■曳航連邦首都テーバ 神話級奪掠事件より数日後
『失態だな』
評議会の第一声はそれだった。
無感情で冷徹な声が虚ろにこだましている。叱責の言葉に体中を包まれているようで、息が詰まった。
『発掘された神話級の喪失。簒奪せし契約者の失踪。被害は甚大だ』
『都市深部からどのような財を引き揚げようと、失ってしまうのでは意味がないのだよ』
『こともあろうに、東部からの武力介入さえあったそうではないか。情報管理に問題があるのではないかね?』
「……ええ、仰る通りです」
議場は闇に満ちていた。暗がりの奥で、数多の元老たちが彼を見ていた。曳航連邦の元老院、そのさらに中枢たる評議会だ。
『<
『左様』
カッと硬い音がして、突然の照明が壁の海図を照らし出した。
『北からの異民族の度重なる侵入、東との戦線、そして南……“不毛の海”を超えた先のアクシズ。諸外国に曳航連邦の隙を晒すわけにはいかんよ』
「少年は確保します、必ず」
大佐は言った。
「ですが、そのために少々戦力をお貸し願いたい。連邦傘下の王にも連絡を。人捜しと捕物に長けた王がいるはずです」
『それはならん』
『神話級の“確保”は我ら軍勢力のみで行われるべきだ。
『聞けば、簒奪者の少年は旧アシタ人だというではないか。ここで彼の国の亡霊を叩き潰しておかねば、分裂主義者どもの増長をも招きかねん』
「はっ……」
大佐は肯んじた。
『して、“不死”が現れたそうだな』
元老の中でもとりわけ嗄れ声のものが言った。
『あれもまた逃がすべきではない』
『
『“不死”が人の上に立つ男ではないとはいえ、歓迎すべき状況ではなかろう』
『やはり王権を気安くばら撒くべきではなかったのではないか?せめて連邦内の神話級だけでも我々の管理下に置くべきだ』
『それは不可能であろう。既に市井に流れた<
『左様。下手に熾火を燻らせるより、その火を御すことに知恵を絞るのがよかろう』
ややあって、彼等は再び大佐に注意を払った。
『統括官よ』
『要請通り、
『代わりに、首都の聖庫からの第一級以下の“
「はっ。了解致しました」
大佐は短く答えた。元老たちは闇の中でぶつぶつ言った。
『努々逃がすな』
『簒奪者は未だに圧縮技術さえ持たぬはず』
『特務兵の存在はこのようなときのためにある』
『簒奪者を自由にさせておくことが最悪の事態と心得よ。あらゆる殺人すら正当化される』
◆
反吐が出る。
部屋を後にした大佐は、廊下を歩きながら襟を緩めた。評議会の査問はいつだって息が詰まる。数千ローグ以上に渡って首都まで帰投したというのに!
「怪物どもめ」
彼等、曳航連邦の中枢を担う元老院の評議会は、魔窟だと専らの噂だった。実際、呼び出されたきり帰ってこなかったものもいると聞く。あの会議室の中にこもりきりの老人たちが元老院を、ひいては曳航連邦そのものを動かしているのだ。
「はじめから<人間イカリ>を十分に投入させてくれていればこうはならなかったものを」
この程度の愚痴なら許されるだろう。許されなかったら始末書でもなんでも書いてやる。どうせ密告者やなにかはそこら中にいるのだろうな、と大佐はため息をついた。
“不死”の記録は、彼の知る限りでも百年単位で曳航連邦に見え隠れしてきた。それが味方している神話級だ。未熟者とはいえ足元を掬われる可能性は十分にある。
「今度は失敗などするものか」
そう言って、彼は特務課の扉を開けた。
「あらァ、おかえりなさい、大佐」
部屋の中にいたのは若い男が一人だけだった。
「お前だけか?」
「ええ、他の奴等はみんな昼飯を食いに行きましたよ。なんせ暇なもんで。いや勿論、東の前線にいる人たちに比べたらね、そりゃあ平和なんですけど」
そう頭をかく若者は、人好きのする大きな目で大佐に笑いかけ、湯気の立っている湯呑みを勧めた。
「ちょうど茶が入ったとこですよ」
「ありがとう。だが、すぐにまた発つ。南だ」
大佐は言った。若者はニヤリと笑った。
「聞きましたよ、大失態ですね。神話級一体の喪失、おまけに契約者逃亡でしょ?降格もあり得るんじゃないですか、あれ?そしたら俺が上司になる?」
「一応その情報もそれなりに機密なんだがな」
大佐は肩をすくめ、椅子に腰掛ける彼の捲り上げた右腕を見た。
その二の腕には、身を捩り飛び跳ねる魚の紋章が刻まれている。
だが、若者は首を振った。
「あぁ、違いますよ。オレの奇跡は関係ないです。読みます?」
手渡された書面を受け取り、大佐は一通り目を通した。その表情がみるみるうちに曇っていくのを面白がりながら、若者は続けた。
「それと、来客です。奥の部屋に通しておきましたよ。
「あぁ、ありがとう、シラヌイ」
短く返して、大佐は奥へと足を進めた。一方の若者……シラヌイは楽しげに呟いた。
「アシタ人か。まだ生き残ってたとはねぇ……オレ以外にも」
湯呑みの中身は、もう冷め始めていた。
◆◆◆
■曳航連邦海域
船の電力はもう残り少ない。
アゲハはしかし、霞む大気の向こうに大きな影を認めていた。
「あれが、ユディト」
気遣わしげに掌を撫でる。ハルヴァヤーの存在はまだ感じられている。きっと、トバルカインの直下の深海に沈んでいる。
それでも落ち着かない思いで、アゲハは
近づくにつれ、船舶が増えてくる。その殆どはアゲハの乗る小舟とは違う、大きな船ばかりだった。きっと商船なのだろう。漁船にしては装甲が薄いから。
霞むのが大気によるのだけではなく、街から烟る排ガスによるものなのだと、やがてアゲハは気付いた。煙の中に屹立する無数の煙突は、子供が力任せに引いた直線のように少しずつ傾きながら、空を目指していた。
煙突たちは二手に別れ、船を見送っていた。
都市船の舳先が裂け、海を取り込んでいるのだ。この入江、クシュ湾そのものが
大きな船舶が錨を下ろし、湾の海岸線を覆っている。湾はまるで積み重なった街を切り落としたような断面を晒し、そこから船へと連絡橋が伸びて繋がっていた。昼でも陽光は陰り、烟る排ガスがそれを更に薄めてしまう。
縦と横の通路がどこまでも繋がる網目の街。人と人が金銭を介して結び合う網目の街。立体格子の中で、どこへでも行ける港。協商港。
ここはユディト。“交差都市”だ。
◆
船は適当に端のほうにつけておき、アゲハは船着き場へと降りた。小舟のためには連絡橋など降りてこない。すぐ下で揺れる海を見ないようにして、アゲハは船を繋いだ。
船のドライブは樹脂製の掌大で、銃のグリップのような形をしている。鍵盤を押し込んで個体認証を済ませ、アゲハはそれを引き抜いた。
電源管くらい、すぐに見つかるだろう。
船着き場は鋼鉄の網とフレームでできている。それは無数の階層が織り重なる街の最下層へと続く。見上げると、頭上にも似たような船着き場がいくつも重なっていて、商船がそこに船端をつけているのが見える。
イザールの旧市街とは全然違う。あそこよりもっと密で、そのうえ高く深い。広々とした通路に足を踏み入れ、アゲハは思わずあたりを見回した。
やっと防護服を脱げる。アゲハはヘッドギアを外し、襟ぐりを広げ、深く息をついた。わずかに冷たい外気が頬に触れるのが気持ちよかった。
人は疎らだった。それも見るからに非正規市民だ。海に近い場所は、いつだって人に嫌われる。それでも、いつのまにか足元は珪素製に変わっていた。
壁もそうだ。上下左右へと無数に枝分かれしていく通路の壁には、古びた案内や伝言が書き散らしてある。
そこに貼られた一枚の紙に、アゲハは思わず目を奪われた。
その古い地図は貿易港らしく、関係諸国の所在を
アゲハを打ったのは、その広さだった。
イザールとユディトと結ぶ航路は指ほどの長さしかなく、それを掌からはみ出すほどの
ギルガル、ギデオン、プロキオン、カノープス、セム、レヴィー。名前付きの点がいくつも打たれ、線で結ばれている。そのひとつ、ユディトから遠く離れた大きな点には、曳航連邦の首都“テーバ”と付してあった。
図の左側は大海底山嶺“キボートス”に塞がれ、その麓の北部を曳航連邦が占めている。東西を隔てる大海流が図の中央を貫き、その向こう側はかなり簡略化された表記で幾つかの東の諸国と、“旧サーローク”の大文字が記してある。
世界はこんなにも広いのだ。
アゲハはその殆どを知らない。名前でさえ。曳航連邦から離れるにつれどんどん素っ気なくなる地図は、知らない名前で満ち満ちている。
アゲハはイザールの南側に視線を滑らせ、そこに記された“アシタ皇国”の文字に釘付けになった。7年前に滅んだはずの国は、時代遅れの地図の中にだけまだ生き続けていた。
「懐かしいのか?」
ふと、後ろから知らない声がした。
「その地図は三十年程前のものだ。お前は、アシタ人だな?そうだろう?背恰好、歳の頃は15、6。名前は……“アゲハ”だったかな?」
「誰?」
アゲハは不審そうにその男を振り向き、睨めつけた。
見知らぬ男の格好は、ひどく軽装だった。動きやすく纏められた衣服は右腕の袖がはだけている。アゲハはほんの少し目を細めた。
この男、艤手だ。男の右肩から生えている腕は生身ではなく、重厚な機械の塊だった。左よりアンバランスに少しだけ長い。
故郷でも、イザールでも、見たことがあった。艤装者は関節に布地を巻き込まないよう衣服をはだけるのだ。
「俺か?俺の名は
背に負っていた矛を地に突き、艤腕の男はアゲハに笑顔を向けた。
「なぁ、どんな気分だった?神話級と契約するのはよ」
「なぜそれを知ってる」
アゲハは否定しなかった。
「嫌だな。頭のいいガキは嫌いだ」
その目が鋭くアゲハを睨めつけた。
「そう言われた時点で惚けても無駄だとわかってるわけか。なかなか賢いよ。そのとおり、おまえの情報はもう出回っているからな」
出回っている?アゲハは半身になって、片足を一歩ずり下げた。不審な男は続けた。
「そう、出回っているんだ。曳航連邦は、お前の首に二億ゼータの懸賞金を懸けた。生け捕りではなく、死体と<
「ありえないだろ……なんだよ、それ」
腹の底から冷たい感覚が登ってくる。アゲハは頬を流れる汗を無視して眼の前の男を眺めた。
神話級のことは最高級の軍事機密だったはずだ。だからこそアゲハは軍に追われているのだ。だが、眼の前の男はどう見たって軍人ではない。
明かせるはずがない。ましてや懸賞金などと、そんな大っぴらな真似ができるはずはない。
そんなアゲハをよそに、男、
「さて、お前の死体を軍に突き出して懸賞金を得るのもいいが、神話級とその<人間イカリ>をどっかに売っ払うのも金になりそうだ。<
そうへらへらと宣う
「奴隷と死体、どっちがいい?」
その脇腹には、黄に爛れる花弁の紋章が刻まれていた。
◆
■首都テーバ 連邦軍総司令部 同刻
「これはなんだ」
「元老院の爺共、私には
「おや、どうされました?」
いけしゃあしゃあと抜かす
「死体と<
「……あらゆる人間があの少年を狙う。そうでしょう?」
中佐は言った。
「貴方のやり方では温すぎる。神話級を生きたまま確保などと、そんな手心を加えていられる状況ではもうないのですよ。奴は徹底的に始末すべきです。各都市の<人間イカリ>に餌を撒いても」
「ふざけるなよ」
幾ばくかの冷静さを取り戻して、大佐は言った。
「この対応が定石に見えるか?
言うなり、大佐は中佐の胸ぐらを掴んで持ち上げた。その表情は獣のように歪み、眼光は燃えていた。
「言え!」
「あ、貴方にはそんな権限……」
「それはもう聞き飽きたぞ。私をあまり怒らせないことだ、首都出身、情報部づきのエリートと言えどな!吐け、さもなくばここで処刑してやろうか!」
大佐の顔には狂気さえもあった。中佐は余裕そうなあの笑みなんか吹き飛ばされたように唇を引き結び、口走った。
「予言!予言があったのですよ!」
その言葉に物腰を緩め、大佐は中佐を床に放りだした。中佐は息を整え、咳き込みながら倒れた。
「予言?」大佐は言った。「どんな予言だ」
「最新の、報告です。予言院からの。貴方なら、探せばアクセスできる情報でしょう」
中佐は躊躇いがちに吐き捨てた。もう、どうにでもなれというふうに。
「“最も新しき神話級の契約者が、曳航連邦を破滅に導く”と」
少しの間、沈黙があった。
「……で、それを信じたわけか。上は」
まだ怒りを燻らせた口調で、大佐は言った。だから、これほどの苛烈さであの少年の生命を狙ったのか。
「予言などと、あやふやな代物で」
「だが、その文言は確かだ」
中佐は少しばかり余裕を取り戻して言った。
「予言は確実に当たるものです。絶対にね。予言院はいまだかつてその予知を外したことなどない」
「予言なるものが解釈と読み方次第でどうとでもなること、君も知っていようが。予言の文言とてその術者の主観に影響される。対応が極端に過ぎることは変わりないぞ」
「しかしこれほどはっきりと出たのですよ?“連邦を滅ぼす”とまで。読み違えなどないでしょう。あのアシタ人は、連邦の敵です」
“
「そうか」
そして突然、大佐は肩をすくめ踵を返した。
「お陰でよく分かった。貴重な情報提供だ。ご協力感謝する、中佐どの」
途端に薄れたその怒気に、中佐はしばしぽかんと呆けた後、顔をしかめた。
「とんだ食わせものですね、貴方は」
「なんのことかな?」
大佐は無邪気とさえ言えそうな表情で首を振った。
「さて、私は汚名返上のためにこれから忙しくなるのでね、これで失礼させてもらうよ」
部屋を出ていこうとする大佐に、中佐はカツカツと踵を鳴らして迫った。
「何かね?」
「残念ながら、本件に対する監査はまだ僕の管轄でしてね。あの少年を殺すまで、同行させて頂きます」
大佐は鼻を鳴らした。
「好きにしたまえ」
To be continued…