第壱節:堕姫
──────鬼の姿は誰が見ても美しいと評するほどの美貌だった。
鬼の顔立ちは、完璧なバランスと優雅さを備えており、長いまつげは羽のように繊細で、目元には深く魅惑的な輝きが宿っている。
対する弥源次は見惚れるわけでなく、ハトが鉄砲玉を食らったかのような顔を浮かべていた。
「は・・・な・・・?」
女性のものと思われる名前を口にし、驚きを隠せない様子の弥源次に対して、鬼は眉間にしわを寄せる。
「私にはあの方から与えられた"堕姫"という名前があんのよ!」
鬼──────堕姫の着物が複数の帯に分離すると、頬には蝶の紋様と、瞳には上弦の鬼である証が現れる。
そして、分離した帯は、弥源次に襲い掛かった。
鬼から放たれた帯は刃のように鋭く、交互に逃げ道をふさぎ、無数の斬撃を与えてくる凄まじいものだった。
対する弥源次は先ほどまでの気の抜けた表情を瞬時に切り替え、鋭い眼光を敵へと向ける。
そして、前腕、肘、脛に光る刃は、躍るような軌跡を描きながら帯を切り裂いていく。
その光景に、鬼は目を見開く。
堕姫はよろめくように一歩、後ずさりをした。
両者が刃を交えてから数秒しか経過していないのにもかかわらず、すでに鬼は剣士を恐れていた。
そんなことを弥源次は知る由もない。
いや、知ったところで、彼は刃を止めないだろう。
そして、既に堕姫の懐まで入っていた弥源次は、一太刀のもとに鬼の首を両断した。
一連の動作は極限まで洗練されており、羽が舞うように、静かで軽やかなものだった。
弥源次は床に倒れる鬼を一瞥した後、踵を返し、遊女の亡骸の元へ歩み寄る。
──────しかし、数歩歩いたところで彼の足は突然止まる。
彼の瞳は、鬼の首を切った瞬間の情景を反芻しているかのように、不規則に揺れていた。
弥源次は振り向き、再び鬼に視線を移す。
彼の瞳に映ったのは、首が無いのにもかかわらず身体は形を保ち、延々と泣きわめく"ナニカ"。
そんな光景を目の当たりにし、手に汗を滲ませ息を呑む弥源次。
堕姫の癇癪はさらに強まっていき、それに呼応するように周囲の空気は張り詰めていく。
それは不吉な予兆であった。
◇
第弐節:妓夫太郎
「お兄ちゃん!」と、もう一体の鬼であろう存在を堕姫が呼ぶと、辺りは死の気配に覆いつくされた。
──────もう一体の鬼が、堕姫の背中からメキメキと生えてくる。
独りでに震える腕を強く抑えつける弥源次。
鬼殺隊の主力である柱でさえ、恐怖心を隠せないという事実が、新たに現れた鬼の強大さを物語っていた。
ヒタリ、ヒタリと床を踏む音。
──────男の鬼が、その全貌を露わにした。
病的にまで細い手足、梅毒に侵された皮膚、ギザギザの歯。
それらの特徴が鬼の存在感をより際立たせる。
男の鬼は堕姫の首を再び体にくっつけると、弥源次を睨みつけた。
「そのツラの悪さを見ると妬む気にも恨む気にもなれねぇが、妹をいじめる奴は殺すって決めてるんだよなぁぁ」
その言葉と共に、鬼の手から血があふれ出す。
そして、赤黒い血は二本の鎌を形成した。
「俺はやられた分は必ず取り立てる、俺の名前は"妓夫太郎"だからなぁぁ」
そう言って、構えをとった後、鬼──────妓夫太郎は血鎌を弥源次に向けて放った。
竜巻のような回転に伴い、空気を切り裂くような鋭い音。
それが二つ重なり、不気味な共鳴が室内に響き渡った。
対する弥源次は一つ、また一つと血鎌の襲撃をはじき返す。
しかし、それらは不可思議な力を帯びており、急にピタリと空中で静止した。
かと思えば今度は、吸い寄せられるかのように、再び弥源次の元へ。
そんな状況で、彼は息を詰めたような表情をしつつも、真後ろと正面、二方向から迫りくる血鎌を自身の刃でどちらも防ぐ。
だが、鬼の攻撃は終わらない。
血鎌は何度も何度も、弥源次に襲い掛かった。
それを、剣技と執念で対処する中で、鬼の武器を摩耗させていく。
一連の光景を見た妓夫太郎は僅かに眉を動かした。
「お前・・・やるなぁぁ・・・」
頭をポリポリと掻きながら、そう呟いた後、妓夫太郎は血鎌を己の手に再び握りしめたことで、弥源次は鬼の攻撃から一瞬の休息を得た。
息を整え、彼は冷静な表情で鬼と対峙し続ける。
しかし、
鬼殺隊、ましては柱である弥源次に対し、鬼は"そのようなもの"を与えたりはしない。
右足の指先にぐっと力を籠めた妓夫太郎に対し、弥源次も構えを取り体の重心を低くする。
そして、妓夫太郎の姿が消えたかと思えば、血鎌は弥源次の頬先まで迫っていた。
だが、次に聞こえたのは、肉を抉るような鈍い音──────
ではなく、「キンッ」という鋭い音だった。
どうやら、弥源次は腕に装着した刃を下から上へ振り上げることで血鎌を逸らし、負傷を避けたようだ。
直ぐに二撃目、三撃目と鬼が攻撃を繰り出すと、弥源次は手や足に備わった刃で受け止める。
一瞬の間に何度も交わる刃同士の衝突音は、まるで稲妻のような速さと迫力を伴っていた。
弥源次は目の前の鬼から繰り出される攻撃に必死に食らいつくが、その刃の重さと攻撃速度に対し、彼の顔には焦りが滲んでいた。
妓夫太郎の猛攻はまるで暴風のようであり、鬼殺隊の主戦力である弥源次でさえ、防戦一方の状況に追い込まれていた。
そんな中、弥源次の足元に堕姫の帯状の刃が不気味に迫っていく。
すると、圧倒的な不利を悟ったのか、彼は一瞬の判断で建物の外に身を投げ出した。
転がるように、通りに出た弥源次。
衣類についた土埃を払う暇も無く、あたりをぐるり見渡した彼の瞳には異様な光景が映る。
「あんな大きい音を立てておいて、野次馬すら居ないなんて・・・」
弥源次は考え込むようにして立ち止まり、周囲の状況を冷静に分析する。
すると何かに気づいたのか、ハッと目を見開く。
「そうか・・・!"協力者"に人払いをさせたってわけか・・・」
弥源次は霧が晴れたような表情を浮かべ、呟いた。
すると直ぐに、彼の言葉に応える声があった。
「鬼狩りは殺すから良いとして、目撃者を消すのはキリがねぇからなぁぁ」
そう言って建物の二階の窓から降りてくる妓夫太郎。
兄に続く堕姫は、誇らしげな表情を浮かべていた。
「私らの遊郭はそう簡単には暴けないわよ」
彼女の髪色は白色に変化し、全身にヒビのような紋様が現れていた。
そんな彼らの姿を見て、弥源次はゆっくりと呼吸をした後、口を開いた。
「そうか・・・安心したよ。人がいなくて助かるのは、こっちも同じだ」
そう告げると、弥源次は一瞬の間を置いて、力強く地面を蹴り上げた。
高く舞い上がった後、弥源次は目の前にそびえ立つ建物の外壁を見つめる。
強靭な筋力を駆使し、彼は壁を蹴ると向かい側の建物へと飛び移った。
その一連の動作を繰り返すことで加速を生み出し、ついには人間の脚力では生み出せないほどの速度となる。
その姿はまさに迅雷の如く。弥源次は大通りを縦横無尽に飛び回るが、視線は常に鬼に注がれていた。
そして、鬼の死角に入った瞬間、彼の瞳は一瞬にして鋭くなり、攻撃の瞬間を捉えた。
「羽の呼吸 壱の型──────
その技はまるで鳳凰が羽ばたくかのように美しく、最高速度に達した弥源次は、堕姫の首を斬り落とした。
弥源次はすぐさま堕姫の首を抱え、地面を蹴り上げる。
彼の身体は建物の壁へ着地すると、再び跳躍を始める。
もう一体の鬼と距離を取りつつ、堕姫の首の隠し場所を探している弥源次の瞳には深い不安が宿っていた。
羽の呼吸で加速している弥源次を超える速度で、妓夫太郎は後を追う。
つまり、追いつかれるのは時間の問題であった。
みるみる内に縮まる両者の距離。
弥源次も背後から迫る鬼の存在感を感じ取ったのか、表情はさらに強張った。
──────そしてその瞬間は、すぐに訪れた、
なんと、妓夫太郎は、弥源次の真後ろまで接近していたのだ。
己の最高速度でさえも容易く追いつかれたという事実に、弥源次は目を剝く。
弥源次はすぐさま身体の向きを変え、回避を試みる。
しかし、妓夫太郎の血鎌はそれを許さない。
ザンッという音と共に、弥源次は腕を斬り落とされた。
さらに追い打ちをかけられるように、彼の体は妓夫太郎の蹴りで吹き飛ばされ、まるで猛禽のような勢いで建物に激突した。
パラパラと崩れ落ちる木の破片と、歪んだ建物の残骸が証人となって彼の運命を明示しているようだった。