後宮シェヘラザード   作:釘豆腐3世

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 煉華。数百年もの間巨大な版図を維持し、東西南北の周辺国とも友好的な関係を築いている帝国は、最盛期を迎えている。無数の軍隊と賢明な政治によって秩序を保つ銀宗皇帝は、各代に連なる名君として評判が良かった。

 

(もう夕方か。疲れたのう)

 

 黒いひげをたくわえた、やや太り気味の中年──銀宗(ぎんそう)皇帝は、裁可に使っていた玉璽(ぎょくじ)を侍従に渡すと、ため息をついた。

 

 平時の皇帝の仕事というのは、儀式や謁見を除けば官吏たちが上奏する計画書にハンコを押すくらいなのだが、なにぶん処理しなくてはならない書類の量が半端ではない。戦や乱、内政問題が起きているよりはマシであるものの、疲れるものは疲れる。

 

「……他にやらねばならん仕事はあるか」

 

「ありません。本日の政務はこれまででございます」

 

 侍従の返事を聞いて、銀宗はうなずいた。

 

「……夕餉の後、後宮へ向かう。『準備』しておけ」

 

「承知しました」

 

 銀宗は食事を摂って自室に戻ると、侍従に用意させた宦官の服を着、口から鼻まですっぽりと覆う布を身に着けて顔を隠すと、後宮に忍び込んだ。

 

(やはり女というものは自分で選んでこそだからな)

 

 夜の相手は侍従が名簿にして持ってきてくれるのだが、それで選ぶのは味気ない。夜の相手を自分で涉猟するのが若い頃からの銀宗の趣味だった。

 

 銀宗が歩いていると、道の向こうから侍女が二人、話しながらやって来た。

 

「うっかりお召し物を灰で洗っちゃって。そしたらしわしわになって紫藍様がお怒りになってねー」

 

「当たり前でしょ。あんたここ来て数年くらいたつのに、いまだにそんなことしてんの」

 

 すれ違ったが、彼女たちはこちらに気づかなかった。

 

(やはり「潜入」はいい)

 

 皇帝なら別に後宮に入っていても問題はない。だが、皇帝がやって来るとなると普段の振る舞いを見ることはできないし、正体を隠しとおす楽しみもないのだ。銀宗は少し子どもじみた興奮を覚えながら、歩みを進める。

 

 しばらく物色を続けたが、銀宗の眼にかなう者がなかなか現れなかった。名簿からおとなしく選ぶべきであったかと思い始めた頃、気まぐれに覗き込んだ格子戸の向こうに、「彼女」はいた。

 

「……!」

 

 艶やかな黒髪。白磁のような肌。煌めく瑪瑙のような瞳には、怜悧な光が宿っている。齢16か7ほどの少女は寝台に寝転び、書物を読みながらぱたぱたと足をはためかせていた。

 

 匂いたつような色香のわりに無邪気なその仕草を見て、銀宗は膝を叩きそうになった。彼女で決まりだ。是非夜伽を務めてもらおう。

 

 後宮を出ると、銀宗は侍従に彼女の名を聞いた。娘の名は「紗礼」。容貌に負けず劣らず、美しい名だった。

 

 

 

 

 

 

「皇帝がお呼びです」

 

「えっ」

 

 詩集を読んでいると、楚花がやってきてそう告げた。

 

「……それは本当?」

 

「ええ。流石ですね紗礼さま。ここに来てたった数日でお呼びがかかるなんて、まずありませんよ!」

 

 嬉しそうにガッツポーズをする楚花とは反対に、私は「ざけんなァ!」と叫び出したくなった。

 

(なんで? なんで?なんで? 普通四后から選ぶんじゃないの??)

 

 どうして入って来たばかりで無名の私を選んだのだろう。半ばパニックになりながら考える。

 

(まさか、皇帝が来て私の顔を見たとか? ……でもそもそも後宮で男と会ったことはないし。楚花が夜伽の相手を見繕う宦官に私のことを激推しした? いやいや、それが通るなら皆やってるか)

 

 結局原因は分からなかったが、指名された以上は行かなくてはならない。部屋着だったので楚花に着付けをしてもらい、上着を羽織ると宦官を伴って皇帝の寝台へと向かうことになった。

 

「寝台でのお話、よかったら聞かせてくださいね」

 

 にこにこと笑って私を送り出した楚花を、今だけ呪いたくなった。

 

(えっちはヤダ、えっちはヤダ、えっちはヤダ……)

 

 宦官の後について長い廊下を歩きながら、私は某児童小説の主人公のように祈っていた。何が悲しくて男とヤらなくてはいけないのだろう。げんなりとした気分のまま、一歩、また一歩と寝所に近づいていった。

 

 そしてある扉の前で宦官は止まった。彼(?)は扉を開けると、私に手を差し出した。上着を渡せと言うことだろう。宦官に気兼ねする必要はないということは分かっていても、少し気恥ずかしい。私は上着を渡して肌が見えるほど生地の薄い衣をまとった状態になると、寝所に入った。

 

「本日の夜伽を務めます。紗礼でございます」

 

 ほんとは務めたくねえよ、と胸中で呟きながら自己紹介する。すると天蓋のついた豪奢な寝台に座っていた男は、鷹揚にうなずいた。

 

「うむ、こちらへ来なさい」

 

「わかりました」

 

 皇帝は、事前にそうだと言われなければ、ただの中年のオッサンにしか見えなかった。歳は40ほどだろうか。人のよさそうな顔で、少し腹が出ているので小熊を思わせる外見だ。

 

 私が隣に座ると、皇帝は肩に手を回してきた。ずしんと重みを感じ、吐息が頬に当たった瞬間、ぞくりと背筋が粟立った。

 

(嫌だ……やりたくない! まじでふざけるなよやりたくない!)

 

 貞操の危機を感じたその瞬間、私の脳はフル回転した。いかに彼とのまぐわいを回避するか。おそらく前世含め、これまでの人生で最も頭が働いた。その結果出た答えは──

 

「陛下。その前に一つ面白いお話があるのですが」

 

「なんだ?」

 

 手を這わせ、薄い衣装を剥ごうとしていた皇帝の手が止まった。私は冷や汗を流しながら、言葉を続ける。

 

「……異国の勇猛なる王のお話です。私は外国から来る客人と話す機会が多かったので異国の物語を多く知っているのですが、その中でも面白かったものを陛下に聞いていただきたいのです」

 

 賭けだった。私の話に興味を持って、皇帝が寝るまで話を聞き続けてくれれば私の尊厳は守られる。興味を引けなければ精神的ゲ○セックスで終了。おとなしく孕まされるしかない。

 

 分の悪い賭けだが、やらないよりはマシだ。ごくりと唾を飲み込みながら皇帝の顔色を窺っていると、彼はにやりと笑った。

 

「ああ、そういえばそなたは書物が好きらしいな。寝物語も心得ているというわけか」

 

「え、ええ……」

 

「面白い。語って見せよ」

 

 やった、と私は心の中で快哉した。だが話がつまらなければ「よしもういい、やるぞ」と言われてしまうので気は抜けない。私はうなずくと、前世で読んだことのある小説の筋を思い出しながら、語り始めた。

 

「昔々。ここからはるか西に、マケドニアという国があり、アレキサンダーという王子がいました」

 

「真化陀南の歴山? 聞いたことがないな」

 

「ええ、はるか西にいた方ですから……」

 

 貞操のかかった大一番に選んだ小説は、「アレクサンドロス戦記」。ペルシアを破って広大な領土を手に入れたアレクサンドロスの軌跡を描く作品である。

 

 文明レベルがこの煉華帝国とたいして変わらず、主人公も王族なので、おそらく私の知っている物語の中で最も皇帝がとっつきやすい。そんな理由から私はこれを選択した。

 

 語り始めた当初こそ皇帝はあまり聞かない名前に困惑していたが、腹が減っているのに毒見にやきもきさせられる「王族あるある」を勝手に差し込んだり、適当なジョークを挟んで注意を引き付けているうちに、なじんできてくれた。

 

「しかし……次の遠征を考えていた父王フィリッポスは暗殺されてしまったのです」

 

「飛李が死んだ後、歴山はどうした! もちろん父の仇は討ったのだろうな!?」

 

 しばらくすると、皇帝はだいぶ物語にハマってくれていた。文化的に理解しづらい部分は先回りして中華っぽくアレンジし、筋をはずれない程度に脚色して語ったのが良かったのかもしれない。別に喋りに自信があるわけではなかったが、手ごたえはよかった。

 

(よし……このまま寝るまで話し続ける!)

 

 宿敵アテネとの戦争を終え、ついに大帝国ペルシアに向かうことになったあたりで皇帝はますます前のめりになって聞いてきた。

 

 ペルシア人はもともと騎馬民族だったということを伝えたため、ペルシアを「斥稜」──煉華帝国の北にいる遊牧騎馬民族の姿で想像しているらしい。ペルシアに立ち向かう主人公を応援したくなるのは当然といえば当然かもしれない。

 

 そうして話しているうちに夜が深まってきた。喉が渇き、だんだん眠くもなってきたが、皇帝はまだ続きを聞きたがっている。気合を入れて語り続けた。

 

「……するとアレキサンダーの目の前に、宿敵ダレイオスの率いるペルシアの大軍が現れました。その数20万! それに比べ、こちらの手勢はわずか4万。絶望的なまでの兵力差です」

 

「流石の歴山でも、逃げざるを得なかったのではないか。5倍の敵はどうしようもなかろう」

 

「いえ。アレキサンダーは逃げませんでした。彼は勝つことだけを考えていましたから」

 

「何か作戦があったのか?」

 

「ええ、というのも……」

 

 私が続きを話そうとしたそのとき、こん、とノックの音がした。皇帝は顔をしかめ、振り向いた。

 

「誰だ。良いところだったのに」

 

 すると宦官の男が入ってきて、深々と頭を下げた。

 

「申し訳ありません。しかし、あと少しで朝のお勤めになります。そろそろその準備をしていただかなければ」

 

「なに?」

 

 どうやら、私は徹夜で語っていたらしい。外はわずかに明るみ始めていた。

 

 皇帝は深々とため息をつくと、私を見た。

 

「……また呼ぶ。続きはそのときに聞かせてくれ」

 

「は、はい。もったいないお言葉です」

 

 後ろ髪を引かれるような顔で私をちらちらと見る皇帝を尻目に、私は上着を受け取ってそそくさと寝所を出た。

 

(……助かった)

 

 私はついに、語りだけで皇帝との夜伽を乗り切ることに成功したのだ。貞操を死守できたことの安堵で、へなへなと力が抜けそうになった。

 

 私が部屋に戻ると、楚花がいた。どうやら私が帰ってくるのを待っていたらしい。

 

「……遅かったですね」

 

「ええ、一晩中寝かせてくれなかったから」

 

「一晩中!?」 

 

 楚花は少し顔を染めながら驚きの表情を見せた。

 

「ええ。私もうくたくた。陛下ってやっぱり体力すごいのね」

 

「詳しく話を聞いてもいいですか?」

 

「……お願い、寝させて」

 

 安堵で気が緩んだせいか、一気に眠気が襲ってきた。楚花はそんな私の様子に気がついたらしく、慌てて寝台に寝かせてくれた。

 

「ありがとう、お休み……」

 

 私は柔らかい掛布に包まれながら、ふっと意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します。白蘭夷様。お耳に入れておきたいことが」

 

「……何かしら」

 

 白蘭夷が庭で侍女たちと話していたそのとき、使いから戻って来た若き侍女長──凛凛(りんりん)が、真剣な面持ちでやってきた。何事か起きたのだろうかと不思議に思っていると、彼女は静かに顔をあげ、口を開いた。

 

「前日の皇帝陛下の夜伽ですが、あれを新しく後宮へ入って来た紗礼という娘が務めたそうです」

 

 それを聞いて、白蘭夷は目をみはり、そして歯噛みした。まさかそんなに早く見初められるとは。あのとききっちり「事故」に遭わせておけばよかった。

 

 凛凛は白蘭夷の怒りの匂いを敏感に嗅ぎ取ったらしく、少し身体をすくませながら続ける。

 

「しかも、皇帝陛下は一晩……文字通り徹夜で彼女と床を過ごしたとのこと」

 

「なんですって。それは本当?」

 

「ええ。宦官から聞き出しましたから。『一睡もされず愛されたようだ』と」

 

「まずいわね」

 

 我が子を皇帝の後継者にして、皇帝没後は生母として権力を振るうというのが後宮の王妃全員の夢なのだが、そのためにはまず皇帝の種を受け取る機会を増やさなくてはならない。

 

 つまり寵愛されているかどうかが問題になるわけだが、その点で紗礼は白蘭夷のはるか上を行っていた。このままだと紗礼が孕むのは時間の問題であるし、紗礼が有力だと分かれば、彼女につく人間が増えて自分が追い落とされる可能性もある。

 

「……白蘭夷様」

 

「ええ。分かってる。叩くなら今のうちよね。方法は任せるわ」

 

「了解しました。では、今から仕込みにゆくので失礼します」

 

 凛凛は頭を下げると、せわしなく歩いていく。いずれ大輪の花を咲かせるであろう若い芽──紗礼を摘むための策謀は、彼女のあずかり知らぬところで動き出していた。

 

 

 

 

 

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