第壱節:上弦の陸と下弦の壱
享和2年 03月11日(西暦:1802/04/13)──────
遊郭。
それは男と女の愛憎渦巻く場所。
そしてその名の通り、男に物言う女の声が、建物の一室で喧ましく響いていた。
「ちょっと
怒気に満ちた口調に反して、その女の瞳は宝石のように美しかった。
巧みなまとめ上げ方によって作られた日本髪は、彼女の端正な顔立ちを引き立てている。
さらに、鮮やかな花を模した飾り簪は、彼女の存在を一層華やかに彩っていた。
そして、そんな彼女は譲らない姿勢を示すかのように、ふっくらとした唇を横に引き締め言葉を続けた。
「私の所有物(遊女)を食べたそうね?流石に許さないわよ。折角のお気に入りだったのに」
「ああ?下弦の癖に口答えかァ?アニキにおんぶに抱っこなガキンチョがよォ」
苛立ちを交えながら女の方へ振り向く男──────暴瀉は体格の良さが際立っていた。
鍛え抜かれた筋肉が小袖の下で膨らみ、その威容を示している。
さらに、鋭い目つきも相まって凄まじい威圧感を醸し出す。
女との体格差は、正に大人と子供と表現するに相応しい。
そして、暴瀉の左右の瞳にはそれぞれ、"上弦"と"陸"という文字が刻まれていた。
それらが意味するのは、鬼の間に存在する絶対的な序列。
だが、その差を埋める存在が現れる。
女の着物がみるみる膨れ上がり、背中から現れたのは痩せ細った男。
彼は梅毒に侵されているようで、皮膚は斑点模様を描いていた。
だというのに、病弱な印象は受けず、むしろ見る者にとって恐怖の象徴として映る。
そして、気だるげに開かれた瞼の奥に、下壱という文字が刻まれた瞳を覗かせ、その周りは血走っていた。
「妹の大事な物をよくも横取りしてくれたなぁぁ。今すぐ入れ替わりの血戦挑んでやっても良いんだけどなぁぁ」
そう男が口にした瞬間、空気が張り詰める。
──────下弦の壱と上弦の陸が殺意を向け合う空間が出来上がった。
だが次の瞬間、それが嘘であったかのように
暴瀉の言葉によって。
「まあまあ落ち着けって妓夫太郎。鬼同士の戦いなんていつまで経っても決着つかなくてダルいんだよ。だからよォ、今回ばっかしは見逃してくんねェかなァ?今、やりたいことあんだよ俺様はよォ」
「やりたいことだぁぁ?」
痩せ細った男──────妓夫太郎はそう言って、
対して暴瀉は気にすることなく言葉を続ける。
「ホラ、
「あぁ、居たなぁぁそんな奴。でも厭蟻に殺されないぐらいじゃ別に大したことないけどなぁぁ」
「それはそうなンだけどよォ。だが、結構しぶとくてなァ。今や柱に届くほどまで上がってきやがった」
「それがどうしたっていうんだよ」
「だから、ソイツをよォ、食ったらどうなると思う?俺様の見積もりだと、玉壺は殺せるくらいになるかもなァ。あァ、そうだ。稀血のガキ殺したら分けてやんよ。だから見逃せ、な?お前らもこんなとこで死にたくねえだろ?」
「ハア?まるで私たちが負けるかのような言い草ねえ!」
挑発と受け取った堕姫が、憤りと共に割って入ってくる。
それに対し、暴瀉はあっけからんと答えた。
「ああ?だからそう言ってンだろォが。まだ早ェよ。お前らじゃあ」
「お前今、早いって言ったなぁぁ。ヒヒッ。じゃあいずれお前は上弦の座から追い出されるってことかぁ?」
「・・・まァそうなんじゃね?後十年したら俺様も危ねェかなァ。だから稀血のガキ狙ってんだわ。お前らに追い越されないようになァ」
「ヒヒッ・・・しょうがねえからお前の口車に乗せられてやるよ」
暴瀉と妓夫太郎が、とんとん拍子で話を進めていく。
すると、堕姫が不満を噴出させた。
「ちょっと!お兄ちゃん!?」
「まあそう声を荒げるな。こいつはいずれ俺たちが必ず取り立てるからなぁぁ」
妓夫太郎が、妹を宥める。
すると、堕姫は口をとがらせながらも頷いた。
そして、それを見ていた暴瀉は、「うっし。じゃあ交渉成立だなァ。」
と言って、妓夫太郎たちの前から姿を消した。
妓夫太郎は追うことはせず、気だるげな表情を浮かべていた。
「はぁぁぁ・・・まんまとはめられたなぁぁ」
と、言葉をこぼし、ポリポリと頭を掻いていた。
幕間、完。
幕間、完結です。
次から決戦です。