと思ってた?別に酔狂で言ってんじゃないよ、これも奇跡を使うテクニックのひとつなんだ」

「そう言えば」

 アゲハはイザールでのことを思い出していた。

「あいつも、あの黒い<天使>も、なにか叫んでた」

「そう。奇跡には実体がない。でも人間は実体のないものをそのまま扱えるほど器用じゃない。だから、肉体的な感覚を介して奇跡を使うのさ」 

 砕可(サイカ)は両手をひらひらと揺らした。 

「これは“引き金(トリガー)”なんだ。戦場でいちいち心を集中して奇跡を呼び起こしてたんじゃあ使い物にならないからね。特定の動作を奇跡を使うための暗示にするんだよ。あたしは“合掌”」

 確かに砕可(サイカ)は時折、手を合わせてから奇跡を使っていた、とアゲハは思った。

「あとは奇跡に名前をつけることも。結構馬鹿にならないんだよ、型を定めて力を扱いやすくするのは。名を呼ぶことも一種の“引き金(トリガー)”になる」

 ただ、と砕可(サイカ)は続けた。

「覚えたての人間にはあんまり関係ないけどね。こういうのは、奇跡を使っていく内に自然と出来上がるもんだから」 

 なら、アゲハが本当に強くなれるのはいつになるのだろう。アゲハはその遠大さに目が眩むと同時に、しかし心躍るものも感じていた。奇跡には、まだまだ先があるのだ。

 

「奇跡は手に似ている」

 突然、砕可(サイカ)はぽつりと言った。

「手?」

 アゲハは自分の手を眺めた。

「そう。不思議じゃないかい?人間の手の形なんておおかた変わりないのにさ、訓練次第でいろんなことが出来る。あたしは武術や剣術なら得意だけど、料理はからっきしでさぁ。逆にあたしの旦那は荒事なんかできないのに、料理の腕はちょっとしたもんだし、絵もそりゃあ上手いんだよ」

 砕可(サイカ)は笑った。夫とやらはどんな人なんだろう、とアゲハは思った。たぶん器用そうなんだろう。

「手は可能性そのものだ。武、芸、工、同じような手から無限の可能性が生まれる。あんたの手がどういう手になるか、楽しみだね」

「でも、おれの奇跡は壊すだけだよ」

 アゲハはそばに落ちていた石ころを拾い、それを灰に変えようとしたがうまくいかなかった。何度か試したあと、遠くへ投げ捨てる。

「うまく使えもしないのに」

「さぁ、あんたの奇跡が本当に“崩壊”かどうかってことも、考えてみる価値のあることだと思うけどね」

 砕可(サイカ)は言った。そして、手を叩いた。

「そうだ、まだ教えとかなきゃあいけないことがあった」

「なんだよ」

「“戒律”のことだよ」

 砕可(サイカ)は言った。

「念を押しておきたい。あんたがしたのは契約だってことを」

 <天使(マラーク)>は強い力を持っている。より正確に言うならば、力そのものだ。力には使い手が必要で、だからヒトは<人間イカリ>としてその奇跡を得る。

「契約ってのはどちらかだけに有利なものにはならないし、なれない。公平なんだ。<天使>から奇跡を得る代わり、あんたは代償……守るべき“戒律”を与えられたはずだよ。なにか、自分に関するルールをね」

「“戒律”?」

 アゲハは記憶を探った。あのとき、頭に流れ込んできた情報を。

「そういえば……確かに……あれが?」

「あたしも含め、<人間イカリ>はみんな戒律を持ってるんだ。気をつけな。それを破ると契約は破棄されるから」

 逆に言えば、契約を破棄するための逃げ道が“戒律”なのだ。アゲハは心底ぞっとして紋章を握った。色がついているのに、触れた感じは何もしなかった。痣みたいなものだろうか。

「確か、おれの戒律は、ひ――」

「うわ、馬鹿!」

 砕可(サイカ)が飛び上がりそうな勢いで叫んだので、アゲハは驚いて口をつぐんだ。砕可(サイカ)は青い顔で言った。

「口に出すんじゃあないよ、この馬鹿」

 砕可(サイカ)は疲れた顔で続けた。

「それは弱点なんだよ、あんただけの。<人間イカリ>である限り自分の戒律は守らなきゃいけないし、破ったら契約は消える。もし明かされたら、あんたの敵は容赦なくそこを突いてくる」

 アゲハは黙って頷いた。砕可(サイカ)は、こいつは本当に理解しているのかというふうな顔つきで、アゲハを眺めた。

「あたしの知り合いに、『犬を傷つけてはならない』という戒律を持った男がいた。そいつはこともあろうに酒場で酔っ払って、自分の戒律をべらべら喋ってしまったんだ」

「その人は、どうなった?」

 アゲハは言った。砕可(サイカ)は苦い顔だった。

「死んだよ。家ぐらいある犬をけしかけられて」

 戒律は絶対だ。砕可(サイカ)は繰り返した。

「話は終わり。食事にしよう。たぶんこれ以上やったってあんたの圧縮術は上達しなさそうだし」

 アゲハも頷いた。確かに、そろそろ空腹だった。

 そして、ふと気になって言った。

砕可(サイカ)は、なんでこんなに良くしてくれるんだ?」

「言ったろ」

 女は振り向かずに答えた。

「あたしはあんたを気に入ったんだよ」

「そう?」

 アゲハは首を傾げた。

 

「でも、おれのそばにずっといたのは、おれを見張るためだろ?」

 

 アゲハは平坦な口調で言った。

「あんたは一度もおれから目を離さなかった。それは、おれがなにか変な気を起こしてもすぐに止められるようにじゃないのか?それに、あんたの夫が姿を見せないのも、契約者じゃないからか」

 砕可(サイカ)は黙っていた。アゲハは表情を崩して言った。

「答えろよ、砕可(サイカ)

「……あたしは」

 そう言いかけて、砕可(サイカ)ははっと顔を上げた。

 

 まるで、風を読む渡り鳥のように。

「まさか、こんなに早いとは……」

 砕可(サイカ)は慌てたようにアゲハの手を掴むと、口早に言った。

「問答も昼飯もあとだ、すぐに塒のほうへ向かいな。昨日あんたを案内した場所だ、解るだろ」

「待てよ、まだ話は終わってない!」

「くどい!」

 砕可(サイカ)はアゲハの背を叩き、追いやった。

「確かに、あたしはあたしの都合であんたを助けている。でも、あんたのことを案じているのは紛れもない事実だ。信じな」

 そう言って、砕可(サイカ)は短髪を風に翻し、走り出した。風に乗せて、言葉を落として。

「来たんだよ、追手が。<人間イカリ>が!」

 

 ◆

 

 アゲハが漂着した地点から少し船尾にずれて、大きな軍艦が停泊していた。連絡橋を伸ばし、海水を避けてひとりの士官が降りてくる。

「お初にお目にかかります、私は(ペルガモフ)。曳航連邦中佐の肩書を授かっておりまして」

砕可(サイカ)だ」

 少しも息を切らすことなく、飛び降りてきた女は言った。足元で、なにやら硬い音がした。

「定期便には早いね。軍人が何の用だい」

「それがですねえ、ここから南方に少し離れた都市船イザールにて、非正規市民が軍事機密を盗んで逃亡したとのことでして」

 (ペルガモフ)はアゲハの映った写真を取り出し、掲げた。

「この廃船も探索する必要があるかなと存じますね。どうです?この少年、ご存知で?」

「知らないね」

 砕可(サイカ)は吐き捨てた。

「あたしは自分の領地に土足の軍人を入れる趣味はないんだ。帰んな」

「それがそうも行かないのですよ、御婦人」

 (ペルガモフ)は辛抱強く言った。

「犯罪者の隠匿もまた罪です。これ以上拒否なさるのであらば、実力行使も厭いませんが」

「ふん、軍の狗ごときが、盟約すら忘れたか」

 砕可(サイカ)は胸を張って軍人を睨みつけた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。よもや皇帝の名の下に交わされた約定に泥を塗る気か。仮にも軍の人間が、諸王(アーセリング)を貶めようというのか」

「対等などと、それは建前です。盟約はあくまで双方の信頼に依るもの。当然、罪人の庇い立てを見過ごすことの免罪符になど、なるはずもないでしょう」

 (ペルガモフ)はにたりと笑い、色眼鏡の奥で目を細めた。

「ええ、光栄ですよ。かの“黒金王(ザ・メーク)”にお目通りが叶いましたことは。しかし、あなたの“王権”はその奇跡の貴重さ故のこと。有用な鋼鉄を産み出すことに特化した貴女だからこそだ」

 (ペルガモフ)は慇懃に、威圧感を交えて言った。

「伝説級の身でありながら“王”の二つ名を賜ったその異例さは確かです。だがそれ故に、貴女は私に勝てない」

 頬の紋章を見せつけるように、(ペルガモフ)は一歩前に出た。

「我が契約せしは金剛石の<天使(マラーク)>。力天使にして古代伝説級です。生産型の奇跡で、あまつさえ伝説級のあなたが、私に実力で敵うと?」

「このあたしに向かってそんな口を利いたやつは久しぶりだね」

 砕可(サイカ)は臆することなく立ちはだかった。

 (ペルガモフ)もまたずいと身を乗り出し、拳を構えて呟いた。

「《煌硬(ヤハローム)》」

 次の瞬間、砕可(サイカ)の身体が吹き飛んでいた。

 振り抜かれた(ペルガモフ)の右拳は、翠がかった結晶様のエネルギーを纏っていた。

「隊長!仮にも相手は“黒金王(ザ・メーク)”です、手を出すのは如何なものかと……あとで上に怒られますよ」

「お黙りなさい。盟約を盾に連邦を背信する不届き者に遠慮などいりません」

 艦からの謹言を、(ペルガモフ)は切って捨てた。

「さぁ、鋼鉄の。どうしました?こんなものですか?」

「いきなり殴りかかるとか、ホントに見境がないな、お前」

 砕可(サイカ)は頭を振りながら起き上がった。その頬には傷一つなく、ただ砂埃だけが裾を汚していた。

「もう一度言おう。あたしはガキなんか知らん。さっさと帰れ」

 

「来たれ、【煌々奇跡 ヤハローム】」

 そして、みどりのいかずちが墜ちた。

 空に開いた《円環》から現れたのは、緑がかった宝石のような<天使>だった。透き通った身体の内には白色の骨組みがあり、その輪郭はまるで筋骨隆々の(ペルガモフ)を大きくしたようだ。

『隠し立てするか、女ァ!』

 金剛石(ヤハローム)は翼を広げて吠えた。

『偽証は悪よりも罪深い……我が奇跡と戒律に賭けて、貴様を斃す』

「さっきから、随分と舐めた口を利くじゃないか、筋肉達磨」

 砕可(サイカ)は言い、かなり頭にきた様子で合掌した。

「《黒鉄(バルゼル)》」

 そう言って砕可(サイカ)が地につけた掌から、鉄が溢れ出した。生半な体積ではない。<天使>すら飲み込むほどの勢いで、操られた鉄が津波になって襲いかかった。うねり、ねじれ、膨らむ、黒い金属の奔流だ。

 

「……すごい!」

 アゲハは遠くからそれを垣間見、呟いた。砕可(サイカ)のやつ、ここ数日見せた奇跡はまったく本気じゃなかったのだ。

 

『《煌々盾(ヤハロム・マーゲン)》』

 だが、みどりの結晶が障壁になり、その波を押し留めた。背後の軍艦から、おお、というどよめきが上がった。

『質量は大したものですが』(ペルガモフ)は言った。『しかし出力はお粗末だ』

 膨れ上がった上体で威圧するように、ヤハロームが空へと浮き上がる。

 鉄の波が荒れ狂う。切っ先を尖らせ、伸び上がり、幾筋もの刃になっては結晶へと突撃した。そのたびに、こぉん、と美しい音が鳴った。

『伝説級ごときが』

 だが、金剛石(ヤハローム)は砕けない。

 

 

 アゲハは、それを遠目に呆然と眺めていた。

 その奇跡の少しでも人の身には致命的だというのに、やはり<天使(マラーク)>は美しい。どうしようもなく。その造形には、ひとつの荘厳さがある。

「きみ!」

 そう呆気にとられていたアゲハの肩を、誰かが叩いた。

「こっちだ、早く」

 若い男だった。真面目そうな顔立ちに掛かった大きな眼鏡は、大きすぎて少し傾いている。わずかに食事のいい匂いがした。画材の油臭い香りも。

「僕はサィール。砕可(サイカ)の夫だ」

 この男、異人だ。アゲハは黙ってその男に頷いた。サィールは手招きし、石造りの割れ目から艦の下層へと降りていった。

「きみを助けるよう頼まれていたんだ。砕可(サイカ)から伝言も預かっている。後で読め」

 アゲハはその差し出された鯨皮紙を黙って懐にしまった。サィールは悲しげに続けた。

「見ての通り、僕は非契約者だ。あんな化け物じみた戦場には足を突っ込めない。なんの力もないからね。でも、彼女は君をえらく気に入っているようだからさ」

「……それは、なんで?やっぱり、初対面で気に入ったとかだけじゃないんだろ?」

「いや、それも大いにある」

 サィールは微笑んだが、アゲハの凍てついたような顔を見て気まずそうに頭をかいた。

砕可(サイカ)は自分がその人間を気に入るかどうかで物事を決める性質(タチ)なんだ。ここ数日、きみを値踏みしていたのも本当さ」

 サィールは肩をすくめた。

「もう一つの理由は……あれを読めばいい。僕の口から言うわけにはいかない。彼女の心の内だから」

 そして、サィールは立ち止まった。道を歩くというよりほぼ落ちるようだった道程は、そこで終わっていた。

 浸水している。艦の大破した外殻装甲から、海水が入り込んでいるのだ。向こうには、日の差す大きな割れ目も見えた。

「ここからなら、あの軍艦には見つからない」

 そこには、小型の船艇が浮いていた。

 紅白の装甲に染められた小さな船だ。電源のケーブルを外しながら、サィールはぶよぶよした塊をアゲハに放った。

「水に触れないように気をつけろ。僕の昔使っていた防護服だ。大きさはどうにかなるだろう」

 そのとき、廃船トバルカインが大きく震えた。

()()を使ったか」

 サィールは天井を仰いだ。砕けた石の埃が落ちてくる。

「船の操り方は分かるね?操縦把を握って、電力が切れない内に着けるように。水と糧食は少しだけ積んでおいた。そんなに良い船ではないから、乗り心地は保証しないよ」

 サィールはアゲハにそう言って、東を指した。

「ここから東へ、浮信号を辿って行くと大きな都市船に行き着く。ユディトだ。その端には数多の人々が交差する協商(クシュ)港がある。そこなら人間に紛れられるし、異人も珍しくはない。貿易船に乗れれば遠くへだって行ける」

「あ、ありがとう……」

「礼ならいい、それよりも、君自身の心配をするんだ」

 サィールは言った。

砕可(サイカ)が言っていた。連邦は神話級を奪い去った君のことを決して諦めない。あれらの威信に賭けて必ず君を殺すか、或いは精神干渉系の<天使(マラーク)>に心を壊させる。そうなれば死んだも同じだ、と。僕もそう思うよ」

 アゲハは船に乗り込み、歯を食いしばった。そんなのは御免だ。曳航連邦に飼われることも、支配されることも、抹殺されることも。

「……砕可(サイカ)に伝えて」

 キャノピーが閉まる寸前、アゲハはサィールに言った。

「おれは、王になるって」

「王?」

「……誰にも」アゲハは言った。「誰にも支配されない人間になるってさ」

 

 ◆

 

『何故そうまでして罪人を庇うのです?貴女の戒律ですか』

「下種な勘繰りだな」

 砕可(サイカ)は叱責するように言った。その手元では、絞られた鉄が螺旋の槍を描いていた。鋭く研がれた切っ先が、風を貫いて放たれる。

『それも無駄なことです。貴女の奇跡はただ鉄を生み出す、それだけ。だが、私の奇跡はもっと実戦的だ』

 鉄の槍を難なく砕き、ヤハロームは両手を突き出した。奇跡が膨らみ、さらなる変化を成していく。陽射しが光り、結晶の内側で乱反射を繰り返す。

 硬さ、それは金剛石の持つ側面の一つに過ぎない。ヤハロームにはもっと別の属性もある。

 例えば輝きだとか。

『《煌々叫(ヤハロム・ザーク)》』

 あたりに飛び散った光点は収束し、鉄の一点で煙を上げた。赤熱する光が揺れ動き、鉄に紅い傷を刻み込む。

 鉄は音を立てて落ちた。光が焼き切ったのだ。縋る盾を失った砕可(サイカ)を、(ペルガモフ)は余裕綽綽で見下ろした。

 鉄すら破る奇跡なら、人の肉など容易く討てる。女一人、焼き殺すもよし、叩き潰すもよし。

『これが最後です、大人しく、情報を渡しなさい』

 (ペルガモフ)は勝利を確信した声で言った。響き渡るその大音声に、砕可(サイカ)はただ顔をしかめた。

「……大人しく、か」

 女はだらりと身体の力を抜いて立っていた。

 その瞳が一瞬、なにかを透かし見るように動く。

「確かに、そろそろ切り上げ時かもね」

 そう言って、彼女はちらりと海に目をやった。

「時間稼ぎはもう十分だろ。ここからは、実演してあげないとね。あたしが言ったことを」

『何を言っている?』

「お前の態度が気に入らねーッて言ってるんだよ、筋肉達磨」

 砕可(サイカ)は前髪をかきあげ、鷹のような眼でヤハロームを睨みつけた。

 そして、宣言した。

 

「来い……【鉄鋼奇跡 バルゼル】」

 砕可(サイカ)の頭上で《円環》が輝いた。

 背後の鉄壁が呼応して丸く焼き切れる。破片が飛び散った。黒ずんだ<天使(マラーク)>が壁を掴み、這い出してくる。

 その<天使>はまるで鉄のようだった。重たげな身体は鈍色に光り、眼窩には真紅の燐光が灯っている。鉄のカーテンを纏ったような分厚い翼と、右側だけが肥大して突き出した頭部が目に付いた。

『これが、“鉄”の!』

 その<天使>バルゼルは、光の塵に変わっていく砕可(サイカ)を掴み取り、己が心臓に納めた。(ペルガモフ)はそれを妨げるでもなく、ただ眺めていた。

『“同化”したか』

 ヤハロームの結晶が脈動し、膨らむ。

『だが、所詮は伝説級。私の敵ではないと言ったはずですがね』

 それを否定するように、バルゼルは屹立した。鋼鉄の奇跡がその手に灯っている。

()()()は、奇跡の使い方がまるでなってない』

 ヤハロームのほうを睥睨し、砕可(サイカ)の声でバルゼルは叫んだ。その声は、夜明けを告げる鐘のように海へと響き渡った。

『研ぎ澄ませるんだ、何よりも鋭く。欲するのは一つだけ、何より大事な一つだけだ』

『何を言い出すかと思えば……私の圧縮は充分実用レベルですよ』

 呆れたように言う(ペルガモフ)を無視するように、砕可(サイカ)は朗々と述べた。バルゼルの手元では鉄が膨らみ、凝縮し、黒みを増して一振りの剣を創ろうとしていた。<天使(マラーク)>に比しても身の丈ほどもある鉄塊だ。

 

『忘れるな、奇跡は手だと。人の手はあらゆる技の可能性に通じている。奇跡の使い方を決めるのは<人間イカリ>だ』

 鉄がギラリと光った。

『捨てろ、余計なものは。己の欲することだけを、成せ!』

『我が圧縮術を愚弄するか、女!』

 ヤハロームは鋭い結晶を纏い、金剛石の怪物のようになってバルゼルへと飛びかかった。バルゼルは剣を構え、ただ待っていた。

 風が動いた。二柱の<天使>が今にも激突せんとしたとき、砕可(サイカ)の穏やかな声が響いた。

『《斬鉄閃(バルゼル・へレヴ)》』

 一瞬、何もかもが静かになった。音すらも断ち切って、黒い剣が閃いた。

 

『圧縮された伝説級は、神話級にさえ勝る』

 

 そして、上下に両断されたヤハロームが落ちた。

 胴を泣き別れにしながら、バルゼルがヤハロームを海中へ叩き落としたのだ。惚れ惚れするほど美しい断面を晒して、緑がかった金剛石は水に沈んでいった。有毒の水飛沫が舞い上がり、すぐに揮発して消えた。

 口々に(ペルガモフ)の名を叫びながら、船員たちが慌てふためく。砕可(サイカ)は同化を解除し、口が再構成されるや否や大声で言った。

「騒ぐな!心臓は外してやったんだ、とっととサルベージして基地へでもなんでも帰れ!」

 砕可(サイカ)はバルゼルの掌で、深く息を吐きながら腰を下ろした。渦を巻いていた光の塵が、身体を再構築し終えて消える。

 

 

 アゲハは船の中で、廃船トバルカインを振り返った。キャノピー越しに見える鉄の船は、依然として朽ちかけたまま海を漂っている。きっと、この先もそうなのだろう。

 砕可(サイカ)が高らかに述べる言葉に耳を澄ましながら、アゲハは小さくなっていく船影を見送った。それはやがて海の香気に霞み、薄れて消えていった。

 

 

 目の端に小舟が刻む白い航跡を捉え、砕可(サイカ)は呟いた。

「行けよ、少年……どこまでも」

 

 To be continued…

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