これは、上弦討伐を成し遂げる二人の鬼殺隊士の、出会いの物語。
第壱話:忘れられぬ夜
第壱節:
寛政元年 12月14日(西暦:1790/01/28)──────
深い森の中、不安に満ちた表情を浮かべながら、鬼殺隊の隊士たちは進んでいく。
月明かりが微かに差し込む中、静寂が支配し、森は不穏な空気に包まれていた。
風が枝をかき鳴らし、葉が微かに揺れる光景も、まるで何かを予感させるかのようであった。
隊士は全部で九人いた。
男の隊士が四人と、女の隊士が五人。
その中で、最後尾を歩く女の隊士は肩を震わせ、ひと際怯えているようだった。
先頭を歩く隊士たちと共に闇に潜む存在を警戒し、音を殺しながら土を踏む。
そんな中で、パキッ と、枝が踏まれる音が、静寂を打ち破る響きとなった。
「あっ・・・」
という声が漏れ出た後、見えない力によって彼女の身体は空中に浮かび上がり、暗闇へと消えていく。
突然の出来事に、その場に立ちすむ鬼殺隊の隊士たち。
彼らは、今にも漏れだしそうな叫びを必死に抑えるように口を堅く結ぶ。
暗闇を見つめる彼らの瞳孔は、より多くの光を取り込もうと、開いていた。
すると、彼らの視線の先、木々の奥から悲鳴が聞こえた。
それは、悲嘆に満ちた掠れ声。
直後、生きた悪夢に囚われたかのように、彼らは半狂乱となる。
だが、悲劇は手を緩めない。
その後、二人目の女の隊士が闇に消え、透かさず三人目の消失が訪れる。
残された者達が、犠牲となった隊士に関連性を見出すのはそう時間はかからず、却って鬼の実像を残酷なまでに映し出した。
すでに三人が闇に消え、六人となった部隊の中で、女の隊士は残り一人。
彼女は、日輪刀を鞘に納めると、打ちひしがれたかのようにその場に膝をつき項垂れた。
死の冷たい触手が、すぐそこまで迫っている。
彼女は必死に助命を乞うが、そんなものは何の意味も無く、身体は宙を舞う。
しかし、彼女の右手にはもう一人の隊士の手が重ねられていた。
その隊士の名は新吾。
彼は鬼殺隊に入隊してからたった三か月の新人であった。
新吾の顔には緊張と決意が交錯している。
握りしめる手には若干の震えがあったが、その手は力強く見えた。
「大丈夫。大丈夫だ。俺が死なせない。絶対に」
新吾の声は微弱な揺らぎが感じられ、虚勢を張っているとすぐ分かるようなものだった。
それでも、女の隊士の表情からは少しの安堵が感じ取れる。
二人は息を詰め、見えない力に引かれていく。
しばらく闇の中を漂い続けていると、彼らは森の開けた場所に到着した。
そして彼らは見えない力から解放され、その場に足を降ろす。
直後、刀を握る新吾の手に、力が籠った。
──────"得体の知れない何か"が彼の瞳に映り込んでいた。
月明かりの下、不気味な輝きを放つ血だまりが静かに広がり、そこに佇むのは恐怖と死の象徴。
その者は老人の男性の姿をしており、顔には深いしわが刻まれている。
鬼の特徴である顔の紋様は目元のしわをなぞるようにして現れていた。
また、麻の小袖に身を包んでおり、袖口や襟元には独特の刺繍が施されていた。
それらは細かく均等に並んだ黒い紋様で、それ自体に意味はなさそうに思えるが、隊士の返り血によってまだら模様に赤く染まっているのも相まってか、死肉に群がる蟻を連想させる。
鬼に対峙する新吾は目を見開き、深く息を吐く。
彼の姿は、目前の鬼の一挙手一投足を見逃さぬよう、全神経をとがらせているように見えた。
それは、左隣で涙を流しながら恐怖に震える女の隊士を気に掛ける余裕すら感じさせないほどに。
静寂が支配し、呼吸の音だけが空気に溶けていく。
そして、何度目かの呼吸の後に、突如として鬼の姿が新吾の視界から消えた。
少し遅れて新吾の反応があった。
彼は目を剝いて驚いた後、すぐに左に顔を向ける。
しかし、すでに女の隊士の姿は無かった。
次に、新吾は視線を下に向ける。
すると、彼の肩はビクリと持ち上がった。
なぜなら、彼女の右手だけが、新吾の左手に縋り付くように握られていたためだ。
新吾は顔を上げて、周囲を確認しようとするが、瞳は不規則に揺れ動いていた。
その姿はまるで追い詰められた獣のように弱々しく、痛ましいものだった。
鬼の存在によって引き起こされた衝撃と恐怖が、彼を追い詰めて行った。
そして、ぼちゃり、と新吾は血だまりに膝をつく。
袴に血が染みてゆき、その赤く濡れた姿は、彼が抱く無力感を顕著に表していた。
そして、「男は後じゃ」という声が新吾の耳に響くと、苦痛に顔を歪ませながら彼の背中は大きく仰け反る。
そのまま勢いよく吹き飛ぶと、体は無力に地面を転がった。
うつ伏せの状態で、新吾は息を乱しながらも、瞼をゆっくりと開ける。
すると、彼の瞳は一瞬にして動揺が広がった。
女の隊士に鋭い爪が振り下ろされようとしていたためだ。
新吾は体勢を崩しそうになりながらも、必死に立ち上がろうとするが、震えた足が彼の心情を物語っていた。
しかし、目の前で行われようとする悲劇を止めるために、新吾は奮い立つ。
鬼のもとへ飛び出した新吾は、女性隊士を突き飛ばすような形で庇うと、鬼の爪は彼の背中を切り裂く。
すると、新吾の身体は糸の切れた人形のように、地面に崩れ落ちた。
しかし、追撃が新吾を襲うことはなく、鬼は何かに気づいのか、血に濡れた自分の爪を眺めていた。
そして舌で血を舐め取った後、鬼は目を見開いた。
「おお、貴様、まさか・・・」
鬼の発言と表情は、新吾に強い関心を持ったように見えた。
しかし、鬼の視線はすぐに女の隊士へ移る。
「これは思わぬ収穫じゃのう。"仕込み甲斐"がありそうじゃ」
鬼はその言葉とともに、この場をあとにしようと一歩を踏み出す。
しかし、突然ピタリと歩みをやめると、視線を落とした。
その後に浮かんだ鬼の表情は、あっけにとられているようだった。
鬼の瞳に映るのは、足首にしがみつく、先ほど肉を裂いた筈の男。
男の視線は女の隊士に注がれ、彼女に必死の形相で何かを訴えかけている。
すると彼女は新吾の表情から何かを察したのか、静かに頷いた後、新吾に背を向け走り出す。
しかし、運命は彼らに冷酷な試練を与えることを決めた。
「かわいそうな奴らじゃのぉ。小僧も、あのおなごも」
鬼はおぞましい笑みを浮かべると、女の隊士は再び、見えない力によって森の茂みから連れ戻される。
引力によって制御を失った彼女の身体は、見えない力に必死で抗おうとしているようだったが、空中で揺れ動くばかりだった。
すると、決意の光が新吾の眼に宿り、激しく息を吸い込みながら立ち上がった。
新吾は身を引き締め、鬼の首に刃を振るう。
──────パキン
無情な音が響き渡った。
だが、彼の心はまだ折れていなかった。
新吾は鬼の背後に廻り、裸締めをする。
彼の腕は鬼の頸動脈を的確に締め上げていた。
しかし、石のように固い鬼の首はビクともしない。
すると、万策尽きたとばかりに、新吾の顔に絶望が浮かび上がる。
しかし、鬼は新吾の行為を全く意に介さない様子で、鬼にとって新吾は無力な存在として映っていることが伺える。
そして、女の隊士は鬼の手によって再び引き戻され、彼女の運命は死を待つだけとなった。
そんな状況の中で、助けを求めるかのように、彼女は新吾に表情を向ける。
恐怖によって彼女の口元は引きつり、瞼は大きく見開かれ、瞳は震えていた。
すると、新吾は彼女をかばうように鬼の前に立った後、跪いた。
「俺はどうなっても良い・・・だから、彼女は殺さないで下さい・・・お願いします」
彼の声は地面に溶け込みそうなほど弱々しく、震えていたが、それは心からの叫びに聞こえた。
すると、新吾の姿に心を打たれたのか、鬼はニコリと笑うと、女性隊士にかけていた見えない力を解く。
突然の出来事に、新吾と女の隊士は呆然としていた。
そんな彼らを他所に、鬼は口を開く。
「貴君の勇気、素晴らしいものじゃった。吾輩も何度か鬼殺隊と戦うことがあってのぉ。女を優先的に殺すんじゃが、中には女をかばって死のうとする男もおった。貴君のようにな。そのたびに、吾輩は感動に身を震わせるんじゃ・・・」
そう言葉にする鬼は、その時の情景を思い浮かべたのか、恍惚とした表情を浮かべている。
女の隊士は最初、鬼の変わりように困惑していたようだったが、次第に希望と安堵が交じり合った表情になっていた。
「そうなんですね・・・じゃぁ・・・」
女性隊士は鬼に期待の眼差しを向ける。
すると、鬼の釣り上げられた頬からは力が抜け、先ほどまでの表情が一変した。
「ウム。女を先に殺す。男の目の前での」
鬼は眉一つ動かさずに残酷な台詞を口にする。
その言葉を聞いた女の隊士は目を剥いて固まった。
その後、勢いよく頭を地面に擦り付け始める。
「やめて・・・お願いします・・・やめてください・・・許してください・・・」
懇願する女の隊士を見ながら、鬼は満足げに口元を歪ませる。
「吾輩は美食家でのう。ある日、獲物に大きな負荷をかけてから食べると旨くなることに気づいた。小僧、貴様稀血じゃな。娘が切り刻まれる様をしっかりと目に焼き付けるのじゃ」
鬼は新吾を見ずに話す。
新吾は無謀にも鬼につかみかかろうとするが、鬼が軽く手を払うだけで勢いよく吹き飛ばされる。
樹木に衝突し、地面に倒れ臥した新吾の体は起き上がるそぶりを見せず、ピクピクと痙攣していた。
そして遂に、鬼の爪は振り下ろされた。
鬼に斬り刻まれる女の隊士の顔は青ざめ、苦痛に歪み、呼吸は荒く乱れていた。
彼女の目からは諦観が滲み出ており、生命の輝きが次第に薄れていくのが分かる。
傷口からは激しい出血があり、爪によって切り裂かれた肉は内臓を露わにしていた。
彼女の身体は震えながらも、必死に息を吹き込もうとしていたが、力は次第に衰えていった。