後宮シェヘラザード 作:釘豆腐3世
既出人物:紗礼(しゃれい)、楚花(そか)、白蘭夷(はくらんい)、銀宗(ぎんそう)、凛凛(りんりん)
徹夜で語り明かしたその昼下がりに、私は目覚めた。それと同時に強烈な空腹に襲われ、楚花に頼んで昼ごはんを居室に持ってきてもらった。
「……それで昨日はどうだったのですか」
「上々よ」
かなり無理がある作戦だったが、それでも貞操を守れたのは大きい。そんなことを考えながら答えると、楚花は少し恥ずかしそうにしながら、さらに質問を重ねてくる。
「ちなみに初めてって……痛かったですか?」
「え」
なぜ私が「そういうこと」をしたと勘違いしているのだろう。私は朝帰りしたときの楚花とのやり取りを思い出した。
「一晩中寝かせてくれなかったから」
「一晩中!?」
「ええ。私もうくたくた。陛下ってやっぱり体力すごいのね」
私は顔を覆いたくなった。確かにこの返しでは、皇帝にお手付きされたと誤解されても仕方がない。違うんだ、徹夜でお話してたんだよ~と答えようとしたが、寸前で私は思いとどまった。
(でも、楚花的には私が皇帝に手をつけられてた方がいいんだ)
寵愛を受け宮妃の位が上がれば、その世話をする侍女も出世し、いろいろ融通が利くようになる。だから私が貞操を守っていることを知れば変に期待させた分、無茶苦茶怒られそうな気がする。
騙すようで心苦しいが、ここはあえて誤解を解かないようにした方がいいかもしれない。
「……え、ええ。最初はね。でも陛下は優しい方だったから、だんだんなれてよくなっていったわ」
「それは幸先がいいですね」
楚花は怪しむことなく祝ってくれた。処女が男女の契りについて語っているので、不自然さを悟られはしないかとひやひやしていたが、セーフだったようだ。
私が胸をなでおろしていると、その油断を刺すように彼女は魔球を投げてきた。
「しかし一晩ともなると、床の技がかなり必要になったと思うのですが……さすが紗礼様。そちらの方面にもお詳しいのですね」
「と、床の技?」
私が訊き返すと、楚花は真剣な表情でうなずいた。
「はい。どう肌を重ねるかというだけでも48通りありますし、舌や指を使う技は無数にあります。また医術的な観点から見ると交合は身体を健やかに保つ手段でもありますから、健康を保つための房中術の心得があれば皇帝のお声がかかりやすくなります」
「ふ、ふうん……」
「もちろん殿方によって好みはあるので覚えていればよいという話でもありませんが、紗礼様は一晩という、試行回数を稼ぐには十分すぎる時間をいただいています。皇帝陛下の反応が良かった技と悪かった技を分析して、今後の夜伽対策をしていきましょう」
(なんか予備校講師みたいなこと言ってるぅ……)
女子の猥談のノリで聞いてきているのかと思ったら、ガチガチの「傾向と対策」だった。まあ、後宮の女は皇帝の後継ぎを作ることが仕事なのだから、受精確率を上げる努力をするのは当然と言えば当然なのだが。
「それで陛下はどういう技をお好みになったのですか?」
「うーんと……普通」
「普通? どういうことですか具体的に言ってください」
「えっと、分からないの」
「分からない? 何が分からないんですか」
「その……床の技」
私は、赤面しながら白状した。実は、私は性知識に乏しい。何もわからない状態で嘘をついてもすぐばれてしまうだろう。正直に告白するしかなかった。
「じゃあ、一回種をいただいた後はどう凌いだんですか」
「お話してたの。陛下が私の物語に夢中になって」
本当はえっちすらせずただひたすら喋り倒していたのだが、そこには触れない。楚花はどう言うのだろうとびくびくしながら待っていると、彼女は少し目をみはり、少し思案してから答えた。
「……よいことですね。皇帝陛下が紗礼様のお話を聞きたがるというのは、他の后との差別化点になります。他にも皇帝の興味を惹くような物語はありますか?」
「興味を惹くかは分からないけど……けっこう覚えてはいる、かな」
漫画、小説、映画……それなりに物語に触れて来た方ではあるので、膨大な話のタネを持っている。この世界の人間が理解しやすくなるような調整はある程度必要だが、ネタが尽きることはまずないだろう。
「ふむ、床の技は後からお教えするとして、物語で陛下の心をつかんでいくのがよさそうですね」
床の技の方は習得したくもなかったが、貞操がかかっている以上、「続きが気になる寝物語」は続けるつもりだ。私がうなずくと、楚花は「ところで」と言葉を継いだ。
「先ほど宦官の方がやってきて、今夜も陛下がお呼びしたいと伝えてくださったのですが、準備は大丈夫ですか」
「え?」
朝からずっと寝ていたので、今は昼下がりだ。夜伽に行くのは日本時間に直すと19、20時頃なので、あと6時間くらいしか猶予はない。やっと乗り越えたと思ったのに、もう次に行かなければならないのか。
「今日は夜伽をお休みにしようかと……」
「あはは。紗礼様は冗談がお上手ですねえ」
食い気味に冗談だと断じられ、私は言葉を失った。まあそうだよね! 後宮の女が皇帝とヤりたくないとか思うわけないもんね!
「もし何か夜伽までに必要なものがあれば後で教えてください。私はちょっと床の本を持ってきますので」
そう言って、楚花は部屋を出て行った。しばらく呆然としていたが、一日の猶予もなく貞操の危機が再びやってきたことを認識すると、そうもしていられなくなった。
(今日の話の筋をきっちり整えておかないと)
私は机に向かい、頭を抱えながら話の構成を考えはじめた。前回は熱量と物語の目新しさで押し切ったが、今回もそれだけで皇帝の心を掴み続けられるかは分からない。
(話をどこで切るかが難しいんだよね……)
アレキサンダーの死で締める場合はインドを征服しきれず帰還する最中に熱病を発症して死亡、つまり「道半ばだが偉業を達成できたエンド」になるわけだが、そこで終わるとたぶん尺があまって私はヤられてしまう。
かといってマケドニアのその後を語って引き延ばすのも難しい。なぜかというとアレキサンダーが「最強の者が我が帝国を継承せよ」と余計な遺言をし、その結果「マケドニア王に俺はなる!!」と意気込んだ大王の戦友たちが大乱闘する「ディアドコイ戦争編」が始まるからだ。
ハ○ターハンターの王位継承戦やトルストイの「戦争と平和」並みに人間の入り乱れる複雑な展開になるので、それを面白く語る自信はない。登場人物が増えすぎて誰が誰だか分からなくなってきたあたりで「つまらん」と言われて
「うーん……難しいわね」
幸いなのは無敵のアレキサンダーVS大軍を率いるダレイオスという山場で止めておいたので、その先を聞きたい皇帝が「出会って5秒で即合体」を仕掛けてはこないだろうということくらいか。
私が頭を悩ませていると、背後の扉が開く音がした。楚花が帰って来たのだろうかと思って振り返ると、知らない侍女が箱を持って立っていた。背は私より高く、肌は浅黒い。うつむき加減にこちらを上目遣いで見ている。
「誰?」
「私、侍女の
「? 私、誰かに何かを頼んだ覚えはないけれど」
首をかしげながらそう答えると、汪香は手に持っていた箱を私に差し出した。
「え、ええ。これは私からの個人的な贈り物でございますから。中を見てください」
彼女が開けた箱の中は板で区切られており、その枠の中にはきらきらと輝く水晶玉のような球体が入っていた。外側には紅でデフォルメされた龍や麒麟の絵が描いてある。
「これって……飴?」
「その通りです」
「なんで私にくれるの?」
このレベルの世界では現代ほど甘いものは安くないだろうし、それぞれ違う意匠を表面に描いたものともなれば、かなりの高給品だろう。タダで渡されるようなものではない。
「……昨夜は、皇帝と一夜を過ごされたそうですね」
突然そんなことを言われ、私は赤面した。なぜ私が閨に行ったことがもう知れわたっているのだろう。そういう女のネットワークがあるのだろうか。
「紗礼様は、来て早々にお呼びがかかった……いえ、前置きせずに率直に申し上げましょう。私は紗礼様が未来の王妃になると信じています」
「それで……?」
「私は外とのツテがありますから、その飴以外にも何でも紗礼様の欲しいものを調達できます。ですから、もしも新しい侍女をお求めでしたら、この私を指名してほしいのです」
そこまで聞いてようやく話が見えて来た。閨の噂を聞いた彼女は、私が王妃になると見込んで自分を売り込みに来たのだ。
(でも、これ以上侍女が欲しいとも思ってないしなあ)
私は最低限の生活ができればそれで満足で、楚花も別の有望な人に付いた方がいいと思っているくらいなのだ。それに何でも調達するというのは、当然出世して十分な見返りが得られるのを期待してのことだろう。私は王妃になるつもりがないのだから、無い袖は振れない。
「残念だけど、この飴は受け取れない」
「な、なぜです? 私、便利ですよ」
「なぜって……とにかく、私には必要ないの」
「そう言わず。別に確約はしなくていいですから、飴だけでも貰ってください」
あまりにもしつこいので、やむなく私は飴の箱を受け取った。とはいえ別に甘い物は好きではないので、どうしたものかと首をひねった。
「うーん……楚花とか陛下にあげるか……」
そう小声でつぶやくと、汪香は目を剥いた。
「へ、陛下に献上するのですか?」
「だって私甘い物そんなに好きじゃないもの。寝物語のついでに差し上げようかなって」
どういうわけか、汪香の顔はリトマス試験紙のように青ざめていった。私は不思議に思いながら、言葉を続ける。
「……とにかく、私には貴方は必要ないの。もっと別の人のところに行ったら? 例えば……そう、白蘭夷妃とか」
あの親切そうな人なら楽しく働けるだろう。そんな理由で名を挙げた瞬間、汪香はさっと顔色を変えた。
「まさか、最初から気づいていたのですか」
「何のこと?」
「と、とぼけたって無駄です!」
突然汪香は私から箱をひったくった。そして扉を乱暴に開け、全力疾走で逃げて行った。
「……ほんと、何だったの?」
意味が分からな過ぎて、私はぽかんと口を開けるしかなかった。
恐ろしい女だ。
ぜえぜえと息をつきながら、箱を自室に持ち帰った汪香は壁にもたれかかった。肌につけていた黒粉を拭いさり、頬に含んでいた綿を吐き出して変装を解いた。
汪香──もとい、白蘭夷の腹心の侍女長である凛凛は、色の薄い唇の隙間から長々とため息をついた。
(まさかこの飴に仕込んだ
寵愛を受け始めた後宮の女は他の妃たちによる暗殺を防ぐため、毒見や見張りのための侍女を必要とする。皇帝に一晩も愛され、王妃を目指す筋道を立てた今の紗礼も、当然侍女を増やそうとするはず。
凛凛はそこに目をつけ、侍女に変装してお付きになりたいと持ち掛けた。
二重底の引き出しが隠されていることに気づいた人間は、さらにその下に何かが隠されているとは思いもしない。あえて「王妃のおこぼれにあずかりたい」という意図を見抜かせることで、真の狙いである毒殺を隠したのだ。
しかし、紗礼は凛凛の仕掛けた罠をやすやすと看破してのけた。そうでなければあんなに美味しそうな飴を自分で食べずに侍女に与えるなどと言うはずがないし、「
(しかもヤツは……白蘭夷様の名まで出した)
誰の差し金かということまで見透かしていたのだ。その場で絞殺してしまおうかとも思ったが、そこまで頭の回る紗礼がこちらの直接攻撃を想定せずに挑発するはずがない。凛凛が行動に移した瞬間に侍女がやってくる手はずになっていたのかもしれない。
(全く……とんでもない相手だった)
暗殺は失敗したが、むしろ恐ろしく頭の切れるあの女から証拠を取り返せただけ、まだマシというべきか。証拠となる飴を埋めて始末すると白蘭夷の居室へと行き、暗殺の失敗を報告した。
「ふうん。小娘のくせに相当手ごわいわね……」
報告を聞き終えると、白蘭夷は食べていたお茶請けの餡饅頭を嚥下し、そう評した。
「申し訳ありません」
「証拠を残さなかったのなら別にいい。計画が思い通りにいかないことなんて普通のことだもの。反省して次の暗殺に活かせばいいわ」
「……はい」
凛凛の主──白蘭夷の行動は、常に合理的だ。自分に皇帝の
「ほとぼりが冷めるまでしばらくは様子見しようかしら。その間に私もいろいろ案を考えるから、凛凛も紗礼を何とかする方法を思いついたら教えて」
「わ、わかりました」
この人のためにも、紗礼を暗殺する方法をちゃんと考えなくては──そう思ったとき、部屋の外から凛凛の下で働いている侍女たちの慌てる声が聞こえてきた。
「あの、
「頼みますから止まって! 止まってください! 私たち、凛凛様に怒られます!」
蓬翠と聞き、アイツかと凛凛はげんなりした。「四后」の一人である蓬翠は白蘭夷の天敵のような人物で、紗礼がやってくる前の策謀は彼女を中心に考えられていたほどである。
一体何の用だろう。凛凛がため息をつきながら入り口の方を見ていると、栗色のふわふわとした髪を腰まで伸ばした女が、歩みを止めようとしがみつく二人の侍女を引きずりながら現れた。
彼女は部屋に入ってくると勝手に白蘭夷の向かいに座り、卓に置かれている餡饅頭に目をやった
「ちょっとお話に来たんですけど、その前にお腹がすいたんでそこの点心頂いてもいいですか?」
「……ええ」
少し嫌そうな顔をしながら、白蘭夷はうなずく。美味しいわね~と言いながら饅頭を頬張る蓬翠を、いったい何をしに来たのだろうと思いながら見ていると、彼女は饅頭を持ったまま、「それで」と切り出した。
「白蘭夷さんは、新しく入って来た紗礼ちゃんを殺せたんですか~?」
凍り付いた白蘭夷と凛凛の前で、蓬翠は後宮には似つかわしくない、人好きのする笑みを浮かべた。